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幼女転生  作者: デブリ
七章・黄昏編
156/203

 間話 『紅い瞳に映る世界 前』

 

 文字と背景の色は仕様です。どうしても見辛い場合はページ右上の表示調整から各自で配色を変えてください。

 


 ■ Other View ■



 かつての彼女は紛れもなく生きていた。


 世界は未曾有の戦火に包まれ、戦いは年々激化していた。

 とはいえ、彼女の住まう地域は戦線から遠く離れていたので、戦況を報じた映像が彼女にとっての主な実感だった。最も戦争を身近に感じた出来事も、何度か前線の方から流れてきた敵国の生体兵器――いわゆる亜人と合成獣を見掛けたことくらいだ。

 魔導革命の恩恵により栄えた王国で、彼女はどこにでもいる普通の少女として、日々学校に通い、なに不自由なく過していた。

 人間として、正しい生命の営みの中にいた。


 しかし、彼女が十二歳の誕生日を迎えて間もなく。

 日常が終わった。

 国王の勅命を受けたという役人が自宅を訪ね、栄えある"試験"に家族全員が参加できると告げてきた。それは権利ではなく国民の義務だと言われ、彼女は父と母、そして弟と共に王都への飛行船に乗った。


 彼女は栄えある"試験"を通過できた。

 できてしまった。

 両親は適性がなかったため、"試験"に落ち、死んだ。

 そして弟は人質にされた。


『おめでとう、諸君らは選ばれた。誇ると良い、歓喜すると良い、これは至上の栄誉である』


 "試験"を通過した者たちへ、魔導革命の立役者にして雷光の異名を冠する王はそう告げた。

 そして天に黄金の輝きが現れ、彼女は人として最も大切なものを奪われた。




 ■   ■   ■




「お主ら、正気か……?」


 その計画を聞いたとき、彼女はまず鼻梁をしかめた。


「正気も正気だよ、いま世界は我々を求めている」

「いや……いや違うぞ、民はただ無知なだけなのだ。故にこそ、妾等の存在を履き違え、縋っておる」

「その通りだよ、ゼフィラ。彼らは知らないんだ。定命じょうみょうの者たちは痛みや過ちと共に、過去を忘却する」


 同胞のその言葉は少なからず共感できる真実だった。

 言葉や書物により、歴史という記録は語り継がれていく。

 しかし、ときとして情報は伝達の過程で齟齬が生じ、為政者の都合で改竄され、次第に事実がねじ曲がってもいく。


「定命の者たちは暗愚で無知なものなんだ。君だっていい加減、それは分かっているだろう? 彼らは強大な力を前にすると、容易く目が眩み、溺れてしまう」


 彼のその言葉に、他の同胞たちは嘆かわしげに頷いている。

 ゼフィラとしても、やはり共感できるところではあった。


「だからといって、お主らの計画は馬鹿げておる。巷間こうかん神人しんじんなどと持てはやされ、思い上がったか」

「僕たちを崇め奉る民の要望を叶えてあげようというだけの話だよ。もう……戦いは御免なんだ。僕たちなら真に安定した世界を作り上げ、保ち続けることができる」


 そうかもしれない。

 長い長い年月により培った経験と知識が自分たちにはある。

 彼が口にした計画の実現それ自体は強ち不可能ではないだろう。


「確かに妾とて戦いには飽き飽きしておる。お主らがその馬鹿げた計画を実行せんとする気持ちとて、理解はできる」

「でも、共感はしてくれないんだね?」

「何のために、あの馬鹿が今の世を成したと思っておる。定命の者らは確かに暗愚で無知だが、彼らには彼らの意志がある。それを当人たちですら自覚できぬ檻に閉じ込め、管理するなど、傲慢も甚だしい」


 ゼフィラが毅然と告げると、彼は苦笑を零した。

 

「やっぱり、ゼフィラは兄さんの味方なんだね?」

「ハッ、妾はただ、お主らのような逃避行動など御免なだけだ」

「…………逃避、だって?」


 彼は僅かに怒気を滲ませた声を漏らした。

 どうやら一応、自覚はしているらしい。


「そうであろう、お主らの計画が逃避行動でなく、なんだというのだ? この無限の苦しみから目を背けるのに、民のためというお題目と終わりなき道程は格好の逃げ道だろうの。適度に困難であり、妾等にしか歩み続けられぬ旅路となれば、もはや運命さえ感じよう?」

