第九十八話 『彼の事情』
町中を少し歩いて行き着いた先は宿酒場だった。
ゼフィラと出会ったところより幾分も大きなそこで、ジークハルトはチェックインする。このとき、野郎は懐から出した財布をルティカに渡し、彼女が金を取り出していた。
ベッドが六つもある大部屋に案内され、宿の店員か奴隷か、とにかく姉ちゃんやオバサンたちが次々と部屋に料理を運び込んでくる。
六人掛けの長テーブルがあっという間に料理で埋まり、俺たちはそこに腰掛けた。
「なぜ妾が立ち食いせねばならぬのだ」
向かい合って座る俺たちの傍らで、ゼフィラが不機嫌そうに酒を呷った。
ローブを脱いだ彼女の格好はズボンにシャツと有り触れているが、服そのものは如何にも良い生地の高級品っぽく、全体的にシックな意匠で仕立てられている。
腰元まで伸びた長い銀髪と相まって、どこぞの貴族令嬢のようだ。
「席が足らないんだ、仕方ないだろう。お前がローズちゃんに謝れば、俺の椅子を譲ってやる」
「なぜ非もないのに謝罪せねばならぬ。謝意とは示せば示すだけ、その価値が磨り減るものなのだ。妾の謝意はそこらの金塊の億倍価値あるものと知れ」
「なら大人しく立ってろ」
面倒臭そうに言い返して、ジークハルトはパンをかじる。
その隣に座るルティカはナイフとフォークで分厚い魔物肉のステーキを切り分けると、その皿を野郎に差し出した。
「できた」
「ありがとな、ルティ」
幼女は微かに頬を緩めると、スプーンを手にとって芋のスープを食べ始める。
今はゼフィラと同様にジークハルトもマントは脱いでいるので分かるが、イヴの話通り野郎には左腕がなかった。
二の腕の辺りから虚しくも途切れている。
「ローズちゃん、何か食べたいものがあれば、遠慮せず言って欲しい。下に注文すれば、大抵のものは作ってくれるはずだ」
「いえ、今あるものだけで十分です。ところで、お話というのはなんでしょうか」
食事を始めて間もなく、俺は用件を促した。
まったりと歓談しつつディナーと洒落込むのも結構だが、話があるならさっさと聞いておきたかった。
俺の対面に座している青年は食事の手を休めて、少し姿勢を整える。
その仕草にゼフィラとルティカ以外の三人も食器を置いて聞く態勢に入った。
「実は、少し頼みたいことがあってね。イヴが世話になっておいて、更に図々しいことだとは承知しているけど、ひとまず聞いて欲しい」
「はい」
そうして、ジークハルトは頼みたいこととやらを話した。
纏めると二つあり、一つはイヴが俺に頼んでいたことを改めてお願いしてきた。
やはり《黎明の調べ》から《黄昏の調べ》の情報を得たいようだ。
しかし、そちらはもう一つの頼みごとのついでといった感じだった。
「ルティカを、《黎明の調べ》に……?」
「ああ、イヴからローズちゃんはとても賢く優しい子だと聞いた。《黎明の調べ》で、この子と一緒にいてやってくれないか」
ジークハルトはそう言って、隣の魔幼女に目を向けた。
ルティカの方も野郎を見上げていて、不思議そうに瞬きをする。
「《黎明の調べ》、たくさん、魔女、いるところ? ぼく、そこ、行くの?」
「そうだ、これも良い機会だからな。仲間に入れてもらった方がいい。相手がただの《黎明の調べ》の魔女ならともかく、ルティと同年代で信頼できる魔女となると、そうそう出会えるものじゃない」
「でも、ジーク、魔女じゃない」
「俺は仲間にしてもらわない。ルティだけだ」
野郎がそう言うと、ルティカはついと首を傾けた。
「ジーク、一緒じゃない?」
「そうだ」
「ぼく、ジークと一緒、一緒に行く」
寂しく垂れる左袖を掴んで、ルティカが強い語調で言った。
それに対してジークハルトは苦笑してから、俺に向き直ってきた。
「ローズちゃん、少し訊きたいんだけど、ユーハさんとヒルベルタさんは君の護衛……というか、《黎明の調べ》に協力している方々だよね?」
「え、あー……ベルさんは違いますけど、ユーハさんはそうですね。もう何年もお世話になっています」
