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幼女転生  作者: デブリ
八章・渡航編
172/203

第百十五話 『これは呪いか。』


「あっ、起きた!」


 まず目に飛び込んできたのは幼狐の笑顔だった。両の耳をピンと立て、ふさふさの尻尾を嬉しそうに振っている。そろそろ九歳の割に小柄な身体には生気で溢れている。


「ローズ、大丈夫!?」


 幼狐の隣には淡い褐色肌と金髪のコントラストが目に眩しい美少女がいる。本来は強気そうな顔立ちに喜色と憂色の入り混じった表情を浮かべていた。それでも尚、十一歳という年頃に相応しい可憐さがあり、コウモリめいた両翼もあって、まさにデビル可愛いという他ない。


「お姉ちゃん、まだ眠そう……怠そう? まだ眠い?」


 更にその隣にはどこかぼんやりとした感じの幼女がいた。やや癖毛の長い茶髪は量が多く、真っ黒い瞳は愛らしい。ゆったりとした口振りの声に感情の起伏は乏しいが、これでも少し前よりはだいぶマシだ。実際、親しい者でないと気付けない程度に、口元には嬉しそうな笑みが見られる。


「……………………」


 俺はなんだか意識が定まりきっておらず、まだ状況が判然としないが、見慣れた天井だったので自分がベッドに寝ていることは分かった。姉妹同然な三人の顔の向こうには二段ベッドがあるし、今まさに俺が横たわっているのも二段ベッドだ。ここ最近の寝床として、俺が下段で、リーゼが上段で眠っている。

 去年からの船旅生活ですっかり馴染んだ、ここは船室だ。


「ふむ、ようやく目覚めたか小童」


 という老成した口調の、しかし綺麗なソプラノボイスが真上から聞こえてきた。かと思えば、ベッド脇にいる三人の背後に少女が長い銀髪をなびかせて音もなく着地し、真紅の瞳で俺を見下ろしてくる。


「……みんな、どうしたんですか?」


 この状況とゼフィラの台詞から察するに、リーゼもサラもルティも、ついでにゼフィラも、俺の目覚めを待っていたのだろう。そしてなぜか、俺が起きたことを喜んでいる。


「ローズ、倒れたのよ。覚えてないの?」

「私が、倒れた……?」


 サラの言葉に記憶を探ろうとしてみるが、起き抜けのせいか、まだ頭が上手く働かない。まずは上体を起こして、軽くストレッチでもしてみるのがいいだろう。

 と思って動こうとしたが、やけに全身が怠くて、動けない。


「とりあえずローズが起きたってみんなに教えてくーるー!」


 リーゼが部屋から飛び出していくのを見送りつつ、俺はなんとか身体を起こそうと頑張ってみる。しかし、全身が微動する程度が関の山で、如何ともし難い。魔動感が過剰反応したときの脱力感に似ている。そのくせ嘔吐感や酩酊感はないし、意識も割かし明瞭だが、身体が鉛のように重く、指先を動かすことすら一苦労だ。


「お姉ちゃん、起きれない?」

「……みたいですね」


 というか、喋ることすら頑張らないとできないくらいだった。

 そこでようやく、この状況が異常事態だと正しく認識できて、危機感が湧き上がってきた。

 なんかこれ……不味くない? 俺どうなってんの?


「ちょっとゼフィラ、ローズ本当に大丈夫なの!?」

「何度も言っておろう。小童のこれはただの魔力切れだ」

「じゃあどうして魔女なのに魔力なくなって気絶するのか、早く説明して! ローズ起きたら説明してくれるんでしょ!?」

「落ち着け小娘。もうすぐにでも他の連中がわらわら集まってこよう。二度説明するのも面倒なのでな、もうしばし待て」


 詰め寄るサラに対し、ゼフィラは面倒そうに応じている。ルティは慌てず騒がず、しかし心配そうな様子で俺を見つめて、「大丈夫?」と声を掛けてくる。


「……ええ、まあ……たぶん」


 べつに頭痛はしないし、鼻にも喉にも異常はない。前世で体験したインフルエンザなどの重病のときより遥かに怠いが、何らかの病気ではなさそうなので、現状の原因はゼフィラの言うとおり魔力切れなのだろう。


