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幼女転生  作者: デブリ
七章・黄昏編
155/203

第百四話 『決意の朝に』


 金髪イケメンのクソ野郎が黒炎で焼かれ、白骨と化す。

 それを最後まで油断なく見届けた後、俺は大きく深呼吸をした。

 広間にいた敵が全て片付いたことにより、幾ばくか冷静になれたのだ。

 未だに腹の底で燃え盛っている怒火をなんとか鎮め、ユーハのもとへ歩み寄る。


「ユーハさん、敵の気配はありますか?」

「否、気配は感じぬ。ジークハルト殿の方も……戦いは終わったようである。だが、依然として油断はできぬ」


 蒼刃片手に険しい顔で応じる眼帯のオッサンに、俺は特級治癒魔法を行使した。

 目に見える怪我はほぼ皆無とはいえ、先ほどユーハは目眩ましの〈大閃光イャ・バオー〉を喰らっていた。

 とりあえずこれで、ユーハは万全の状態に戻っただろう。


「ひとまず、ラヴルの転移盤へ移動しましょう」

「うむ、ここよりは安全であろうな」 


 俺とユーハは同じ一階ホールにいるみんなのもとへ駆け寄る。

 ちょうどベルが全裸のクレアに上着を被せてあげているところだった。

 そういえば俺の服もぼろぼろで、ほぼ半裸状態だが……。

 今はそんなことを気にしている場合ではない。


「ローズ……おばあちゃんが、おばあちゃん……」


 未だに力なく横たわるリーゼの視線を追うと、そこには婆さんの遺体が床に転がっていた。

 見るも無惨な姿だ。

 哀しみに心が挫けそうになると同時に、際限のない怒りが込み上げてくるが、とにかく今は我慢だ。

 俺はみんなの怪我の有無を確認しつつ、念のため全員に特級治癒と解毒を行使しておいた。その傍らでは、ユーハがみんなの手足に填められた枷を斬っていく。


「ベルさん、先ほど翼人の魔法士を一人逃がしました。他にも潜んでいる敵がいるかもしれませんし、ここにいるのは危険です。向こうにジークさんたちがいるはずですから、呼んできてくれませんか」

「……分かったわ」


 ベルのオカマフェイスはいつになく険しく、シュールさなど微塵も感じられない。彼は俺の言葉に頷きを返すと、談話室の方へ走り去っていく。


「ローズ……」

「みんな……大丈夫、ですか?」


 クレアに呼び掛けられて、俺はぎこちなく応じた。

 どう声を掛けていいのか、分からなかったのだ。

 クレアもセイディもリーゼも、きちんと意識はあるし、生きている。気絶している様子のメルも、その傍らに横たわる銀色の幼竜も、命に別状があるようには見えない。サラは先ほど奴らに気絶させられたが、特級治癒魔法は掛けてあるし、呼吸も安定しているので問題はないだろう。


「私たちは……大丈夫よ。でも、ローズ……あなた、手が……」


 クレアが黒い瞳を涙に濡らし、声を震わせ、見つめてくる。

 俺は彼女の側で片膝を突き、その手を握ってやった。

 生憎と右手は肘の辺りから斬られて向こうに転がっているので、左手でしか握ってやれない。


「ローズ、ウェインも無事である。意識はないようだが、この分ならば大丈夫であろう。ただ念のため、治癒魔法を掛けてやってくれぬか」 


 ユーハが離れたところに横たわっていたウェインを抱きかかえて連れてきた。メルやサラと同様に気絶しているようで、頬が少し切れている以外に外傷は見当たらない。

 俺は治癒と解毒の魔法を行使しつつも、顔はみんなに向けていた。


「アシュリンは、どこですか……?」


 と訊ねてから、遅まきながらに気が付いた。

 おそらくクソ野郎共はみんなの寝室に奇襲を掛け、眠っているところに無属性特級魔法〈霊衝圧ルゥソ・クイン〉を行使し、魔力と身体の自由を奪ってからこの場に集めたのだ。

 部屋に巨大な魔物がいれば、その場で即座に殺すだろう。


「アシュリン……わかんない、たぶん外……」

「外?」

「いつも、夜は一人で、狩りに行くから……うぅ、アシュリン……」 


 一旦状況が落ち着いたせいか、リーゼは顔を歪めて、双眸から涙を零し始める。

 セイディが床を這うようにして近づき、リーゼを抱きしめていた。


「ではアシュリンもとりあえず無事なんですね……でも、まずはみんなでここから離れないと」


 あいつのことも心配ではあるが、みんなの身の安全に比べれば優先度は下だ。

 アシュリンがいつ館に戻ってくるにせよ、魔動感を有する翼人の無詠唱魔法士を殺し損ねたという事実は無視できない。奴がいつ万全の状態でこの場に舞い戻ってくるか不明な以上、まずは避難する他ない。

 と思っていると、不意にホールに声が響いた。


「なんだ小童、殲滅しただろうに、なぜこの場を離れる?」

「――っ!?」


 ユーハが驚いたように振り返った。

 俺も背後に目を向けると、玄関扉から悠々とした足取りで銀髪美少女が歩み寄ってくる。


「ゼフィラ殿……いつの間に」

「フフ、さて、いつだろうの」


 どこか上機嫌に艶然と微笑む様はこの場に酷く不釣り合いで、妙に神経を逆撫でされる。

 だが、今はあの鬼ババアの存在が有り難い。


「ゼフィラさん、周辺には私たち以外、もう誰もいないんですね?」

「そうなるの」

「屋内にも屋外にも、敵はいませんか?」


 俺の問いに答えぬまま、ゼフィラは白骨体の側に落ちていた魔剣を拾い上げた。

 エネアスは〈断罪火アピス・ニグ〉を喰らった際、《聖魔遺物》の魔剣を手にしていたが、そちらには延焼していなかった。

 それはみんなに内緒で行っていた秘密特訓の実験で既に判明していたことなので、不思議はない。通常の魔剣は刀身どころか柄まで黒炎に包まれるが、《聖魔遺物》の魔剣に〈断罪火アピス・ニグ〉は無反応なのだ。

 

「ふむ、魔剣はあまり好まぬのだが……まあ良い、《雪華》の代わりが欲しかったところだ」

「ゼフィラさんっ!」


 この状況でマイペースな素振りを見せる鬼人に苛つき、俺は思わず声を荒げた。

 すると彼女は出しっ放しだった黄金色の刀身を収め、俺に紅い瞳を向けてくる。


「この魔剣、お主らの戦利品であろうが、妾が貰っても構わぬならば教えてやろう。まあ、元はといえば妾らの装備なのだがの……」

「なんでもいいですから教えてください!」

「そうだの……この場にいる者らと、向こうにいる四人以外、既に反応はない」


 その言葉を聞いて、俺は胸を撫で下ろした。

 とりあえずジークもルティもイヴも無事らしい。婆さんは……奴らに殺されてしまったが、クレアたちは無事だし、ひとまずは安心できる。

 しかし、未だに俺の怒りは収まっていない。

 既に俺は十数人を屠ったが、こんなもんで収まりがつくはずもない。

 みんなに暴虐を尽くし、涙を流させた罪は贖ってもらう。


「アルセリアさん…………ユーハさん、ヘルミーネさんの家へ行ってみましょう」

「ローズはここで待っておった方が良い。未だ魔法は同時に使えぬのであろう?」

「大丈夫です、今の状態でも敵は瞬殺できます」


 本当はあまり大丈夫ではない。

 あの翼人野郎のせいで、まだ魔動感は麻痺ってるし、同時行使だってできない。

 だが、いま動かなければ、敵を取り逃がすかもしれない。今回の一件に関わった奴らはとりあえず殺し、一人は生け捕りにして尋問した後、殺す。


「ゼフィラさん、誰かが館の外から近付いてきたら、みんなに教えてください」

「ほう、妾に助力を乞うか。だがな小童、妾は自身が状況に介入することをあまり良しとしておらぬのだ」

「それは今この状況を分かって言ってるんですか」

「フフ、そう殺気立つでない。しかし……良いな、お主良い目をするようになった。特別に、お主が自身のことを語って聞かせるというのであれば、引き受けてやらんでもない」

 

