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幼女転生  作者: デブリ
一章・奴隷編
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第十話 『機は夜より来たる』


 奴隷生活二十六日目。

 俺は黙々と、幼女でも簡単にできる軽作業をこなしていく。

 その間、幾度となくリタ様のお姿が脳裏をチラつく。魔弓杖という巫山戯た代物の部品を組み立てている自分を客観視すると、頭がおかしくなりそうだが……

 耐える。

 

 いつも使っている作業台の一辺に、レオナの姿はない。ノエリアもフィリスも人形めいた無表情で、機械のように淡々と手を動かしている。

 一昨日まで――正確には三日前まで、俺たちに見せてくれていた笑顔はない。まるで太陽さながらに、さりげなくも当たり前のように俺たちを元気づけてくれていた尊い輝きは、俺たちの足下に閉じ込められた。彼女のことを思うと不安と焦燥と情けなさが綯い交ぜになった激情が胸中をかき乱すが……

 耐える。


 今更の話だが、環境の劣悪さもこの身を苛む。

 工場内は暑い。雨が降ってくれれば別だが、基本的にこの地域は強い日差しが照りつける湿気の多い熱帯だ。そろそろ一ヶ月ほどになるものの、未だにこの蒸し暑さにはこたえるが……

 耐える。


 マウロたち監督役の野郎共は、相も変わらず人でなしだ。

 未だにリタ様のショックから脱し切れていない幼女たちは多い。昨日、そして一昨日は激烈なまでに緊張感が強かったが、二日経って少し緩んだのか、今日は二人の幼女が倒れた。極度のストレスに精神が耐えられなかったのだろう。まるで糸が切れるようにパッタリと倒れ込んだ。

 しかし、マウロたちは容赦なかった。倒れた幼女の腕を掴むと、そのまま隅の方まで引きずって、全身に水を浴びせかける。目覚めた一人には大量の水と塩を与えると、そのまま作業に戻らせ、目覚めない幼女は放置。

 俺たち奴隷幼女たちへの示威という意味もあるのだろう。まるで家畜を扱うようなその姿勢は、俺という幼女の代わりなど幾らでもいて、存在価値などなきに等しいと宣告されているようで恐怖を覚えたが……

 耐える。


 一日の作業が終わり、奴隷部屋に押し込まれる。

 俺は昨日までと違い、一人だ。ノエリアやフィリスたちの方から離れていったのではない。奴隷部屋に入ってすぐ、俺の方から離れていった。俺のせいで彼女らに迷惑を掛けたくなかったのだ。

 だが本当は、一緒に食べようとする俺からノエリアたちが離れていく様を見たくなかっただけかもしれない。ボッチになったことで――集団の中で孤立したことで、高校のトラウマが喚起されて酷い頭痛が起きるが……

 耐える。


 アウロラは昨日の今日で、幼女王から幼女帝にジョブチェンジしたのか、以前にも増して恐怖政治を敷いていた。彼女の命令に逆らう幼女はいない。水を求める幼女に土下座しろと命じると、力ない挙措で額を床にこすりつける。

 もはや幼女帝以外の幼女たちに、気力は絶無だった。


「ローズ、おまえも水がほしいんだろう? 頭を下げて、『お願いしますアウロラ様』といえば飲ませてやる」


 アウロラはボッチメシを食らう俺のもとへとやって来て、唐突な蹴りと共に傲然と言ってくる。

 無論、俺も水は飲みたいが、アウロラに頭は下げない。俺は道化と化して幼女帝の虚栄心を満たしてやると決めてはいるが、最後の一線は越えない。リタ様を死に追いやった奴に、自ら進んで頭を下げるなど、彼女への侮辱と同義だ。


「なんだおまえ? 水ほしいんだろ? おいっ、言ってみろよローズ!」


 俺はアウロラにどつかれながらメシを食っていく。

 木の実を床にばらまかれ、頭を踏まれながら「そのまま食え」と言われる。適度にアウロラを満足させなければならないため、俺は食った。頭を踏まれながら食った。はらわたが煮えくり返りそうだったが……

 耐えた。

 ひたすらに耐え、笑った。

 レオナのように笑顔になって、声に出して笑った。

 

