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幼女転生  作者: デブリ
七章・黄昏編
151/203

第百一話 『クズニートと秘密の部屋』


 夜天に煌めく星々は壮麗に過ぎた。

 朝から快晴だったせいか、雲一つない全天に光が瞬いている。

 暗闇で地平線が見えずとも、星の海の切れ目で分かるほどだ。


「きれい」

「そうですね、綺麗です」


 満天の星空は前世同様に宇宙という存在を実感させる。

 星々は赤や青、黄色や緑など様々な色に溢れ、天の川めいた光の密集域もある。


 蒼水期第四節三日、今日は野宿だった。

 一向に見つからないキングブル探しと、気分転換を兼ねて遠出しているのだ。魔大陸で野宿は危険だが、ある程度の実力を有する猟兵なら普通にしていることだ。メルも一人旅をしていた頃、ディーカに来るまでは一人で野宿をしていたらしいしね。


「あ、アレってルティカですよね」


 俺は夜空の一角を指差した。

 夜天に瞬く星々の中でも、一層強い輝きを放つ橙色の星だ。

 前世でいえば一等星といったところか。

 デネブとかベガとかアルタイルとか、そんな感じに煌々とした光を湛えている。


「うん、あれ、ぼくの星」


 ルティが俺の指先を見つめて、どことなく嬉しそうに頷いた。

 この魔幼女の名前はジークがつけたらしく、その由来は星の名前だ。

 星から名付けるとか、なかなか良いネーミングセンスだな。

 ルティカって可愛い名前だしね。


「星、色々。人、色々。世の中と、星空、一緒らしい」

「らしい?」


 ルティはジークの足の間に収まっており、野郎に背を預けている。

 隣に座る俺に顔を向けてから、そのままジークの顔を見上げた。


「前、ジーク、言ってた。人と星、一緒」

「そういえば、そんなことも言ったっけか」


 なかなかのロマンチスト野郎は微笑しつつ、星々を眺めている。今はちょっとした丘の上にいるので、特に上を向かずとも夜闇を照らす光を観覧できる。

 俺たち三人の後ろの方には野営地があり、焚火が熾されてイヴとベルが魔物肉を焼いている。そこ以外、見渡す限り地上に光源はないので、視界の上半分は煌めき、下半分が暗闇に沈んでいる様は奇妙な孤独感を喚起させる。


「ジーク、あの話、して」

「ん、どの話だ?」

「男の子の、物語。ぼく、あれ、好き。お姉ちゃんも、好きになる」


 こうして端から見ていると、ルティがジークに懐いていることがよく分かる。

 美幼女から好かれる野郎が少し妬ましいが、最近はあまり気にならなくなっていた。そもそも誰が誰を好きかとか、それは妬むべきことではなく、温かく見守るべきことだ。

 まあ、リーゼやサラが男に恋情を抱いたとしたら、もちろんこんな余裕はかませないけどね。

 

「物語って……アレか。あんな話を好きになってくれるのは嬉しいが、ローズちゃんにはどうかな。俺としては全然面白くない話だと思うんだけど……」

「うん。面白くない。でも、なんか、好き」

「ジークさん、そのお話、私にも聞かせてください」


 苦笑いを浮かべるジークを見るに、話すのは気が進まないように見える。

 本当に面白くない話だからか、あるいは何か理由があるのか。

 正直、俺も野郎の話自体に興味があるわけではないが、ルティが好きだというものを俺も理解したいのだ。

 認識を共有することにより、ルティという幼女をより理解し、親密になれる。

 

「まあ、そうだな……聞きたいっていうなら話すよ。でも予め言っておくと、本当に楽しい話ではないから、注意してくれ」

「はい」


 俺の首肯を確認すると、遠い眼差しで夜空を見上げるジーク。


「昔々……ある町に、一人の少年がいた」

 

 そう口火を切り、ジークは淡々とした口調で続けた。


 少年は町でも有数の名家に生まれ、何不自由なく育った。

 彼の家は代々、町の衛士として町のために働いていて、少年も将来は衛士になることが決まっていた。幼い頃から勉強や剣術を習わせられていたが、その頃はまだ日々を楽しく快活に生きていた。