 妖しい輝きを湛える紅い瞳が真っ直ぐに俺を捉え、彼女は興味深げに笑っている。正直、無性に腹が立ったが、今はゼフィラの力を借りた方が良い状況だ。

 俺が即座に首肯を返すと、銀髪美少女は傲然と「では力を貸してやろう」と宣った。ちょうどそのとき、壊れた談話室の扉から、四人の人影が現れた。

 が、俺は思わず眉根を寄せた。


「……ん?」


 マッチョのオカマ、茶髪に黒瞳の幼女、深緑の翼人美女は良い。

 だが、隻腕の青年の代わりに、メイド服姿の見知らぬ美女がいた。

 更にどういう訳か、四人の顔色は暗澹としている。

 ルティはイヴに抱っこされながら嗚咽混じりに大泣きしており、美女二人も涙の痕跡が見られる。


「イヴ……そちらの方は? ジークさんは、どうしたんですか……?」

「…………」


 痛ましげに美貌を歪め、イヴは無言のまま俺たちの側まで歩み寄ってきて、立ち止まった。

 ルティとリーゼの泣き声が寂しくホールに響き渡っている以外、場が沈黙する。

 俺はジークの死を悟った。


「……イヴ、ベルさん、私とユーハさんは残りの敵の様子を見てきます。二人は彼女らをあちらの部屋に運んで、警戒し続けてもらっていいですか?」


 この場は敵の死体だらけで血生臭すぎる。

 それに婆さんの亡骸をいつまでもリーゼの目に触れさせておくのは良くない。

 今はひとまず食堂の方で落ち着いてもらうのが最善だ。


「はい……大丈夫、です」

「ローズちゃん、ユーハちゃん、気を付けてね」


 力なく応じる二人に頷き、俺はちらりとメイド服な美女を見た。

 優美な長髪は限りなく白に近い薄青色で、セイディの清涼としたエメラルドブルーヘアより更に淡い藍白色だ。瞳はアメジストさながらの紫で、整いすぎた目鼻立ちは凛然とした内面が窺い知れる造形を成している。

 年頃はイヴと同程度だろうか。白と紺のメイド服が良く似合っていて、しかしどうにも中身と服装が不釣り合いな感じもする。イヴ同様に悲しみに暮れる姿は絵になるほど美しい。


 俺は彼女を警戒しかけたが、イヴと一緒にいる以上は味方だろう。

 と思いつつ、床に落ちている自分の右腕から魔剣を拾い上げた。

 そしてみんなに声を掛けようとした矢先、メイドな彼女が悲哀の中から驚愕を覗かせ、呟きを零した。


「まさか……鬼人?」

「む? なんだ小娘、不躾に凝視してきおって」


 彼女の様子は気になったが、今は急いですべきことがある。


「クレア、これからヘルミーネさん家の様子を見てきます。すぐに戻ってきますから、待っていてください」

「ローズ……それはユーハさんに任せて、あなたはここにいて。もう十分よ、これ以上……危ないことはしないで……」

「私は大丈夫です。クレア、大好きです」


 気怠げに上体を起こしたクレアに、俺は抱きついた。

 彼女は先ほど巨漢の獣人に犯されかけていた。その光景を俺もリーゼもサラも目撃しており、彼女にとっては俺たちに見られたことも相当にショックだったはずだ。

 見る限り身体はどこも汚れていないので、最後の一線を超える前に助けられたことだけが唯一の救いだろう。


「ユーハさん、行きましょう」


 俺は引き留めようとするクレアの手を優しく振り払い、駆け出した。

 すぐに俺を追い越して先行するユーハと共に、地下の転移盤前へと移動する。


「まずは某が様子を見て参る」

「いえ、一緒に行きます。〈魔球壁フィス・アルア〉を張りながら転移すれば、危険も少ないはずです」


 俺はユーハの説得を振り切り、転移盤に乗って起動させた。

 ユーハは仕方なさげに俺の側に張り付いて、刀を手にしたまま転移する。


「これは……」


 黄金色の光が薄れ、最初に目に付いたのは血だった。

 転移盤の前に、アルセリア愛用の槍で胴体を串刺しにされた死体が石敷に転がっている。地上への魔動扉は開きっぱなしで、階段の上からは物々しい戦闘音と怒声が響いてくる。


「おい何やってんだっ、相手は女一人だぞ! さっさとぶっ殺せェ!」

「天なる慈雨を拒みし大地、其は飢え渇く獣が如し」

「無理に攻めるな馬鹿! 魔法士を守れっ!」

 

 ユーハと共に階段を上ってみると、十人ほどの男たちが忙しなく動き回っていた。彼らは一様に一人の女性を狙っているようで、二十代半ばから後半ほどと思しき彼女は身体のあちこちから血を流しながらも、今まさに剣を持った男に殴りかかっていた。その両手には肘までを覆う籠手を着けており、鋼鉄の拳は刃を粉砕して男の頭部を破裂させた。


「トレイシー殿!」

「――っ、ユーハさん!?」

 

 オッサンと女性の遣り取り、そして床に倒れ伏すヘルミーネとアルセリアの惨死体を見て、俺は状況を十全に理解した。

 しかし、既にある程度予想し、覚悟していたからか、今回は憤怒に呑まれることはない。 

 

「ユーハさん、私は大丈夫ですから行ってください」

「故に求め奪わん生なる豊穣、獰猛な――」


 まずはちんたら詠唱していたクズを〈風血爪ルゲ・ディラ〉で仕留めた。

 もはや何の感慨も湧いてこない。

 だって、ただのゴミ掃除だしね。


「白刃より疾く奔れ、我が風威は斬――」

「一人は生け捕りですよ」


 駆け出すユーハを見送りながら、俺たちに気付いたクズをまた一人殺す。

 この分ならすぐに終わるな。

 と思った十数秒後、掃除は呆気なく終わった。

 こいつら実力もクズだな。


「ユーハさん、そいつは殺さないでくださいね」


 俺は〈超重圧ティラグ・ルフ〉で仰向けに押し倒したままのクズに歩み寄る。

 ユーハは奴の首元に刃を突き付け、満身創痍のトレイシーは俺を守るように側に立ってくれる。彼女とは初めて顔を合わせるから挨拶したいが、今は尋問が先だ。


「さて、貴方の味方は全部で何人ですか?」

「この……クソ魔女がっ、やりやがったなテメェ!」

「質問に答えないと、殺しますよ?」

「ハッ、だったらさっさと殺しやがれ!」

 

 ふむ、どうにも威勢が良いな、こいつ。

 尋問中に詠唱されると面倒だから、戦士風の奴を見極めて捕らえたが……。

 戦士は魔法士より精神的にも屈強で頑固っぽいからな。

 まずは立場ってもんを理解させてやるか。


「ユーハさん、そこの剣を拾って、そいつの小指を切り落としてください」

「…………」


 なんかオッサンが正気を疑うような目を向けてきた。

 トレイシーもだ。

 俺は〈超重圧ティラグ・ルフ〉を行使したまま、魔剣に魔力を込めて刀身を形成した。


「やらないなら私がやりますけど?」

「テメェこのクソガキッ、ふざけてんじゃ――ぎゃぁ!?」


 ユーハは近くに落ちていた長剣を拾うと、野郎の右手の小指を切り落とした。ユーハの愛刀は魔法を無効化しちゃうから、〈超重圧ティラグ・ルフ〉で押さえ付けている相手には使えないのだ。


「ぐ、がぁぁ……クッソがぁ……」


 クズは一丁前に苦鳴なんか上げてやがる。

 みんなの味わった痛苦はこんなもんじゃねえってのに、巫山戯やがって。


「味方は何人ですか?」

「し、知るかっ、さっさと殺せぇ!」

「もう一本お願いします」

「ガァァァァァアアァァ!?」

 

 ユーハは無表情に淡々とクズの薬指を切り落とした。

 しかし、奴の瞳はまだ死んでいない。


「ユーハさん、こういうときってどうするのがいいんでしょう?」

「……ふむ」


 オッサンも咄嗟には思いつかないのか、気まずげに顔をしかめて見せる。

 そこでトレイシーが口を開いた。


「ローズさん」

「なんですか?」

「姫さ――クレアたちは、無事なのでしょうか?」


 トレイシーは眼光鋭くクズを見据えたまま、険しく引き締まった顔に不安を覗かせている。言葉遣いこそ丁寧だが、まだ少し息が乱れており、頭でも切っているのか顔には血が滴っていた。

 治癒魔法で治してあげたいが、今は同時行使できない。


「無事です。ウェインも、みんな……お婆様、以外は」

「……そう、ですか」


 何とも言い難い表情で、それでも彼女は胸を撫で下ろしている。

 俺はクズに視線を戻し、再度問い掛けてみる。


「味方は何人ですか? まだいるんですか?」

「う、うるせぇっ、殺すならさっさと殺しやがれ!」


 そう叫ぶクズの顔には幾分かの恐怖が見え隠れしている。

 このまま続ければいけそうだな。


「洗いざらい吐いてくれれば、楽に殺してあげますよ」

「調子に乗るなよガキがっ、すぐにでも応援が来てテメェらなんざ――ぐァ!?」

「ローズ!?」


 奴が呻き、ユーハは妙に焦った声を上げている。

 俺は魔剣を引き、オッサンを安心させるために微笑んでみせた。


「大丈夫ですよユーハさん、右目を潰しただけですから」

「ギぁ、ぁぁあぁぐゥゥ痛ぃああガぁぁぁぁ」

「ほら、ちゃんと生きてます」


 ったく、ユーハは俺を信用してないのかね?