「そうさ、これは運命であって、断じて逃避なんかじゃないっ。僕たちには最初から逃げ道が用意されていたっ、でも決してアレは使わなかった! むしろ愚かな人類からこの星と彼ら自身をも守り続けてきた! 僕は……僕たちは、この醜くも美しい世界と、そこに生きる愚かな人々を愛してるんだ」


 そう、愛している。

 それだけはゼフィラを含む全ての同胞が抱く共通の想いだ。

 でなければ、とうの昔に世界を滅ぼし、この苦しみから解放されていた。


「ゼフィラ、君なら分かってくれるはずだ。君の言うとおり、終着点もなく歩き続ける僕たちには終わりなき道程が必要で、それこそが僕たちの運命なんだ」

「人々を愛しておると宣っておきながら、彼らを家畜の如く統制し、飼い慣らすと抜かすか?」

「その表現は悪意がありすぎる。僕たちが彼らを正しく導き、世を調整してあげるんだよ。一頭の羊が群を断崖へ追いやることがあるように、人もまた同じ性質を持つ生き物だ。だからこそ彼らが破滅への道を歩まないように、僕たちが陰ながら保護してあげるんだ」


 ゼフィラは悟った。

 同胞たちは確かに今も尚、この醜くも美しい世界とそこに生きる愚かな人々を愛している。それこそが人間性の証明であり、罪悪感の発露であり、自分たちもこの世界、引いては人類の一員なのだと思えるからこそ、その想いは揺るがない。

 しかし、同胞たちの愛は歪んでしまった。

 あまりに長い間、呪われた身で果てのない旅路を歩み続けてきたのだ。

 いつか誰かが狂い、それが伝播し、決定的な崩壊を招くだろうことは常々危惧していたことだが、こんな形で起こりうるなど想定外だった。


「頼むゼフィラ、理解して欲しい。そして一緒に兄さんを説得してくれ」


 彼の兄は同胞たちを束ね、導き、今の世を作り上げた男だ。

 奴ならば弟の計画に反対することは想像に易い。


「答える前に、一つ問う。リナリアはこの計画に賛同しておるのかの?」

「彼女は試作体……完全体の僕たちとは似て非なる、不完全な存在だ。自害したくともできない僕たちとは、価値観を共有できない」


 その返答で十分だった。

 ゼフィラは深く長い溜息を吐くと、諦念を滲ませた声で告げた。


「……妾も、今のお主らとは価値観を共有できぬ」

 

 そして彼女は同胞たちに背を向け、彼らの前から去って行った。




 ■   ■   ■




 同胞たちと袂を分かち、一千年以上が過ぎた。

 正確な年月は不明だ。

 彼女は歳月を数えることを止めて久しい。


「相当の使い手と見ました。突然ですけど、自分と決闘してくれませんか」


 終わりのない放浪の最中、ゼフィラは様々な人々と出会ってきた。

 フォリエ大陸にて遭遇した少年も、そのうちの一人だ。


「ほう、これはまた可笑しな小童だ。妾のようなか弱く可憐な女子おなごにいきなり決闘を申し込むなど、お主頭は大丈夫かの?」

「貴女は強い。自分には分かります。それに刀を背負っている以上、自分は貴女を女の子ではなく剣士と見なしています」


 少年の齢は十代半ばほどだろうか。

 それなりに整った相貌、柔和な微笑み、中肉中背の身体、腰には一振りの剣。

 一見すれば、どこにでもいそうな少年猟兵といったところだが、しかしゼフィラは直感していた。

 この少年は尋常の範疇にない、と。


「良かろう、退屈凌ぎに受けてやる」

「そうですか、ありがとうございます。あぁ、名乗り忘れてましたけど、自分は――」

「妾を唸らせられれば聞いてやろう!」


 ゼフィラは抜刀し、先制して斬り掛かった。

 しかし、それは殺す気のない様子見故の行動だ。

 実力など一太刀で図れる。

 凡人であれば殺さず立ち去り、そうでなければ……。


「……ほう、良い胆力だ」


 これでもかと殺気を放ち、常人ならば怯懦に立ち竦み、失神するほどの威迫で白銀の刃を振るった。だが少年は先ほどとまでと全く変わらぬ様子で泰然と佇立し、喉元の銀光など一顧だにせず、ゼフィラの瞳を見つめる。