 しかし七歳になると、急に勉強も剣術も厳しくなった。

 少年はあまりの厳しさに耐えがたい苦しみを覚え、逃げ出したくなったが、厳格な父にはどうしても逆らえなかった。日々の訓練は優秀な衛士になるためには必要なことで、それが名家に生まれた者の責務であり、町の一員としての役割なのだと教えられていた。

 辛く苦しい日々を送る中、ある日少年は自覚のないままに悟った。

 苦しいと思うのは、楽しいと思うときがあるからだ。だったら楽しいと思う時間をなくせば、苦しさもなくなるのではないか。

 無自覚のままにそう判断し、少年は日々の息抜きを自らなくした。親しみをもって接してくる幼馴染みの少女にも、冷たく接するようになった。感情の起伏をなくし、無感情に生きていれば、辛く苦しい思いをせずに済むと思ったのだ。

 少女は少年の家に代々仕える家系の子で、将来は衛士としての少年に仕え、仕事の補佐をすることが決まっていた。だから彼女の日々も訓練のために忙しく、きっと自分と同じ思いをしているだろうから、これは互いにとって良いことだと、少年は我知らずそう言い訳していた。

 少年の策は功を奏し、初めこそ日々が一層辛かったが、慣れれば以前より幾分も楽だった。ただ父の言うことに従って、優秀な結果さえ出していれば、何ら苦しい思いをせずに済んだ。

 それから数年が経ったある日、少年は慣例に従い、町長の娘の身辺警護をすることになった。少年は父に言われるがまま、その任を果たそうとした。

 だが、町長の娘である少女は言った。

 ――貴方の意志はどこにあるの?

 誰かの言いなりになって、周りに流されて生きることを、少女は嫌悪していた。

 彼女は少年の本質を一目で見抜き、意志のない彼を――自らの意に因る志を持たぬ者を、認めようとはしなかった。

 少女は些細なことにも喜怒哀楽を示し、そのくせ人一倍賢くして、不正を許さない人だった。町長の娘だった彼女は日々、町の運営に携わる者たちの不正を暴いて正そうとしていた。

 少年はそんな少女と出会ったことで、少しずつ自分に疑問を持つようになり、自らの意志に拠って立つ彼女に憧れを抱くようになった。

 そんな頃、少年は父から一つの命令を受けた。少女をさりげなく町の外に誘導し、ある場所に彼女を残して帰って来いというものだった。以前までの少年なら何の疑問も抱かず頷いていたが、彼は思い切って、なぜそんなことをするのか訊ねてみた。しかし理由は教えてもらえず、ただ言われたとおりにしろと、厳しく言いつけられた。少年にとって、父は神も同然の存在で、変わりつつあった彼にも逆らうことはできなかった。

 翌日、少年は言われたとおり、指示された場所に少女を誘導して、一人立ち去ろうとした。

 そのとき、男が現れた。

 男は自ら少女を殺すために現れたと言い、少年は男から帰れと告げられたが、一人で帰れるわけもなく、男と戦った。だがあっさりと敗れて意識を失い、次に目覚めたときには実家のベッドの上で、少女が死んだことを知った。

 町の不正を暴いていた少女には敵が多く、見かねた町の有力者たちの手により、殺されたのだ。父もそれに関与していて、だから少年に町外れの場所まで少女を誘導するように命令した。

 少年は痛感した。

 自分が辛く苦しい思いをしたくなくて、唯々諾々と誰かの言いなりになっていたせいで、少女を殺してしまった。父の命令に疑問を抱き、何かおかしいと思っていたのに、結局は流されてしまった。

 しかし、そう後悔したところで、死んだ少女は生き返らない。


「自らの意志を捨てて、ただ言われるがまま、流されるがまま、楽に生きていた愚かな少年。彼は取り返しの付かない過ちと引き替えにして、ようやく自らの意志を取り戻したのだったとさ……」


 星空を見つめたまま、どこか自嘲的な笑みと共にそう締めくくって、ジークは一息吐いた。


「どうかな、ローズちゃん。面白くない話だろう?」

「えっと……その、興味深くは、ありました」


 俺にはそう答えることしかできなかった。

 物語として色々改変されてはいるのだろうが、今のはジーク自身の話だったのだろう。これまで知り得たジークの素性はもとより、いま隣にいる野郎の様子からして、まず間違いない。二年半ほど前、アルセリアが竜降女の話をしたときと似たような雰囲気をしているのだ。