 相手は絶対に始末すべきクズとはいえ、情報源なんだから簡単に殺す訳ないのに。


「話す気になりました?」

「テ、メェ……このクズが、絶対ぶっ殺してやる……」

「中指いきますか」


 俺は魔剣をクズの指先に押し当てた。

 しかし、俺はユーハのように慈悲深くはないので、一気に切り落としたりはしない。指先から少しずつ、魔剣で浸食するように指を削っていく。


「ガァアアァァアアァァァアァァァァァ――ッ!」

「言う気になりましたか?」

「グぎぃぃぃァァアアアァァァアアアァ――ッ!」

「ロ、ローズ、もう良いっ、このままでは失神してしまう」


 ユーハに止められたので、仕方なく魔剣を引いた。

 見ればクズは股間を濡らしてやがる。

 クソが、ヘルミーネの家で漏らしやがって。


「話さないなら、今度は人差し指いきますけど、どうしますか? 全ての指が終われば、次は局部を削って、その後は耳と目、そして四肢ですかね。最後は治癒魔法を行使しながら腹を掻っ捌いて内臓を一つずつ潰しながら殺しましょう」


 俺はクズの眼前で、これ見よがしに魔剣を振ってみせた。

 ついでにローズスマイルをくれてやる。

 奴は息を乱し、顔を引き攣らせ、右目からは血を、左目からは涙を流している。


「は、話すっ、話すからもうやめてくれぇぇぇ!」

「なら早く話してください。私、右が利き腕ですけど、今は左腕しかないですからね。ちんたらしてると、うっかり手が滑って魔剣が身体に触れちゃうかもしれません」


 クズは三十代半ばほどだが、もはや完全に怯えきった様子でたどたどしく話し始めた。


 曰く、今回の襲撃は入念に計画されていたものだそうだ。

 動員された人数は幹部が五人、下っ端が四十人。

 作戦のリーダーはサヴェリオという翼人の魔法士らしく、たぶん先ほど俺が戦って殺し損ねたクズだ。

 幹部員は五人全員が二十人の部下たちと共に転移し、残り二十人はこの場残って警戒していたそうな。ついでに聞き出したところによれば、四年前にチェルシーを捕縛し、拷問して引き出した情報によって、リュースの館のことやクレアたちの情報はほぼ完全に把握されていたようだ。

 しかし、チェルシーを魔女奴隷として調教し、完全に飼い慣らすまでは迂闊に手を出さず、観察を続けていたとか。加えて、今回の作戦には先ほど殺した金髪イケメンのクソ野郎エネアスがサヴェリオに次いで深く関わっており、奴の意向で時機を見計らっていたとか。

 

「なるほど。じゃあもう全滅ですか?」

「ぜ、全滅……? サヴェリオ様たちは……」

「ここで暢気に話してるんですから、返り討ちにしたに決まってるじゃないですか」


 クズは事ここに及んで、ようやく心底から絶望しきった顔を見せた。

 もうこんなクズはさっさと始末してやりたいが、まだ聞くべきことは残っている。


「それで、もう全滅ですか?」

「あ、あぁ……もう、いない……みんな死んじまった……」

「では、貴方たちの拠点はどこですか?」

「なんでだ、なんで……完璧な作戦じゃなかったのかよ、なんで……」


 もはやクズは俺の言葉が聞こえていないのか、茫然自失の態だ。

 俺は人差し指に魔剣を押し当て、もう一度問いを投げた。


「貴方たちの拠点はどこですか?」

「ギャァアアァァぃうっ、言うからやめてくれぇぇぇッ!」


 そしてクズは呆気なくゲロった。

 この町の《黄昏の調べ》の根城は歓楽区にある遊乱麗という名の娼館らしい。

 遊乱麗といえば俺でも知っている、ディーカで一番大きな娼館だ。


「ユーハさん、トレイシーさん、他に聞き出したいことはありますか?」

「……否、もう良いだろう」

「ワタシも大丈夫です」


 というわけで、ようやくクズが正真正銘用済みのクズに成り下がった。

 さあて、こいつはどう殺すべきだろうか。

 〈超重圧ティラグ・ルフ〉で圧殺するか、魔剣で斬り殺すか。

 いや、じわじわと圧力を高めて、真綿で首を絞めるが如く、存分に死の恐怖を味わいながら死んでもらおう。それが報いというやつだ。


「――ガ、ぁ」

「ユーハさん!?」


 と思ったのに、ユーハが斬首してさっさと息の根を止めてしまった。

 トレイシーは驚いたように、血染めの剣を投げ捨てるオッサンの名を呼び、怪訝そうに問い掛けた。


「念のため、この者は生かしておくべきだったのでは?」

「そうかもしれぬ……が、今は殺すより他なかった」

「なぜですか」

「それを本気で訊ねておるのか、トレイシー殿」


 トレイシーと話している最中、ユーハが俺に目を向けてきた。

 釣られて彼女の瞳も俺を映し、何かに気付いたように小さく息を呑んだ。

 何がなんだか分からんが、まあいい。

 死んだクズのことより今後のことだ。


「今の話、本当だと思いますか?」

「館におった人数やこの場の死体の数を見る限り……信憑性はある。無論、鵜呑みにするのは危険であるが」

「ですが、遊乱麗の話は本当でした」


 ユーハもトレイシーも油断ならない雰囲気で周囲を見回しながら答えた。

 俺はひとまず傷だらけな彼女に特級治癒魔法を行使しておく。


「トレイシーさんは敵の拠点、知ってたんですか?」

「……ワタシというより、子供たち以外は皆、知っていることです」

「え……だったら、どうして放っておいたんですか……?」


 訳が分からない。

 敵のアジトが判明してたんなら、ぶっ潰せば良かったのに。

 婆さんが覇級魔法の一発でもブチこめば、皆殺しにできたはずだ。


「マリリン殿は……此方から手出しすることを禁じておった。表面上は何事もなかった故、一度均衡が崩れれば、抗争になりかねなかった」

「で、ですが……二年前、メルが襲われたんですよね?」

「あのときは、ワタシが現場にいた男たちを数名殺しました。マリリン様はそれを報復として、それ以上の手出しを禁じました」


 なんだそれ。

 甘過ぎんだろ。

 そこで一気に敵の拠点をぶっ潰すべきだろ。

 

『いつかローズも、誰かを恨むことがあると思う』


 不意に、いつの日か聞かされた言葉が脳裏を過ぎった。

 かつて婆さんは復讐に取り憑かれ、《黄昏の調べ》と戦っていたという。


『許せないことをされて、相手を傷つけてしまいたい、あるいは殺したいと思ってしまうかもしれぬ』


 冷水をぶっかけられたような錯覚に陥った。

 クソ……なんでこんなときに思い出しちまうんだ。このまま連中の拠点をぶっ潰して、皆殺しにして、みんなの仇をとろうと思ってたのに。


『じゃがな、決して憎しみに身を委ねてはいかんぞ』


 婆さんと、アルセリアと、ヘルミーネが、殺されたんだぞ!

 斬首されて、頭を真っ二つにされて、斬首されて……クレアたちも暴虐に晒されて、みんなの家族だったチェルシーを利用されて、ジークだって殺されたっ!


