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幼女転生  作者: デブリ
八章・渡航編
162/203

第百八話 『リーゼのために』★

 

 出港して四日目。

 そろそろ昼食の時間という頃、魔物の襲撃を受けた。


「いつも通りリーゼたちは空にっ、イヴさん護衛お願いします!」

「はい!」


 無詠唱で〈砂刃イレ・サード〉を放つ黒髪美女の言葉に、緑翼の剣士は凛としたいらえを返した。

 曇り空の下を進む我らがドラゼン号は現在、風魔法ブーストの恩恵は受けていない。あまり速く航行すると魚人たちが船を追いかけるのに気を取られて、戦いに集中できなくなるからだ。


「敵はぶっ殺してやる!」


 アシュリンの背中には乗らず、リーゼがアルセリアの槍を片手に力強く叫んだ。

 そして魔力波動を放ち、今まさに海中から飛び出して来たシーマンイーターを〈爆炎バ・ラトス〉で撃ち落とす。ワニっぽい黄緑色の魔物は呆気なく四散して肉片と化し、海に逆戻りしていった。


「リーゼッ、早くアシュリンの背中に乗って!」

「やだっ、あたしも一緒に戦うんだ! 襲ってくる奴らは全部殺してやるっ!」


 メルの言葉も聞かず、リーゼは船縁ふなべりに走り寄った。海面に顔を出している魔物をまた一匹、得意の火魔法で始末して、間を置かず琥珀色の瞳は次の獲物をロックオンする。

 先ほどまで、ここ最近の常として元気がなかったのに、今では敵意に満ち満ちた生気に溢れている。


「危ないですよリーゼッ、それに火魔法は使っちゃダメですって! 船が燃えちゃうかもしれません!」

「危なくないもんっ、ローズだって戦ってるじゃんっ!」

「それは……私はクレアに許可もらってますし、ユーハさんと一緒ですから!」

「あたしだってローズと一緒だから大丈夫なんだ!」


 昨日までは大人しく上空に避難してたのに、急にどうしたってんだ。

 どうにも今回の襲撃はちょっと数が多そうだから危険なのに。

 しかし幼狐は俺の言葉も聞かず、陰々とした昏い光を宿した瞳で、甲板上のシーマンイーターを睨み付けている。


「うわああぁぁぁ!? なんでまたこんなに襲われるんだあぁぁぁぁ!?」

「姉さん落ち着くッス! みんなの強さなら撃退できるッスよっ!」

「一切退く冥き衝波こそ我が邪念の煥発なり――〈黒衝弾ト・クーダ〉」


 騒ぐ姉を抱えながら、ソーニャは船の上空を飛んでいる。その下では藍白色のセミロングヘアをポニテにしているミリアが闇属性初級魔法の黒い球体を放って、船上にいる人食いワニもどきを海原へ吹っ飛ばしていた。本当は〈霊斥ルゥ・ルペリ〉が使えればいいのだが、生憎と魔物は魔力を持たないから効果がないのだ。

 

「リーゼッ、危ないから早く!」

「あたしは戦うんだっ、メルたちは空に行ってて! 行けアシュリンっ!」

「ピュェェェ……」


 アシュリンは躊躇っている。

 その背中にはユーリを抱いたメル、そしてルティとサラが乗っていて、傍らにはイヴが控えている。


「行くんだ! 行きなさいっ、命令だぞアシュ――っ!?」


 不意に船体が大きく揺れた。

 リーゼは咄嗟に槍を突いて転倒を免れ、俺はユーハに支えられた。

 

「お姉様っ、なんかこれ掴まれてません!?」 

「すまん気を付けろ! キングクラーケンだっ! こっちは一人やられ――とぅアッ!?」


 セイディの声に答えるようなタイミングで、海面から顔を出した魚人護衛のオッサンが必死な声で叫んだ。と思ったら、そのオッサンが真下へ引き摺り込まれるかのように姿を消した。