「興味深いか。まあ、そう思ってもらえたのなら、良かった」

「良かったって、どうしてですか?」

「ルティにもローズちゃんにも、今の話の少年みたいにはなって欲しくないからな」


 幼女の頭を撫でながら、しみじみとジークは言う。

 ルティの素性を考えれば、決して幼女向けとは言えない話を彼女にした意味は理解できる。

 

「いいか、二人とも。二人はとても凄い力を持っている。その力を狙って、いつか二人を利用しようとする者が現れるかもしれない。そんなとき、どんなに辛く苦しい状況だろうと、決して誰かの言いなりにはなるな」


 ジークは俺の顔を見て、ルティの肩に手を置いて、真剣に語りかけてきた。


「誰かの指示に従うことが、いけないことだと言ってるわけじゃないんだ。ただ、どんなときだろうと、自分の意志だけは手放さないでいて欲しい。誰かの指示に従うのだとしても、それは誰かに強制されたからだとか、周囲に流されてではなく、自分で判断して自分で決めるんだ」

「うん。ぼく、自分で、決める」


 ぼーっと星々を見上げていたルティは子供らしい素直さで頷いた。

 そして俺とジークに目を向けてから再び星空に視線を戻すと、子供らしくない淡々とした口調で言葉を続けた。

 

「この前、ゼフィ、言ってた。人が人として生きるのに、意志の輝きは二番目に大切なものだって」

「あいつ、そんなこと言ってたのか。たまにはいいこと言うじゃないか」

「でも、二番目というのは? 一番は何なんですか?」

「自分で考えてみろって、ゼフィ、言ってた。だから、ぼく、考えてみた……でも、分からない」

 

 ゆるゆると首を左右に振るルティ。

 

「お姉ちゃん、分かる?」

「うーん……なんでしょう、私もちょっと分からないですね。ジークさんはどうですか?」

「さてな、なんであいつ二番目なんて言ったんだか。人が人として生きるのに、一番大切なものは自らの意志だと思うけどな」


 思案げに目を伏せてから答え、ジークは肩を竦めて見せた。

 俺としても同じ気持ちで、野郎の考えには同意できる。


 そう……人にとって最も大切なものは、自分の意志なのだ。

 どんなことがあっても挫けない意志力こそ、魔法力より何倍も大切なものだ。

 誰かからそれを言葉にして伝えられて、俺は改めて強くそう思ってしまった。


「三人とも、夕食の準備ができましたよ」


 ふと背後から声が聞こえた。

 振り向いてみると、焚火の近くでイヴがこちらを見遣り、ベルが手を振っている。先ほどまでは周辺の見回りでいなかったユーハも既に戻ってきていて、石の上に腰掛けて待っている。


「じゃあ、行くか。二人とも今の話、どうか忘れないでいてくれ」

「忘れない。ぼく、ジークのこと、何でも覚えてる」

「私は何でもは無理ですけど、今の話は忘れません」


 微苦笑しつつルティの頭を軽く撫でてから、ジークはゆっくりと立ち上がった。

 ルティは野郎の一つしかない手を握り、俺の手もとって、三人一緒にイヴたちの元へと歩いて行く。満天の星空はとても綺麗で、一つ一つの星が煌々と輝く様は確かに世の中めいている。みんな何かしらの意志をもって、生きているのだ。


