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幼女転生  作者: デブリ
八章・渡航編
163/203

第百九話 『やさしさで包みたいなら』


 出港して、十日目。

 そろそろ魔大陸近海を抜け、強く大量の魔物が現れなくなる頃。

 俺はメルの様子が気掛かりだった。


「メル、今日は二人でお風呂入りましょう」

「私とローズ、二人だけで? リーゼやサラは一緒じゃなくていいの?」

「はい、たまにはメルと二人っきりがいいんです」


 夕食を済ませて、間もなく。

 こんな感じに誘いを掛けて、彼女と二人きりになれる状況を作り出した。

 船内に設えられた脱衣所で服を脱ぎ、メルと一緒に全裸で浴室に入る。この船には最初から浴室――というか洗い場が造られていて、そこに湯船を追加して風呂場に改造したのだ。船の購入から出港までに数日掛かったのは航海に必要な物資の仕入れのせいだが、浴室改造のせいでもある。


「どこか痒いところとかない?」

「大丈夫です……あ、やっぱり背中痒いです」


 今の俺は片腕しかないので、最近はいつも誰かに身体を洗ってもらっている。

 人に洗ってもらえるのは楽ちんだし、なんだか気分がいい。

 みんなには何かと気を遣わせてしまっているが、これなら片腕生活も悪くないと思えるな。

 浴室の半分を湯船として区切ったせいで、洗い場は結構手狭だ。元が二畳もない程度の空間だから仕方がないが、代わりに魔石灯は一つだけでも十分明るい。

 

「メルって、ここ数年で胸大きくなりました?」

「え? うーん……どうだろう、たぶん変わってないと思うけど……」

「本当に? 少しも大きくなってませんか?」


 彼女の毛皮めいた背中を洗いながら訊ねてみると、メルは小首を傾げつつも自分の腕を洗っていた手を止めた。

 そして大胆にも自分で自分の胸を触って確かめてくれる。


「特に変わってないと思うけど……急にどうかしたの?」

「いえ、胸を揉むと大きくなるって言いますよね? 本当かどうか確かめてみたかったので」


 俺が以前に推進していたメル巨乳化計画は功を奏していないようだった。

 やっぱ都市伝説なのかな。

 