「さっきは二つも頼みごとをしたけど、もちろんただとは言わない。俺がやるべきことを終えたら、その後は俺も《黎明の調べ》に協力すると約束したい。イヴを助けてもらった礼もあるし、良ければ彼女も一緒に。君がその支部に戻って、偉い人に俺たちの話をするとき、そのことも伝えてくれないか?」
思わずイヴの顔を見ると、彼女は既に了承済みなのか、低頭してきた。
「ジーク、ぼくと一緒……?」
「少しの間はお別れだが、その後は一緒にいる。まあ、上手くいけばの話だけどな」
野郎は幼女にそう言葉を濁して答えているが、たぶん上手くいくと思う。
婆さんは得体の知れない俺を身内にして、当時の不気味な鬱武者を護衛役として引き入れるほどビッグな器の持ち主だ。
ルティカはちょっと無感情なきらいはあるが悪い子ではないだろうし、十二分に可愛い。イヴは人柄の良い美人さんで、ジークハルトは……どうなんだろう。
「話は分かりましたけど、ジークハルトさんもルティカも、どんな人なんですか? それがはっきりしないと、私としても話を通しづらいので、良ければ聞かせてください。あと、ゼフィラさんは一緒でなくてもいいんですか……?」
先ほどから一人突っ立って話を聞くゼフィラとジークハルトを交互に見遣る。
すると銀髪美少女の方が問いに応じた。
「妾は勝手について行くだけだ……と、言いたいところだがの。お主の言っておった祖母とやらは、妾にいらぬ疑心を抱く可能性が高い。そのときが来れば、その老婆とはこちらで話をつける故、お主は何も案ずるでない」
「すまない、ローズちゃん、ゼフィラはこういう勝手な奴なんだ。こいつが勝手に付きまとっているだけで、俺もこいつのことは詳しくは知らない」
「ほう、勝手に付きまとっておるときたか。幾度となくお主の頼みを聞いてやったこと、忘れたとは言わせぬぞ」
「こっちは普段から食費やら何やら出してやってるだろうが」
よく分からないが、とにかくゼフィラもセットでついてくるらしい。
正直、銀髪美少女の存在は魅力的だが、それが鬼人ともなると警戒せざるを得ない。とはいえ、婆さんから何も言われていなければ、今頃は単純に喜んでいただろう。
「とりあえず、俺とルティの話だったね」
ジークハルトは仕切り直すように軽く咳払いを挟むと、軽く杯を傾けて舌を潤し、口を開いた。
「まず言っておくと、俺もルティもあまり表沙汰にはできない事情がある。ないとは思うけど、万が一にもこちらの事情に巻き込んでしまう可能性は否めない。それを承知で、聞いてもらってもいいかな?」
「……どうぞ」
俺は逡巡した末、頷いた。
幼女の方はともかく、野郎の方の事情は大まかにだが察しが付いている。
べつに話を聞く程度なら問題はないだろうし、身元がどうあれ魔大陸でなら《黎明の調べ》の準構成員としても問題なくやっていけるはずだ。
ユーハという実例がいるしね。
両隣のオッサン二人も了承したことで、ジークハルトは口火を切った。
「まず簡単に言ってしまうと、俺はオールディア帝国の貴族だった。そしてルティは……こう言ってしまうと、疑わしく思うかもしれないけど、元は《黄昏の調べ》が育てていた魔女だ」
「え……?」
思わずルティカの無感情っぽい顔を見た。
俺がまさかと思っていると、ジークハルトは説明していった。
まず野郎の方からだが、俺の推測通りの人だった。
ジークハルトはオールディア帝国のヴィリアス家という名門貴族の次男坊であり、お姫様の騎士をしていたという。もう四年半以上も前、テレーズ攻略戦の舞台として活用した慰霊祭で、イヴが祈りを捧げていた人――第二皇女ミスティリーファ・ミル・オールディアの近衛騎士様だったらしい。
あのときに知り得た情報通り、皇女様を守りきれなかったジークハルトは騎士の誓約により死ぬ運命だったそうだが、復讐するために逃亡した。実行犯はグレンという大男だったらしく、自ら《黄昏の調べ》に属していると名乗っていたとか。
「少なくとも、実家と大臣の何人かは全て承知していた上で、殿下は殺害された。父からは、黙っていれば処刑されたことにして隠居させてやると言われたが……そんなことは我慢ならなかった」