 そんな感じにロマンチスト野郎に影響を受けつつ、俺はその日の夕食も楽しく美味しく頂いていった。




 ♀   ?   ♂




 階段を上っていた。

 坑道めいた隘路の薄暗い段差を上へ上へと駆けていく。

 背後を振り返ってみれば、無明の闇が迫ってきていた。

 俺の踏みしめてきた一段一段を浸食し、真っ暗なそこから今にも手が伸びてきて、この身を引き摺り込むのではないか。

 そんな恐怖心が身体を急かし、立ち止まることを許さない。

 この階段を駆け上がり続けなければ、自分が自分でなくなり、ここまで上ってきた意味もなくなるという強迫観念めいた思いすら湧き上がっていた。


 しかし、俺は疲れていた。

 もう両足が棒のようで、息も荒く、全身が気怠い。

 そんなとき、ふと階段が途切れ、広間に出た。大して広くないそこには更に上へと続く階段と、どこか見覚えのあるような扉が一つあった。

 闇はそこまで迫っていて、だが俺はもう疲労困憊だったから、休息を求めて扉を開けた。すぐに閉めて闇が浸食してこないことに安堵し、ようやく一息吐く。


「――――」


 その直後、これは夢だと悟った。

 夢の中で自覚できる夢――明晰夢ってやつだな。

 なにせ現実ではあり得ない状況が展開されているのだ。

 夢以外の可能性は皆無だと気が付けた。

 闇の浸食がないのも、既にこの部屋が闇に侵されているからだろう。

 いや、この部屋こそが闇の源泉なのだと直感した。


『よお、俺』


 どっかで見たことがあるような男から、懐かしくも不快な声を向けられた。

 前世で俺が十年以上も引きこもり続けた部屋で、そいつは椅子に座っている。

 その全裸メタボ野郎の後ろにはディスプレイいっぱいに拡大表示されたエロゲの画面が映し出され、暗い部屋を仄かに照らしていた。


「なんだ、お前」

『なんだとはご挨拶だな。「よお、俺」って言ったじゃねえか』


 そいつは気持ち悪く笑った。

 豚足めいた足を組み、全裸のくせして無駄に堂々と座っている。


『豚足とは酷いな、おい。いくらそっちが幼女だからって、俺はお前なんだぜ?』


 そう言われて、自分の身体を見下ろしてみた。

 華奢な手足はちゃんと衣服に包まれていて、俺は二本の足で自立している。

 如何にも鈍重そうな巨体を椅子に預けている全裸メタボ野郎と、ちょうど目線が同じくらいだった。


「なんだ、これ、何がどうなってるんだ……?」

『おいおい、お前さっき自分で、これは明晰夢ってやつだとか何とかモノローグってたじゃねえか』


 目の前の野郎から呆れた物言いをされる。

 なんか妙に腹立たしいな。

 いや、それより……うん、そうか、夢だったな。

 試しに自分の頬をつねってみるが、全く痛くない。

 まあ、夢でなければ前世の自室に俺がいることなんてあり得ないし、あんなクソ長い一本道の階段だって現実にはないだろうし、そもそも俺が最も嫌悪するクズニート野郎とこうして対面できるはずもない。

 

『ようやく納得したか、俺。そう、ここは夢の世界。お前が作り出した妄想の産物だ』


 両腕を広げて、ドヤ顔を見せつけてくるクソ野郎。

 普通にキモい。吐き気がする。


「なんで俺こんな夢見てんだよ……お前なんて見たくないんだよ、消えろよお前……」

『なに言ってんだよ、この夢を見てるのはお前自身なんだぜ? お前が望んで、このクズでニートでメタボで童貞でエロゲーマーな俺を呼び出したんだ』


 いや、呼び出してないし。

 もうお前のことなんか忘れかけてたのに、なんで出てくるんだよ。

 この夢、どうやって終わらせるんだ?


『まあ待てよ、そうつれないこと言うなって。ちょっとは考えてみろよ? 夢ってのは潜在意識――無意識の影響を強く受けるもんだ。こうして俺が出てきたってことは、自分と話すべきことがあるってことだろ』

「なんだよ、話すべきことって」

『そりゃお前、自分と話すことなんて、自分に関することに決まってんじゃねえか』

「俺はもうお前じゃない。ほら見ろよ、俺はローズだ」


 今度は俺が両手を広げ、ドヤ顔を見せつけてやった。

 奴と違って、俺はどんな顔でも普通に可愛いはずだ。


『お前、ナルシストだよなぁ。まあ無理もないとは思うけどさ」

「なんだよ、誰がどう見たって俺の容姿は並以上に可愛いらしいだろうが」

『はいはい、それはともかくとしてだな。確かにお前の言うとおり、もうお前はローズなんだろうさ。だが、お前自身と話をするために、こうして夢に俺が出てきている。この状況からして何の話をすべきかは……フッ、本当はもう分かってんだろ?』