「――ひゃ!?」


 試しに背中から手を回して揉んでみると、たしかに特段の変化はないように思う。

 俺がメルと出会ったのは彼女が十五歳の頃で、現在は十七歳。胸が特に成長するのは女性特有のアレが来る頃から数年間って話だから、もう成長期は終わってるのかもしれん。

 出会った頃と身長もそんなに変わってないと思うし。


「うーん、でも片方だけじゃよく分からないですね」

「ちょ、ちょっとローズ……なんか、いつもと違……っ、先っぽの方は……もぅ、やめてぇ」


 なんかメルが色っぽい声を出し始めたから手を放した。

 みんなのおかげで片腕でも日常生活には困らないが、両手で至高の感触を味わえないのはキツいな。キツすぎて思わずB地区を攻めてしまった。


「もうっ……ダメだよローズ、次やったら怒るからね!」


 珍しくメルが厳しい口調で言ってきた。

 振り返って俺を見る顔は少し赤くなっていて、ムッと眉根を寄せている。

 とりあえず、表情から暗澹とした色が消えてるし可愛いから、結果オーライだ。


「あ、もしかしてローズ、私と二人で入りたかったのって、こういう悪戯するためだったの……?」

「それは、その……あはは、まあ何でもいいじゃないですか」


 俺は笑って誤魔化し、メルの身体を洗い終えた。

 そして一緒に湯船に浸かって、一息吐く。


「やっぱり狭いですね」

「うん、でもこれはこれでいいと思うな。私でもぎりぎり足は伸ばせるし、ローズともこうして入れるし」


 俺とメルは肩を寄せ合うようにして、隣り合って浸かっている。

 幼女なら三、四人くらい入れるが、大人なら二人が限界くらいの狭さだ。館の大浴場とは比べものにならないほど小さく、当然アシュリンが入れる大きさではない。


「そういえば、もうサラも少しだけ胸ありますよね」

「……サラも十一歳だからね。これからどんどん大きくなるんじゃないかな」


 応じてくれるまで微妙に間は空いていたが、一見すると様子は普段通りだ。

 しかし、俺が先入観を持っているせいか、どうにも微笑みがぎこちなく見えるのは気のせいだろうか。


「そういえばローズ、さっきから胸の話ばかりだけど、どうかしたの? ローズも早く大きくなりたいとか?」

「そうですね、私まだ八歳ですから。早くメルくらい大きくなりたいですね」

「そっか……まだ八歳なんだよね、ローズ」


 ふとメルが表情に影を落とし、右腕をちらりと見てきた。

 だがすぐに少々ぎこちない笑みを浮かべ、俺の頭をゆっくりと撫でてくる。


「ローズは可愛いから、大きくなったら美人さんになるよ」

「胸は大きくなるでしょうか?」

「さあ、それはどうかな。でもローズは好き嫌いせず何でも食べて、よく眠ってもいるから、きっと大きくなるよ」


 たれ耳とたれ目がキュートな獣人美少女はいつも穏やかで優しい。

 彼女は自分より周りの人を気に掛けるタイプだ。

 それはメレディスという少女の紛れもない長所だが、俺たちにとっては同時に短所でもあったりする。いつも自分の優先順位が低いから、メルにはもっと自分を労ってもらいたいのだ。


「大きくなっても、一緒にお風呂入ってくれますか?」

「うん、もちろん」

「絶対ですよ、約束ですからね」


 俺は言いながら隣に詰め寄って、身体を密着させた。

 お湯も温かいが、やはり人肌の温もりは独特で落ち着く。


「……………………」


 それからしばらく、特に言葉を交わすわけでもなく、のんびりとする。沈黙が心地良く思える間柄ってのも貴重だ。

 この浴室には小窓がついているので、外の景色が見える。多少雲に隠れてこそいるが、夜空には無数の星々が瞬き、紅月と黄月が世界を照らしていた。

 紅月と違い、黄月はいつ見ても真ん丸に光り輝いている。

 

「ねえ、メル」

「なあに?」

「黄月って、どう思います?」


 俺は小窓の外に視線を向けたまま、何でもないことのように問い掛けてみた。

 突然の質問だからか、やや逡巡するような間を置いて、声が返ってくる。


「どうって……うーん、なんていうか、神々しい? 聖神アーレ様の天眼だし、いつもこの世界を見守っていてくれて、凄いし有り難いかな」

「紅月みたいに満ち欠けせず、ずっとあのままですしね」

「そうだね、昔からずっと変わらずそこにあり続けるっていうのは、凄いことだね」

「きっと敬虔な信者さんたちは、黄月を見ると安心できるんでしょうね」

「うん……私も安心するかな」


 ちらりと隣を窺ってみると、メルは静かに揺らめく湯面に目を落としていた。

 儚げな雰囲気を漂わせていて、寂しげに苦笑しながら続ける。


「生きていると、嫌でも色々なものが変わっていっちゃうからね……変わらないものがあるって思うと、なんだか安心できる」

「そうですね」

「……でも、どうして……どうして、アーレ様は助けてくれなかったのかな……? みんな、魔女だからって理由で酷いことされて……魔女はアーレ様に祝福された存在なのに……」


 悔しげに、哀しげに、愚痴を零すように呟いている。

 これまでメルは弱音を吐いてこなかった。

 そして最近の俺はそんなメルに頼っていた。

 優しくて気遣い上手な彼女ならリーゼやサラやルティの面倒を見て、心の傷を癒してくれるだろうと思って、勝手に安心していた。


「あ、ごめんねローズ……変なこと言って。ダメだね、暗いこと言ってると、気持ちまで暗くなっちゃうし」

「いえ、変なことでも暗いことでもないですよ。だってあの夜、メルだけは何事もなかったじゃないですか」

「…………え?」


 メルはどこか信じがたい目で、呆然と俺を見てきた。

 が、すぐに怯えを孕んだ顔を俯けて、身体を硬くしてしまう。

 俺はその反応を見て取り、抱いていた懸念が確信に変わってしまった。

 正直、心苦しくはあるが、この好機を逃すつもりはない。今回はメルとおっぱいの話をするために、わざわざ二人きりで入浴しているわけではないのだ。

 ここは一気に攻めさせてもらう。


「メルはずっと気絶してましたよね? クレアとセイディが酷いことされているときも、お婆様が殺されてその亡骸を貶められているときも、私とユーハさんが必死に戦っているときも、サラがチェルシーに傷付けられたときも、それらを見てリーゼが泣き叫んでいたときも……メルは最初から最後まで、ずっと気を失ったままでしたよね?」