「……どこの国でも陰謀が渦巻き、それに巻き込まれる者はいるのだな」
同情するように、やけにしみじみとユーハが呟きを零した。
その言葉に内心で同意しつつ、俺はジークハルトに問いかける。
「どうして、皇女様は殺されたんですか? 皇女様は魔女だったって聞きましたけど、それだけじゃないですよね?」
「ああ、そのはずだが……詳しくは俺も知らない。理由は奴に直接問い詰め、それで分からなければ帝都に戻って調べるつもりだ。ただ、殿下は聡明な方でな。十になる以前からしばしば政治に首を突っ込んでいて、それを大臣たちからよく思われてはいなかった」
つまり、敵が多かったのだろう。
皇帝の娘という立場だけでも相当なのに、魔女でもあったのだ。
影響力はそれなりにあっただろうから、官僚共からすれば目の上のたんこぶだ。
「それにあの頃の殿下は、何かを探っているようだったし……」
「その何かが、《黄昏の調べ》に関係していたってことですか?」
そうでなければ、わざわざ《黄昏の調べ》の者を刺客として使わないだろう。
しかし連中の影響力は大きく、多くの国において魔女を厭う官僚一派との繋がりがあると聞く。あるいは殺し屋として体良く利用されている可能性は否定できない。
「おそらくはそうだろうと思っている。殿下は亡くなる何日か前から、何やら忙しく動いていたからな。生憎と俺は信用されていなかったから、訊いても何も教えてもらえなかったが……ふと漏らしていた独り言が、妙に気になって今でも忘れられない」
「なんて言ってたんですか?」
「……『まさか奴ら、神にでもなるつもりなの』、とね。殿下と同じく聖神に祝福された存在として、ローズちゃんは何か心当たりはないかな?」
そう訊ねてきながらも、端から期待していないのか、苦笑を覗かせている。
実際、俺には何が何だかさっぱり分からん。神といえばアインさんの神が思い浮かぶが、さすがに関係があるとは思えないしな。
……ないよな?
「どうしたゼフィラ、まさかお前、何か心当たりでもあるのか?」
俺たちが真面目な話をしている傍らで、マイペースに立ち食いしていたゼフィラが動きを止めていた。彼女は酒杯片手に芋のパイをパクつく直前で動きを止め、真顔でジークハルトを見つめている。
が、声を掛けられると、先ほどまでの超然かつ傲然とした独特の雰囲気に戻った。
「いや……さて、どうかの。生憎と妾は神など信じておらぬのでな。ところでジークハルトよ、お主の話は以前聞いたが、そのようなことは初耳だぞ。なぜ黙っておった」
「あのときはそこまで詳しく説明してやる気がなかったんだよ。というかお前、本当に何か知らないのか? 少しでも思い当たることがあれば教えてくれ」
「ふむ、そうだの……」
ゼフィラは紅い瞳を杯の中に向け、どこか遠い眼差しになる。
そして水面に映る己を嘲笑うかのように口端を歪めて、呟くように言った。
「もう随分と昔に、神になろうとした男がおったの。いや、本人になる気があったのかは知らぬが、実際そやつは神の如き男だった。今も昔も、奴は神に最も近い男だと、妾とて認めざるを得ぬ」
「それで、そいつが何なんだ?」
「フフ……いやなに、つまりの、人の身であっても神にはなり得るのだ。そして神と呼ばれるものの条件とは、人智を超越した絶対的な力にある」
「……要は、その人智を超越した絶対的な力の存在に、殿下は気が付いたってことか? そしてそれを奴らとやらに感付かれて、消されたと?」
思案げに呟くジークハルトに対し、ゼフィラはついと肩を竦めて応えて見せた。
それからは、もう知らぬとばかりに芋のパイをパクつき、酒を飲み始める。
「あの、それはともかくとして、ジークハルトさんとイヴはどういう関係なんですか?」
「ん、ああ、すまない、少し話が逸れてしまったな。俺とイヴに関しては……そうだな、要は主従みたいなものだ。俺としては妹に近いが」
この野郎、イヴみたいな美人を従者で妹だと?