 キモい笑みを浮かべて、気障ったらしくも意味深な感じに同意を求めてきやがった。奴は椅子の肘掛けに片肘を突き、丸っとした拳で頬を支えている。どこぞのイケメン俳優がしていそうな姿勢だが、相手がキモメンの三十路クズニートだと殺意すら湧くレベルでキモい。


「…………」

 

 だが、野郎の言っていることは間違っていなかった。

 俺は薄々感付いている。

 奴の言うことが本当なら、このクズニートメタボ童貞エロゲーマーは俺の潜在意識の産物だ。

 つまり俺は無自覚なままに自分こいつとの対話と望んでいたことになる。


「……呪いの話か」

『そうだ、ようやく自覚したか。今お前の見ている俺は前世の俺、すなわち前世の記憶だ。お前にとって、前世の記憶とはトラウマという呪いの源泉だもんな』


 今度は腕を組み、うんうんと頷いているクズニート。

 相変らず豚のように太い短足は組んだままなので、本来は偉そうに見えるはずなのに滑稽に映る。


「なんだよ、もしかして前世の記憶を消してくれんのか?」

『そんな都合良く消せるわけねえだろうが。ちょっとは考えて物言えよ』


 クッソ……こんなクズ野郎から言われるとは屈辱すぎる。

 菩薩のように温厚だと名高い俺もさすがにキレそうだぞ。


『へえ、お前キレられんの? だったらキレてくれよ、なあ?』

「…………」

『ま、無理だよなぁ。だからこそ、こうして俺が現れてんだ』


 とりあえず、俺は冷静になることにした。

 癪ではあるが、今は我が無意識の言葉に耳を傾けるべきだろう。

 

『さて、さっきお前は俺に消えろと言ったよな? だがそれは無理な相談だ、今のお前にはな』

「どういうことだ……?」

『お前はまだ呪われている。まだ前世の記憶に縛られている。過去に対して整理を付けない限り、俺という醜い存在はいつまでもお前を呪い続ける』


 俺に指先を突きつけてくる過去の俺。

 その姿は滑稽なはずなのに、先ほどまでとは打って変わって眼差しが鋭い。


『お前が今その姿でここにいること然り、お前は成長したよ。陽光嫌いも広所恐怖症もコミュ障も治って、簡単に見切りを付けず努力し続けることも、誰かを信じて頼ることもできる。だが、まだ一つだけ、致命的な呪いが解けていない』


 奴の言っている呪いが何なのかは俺も自覚している。

 だが、それは致命的だろうか?


『致命的に決まってんだろ、間抜け』 

「お前に間抜けとか言われたくないな。べつに致命的じゃないだろ、怒らないに越したことはないんだから」

『……ローズは優しいね、怒らないねって、よく言われるよな、お前。だがよ、お前の場合は怒らないんじゃなくて、怒れないんだよ。怒れないから、誰にでも優しくしてるように見えてるだけなんだよ』


 さすが俺の無意識、的確な指摘だった。

 今更思い返すまでもなく、俺はクソ兄貴のせいで怒れない。

 俺が物心つく前から成人して間もない頃まで、奴は好き勝手に怒りという感情を撒き散らしていた。怒りに狂う人間を最も間近から見続けて育ったせいで、俺は怒るという行為に忌避感を持っている。


『そう、お前は忌避感を持ってるんだ。お前だって怒りを覚えることはあるのに、それを表に出せない。じゃあどうして表に出せないのか……分かるよな?』

「…………」

『あのクソ兄貴みたいになりたくないから。もちろんそれもあるだろう。だが、それと同等かそれ以上の理由があるよな?』


 エロゲがフルスクリーン展開されたディスプレイを後光として背負うクズニート野郎に容赦はなかった。ずけずけと俺の内心に踏み込んで来て、追い詰めてくる。

 いや、こいつは俺の内心そのものなんだろうが、それでもなんだか不快で、苦しかった。


『お前は、怖いんだ』

「やめろ……もう分かってるから、それ以上言うな」

『いいや、お前が解呪するまで言うのをやめない。このクズな俺が、惰弱なお前に言ってやる。お前は怯えてるんだ、怒りを露わにすることに』


 思わず俯いて、奴から目を逸らした。

 相手はクズニートなクソ野郎のはずなのに、俺は奴と顔を合わせられなかった。


『怒りってのは、何かに対する敵対行為だ。誰かが、何かが気に食わなかったり、癪に障ったり、許せなかったりする。だからその不平不満を世界に訴える行為――それが怒りだ』

