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幼女転生  作者: デブリ
八章・渡航編
169/203

第百十三話 『身から出た縁 四』


 警戒は無駄に終わり、何事もなく夜が明けた。

 波止場の労働は朝日が顔を出す前から始まるようで、起きる頃には既にそこそこの活気があった。

 朝食は露店で買ってきたもので済ませ、十六人全員がドラゼン号で待機する。


「リーゼたちは中に入っていて」

「やだっ、ローズと一緒に戦うんだ!」


 クレアが予め子供たちを船内に避難させようとするも、リーゼだけは抵抗していた。アルセリアの槍を片手に、アシュリンを侍らせ、どこぞの武将の如く仁王立ちになって不退転の決意を小さな身体で表している。

 尚、俺は当事者としてディエゴたちを迎える必要があり、ウェインは端から寝室に引き籠もっている。


「いえいえ、誰も戦いませんよ。だからリーゼは中で待っててください」

「でも戦うかもしれないんでしょ!?」

「そうはならないから、サラたちと一緒に中で大人しくしていなさい。特別に、お肉好きなだけ食べてもいいから、ね?」


 普段、クレアはリーゼの間食に制限を課している。

 制限というほど大仰でもないが、リーゼは干し肉やドライフルーツなど、おやつ的なものがあるとすぐに食べようとする。だから一日のうち食べる時間や量を決めて、与えているのだ。

 館で暮らしていた頃は勝手に食べた場合、厳罰が下っていた。


「やだ、お肉よりローズの方が好きだもん。ローズと一緒に戦うって約束したもん」


 肉より俺を選んでくれるのは最高に嬉しいよ。でもまさか、リーゼのために約束したことが、早くもこんな形で徒になるとは……。

 今後は可能な限り敵を作らないよう注意しないとな。


「……そうですね、リーゼ。戦いになる可能性は否定できませんし、約束しましたもんね。クレア、リーゼも一緒にいさせてあげてください」

「ローズ……?」


 雲一つない晴天下にあって、クレアの表情は曇りがちだ。

 味方だと思っていた俺に裏切られて、怪訝そうな様子を見せている。


「クレアが反対してもあたしローズと一緒にいるもん!」

「……大人しくしているのよ。勝手に魔法を使ったりしてはダメだからね」

「たぶんわかったっ!」


 溜息と共に頷いたクレアとは対照的に、リーゼは敵意混じりのやる気を漲らせている。

 こうなったリーゼは意地でも退かないだろうから、クレアが諦めるのも仕方がない。しかし、このままだとクレアから俺が裏切り者だと勘違いされたままになってしまう。


「アシュリンっ、今日は気合いを入れるんだぞ!」

「ピュェェェピュェェェ!」


 などとリーゼがペットを鼓舞している隙を狙って、俺はクレアに話しかけた。


「クレア、さっきは急に意見を翻したりしてすみません。でも、あれには訳が――」

「大丈夫よ、分かっているわ。リーゼが勝手に魔法を使いそうになったら、お願いね」

「あ……はい」


 優しい手付きで頭を撫でられた。

 なんだろう、この以心伝心。

 言葉にするまでもなく理解されてるってのは心地良いものだな。


 先ほど俺がリーゼの主張に味方したのは好感度を上げるためなどではなく、もちろんリーゼ自身のためだ。今回の件は、諍いは暴力沙汰にしなくとも解決できるってことを、リーゼに見せる良い機会でもある。

 戦わずに和解できれば、それに越したことはない。

 もしリーゼが暴走しそうになっても、俺が断唱波で未然にレジストすれば問題ないし、攻撃されそうになっても然りだ。


「来ました」


 そんなこんながあって、間もなく。

 午前九時頃を告げる三時課の鐘が町中に響き渡る頃、イヴが帆柱上部の物見台から下りて報せてきた。

 彼女はすぐに物見台に戻ると、周囲の監視を続行してくれる。


 連中は大所帯だった。

 百人近くの野郎共がぞろぞろとドラゼン号に近付いてくる。桟橋を行き来していた水夫共は触らぬ神に祟りなしとばかりに、脇にどいて大人しくしつつも、通り過ぎる連中を興味深げに見つめている。

 

「なんであんないっぱい来んのよ……威嚇のつもり? 殺る気満々じゃないの」


 セイディが苦々しげに呟いている。

 先頭を歩くディエゴやジャマル、ケルッコは丸腰だが、その後ろに続く男たちは剣なり槍なりで武装している。服装はばらばらだが、明らかに堅気ではない雰囲気を醸し出しており、普通におっかない。