「…………っ」


 だが他ならぬ婆さんの言葉が、腹の底で熱く滾っていた憎悪の熾火に水を掛けた。無論、まだ消えちゃいない。全く火勢は衰えていない。むしろ一分一秒ごとに、未だ実感の湧かない哀しみを憎しみに変え、より激しくなっていく。


「ローズ、ひとまず戻った方が良い。この場には某とトレイシー殿が残り、警戒し続けておく故、案ずることはない」


 ユーハから労るように、肩に手を置かれた。

 俺は……どうするべきなんだ。

 メルのとき、婆さんは連中を叩き潰さなかった。

 いや、そもそもチェルシーのことがあった当時、婆さんは復讐できたのだ。

 しかし、そんなことしなかった。

 

「ローズさん、ワタシの無事をクレアたちに伝えてくれませんか」


 トレイシーは側に屈み込み、魔剣を握り締める俺の手を優しく解すようにして、凶器を取り上げた。

 彼女もオッサンも、俺がどうする気だったか、悟っているのだろう。

 だが、させまいとしている。


「…………」

 

 まだこの町にいるだろう《黄昏の調べ》の残党を血祭りに上げてしまいたい。

 それどころか世界中にいる《黄昏の調べ》の連中を皆殺しにしてしまいたい。

 弔い合戦だ。

 しかし、婆さんはきっと、そんなこと望まないだろう。

 喫緊の脅威は既に排除したし、俺たちはもう何十人も殺した。

 これ以上は、憎しみに駆られて行う復讐になる。


「……………………分かりました」


 俺はトレイシーから魔剣を返してもらい、一人で地下への階段を下りていく。

 もちろん、完全に納得したわけじゃない。

 連中は殺すべきで、殺さなければ俺の頭がおかしくなりそうだ。

 しかし、他ならぬ婆さんの遺志を蔑ろにするわけにもいかない。

 

 だから、俺一人で突っ走らず、みんなに相談する。

 たぶんセイディは復讐すべきだと言うだろうが、クレアは反対するだろう。

 これは俺一人の問題じゃないんだ。

 そもそも、最も大事なことは敵を抹殺することではなく、みんなの身の安全だ。

 怒りと憎しみに呑まれ、それを忘れてはいけない。


「みんな……」


 俺は胸の内から深く吐息して、転移盤を起動させた。




 ♀   ♀   ♀




 みんなのいる食堂に戻り、状況を報告した。

 アルセリアとヘルミーネの死を伝えると、クレアとセイディは沈痛な様子で黙り込んだ。


「嘘だっ、アリアが死ぬわけないもん! なんでローズそんな嘘吐くのっ!?」

「…………」

「なんで……違うもん、アリア強いもん……ねえ、ローズ……嘘だよね、アリアもミーネも、ちょっと怪我しちゃったくらいなんだよね……?」


 俺はどう答えればいいのか分からなかった。

 リーゼは俺のその逡巡をどう受け取ったのか、またしても盛大に泣き出してしまい、セイディが抱きしめている。

 一方、ルティは泣き疲れてしまったのか、あるいは余程にショックだったのか、イヴに抱きついたまま気絶したように眠っている。

 

「クレア、ラヴルのウルリーカたちの拠点はどこですか?」


 ヘルミーネの家から戻ってくる前に、一度ラヴル側の転移盤の様子を見てきた。

 案の定、魔動扉が開きっぱなしだったので、まずは外に転がるクズ共の死体を焼却して灰燼に変え、それから魔動扉を閉めておいた。


「大丈夫よ、ローズ……回復したら、セイディに行ってもらうわ」

「ですが、今すぐにでも伝えに行って、応援を寄越してもらった方がいいのでは? いえ、それよりラヴルの方へ避難した方がいいと思います」

「今の調子なら、少し休めば身体は十分動くようになるわ。だから……ローズ、あなたはここにいて」


 今にも泣き出しそうな悲壮な様相で言われ、抱きしめられた。

 ベルに持ってきてもらったのか、リーゼやセイディは毛布の上で横になっていたが、クレアは上体を起こしている。それだけでも気怠そうで、やはり〈霊衝圧ルゥソ・クイン〉の影響は未だに大きいと見える。


「……分かりました。でも、ひとまずクレアの着替えを持ってきます」

「そんなのいいの……ローズ、今は私の側から離れないで」

「いいえ、持ってきます。それに私も着替えたいんです。もう勝手に動いたりしないので、クレアは横になって安静にしていてください」

「……ええ……ごめんね、ローズ。ごめんなさい……ローズにばかり……」


 半年ぶりに見るクレアの優しげな面差しは悲哀に染まりきり、双眸から雫が溢れて頬を伝った。

 彼女の心情を思うと、俺は怒りや憎しみに囚われそうになるが、今は我慢だ。

 俺が無茶をすれば、更にクレアは心を痛めるだろう。だから今もさっきも、ディーカにある連中の拠点をぶっ潰す話なんて、とてもではないが切り出せなかった。


 俺は一人で食堂を出て、濃密な血臭の漂うホールを通り、階段を上がる。

 そのとき、俺が以前描いて飾られていた家族の集合絵が目に付いた。

 なぜか俺とメルとアシュリンの顔にだけ穴が空いている。


「……ローズさん」


 か細い呼び声に振り返ると、美女とメイドさんがいた。

 ルティはベルにでも預けてきたのか、姿は見えない。


「イヴ……どうかしましたか?」

「少し、話しておきたいことがあるのですが、よろしいですか」

「なんでしょう」


 彼女の表情は絶望に沈み、今にも泣き崩れてしまいそうなほど弱々しい。

 だが、イヴはきちんと両足で自立し、瞳には絶望に抗わんとする微かな光が覗いている。


「その……誤解なさらず、最後まで聞いて頂きたいのですが……こちらの方は、先ほどまで、そこに転がる者らと行動を共にしていた、私とジーク様の知人です」

「…………え?」


 意味が分からなかった。

 そのイヴ以上に美人なメイドが《黄昏の調べ》と行動を共にしていた?

 相手が女じゃなければ、思わず瞬殺しているところだ。


「ですから、今回の件に関することを、少なからず知っているそうです。状況が状況ですので、早めにお耳に入れておいた方が良いかと思い……」

「ちょ、ちょっと、待ってください。つまり、こういうことですか? この人はさっきまで連中と一緒にクレアたちを襲っていた敵で、でも今は私たちの味方だと?」


 ダメだ……全く意味が分からない。

 報復と安全確保のため、今すぐ殺すか、最低でも無力化すべきだろう。

 だが、ジークを殺されたイヴがこんな嘘を吐くはずがない。


「端的に言えば、そうなのですが……その、この方は魔女でして、先ほど正気に戻られたのです」

「初めまして。ローズさん……で、良かったかしら? アタシはミリア、貴女やあの方たちの敵じゃないわ」


 ミリアと名乗った美女メイドの表情からも、イヴと同様の哀しみが見て取れる。

 しかしイヴよりも瞳に力強さを感じ、声も幾分か凛としており、その立ち居振る舞いは血生臭い現場に不似合いな気品が窺える。


「魔女で、正気に……では、洗脳されて利用されてたんですか? それで、知り合いのジークとイヴに会ったから、正気に戻ったと?」

「そうなるわね」


 信じられん……。

 だって、チェルシーはみんなから呼び掛けられても、正気に戻らなかった。

 あまつさえ平然とサラを殴りつけ、最後にはエネアスを庇って死んだ。

 なのに、このミリアって人は我に返ることができたっていうのか?