 青々とした海面には巨大な黒影が浮かび上がっていて、海中で何かが蠢いているのが見て取れる。


「キングクラーケンってたしか三級の魔物でしょ!? 八人もいてなんで事前に対処できないのよ!?」

「文句を言っている場合ではないわセイディッ! 今はそいつをどうにかしないと!」

「どうにかってでもどうしますお姉様!? 海中に魔法ブチ込むことはできますけど、魚人たちも巻き込んじゃうかもしれないですし!?」


 クレアとセイディは互いに身体を支え合いながら声を上げている。

 キングクラーケンとかいう魔物が船底に張り付いて船を揺すっているのか、上下にも前後にも左右にも、とにかく揺れまくっている。まともに立つこともできないので、俺も思わず膝を突きながらも、海中から際限なく飛び出してくるシーマンイーターを〈風血爪ルゲ・ディラ〉で仕留めた。

 

「護衛の彼らが対処してくれることを……期待するのは下策ね。きっと海中は他の魔物も大勢いて乱戦状態でしょうし、かといって一旦退避させればその隙に船底を蹂躙されかねない」

「アタイらがなにしたっていうんだあああぁぁぁぁっ! また家を壊す気かこの野郎おおおぉぉぉぉ!」

「え……ちょっとこれ、ヤバくないッスか……? こ、この船も……ダメんなっちゃうんスか……?」

「ソーニャ下ろしてっ、アタイも家を守るために戦うんだ!」

「い、いやいや、この状況で自分らは足手まといになるだけで逆効果ッスよ! そりゃ歯痒いッスけど、今の自分らの最善は魔法の邪魔にならないとこに退避なんスよ!」


 海に魔物のいるこの世界の船は押し並べて頑丈だ。

 基本的にはどの船にも鉄板が仕込んであるし、ドラゼン号はオーダーメイドの特注船だ。常に魔石からの魔力供給を必要とするが、結界魔法の応用で船体は物理的にも魔法的にも強化され、ちょっとやそっとのことじゃ穴は空かない。

 が、何事にも限度ってものはある。

 本来ならば既にこの船とて結構なダメージを受けているだろうが、魚人という存在が魔物共の猛攻を食い止めてくれているはずなのだ。尚、海中にいる魚人への指示は船尾甲板に置いてある銅鑼を鳴らしたり、法螺貝などを吹くことで行っている。


「リーゼちゃん危ない!」


 突然、海面から白く野太い塊が飛び出してきた。

 なんかイカっぽい触手だ。

 ちょうどリーゼのいたところに叩きつけられそうになるが、ベルが揺れる足場もなんのそのな疾走で駆け寄り、触手に拳を叩き込んだ。勢い良く船外へと弾き飛ばされるそれを、俺は〈風血爪ルゲ・ディラ〉で切り裂く。触手に出血はなく、断面も白かった。


「もうローズもリーゼと一緒に上空へ避難してなさい! トレイシーは急いで船室のウェインを連れて来るのよ!」

「あたしは逃げないっ、海の中にいる魔物もみんな殺すんだ!」

「イヴさんっ、リーゼをお願いします!」


 クレアの言葉を受けて、イヴがリーゼを羽交い締めにした。

 そして両翼を羽ばたかせて飛び上がっていく。


「ぅわああああぁぁぁぁ放してイヴ放せぇぇぇっ、あたしも戦うんだああぁぁぁぁ!」

「ローズ早く来てっ、一緒に避難しましょ!」


 ルティの身体を後ろから抱きしめたまま、金髪褐色なデビル可愛い少女が俺に声を掛けてくる。俺はそれに答えようとしたが、そのとき〈霊斥ルゥ・ルペリ〉の魔力波動を感じ、思わず上を見上げた。

 するとリーゼがイヴの拘束から抜け出して飛び降りてきている。


「ユーハさんっ!」

「うむ!」

「シーマンイーターばっかり、たくさん出てくる」

「瞬き奔れ、其は禍因を祓う雷霆の如く怨敵を滅せよ――〈雷弾ト・グイラ〉」


 ユーハがリーゼを受け止め、ルティが〈岩弾ト・スート〉を連射し、メルが早口に詠い唱えて得意の光属性魔法を行使した。


「ぁ……や…………ぃやあああぁぁぁぁぁぁっ!」


 かと思えば、なぜかサラが恐怖に染め上がった顔で悲鳴を上げ、硬く目を閉じてルティを抱きしめながら肩を震わせ始める。


「まったく、騒々しいの。のんびりできぬではないか」

「メルッ、ウェインをお願い!」


 ゼフィラが暢気に欠伸を漏らしながら船室から曇天下に現れた。その後ろからは引き籠もっていたウェインを小脇に抱えたトレイシーが駆け出てくる。この状況でも死んだ魚の目を晒している少年はアシュリンの背中に乗せられた。