「自分はカイルです。貴女の名前を聞かせてもらってもいいですか?」

「妾に勝ったら教えてやろう」


 ゼフィラは刃を下ろし、距離をとって構えた。

 すると少年カイルも抜剣しながら、しかし小首を傾げてみせる。


「これは決闘ですから、僕は貴女を殺しますけど?」

「良いぞ、殺せるものならば殺してみるが良い。無論、今度は妾もお主を殺す気で斬る故、退くならば今のうちだぞ」

「そうですか、では始めましょう」


 そしてゼフィラは少年と刃を交えた。

 その技量は長い時を生きるゼフィラをして吃驚するほど冠絶していた。

 しかし如何せん、仕手に反して得物は凡庸だった。世間では十分に業物とされる代物だろうが、ゼフィラの愛刀とは比較にならなかった。

 敵の刀身が半ばから折れたところで、彼女は一旦距離を置き、構えを解いた。


「……貴女のその刀、なんですか? 刃毀れしても瞬きのうちに元通りになるなんて、普通じゃありません」

「再煌刀《雪華》、お主も耳にしたことくらいはあろう」

「まさか、それがあの《七剣刃》の一振りだなんて――って、なんの真似ですか?」


 仕手に放り投げられ、自身の足下に突き刺さった太刀を、カイルは訝しげに見つめた。冴え冴えと月光に煌めく白銀の刀身はゼフィラの髪と同様、妖美な輝きを秘めている。


「貸してやろう」

「ですが、それでは貴女の得物がなくなります」

「なんだお主、鬼人のことは知らぬのか?」


 ゼフィラは掌を開き、ひとりでに皮膚を突き破って溢れ出た鮮血で刃を形成した。刃渡りはちょうど《雪華》と同程度だ。


「……生憎と、貴女が鬼人であったこと以前に、そんなことができるだなんて知らなかったので。しかしどうやら、自分の目に狂いはなかったようですね」


 カイルは微笑みを深くして、太刀の柄に手を掛けた。

 そして調子を確かめるように軽く一閃すると、我流と思しき構えを見せる。


「では、いきます」

「来るが良い、妾を楽しませてみせよ」


 突然の決闘は熾烈を極めた。

 ゼフィラは無聊を慰めるため、あらゆる武術や学問を修めており、無論のこと剣技とて卓越している。僅か十数年しか生きていない少年など、本来は冗談抜きに指先だけでいなせる。

 だが、カイルという少年は常軌を逸していた。


「ここまで強い人は初めてです」

「……やるの、お主」


 斬り合いながら、互いに笑みを交わし合う。

 思わず本気を出しかけてしまうほど、胸躍る戦いだった。

 しかし、これは人と人とが行う決闘であり、人外の異能は無粋に過ぎる。

 得物を形成する以上の行使はこの戦いを退屈なものに貶めてしまうだろう。

 