 そもそも知り合いって、どんな知り合――


「――ぁ」


 ふと思い至った。

 チェルシーは死んだとされていたのに、洗脳されて利用されていた。

 ジークとイヴの共通の知り合いということは、まだ二人が帝国にいた頃の知り合いのはずだ。五年ほど前、オールディア帝国の第二皇女であり魔女であった少女は《黄昏の調べ》に暗殺されたと聞く。そしてジークは件の姫様の騎士であり、イヴは彼の従者的立場にあったという。


「まさか、ミスティリーファ・ミル・オールディア……?」


 俺の漏らした声に、二人とも僅かに目を見張った。


「驚いたわね……イヴリーナから聡明だとは聞いたけど、この状況下で、よく頭が回るものね」

「では、本当に……?」


 俺はイヴを見るが、彼女は隣に立つ美女の顔に目を向けていた。


「気付かれた以上、誤魔化すのは得策ではないわね……」


 当のメイド本人はそう呟くと、俺の目を見つめて頷いた。 


「確かにアタシはローズさんの言うとおりの人物よ。ごめんなさい、隠すようなことをして。でも、貴女方にこれ以上の迷惑は、掛けたくなかったから……」

「…………」

「アタシの素性、他の方々には内緒にしていてくれる? 貴女なら理解してくれると思うけど、今のアタシは立場が立場だけに、もし事が公にでもなれば面倒なことになるわ」

「……分かりました、貴女の正体は口外しません。ですが、貴女が《黄昏の調べ》に利用されていたことはみんなに伝えます」

「ええ、それでいいわ」


 正直、今の俺は色々といっぱいいっぱいだから、驚くに驚けん。

 今はただみんなの安全確保のことだけを考えたい。

 

「それでミリアさん、今回の襲撃に関することを何か知ってるんですね?」

「ええ、少し話が逸れちゃったけど……さっきそこの食堂で、巨人の家の状況を聞いていた限りだと、とりあえず増援はないと思うわ」

「それは確かなことですか?」

「絶対とは言い切れないけど、ディーカにはもうサヴェリオやグレン並の者はいないはずよ。ただ、さっき我に返ったばかりだから、まだ頭が混乱ぎみでね……」


 ミスティリーファ改めミリアは片手で頭を抱え、美貌を歪めた。

 悲しみと苦しみの混じり合った表情は痛々しい。


「そのサヴェリオという翼人の魔法士のことですけど、奴はまたここに襲撃を掛けてくると思いますか?」

「それは……何とも言えないわね。たしか、襲撃の作戦を打ち合わせていたとき……この館がクラジス山脈のどの辺りに建っているのかとか、話していた……と思うわ。だから転移盤を使わずとも、あの男なら自力で戻ることは可能でしょうね」


 目下最大の問題はあのクソ野郎の動向だ。

 奴は魔動感を持つ火属性適性者の無詠唱魔法士だ。

 あの実力なら覇級以上の魔法が使えても不思議ではないし、翼人なので上空から館に火魔法でもブチ込まれれば一溜まりもない。一応、俺同様に今の奴も魔動感は麻痺し、魔法使用にも制限が掛かって、片翼も幾らか失っている状態のはずだが……。

 クソッ、あのときは逃亡するクズよりサラに気を取られてたからな。

 状況的にとどめは刺せただろうに、思わずサラを優先をしてしまった。

 いや、サラを優先したのは間違っていない。

 俺が弱かったから奴を殺し損ねたんだ。


 そういえば白い仮面の奴もいたが、そいつは早々にどこかへ行ったな。玄関から去って行ったので、あの翼人のクズ野郎と同じく森に逃げ込んだだろうから油断はできん。ゼフィラがいれば大丈夫だとは思うが、まだ警戒し続けておくべきだ。


「イヴはさっき話した巨人の家に行って、トレイシーという方をこの場に連れ戻してきてくれますか? ラヴルから転移してきた部屋の隣から、転移した先にいますから。ミリアさんは私と一緒に、少し手伝ってください」


 二人は互いにアイコンタクトしつつ、俺の言葉に頷いてくれた。

 俺はメイド服な彼女と共に、クレアの部屋へ向かって足早に歩いて行く。

 部屋の扉は開きっぱなしで、内部は少し荒れていた。


「ローズさん」


 チェストからクレアの下着や衣服を適当に取り出していると、不意に話しかけられる。ちらりと振り向くと、ミリアは自責の念が窺える面差しを俯けていた。


「ごめんなさい、本当に……謝って許してもらえるとは思わないけど、この償いは必ずします」

「…………いえ、あなたは悪くありません」


 もちろんミリアやチェルシーに対する悪感情は少なからずある。

 奴らと一緒にみんなを虐げたことは許せそうにない。

 だが、それは感情的な意見であって、俺の理性は理解している。

 全ては《黄昏の調べ》が悪いのだ。

 洗脳されて利用されていた彼女らは俺たち同様、紛れもない被害者だ。


「そう言ってもらえると、とても有り難いけど……アタシが弱かったから……自分を見失って、言いなりになっていたの。今回のことだけに限らず、この数年、アタシは取り返しの付かないことをしてきてしまったわ……」

「…………」

「何かアタシにできることがあれば、何でも言って。今まともに動ける人は少ないでしょうし、できることがあれば何でもするわ」


 ミリアはぎこちなく顔を引き締め、俺の目を真摯に見つめて、そう言った。

 毅然とした風を装っているのが一目で分かるほど、尚も悲哀と辛苦が色濃く表出している。正気に戻ったばかりで、ジークが死んだこともショックだろうに、必死に克己しているのだろう。

 

「では、そこのベッドのシーツを持ってくれますか」

「分かったわ」


 俺がミリアを同行させたのは警戒のためだ。

 つい先ほどまで奴らの言いなりになっていたのだから、念のため目の届くところで監視しておいた方が良いと思った。

 しかし、なんだかこの人は大丈夫そうな気がする。

 

 セイディの部屋からもシーツを回収し、二十体ほどの死体が散乱するホールまで一旦戻ってくる。そして婆さんとチェルシーの亡骸にシーツを被せた。

 早く弔ってやりたいが、まだ夜は明けていないし、警戒も怠れない。


 俺たちは再び階段を上がり、今度は自室に行ってボロボロの服を着替えた。

 今は自分の服装などどうでも良いが、さっきクレアに言ってしまった手前、着替えてから戻らないと彼女に気を遣わせてしまう。

 片手で難儀したが、ミリアに手伝ってもらって素早く済ませた。


 食堂に戻ると、トレイシーが尚も気絶したままのウェインを抱きしめていた。そうしながらもクレアの側に跪き、小さく肩を震わせ、声もなく涙を流している。

 俺はクレアに着替えを手渡し、ひとまず飲み物でも用意することにした。

 何か飲めば、みんな少しは落ち着くだろう。

 イヴとミリアと共に、厨房からコップを取ってきて、無難に水を入れた。

 それを起きているみんなに渡し、俺も一気飲みする。


「小童、酒はないのかの?」


 鬼ババアにもコップを渡してやったというのに、そんなことを宣いやがる。


「……ゼフィラさん」

「勘違いするでないわ、妾のではない。外におるジークハルトの奴に持っていってやるだけだ」


 ゼフィラは椅子に座ったまま尚も偉そうに、しかしどこか儚げにそう応じる。

 俺は小さく頷いておいた。


「後で持ってきます」

「うむ」


 俺は苦しそうに目を閉ざしているルティを横目に見てから、身なりを整えたクレアのもとに歩み寄った。


「クレア、奴らの死体を片付けてきます」

「そんなのいいから……ローズもみんなと一緒に休んでいて」

「広間の片付けはワタシがしますから、大丈夫です」


 クレアの傍らに座るトレイシーからも引き留められた。

 

「では、トレイシーさんと一緒にやります」

「ローズ、本当にいいから……お願い、もう無理しなくてもいいわ。だから座って、私と一緒に、ここでサラたちが目を覚ますのを待っていましょう?」


 クレアの気持ちは分かる。

 先ほど俺は多少無茶して戦い、かなりの死線をくぐった。

 正直、ユーハがいなければ右腕どころか胴体を切断されていただろう。

 この惨状でクレアたちは何も出来ず、彼女らにとって守るべき子供おれに命懸けで助けられたのだ。未だに頼っている状態など我慢ならないだろうし、それ以上に何より俺のことを心配しているはずだ。

 

「いいえ、休みません。目覚めたメルとウェインにあんな惨状は見せたくありませんし、もうサラやリーゼにも見て欲しくありません」

「だから、それはトレイシーがやってく――」

「私がやりたいんですっ!」


 思わず声を荒げてしまった。

 だが、今の俺だっていっぱいいっぱいなのだ。


「じっとなんてしていられませんっ、何かしておきたいんです! まだ動けないクレアの気持ちは分かりますけど、私だって――っ」

「……ローズ」

「すみません、クレア……ですが、いま休むと、私はダメになってしまいます。だからすみませんけど、私は私にできることをします」


 今の俺は感情が麻痺していると自覚できている。

 あまりの悲惨に一周回って冷静になり、悲しいけど悲しくないし、辛いけど辛くないと、他人事みたいに思っている。

 仮に今ここで動きを止め、じっと静かに自分の感情と向き合ってしまえば、しばらく俺は使いものにならなくなるだろう。

 だから、まだ休まん。

 クレア、セイディ、リーゼ、サラ、メル、ウェイン、ルティ……生きているみんなの安全を考え、動いているうちは、悲しみを押し込めていられる。

 