「おはよう、ローズちゃん。悪いね、こんなに引き連れてきちゃって」


 桟橋と船体を繋ぐ歩み板の前で立ち止まり、ディエゴが挨拶してきた。

 相変らず面倒臭そうな感じの口ぶりではあるが、起こり得る荒事を連想させるにはほど遠い様子を思わせる。


「それじゃあ、上がらせてもらうよ」


 と言って、緊張感の欠片もない素振りで桟橋からドラゼン号に上がり込んでくる。手下共がいるから、てっきり桟橋上で話をするのかと思いきや、敵陣に乗り込んできた。

 ジャマルは不服そうに鼻を鳴らしつつ、ケルッコは俺とユーハを剣呑な目で睨みつつ、甲板上に降り立つ。手下共は桟橋で待機らしく、三人の他には妖艶な魔熟女のツィーリエと帯剣したオッサン獣人が一人、たぶん護衛としてついてきた。


「はじめまして、皆さん。べつに危害を加えるつもりはないから、安心してください」


 ディエゴがクレアやセイディたちに軽く挨拶していく。

 しかし大熊オヤジとプー太郎はだんまりで、特にケルッコの方はそこはかとなく敵意を滲ませていた。そんなメタボ野郎を、リーゼは槍を片手に厳めしくも可愛らしい顔で睨んでいる。


「さて、面倒だし早く終わらせようか。ほら父さん、言うこと言って」

「う、うむ……」


 毛深い髭面のオヤジが一歩前に出た。

 ライムはどことなく居心地悪そうにしながらも、昨日会ったばかりの祖父を見上げている。


「ラ、ライム、昨日はすまんかった……」

「え……あ、うん、いいよ、べつに」

「お、おお、そうかっ、ええんか!」


 と喜色を見せたのもつかの間、ジャマルの笑顔は苦悶に歪んだ。


「そ、それでじゃ……海に出ることも、まあ……認めたる。じゃからっ、儂も一緒に行くぞぉ!」

「…………え?」


 ライムが唖然とした顔で声を漏らした。

 なに言ってんだこいつって感じに。

 俺としても同感で、こんなむさいジジ馬鹿の同乗など御免被る。


「父さん、だからそれは駄目だって言ったよね? 町のこともあるんだから、昨日言ったとおり――」

「これだけは譲れんぞっ、儂も一緒に行くんじゃぁ!」

「父さんにいなくなられると、みんな困るんだよ。代わりにツィーリエさんを行かせるって、昨日納得したでしょ?」


 ……ん?

 ツィーリエを行かせるって、つまりこの船に乗せるってことか?

 おいおい、そんな話聞いてねえぞ。


「ローズちゃんたちも、こんなむさ苦しい男より、ツィーリエさんの方がいいでしょ?」

「い、いえあの、どっちも同乗を許可した覚えはないんですけど」

「まあ、いいじゃないローズちゃん」


 ふとミリアが口を挟んできた。

 微笑みを湛えた美貌で件の魔熟女を見遣ってから、続けて言った。


「向こうからすれば、孫娘を心配するのは仕方のないことよ。彼女も同じ魔女なんだし、同乗することになってもあまり問題はないでしょう?」

「え、いや……」


 まあ確かにね、ツィーリエは魔女で、たぶんムンベール一味の側近だ。

 ライムを護衛するために同乗すること自体は結構だが、俺たちに害を及ぼさないとは限らない。俺たちはライムの仲間だから、ライムを挟んで俺たちとツィーリエも仲間という理屈は通る。しかし、出港後に俺たちの寝首を掻いてライムをこの町に強制送還しようとするなど、そういった類いのリスクは無視できないはずだ。

 メシに毒でも混ぜられたら一溜まりもない。


「クレア?」


 我らが最高指揮官のご意見を伺いたい。

 というか、あの鬼ババアなに笑ってんだ。ゼフィラはフーデットローブ姿でミリアの隣に立っていて、なぜか口元に愉快げな笑みを見せている。

 ほんと意味分からん奴だな、少しでいいから空気読めよ。


「……ディエゴさん、私たちはそちらの彼女のことを何も知りません。ライムさんを心配するお気持ちは察しますが、こちらとしましては同乗を認めることはできかねます」

「と言われても、誰か一人はつけないと父さんが納得しないので」

「じゃから儂は儂がついてけんと納得せんぞっ!」


 なんかオヤジがうるさいが、つまりディエゴは暗にこう言ってる訳だ。

 同乗させなければ出港させない、と。

 ミリアはそれをいち早く理解したからこそ、賛成したのだろう。


 ディエゴたちがあの百人近くの野郎共を連れて来たのは、俺たちが同乗の話を拒む可能性を考慮してのことでもあるはずだ。こうして戦力を見せつけられると、出港を強行するのは無理があると思わせられる。どうせ海中には魚人たちも伏せてあるだろうし、翼人たちに空中からも襲いかかられるだろう。