「――――」


 先ほどまでの和やかな雰囲気は完全に霧散していた。

 隣に座る少女は顔面蒼白になり、縮こまるように全身を硬直させている。

 さっきまで肌と肌が触れ合っていたのに、今では隙間ができてしまっている。


「…………」


 俺は微笑みを浮かべたまま、無言で見つめ続ける。

 もう今すぐにでも口を開いて、恐れと怯えに染まりきった身体を抱きしめてやりたいが、我慢だ。膿はここで全て出し切ってもらう。


「……ご、ごめ……ごめん、ね」


 美麗というより可憐な相貌を歪めて、メルは両の瞳から涙を零した。

 肩を震わせながら、嗚咽を漏らしながら、罪悪感に塗れたか細い声で、懺悔するように吐き出していく。


「わ、私……っ、だけ……何も、できなくて……ずっと、気絶してて、ぅっ……全然、傷付いてなくて……」

「…………」

「みんな、辛い思いをしたのに……私、一人だけ……む、無傷で……みんなの……みんなの辛さ、ぜ、全然……っ、分かってあげられなくて……ごめん……うっ、うぅ……ごめん、ね……ごめんなさぃ……」


 メルは膝を抱えて顔を俯け、ぽたぽたと湯面に雫を落としていた。

 髪間から覗く泣き濡れた彼女の横顔は悲痛に過ぎる。

 俺がメルを泣かせていると思うと、もう思わず自殺したくなるほどの罪悪感に見舞われる。


「こ、この前、も……光魔法で、サラを……っ、怯え、させちゃって……私……なにも、分からなくて……全然、き、気付けなかった……」


 サラは光属性魔法と《聖魔遺物》の魔剣がトラウマになっている。

 あの金髪イケメンのクソ野郎エネアスのせいだろう。

 サラは記憶喪失になった挙句、空を飛べなくなって、姉扱いされることを拒み、妙なトラウマまで植え付けられた。たぶんこの分だと魔弓杖もダメだろう。

 対して、メルは気絶していたから、直接的な被害が一切なかった。ウェインも気絶したままだったが、あいつはあの時点で既に拷問を経験していた。

 だからこそ、メルは他のみんなに比べれば、そこまで傷ついていないはずだと思い込み、俺もクレアもセイディもあれ以来みんな頼りにしてきた。

 しかし、先日リーゼの気持ちを思い知らされて、リーゼの立場になってよくよく考えてみて、思い至った。

 もし俺がメルの立場なら、今頃はどういう心境でいるだろうか……と。


「うっ、うぅ……ごめんね、ローズ……ごめんなさい……」


 大切な人たちの哀しみを、苦しみを、痛みを、分かってやれない。

 実感できず、共有できないから、本当の意味で慰めることもできない。

 自分一人だけが以前と変わらぬまま、変わってしまった状況にいる。


 俺だったら、そんなの耐えられない。

 みんなに申し訳なくて、居たたまれなくて、悔しくて、みんなを元気づけてあげたいのに、みんなの辛さは一部しか分からないし、自分一人だけ無傷なことに妙な罪悪感を覚えてしまって、どう慰めの言葉を掛ければいいのかも分からない。