「ローズ……ごめんね、ありがとう……」


 クレアの声を背中に受けながら、ホールに出た。

 食堂とホールの壁には穴が空いているので、遅まきながら土魔法で壁を作り、塞いでおく。

 

「ローズさん、手伝うわ」

「ローズちゃん、一緒にやりましょう」

「皆で片付けてしまいましょう」


 ミリア、ベル、トレイシー、そして俺の四人で、ホールの惨状を片付けることになった。


「皆さん、まずはこいつらの装備品などを取りましょう。あとで売ってお金にします」


 クズ共は指輪やネックレスやバックルなど、装飾品を身に着けている奴が多い。

 それらのほとんどは魔法具で、蓄魔石や増魔石が装着されている物もあることから、戦闘用装備なのだろう。


 剥ぎ取り後、ベルとトレイシーは菜園で使っている手押し車で、クソ野郎共の遺体を外に運び出していく。俺とミリアは水属性特級魔法〈水縛壊ルグラ・クア〉で遺体を掴み、玄関の向こうへ持っていく。

 〈霊斥ルゥ・ルペリ〉や〈霊引ルゥ・ラトア〉は魔力に反応する魔法であり、人は死ねば身体から魔力が消え去るので、使えないのだ。

 

 意外と早く外に運び終わった。

 その後、館の西側で横たわっていたジークをホールまで運び、シーツを被せる。

 ついでに、彼の近くで死んでいた巨漢の獣人をミリアと共に燃やし、灰にした。奴はクレアを犯しかけていたクズなので、ジークたちが殺してくれて本当に良かった。


 玄関前に集めたクズ共の山にも火を放った。最初は試しに〈断罪火アピス・ニグ〉を使ってみたが、やはり死体には着火しなかった。

 俺は目の前で燃え盛る光景を眺めながら、今後のことを考えていく。正直、考えはほとんど纏まらなかったが、とにかく考えていないと気が狂いそうだった。

 鎮火した後に残る灰はあとで川へ捨てにいこう。


「イヴ、ミリアさん、ベルさん」


 隣に立つ彼女らには目を向けず、炎上するクズ山を見つめたまま、俺は言った。


「とりあえず子供たちには、ミリアさんが洗脳されて利用されていたこと、知られないようにしてください。それと、ルティの素性もです」


 クレアやセイディは未だしも、リーゼとサラ、ウェインは一旦様子を見た方が良いだろう。姐御の過去やルティを知る俺でさえ、ミリアに対しては複雑な感情を抱かざるを得ない。

 かつての家族に暴虐を振るわれたリーゼとサラには刺激が強すぎる情報だ。


「分かったわ」

「分かりました」

「ええ、アタシも了解したけれど……ローズちゃん、無理しちゃ、ダメよ……」


 三人は了解し、しかしベルは涙ぐんでいる。

 俺は未だに明けぬ夜空を見上げ、ゆっくりと吐息した。




 ♀   ♀   ♀




 朝日が昇る頃、ウェインが目覚めた。


「ローズ……?」

「大丈夫ですか、ウェイン」


 ウェインも〈霊衝圧ルゥソ・クイン〉を使われたのだろう。

 上体だけを起こした気怠げな体勢で、ぼんやりと周囲を見回している。

 しかし、不意に息を呑んで動きを止め、虚空を見つめたまま双眸を見開き、硬直した。


「あ……ぁ、お、俺……」

「ウェイン、どうしたの、大丈夫?」


 怯えたように表情を強張らせ、ウェインは身震いし始めた。その肩をトレイシーが抱き寄せるが、少年の様子は変わらず、むしろ酷くなっていく。

 こんなウェインを見たのは初めてだ。


「あ、あいつら……俺の、ゆ、指を、切って……俺……抵抗したんだ、でも……痛くて……こ、怖くて……」

「ウェイン、いいのよ」

「ごめん……お、おれ、みんなのこと、しゃべったんだ……ほんとうに……ごめん……ごめんなさい……」


 泣いていた。

 いつも俺の前では強がってたのに、震えながらトレイシーに縋り付き、泣きながら謝っていた。

 五体満足なのが救いだが、どうにも最悪の記憶が焼き付いているようだ。


「ロ、ローズ、そのうで……あいつらにやられたのか……? おれの、せいで……おれが、しゃべったから……」

「いいえ、ウェインのせいじゃないですよ」

「ごめん……ごめん、ごめんなさい……」


 未だ九歳の少年らしく、弱々しく泣いていた。

 さっき燃やしたクズ共のせいで、殺し損ねたクズのせいで、あのウェインが怯えながら、罪悪感に苛まれながら、泣いている。

 

 俺はもう狂ってしまいたかった。

 もしリーゼたちが無事でなかったなら、今すぐディーカにある連中の拠点に乗り込み、激情のまま見境なく虐殺しているところだ。

 今の俺には殺人に何らの躊躇いもない。

 たぶん落ち着いてしまえば、反動で今ほど気兼ねなく殺せなくなる。

 殺すなら今しかない。

 そう、だから今、殺さないと、殺さなければならない。


「――っ!?」


 ふと上から物音がした。

 俺もトレイシーも身体を強張らせるが、眠るリーゼを抱くセイディが言った。


「たぶん、アシュリンよ」

「そういえば、狩りに行ってるとか、言ってましたね。ゼフィラさん、上にいるのは魔物ですよね?」


 俺は暴走しかけていた殺意を収めながら、鬼人の彼女に問い掛けた。

 

「少なくとも人ではないの。音からして、四足歩行の飛行型魔物……ふむ、グリフォン系か?」

「人でないならいいです。ちょっと様子を見てきます」


 ひとまず歩けるようになったクレアと共に二階へ行く。

 すると、俺たちの部屋に見慣れた灰色の魔物がいた。

 野郎は嘴を少し血で濡らし、狩ってきたらしい鳥をバルコニーに置いたまま、誰もいない部屋の中を練り歩いていた。


「……アシュリン」

「ピュェッ!」


 俺は思わず抱きつき、懐かしい感触を味わった。

 こいつだけはいつも通りだった。

 ただ、狩りの後だからか、風呂好きでグルメなマザコン野郎のくせに少し血生臭く、薄汚れている。

 クレアとアシュリンと一緒にバルコニーに出て、嘴の血を水魔法で洗い流した。


 それからペットと共に一階に戻り、クレアとイヴとミリアの四人で、食事の準備をした。といっても、パンや果物だけの簡単なものだ。

 食欲は全くないが、こういうときこそ何か食べた方がいい。

 まだメルとサラ、それにユーリという名前らしい銀色の幼竜は目覚めないが。


「それじゃあ、お姉様、行ってきます」


 食後すぐ、セイディは《黎明の調べ》魔大陸東支部へ向かうため、軽く着替えてきた。

 東支部の場所は情報漏洩防止のため、婆さんとアルセリアしか知らなかった。しかし、転移盤を使えなくなったアルセリアは紅火期後半からヘルミーネの家に移り住んでいたそうなので、現在はクレアも知っている。


「私も一緒に行きます。途中で魔物や連中に襲われないとも限りません」

「ローズはいい加減、少し休んでなさい。アタシは一人でも大丈――」

「まだセイディは魔法使えないんですから、大丈夫じゃないです。万が一があってからでは遅いんです、私も行きます」


 なんとか説得し、セイディと一緒に行けることになった。

 二人でラヴル側に転移し、もうこちらはすっかり日が昇っている青空を飛んでいく。ラヴルはほど近いので、数分ほどで到着するだろう。


「そういえばローズ、なんていうか……凄いときに帰ってきたわね」

「あー、はい……そのことですけど、後でクレアとセイディに話したいことがあるので、聞いてください」

「ん……分かったわ」


 たぶんセイディは俺があのタイミングで、本当に偶然帰ってきたとは思っていない。何らかの説明はしなければならないが、しかしアインさんのことを話すのは……いや、それは後で考えよう。