「やはり、鬼人が不死であるという噂は本当だったんですね」


 少年は僅かに双眸を見開いて、感心したように呟いている。

 ゼフィラは意に反して再生した頭をぐるりと回し、久々の感覚に吐き気を覚えていた。


「まさか妾の首を斬り飛ばすとはの……フフッ、良いぞお主、これほどの剣士は久々だ」

「名前、聞かせてもらえますか?」

「妾はゼフィラという」


 答えながらも、ゼフィラはある種の満足感を味わっていた。

 類い希な才能というものは実に良い輝きを放ち、停滞した時間を彩ってくれる。


「ではゼフィラさん、この場合、決着はどうすべきでしょうか? 鬼人はどうやっても殺せないんですか?」

「ま、妾等を殺す方法はないでもないが……良い、お主の勝利だ。妾が只人ならば決着であろう」

「いえ、その殺す方法を教えてください。これは決闘ですから、殺さないと終われません」


 少年は涼しげな微笑みを湛えながらも壮烈な殺気を纏っている。

 対するゼフィラは口元に昏い笑みを浮かべ、双月の煌めく夜天を指差した。


「妾を殺したくば、まずは神を殺すのだ」

「神? 聖神とか邪神のことですか?」

「あるいは、人類の半分と竜種を鏖殺することだの」


 その言葉をどう受け取ったのか、カイルは悩ましげに眉根を寄せた。


「うーん……神様は殺せそうにないですし、人類の半分と竜は時間が足りなさそうですね。なんだか釈然としませんけど、今回は仕方ないですね」


 全身に刻まれた無数の小さな切傷から血を流しつつも、少年は小難しい顔で首肯する。そしてゼフィラに歩み寄り、手にしていた刀を差し出すが……。


「戦利品だ、お主にくれてやる。その技量に見合う得物など、それ以外にあるまい」

「あ、いいんですか? 実はいいなと思ってたんです、この刀。くれるというのであれば、遠慮無く貰っておきますね」


 少年は年相応に喜々とした素振りで地面に転がっていた鞘を拾い、納刀している。

 そんな彼にゼフィラは「ただし」と告げた。


「幾つか問いに答えよ」

「なんですか?」

「なぜ、決闘など申し込んできた? これまでにも妾以外と死合ってきたのであろう」


 返答次第では付きまとうつもりでいた。

 類い希な剣才、命を賭して戦い続ける強靱な意志、加えて自身と同じく放浪の身と見える。

 人として最も大切なものが欠けているゼフィラにとって、二番目に大切なものを頼りに我が道を突き進む者の姿は眩しく、美しく、輝いて見える。

 側で見ていて退屈しない類いの人種だ。

 実際、これまでも同種の老若男女を観察してきた。


「なぜって、そんなの決まってるじゃないですか」


 少年は至極当然のことのように、平然と答えた。


「僕は強い人と戦いたいんです」

「なぜ、戦いたいのだ?」

「強い人を殺すためです」


 ゼフィラは眉をひそめた。

 想定していた答えと微妙に違ったことは面白味があって良いが、些か不可解だった。


「なぜ、強者を屠りたいのだ?」

「なぜって、だってこの世は弱肉強食ですからね。強い人はより強い人に殺されるべきなんです」

「……それで、決闘なのか?」

「そうですよ、決闘じゃないと卑怯ですからね」


 一切の逡巡なく頷く少年の在り方に、彼女は興味をそそられた。

 そして同時に、興醒めした。


 カイルは過去に起こった何らかの出来事により、現在の思考に至ったはずだ。

 その過去には興味がある。

 しかし、彼の辿り着く場所やその道程には興味が湧かない。

 なにせ彼は既にある意味悟っており、狂っているが故に、真っ直ぐだ。おそらくカイルは何ら迷わず、躊躇わず、顧みることなく、この先も強者を屠り続けていくだろう。

 それでは面白味が激減する。


「では、この先も決闘を続けてゆくのかの?」

「もちろんです」 

「そうか……うむ、分かった。此度の決闘、なかなかに楽しかったぞ小童」

「そうですか、それは良かったですね。自分は貴女を殺せなくて残念ですけど、不老不死な鬼人なら仕方ないですよね」


 爽やかに笑いながら言って、カイルは軽く頭を下げた。


「では、自分はこれで。刀、ありがとうございました」

「うむ、大事に扱うのだぞ。なかごの核が破損すれば、使いものにならなくなるのでな」 

「覚えておきます」


 カイルはあっさりと去って行った。

 一度も振り返ることなく、夜闇の向こうへと消えていく。

 ゼフィラはその背を見送りながら、溜息を零した。


「ふむ……愛刀の分くらいは楽しめたか。百年ほど経った頃、《雪華》を探しに動くのも一興そうだしの」


 夜空の下で一人呟き、彼女は気まぐれに天を仰いだ。

 今日も変わらず忌々しい輝きが眩く存在を主張し、懸命に輝く星々の光を圧している。

 

「…………行くか」


 ゼフィラは気怠い諦念を覚えながら、あてのない放浪を再開した。

 

 それから、数年後。

 彼女はジークハルトという面白味のある青年と出会い、付きまとい始めた。




 ■   ■   ■




「ゼフィラ、力を貸せ。お前はどこに何人いるかとか、そういうの分かるんだろ?」

「フフ、妾の助力を求めるのならば、相応の代価が必要だぞ」

「だったら、お前が知りたがってた俺の昔話をしてやる。それでいいだろ、とにかく協力してくれ」


 ネイテ大陸、リーンカルン王国の首都アイルアイド。

 交換条件として、ゼフィラはジークハルトの過去を知り得た。

 そして、確信した。

 彼はカイルと違い、観察する価値があると。


「魔女奴隷……思った以上に酷すぎる……こんなの奴隷ですらない、もうただの道具じゃないか」


 先日助け出し、ルティカと名付けた幼子が眠りに就いた後、青年は舌打ちを零していた。

 そんな彼に、ゼフィラは微笑みながら声を掛ける。


「何を未だに憤っておる、ジークハルト」

「……話には聞いていたし、実際に目にして、戦いもした。だが、洗脳した魔女に無理矢理孕ませ、産ませ、その子供に無感情を強いて殺すだの何だの平然と口にさせてるんだぞっ、これが人のすることか!?」


 無論、ゼフィラとしても魔女奴隷という存在は不愉快極まる。

 ジークハルトに助力したのも、ただ交換条件のために渋々行ったわけではない。

 《黄昏の調べ》という組織、引いてはかつての同胞たちによる統制があるからこそ、魔女という特別な存在が公然と虐げられずに済んでいる。それは承知しているし、ゼフィラはなるべく世の情勢に干渉しないようにしてもいる。