 

「良い天気だというのに、魔物如きで何を騒いでおるのだ。キングクラーケン程度、雇った魚人共でも何とかなろう」

「なんとかなってないから騒いでるんですよ! 雑魚が多くて対処が大変なんですっ!」

「ふむ……もしやお主ら、割と切羽詰まっておるのかの?」


 銀髪美少女には危機感の欠片もなかった。

 そりゃ不老不死なら命の危機もクソもないから慌てないか、コンチクショウ。


「仕方がないの、特別に妾が手を貸してやろう」

「でもまだ夜じゃないですし、あの血を使った変なのとかできないんですよね!? というか相手は海中なんですから魚人以外は無理ですよ!」

「血戦が使えずとも、魔物程度どうとでもなるわ」


 などと相変らず偉そうに、焦燥感の欠片もなく言い切ってやがる。

 ゼフィラは腰元に吊り下げていた魔剣の柄を手に取り、柄頭を捻ることなく黄金色の刀身を形成した。


「いやああぁぁぁやめてっ、ああぁぁぁぁあぁあぁ!?」

「サ、サラッ、どうしたの大丈夫!?」


 メルが落ち着けようとするが、サラはより一層錯乱したように喚きながらルティにしがみついている。

 その様子を横目にチラリと見ただけで、ゼフィラは気怠そうに欠伸を零しながら、今も尚大きく揺れる甲板上を悠々と歩いて船縁から海面へと飛び込んでいった。


「サラ、痛い、どうし――あ、ゼフィ」

「え、ぁ、ちょっ!?」

 

 ダイブしたゼフィラにルティは驚いたような声を上げ、俺は戸惑った。が、どうせ死なないはずなので、すぐに冷静さを取り戻して雑魚共の掃除を続けていく。

 もう俺だけでも三十体は倒したはずだが、続々と海からリポップしてきやがる。


「お姉様っ、やっぱり魚人たち退かせて一気に魔法ブチ込みましょう! 海上からでも全員でや――れ?」

「止まったわ、私たちは雑魚を掃討するわよ!」


 いつ転覆してもおかしくないほどの強烈な揺れは唐突に止んだ。

 ついでに海面下で蠢いていた黒影がゆっくりと薄れていく。


「まったく、海水はべたつくから嫌なのだ……おい小童、〈水流リート・タォ〉あたりで妾を洗い流すが良い」


 海中から銀髪が浮かび上がってくると、魔物共の水死体を踏み台にして、ゼフィラが船上まで跳び上がってきた。船縁に着地してびしょ濡れの身体で鬱陶しげに襟元を引っ張っている。


「ゼフィラさんが倒したんですか……?」

「無論だ、それより早くせぬか」


 そう言いながらも、ゼフィラは後ろ手に魔剣を振った。海中から飛び出して来たシーマンイーターは俺の〈風血爪ルゲ・ディラ〉と《聖魔遺物》の刃によって呆気なく分断されて落ちていった。

 というか……あれ?

 今あの魔剣、三リーギスくらいまで伸びてなかったか?


「おおおおぉぉぉぉ、なんかよく分かんないけど勝てそうだぞソーニャ!」

「でもまだ雑魚はいっぱいいそうッスね。雑魚っていっても普通の猟兵なら強敵ッスけど」

「敵は全部殺してやる!」

「あ、あぁあぁぁぁ、ぃやあぁあぁぁぁっ!」

「サラ落ち着いて、大丈夫だからっ」

「…………」


 相変わらずな様子の上空の姉妹、やはり殺意に燃えるリーゼ、サラは涙を流しながら何かに怯え、それをメルが落ち着かせようとし、そんな中でもウェインは未だに鬱顔のまま背中を曲げて俯いている。

 まだ周囲に魔物は多数存在して、混沌とした状況は収束を見せないが、たぶん峠は越えた。

 色々と気になることはあるし、油断は禁物だが、今はとにかく魔物を掃討していこう。

 