「……………………」

『お前は誰かと、何かと、世界と戦うことに恐怖しているんだ。誰にとっても良い子であろうとしていたお前は、世界から敵意を向けられることを心底から恐れている。戦いたくないから、嫌われたくないから、だから怒りを覚えても我慢して、へらへら笑ってやがる』

「そんなことはないっ、俺はちゃんと怒っていた。アウロラに対してもちゃんと立ち向かっていった、猟兵協会のクソガキ相手にだって報復した」


 俺の反論に対して、メタボなキモオタは失笑を溢した。


『ハッ、せいぜい数える程度じゃねえか。ま、たしかにアウロラ相手にお前は頑張ったよ? だが所詮、それは相手が幼女だからできたことだろ?』

「それは……」

『生意気なクソガキのときだってそうだ。しかもあのとき、お前は自分が攻撃したと悟られないように――自分が敵だと認識されないようにしていた。正面から相手に立ち向かったわけじゃない』


 ちくしょう……こいつ、痛いところばっかり突いてきやがる。

 俺の無意識はこんなにサディストだったのか。


「……敵だと思われれば、戦いになるだろ。戦わずに済むのなら、それが一番のはずだ」

『そうだな、あぁ、そうだとも。だがよ、それは戦える――怒れる奴だけが言えることだ。お前は怒れないよな? 怒りに身を任せることができないよな? どれだけ怒ろうとしても、どうしても心から怒れないよな?』


 俺は未だかつてキレたことがない。

 いや、キレかかったことなら何度かある。


 例えば、前世で俺がまだ小学生の低学年だった頃。

 俺は当時嵌まっていたアニメに登場するロボットのフィギュアを集めていた。

 一体で三千円くらいするそれをお年玉や小遣いで買い集め、一年以上も掛けて七体ほどを集めた。しかし、あと一体でコンプリートするという頃、クソ兄貴が俺の宝物を木っ端微塵に破壊した。

 まだ自分の部屋を持っていなかった当時の俺はそれをリビングに飾っていて、奴はいつも通り何の前触れもなく癇癪を起こし、怒りという感情を好き勝手に爆発させ、目に付いたものに当たったのだ。

 宝物が蹂躙される様を見て、俺はキレかかったが……何もできなかった。

 絶望と同じかそれ以上の怒りが腹の底で沸々と煮えたぎっていたのに、それを奴に向けることができなかった。もし俺が憤怒するクソ兄貴を止めようとすれば、あの激情全てが俺へと襲いかかってくる。

 そう思うと、怖くて動けなかった。

 

 結局、あのクソ兄貴は母さんが何とか宥めたが、奴は微塵も反省しなかった。

 完膚無きまでに破壊された俺のロボットフィギュアたちは弁償してもらえず、常日頃から家具を破壊されている両親も特に大きな問題としては見ず、そのまま流された。

 それから数年後、俺が小学校高学年の頃にも似たようなことが起きた。

 ちょうど俺がリビングのこたつに籠もって携帯ゲーム機をプレイし疲れ、休憩していたときだ。突如として怒り狂ったクソ兄貴は、テーブルに置いていた俺の携帯ゲーム機を奪い取り、石油ストーブの上に置くと、狂ったように叫びながら液晶画面にプラスドライバーの先端を何度も叩きつけ、高熱と貫通攻撃により破壊した。

 そのときも、俺は何もできなかった。

 見境なく、躊躇いなく、奇声を上げながら人の物を蹂躙する四つ年上の兄が、たまらなく怖かった。あの理解不能な激情と向き合うことなんて、とてもではないができなかった。

 もう十年以上もクソ兄貴と生活を共にしていた当時の俺は、無自覚なままに心底からそう調教されていた。


「……お前の言うとおり、俺は怒りに身を任せることができない。その感情をまともに表に出すことだって……戦うことだって、できない。だが、べつにそれでもいいだろう?」

『お前の言いたいことはよく分かるぜ? 怒りって感情は周りの人間を不愉快にして、不幸にする。事実、お前はクソ兄貴が怒っている様を見て、いつも嫌な気持ちになっていた。うんざりしていた、居心地が悪かった、空気が最悪だった』