 メルは自分より周りの人を気に掛けるタイプだ。

 そんな彼女にとって、あの日から続くこの状況はこの上なく辛く苦しいもののはずだ。


「メル」

「……っ」


 彼女は一瞬、大きく身体を震わせた後、固まった。

 俯いたまま呼吸すら止めて、顔を強張らせ、涙に濡れた双眸を見開く。

 俺が何を言うのか不安で怯えているのが、手に取るように分かる。

 もっと早く、分かってやらなきゃいけなかった。


「私はべつに責めているわけじゃないですよ」

「…………え?」

「魔女は聖神アーレに祝福された存在なのに、神様は私たちを助けてくれなかった。でも、メルだけはずっと気を失ったままでした」

「…………」

「あの状況では、それだけが唯一の不幸中の幸いだったと、私もみんなも思ってますよ。そこだけは聖神アーレに感謝してもいいくらい、本当に良かったと思っています」


 俺が心からの言葉を告げても、メルの表情は全く晴れない。

 当然だ。

 メルは俺たちがそう思っていてくれていると思っていたからこそ、これまで自身の内心を明かさず、気取られないように振る舞ってきたのだ。


「メル」


 隣で膝を抱える少女に、俺は抱きついた。

 片腕だけだと上手く抱きつけないが、とにかく身体を寄せて、顔を近づける。

 メルは泣きはらした双眸で、気まずそうにちらりと見てきた。


「私たちにとって、メルは道標なんです」

「みち、しるべ……?」

「メルがいないと、私たちは迷ってしまいます。どうやって再び以前のような日常を送ればいいのか、以前はどういう笑顔を浮かべていたのか、今の私たちにはよく分からないんです」


 俺は言いながら、膝を抱えるメルの手を握った。そしてすかさず彼女の腿の上に無理矢理座って、両足を伸ばさせる。

 手を握ったまま、俯きがちなメルの顔を覗き込みながら、俺は言葉を続けた。


「先日話した通り、リーゼは少し変わってしまいました。サラも記憶喪失になってしまって、ウェインは凄く鬱々としています。クレアもセイディも、メルのように表向きはもう何でもないように振る舞ってますけど、二人とも未だに辛いはずです」

「……ローズも、辛いよね」

「そうですね。お婆様たちが亡くなってしまいましたし、右腕もなくなっちゃいましたし、みんなが辛い思いをしていると思うと、私も辛いです」

「……うん」


 メルは手を握り返してくれて、もう一方の手を身体に回して抱きしめてくれた。

 俺は彼女の温もりを感じながら、本心を告げていく。


「率直に言いますけど、メル以外のみんなは最低のものを見て、最悪の体験をしてしまいました。きっとサラはそれに耐えきれなかったから、記憶をなくしてしまったんでしょう。私もできることなら、こんな記憶は忘れてしまいたいです」

「…………」

「私たちは否応なく、変化を強いられます。もう以前の、何も知らなかった頃のままではいられません。だからこそ、今の私たちにはメルが必要なんです」


 メルは伏せていた目を恐る恐る上げて、視線を合わせてくれた。

 そこで俺は心からの笑みを浮かべ、メルの手に指を絡めて強く握り直した。


「あのとき、メルはずっと気絶していました。最初から最後まで、ずっと目覚めないでいてくれました。アレを見ないで、体験しないでいてくれました。だから……だからメルだけは、以前のままのメルでいてくれますよね?」

「……ぁ」

「お婆様たちが亡くなって、私たちが辛い思いをしていると、メルも辛いでしょう。それでも、どうかメルだけは以前のままでいてください。何も知らないまま、以前と変わらないまま、私たちの側にいてください」


 俺の言っていることはある意味とても残酷なことだろう。

 だがそれを承知の上で、尚も俺は彼女のために、みんなのために、俺自身のために、言ってやる。


「私たちが以前の楽しく穏やかな日常を、あの頃の笑顔を忘れそうになっても、メルがいてくれれば思い出せます。そしてまた以前のように、楽しく穏やかな日常を送って、あの頃みたいに笑うことができるようになります。メルがいないと……みんなの辛さを共有できないメルでいてくれないと……私たちはみんながみんな、この辛さに呑まれて、もう二度と以前のような笑顔は浮かべられません」

「……ローズ」

「だから謝らないでください、メル。謝るのは、むしろ私たちの方なんです。メル一人にだけ背負わせて、すみません」


 いつの間にか俺も泣きそうになっていた。

 メルは止めどなく涙を流しながら、痛いくらいに抱きしめてくる。

 握り締めてくる手も少し痛いが、今はそれが心地良い。


「ローズ……っ、ぅ、ごめんね……ありがとうローズ……」

「こちらこそ、ありがとうございます、メル。メルが側にいてくれるだけで、私たちは安心するんです」

「ぅん……うんっ、ありがとう、ローズ」


 しばらくの間、メルは俺を抱きしめたまま、嗚咽を漏らしながら何度も「ごめんね」と「ありがとう」を口にした。

 俺は彼女の手を握り締めたまま、以前から変わらぬ推定Cカップの柔らかさを堪能したまま、その温もりに浸っていく。

 お風呂は心まで裸にしてくれて、見えない汚れも洗い流してくれる。

 これで明日からのメルが、今日までより辛く苦しい思いをせず、尚もみんなの側で朗らかに過してくれることを願おう。

 