 それから、俺一人だけでも更に二十四体の魔物を倒したところで、魔物の襲撃が止まった。

 全員で合計すると、最低でも二百体は殺した海戦は始まりと同様、唐突に終わった。

 幸いにも船上の人員には死者どころか怪我人すらゼロだが、魚人の護衛は二人亡くなり、残り六人も程度の差こそあれ傷を負ってしまっていた。




 ♀   ♀   ♀




「すまねえ、ありがとな嬢ちゃん……あの銀髪の子がいなかったら、二人だけじゃ済まなかった」


 俺は〈浮水之理メト・ティア〉を駆使して海面に降り立ち、オッサン魚人たちの治療をしていた。

 現在、帆は畳んでいるので、我らがドラゼン号は波間を漂っている。


「あの、亡くなられたお二人のご遺体は……?」

「あぁ……乱戦状態だったからな、魔物共に食われちまった……」


 スキンヘッドのオッサンはゆるゆると頭を振りながら悄然と呟いた。

 魚人の葬儀は水葬が一般的だ。といっても棺桶に入れたりはせず、海藻に包んで海底の砂地に埋め、墓石を立てるらしい。その場合、遺体はゆっくりと微生物なんかで分解されていき、海に還るのだろう。きちんと弔ってもいないのに戦闘中に食べられては故人も浮かばれまい。


「だがまあ、あの状況でこの結果なら、文句は言えねえよ。こうしてきちんと怪我も治してもらえるしな。みんな嬢ちゃんたちみてえな雇い主ならいいんだが」

「もうどこも痛くはないですか?」

「おう、ばっちりだ、ほんとにありがとうな。あのゼフィラって子にも礼を言いたいんだが……」

「彼女は今お風呂に入ってますから、後で伝えておきます」

 

 ちなみに、当然ながらこの魚人護衛たちにも治癒魔法を使える回復要員はいる。

 いや、正確にはいた。

 あのとき海面から顔を出してキングクラーケン襲来を伝えてくれたオッサンが、まさにヒーラーだったのだ。しかしもういないので、こうして俺が治しているというわけだ。


「私たちのために頑張ってくれて、ありがとうございます」

「これが仕事だからな。あいつらの死を嬢ちゃんたちが気に病むことはないさ」


 最後にそう言葉を交わして、全員の治療を終えた俺は船上に戻っていく。

 船上から海面へは〈反重之理メト・ティラグア〉を利用して飛び降りたが、帰りは〈邪道之理メト・リィア〉で船腹を上に歩いた。


「どうして言うこと聞かなかったのっ」


 魔物共の死体が片付けられた甲板上に戻ると、クレアが厳しい眼差しでリーゼを見下ろしていた。だが当の本人は臆した様子もなく、未だにアルセリアが愛用していた槍を左手に持ったまま、黒い瞳を見上げている。


「あたしもみんなと一緒に戦うんだ」

「危ないからダメだって言ったでしょう!? それに昨日までは素直に言うとおりにしていたじゃない」


 クレアはその場に膝を突いてリーゼの肩を掴み、問い掛けた。

 すると幼狐は決然とした面差しで言った。

 

「決めたんだ」

「決めたって……何を?」

「みんなを襲う奴は殺してやるんだ。やられる前にやってやる、絶対に許さない」


 昏い情念を秘めた声には明確な殺意が宿っていた。以前は陽気な、喜楽に爛々と輝いていた琥珀色の綺麗な瞳が、今では怒火に燃えて憎悪に彩られている。

 そのただならぬ様子にクレアも戸惑っているのか、小さく口を開けたままリーゼを見つめていた。


「《黄昏の調べ》の奴らも殺してやる。また酷いことされる前に、みんな殺してやるんだ」

「……リ、リーゼ、何を言っているの。そんなこと、しなくていいのよ」


 俺と同様に、端から見ているセイディやベルたちも衝撃を受けているようで、唖然としている。

 

「しなかったら、またみんな酷いことされる」

「大丈夫よ、シティールは《黎明の調べ》の町だから。そこではまた楽しく平和に暮らせるし、他の魔女も多くいて、ユーハさんやトレイシーみたいな味方も大勢いるんだから、リーゼはそんなことしなくてもいいの」