「…………あれ? なんか前にもこんなことあったような……?」


 などと、サラが思案げに一人呟いている。

 確かに言われてみれば、婆さんに断唱波を教えてもらったときと状況は似ている。今回はルティがいるし、婆さんの代わりに中身だけ婆さんな銀髪美少女がいるが、今この状況はあのときを思い出させる。

 というか、やっぱりサラの記憶は完全に失われた訳ではなさそうだな。何か切っ掛けさえあれば、あるいはトラウマを克服できれば、思い出してくれる可能性は高そうだ。


「あの……私、倒れてから……どれくらい経ちました……?」

「お昼過ぎに倒れて、今は寝る前くらい。だから……六時間以上?」


 ルティが小首を傾げてゼフィラを見ると、ゼフィラは「うむ」と頷いている。

 六時間……にしては妙に身体が錆び付いているような感じがする。体感的には一年くらい植物状態だったと言われても納得してしまうほどに、全身が言うことを聞かない。脳も鈍っているかのように、思考がいまいち冴えない。


「……………………」


 色々と思うところはあるが、とりあえず今は呑み込んで、こうなった経緯を思い出してみよう。みんなが俺の様子を見に来ると、ゼフィラが説明を始めるらしいので、それまでに軽く記憶を整理して、倒れる前のことを把握しておくべきだ。




 ♀   ♀   ♀




「なんかローズ元気ないね。どーかした?」


 チュアリーを出港して八日目。

 転移魔法の練習を始めて五日目。

 日が暮れる頃、転移魔法の練習を終え、気怠い身体で甲板に降り立つと、リーゼがいつもの天真爛漫さで声を掛けてきた。


「……そう見えます?」

「うん。なんかねー、なんとなくそんな感じするー。ルティもそう思うでしょ?」

「いつもより、元気なさそう」


 ルティがリーゼの感覚的な意見に同意の頷きを見せると、後頭部で一つに結われた髪が愛らしく揺れ動いた。最近、この子はリュートばかり弄っていて、今も両手で抱えている。練習に髪が邪魔らしいので、ポニテにしているようだ。


「お姉ちゃん、急に抱き付いて、どうかした?」

「いえ、元気を補充しようと思って」

「じゃーあたしの元気も分けたげるーっ」

「ピュェッ」


 片腕でルティを抱きしめる俺にリーゼが密着してきたと思えば、巨大ペットまで身体を寄せてきた。オス野郎はともかく、幼女と触れ合うと元気になるのは確かだが、それも精神面だけだ。肉体的な調子は改善してくれない。


「おやすみー」


 それから夕食と入浴を済ませ、寝床に入る。

 二段ベッドは上下一人ずつ用で狭く、特にリーゼは寝返りが激しいので、最近はみんな一人で寝ることが多い。たまにリーゼやルティやサラ、クレアにセイディにイヴなど、誰かと一緒に寝たりもするが、基本的には一つにつき一人の寝床だ。

 上段のリーゼは就寝前の挨拶から間もなく、早々に寝息を立て始める。同室のルティもサラも次々に寝入っていくのが雰囲気が分かった。船旅生活にすっかり慣れた最近では、船体の微かな揺れと穏やかな波音が、揺りかごと子守歌を思わせる程度には心地良く感じていて、海が荒れない限りは割と快適な睡眠ができる。


「……………………」


 俺は眠る前に、改めて考えを整理すべく、一人静かに思索に耽る。

 さて、今更な話だが、俺はこの世界で無病息災な日々を送ってきた。

 治癒魔法と解毒魔法という超絶便利な治療法が存在するおかげで、骨折も風邪もすぐに治る。だから大怪我や病気で体力が失われることもなく、常に免疫力の高い状態が維持され、結果としてそもそも病気そのものになりにくい。

 が、もちろんこれは極一部の人にのみ当てはまる常識だ。治癒解毒の魔法は他属性魔法より習得が難しいとされているし、特級以上の魔法が使用できる魔法士は全体でも一割程度とされる魔法士界隈の事情において、上級以上ですら習得できる者は少ない。実際、我らがドラゼン号には現在九人の魔女――俺、リーゼ、サラ、ルティ、クレア、セイディ、メル、ミリア、ツィーリエが乗船しているが、特級の治癒解毒魔法を使えるのは俺だけで、上級はクレアとツィーリエが使えるのみである。