 やはり強行突破は無理っぽいな、コンチクショウ。


「…………」


 クレアは逡巡しているのか、押し黙ってジャマルたちを見つめている。

 

「お姉様、アタシはいいと思いますよ」

「セイディ?」

「もし変な真似でもしたら、問答無用で抹殺すればいいんですよ」


 如何にも当然といった口調で陽気に告げるセイディ。

 その意図は理解できたので、俺も追従しておく。


「そうですね、少しでも疑わしい真似をしたら即座に処刑です」

「うん、そうだねぇ、疑わしきは罰せよがワタシたちの掟だからねぇ」

「敵はぶっ殺す! やられる前にやるんだっ!」

「ピュェェェェェッ!」


 トレイシーも俺に続き、リーゼはたぶん意図も分からず素で言っている。

 こうして俺たちが幼女から魔物まで容赦ない集団だとアピールしておけば、向こうも諦めるかもしれない。

 

「うん、それでもいいよ。そうだよね、ツィーリエさん?」

「……旦那様方が、そう望まれるのであれば」


 ディエゴは平然としているが、ツィーリエの応じる様は硬く、どこかぎこちない。しかし結局は退かないあたり、この美熟女もなかなかに忠実だな。ブラック企業の社畜並だ。


「というわけで、ツィーリエさんも一緒に乗せてあげてよ。こっちとしても一応、そっちと同じ魔女を選んだんだから、最大限の配慮はしてるつもりだよ」

「…………分かりました、いいでしょう」


 クレアは悩ましげな様子を窺わせながらも、首肯した。

 まあ、こうなった以上、受け入れるしかないわな。


「そうと決まれば、これから船旅を共にするおどれらに改めて挨拶したる。儂はそこの超絶可愛いライムの祖――」

「いい加減にしてくれないかな、父さん? 昨日納得したよね? 僕に姪を殺させたいのかい?」

「……………………」


 底知れない静けさを孕んだ声が流れるように紡がれると、沈黙が漂った。

 ジャマルは口をへの字にして押し黙り、決まりの悪い顔で息子と孫を交互に見遣った後、悄然と肩を落とした。

 やはりこのオッサン……危険だ。

 さっさとこんな話し合いは終わらせた方がいい。


「あぁ、ごめんね、話の腰を折って。じゃあとにかく、ツィーリエさんが一緒に行くってことで決まりだね。色々あったけど、これでお互い手打ちにし――」

「待て、ディエゴ」


 話が纏まりかけたところで、ケルッコが俺たちの前に進み出てきた。

 上背のないメタボ腹をしたオッサンに、対照的な体格のディエゴが辟易とした目を向ける。


「叔父さん……叔父さんも納得したよね? 結局はローズちゃんから五千万貰ったんだから、それでいいはずだよね?」

「い、いいやっ、やはりこれだけは認めるわけにはいかない! 筋が通らないだろっ、ここまで舐め腐った真似されて黙ってられるか!」


 甥に対して若干の怯えを見せながらも、ケルッコは怒りを露わにしている。

 やっぱり突っ込んでくるか、面倒くせえなぁ。


「仕方ないね、まったく……えーと、クレアさんでしたっけ? もう分かってると思いますけど、昨日のことです」

「……はい」

「お金は返さなくていいので、イカサマの方法だけ叔父に教えてやってください」


 あらら、ディエゴまでイカサマだと思ってんのかよ。

 とはいえ、それが普通の反応だろう。

 実際にツィーリエがイカサマしてたんだから、相手が同じ魔女だと知っていなくとも、ルーレットで十連続的中などイカサマ以外にあり得ないと思うはずだ。


「そう仰いましても、私共はイカサマなどしていませんので、お教えできかねます」

「おい、そんなはずないだろ。巫山戯やがって……いい加減にしとけよ小娘共」


 ケルッコがドスの利いた声を放ち、毛深い顔をしかめて凄んできた。

 それに触発されてか、リーゼも槍を構えながら〈従炎之理メト・ミィレ〉の魔力波動を放ち始める。

 この子はまったく……魔法は勝手に使うなと言い聞かせたのに。


「――あ」

 

 俺は努めて冷静に断唱波を放ったが、リーゼの魔法は現象してしまった。

 最近は断唱波にも慣れて、失敗することなく連続して成功し続けていたものだから、無自覚のうちに慢心していたのかもしれない。


「――っ!?」


 ミスったせいでケルッコたちが鋭く息を呑んで身構える。


「リーゼッ、何しているの!?」

「あいつあたしたちを殺す気だ!」


 燃え盛る紅蓮をうねらせながら、半獣人の幼女はまさしく烈火の如き叫びでクレアに応じている。身の内で荒れ狂っているであろう気炎を隠そうともせず野郎共に向けており、ツィーリエが前に出て微かに魔力を滾らせながら臨戦態勢をとっている。