「やだっ、殺してやる! 男は敵、敵は殺してやるんだっ!」

「リーゼッ」


 クレアが悲鳴めいた声で叫びながら、小さな両肩をぎゅっと掴んだ。

 が、リーゼはそれを振り払って、怒りと哀しみの混交した叫声を暗澹とした空に響かせる。


「あいつらはおばあちゃんたちを殺した! チェルシーを利用したっ! サラ姉はあたしたちのこと忘れちゃったしっ、ウェインは拷問されて何も悪くないのに死にたいとか言ってる! クレアもセイディも酷いことされたっ、ローズは腕なくなっちゃった!」

「――――」

「あたしたちなんにも悪いことしてないのに! ふざけるなぁっ、あいつら絶対に許すもんか! おばあちゃんたちの仇をとってやるんだっ、あの翼人のサヴェリオとかいう奴はいつか絶対殺してやるんだ!」


 涙を流しながら、憎悪に染まりきった殺意を吐き出していた。


挿絵(By みてみん)


 その双眸は陰々とした力強さを湛えており、眼前のクレアではなく、何処かにいるであろう敵を睨んでいる。


「な、なに言ってんのよリーゼ。そりゃアンタの気持ちは分かるけどさ、そんなこと天国のマリリン様たちは望まないわよ」

「そうですよリーゼッ、復讐も殺人も絶対ダメですよ!」


 俺もみんなと同様に硬直してしまっていたが、セイディの言葉で我に返り、側に駆け寄った。

 するとリーゼは服の袖で涙を拭い、俺に顔を向けてきた。


「なんでローズそんなこと言うの? ローズだって悔しいでしょっ、あいつらいっぱい殺してたじゃん!」

「あ、あのときはみんなを助けるために、仕方なくです」

「嘘だっ、ローズ怒ってた! あたしたちはユーハに守らせて殺してたじゃん!」

「それは……状況的に、それが最善だったからですよ」


 とはいえ、たしかに俺はあのとき激怒していた。

 憤怒のあまり一周回って冷静になり、我を忘れることもなく理性的に物事を判断し、しかし感情のまま殺していた。

 

「あのときあたしなんにもできなかったっ! みんな酷いことされてたのに、ローズ一人で頑張ってたのに、なんにもできなかった! だから今度は一緒に戦うんだっ、あたしだってみんなを守って、敵をぶっ殺してっ、仇を討つんだ!」

「ダ、ダメよ、リーゼ落ち着いて、あなたはそんなことしなくてもいいの」


 クレアはリーゼを問答無用で抱きしめて、ゆっくりと言い聞かせるように、悲哀と焦慮に震える声で続けた。


「私たちは大丈夫だし、もう酷いことにはならないわ。だから安心して。そんなことは言わないで、またみんなで楽しく過していきましょう? 今はまだ辛いかもしれないけれど、少しずつでいいから、笑っていけるように――」

「クレアのバカぁっ、みんなはもうみんなじゃないじゃん!」


 優しく抱く腕の中でリーゼは暴れ、槍を手放すと、両手でクレアを突き飛ばした。

 膝立ちになっていた彼女は姿勢を崩して後ろに倒れ、呆然とリーゼを見上げている。


「おばあちゃんもアリアもミーネもいないっ、今のサラ姉は前のサラ姉と違う! なのに楽しく過ごせるわけないじゃんっ、笑えるわけないじゃん! 全部《黄昏の調べ》のせいでこうなったんだから仕返ししなくちゃいけないんだ!」

「た、たしかに前とは違うけどさ、でもアタシらは生きてるでしょ? アタシもお姉様もローズもメルも、こうして生きてる。そりゃ、サラはアタシたちのこと忘れちゃってるけど、ちゃんと生きてるし、いつか思い出してくれるかもしれないでしょ?」


 セイディはクレアの身体を抱き起こして支えながら、懸命に訴えかける。

 だが、幼狐の瞳は揺るがず、むしろ荒れ狂っていた怒火が更に勢いを増した。それに反比例するように、表情は妙な落ち着きを見せ始める。瞳が噴火を続ける火口だとすれば、頬は粘性を帯びたマグマに覆われていた。一見すると穏やかな、しかし超高温に滾った憤怒の熱に。