これだから貴族出のボンボン野郎は……と密かに妬んでいると、イヴが隣に座る貴族野郎を鋭い眼差しで突き刺していた。
「私を妹と思って下さるのは大変恐縮なことですが、そうなると貴方は妹にとても冷たい兄ということになりますね。幼い頃はあれほど優しくしておいて、その後は冷たくあしらうようになるなど、とても正気の沙汰とは思えません」
「い、いや、だからそれはあのとき謝っただろ……? というかお前だって、それは仕方がないことだって言ってくれただろ」
「そうでしたね、仕方がなかった面もありましたし、謝罪してもくれましたね。何年も冷たくしてきて申し訳ないと謝罪したその翌日に、私を置いて一人で出て行きましたしね」
イヴは澄まし顔で酷く淡々とした口調をしているが、そのくせ底冷えする声音で喋っていた。
凄く不気味だ、やめて欲しい。
「だから、それはお前を巻き込まないよ――」
「それなら最後まで冷たくし続けて、突き放したまま出て行くのが優しさというものではないのですか?」
「お前、まだ怒ってるのか……?」
「いいえ、怒ってはいません。ただ、とても残酷なことをされて苦しい思いをしたことは一生忘れないだろうなと思っているだけです」
「……あー、その、本当にすまなかった」
ジークハルトが気まずそうに言うと、イヴはそれに応えぬまま野郎の杯に手を伸ばした。中身は酒のはずだが、まさにやけ酒でも喰らうかのように大きく傾けてゴクゴク飲んでいる。
美女が不機嫌になっている理由の詳細は不確かではあるが、間違いなくジークハルトが原因であることは分かる。あの礼儀正しく、そして優しくも凛々しいイヴを不機嫌にさせられる男など、ある意味うらやまけしからん奴だ。
もうさっさと爆発してください。
「ジークハルトさんの方はとりあえず分かりました。詳しくはお婆様と会ったときに話してください」
「あ、ああ、分かった、ありがとう」
気を取り直して、俺はルティカに意識を向けた。
彼女は先ほどからパンを小さくちぎってはスープに浸して食べており、その姿がやけに愛らしい。相変わらず表情のない顔をしているが、仕草は年相応だ。
「ルティカの方もたぶん大丈夫です。似たような境遇の人を私もお婆様も知っているので」
「それは……なんというか、心強いよ。変な先入観をもたれるだろうと心配だったからね」
ジークハルトは安心したようにホッと一息吐いている。
その懸念は正しいもので、俺もオルガのことを知らなかったら、変な先入観に判断が狂っていただろう。
ジークハルトによると、ルティカは《黄昏の調べ》に育てられていたという。
要は姐御と似たような境遇といえる。
ジークハルトは明言こそしなかったが、おそらく《黄昏の調べ》によって洗脳教育を施されていたはずで、だからこそ幼女らしからぬ感情に乏しい顔付きをしているのだろう。人に対して躊躇いなく魔法をぶっ放したし、普通に殺すとか口走っていたことからして、まず間違いない。
色々詳しく訊いてみたいが、本人のいる場で深くは訊けない。
ルティカはジークハルトが説明しているときも特に動じることなく平然としていたとはいえ、それでもヘビーな話には違いないので今この場では言及できなかった。
とりあえず、彼女のことはオルガという前例を知る婆さんとアルセリアの判断を仰いだ方がいい。それまでは過去のことに触れず、一人の魔幼女として普通に接するのが彼女のためだ。
「ルティカは今、いくつなんですか?」
「ぼく、いくつ?」
問いの意味が良く分からないのか、ルティカは助けを求めるようにジークハルトに目を向けている。
「ルティが何歳なのか訊いてるんだ」
「ぼく、七歳」
「七歳ですか……誕生日はいつですか?」
「誕生日……翠風期、第二節……三日……?」
と答えてから、魔幼女は確認するように隣席のジークハルトの顔を見上げ、野郎は微笑みながら首肯している。
「私の誕生日は橙土期の第八節で、今は八歳です。ルティカはちょうど私の一個下ですね」
「ローズ、八歳」
感情の窺えない声で呟きながら頷く様子は七歳児には全く見えない。
だが可愛い。並以上にキュートだ。
たぶん笑顔はリーゼやサラ並の愛らしさだろう。
ふむ……俺の方が年上なら、ここは少し攻めてみるか。
「あの、ルティカのこと、これからはルティって呼んでもいいですか?」
「うん」
即答だった。
ま、呼び方とか気にしなさそうな子だしな。
「ありがとうございます、ルティ。代わりに私のことは『お姉ちゃん』って呼んでもいいですよ」
「お姉ちゃん……?」
「私の方が年上ですし、同じ魔女同士ですから」
ルティカはパチクリと瞬きして、俺の顔をじっと見つめてくる。
緊張の一瞬だった。
「……お姉ちゃん?」
「はい、お姉ちゃんですよ」
思わずニヤけるように微笑みを返すと、ルティは独り言のように「お姉ちゃん」と呟いている。
「良かったな、ルティ」
ジークハルトはそんな幼女の頭を撫で、ユーハとイヴは穏やかな眼差しで見守り、ゼフィラはどうでも良さげに酒杯を傾け、ベルは至福の笑みを浮かべながらも感極まったように震えている。
俺も歓喜の余り震えそうだった。
幼女から『お兄ちゃん』と呼ばれること……それは男のロマンだ。
しかし、もはや俺の身体は女なので『お姉ちゃん』で妥協するしかない。
と、そう思っていたが、妥協どころか想像以上の破壊力だった。
素晴らしいっ、最高です!