「お嬢ちゃん、僕たちにそんなつもりは全くないよ」

「嘘だっ、じゃあなんであいつすごい睨んでくるんだ! あたしたち何にも悪いことしてないのにっ! お前……やるならやってやるぞっ!」

「ピュェンピュェピュェェェ!」


 火炎による気流のせいか、リーゼの短い髪が肩口の辺りで小さく揺らめいている。毛に覆われた三角耳は何者にも屈さぬと言わんばかりに屹立している反面、膝下まで伸びた尻尾は麦束のようで如何にも柔らかそうで愛らしい。

 しかし場の空気は確かに張り詰め、一触即発の様相を呈し始めていた。

 魔法が現象してしまった以上、既に断唱波では無意味なので、リーゼを説得するか何らかの魔法で抑え込まないと〈従炎之理メト・ミィレ〉は消せない。

 ユーハの破魔刀で炎を斬ってもらえば消せるが、抜刀は戦闘開始を意味してしまうし、詠唱も然りだ。

 

「リーゼ」


 幼狐は腰を落としてアルセリアの形見である愛槍アリア(とリーゼが名付けた)を両手で構え、身体の前面以外に豪炎を侍らせている。

 俺は声を掛けつつ、急がず焦らず落ち着いた所作でリーゼに歩み寄った。


「ローズも早く魔剣構えてっ、一緒にや――」

「勝手に魔法を使っちゃダメって言いましたよね?」 


 心を鬼にして、俺は幼狐の真正面から〈霊衝圧ルゥソ・クイン〉を放った。するとリーゼは「う……っ」と小さく呻き、〈従炎之理メト・ミィレ〉を消失させ、その場に膝を突く。

 無論、手加減したので気絶にまでは至らないはずだが、魔法は中断させられた。もしリーゼがさっき行使した魔法が〈爆炎バ・ラトス〉とかだったら完全に和解がご破算になっていたところだ。

 

「皆さんすみません、突然。ですがこの子の言った通り、彼女らは悪いことなんて一つもしていません」

「う、うぅ……なんでローズ……」


 俺がケルッコに向き直って告げる横ではリーゼが無念そうに呟いている。

 クレアがその矮躯を支えつつ、「言いつけを破った罰よ」と小声で厳しく言い聞かせていた。


「だ、だが、十連続で的中するなんてことがあって堪るか!」

「疑う気持ちは分かるけど、可能性としてはあり得るでしょうが。というか、客がルーレットでイカサマなんてできるはずないでしょ」


 セイディが苛立ちを隠さず言い返した。

 しかしケルッコは俺たちを指差して鼻で嗤ってくる。


「魔女が何を言ってやがる、魔法を駆使すれば幾らでも方法はあるだろうが」

「そこまで言うなら、具体的な例えを言ってみてくれないかなぁ」

「ツィーリエの丁半はお前らも知ってるだろっ」

「それは丁半賭博での話で、ルーレットでの例ではないですよね。ケルッコさん……言いがかりはよしてください」


 射殺す勢いで憎々しげに俺を睨み付けてくるメタボ野郎。

 ディエゴがなんとかしてくれないかと視線を向けると、ちょうどケルッコの肩に手を乗せて口を開こうとしていた。

 その直前で、不意に小気味よい音が響く。


「では、こういうのはどうですか?」


 パンっと掌を打ち合わせて注目を集めたミリアが微笑みを浮かべ、続けた。

 

「イカサマの仕様がない公正な勝負で決着をつけるんです。そちらが勝てば、アタシたちは昨日賭場で稼いできたお金を全額返金します。更に全員丸刈りにした上で土下座して謝罪し、髪をそちらに差し上げましょう」

「ちょっ、アンタなに勝手に言ってんのよ!?」

「ほう……それで、その公正な勝負とやらはいったいなんだ?」


 セイディはもとより俺たちも驚愕するが、クソメタボ野郎は満更でもなさそうに獰猛な笑みを浮かべている。

 そりゃそうだろう。

 ケルッコは俺たちにケジメをつけさせたくて、でも暴力沙汰では魔女集団に勝ち目は薄いと分かっているはずで、そもそもモグラと勘違いしているから迂闊に手出しできない。しかし、公正な勝負とやらだったら、俺たちに最大の謝意を表させることができる。人毛製ソファでふんぞり返るような変態野郎なら、ミリアの提案は棚ぼただろう。