「気持ち悪いな、おまえ。そんなに嬉しいならもっとやってやるよっ」


 アウロラは以前にも増して、タガが外れたように暴虐を揮う。

 幼女帝が満足して飽きるまで、俺は奴の玩具になった。


 夕食後、眠気が襲ってくる。いくら精神的に緊張している状態にあっても、あるいはだからこそ、睡魔の誘惑は強烈だ。

 しかし俺は全員が寝静まるまで待つ。少なくともアウロラが完全に寝息を立てるまで、意識を手放さない。自由に水が飲めない俺は、アウロラが寝た後でなければ水を飲めないのだ。

 寝ていても汗は掻く。水を飲まなければ脱水症状を起こし、俺の脆弱なロリボディはたちまち危機に瀕する。ふらつく身体で水桶までいき、腹いっぱいに水分を摂り溜めて、眠りに就く。


 クソッたれな奴隷生活だ。

 俺がただの幼女なら確実に心が折れている。そうでなくとも、俺がただの転生者なら絶望しているところだろう。せっかくの新しい人生だというのに、奴隷という巫山戯た境遇に押し込められているのだ。反抗できる力などなく、生命の危機を感じながらの生活は鬱の苗床だ。


 だが、俺には前世のクソッたれな記憶がある。

 クソ兄貴の暴虐に怯えながらの日々を思えば、こんなもの日常だ。抑圧される日々など、前世で嫌というほど味わった。

 ただ、前世の俺は反抗しなかった。できなかった。

 そんな気概は失う前から摘み取られていた。

 

 今世こんせでは違う。

 もう俺は屈しない。諦めない。

 俺は俺の意志を貫いてみせる。




 ♀   ♀   ♀

 



 奴隷生活二十七日目。

 今日も今日とて、奴隷という立場で労働に従事する。

 先が見えず、終わりの見えない日々というのは不安ばかりを募らせる。


 特別なことは何も起こらない。

 ただ奴隷幼女として、リタ様を死に追いやったゲスなブツの一部を組み立てていくだけだ。マウロたちは作業台の間を見て回り、一人一人の背後で立ち止まっては作業を監視してくる。

 その多大なプレッシャーは手足を震わせ、作業ミスをする幼女も現れる。すると当然のように怒鳴られ、蹴られ、幼女たちは際限ない恐怖心を植え付けられていく。そうして仕舞いには心が鈍化して優秀な奴隷になるのだろう。

 俺も手は震えたが、全意志力を傾けて作業に集中し、心身共に余計な怪我を負わないようにした。


 レオナは明後日、この工場から連れ出される。

 変態貴族などではなく、もしかしたらいい人に買い取られるかもしれない……

 などという希望は俺の中には存在しない。


 俺は奴隷という制度を軽蔑している。

 奴隷制度が存在している世界など信用していない。既に身をもって奴隷とは何なのかを実感しているのだ。

 レオナのことは、死以外の最悪を想定しておく。

 もしかしたら……という希望は俺の心を腐らせる。あの愛らしく健気な笑顔が穢され貶められると考えれば、俺は無限のヘイトパワーによって耐えられる。

 いざというとき、恐怖に屈することなく身体を動かせる。




 ♀   ♀   ♀




 奴隷生活二十八日目。

 明日、レオナが遠いところへ行ってしまう。


 俺は朝から必死に突破口を模索した。

 昨日も一昨日も現状を打破できる方法はないかと考えたが、非情なまでに皆無だ。無論、鍵を盗んで地下へ行き、レオナを救出して脱出するという方法なら思いついた。だが、そんな中学二年生並の安直な妄想が実現すれば、俺はそもそも苦悩していない。

 異世界に転生しても、現実は現実なのだ。

 リアルは残酷であり、思い通りになんていかない。だからこそ前世の俺は自分の殻に閉じこもり、引きこもりのクズニートになっていた。 


 最低の労働を終え、最低のディナータイムを過ごし、最低の明日を思いながらワラの上で横になる。

 眠たいが、眠れない。頭の半分は微睡んでいるのに、もう半分は明日という区切りを前に醒めている。

 明日なんて来て欲しくなかった。

 しかし明日が来なければ、何かが変わる――変えられる可能性さえ失われる。

 