 リーゼは足下に転がっている槍をおもむろに拾い上げると、激情の秘められた瞳を俺に向けてきた。


「ローズも、クレアとセイディと同じなの?」

「もちろんです。リーゼの気持ちは分かりますけど、私は――」

「じゃあローズ、あのときあいつらを一人も殺せてなくても、同じ気持ちでいられるの? あの逃げた男、ほんとに殺したくないの?」

「…………」


 すぐに肯定すべきなのに、俺は反応できなかった。

 未だこの胸には連中への殺意が渦巻いている。

 ただ、それをリーゼたちという大切な存在と婆さんの遺志、そして殺人という禁忌への忌避感が抑制しているだけなのだ。


「やっぱり、ローズだってあたしと同じなんじゃん」

「い、いえ、違いますっ、私は復讐なんて望んでませんし、できればもう誰も殺したくはありません! クレアとセイディの言うように、これからは生きている私たちだけでも日々を楽しく過して、笑っていくことが大切なんですっ!」

「でも、それはあのときいっぱい殺せたから、そう思えるんだよね? あたしの気持ち分かるなら、ローズあたしと一緒に戦ってくれるよね?」


 リーゼの気持ち。

 俺は本当にリーゼの気持ちを正しく理解できていたのか?

 できていなかったから、こんな予想外の展開になっているんじゃないのか?

 

「ローズこっち来て、向こうで話したいことあるから」

「リ、リーゼ……」


 混乱する俺の手を引っ張って歩き始めるリーゼに、クレアがか細い声で呼び掛けた。

 するとリーゼは立ち止まって、どこか気まずそうにちらりと振り返った。


「クレア、さっきは突き飛ばしたりして、ごめんなさい」

「あ……い、いいのよリーゼ、それよりもっと私たちと話し合いましょう?」


 クレアは安心したように一息吐いて、優しく微笑みながら立ち上がろうとする。

 対してリーゼは喜怒哀楽の如何なる感情もなく、しかし無表情というわけでもなく、日常会話をするフラットさで答えた。


「もういい。べつにクレアたちが反対でも、あたし怒ってない。クレアたちに迷惑は掛けないから、心配しないで」

「リーゼ……?」

「行こローズ」


 俺の手を引いてすたすたと歩くリーゼの背中。

 呆気にとられたように立ち尽くすクレアの姿。

 二人の様子を俺は交互に見てから、クレアの側で彼女を支えるセイディに視線を送り、しっかりと頷いて見せておいた。

 セイディは逡巡する素振りを見せつつも、追いかけることなく見送ってくれる。


「…………」


 正直、まだ困惑は抜けきらないが、リーゼはなんとかしなければならない。

 この子の心情を十全に理解して、また楽しく笑ってもらえるように説得していくのだ。

 

「ここでいいや」

 

 船首の前まで来て、リーゼは立ち止まった。

 表情を見る限り、もう結構落ち着いているようだが……全く安堵できない。

 逆にその平静さが気掛かりで不安ばかりが募る。

 

「ローズ、魔法教えて」

「……魔法、ですか?」 


 思いがけず普通のことを言われて、拍子抜けしてしまう。

 だが次の一言に俺は危機感を覚えさせられた。


「あのエネアスとかいう男を殺した火魔法。なんか黒い火が魔石について、それを〈霊引ルゥ・ラトア〉で引き寄せて当ててたやつ。すぐに全身に燃え広がって、あいつ苦しそうにしながら死んでったでしょ?」

「――――」

「あれなに? あんな魔法知らない、あれすごい良さそう。誰に教えてもらったの? おばあちゃん? オルガ? 何級の魔法? 詠唱はどんなの? 教えてローズ!」


 リーゼはやる気に満ちた顔でせがんでくる。

 その様子は館での魔法練習の時間を彷彿とさせるものがあって、しかし決定的に異なっているところがある。

 目だ。

 好奇心の中に殺意が混じっていることで、以前とは似て非なる様相を見せている。


「…………」

 

 なぜリーゼはこんな目をして、こんなことを言ってくるのか。

 最悪の記憶ではあるが、あのときの状況を思い返してみると……。

 俺は納得できてしまった。


 あのとき、リーゼ一人だけだったのだ。何もされないまま、何もできぬまま、ただ傍観することしかできていなかったのは。

 婆さんは殺された挙句に遺体を貶められ、クレアもセイディも虐げられ、サラは元家族から酷い仕打ちを受けた。ウェインもメルも気絶していたので、二人はあの光景を見ていないし、状況の詳細も知らない。