 今もこの船を護衛してくれている魚人猟兵たち――ボア・チュアリー間を行き来する船の護衛を何年も生業にしてきた彼らは、去年リーゼが復讐云々と言い出した切っ掛けとなった魔物襲撃により回復要員を失った。その結果、契約を延長して北ポンデーロ大陸まで俺たちを護送してくれることになった。これはヒーラーなしに魔大陸近海の仕事はリスキーであるという理由に加えて、俺という護衛対象の一人から貴重な特級の治癒解毒魔法をいつでも無料で受けられるという薔薇色の医療保険制度の存在が大きいはずだ。

 無論、そこらの町や村の教会ではお布施という名の料金を払えば教会所属の魔法士による治癒解毒の魔法を受けられる。が、せいぜい中級が関の山で、田舎では初級や下級が常らしい。上級や特級以上の治癒解毒魔法は大きな街でなければ受けられず、田舎者が治療のために上京する話は珍しくもない。

 更にいえば、魔大陸では猟兵が多く活動する都合上、教会が余所より格安で高等級の治療解毒魔法を施してくれる。特に前線の方では覇級以上の治癒解毒魔法を使える人が常駐しているらしいので、大病を患っている人がわざわざ魔大陸にまで出向くという話もあるようだ。旅費を差し引いても、他大陸で治療を受けるよりお得なのだとか。

 ここまで聞けば前世で言うところの医療観光ってやつだと思えるが、魔大陸発の船賃はかなり高いので、多くはそのまま魔大陸に永住することになるらしい。たとえ魔大陸で生きることになろうと、病気や怪我で辛く苦しい日々を送るより、あるいは死ぬより、ずっとマシなのだろう。魔大陸といっても、町から外に出なければ割と安全らしいしね。

 こうした治療制度もまた、魔大陸に人を呼び込む一環というか罠になっている。

 まあ、それはともかく。

 俺はこれまでフィジカル的には毎日が絶好調で、頭痛とか倦怠感とか吐き気などとは、魔動感が過剰反応しない限り無縁だった。毎朝、特級の治癒解毒魔法を自分に行使すれば、寝不足の日は例外として、それだけで最高のコンディションになれた。


「おはよーっ!」


 翌日。

 リーゼの元気な挨拶から一日は始まる。

 みんなで朝食を食べ、洗濯をして、お昼頃まで勉強していったが……。


「ローズ、やっぱり少し顔色が良くないわね。昨日の夕食のときよりはマシだけれど……あまり眠れなかった?」

「なんだかここ数日、少しずつ覇気というか活気というか……生気? そういうのが微妙になくなっていってる感じがするね。魔法の練習、根を詰めすぎじゃないかな? 今日はお休みにして英気を養った方がいいと思うよ」


 昨日も練習後はクレアとメルにも心配されたが、今日は練習前から心配されてしまった。

 つまり、これはやはり気のせいではない。

 メルの言うとおり、数日前から少し体調がおかしかった気がするんだよな。なんていうか、翌日になっても前日の疲労感が抜けない感じなのだ。おそらくこの数日で徐々に悪化し、遂に表面化して人から指摘されるほど深刻化してきた……といったところだろうか。

 治癒解毒の魔法では体力まで回復できないので、前日の疲れを翌日に引き摺るようなことは、これまで幾度かあった。が、今の俺は肉体的には元気の有り余っている八歳児(そろそろ九歳児)だし、最近はよく眠れてもいる。白竜島で過した日々くらい緊張感のある過酷さでない限り、そして寝不足でない限り、翌日に疲労を引き摺ることはないと経験的に断言できる。

 というか、この体調はこれまでの疲労感や睡眠不足とは似ているようで、全くの別物な感じがする。どこか懐かしいようで、そのくせ未知の気怠さというか……。

 強いて例えるなら、賢者モードのときだ。あの精根尽き果てて何もする気が起こらない感じに似ている気がする。実際、今日は朝からローテンションだし、昨日の練習後は全身が気怠くて、頭もぼーっとした。あのときはそれほど集中して練習できた反動だと思っていたが……。