「はぁ……」


 思わず溜息を吐いた。

 どれだけ強がっても、俺の心は少しずつ、着々と摩耗している。このままでは弱気になり、ネガティブシンキングの渦に呑み込まれる。

 こういうときこそ、笑顔だ。

 笑顔になって……そう、レオナの歌を思い出すのだ。

 静かな奴隷部屋の片隅で、俺は小さく声に出して歌う。


「風の薫りは華やかに その髪を撫でる

 あなたと共に この大地を踏みしめた

 かけがえのない日々が 絆を彩る


 嗚呼 愛しい声が 怒号に紛れても

 言葉より確かに あなたを感じる

 忘れないで 心はいつも側にいるよ

 たとえ遠く離れても 一人じゃないから


 時の流れが蝕もうと 不朽の絆は美しく

 あなたがいるから 死を恐れない

 最後のときまで笑っていよう

 生まれ変わっても きっとまた会えるから」


 これが何の歌なのか、今となっては分からない。

 だが、勇気の出る歌だ。 

 俺はレオナを助けるのだと、強くそう思える。


 まだまだ眠れそうにないので、尚も歌い続ける。

 涙が出てきそうだったが、堪えた。

 レオナを助け出すまで泣くわけにはいかない。


 そうして俺は、長く辛い夜を耐え忍び続ける。




 ♀   ♀   ♀




 明日、レオナが出荷される。

 レオナの歌をほとんど無意識のうちに口ずさみながら、今後についてアレコレと考える。何分か何時間かも分からない間、ボッチな俺はそんなことを続けていく。


 前世の俺は眩い陽光が嫌いだったので、夜が好きだった。

 だが、今の俺は夜が嫌いだ。周囲が暗いと思考がネガティブになり、先の見えない真っ暗闇な奴隷生活に心を浸食されそうになる。

 俺が人知れず内なる闇と暗闘を繰り広げていると、不意に甲高い音が鼓膜を突いた。


「なんだ……?」


 笛のような音だったのは分かるが、初めて聞く響きだった。

 音源はおそらく、同じ二階にある野郎共の寝室だ。結構な音響だったせいか、奴隷部屋のあちこちから身じろぎする気配が感じられる。

 笛の次は野郎共の声が微かに響いてきた。ドタバタと騒然とした物音も聞こえる。かと思いきや、奴隷部屋のドアが勢いよく開いた。


「――アウロラ!」

 

 ノビオだった。

 いつになく真剣な顔で、憂いと焦りの入り交じった叫びを上げる。

 名を呼ばれた幼女が少しふらつきながらも部屋の奥で立ち上がると、ノビオは彼女の方へ走り寄った。


「どうしたんですか、ノビオ様」

「ここにいると危険だっ、今すぐ逃げよう!」

「いったい、何が起きたんですか……?」

「説明は後でするから、早くっ!」


 切羽詰まった様子で言うや否や、ノビオはアウロラの手を取ってドアへと駆ける。

 その途中、今度はマウロが姿を見せた。右手には拳銃型の魔弓杖、左肩にはスリングで吊り下げられたマスケット銃型の魔弓杖を携えている。


「おいノビオッ、テメ何してんだこんなとこで!? お前警備要員ならさっさと下行って襲撃者ってのをぶっ殺せ!」


 奴隷部屋に一歩入って、焦慮の念を全身からこれでもかと発しながらマウロが怒鳴る。しかし、ノビオは野郎の言葉を最後まで聞くことなく、呟くように小声を漏らし始めた。


「■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■。

 ■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■」

「なにブツブツ言ってんだボケッ! アァクソッ、いいからさっさと来――」

「■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■。

 ■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■――〈■■■〉」


 おもむろに、ノビオがマウロに左手を向けた。掌の先に、不気味に揺らめく黒い何か――火の玉らしきものが現出したかと思えば、目視可能な速度で中年親父へと射出された。

 マウロは反射的といった動きで避けようとするが、右腕に掠る。すると、油に火が点いたような勢いで黒々と燃え始めた。黒炎は腕から肩まで一気に這い上がり、三秒もしないうちに全身を覆い尽くす。


「い……あ? なっ、ガアアアアアァァァァアァァアア――ッ!」

「貴方のような愚者にこそ相応しい魔法です。至宝を貶めた罪、苦しみ悶えながらその身で贖ってください」


 意味不明な絶叫を上げるマウロを冷めた瞳で見つめ、ノビオも意味不明な台詞を素っ気なく口にする。黒い火達磨と化したマウロを無視して通り過ぎると、イケメン野郎は幼女帝の手を引いて部屋の外へと消えていく。