 しかし、外道を葬ることに躊躇いはないし、社会の裏で魔女が虐げられている事実には思うところもある。

 人を戦いの道具として扱うことに関しては、尚更だ。


「では……世間でいうところの聖神アーレはどうなのだ?」


 故に、この醜く管理された世界で生きる無垢な子羊に、かつての非道の是非を問い質さずにはいられなかった。


「曰く、彼の神は邪神が生み出した眷属共に対抗せんがため、人間以外の七種族を創造した。つまり彼らは元来、戦争のための兵器として生み出されたことになろう?」

「は? お前なに言ってんだ。それとこれとは話が別だろ」

「いいや、違わぬ、本質は全く同じことだ。それで、どうなのだジークハルトよ。魔女を道具として利用する《黄昏の調べ》の所業は悪と断じ、一方で人を兵器として創造した神の所業は善と敬うのかの?」


 ジークハルトは虚を突かれたように言葉に詰まっていた。

 しかし、ややもしないうちに、しかめ面で口を開く。


「それはお前……確かに、聖神アーレは魔物と戦わせるために、七種族を創造した。だが、聖神は世界と人類のためにそうしたんだろ?」

「そういうことになっておるの」

「昔は邪神との戦いで、聖神から道具のように使われていたのかもしれないが、彼らの子孫は自由に生きてきた。命を生み出したことそれ自体は素晴らしいことのはずだ。お前だって、聖神に生み出されていなかったら、こうして生きてはいないだろ」


 エイモル教の思想に影響されてはいたが、概ね同意できる意見ではあった。

 しかし彼は知らないのだ。

 生命を与えられた者たちがいる中に、生命を貶められた者たちが混じっている事実に。


「ま、お主の意見は分かった、概ね予想通りだの。しかしジークハルトよ、ならばなぜ、いつまでも憤っておるのだ」

「なに……?」

「命を生み出したことそれ自体は素晴らしいことなのであろう? まだこの小娘は五つの幼子、人生などこれからであろうに。憤るより、この時点で救い出せた幸運を喜び、生きていることを祝福してやるべきではないのかの」

「…………お前」

 

 意外そうな眼差しで見つめられるが、ゼフィラは目を閉じて腕を組み、取り合わない。

 ただ本心を口にしただけとはいえ、その言葉に嫉妬混じりの羨望が混じっていないといえば嘘になるからだ。


「まあ、そうだな、憤っていても仕方がない。無理矢理に考えれば、連中がいなければルティは生まれてこなかったんだ。過去のことより、未来のことを考えてやった方がこの子のためか」

「それも良いが、この小娘にうつつを抜かしすぎるでないぞ」


 ジークハルトの過去を聞いたことで、ゼフィラは一層彼を気に入っていた。

 側で見ていれば、きっと楽しませてくれる。

 過去を清算するため、罪悪感に苦しみ、迷い、悩みながらも、己が意志で道を切り開き進んで行く。その点、カイルは真っ直ぐすぎた。何も顧みることなく、悩み苦しむこともなく、ただ狂気じみた情念により、迷いなく一心に突き進む。

 そんな天才の姿も一興ではあるが、やはり面白味に欠ける。

 人並みに懊悩しながら、苦労しながら、絶望に抗わんと奮起する凡百の輩にこそ、魅せられる。

 なぜなら、それこそが人という存在の愛すべき強さだからだ。


 しかし、ゼフィラの期待に反して、ジークハルトは徐々にうつつを抜かしていくことになる……。

 



 ■   ■   ■




 ザオク大陸を訪れ、しばらく。

 その日もゼフィラは宿で暇を持てあましていた。


 近頃のジークハルトは己が目的より、ルティカを優先している。

 優先しているだけで目的のために動いてはいるようだが、以前に比べれば幾分も落ち着いてしまっている。路銀の都合もあって、朝食後はルティカと共に魔物狩りへ出かけてしまったので、ゼフィラはすこぶる退屈だった。


「ふむ……寝るか」


 鎧戸を開け、不快な日光を敢えて浴びることで眠気を促し、ベッドに入る。

 それから、しばらく経った頃。

 浅い眠りに就いていたゼフィラは思わず目を覚ました。


「なんだ、この馬鹿でかい反応は……しかもこちらへ近付いてくるか。フフ、良いぞ、退屈凌ぎに面を拝んでやろうかの」


 ベッドを抜け出し、念のため気配を消して、階下に下りてみる。

 すると、魔人由来の眼が非凡な才を有した幼子を捉えた。

 接触して話を聞いてみると、ジークハルトを探しているらしいことが判明した。


「その前に少し訊きたいんですけど、ゼフィラさんって鬼人族の方ですよね?」


 昔は未だしも、現代において鬼人という存在は曖昧模糊とした認識しかされていない。きちんと歴史にも登場するし、実在はするが、その実態は謎。それが常識となるよう、彼らが長い年月を掛けて世の情報を統制したからだ。