 ♀   ♀   ♀




 出港して、二十二日目。

 もうすっかり魔大陸近海からは離れ、魔物の襲撃頻度はグッと下がっている。

 質も量も落ちているので、余程のことがない限り、出港して四日目のようなことにはならないだろう。


「チュアリーって港町に着いたら、いい石鹸買わなくちゃね」


 ドラゼン号の中央部に屹立するメインマストの近くで、サラがルティの髪を梳いている。

 昼過ぎ現在、風魔法ブーストは一時休止して休憩しているので、そよ風が吹き抜けているくらいだ。


「はい、終わったわよリーゼ。こんな感じで大丈夫?」

「うん、べつになんでもいい。ありがとクレア」


 サラたちの隣ではリーゼがクレアに散髪してもらっていた。

 しかしリーゼはクレアの持つ手鏡を――そこに映る自分を一瞥しただけでどうでも良さげに頷き、しかし真っ先にサラのもとへ駆け寄っていく。


「ねえ、サラ姉、あたしも櫛やって」

「いいけど、ちょっと待っててね。ルティは髪長いし量も多いから、大変なのよ」

「もっと短くすればいいのに。ローズも前はルティくらいだったけど、あたしくらいにばっさり切ったよ」

「え、そうなの? もったいない……」


 リーゼはサラの服の裾を掴みながら言い、サラは驚いたように呟いている。

 そしてやや癖っ毛の茶髪幼女はどこを見るでもなく、寂しげに口を開いた。


「女の子らしく、髪は長い方がいいって、ジーク言ってた。だから、ぼく長い方がいい。女の子らしくする」

「そうね、ルティは長い方が似合ってるわ。あ、そうだ、今日は三つ編みにしてみましょ」

「サラ姉、あたしも長い方がいい……?」


 どこか恐る恐る、リーゼはサラの服の袖を引っ張った。

 サラはそんなを幼女を若緑色の瞳に映すと、当然のような口調で答える。


「リーゼは短い方が似合ってるから、そのままでいいと思うわよ」

「そっか……うん、そっかっ、やっぱりサラ姉はサラ姉だね!」


 嬉しそうに小さく口元をほころばせ、リーゼはサラに抱きついている。

 その様子を端から眺めていると、クレアに声を掛けられた。


「ついでだからローズも切っておく?」

「そうですね、お願いします」


 もう俺もだいぶ髪が伸びてきた。

 といっても、前髪は目元に掛かる程度だし、後ろもそこまで長くはない。

 セミショートのリーゼとセミロングのサラの中間くらいだ。

 

「あ、クレア」


 魔物の奇襲対策として側に立っていたダウナー系お姉さんが黒髪美女の名を呼んだ。


「ローズちゃんの後でいいから、ウェインの髪も切ってくれるぅ? あの子ももう長いし、今はただでさえアレだから、こざっぱりした方が気分的にもいいだろうしねぇ」

「ええ、もちろんいいわよ」

「じゃあ、ちょっと呼んでくるねぇ」

 