「不正の仕様がなく、第三者が瞭然と観戦できる勝負――盤兵戦です」

「クハッ、クククク」


 ケルッコが小馬鹿にしたように嗤い始めたかと思えば、口元を嘲笑に歪めたまま言った。


「武のジャマル、知のケルッコと称される俺に知略で挑むとはな……」


 なにが知のケルッコだ。

 ダサすぎて思わず噴き出すとこだったじゃねえか。


「クク、いいだろう、受けて立とうじゃないか。まさか俺が最も得意とする盤上遊戯で勝負を挑んでくるとは、馬鹿な小娘だ。身の程を教えてやろう」

「あー、盤兵戦は止めておいた方がいいよ。叔父さんってこの通り運痴そのものな人だけど、あの丁半のイカサマ思いつくくらいには頭いいから」

「もう駄目だ、取り消しはできないぞ」


 もはや勝った気でいるのか、完全に調子こいた感じで傲岸不遜な態度を見せ始める。

 こいつがここまで自信満々だと、なんか不安になってくるな。

 

「こちらが勝った際のことは聞かなくてもいいんですか?」

「聞く必要なんてないからな。それで、誰が相手なんだ?」


 さっきはリーゼの魔法に怯えを見せてたくせに、今では余裕綽々の態で偉そうに宣ってやがる。

 しかし……こいつの勝負相手か。


「みんな、アタシが受けてもいいわよね? 言い出したのはアタシだし」

「だーからアンタなに勝手に話進めてんのよ! 負けたら全員丸坊主って……お姉様のこの綺麗な黒髪はアンタの命より重いのよ分かってんの!?」

「まあ、髪はまた生えてくるし、ワタシは坊主くらい平気だけどぉ……クレアをそんなにするくらいなら連中を皆殺しにするべきだよねぇ」


 セイディは未だしもトレイシーまでなんかあらぶってらっしゃる。

 とはいえ、気持ちは分かる。

 クレアが丸坊主とか……いや待て、全員丸坊主ってことはサラまで……。

 巫山戯んな、死ね。


「アタイもべつに坊主でもいいかなぁ。むしろ一回くらいしてみたかったからちょうどいいや」

「いやいや何言ってるんスか姉さんっ、さすがに坊主はダメッスよ。というか……その全員って自分らも含まれてるんスか? 賭場行ってないのに?」

「そんなっ、坊主だなんて恥ずかしくて外を出歩けなくなっちゃうわ!」


 テメェは角刈だから大差ねえだろカマ野郎!

 問題はクレアとかサラとかメルなんだよっ!


「この勝負危険ですっ、負けたときの代償がデカすぎます!」


 無論のこと俺も反対の意を表明した。


「そーだっ、アシュリンの毛は刈らせないぞ!」

「某は問題ないが、女子に坊主は酷であろうな……髪は女の命とされるほど故、命を賭けるに等しい行為であろうに」

「ま、妾には関係のない類いの話だの」


 一人だけ動じていない鬼ババアがいやがる。

 たぶん切っても再生するんだろう、相変らず卑怯くせえな。

 にしても、ゼフィラの髪って出会った頃から全く伸びてないな。


「一番強いのはミリアさんよね……もうこうなった以上、貴女に任せるわ。でも今後、こういうことは事前にきちんと相談して」


 みんなの様子に反してクレアは落ち着いていた。

 ミリアも動じている素振りは一切なく、「ごめんなさい、分かったわ」と頷きを返している。


「話は纏まったようだな。そっちから提案してきたんだ、盤と駒はあるんだろ?」

「ありますけど、後で難癖つけられるのも嫌ですし、そちらが用意しなくとも大丈夫ですか?」

「ハッ、盤兵戦でイカサマなんぞ不可能だから問題はない。むしろそっちが難癖つけてこないかと心配だから、用意させてやろうと思ったんだがな」

「では、今この場で、みんなの見ている前でやりましょうか」


 ミリアとケルッコ、どちらも不安や怯懦は一切見られない。

 野郎の方は自信満々で、美女の方は普段通りだ。

 たしかにミリアの強さは昨日も味わったばかりだが……。

 ほんとに勝てんのか?

 仮にも俺たちのいのちが懸かってんだぞ?