「さて、今日も頑張りますか」


 昼過ぎ頃。

 俺はここ数日の日課通り、起き出してきたイヴと共に帆柱上部の物見台に上がって、転移魔法の練習を始めることにした。

 が、その前に我が専属美女騎士が気遣わしげな声を掛けてくる。


「ローズさん、今日は休んだ方が良いのでは……?」

「大丈夫です。これは実験でもあるので」

「実験、ですか?」

「もし私に何かあったら、そのときはよろしくお願いします。まあ大丈夫だとは思いますけど、念のため。あ、そんなに心配しないでください。たぶん大事にはなりませんから」

「そう……ですか。分かりました」


 イヴは少し心配そうにしながらも、俺の意思を尊重してくれるようだった。

 こんな美女が隣にいてくれるだけで、俺は元気百倍になれる……精神的に。

 さて、現在の肉体的な不調について、心当たりが一つある。

 魔力残量だ。

 転移魔法の練習を始めてから、かつてなく魔力が減っている。集中して一回一回を丁寧に練習すべく、〈瞬転リィロ〉の詠唱をするのは一日に五十回までと決めているにもかかわらず、翌日になっても魔力が全快しない日々が続いている。

 おそらく一日に回復する魔力量より、〈瞬転リィロ〉五十回で消費する魔力量の方が多いのだ。そして本日が練習六日目なので、当然魔力の残量は全快からはほど遠い。

 仮に俺の最大魔力量が100で、〈瞬転リィロ〉一回につき魔力を1消費し、一日に40回復するとした場合、現在の魔力残量は50。昨日の練習後だと魔力残量は10ということになる。実際、昨日は体感的にも残量が十分の一くらいになったような気がする……いやもう少し多かったかな? 生憎と初めてのことだから自信が持てない。

 とにかく、現在の俺の魔力残量が50だとすると、しっかりと練習しきれば今日で魔力が尽きるかもしれない。そして体調が更に悪化すれば、魔力残量と体調に関連性があることが確定的となる。

 が、一つ疑問がある。

 俺は魔女だ。中身は男だが、身体は女だ。

 魔法学において、女は魔力が減っても肉体的な不調に陥らないというのが定説だ。男は魔力が減ると、だんだん気怠くなって人によっては最悪気絶してしまうが、女にはそういった症状が現れない。なぜなら、聖神アーレの加護があるからだ。

 邪神オデューンが常に女から魔力を奪い続けているせいで、大多数の女には魔力がない。正確には微量あるが、魔法を使えるほどの量ではないので、実際的にはないも同然だ。しかし男のように気絶したり体調不良にならないのは全ての女に聖神の加護があるからで、魔女はその加護が特別強いため、魔力を奪われずに済んでいる……らしい。

 だから、今の状況は些か以上におかしいのだ。なぜ魔女なのに、俺は魔力の減少に比例するようにして身体的不調が酷くなっていくのか。

 まさかとは思うが、中身が男なのを聖神様は見抜いていて、俺にだけ加護を与えていないのかもしれない。もし仮にそうだとすると、邪神は女からしか魔力を奪わないというし、俺は神々に男だと認識されているということになる。

 ばんなそかな……アーレ様、私にも加護をください……お婆様、リタ様、アルセリア様、トバイアス様、オデューン様! とにかく神様、お助けぇ!

 ……死刑直前で逃げ出す馬泥棒みたいなことを考える前に、ひとまず試してみるか。


「聖なく邪なく謳い調べる、而して我が理は極致せん。隔絶せし空隙は虚にして無、遠間から嘲笑せし畜生に真を示せ。其は眼前に在りて後背に存り、彼方は此方と成りて此方は彼方と成り果てん。我は雲霞の如く消失し顕現す、故に何人も我が身を捉えること能わず。巧者が無芸を厭うが如く、蒙昧甚だしき雷火が宙を這う様を倦厭せよ。嗚呼、神罰を恐れるな忘恩の徒、聡慧たる己が礼法に酔いしれろ。いざ其の威を以て頑冥たる窮理を歪め、今此処に瞬転の法を示せ――〈瞬転リィロ〉」