 と言いつつ、トレイシーはマスト上部の物見台にいるイヴに声を掛けている。

 イヴは基本的に高所から魔物の出現を見張ってくれているのだ。

 彼女に一声掛けて俺たちの方にも気を払っておくように頼むと、トレイシーは船室に入っていった。

 あのダウナー系お姉さんはアレで細かいところまできっちり注意を払う人だ。


「クレア、髪はまた伸ばしたいので、整える程度でお願いします」

「分かったわ」


 床屋みたく革のマントを羽織り、俺はクレアに散髪してもらう。

 以前、館でもみんなの髪を切っていたのはクレアだった。

 町に理髪店はあったが、リーゼもサラも小さい頃からクレアが切っていたらしいから、俺たちは一度も利用したことがない。


「ローズ、ルティが羨ましい?」

「……そうですね、そうかもしれません」


 俺がサラたちを見つめていたのに気付いていたのか、さすがにクレアは鋭い。

 横髪を整えてくれながら、彼女はしみじみとした口調で話した。


「あの子、前は毎日ローズの髪を手入れしていたわね。ローズがばっさり切ってきた日なんて、凄く驚いて、怒っていたっけ」

「また前みたいにすれば、思い出してくれるでしょうか……?」

「それは……分からないけれど、可能性はあるわね」


 うん、そうだ、可能性はあるのだ。

 なにせサラは以前愛用していた櫛を今も尚、平然と使い続けている。

 今のサラは光属性魔法と《聖魔遺物》の魔剣、それに男に対してトラウマ的な反応を示し、空を飛べなくなって、姉扱いされることを嫌がっている。

 にもかかわらず、あの曰く付きの櫛には拒絶反応を示さない。単純に全てを忘れているだけかもしれないが、それなら姉扱いを嫌がりもしないはずだ。

 

 サラは俺の長い髪を気に入ってくれていた。

 頼んでもいないのに、毎日毎日飽きもせず、丁寧に手入れしてくれていた。

 以前の習慣を再現すれば、それが切っ掛けになって思い出してくれる……かもしれない。だから、また髪を伸ばしてみるつもりだ。正直、短い方が面倒も少なくて過しやすいから好きなんだが、サラのためなら否応はない。

 それに長髪は長髪で、まあ悪くはない。

 自分で言うのもなんだが、俺は長い方が似合ってる気がするしね。


「こんな感じでいい?」

「大丈夫です」


 切り終えて手鏡で確認しても、切る前とあまり変わっていない。

 まあ、整えただけだからね。

 しかしこれ、以前のように腰元まで伸ばすには最低でも三年……いや身長も伸び続けるから、四年か五年くらい掛かるかもしれん。

 その間にサラの記憶が戻ってくれればいいんだが。


「そういえば、トレイシーとウェイン、遅いわね」

「何かあったんでしょうか? 私ちょっと様子見てきますね」


 本当はサラに髪を梳いて欲しかったが、今はまだリーゼがしてもらっている。

 リーゼは尻尾の毛並みまで尻尾用ブラシで整えてもらっているので、まだ少し時間が掛かるだろうから問題はない。

 それになんだか嫌な予感がするんだよな。


 俺は船内に入って、野郎共の寝室を覗いてみるが、誰もいない。

 最近のあいつはベッドの上で毛布にくるまって横たわってたんだが……。


「……いや、まさかな」

 

 一人呟きつつも、船倉の方へ足を向けた。

 船倉には甲板から直接降りることもできるが、内部の居住スペースとも繋がっている。目的のドアまで近付くと、開きっぱなしのそこから声が漏れ聞こえてきた。


「ウェイン、なんでこんなところにいるのぉ? 黙ってちゃ分からないでしょぉ」

「…………」

「こんな暗いところにいると、気分まで暗くなっちゃうよぉ? ほら、クレアが髪切ってくれるから、外行くよぉ」

「…………」


 トレイシーの声しか聞こえてこない。

 出港してからのウェインはほとんど船内に引き籠もっている。

 食事時なんかも部屋から出てこようとしないので、トレイシーが強引に連れてくるが、完食したことは一度もない。

 

「……ウェイン、もう何度も言ってるけど、ウェインは何も悪くないんだよぉ? ワタシもみんなも心からそう思ってるし、みんな凄く心配してるんだぞぉ?」

「…………」


 トレイシーが優しく声を掛けても、ウェインの声は聞こえてこない。

 そっと中を覗き込んでみると、トレイシーの持つランタン型の魔石灯に照らされていて、二人の姿はよく見える。とはいえ、ウェインは膝を抱えて顔を膝頭に埋めたまま動かないので、表情までは確認できない。


「みんなに悪いと思ってるんだよねぇ? だったら、みんなを心配させ続けて、悪いとは思わないのぉ?」

「…………」

「酷いことされたとはいえ、みんなのこと喋っちゃって、あんなことになった。でもウェインが喋らなくても、結果は変わらなかったよぉ? って言ってきたけど、みんなに合わせる顔がないっていうウェインの気持ちも、分かってるつもりだよぉ」