 ただリーゼだけが、終始無傷なまま全てを見ていて、見ていることしかできなかった。


「ローズ、どうしたの? ねえ、早く教えて」


 リーゼは握ったままの左手を軽く引っ張り、棒立ちする俺を急かしてくる。

 だが俺はどうすべきなのか、分からなかった。

 もし俺がリーゼの立場だったらと考えたら、きっと俺も復讐したいと思うだろう。リーゼの言うとおり、おそらく俺はあのとき連中を殺しまくれたから、今こうして復讐心を抑え込んでいられるのだ。


 復讐とは死者のためではなく、残された生者が己自身のために行うものだ。

 ヘルミーネの家でクソ野郎を尋問したとき、俺はそれを実感した。

 しなければ頭がおかしくなりそうで、それ以上前にも進めず後ろにも退けず、進退窮まった末の行い――それが復讐だ。

 そう考えれば、今のリーゼにとっては《黄昏の調べ》に対する殺意が喪失の哀しみから立ち上がるための原動力となり、復讐は心の整理をつけるために必要不可欠な行いといえる。


「すみません、あれは教えられません」


 しかし、今のリーゼには酷なことだと承知した上でも、やはり断じて認めるわけにはいかなかった。

 一度でも人を殺してしまえば、見える世界が変わってしまう。

 あまつさえ恨み憎しみで人を殺してしまえば、俺も婆さんたちもみんなが大好きだった、あの天真爛漫な笑顔はもう二度と見られなくなるだろう。


「……なんで?」

「あれは危険で、残酷な魔法なんです。リーゼが使えるようになる必要はありません」

「あるよっ、敵を殺すのに必要なんだ! ローズだけずるい! あたしもあれで殺してやるんだっ!」


 恨むような、嘆くような、力強い声だった。可愛らしい顔に笑みはなく、しかし哀しみに沈んでもおらず、怒りと憎しみで鋭く引き締まっている。

 痛々しくして見ていられない。


「リーゼ、よく聞いてください。自分や誰かを守るために戦った末、誰かを殺してしまうのは……まだ仕方ありません。でも、恨みや憎しみによって、自分から進んで人を殺してはいけません」

「なんでっ、仕返しじゃん! あいつらが悪いのにっ!」

「誰かを殺せば……復讐すれば、復讐されるんです。リーゼが殺した敵にも仲間や大切な人たちがいて、今度はその人がリーゼを恨みます。それでリーゼが殺されてしまえば、私もクレアもその人を殺して、するとその人の仲間が、復讐に私たちを殺すでしょう」

「あたしは殺されないし、ローズたちだって殺させないもん!」


 波間を漂う船は揺れが大きくなってきて、頭上の雲もどんどん厚く、黒くなっているように思う。

 俺はリーゼの瞳を真正面から真っ直ぐに見つめて、ゆっくりと宥めるように言い聞かせていく。


「仮に殺されずとも、その後は一生、まだ見ぬ誰かの怨恨に怯えながら生きることになります。復讐してはいけないと、お婆様も言っていましたよ」

「あたしはそんなこと聞いてないっ」

「もしリーゼが誰かを殺して、復讐の連鎖に囚われれば、連中の思う壺です。私たちはより一層不幸になって、いつまで経っても笑えなくなります。連中に対する最高の復讐は殺すことではなく、私たちがまた笑顔で楽しく日々を過していくことなんです」


 俺の心中も複雑ではあったが、なんとか穏やかに言い切って、微笑みを浮かべて見せた。

 しかしリーゼは強く握っていた俺の手を放し、泣き喚くように叫んだ。


「全然意味分かんないよっ、ローズもクレアもセイディもみんなおかしい! なんでそんなこと言うの!? おばあちゃんたち殺されて悔しくないのっ!?」

「もちろん悔しいですよっ」

「だったら一緒に仕返ししようよっ、魔法教えてよ! 仕返しして、あいつらがその仕返しもできないくらい全部殺しちゃえばいいじゃん!」


 涙を流しながら叫ぶリーゼ。

 まるでそれが唯一絶対の真実であるかのように、リーゼは何の疑いも持っていなさそうだった。

 彼女の言葉が心底からの想いであることが伝わってきて、俺は……。


「……………………」

「ねえっ、ローズっ!」


 俺は、懊悩した末に、決意した。


「…………分かり、ました」


 リーゼの小さな身体を強く抱きしめた。

 