「まあ、何はともあれ、ありがとね、ホントに……もしローズたちがいなかったら、みんな最悪なことになってたわ」

「いえ、でも、お婆様とアルセリアさん、ヘルミーネさんは……亡くなってしまいました」

「全部あいつらが悪いのよ、チェルシーも利用されて……早く、弔ってあげなくちゃね」


 いつも快活なセイディらしからず声は暗然としていて、悲壮な絶望感を孕んでいる。

 俺は彼女の言葉に無言で頷いた。


 魔物には一匹も遭遇しないまま、ラヴル上空に到着した。

 クレアからの言葉を頼りに目的地付近と思しき通りに降り立つ。大通りから一本中に入ったところだが、足下はきちんと石敷の整備された道で、人通りはそう多くなく、落ち着いた雰囲気の小綺麗な通りだ。


「ここね」


 《黎明の調べ》魔大陸東支部は酒場だった。

 酒場といっても猟兵たちが利用するような荒っぽいところではなく、お洒落なバーみたいなところだ。建物はそんなに大きくない。煉瓦造りの綺麗でシックな外観をしている。

 夕方から夜明けに掛けて営業しているところらしく、現在は閉っていた。

 

 裏口に回り、ドアを叩くと、オバサンが出てくる。

 俺たちは《黎明の調べ》魔大陸西支部の者であることや魔女であることを伝えるも、俺たち同様に相手も俺とセイディのことは知らない。

 なのでウルリーカを呼んできてもらうと、相変らずもっさりした長髪の獣人さんが欠伸を零しながらやって来た。


「あらローズ、久しぶりですわね。いつの間に帰ってきたんですの?」

「ウル、とりあえず中に入れて」

「そういえば、何か緊急事態と聞きましたけど、どうかしたんですの?」


 俺たちの只ならぬ雰囲気を感じ取ったのか、ウルリーカは眠そうな顔を引き締めて、というより強張らせて、訊ねてきた。


「って、あら? ローズ、貴女、右手が……」

「中で話すわ、できれば他の人たちも集めて」


 俺とセイディは中に入り、ウルリーカたちに事情を説明した。




 ♀   ♀   ♀




 《黎明の調べ》魔大陸東支部の動きは迅速だった。

 魔女たちは慌ただしく動き出し、ユーハのような協力者の男女たちも招集され、とりあえず応援として六人を送り出してくれることになった。もっと大勢欲しいところだが、翼人はそんなに多くないし、東支部の方も警戒態勢に入る必要がある。あとで地上から更に増援を送ってくれるらしいので、まずは翼人によって急行するのだ。

 俺とセイディはウルリーカを含む応援六人と共に、転移盤目指して飛んでいった。

 

「ローズ、もう大丈夫ですわ。あとはわたくしたちが何とかしますから」


 飛行中、ウルリーカは俺に励ましの言葉を掛けてくれる。

 彼女は先ほど話をしたとき、顔面蒼白になって倒れかけ、涙を流していた。

 今もまだ表情に悲哀は色濃いが、それでも毅然として見せている。


 他方、ウルリーカ以外の面々は悲しみより険しさが見られる。

 俺たちに面識がないのだから、ウルリーカほど感情が揺さぶられず、より理性的に現状を捉えているのだろう。


「セイディ……メルとサラは、もう目を覚ましたでしょうか」

「心配せずとも大丈夫よ、ローズ。二人は生きてるんだから、きちんと目を覚ますわ。まあ、サラは寝起き悪いから、まだ起きてないかもしれないけど」


 セイディは冗談交じりに応じてくれた。俺のために無理をさせてしまったが、表面上だけのものとはいえ、彼女のその明るさは俺の心を少し軽くさせてくれた。

 無論、今もまだ俺の心は麻痺したままだが、後からくる反動によって必ず心底からの絶望に呑まれる。

 だから今のうちに、自分によく言い聞かせておかないといけない。


 みんな、生きてるんだ。

 婆さんとアルセリアとヘルミーネは死んでしまったが、他のみんなは生きている。みんな酷い目に遭って、一生忘れられないほどに傷ついて、これから大変だろう。しかし、生きてはいるんだ。

 生きてさえいれば、みんながいれば、一緒にこの絶望を乗り越えて、また笑えるようになる。俺よりクレアたちの方が酷い目に遭ったのだから、俺がみんなに笑顔を取り戻させてあげないといけない。

 

 そうだ……だから俺は絶望しても、折れはしない。

 もう俺はクズニートじゃないし、笑い方も知っている。今の俺があるのはみんなのおかげで、みんなの存在がこれまで俺を支えてくれていた。

 だから今度は、俺がみんなを支えてあげる番だ。


「とりあえず、わたしたちはここで後援を待ってるわ」


 転移盤に到着すると、応援の六人のうち、二人のオバサン魔女がそう言った。

 俺たちは残りの四人と一緒に転移して、まずはみんなで食堂へ行く。男もいるので、クレアたちに紹介しておかないと敵味方の区別が付けられないからな。


「……ん?」


 食堂に入るが、なんだか様子がおかしかった。

 既にメルもサラも目覚めていて、泣き疲れて眠っていたリーゼも起きている。

 しかし、彼女らもクレアも俺たちの帰還に気付かない。


「お姉様、どうかしたんですか?」

「セイディ……ローズ、ウルリーカ……」


 クレアは何やらサラと話していたが、俺たちを振り返った。

 その顔はどこか呆然としていて、しかし紛れもない絶望が刻まれてもいる。


「サラ姉っ、あたしだよリーゼだよ!」

「サラ……どうして、本当に……?」


 リーゼが切羽詰まった様子で、メルが声を震わせて、話しかけている。

 当のサラは見るからに戸惑っており、不安げな眼差しで二人を見返している。

 俺の理性は瞬時に状況を読み取り、そこから最悪を推測してしまい、事態を理解しかけたが、麻痺しているはずの感情がそれを頑なに拒んだ。


「…………サラ?」

 

 俺は椅子に座る金髪の美少女に歩み寄る。

 半年ほど見ないうちに、また一段と可愛くなって、たぶん背も伸びた。

 彼女はもう十一歳だ。今が一番身長の伸びる時期だろう。

 だが生憎と胸はほとんど成長していないように見える。


「え、ぁ……」


 サラは俺の呼び声に顔を向けてくれたが、なぜか困惑の声を漏らした。

 それに、なぜかその表情や眼差しはぎこちない。

 人見知りな彼女が、初対面の人に見せるようなものだ。


「あ、ローズっ、サラ姉ほらローズだよ!」

「ローズ……?」


 やめろ、やめてくれ。

 頼むから、それだけはやめてくれ。

 

「サ、サラ……久しぶり、ですね」

「わたし……名前、サラっていうの?」


 あり得ない。

 こんなこと、あっていいはずがない。


「ちょっと、サラ? アンタ、もしかして……」

「サラ……わたし、サラ……?」

「サラ、まずは落ち着いて、目を閉じて、深呼吸をするの。それからみんなの顔を見て、ゆっくり一人ずつ、名前を言ってみて?」


 クレアは涙目になりながらも、ぎこちなく微笑みを浮かべ、震える声で優しく声を掛けた。

 すると、金髪褐色の小悪魔のような美少女は硬い仕草で頷き、目を閉じて深呼吸をした。そして鮮やかな若緑の瞳で、俺とリーゼとメルとセイディとクレアの顔を順繰りに見回し、口を開く。


「ぁ、えっと、その……」

「サラ姉っ!」

「わたし……あ、あなたたち………………誰……?」


 こうして、俺たちは彼女らを失った。




 ♀   ♀   ♀




 生憎と雲が出ていた。


「リーゼ……みんなで一緒に、ね?」

「ぁああぁぁぁおばあちゃぁあんありあぁぁああぁぁぁぁ」


 夜天を彩る星々の半ばは暗雲に隠れ、その輝きを遮られている。

 だが、肝心要の黄月はきちんと全容が現れており、その光輝を地上に降り注いでいた。


「……リーゼ」

「やぁぁだああぁぁぁなんでやだよぉぉぉぉぉ! おばあちゃぁぁぁありああぁぁぁぁっ!」


 クレアは手にしていた松明をユーハに手渡すと、泣き叫ぶ小さな身体を抱きしめた。陰りの差した横顔は長い黒髪に隠れ、その表情はあまり窺い知れない。

 だが、リーゼ同様に涙が頬を伝っているのが垣間見えた。

 