 …………ダメか。

 うーん、六日目にして二百五十一回目でも手応えがない。きっちり魔力は消費されているから、俺でも習得できるはずなんだけど、前に進んでいる実感がまるでなかった。

 軽く深呼吸を挟んで、もう一度試してみる。

 それから集中して練習に励み、三十五回目の詠唱を終えた頃。

 当然のように不発どころか糸口さえ掴めず、その上またしても一層身体が怠くなって、心身の疲労感から溜息を吐いていると、


「おおおぉぉぉっ、ユーリがよじ登ってる!?」


 というリーゼの叫び声が下から聞こえてきた。


「何事でしょうか?」


 傍らで静かに周辺警戒をしていたイヴが訝しげに呟きながら、物見台の縁から上体を乗り出し、下を見遣る。俺も気分転換に見てみると、小さな銀竜が帆柱にしがみついていた。


「ちょっ、ちょっと、あれ危なくない!? セイディ、助けてあげて!」

「べつに大丈夫でしょ。あの子も一応は空飛べるし、それにほら、ちょっとずつ登ってってるじゃない。ていうか、竜って木登りすんのねー、びっくりだわー」

「いえ、でも危ないですよっ、ユーリはのんびり屋さんだし、落ちても上手く飛べないかもしれませんし!」


 サラとセイディとメルが何やら言い合い、クレアとベルは「あらぁ」って感じで心配そうに見上げている。リーゼは「アシュリンも登ってみるんだ!」とか言って、野郎も野郎で「ピュェ!」と威勢良く鳴くもんだから、ソーニャとライムが「ちょっ、やめるッスよ!」「そいつの巨体だと帆柱が折れちゃいそうだぞー!」と悲鳴めいた声を上げながら止めに入っていく。

 普通に騒がしかった。


「珍しいですね。普段は眠ってばかりで大人しいのに、あんな大変そうなことをするなんて。どうしましょうか、ローズさん。下ろしてあげた方がいいのでしょうか?」

「…………うーん、どうなんでしょう……?」


 まだ帆柱の半分の高さにも達してないし、あまり危なげな感じもしない。あれで両翼がなかったら銀色のトカゲだろう。

 というか、あの幼竜マジでなんで木登りしてんの?


「……あの、先ほどから気になっていたのですが、やはり体調が悪いのでは? 本当に大丈夫なのですか? 実験と言っていましたが、その状態が実験の一環ということなのですか?」


 イヴはユーリより俺の方が心配らしい。いや、木登りユーリを差し置いても、俺を看過できないほど、見るからに体調不良という様子なのだろう。

 自分でも、相当怠いのは自覚している。魔動感が過剰反応したときほどではないにしても、そろそろ立っているのも辛くなってきている。


「そうですね、これは実験なんです……負荷実験なんです……それより、イヴさん……どうやら私は、神に見放されている可能性が高そうです……」

「え?」


 ユーリの様子も心配だし、ひとまず休憩にするか。

 持ってきていた銀杯に魔法で水を入れて飲み、おやつのドライフルーツを摘まんで、一息吐く。

 この物見台は円形で、直径は一リーギス半ほどあり、床の一部は穴が空いている。帆柱に据え付けられた梯子から、この場に入るための穴だ。ユーリは梯子の横の、何の取っ掛かりもないところを登ってきている。もし落下しかけたときは〈霊引ルゥ・ラトア〉で引き上げられるように、穴の側に腰を下ろして、待機しておく。

 様子を見始めて間もなく、ちょっとした騒ぎになったせいか、船室からミリアとゼフィラが出てきた。まだ日暮れまで数時間はあるので、ゼフィラはフード付きのマントを羽織っている。二人は帆柱を見上げると、うち一人が梯子に手足を掛けて上がり始めた。少女然とした体躯の割に、苦もなくするすると上がってくる。

 その途中、木登り幼竜の側を通り過ぎようとしたとき、ユーリが意外にも機敏な動きでゼフィラの背中に飛び移った。ゼフィラは僅かに動きを止めて背中を見遣るが、振り落としたりはせず、そのまま物見台までやってくる。


「どうしたんですか、ゼフィラさん。こんな時間にここに来るなんて、珍しいですね」

「ま、暇潰しにの。それよりお主、やはり体調が優れぬようだの」


 凝視してきながら答えるゼフィラの背から、ユーリがずり落ちるようにして床に降り立つと、俺の側に歩み寄ってきた。密着するほどの至近距離で伏せをして、疲れたように欠伸を漏らしている。