「そうだ、だから俺は怒りたくないんだ。みんなが不幸になる。誰も良い気持ちにならない」


 だらしない身体を椅子に預けているクズニート野郎は大げさなまでに溜息を吐いて見せた。

 やれやれと薄闇の中で頭を振り、呆れた目を向けてくる。


『みんなが不幸になる、ね。そのみんなの中に、お前自身は含まれていないのか?』

「俺は、べつに……」

『お前が我慢することで、お前が不幸になっている。喜怒哀楽そろって初めて真人間なのに、お前は怯懦と遠慮で怒りを抑えつけている。なあ、俺……お前はさ、もっと自分の感情に素直になって生きろよ。怖がることも遠慮することもないんだよ、お前の場合はそれくらいでちょうどいいんだよ』


 自分から同情の眼差しを向けられるってのはなかなかに辛い。

 それがクズでニートでメタボで童貞でエロゲーマーな奴だと思うと、死にたくなるほど情けなくなる。


『まあ、もう遠回しに言わずにぶっちゃけるとさ、お前は意志薄弱なんだ。だから怖がって不安がって、怒られないように嫌われないように、いつも自分より周囲の連中のことを気にして、怒りを露わにすることができない。だから誰にでも優しくして、八方美人に振る舞って、それで事あるごとにうじうじ悩んで、あまつさえレオナのために全力で動けない』


 返す言葉もない。

 俺には意志力が欠如している。

 本当にレオナを大切に思っているのなら、他の何を犠牲にしてでも動けたはずだ。でも俺はリーゼたちも大切に思っていて、レオナのことも諦めきれず、二つの間でふらふらしている。

 本当は、二兎を追う者は一兎をも得ないのだと、分かっているはずなのに。

 意志が弱いんだ。

 

「意志……そうか、この夢はジークの話の影響か」

『そうだ、あのうらやまけしらん野郎は言った。人が人として生きるのに、一番大切なものは自らの意志だと。俺もそう思うぜ。お前がローズとして生きるのなら、俺という過去を克服したいのなら、強い意志を持てよ。魔女としての強さより、誰にも何にも負けない、何があっても揺るがない意志力を――人としての強さを身に着けろよ』

「あぁ……そうだな」

『そしてお前は怒っていいんだ。嫌なことをされたり、理不尽なことが起きたりしたとき、お前は怒っていいんだ。もちろん周りの人への気遣いも忘れちゃダメだけどさ、お前はもっと自分勝手になっていいんだよ』


 全裸クズニートな奴から言われると、なんか妙に説得力があった。

 でも、そうだな……そもそもニートってのは自分勝手な生き物なんだ。

 家族や何かに寄生して、働かずに飯を食って、毎日毎日好きなことをやって過す。べつに望んでニートになったわけじゃないし、現状を変えたいとも思っていたし、苦悩もしていた。

 それでも、本気を出せば少しは状況を改善して、真人間に近づけたはずだ。

 そうしなかったのは、甘えがあったからに他ならない。自分勝手に環境に甘えて、自分の弱さを他人のせいにして、周囲に負担を強いていた。

 だから、クズなんだ。

 

『お前は前世で十年以上もクズニートを続けてたんだろ? だったら、今更だろうがよ。このクズニートな俺にできて、今のお前に――ローズにできないことなんてないだろ。本当に変わりたいと思うのなら、このクズニートな俺を拒絶せず、否定せず、受け入れろ』

「お前を、受け入れるだと……?」

『そうだ。いくら自分を否定したところで、結局お前は俺で、俺はお前なんだ。だったら俺を受け入れろ、呑み込んで、消化して、栄養にして前に進め。俺の頭を踏みつけて、新しいお前への踏み台として活用すればいい』


 そうは言っても、クズニートなんて栄養どころか毒にしかならないと思う。


「そうだとも。俺は毒だ、変わろうとするお前を犯す猛毒だ。だが俺という毒に耐えきったとき、お前は免疫つよさを手に入れるだろう。もう二度と過去に怯えず、もし今後また醜態を晒したり失敗を犯そうと、それらと正面から向き合って、それを糧にして更に強く生きていける」