「…………」


 俺は無言で立ち尽くすことしかできない。

 婆さんとアルセリアの遺体を見ても、実感が湧かないのだ。

 胸にぽっかりと穴が空いたみたいで、あらゆる感情がその空虚に呑まれ、涙が出てこない。


「……ローズ」


 セイディに抱きしめられた。

 小さく肩を震わせて、静かに涙していた。俺は彼女を抱き返してやろうとしたが、右腕がないことに気が付いて、左手だけ背中に回す。

 そして周囲の様子を窺ってみた。


 普段、魔法の練習を行っている館の東側。

 そこには大勢の人影が見られる。

 嗚咽を漏らしながら泣き崩れているメル、その肩を抱きつつ涙を見せるウルリーカ、銀竜ユーリを腕に抱きながら戸惑いの表情を覗かせているサラ、沈痛な面持ちで立ち尽くしているユーハとベル。

 アシュリンはリーゼの側で悄然とお座りしており、ウェインはトレイシーに抱きしめられ、泣きながら謝っていた。

 《黎明の調べ》魔大陸東支部の魔女たちも一様に痛嘆を見せており、幾人かは両手を組んで祈りを捧げている。


「ジーク……ぅう、ジークぅ……」

「く、ぅ……ジーク様……」


 ルティはイヴに抱かれながら、ジークの遺体の側で止めどなく涙を流している。その傍らにはミリアが寄り添い、穏やかな死に顔を晒す彼を見つめ、静かに泣いていた。

 ゼフィラは酒瓶の栓を開けて、ジークの顔の横に置いている。


「…………」


 みんな哀しんでいる。

 リーゼの哀叫、セイディやメルの啜り泣きを耳にしながら、俺は目を閉じた。

 そして、ただ抱きしめられるがまま、立ち尽くしていた。


 どれほどの時間が流れたのか、クレアがリーゼから身体を離した。

 ユーハは無言で彼女に松明を渡し、揺らめく灯火に照らされながら、クレアが告げた。


「リーゼ、みんなでお別れしましょう?」

「やぁだぁ……したくないぃ……」

「お別れしないと、おばあちゃんもアルセリアさんも……チェルシーも、ゆっくり眠れないの」


 リーゼは泣き濡れた顔をいやいやと左右に振りながら、言葉にならない声を漏らして泣き続ける。

 俺はセイディの身体から離れ、リーゼに声を掛けた。


「リーゼ、みんなで一緒に、お別れしましょう」

「ろぉずぅ……」


 リーゼに抱きつかれ、俺はその小さな背中を片手で撫でながら、クレアに頷いて見せた。いい加減、そろそろ始めないと、夜が明けかねない。

 

「みんな、松明を持って。ほら、リーゼも一緒に、ね?」

 

 俺はリーゼに身を寄せたまま、小さな手を握って松明まで誘導した。

 クレアが、セイディが、サラが、メルが手を添えている松明に、俺とリーゼも加わり、改めてみんなで遺体と向かい合った。

 婆さんとアルセリア、それにチェルシーの遺体だ。

 どれも酷い有様で、とても言葉にして表したくはない。

 彼女らは蒔木とシーツで作ったベッドの上に三人並べて横たえてあり、その身は色とりどりの花々に囲まれている。

 

「…………」

 

 俺たちは無言で、リーゼとメルは嗚咽を漏らしながら、着火した。

 火はゆっくりと燃え広がり、三人を呑み込んでいく。翳りのある星空の下、粛々と炎を上げるその光景を、みんなで身を寄せて見守っていく。

 視線を転じると、ジークの遺体にも火が点いていた。

 ルティとイヴとミリアも三人で肩を寄せ合い、泣いている。


「…………」


 時間感覚が喪失した中、俺たちはその場から動けなかった。

 俺は燃え行く婆さんとアルセリアに、心中で別れを告げてみる。

 しかし、やはり実感が湧かない。二人の遺体を見たときも、こうして火葬されている最中でも、未だに信じられない。

 いや……信じたく、ないのだ。

 この理不尽な現実の全てを、俺は否定したいのだ。


 その後、自然鎮火する頃には朝日が昇っていた。空の藍色が東から徐々に白み、雲が長い影を引いて陰影を刻んでいる様は忌々しいほどに鮮麗だ。

 俺たちは薄明るい空の下で、焼け残った骨を拾っていく。


「ぁ……」


 不意に、涙が出てきた。

 視界が滲んで歪み、アルセリアの白骨に雫が落ちて、俺の膝も落ちた。

 胸の内を占めていた空虚から際限のない悲哀が溢れ出てきて、俺はそれに呆気なく呑み込まれた。


「……ローズ」


 クレアに抱きしめられた。

 俺は彼女の腕の中で、かつてないほどに泣いた。

 しかし、気が狂いそうな喪失感の中で、強く決意してもいた。

 そうしなければ、もう二度と立ち上がれない気がした。


 丁寧に、時間を掛けて骨を拾い集めて、三人を一つの壺に収めた。

 そして予め掘っておいた穴の中に、それを埋めた。

 立てられた墓石には三人の名前が彫られている。


「……………………」


 俺たちは最後に墓前へと花束を捧げて、彼女らの死を悼んだ。

 幸か不幸か、俺はチェルシーのことを直接的には知らないので、ほとんど思うところはない。しかし、クレアとセイディとリーゼの心中は複雑なはずだ。

 もはやリーゼの瞳に涙はなく、ただ呆然と、悄然と、力なく立ち尽くしていた。


「お婆様、アルセリアさん。二人から教わったことは、一生忘れません。ありがとうございました」


 俺は墓前で膝を突き、呟いた。

 別れの言葉として声に出し、強引に哀しみを断ち切った。無論、まだ重苦しい胸の痛みは残っているし、それに抗わず呑まれてしまいたい思いはある。

 しかし、そんな自慰的な感傷は押し込めて、大きく深呼吸をした。


「……………………」


 さて、俺はここで選び、切り捨てなければならない。

 すぐ側で喜怒哀楽を共にしてきた人たちか。

 どこにいるとも知れない半竜人な彼女か。


 俺は今回の件で痛感した。

 世界は容赦がなく、人生は思い通りにいかない。

 大切なものをどちらも手にしようとすれば、俺はきっとどちらも取りこぼすことになるだろう。実際、もう俺の手は一つしかない。

 どちらを大切にしていくのか、厳格に明確に決めておかなければ、いざというときに必ず鈍る。生半可な覚悟のままでいたことを、必ず後悔する。

 万が一があってからでは遅いのだ。

 だから一方を切り捨て、一方を確実に手にして、大切にしていく。


 とはいえ、俺はもうとっくに選んでいる。

 四年前のあの日、リーゼに対する同情心を優先した時点で、既に決まっていた。

 にもかかわらず、殊更にずるずるずるずる引き摺って、俺はそんな薄情な人間ではないと自分に言い聞かせるために、言い訳するようにレオナのことを想ってきた。

 彼女のことを案ずる気持ちも確かにあったが、しかしそれよりも遙かに、この世界でも己がクズに成り下がる憂慮の方が大きかった。

 結局のところ、俺は他ならぬ俺自身のために、レオナのことを忘れないでいたのだ。言い換えれば、俺は彼女のことをオカズにして、最低の自慰に耽っていたに過ぎない。



 実に、くだらない。


 

 もう俺はクズでいい。

 クズである自分を認め、受け入れて、それこそを力にして前に進んでやる。

 俺はただみんなに対してだけ、誠実であるよう努めていけばいい。

 八方美人などクソ喰らえだ。

 大切な人たちのためならば、その他大勢に対してはクズにでも何にでもなってやる。


「安心して眠ってください」


 俺は両足に力を込め、立ち上がった。


「みんなは、私が守ってみせます」


 哀しみはこれを最後にする。

 もう誰も泣かせないし、傷付けさせない。

 再びみんなで一緒に笑えるように、俺は強く生きていく。

 これから先、何があろうと、俺だけは決して挫けず、笑ってみせる。


 それを故人の前で決然と誓い、今ここで別れを告げよう。

 眠りに就いた人たちに。

 どこかにいるであろう彼女に。

 そして、これまでの弱く愚かな己に。


「それでは……さようなら」


 万感を込めて別離の言葉を口にした。

 俺は墓碑に背を向けると、しっかりと地面を踏みしめ、歩き出していった……。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白いです。 [一言] レオナの事を殊更にローズに意識させる事により、襲撃による魔女コミュニティの損失をより明確にさせて、ローズに決意と選択を促すギミックだったんだと思います。 また、この…
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