 トレイシーは側に膝を突いて話しかけていたが、ウェインの隣に腰を下ろした。

 そのとき、ふと彼女と目が合ってしまった。

 俺は出て行こうとしたが、ダウナー系お姉さんから和やかに緩んだ表情のまま小さく首を横に振られた。

 ちょっと待ってとでも言うように掌を前に出されて、俺は困惑しつつも動きを止めた。


「ねぇ、ウェイン、失敗は誰でもするものだよぉ。力不足で何かに屈してしまうことだって、誰でも一度は経験することだよぉ」

「…………」

「間違ったり、負けたりして、大切な人たちが傷付いてしまった。そういうとき、一番大事なのはね、後悔を糧に頑張ることだよぉ。もう二度と同じ過ちを犯さないように、努力していくんだよぉ」


 ウェインの頭を撫でながら、トレイシーはしみじみとした声で語り聞かせている。

 しかし、少年は無反応だ。顔を上げず、膝を抱えたまま、動かない。


「もちろん今回のことは、ウェインのせいなんかじゃないよぉ。でも、ワタシたちがなんと言おうと、ウェインは自分が悪いと思ってるんだよねぇ? だったら頑張らないとぉ、こんなところで落ち込んでるだけだと、また同じことが起きたとき対処できないぞぉ?」

「…………」


 無反応だ。

 ウェインは身動きひとつしない。もう完全に生ける屍と化している。

 これほどまでウェインが塞ぎ込んでしまう心境を、俺は一応理解しているつもりだ。


 拷問されたとはいえ、あいつは俺たちのことを喋ったのだ。

 自分が恐怖や苦痛から逃れるためだけに、俺たちを売った。それが状況にほとんど影響を与えなかったとはいえ、その事実は変わらないし、結果として婆さんたちは死んでしまった。

 ウェインは自分が悪いと思い込んでいるのだ。自分が許せなくて、俺たちに申し訳なくて、そうした負の感情に心が呑まれてしまっている。


 きっと今のウェインには何を言ったところで、効果はないだろう。

 俺たちが慰めの言葉を口にしても、それは同情故の嘘だと思うはずだ。それが余計に恥ずかしく申し訳ない心境にさせて、逆に追い詰めてしまうかもしれない。

 だから過度に慰めたりはせず、愛情ある言動で自然に接してやりつつ、ひとまず今は時間がウェインの心を落ち着けてくれるまで待つのが最善だ……と俺は思っている。


 俺も前世では色々経験して、知り得たから分かるが……。

 結局のところ、自分を許せるのは自分だけなのだ。

 世界全てがウェインを許しても、ウェイン自身が己を許せなければ、何の解決にもならない。俺たちはウェインが自分を許せるように、自分を許してやる努力をしようと思えるように、手を貸す程度にするのが良い。

 今はまだ人の話を聞ける余裕のない状態だから、温かく見守って、少し落ち着いてきたら手を貸せばいいだろう。

 

 とはいえ、これは俺一人の考えであって、正しいかどうかは分からない。

 実際、ウェインは日を追うごとに鬱度が増していて、今日は遂にどっかの鬱武者みたく船倉に引き籠もってしまっている。

 クレアやトレイシーにもそれぞれ考えがあるだろうから、俺は俺の考えを信じて、これまでウェインに接してきた。


「ほらほら、今はまだ大丈夫だけど、そんな落ち込んでるままだと、そのうちローズちゃんたちに愛想尽かされちゃうかもよぉ?」

「…………もう、いい」


 ふと掠れた声が小さく響いた。

 

「いいって、何がぁ?」

「もう…………どうでも、いい……」

「……ウェイン」


 生気のない声を漏らす少年を、トレイシーは労るように抱きしめた。

 そしてその背中をゆっくりと撫でながら、脱力するような、しかし苦々しい口調で話し始めた。


「今だから言えるけどねぇ……ワタシも昔、凄い失敗しちゃったことあるんだよぉ。そのときはもう自分が情けなくて仕方がなくて、腹を切って詫びようとしたんだぁ」

「…………はらを、きる……」

「自分で自分の腹を切って死ぬことで、罪を償おうとしたんだよぉ。でも結局、ワタシは悪くないからって、許されちゃってねぇ。それでもワタシはワタシがどうしても許せなくて、せめて何か罰が欲しくて……そんなワタシの思いなんて見透かされてたのか、こう言われたんだぁ」