 いや、もし負けたらケルッコ共を人質にとって坊主を逃れ、無理矢理出港してやるか。




 ♀   ♀   ♀




 橙土期第一節現在、チュアリーの気温はたぶん十度前後だ。

 外で座りっぱなしの奴が汗を掻くことなど、まずあり得ない。


「……………………」


 青空の下、ドラゼン号の甲板上にはテーブルと椅子が運び出され、二人の男女が向かい合って座っている。

 男の方は脂っこい汗で顔面を濡らし、双眸を見開いて、丸っこい身体を硬直させていた。開始当初は葉巻を吹かして背もたれにメタボボディをどっしりと預けていたが、もはやその名残すら完全に消えて久しい。


 テーブル脇に置いてある砂時計の上部が空になる直前、知のケルッコを自称する馬鹿は駒を動かした。対する美女は逡巡する素振りも見せず情け容赦なく駒を動かし、呼吸すら止めて盤上を見つめる男を追い詰めていく。


「えぐい……」


 セイディが憐れみの目でケルッコを見つめながら呟いた。

 少し前までは「いい気味ね」とか言って鼻で嗤ってやがったのに、さすがの美天使も同情している。


「ん? ねえクレア、これミリアの方が勝ってるんだよね?」

「そうね、勝っているわ。勝っているのだけれど……」

「嬲ってるねぇ」


 トレイシーの言うとおり、ミリアはケルッコを無残にもいたぶっている。

 もういつでも殺せるのに、なかなか手を下そうとしない。むしろ野郎の鼻先に希望を与えてやり、それを奪い取るという残虐を繰り返している。


「叔父さん、もう降参しなよ」

「ふ、ふざっ、巫山戯るな! 俺は負けん……負けるはずがない……」


 いい加減にしろよ、もう勝敗は決してんだよ。

 お前じゃミリアには勝てねえ現実を受け入れろ。


 いやまあ、確かにね、ケルッコは強いと思うよ。俺では勝てないだろうし、知のケルッコとか自称しちゃう気持ちも分からんでもないほどだ。

 しかし、相手が悪すぎた。

 今なら、あの美女が俺やみんなとの勝負では手加減しまくってくれていたことが嫌というほど分かる。

 

「小娘、もうそのあたりで終いにせよ。妾とて慈悲の心はある、敗残兵を嬲り殺しにする光景には思うところもあるのだ」

「アタシとしては一応、みんなの鬱憤を晴らしてあげようと思ってのことなんですけど……。ていうか、嬲り殺しとか人聞きの悪いこと言わないでくれませんか」

「某に盤上の趨勢はよく分からぬが……敵への止めは早々に刺してやるべきである」


 ゼフィラとユーハの言葉もあってか、ミリアは残虐行為を終わらせた。

 それから十手も掛けないでケルッコにとどめを刺し、盤兵戦という名の一方的な精神的虐殺は幕を閉じた。


「ば、馬鹿な、あり得ん……俺が、こんなに小娘に、負けた……?」

「この愚弟がっ、おどれ余計な恥を晒しおってからに!」

「叔父さんはこれから知のケルッコじゃなくて、恥のケルッコを自称した方がいいんじゃないかな?」


 哀れ、メタボ野郎は仲間から死体蹴りの憂き目に遭っていた。

 合掌。


「さて、アタシの勝ちですから、こちらが勝った際の話ですけど」

 

 もうやめたげてっ、奴の精神力はとっくにゼロなのよぉ!

 とか思うはずねえだろ、この恥将野郎が。

 いいぞミリアもっとやれ。


「い、いや、イカサマだっ、こいつ、こいつらは幻惑魔法か何かで俺を惑わせ――」

「やめんか馬鹿モンがッ、おどれこれ以上の無様ぁ晒す気かボケェ!」


 ジャマルが愚弟の頭部に拳を叩き込んでいる。

 対するミリアは軽く咳払いを挟んで、特に勝ち誇った様子もなく告げた。


「こちらの要求は三つです。一つ目は昨日渡した五千万ジェラをこちらに返した上で、全てを水に流すこと。二つ目はアタシたちと同盟を結び、今後は対等な関係として互いに誠意ある対応をしていくこと」


 そこで一旦言葉を切ると、ミリアはジャマルたちから俺たちに視線を転じてきた。


「みんな、三つ目は勝ったアタシへのご褒美ってことでいいわよね?」

「いやいいわよねってアンタ、あの魔女の同乗を破棄させないでなに言ってんのよ!?」

「一つ目も二つ目も了解したよ。今後は対等な関係として、互いに誠意ある対応をしていこうね」


 セイディがツッコミを入れた直後、すかさずディエゴが声高に言ってきた。

 これは……不味いぞ、逆手にとって釘を刺された。

 あの元姫様が馬鹿でないことは確かなはずなのに、なに考えてんだいったい。

 

「こうなった以上、孫を案ずる父さんの気持ちも蔑ろにはしないよね?」

「ほら言わんこっちゃないっ、せっかくあいつらの要求を取り消せる好機だったのに!」

「そうだねぇ、どういうつもりなのかなぁ?」


 詰め寄るセイディと怪訝そうなトレイシーに問われると、ミリアは余裕を感じさせる微笑みを浮かべた。

 