「えっと、気を悪くしないで欲しいんですけど……祖母によると、鬼人は特別な眼を持っていて、才能のある人を見極めて攫い、洗脳教育を施すとかなんとか……」

「なるほどの、そういうことか。訊くがその祖母とやら、もしやイクライプス教国に縁のある者かの?」

「え? そうですけど……どうしてそれを?」

「いやなに、ちょっとした確認だ」


 かつての同胞たちは世を統べ続けることで、苦しみから目を背ける道を選んだ。

 しかし、未だに希望は捨て切れていないようだった。


「あの、祖母の話は本当なのでしょうか?」

「ん? そうだの……まあ強ち間違ってはおらぬな」

「…………」

「フフ、なんだお主ら、そのような顔をするでない。間違ってはおらぬが、全ての鬼人が攫うだのなんだのをするわけではない。少なくとも、このような場末の酒場に出入りする鬼人はせぬことだ、安心するが良い」


 ゼフィラは希望など遙か昔に捨て去っている。

 何をどうしようと、おそらく過去は不変なのだ。

 だからレオンという少年をどうこうする気など毛頭なく、単に異才それ自体に興味が湧いただけだった。


「……ば、かな……これは完全に、女子の……あり得ぬ……どういうことだ……」


 しかしその後、ゼフィラは心底から驚愕し、思わず身震いした。

 レオン改めローズという不可解すぎる何者か。

 奴は女であって女でないが故に、この星を覆う呪霊機構の影響は受けない。

 あの最低最悪の大戦において名を馳せた魔女、それを連想させる魔法適性と容姿、そして未だに希望を諦め切れていないかつての同胞たち。

 あるいは、もしかすると……と一瞬でも馬鹿げた夢想を展開したゼフィラだが、すぐに思い直した。

 どう考えても、あり得ない。 

 そもそも時空という概念が不透明である以上、全ては願望混じりの妄想だ。

 なんだかんだで自分も希望を捨て切れていない無様を自覚し、ゼフィラはそれを誤魔化す意味でも盛大に笑った。


「ク、ククク……ハハハハハハハハハッ、面白い、面白いぞお主!」


 ただ、ローズには並々ならぬ興味が湧いた。

 器と中身の性が一致しない者など、前代未聞なのだ。

 魔法力も常軌を逸しており、常人にはない面白味を秘めている。

 が、それは能力面の話であって、意志薄弱そうな八方美人めいた人格にはそそられるものがなかった。


「どうして、皇女様は殺されたんですか? 皇女様は魔女だったって聞きましたけど、それだけじゃないですよね?」


 その後の夕食の席にて交わされる会話には興味がなかった。

 立ち食いさせられる不満を抱きながらも、たまには立ち食いも新鮮で良いかという相反する心地で、人らしい食事の場を楽しんでいた。


「……『まさか奴ら、神にでもなるつもりなの』、とね。殿下と同じく聖神に祝福された存在として、ローズちゃんは何か心当たりはないかな?」


 しかし、ジークハルトの言葉に思わず手が止まってしまった。

 管理し統制された世情になど、ゼフィラの関心は全く刺激されない。

 それでも、以前ジークハルトから聞いた皇女の話と、ここ数年勝手に耳に入ってきたオールディア帝国の情勢を鑑みれば、彼の発言は無視できなかった。


「どうしたゼフィラ、まさかお前、何か心当たりでもあるのか?」

「いや……さて、どうかの。生憎と妾は神など信じておらぬのでな。ところでジークハルトよ、お主の話は以前聞いたが、そのようなことは初耳だぞ。なぜ黙っておった」


 ジークハルトたちには適当に応じながら、ゼフィラは思索していた。

 世の安定を考え、二度と過去の大戦の如き災禍を引き起こさないため、かつての同胞たちは文明の発達すら管理している。以前は優に二百種を越えた言語を各地域ごとに再編し統一することで言葉により無意識を統制し、適度に紛争を起こすことで戦意や不満を発散させ、奴隷制を是認することで民主主義の台頭を防止し、そうして敢えて文明を未発達な状態にし続けることで世の均衡を保っている。