 トレイシーは微かな苦笑を覗かせて、ウェインの頭をポンポンと撫で叩いた。


「私と一緒に生き続けていくことが罰です……ってねぇ。だからもし、ウェインがどうしても自分を許せないのなら、みんなと一緒に生き続ければいいよぉ。みんなには合わせる顔がないだろうし、申し訳なくて苦しくて、逃げ出したくなるかもしれないけど……それは罰だから甘んじて受け入れて、そうして生きていくうちに、いつか自分を許せるようになるよぉ」

「…………」

「だからこんなところに一人でいないで、みんなと一緒に過さないとねぇ。あっ、ほら、ちょうどローズちゃん来たよぉ」


 手招きされたので、俺は船倉に足を踏み入れ、ウェインのもとへ歩み寄っていく。

 しかし、ウェインは顔を上げない。恥ずかしくて上げられないのならまだいいが、動く気力すらないのだとしたら、かなりの重症だ。

 この様子だと後者に見えるが……。

 

「ウェイン、こんなところで何してるんですか? いえそれよりも、私さっき髪切ったんですけど、どうですか?」

「……………………」

「ほら、ウェイン、ローズちゃんが訊いてるよぉ?」


 トレイシーは身体を離して立ち上がり、ウェインの肩を軽快に叩いた。

 すると、少年は数秒ほどの間を置いた後、のっそりと顔を上げた。

 初めて会った頃は荒んだ目をした一匹狼っぽいガキだったが、今は衰弱死寸前の野良犬っぽい。瞳は虚で口角は下がり、目の下には隈ができていて、当時のユーハ並かそれ以上に陰鬱なオーラを纏っている。


「ウェイン、ほらどうですか? 似合いますか? 可愛いですか?」

「…………あぁ、にあう……かわいい」 


 ウェインの視線は明らかに俺の腰あたりまでしか上がっておらず、空虚な声でぼんやりと呟く。

 その反応を見て、俺は判断しかねた。


 普段のウェインなら「知るかよ」とか無愛想に嘯くところだ。

 まず間違いなく「可愛い」なんて言葉は口にしない。

 そもそも今の俺は一見して切ったと分かるほど変わっていない。

 しかし、トレイシーの言葉を受けてか、ウェインは顔を上げて言葉を返してきた。これが良い兆候なのかどうか、分からない。


 正直なところ、俺はトレイシーのした説得に一抹の不安を覚えている。

 今のウェインにとって、彼女の示した罰は理に適ったものかもしれない。

 しかし、本当にこれでいいのか?

 トレイシーに昔なにがあったのかは知らないが、トレイシーは一緒に生き続けていくという罰に救われたのだろう。だがそれはあくまでもトレイシーの場合であって、ウェインの場合にも当てはまるかどうかは定かではない。

 いやまあ、トレイシーがこの説得法をとったってことは、これが正しいと信じた故の行動だろうし、何より彼女はウェインと何年も一緒に暮らしていた女性だ。

 俺以上にウェインのことは理解しているだろうから、心配はないはずだが……。


「じゃあ、外に出るよウェイン。クレアが待ってるからねぇ」

「…………」


 ウェインは気怠そうに立ち上がり、トレイシーに手を引かれて歩き出す。

 背中は曲がっていて、足取りにも力はなく、絶望面は健在だ。

 俺は試しにウェインのもう一方の手を握ってみた。

 すると奴はビクッと怯えたように肩を震わせるが、しかしそれだけだ。握り返しも振り払いもせず、俺に目も向けないで、顔を俯けたまま悄然と歩いている。


 今はまだ単に鬱状態が酷いだけで、そのうち良くなってくるだろう。

 トレイシー流の罰を受け続けることで、ウェインの抱える罪悪感は緩和されていくはずだ。


 俺は不安感を拭えぬまま、とりあえずそう思うことにして、尚も見守り続けることにした。


 

 

 次からは三日ごと更新になります。

 

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