「……………………」


 その間、俺は唖然とそれらを見つめているしかなかった。

 いきなりすぎて全く意味が分からない。

 分からないが……これは好機だ。最大の脅威だったオッサンが今は倒れ、現実味のない黒炎で全身を燃やし、無茶苦茶に苦悶の叫びを上げている。

 そして、奴隷部屋のドアは開いたままだ。


「レオナ……っ!」


 俺は立ち上がった。

 一階や外の方から野郎共の怒声や悲鳴めいた叫び、激しい物音がひっきりなしに響いてくる。状況が不透明すぎて怖いが、そんなこと言ってはいられない。

 奴隷部屋内の幼女たちは四肢を闇色に燃やすマウロを見つめており、奴を苛む炎は黒いくせに薄らと周囲を照らし出している。驚き惑いながらも口元を歪めて笑んでいる幼女が何人かいたが、今は気にしている余裕などない。


 扉へ向かって走り出したとき、しかしマウロが立ち上がった。思わず黄金水をチビりそうなほどビビッたが、奴の視線は俺に向けられていない。

 切羽詰まった風体の中年親父は部屋の中央部に置かれた水桶を一心に見つめ、ゾンビさながらの危うい駆け足で近づいていく。


 俺も駆け足でドアに近づいていくが、今度は転んだ。何かを踏んづけてバランスを崩したのだ。

 床に目を向けると、そこにはマウロが落とした拳銃型魔弓杖があった。

 脳裏にリタ様の御姿がフラッシュバックする。と同時に、リタ様と出会った日のことが思い出された。

 転生した初日、リタという愛称で呼ぶことを許され、俺に魔弓杖について教えてくれた。そのとき、リタ様は言っていた。

 

 ――女に魔力はない。

 ――でも、まったくないわけじゃない。


「……ハッ」


 俺は自嘲ぎみに失笑しながらかぶりを振り、素早く深呼吸して立ち上がった。

 

「チックショウガアァァアアァァ! なんでギエねえォォォオオァァアアア――」


 マウロの苦鳴が奴隷部屋に響き渡る。

 気を引かれてクソ野郎をチラ見してみると、奴は身体を丸めて水桶に全身を浸していた。が、奴の纏う黒炎は一向に火勢が衰えていない。どころか、水が蒸発してすらいなかった。

 その異様な光景にやや呆然と見とれてしまったが、すぐにかぶりを振って床の拳銃型魔弓杖に手を伸ばした。両手で抱え上げて持ってみると、結構重い。だが思ったほどでもなかった。たぶん一キロ――もとい一メトもない程度だ。

 

 時間もないので、素早く確認する。左手と胸で銃把を挟むように固定して、右手の人差し指と中指をトリガーにかける。

 女に魔力はないというが、俺は男だ。

 確かに肉体は幼女だが、中身は三十路の元クズニートで魔法使いだ。

 そう、俺は魔法使いなのだ。


「――っ!」


 トリガーを引き込むと、鮮烈な赤が一瞬だけ弾け、甲高い音が小さく響く。銃口を向けていた壁が赤く弾け、幻想的な燐光が宙を舞った。


「ど、童貞で良かったっ!」

 

 思わず歓喜の声を上げてしまった。

 やはり俺は男で魔法使いだったのだ。

 見た目は幼女、頭脳は三十路、その名はロリ薔薇のローズなのだ!

 ……い、いや待て、クールだ、調子に乗るな俺。大人の女でも一発くらいなら撃てる程度の魔力があるって話だった。ここは落ち着いて、もう何発か撃ってみた方が良いだろう。

 と思って五回ほど連射してみたが、全く問題なく使用できた。

 魔弓杖は反動がないらしく、我がロリボディでも何とか扱えそうだ。


「グアァアアアァァアアァアああああぁぁアァァァァ――ッ」

「よし!」


 未だ収まらぬマウロの絶叫を聞き流し、走り出す。

 リタ様のことを思うと魔弓杖は放り捨ててぶっ壊したいが、俺はレオナを助けるためならできることは全てやると決めたのだ。

 否応はない。

 

 幼女のロリロリしい素足で廊下を駆けて、階段の前にたどり着く。

 階下から薄明るい光と熱が伝わってくる。火の手が回っているのか、光は揺らめき、野郎共の声やら物音が生々しく響いてくる。

 前世でクソ兄貴が怒声を張り上げ、家の物を手当たり次第にブチ壊す様を見たことがあるが、音だけなら現状の方が比較にならないほど激しい。先ほどマウロは襲撃者と言っていたので、おそらく野郎共がそいつらと戦っているのだろう。


「と、とりあえず地下におりよう」


 後のことはそれから考えればいい。

 もしかしたら俺はこの下で死ぬかもしれないが、深くは考えない。

 怖いからなっ!