 にもかかわらず、帝国が魔弓杖まきゅうじょうという大戦期の兵器の再現を許している現実は些か不可解に思っていた。


「あのときはそこまで詳しく説明してやる気がなかったんだよ。というかお前、本当に何か知らないのか? 少しでも思い当たることがあれば教えてくれ」

「ふむ、そうだの……」


 魔弓杖を想起したせいか、かつての大戦で使用された数々の魔導兵器をも連想してしまう。そして酒杯の水面に映る己もその一種である現実を久々に再認識してしまい、思わず口元が歪んでしまった。


「もう随分と昔に、神になろうとした男がおったの。いや、本人になる気があったのかは知らぬが、実際そやつは神の如き男だった。今も昔も、奴は神に最も近い男だと、妾とて認めざるを得ぬ」

「それで、そいつが何なんだ?」 

「フフ……いやなに、つまりの、人の身であっても神にはなり得るのだ。そして神と呼ばれるものの条件とは、人智を超越した絶対的な力にある」 


 有史五千年の歴史において、他に類を見ない二大国による大戦争。それは生体兵器と魔導兵器の戦いでもあり、故にこそ当時は生命の尊厳が踏みにじられるほどの正真正銘の狂気によって、人類の人間性が犯され、竜種とてその影響を免れず、妖精族に至っては死滅し、世界は今も尚犯され続けている。

 ゼフィラにとって、絶対的な力とは神であり、神とはすなわち狂気だった。


「……要は、その人智を超越した絶対的な力の存在に、殿下は気が付いたってことか? そしてそれを奴らとやらに感付かれて、消されたと?」


 ゼフィラはジークハルトのその問いには答えなかった。

 いや、答えられなかったというのが正しい。

 もし仮に、かつての同胞たちがオールディア帝国を御しきれていない場合、話を聞いた限りでは大事に発展しかねない。が、彼らの手駒は精強であり、宗教という絶大な影響力を有している以上、万が一が起こり得るとは考えにくい。

 そもそも、ゼフィラは世の中がどうなろうと知ったことではなく、人類が自らの選択の末に滅ぶのならば仕方がないと、今では思っている。

 でなければ、一人気儘に放浪などしていない。


「フフフッ、こやつなかなかいける口だの。少々喧しいが、素面の真面目くさった態度よりは幾分も面白い。ジークハルトよ、下でもっと酒を注文してくるのだ」


 ジークハルトとルティカを供としていた日々に、新たに四人が加わり、少々騒がしくなった。しかし退屈であることに変わりはなく、穏和な雰囲気で流れる時間には倦怠感を伴う辛苦を覚えた。

 ただ平々凡々と生き続けるだけの日々は真綿で首を絞められているようで、いつか狂ってしまわないかという不安感を抱かせる。

 その点、かつての同胞たちは日々に満足しているのだろう。

 終わりなき人生を終わりなき使命に費やし、自分たちにしか為し得ぬという選民意識を伴う優越感は生き甲斐にすらなり得るはずだ。

 彼らのやり方は否定すべきものだという思いこそ不変だが、一方でその在り様を羨んでいる己が浅ましく、惨めで、情けなかった。


「ほう、これはまた珍しいの」


 ある日、魔人が現れたことで、幾分か胸が躍った。

 これで退屈くるしみが紛れると思うと笑みが零れる。


「おい小童、こやつお主の知り合いか?」

「え、えぇ、まあ」

「なぜそれをもっと早く教えぬのだ、戯けが。魔人というだけでも珍しいというに、これほど若い小娘と相対するなど……ふむ、いつ以来かの、大戦期以来か」


 魔人族とは良い思い出があまりない。

 獣人だろうと翼人だろうと、大戦期においては全ての亜人種と敵対し殺し合ったが、魔人たちは大戦末期にカプナス島に引き籠もってしまったのだ。故に、出会った者の大半は戦場で敵として殺したばかりで、他の亜人種のように大戦期以降は友好関係をほとんど築けていなかった。長い時の中で外の世界へと抜け出してきた幾人かとは交流があったが、せいぜい数えるほどだ。そのうちの一人とは深く親交があったが、とうの昔に他界している。

 しかし、その今は亡き旧友のもたらした魔人族の内情を思い出し、ゼフィラは内心で動揺した。


「して小娘よ、そこの小童に何用かの?」

「……貴様、どこまで知っている」

「問いを投げたのは妾の方だ、答えよ小娘」


 せいぜい三十余年程度しか生きていないだろう赤子同然の少女に、ゼフィラは問い質さねばならなかった。

 以前の馬鹿げた夢想が本当に願望混じりの妄想なのか否か、確かめたかった。

 魔人族は《黎明の魔女》と《閃空姫》を信奉し、外界の呪いが解ける日を夢見ていると聞いた。詳細は不明だが、ローズという特異な者に接触している事実は決して無視できなかった。