「リーゼがそこまで言うのなら、もう私は止めません。でも心配ですから、もし《黄昏の調べ》に復讐しようとするのなら、私と一緒にですよ」

「ローズ…………うんっ、あたしローズとずっと一緒だよ! 今度はあたしもローズと一緒に戦って守るよっ!」


 リーゼは悲壮な怒気から一転して、嬉しそうに俺を抱き返してきた。

 未だにアルセリアの槍は握り締めたままだし、問題は何一つ解決していないが、リーゼの歓声が久々に聞けて、俺は嬉しかった。

 

「じゃあローズ、魔法教えて!」

「ダメです、それはできません」

「なんで!? 一緒に戦ってくれるんでしょ!?」

「あれは私の必殺技なんです。たとえリーゼだろうと、教えるわけにはいきません」


 誤魔化すために、俺は敢えて戯けたように笑った。

 するとリーゼは「むぅぅんー!」と拗ねたような声で唸る。


「なんでいいじゃんっ、あたしもローズと一緒の必殺技覚える!」

「私にも譲れないことはあります。もしリーゼが連中への仕返しを諦めるというのなら、教えてあげてもいいですよ?」

「なにそれ訳分かんないっ、それじゃ意味ないじゃん! ねえローズ教えてよー、あたしもあの黒い火魔法使いたいぃー!」


 試しにさりげなく言ってみたが、全く功を奏さなかった。

 それでも、リーゼは以前までのような……とはさすがに言い難いが、昨日までと比べると格段に明るい様子で末っ子根性を発揮してくる。

 

「ん、雨降ってきちゃいましたね。中に戻りましょう、リーゼ」

「あっ、ローズ誤魔化した! 逃げるなローズ教えてよー!」


 泣き出した空から次々と雫が降り注いでくる中、俺はリーゼに追われながら走る。後ろから聞こえる声だけを聞いていると、まるで猟兵ごっこをしているときのように思えて、やはり嬉しくなる。

 しかし同時に、頭上の雨雲よりも重苦しい想いに胸が苦しくなった。


「私より先に船室に入れたら教えてあげますよっ」

「絶対だよローズっ、約束し――てゅわ!? 魔法使うなんてずるいー!」


 仕方がなかったとはいえ、俺は今のリーゼを表向き受け入れてしまった。

 この選択は正しかったのか、俺にできるのか、不安は拭いきれない。

 だがもはや、これで正しいはずだと信じる他ない。 


 リーゼの性格は良くも悪くも真っ直ぐだ。

 俺がクレアたち同様に、その敵意や殺意や復讐心を否定しても、リーゼは止まらないだろう。むしろ反骨心を喚起させて、一層強情になるかもしれない。

 そうして、いつか必ず一人で勝手に突っ走り、俺たちの知らぬ間に敵と定めた存在を殺しかねない。

 だからこそ、最低でも誰か一人はリーゼの気持ちを肯定してやり、嘘を吐いてでも側に居続けられる立ち位置にいなければならない。今後、真っ向からの説得はクレアたちに任せ、俺はゆっくりとさりげなく、リーゼの気持ちを誘導するように復讐心を解きほぐしながら、彼女が殺人を犯さないように見張り続けるのだ。

 そしてもし、どうしようもない状況に陥れば……。

 リーゼが殺す前に俺が殺す。


「あたしだって魔法で――っ!? むぅぅぅうんっ、断唱波使うなんてずるいー!」

「あははっ、はい、私の勝ちですね」


 俺は無理矢理に笑みを浮かべ、不安を振り払った。

 とりあえずはクレアたちに報告して、一緒にどうやって説得していくか、具体的に考えていこう。みんなが一緒なら、きっとなんとかなると信じるんだ。

 そして俺はみんなのために、どんなに辛く苦しくても、笑顔で居続けてやる。

 それが俺なりの復讐で、亡き婆さんたちへの弔いだ。

 

 

別バージョン

挿絵(By みてみん)


挿絵情報

企画:Shintek 様

PV : https://youtu.be/v2CRYJYJHLs

 

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