「…………俺は……お前が嫌いだ、大嫌いだ。クズで惰弱でどうしようもないお前の存在がこの上なく目障りだ」


 それでも、奴の言うことには一理ある。

 どこまでいっても、俺は俺なのだ。

 たとえここが異世界だろうと、俺という人格を構成する過去の経験は、記憶という事実として残り続ける。今までの俺は過去の自分を恥じ入るばかりで、憎しみすら抱いていて、ただその存在を否定していた。

 しかし、事実よわさ事実よわさとして受け入れて、他の誰でもない俺自身が、過去の無様な俺という存在を認めてやる。

 その上で変わろうとしなければ、きっと俺はこの世界で何か嫌なことが起こる度にその現実を否定し、過去から逃げ続けるだけの臆病者としてしか生きられない。


「いいだろう、俺はお前を受け入れるよ。クズな自分を認めて、呑み込んでやる。そしてお前という過去を踏み台にして、俺は心の底から新しい俺として生まれ変わる」

『そうだ、それでいいんだ。自分を認めろ、素直になれ、世界だれかに遠慮なんてすんな。今そこに二本の足で自立してんなら、誰憚ることなく、心のままに喜怒哀楽して見せろ』


 椅子に寄り掛かったクズニートが、俺を指差して不敵に笑ってやがる。

 相っ変らずキモいなぁ、チクチョウ……。


『目下の所、オルガでも参考にしてみろ。あの人は結構自分の感情に素直だし、意志だって人一倍強い』

「あぁ、そうするよ」


 俺の無意識が言うってことは、きっと俺は姐御のような生き様に憧れてるんだ。

 彼女は過去に色々あったくせに、聖天騎士という偉くて凄い魔女になって、そのくせどこにでもいる女猟兵みたいに喜怒哀楽をも見せ、恩人のために地位も名誉もなげうつ覚悟で行動を起こしていた。

 それくらい強い意志を持った人に、誰かを心底から大切に想える人に、俺はなりたいんだ。


『さて……もう粗方言いたいことは言った』


 クズニートは椅子をくるりと反転させると、俺に背もたれを向けて二次元ヒロインと向き直った。

 しかし、ディスプレイをぼんやりと眺め始めたと思ったら、奴はマウスをクリックしてエロいゲームを終了させた。


『ほら、さっさと行けよ。お前は扉を開けて、また階段を上っていくんだ』

「あ、ああ」


 後ろ手に手を振るクズニートに俺も背を向けて歩き出し、ドアノブを掴む。

 だが、先ほどまで味わっていた闇の恐怖を思い出してしまい、身体が強張ってしまった。


『お前、俺を受け入れたんだろ? だったら、もう怖がる必要なんてねえだろ』

「……そうだな」

 

 振り返ることなく頷いて、俺は部屋の外に出た。薄暗いホールには階段が二つあり、上へと続く階段と、下へと続く階段が果てなく続いていた。

 部屋に入る前まで蠢いていた闇はそこら辺をゆらゆらと漂っている。


 俺は上へと続く階段に近づき、一段目に足を掛けた。

 すると、例の闇が背後から迫ってくるのを感じる。

 しかし臆することなく、焦りもせず、自分のペースで階段を上っていく。闇はあっさりと俺に追いつくと、両の足に纏わり付いて……靴になった。

 ピッタリとフィットする、この上なく歩きやすい靴になった。


「なんだよ……そういうことだったのかよ」

 

 俺は苦笑しながらも、先ほどより軽い足取りで上を目指して走り出した。

 この階段がどこに続いているのか、終わりはあるのか、それは分からない。

 だが俺は両足を止めない。

 あの部屋に引き返したりもしない。

 たまに後ろは振り返るけど、それは俺が辿ってきた道を確認するためだ。


「やっぱり、まだ一段飛ばしは無理か」


 歩幅の小さい幼女の足では一段一段踏みしめながら、着々と上っていくしかない。俺はそれを不満に思わず、むしろ嬉しく思って、走り続けていった……。

 

 

 ジークの自分語り、いらなかったかもしれないと書いてから思いました。

 これまで本作はローズ視点だけでも物語を理解できるように構成していました。だからジークの過去に関する描写をしたのですが、間話を読み飛ばしている人はいないと思うので、もう今後は間話込みで構成するとします。

 

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