「それ以上近づくな、鬼人」

「なんだ、何をそんな警戒しておる。妾にはお主と争う理由などないのだが」


 相手の様子は些か不可解だった。

 無論、魔人族からすれば鬼人という存在は、自分たちを苦しめる呪いがもたらす恩恵により生きながらえている、寄生虫同然の忌々しい存在に映るだろう。

 しかし、両種族は差異や確執こそあれど、根底に抱く願いから共存できるはずだ。

 やはり全くの見当違いか、しかしいずれにせよゼフィラは一つ合点がいった。


「ほう、読めたぞ小娘。お主が小童のいう神か」

「…………」 

「小童にキングブルを十頭狩れなどと訳の分からぬことを吹き込んだかと思えば、今度は急ぎ帰れと宣うか。目的は何だ、なぜその小童にちょっかいを出す」


 情報が少なすぎて、意味のある推測を行えない。現段階ではどうとでも考えられるため、魔人の少女から詳細を聞き出す必要があった。

 だが、アインという小娘はローズへと一方的に不明瞭なことを告げ、一人勝手に去ろうとした。その振る舞いは、かつて共に同胞たちと袂を分かち、もはや探す気すら失せている男の記憶を想起させ、ゼフィラは無性に腹が立った。


「ふん、ようやく納得したか。余計な手間を掛けさせおって」


 逃げ場はないと釘を刺し、どうにか留まらせた。

 しかし、ゼフィラは慢心していた。


「では話は部屋でするぞ、朝日が鬱陶しくてかなわん。妾は先に戻っておる故、小童と共に来るのだぞ。あぁ、言うまでもないことだが、この後に及んで逃げようだなどとは考えるな。妾の識域内であることを忘れるでないぞ、小娘」

 

 不老不死の鬼人として在り続けているが故に、あらゆる事物に対して執着心や必死さを抱くことがないのだ。

 その常態が、怠惰極まる痛恨の油断を生んだ。

 廊下を歩き、部屋の前まで来たところで、魔動感が反応する。

 未だに感じ慣れていない類いの、しかし紛れもない魔力波動に突き動かされ、浴場まで舞い戻るが……。


「いざ其の威を以て頑冥たる窮理を歪め、今此処に瞬転の法を示せ――〈瞬転リィロ〉」

「――えぇいクソッ!」


 思わず盛大に悪態を吐いてしまうほどの失態だった。

 興味深い話を聞けるだろうと浮かれていたところに、これだ。

 ゼフィラは魔人の少女に対しても、未だ性別を計りかねている子供に対しても、大した憤りは感じなかった。

 ただ自らの愚かさを恥じた。


 この後、ローズがアインから告げられた言葉通り、急ぎ自宅へ戻ると言った。

 無論、ゼフィラは後を追う気だった。

 魔人がローズに告げた言葉が気掛かりでもあったし、何より付きまとっていれば再びあの魔人に接触できると思ったのだ。

 転移盤の件を考慮し、ゼフィラはローズに気取られないよう見送り、ベッドに入って思索し始めた。その矢先、ジークハルトが現れたので、適当に告げておいた。


「美酒だ」

「…………分かった」


 この何気ない遣り取りで、ゼフィラは不意に気が付いた。

 互いの思考を察し合える程度には、ジークハルトと時間を共にしている。

 しかし、最近の彼は腑抜けてきた。

 ルティカとの出会いに次いで、イヴリーナという女と再会したことが、それに拍車を掛けている。


「ま、そうだの……あやつも面白いといえば面白いが、お主の方も捨てがたい。しかしジークハルトよ、お主がこのまま腐っていくのであれば、あの小童の観察に移っても良いな」

「……俺が、腐るだと?」


 意志の揺らぐ様は、それはそれで観察していて楽しめる。

 だが、やはりジークハルトには迷いながらも己が意志を貫いて欲しかった。

 そう思える程度には彼を憎からず思っていた。


「フフ、お主とて薄々自覚はしておろう。妾はの、ただ異質な才を秘めた強者より、凡夫だろうと邁進する弱者にこそ魅せられる。故にジークハルトよ、頼むから、このまま腐ってくれるでないぞ」


 この言葉がジークハルトの意志にどう影響したのか。

 後のゼフィラは少しだけ考えることになるが、結局それ以上の無粋は自重することになる。


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