「ん……ユーリも珍しいですね。まさか私に会いに来たんですか?」


 背中を撫でながら問い掛けても、ユーリはいつも通り気怠げな声で「キュェ……」と鳴くだけだ。

 リュースの館に帰ってからこれまで、俺はユーリとそれほど交流できていなかった。この子は姉妹のメリーと違って覇気のない性格らしく、いつもだらだら惰眠を貪り、一番懐いているだろうメルにさえ、甘えるような素振りはほとんど見せない。たまに自分から誰かに近付くとしても、メルかリーゼかサラかクレアかセイディかアシュリンか、つまりは館で一緒に生活していたメンバーにだけだ。

 俺はあまり懐かれていなかったはずなのだが……急にどうかしたんだろうか。もし俺の側に来たかったのだとしたら、あんな木登り紛いの真似をしてまでということになる。


「そういえばゼフィラさん、〈瞬転リィロ〉のコツとか、知ってたら教えてもらえませんか?」

「金槌に泳法の妙を尋ねるほどの愚問だと、理解してのことかの? 諧謔にしてもつまらぬぞ」

「いえ、そこはほら、ゼフィラさんほど博識な方なら、何か知っていてもおかしくはないかと思いましてね」

「こういうときだけおもねるでないわ、戯け」


 右手が健在なら揉み手をするほど、わざわざ下卑た笑みを浮かべて謙ってやったというのに、一蹴するなんて酷い鬼ババアだ。

 もうお前になんて頼らねーよ、ぺっ。


「しかし、ふむ……その滑稽さに免じて教えてやれることがあるとすれば、魔力波動で感じる限りにおいては、数日前だかの頃と比べて寸毫ほどの進歩はしておろうな」


 マジッスか!? あざーすっ!

 あっ、ゼフィラの姐さん、形而上の爪先に唾が付いてやすよ。あっしがお拭きしいたしやす、へへへ。ったく誰だよ、この美少女に形而上で唾吐いたバカは。


「だからこそ、こやつは習練中のお主に近付きたかったのであろう。銀というだけでなく、魔動感持ちとは恵まれておる。怠惰な気性とて本能的な欲求には抗えぬのであろうな」

「え? 魔動感持ち? ユーリが?」

「あくまでも推測だがの。しかし現時点においては妥当な線であろう」


 そういえば、俺の魔石カラーって本当は銀色なんだよな。そして真竜の鱗の色は使用する魔法の属性と同じだから、つまりユーリも俺と同じ空属性適性者ならぬ適性竜なのだろう。ということは、ユーリも将来的に転移魔法使うってことなの? 俺に近付いて来たのは、俺が〈瞬転リィロ〉を練習中で、それを魔動感で察知したから? 練習初日から側に来ようとしなかったのは、まだまだ未熟すぎて俺の魔力波動がおかしかったから?

 ……そう考えると、実は無自覚なだけで、俺は〈瞬転リィロ〉の習得に近付いているのかもしれない。ゼフィラだって言ってるし、ユーリが近寄ってきた理由の説明にもなるし、きっとそうなんだろう。そうであってくれ。


「そうですかぁ、ユーリも私と同じなんですねぇ……ほぉら、これでもお食べー」


 なんか一気に親近感が湧いてきた。適性属性が同じで、魔動感まで持ってるかもしれないだなんて、他人とは思えない。

 というか、ユーリの属性は気付くのが遅すぎたな。これまで色々ありすぎて、余裕がなかったせいだろう。

 ドライフルーツをのんびりと食べるユーリの背を優しく撫でていると、ゼフィラが退屈そうな顔で俺を見下ろしてきた。


「して、魔法の習練は再開せぬのかの? これまで通りであれば、今日はまだ十五回ほどするのであろう?」

「よく回数まで分かりますね」

「嫌でも感じるのでな、連日きっかり五十回こなしておる程度は気付く。それよりお主、今日は魔力が尽きるまでやってみよ。まあ、これまで通りの調子でいけば、妾の勘では今より十三回目か十四回目でお主の魔力は枯渇するであろうが」