「力尽くで言うことを聞かせても、遺恨が残るだけでしょう? ライムだって、彼らは一応親族なんだから関係が良好であるに越したことはないでしょう?」

「どっちかっていえばそうだけど……でもみんなに迷惑掛けてまでじゃないし、お姉様が嫌ならどっちでもいいよ」

「そうよお姉様っ、お姉様もなんか言ってやってください!」


 クレアはライムやディエゴ、ツィーリエたちを見回した。

 そして逡巡するように綺麗なおとがいに指先を当てつつ目を伏せ……数秒後には溜息を吐いた。

 

「今更、先ほどのミリアさんの発言をなかったことにはできないでしょう……」

「うむ、言葉とは一度ひとたび口から出れば、もはや引っ込みがつかぬものだ」


 ゼフィラは笑みを浮かべたままもっともらしく頷いている。

 お前はどっちの味方なんだ。


「相手が男なら未だしも、魔女であるなら、この際もう仕方がないわね」

「え、いやでも……ホントにいいんですかお姉様?」

「ところで、三つ目の要求はなんなのかな?」


 これ以上俺たちが同乗の件を話し合うことを嫌ったのか、ディエゴが絶妙なタイミングで訊ねてきた。

 ムンベール側にとって、ツィーリエは俺たちの懐に潜り込ませるスパイだ。

 現状、まだ連中は俺たちの正体を知らず、だからこそジャマルも不安で荒ぶっていたのだから、なんとしてでも同乗させたいはず。たぶん同乗させると、あの美熟女は手紙で定期的にライムの近況や俺たちの情報を報告するだろう。

 マジで百害あって一利なしだぞ……。

 いや、だからこそミリアは同盟を結ぶとか何とか言ったのか?

 ダメだ、もう訳が分からん……。


「三つ目は、アタシの極めて私的な質問に、正直に答えて欲しいの」

「その質問というのは?」

「言った通り私的な質問だし、そんなに重要なことでもないから、後でいいわ。今はそれよりも……クレアさん、とりあえず和解の握手を」


 ミリアに促されて、今年で二十七歳になる大和撫子的な美女がジャマルの前に歩み出た。綺麗な黒髪が陽光に艶めき、微風にそよいでいる。

 何はともあれ、丸坊主を回避できて本当に良かった。


 ジャマルとクレアが握手を交わし合うのを見て、俺はひとまず胸を撫で下ろした。




 ♀   ♀   ♀




 知のケルッコが恥のケルッコに改められて、五日後。

 本来の滞在予定を少々延長したが、俺たちは無事に出港の朝を迎えた。


「改めまして、ツィーリエです。以後、よろしくお願いします」


 ドラゼン号に繋がる歩み板の前で、熟女が船上にいる俺たちへと低頭してきた。

 相変らず妖艶な色香を振りまいており、今日も紫髪はバレッタでアップスタイルに纏め上げられている。あのうなじのエロさでユーハを誘惑する危険性もあるからな、気は抜けんぞ……。


「こちらこそよろしくお願いします、ツィーリエさん」


 しかし俺は表向きにこやかに挨拶を返した。

 他のみんなも似たような挨拶は返しているが、サラとリーゼは無言のまま警戒心を露わにしている。

 ツィーリエのみんなを見る眼差しに怯えの色はなく、賭場で接客しているときと似たような外面を感じさせる。先日はムンベール一族とツィーリエを交えての宴席が設けられたので、表面上の関係は良好だ。


「ツィーリエ、頼んだぞ。ライムの危機にゃあ命懸けで守るんじゃぞ」

「手紙を忘れるなよ、ツィーリエ」

「まあ、元気でやっていってね」


 ムンベール一族の男三人から別れの挨拶っぽいことを色々と言われている。

 桟橋には三人の護衛っぽい野郎共が三十人ほどいて、少し物々しい。しばらくすると、ツィーリエが大きめのバッグを手に持って船上に乗り込んできた。


「さて、それじゃあ出発しましょうか。もやい網は彼らが解いてくれるから、ユーハちゃんは錨を上げ――」

「あ、ちょっと待って」


 オネエ船長が出港しようと指示を出し始めた矢先、ミリアが口を挟んだ。

 歩み板を回収しようとしていたトレイシーのもとまで走り寄ると、なぜか桟橋に降り立つ。そしてジャマルとケルッコとディエゴの三人に近づき、何やら懐から紙を取り出してディエゴに手渡している。