 とりあえずはレオナだ、レオナの元に辿り着く。

 よし。

 

 慎重に階段を下りていくと、次第に熱波を強く感じるようになる。周囲を見回しながら地に足を着けると、炎の壁があちこちに上がっていた。見覚えのある野郎共はマスケット型の魔弓杖を構えていたり、何やら掌から水流を出して鎮火しようとしている。

 実にファンタジーな光景だが、さっきのノビオとマウロで俺の認識はとっくに麻痺していた。気付かれないように物音一つ立てず、ゴキブリもビックリな隠密さと素早さで、併設されている地下階段へと潜り込む。


 地下には初めて入る。

 階段は幅広で、壁は石材で舗装されている。段差が大きいため、ほとんど飛び降りるように駆け下りていく。割と傾斜がキツいので、上りは大変そうだ。

 

「――カルミネェッ!」

 

 不意に、下からヒステリックな叫び声が響いてきた。女の声で、溢れんばかりの憎悪と殺意が籠もっていた。

 俺は反射的に身体を強張らせ、逃げ出したくなる気持ちに蓋をする。胸の前で魔弓杖を構えながら、ゆっくりと下りていく。

 階段は途中から壁が途切れていた。そこで一旦立ち止まって、そっと顔を覗かせてみる。

 地下は奴隷部屋の倍以上はあり、かなり広々としていた。壁際や中央付近には魔弓杖の部品や完成した魔弓杖が木箱に入れられて整然と並んでおり、最奥には牢屋と思しき鉄格子まで見られる。幾つかの木箱が燃えているおかげで室内の闇が照らされ、視界状況はそれなりに良好だ。


「レオナ」


 レオナがいた。

 鉄格子の扉は開放されており、愛しの幼女は地下の片隅――鉄格子近くの木箱の影から顔を出し、相対する男女を怖々と見つめている。


 男の方はノビオだ。

 奴のハリウッド級にイケけるフェイスは相変わらず涼しげな笑みを浮かべつつも、腕から一筋の血を流している。

 女の方は全身黒一色で、結構背が高い。肩の辺りで切り揃えられた金髪と薄緑の瞳が目を引く。女は本来なら凛々しい面差しをしているのだろうが、今は眉と口角をつり上げ、憎悪で美貌を歪めている。


「……まったく、聖神アーレも酷いものだ。これが愛の試練というやつかな」

「何が愛かっ、この卑劣漢! 貴様、そんな小さな女の子二人をも毒牙に掛けようというのか!?」


 ノビオが苦笑と共にやれやれと首を横に振ると、美女は怒り狂った様子で吼える。


「貴様のような男など害悪以外の何物でもない!」

 

 女はノビオに接近しながら右手で腰から剣を引き抜く。刀身は直線で細く、白刃が炎を反射して恐ろしくギラついており、その鋭利さに負けない声で女が詠唱と思しき言葉を口にした。


「■■■■■■■■――〈■■〉!」


 無手のノビオは女が駆け出す前に動いており、身を低くして木箱の影に入っていた。その木箱が突然横一文字に切り裂かれ、中身の魔弓杖まで全て綺麗に切断されるが、ノビオの姿はそこになく、奴は地を這うような挙動で女の側面に回り込んでいた。


「■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■。

 ■■■■■、■■■■■■■■■■■■――〈■■■〉」


 ノビオがぶつくさと唱えると、天井まで届きそうな波が地面から滲み出でるように、しかし急激に発生した。

 だが美女の方はノビオが行動を起こすよりも早く、次の詠唱に移っていた。


「■■■■■■■――〈■■■■〉!」

 

 剛速で迫る波が美女を呑み込む直前、彼女は目にも止まらぬ速さでその場を離脱する。端から見ていても眼が追いつかず、俺が気が付いたときには天井近くの壁を蹴って、ノビオに細剣を突き込もうと肉薄する。

 しかし、女が壁を蹴る前からノビオは早口言葉のように呟いていた。


「■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■――〈■■■■〉」


 美女の刺突をノビオが真横に駆けて躱した直後、剣閃が野郎の残像が貫いた。

 ノビオは宙を駆ける美女に手を向けて、一息に詠い上げる。


「■■■■、■■■■。■■■■■■■■■■■■。

 ■■■■■■■■■■■■■■■■――〈■■〉」


 美女が水浸しの地面に着地して次の一歩を踏み込んだ瞬間、その足下が泥に変質し、美女が思わずといった体でバランスを崩す。

 ノビオは美女に手を向けたまま、好機とばかりに微笑んだ。


「■■■■■■――ッ!?」

 