「ところで、今後のことについてですけど」
ちょっと話が脱線しちまったので、そろそろ真面目な話に戻した方がいいだろう。俺は気持ちを切り替えるためにわざとらしく咳払いを挟むと、改めてジークハルトに向き直った。
「もうイヴから聞いているかもしれませんけど、私は訳あって今年いっぱいまで、サースナという町を拠点に過さないといけません」
「ああ、聞いている。明日にはサースナに向かうそうだね。よければ、俺たちもサースナで行動を共にしたいんだが、いいだろうか?」
予想できていた反応だった。
おそらくジークハルトとしては、しばらく自分の目で俺という幼女(と同行者のオッサン二人)を観察し、本当に信用できるかどうかを見極めたいのだろう。いくらイヴから俺のことを聞いたとはいえ、それはあくまでもイヴの人物評だしな。
だからこそ、この町で探し人と再会したイヴは、約束通り俺をサースナまで運んでくれるのだ。ジークハルトとイヴにとっては一石二鳥というか渡りに船であり、俺としてもタクシー代が浮くし、美女と美幼女と一緒にいられてラッキーだ。
これで退屈かつ味気ないものになりそうだったキングブル狩りの日々も潤いに満ち、華やかになるというものだ。
問題は鬼人の銀髪美少女ゼフィラだが……まあこちらも何とかなるだろう。
「私は構いませんけど、そちらは大丈夫ですか? 一期くらい待たせることになりますけど……」
「大丈夫だ、そもそもこの大陸にはダメ元で来ているからな。今まで色々手を尽くして探してみたが、どうにもこの大陸――この東部に《黄昏の調べ》の気配は薄い。イヴとも会ったことだし、ちょうど良い機会だからこの一期間は休息にあてようと思っている。ルティを預けて、この大陸での《黄昏の調べ》の情報を確認した後は、どこか別の大陸に渡るつもりだ」
ジークハルトは疲労感めいた気怠い吐息を零しながらそう答えた。
野郎はここ五年ほど、グレンという《黄昏の調べ》の一員を追い続けて各地を転々としていたという話だから、相応に疲れているのだろう。
そんな青年を、銀髪美少女はなんとも不思議な眼差しで静かに見つめていた。
「ジーク、ぼくも行きたい」
「ルティ、俺はお前に静かに暮らして欲しいんだよ。せっかく歳の近い魔女と――ローズちゃんと出会ったんだ。魔大陸なら魔物狩りもたくさんできるし、俺といるより楽しいはずだ」
「魔物狩り、楽しい。でも、ジークとゼフィ、一緒だから、楽しい」
相変わらず、ルティカは何を考えているのかよく分からない表情をしている。
だが、瞳には確かな意志の光が宿り、幼いながらも力があった。
「そうは言ってもだな……」
「フフ、どうするのだ、ジークハルト。ルティカはお主が常々言っておった"己が意志"で、お主と共にあることを望んでおる。それを蔑ろにするのかの?」
「いちいち指摘されずとも分かってる」
ジークハルトは悩ましげに眉根を寄せて軽く頭を掻いた後、小さく溜息を吐いた。
「ルティの気持ちは嬉しいが、俺には俺のやるべきことがある。まだ時間はたっぷりあるから、この件はゆっくり話し合っていこう」
「うん」
幼女は素直に頷くも、野郎の空っぽな左袖を掴んで放さない。
どことなく、その姿は親鳥について回る雛を連想させて、とても愛くるしかった。
「さて、すっかり話が長くなってしまったけど、ローズちゃん。そういうわけで、今後サースナでは一緒に行動させてもらうってことで、いいかな?」
「はい、大丈夫です」
「色々と頼みごとをして申し訳ないけど、よろしく頼むね」
野郎は椅子に座ったまま低頭すると、気を取り直すようにふっと脱力するように笑みを零した。