 凄いな、そこまでお見通しなのか。

 俺はあと何回で枯渇するとか、我が事ながら漠然としか分からんかった。でも、たぶん今日でぴったりなくなるかなと思ってたから、意外と正確に自覚してて安心したわ。

 というか、魔力切れになったらどうなるのか、それは俺も興味があるから望むところだが……こうも体調が悪化してくると、なんだか不安になってくるんだよな。


「……あの、ゼフィラさん、なんか魔力が少なくなっていくにつれて気怠さが増していくんですけど、これってどういうことなんでしょう?」

「原因については既に見当は付いておる。が、実際にどうなるか見てみぬことには断言できぬな。魔力が枯渇したら教えてやろう」


 ……やはりゼフィラは何か知っているのか。

 まあ、魔力切れになったら教えてくれるってことは、魔力切れになったら死ぬって訳ではないだろうし、大丈夫だろう。

 という訳で、ユーリを撫でたり会話したりで気分転換もできたし、そろそろ練習を再開しよう。

 ぐいっと水を飲み干し、深呼吸を挟んでから、詠唱を始める。


「聖なく邪なく謳い調べる、而して我が理は極致せん。隔絶せし空隙は虚にして無、遠間から嘲笑せし畜生に真を示せ。其は眼前に在りて後背に存り、彼方は此方と成りて此方は彼方と成り果てん。我は雲霞の如く消失し顕現す、故に何人も我が身を捉えること能わず。巧者が無芸を厭うが如く、蒙昧甚だしき雷火が宙を這う様を倦厭せよ。嗚呼、神罰を恐れるな忘恩の徒、聡慧たる己が礼法に酔いしれろ。いざ其の威を以て頑冥たる窮理を歪め、今此処に瞬転の法を示せ――〈瞬転リィロ〉」


 しっかりと集中しながら、ゆっくりと詠い唱えて、一回一回を大事に練習していく。転移魔法は何がなんでも無詠唱化したいからな。戦闘中に長々と詠唱していては、奇襲攻撃に使えなくなってしまう。


「ゼフィラさん、ローズさんは本当に大丈夫なのですか?」


 すぐ側にユーリが来てから、十回目の練習を終えたあたりで、これまで静観していたイヴが堪らずといった様子で口を開いた。


「うむ、問題ない。死にはせぬ」


 ゼフィラは鷹揚に頷き、先ほどイヴに持ってこさせた酒瓶を傾けている。俺が一生懸命に頑張る様子と俺のドライフルーツを肴に酒を飲むとか、相変わらずいい趣味してるぜ。

 いや、それより……なんかもう、怠すぎて立てないレベルなんですけど……。座っていることすら億劫で、できれば横になりたい。頑張らないと詠唱もできないくらいの倦怠感だ。というより、これは虚脱感か?


「聖なく……邪なく……謳い調べる……」


 それでも俺は意識を集中して、なんとか声を出していく。

 そうして更に二回の練習を重ねた。

 結果、もう座っている姿勢を維持することすらできなくなった。


「ゼフィラさん、本当に大丈夫なのですね?」

「そう案ずるでない。今や妾にとってこやつは生命線に等しい。死なすような無茶はさせぬ。こやつが虚弱体質である以上、一度は魔力が枯渇する経験をさせて教訓とせねば、いつか死に繋がる事態となりかねん」


 イヴとゼフィラがなんか言ってるが、今の俺にはそれら言葉を理解するだけの気力にすら乏しかった。もう怠いを通り越して眠い。力が入らない。先ほどイヴに膝枕してもらったことだけは鮮明に理解できたので、今は美女の太腿の柔らかさを頼りに意識を繋いでいる。

 というか、ユーリ……お前なに人の腹の上に乗ってんだよ……俺に懐いてくれるのは嬉しいけど、ちょっと重くて苦しいよ……。


「ほれ、小童。何をしておる、おそらくあと一回だ。最後まで使い切ってみせよ」

「…………聖、なく……邪……なく……謳い……調べる……」


 俺は半分ほど夢見心地で詠唱を始めた。なけなしの意志力で、残り少ない魔力をなんとか形にすべく練り上げようとするが、おそらく練習初日の一回目より酷い出来だと思う。


「……いざ、其の……威を……以て、頑冥たる……窮理を……歪め……今、此処に……瞬転の……法を、示せ……」


 そして俺は半ばぼやけている視界を閉ざし、振り絞るようにして言った。


「――〈瞬転リィロ〉」


 瞬間、意識が落ちた。

 まるで停電したときのテレビのように、容赦なくぷっつりと切れた。


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