 だが奴は途中で口上を止め、驚異的な反応速度でもって後方へ跳んだ。相変わらず眼で追えるか追えないかの速度を発揮して美女から距離を取り、こっちを見上げてくる。

 ノビオの訝しげな、あるいは推し量るような視線は気持ちが悪かった。

 だが、今重要なのはそんなことではない。俺が奴に対して敵対的な行動をとったことの方が、まさしく致命的なまでに重大事だ。


 俺はノビオに対して、階段上から魔弓杖をぶっ放す。だが野郎には命中せず、地面が小さく抉れた。それをやったのが自分だと思うと否応なく吐き気が込み上げてくるが、今はできることをするだけだ。

 ノビオは俺の攻撃を危なげなく躱すどころか、光弾はそもそも命中する気配がない。魔弓杖を抱きかかえるようにして構えているのだから、狙いを付けづらいのだ。しかし牽制にはなっているようで、美女は体勢を整えて再びノビオと相対する。一瞬、彼女はこちらに驚愕と猜疑の眼差しを向けてきたが、俺が味方だと理解したのか、すぐ野郎へと視線を戻す。


 そう、俺は美女の味方なのだ。

 ノビオという超イケメン野郎より美女の方が善人っぽいからな。さっきも『女の子二人を毒牙に掛けようというのか』とか言ってたし。ノビオと美女による魔法戦闘に度肝を抜かれて、反応するのがすっかり遅れてしまったのは仕方がない。


「ローズっ!」


 俺は威嚇射撃を止めて、声の主に目を向けた。

 レオナは安堵の笑みを溢して、涙目で俺を見つめてくる。

 他方、ノビオは攻撃した俺を無視して再び美女と戦い始めた。鉄格子前と階段までは二十リーギス以上あり、剣閃と魔法と殺意が飛び交う危険地帯を突っ切るのはリスクが高すぎる。


「レオナッ! 待っててくださいっ、必ず助けますから!」


 万感を込めてそう告げてから、再びノビオと美女との戦闘に意識を戻す。二人は目にも止まらぬ速さで地下空間を縦横無尽に駆けながら、互いに魔法を放ち合っている。


「■■■■■■、■■■■■■■■■■■――〈■■〉」

「■■■■■■■、■■■■■■■■■■■――〈■■〉!」


 ノビオが中空に氷塊を作りだし、人頭大のそれを美女目掛けて射出する。

 美女の方は一拍遅れて詠唱すると、迫る氷塊が虚空で押し返され、周囲に強風が荒れ狂う。

 状況は逼迫しているが、やはり魔法という超物理現象は俺に異様な衝撃を与える。二人とも死闘を演じているのだろうが、俺からすればその戦闘はあまりに鮮烈すぎた。ノビオに隙ができれば魔弓杖で加勢しようと思っていたが、素人が見ても奴の隙など分からないし、美女への誤射を恐れて撃てない。

 そうして俺が美男美女の戦いに見入っていると、


「ローズ!」


 ふとレオナの悲鳴めいた叫びで我に返った。

 しかし、そのときには既に俺の身体は宙を泳いでいた。


「――ぅえ?」


 間の抜けた声を漏らしながら、傾く視界に映るのは幼女帝の姿。

 アウロラは「ざまあ見ろ」と言わんばかりに笑っている。

 そういえば美女が『女の子二人』と言っていたのに、さっきからアウロラの姿が見えなかった。おそらくは階段の影になるところにいたせいで、真上にいた俺は気付かなかったのだ。そして俺がレオナと魔法に意識を割いているうちに、アウロラはゴキブリの如く階段を這い上がって接近し、俺を突き落とした。

 なんて間抜けなんだ……と思っても、時既に遅し。


「きゃ!?」


 ふと可愛らしい悲鳴が耳朶を打った。

 俺の声ではない。アウロラだ。何か掴まれるものはないかと反射的に伸ばした手はいつの間にか幼女帝の腕を掴んでいたのだ。

 俺はこれでもかと全身を打ち付けながら、アウロラと共に階段を転がり落ちていく。そして脳天に一際大きな衝撃を受け、呆気なく意識を失ってしまった。


 一章の主人公視点は以上で終わり。

 残りは今回の展開に至った裏側の話になります。

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