「それじゃあ、話はこれくらいにして、食事を進めよ――」
「どぉーんっ!」
唐突に間延びした声が響くと同時、ジークハルトの頭上に杯が叩きつけられた。
「……な、なんだ、イヴ」
「うるさい、バぁーカ! わらしの気も知らないれ……かわいー女の子に好き好きされて嬉しいんらろー!?」
赤らんだ顔のイヴが何度も杯の底で野郎の頭を叩いている。
普段は引き締まっている表情が緩み、完全に目が据わっていた。
「わらしがどれらけ苦労しらと思っれ……お前はれーれつでじぶんかっれな奴ら! ふざけるなぁー、わらしのちゅーせーをかえせバーカっ」
「イヴ、お前……そんな酒癖悪かったのか……?」
「悪くらい! 悪いのはお前ら! 全部おわっらら、こんろはわらしがお前をみすれれやるぅー、あはははっ! れいめーのしらべにはいっらら、わらしはろーじゅさんのらめにはららくのら!」
イヴは呂律の回っていない声に喜怒哀楽を織り交ぜて叫んだ。
それから頭突きでもする勢いでジークハルトの肩に額を預けると、奴の顔面を力のない拳で猫パンチし始める。
「……そうか、悪いな。ありがとう、イヴ」
「うるさーいっ、あやまるなぁ、れーなどいらぬー! わらしは過去をせーさんするのらーっ、もうお前のことなろおもいれにするのらー!」
「あぁ、俺のことなど忘れて、自分のために生きてくれ」
「いわれんれも分かっれるのらっ、わらしはわらしになるのら! お前にきょーりょくするころれ、わらしはちゅーせーをはらし、わらしのみりをゆくのらーっ!」
野郎の肩に頭を預け、ショボい猫パンチを食らわせながら、イヴは底抜けに明るくも悲しそうに声を上げていた。
その光景はイヴという翼人美女のイメージを破壊するに足るもので、俺は呆然としてしまう。思わず解毒魔法で正気に戻してやろうかと腰を上げかけたが……止めておくことにした。
「もう、今すぐ行ってもいいんだぞ?」
「そんなころれきぬ! ふくしゅーしよーろしれ、お前が死んららろーするのら!?
わらしはお前が死んれも祈らぬぞっ、死んれから祈るくらいなら、死なないよーに手を貸しれやっらほーが百倍ゆーいぎなのら!」
「……ありがとうな、本当に」
きっと、羽目を外したイヴの言動は普段から真面目な彼女にとって必要なことで、その言動を受けるジークハルトにとってもそうだろう。
俺には二人のことはよく分からないが、人に歴史ありという。
これまで俺が散々思い悩んで生きてきたように、今ここにいるイヴも色々と考えて苦しんで生きてきたのだ。
それは去勢したベルだって、鬱になったユーハだって同じことで、復讐を目論むジークハルトも、《黄昏の調べ》に育てられたルティカも、得体の知れないゼフィラも、みんな何かを抱えて生きているはずだ。
酒は心の壁を取り払ってくれる。
今日のイヴは酔わせたままでいいだろう。
まあ、今後は注意した方がいいのだろうが……。
「もっろ酒をもっれくるのら!」
「フフフッ、こやつなかなかいける口だの。少々喧しいが、素面の真面目くさった態度よりは幾分も面白い。ジークハルトよ、下でもっと酒を注文してくるのだ」
「くるのらー! あははははははっ!」
「……はいはい」
どことなく嬉しそうに苦笑して、ジークハルトは腰を上げ、つられてルティカも立ち上がる。
蝋燭の明かりで照らし出された室内は先ほどと一転して騒がしくなるが、なんだか妙に居心地の良い雰囲気だ。
「早く、帰りたいな……」
館での明るく楽しい食事風景を思い出して、俺はそう呟きを零しつつ、夕食を頂いていった。