「何してるんでしょう?」

「さあ、なんだろうね?」


 俺とメルだけでなく、他のみんなも気掛かりそうに見守っていく。

 すると、紙に目を落としていたディエゴが急に声を上げて笑い出し、ケルッコに紙を回した。奴は訝しげにしつつ紙面を見るも、なぜか硬直した。かと思えば、俺たちには後ろ姿しか見えないミリアを苦々しげに、あるいは憎々しげに睨みながらジャマルに紙を渡す。大熊オヤジは厳めしく顔をしかめて、やけに真剣な眼差しでミリアを見つめ出した。


「そういえば、ミリアさんの極めて私的な質問って結局なんだったんでしょう? クレアは知ってますか?」

「いえ、知らないわ。訊いても教えてくれなかったのよね」


 桟橋のミリアは懐から羽根ペンとインクの小瓶を取り出すと、ディエゴに差し出した。何やらジャマルとケルッコが焦慮の声を上げる中、ディエゴは先ほどの紙にすらすらと羽根ペンの先を走らせている。


「メル、なんて言ってるか聞こえますか?」

「えーっと……『やめんかディエゴ』『そうだ、この小娘絶対なにか企んでやがる』『はは、でも質問には答える約束だしね』……とか言ってるみたいだね」


 よく分からんが、あの紙に極めて私的な質問とやらが記されていて、そこにディエゴが返答を記入しているのか? なんでこんな出港直前のタイミングで、しかも直接話さず筆談めいた真似してんだよ。


「ゼフィラさん、もしかして何か知ってるんですか?」

「フフ、さての」

「じゃあなんでにやついてるんですか」


 そうこうしているうちに、ミリアは紙を受け取って確認し、次いでディエゴを凝視する。しかしすぐに低頭し、やにわに魔力波動を放つと紙を初級火魔法で焼却して駆け出した。


「待たせてごめんなさいっ、すぐに船を出して!」

「おどれどういうつもりじゃ!?」

「ツィーリエッ、そいつは危険だ! 絶対に気を許すな!」

「はは、ツィーリエさん、その人は叔父さんとは役者が違うから注意しなよ」


 帆が張られ、風魔法による制御でゆっくりと船が進み出す中、桟橋の野郎共が何やら叫んでいる。当のミリアは満足げな微笑みを浮かべて、「んーっ」と声を漏らしつつ大きく伸びをしていた。


「アンタ、最後の最後に何したの」

「ちょっとした確認です。それより……ツィーリエさん」


 セイディの問いを軽く受け流し、綺麗な紫色の瞳を新メンバーの美熟女に向けた。


「これから、よろしくお願いしますね」

「え、ええ、こちらこそ……?」


 桟橋の野郎共のことが気になるのか、ツィーリエは困惑した様子ながらも頷きを返している。

 やはり俺たちには意味不明だ。


 しかしまあ、とりあえず無事に出港できた。

 今はそれを喜ぼうじゃないの。

 ツィーリエという不穏分子が乗り合わせることにはなったが、たぶん何とかなるだろ。そう思わないとやっていけそうにないからね……。

 

 元ベテラン壺振り師は問題だが、あいつのことも気掛かりだ。

 リーゼとルティは賭場で息抜きができたおかげか、チュアリーに寄港する前よりも更に明るさが戻った。サラも一層みんなと打ち解けられている様子で、少々の硬さは残りつつも関係は良好だ。

 だが、ウェイン……結局あの野郎の鬱々とした様子は相変らずだ。

 むしろ悪化したかもしれん。


「……どうっすかなぁ」


 そんな独り言を漏らしながら、俺は空を見上げた。

 爽やかに晴れ渡った空模様は清々しく澄んだ青がどこまでも広がっている。

 だというのに、ウェインは今日も船室に引き籠もっている。

 殊更に気遣わずこのまま普通に接しながら見守るべきか、あるいは何かアクションを起こして元気づけるべきか……。


 そういえば、そろそろ転移魔法の練習がしたい。

 アインさんのしていた詠唱はばっちり覚えているから、アレが短縮されたものでない限り、俺も習得できるはずだ。なにせ俺の適性属性魔法らしいしね。

 これまではリーゼたちの様子が気掛かりで集中できず、あれから魔法は復習程度しかできていなかった。転移魔法は是非とも詠唱省略までマスターしたいので、無駄に下手な練習を積み重ねて無詠唱化ができなくなる愚は冒せなかったのだ。

 しかし、もはやリーゼもサラもルティもメルも、ウェイン以外のみんなはある程度だが持ち直している。残りがあいつだけなら、集中して新魔法の練習……できるかなぁ……?


 そんなことを考えながら、俺はチュアリーの町が遠ざかっていくのをぼんやりと眺めていた。


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