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幼女転生  作者: デブリ
七章・黄昏編
144/203

第九十六話 『渡る世間に鬼は在る』

 

 空の旅を始めて、五日目。

 ちょうど日が最も高く昇った頃、俺たちはクルブニーという町に降り立った。


「んーっ、今日はこの町にお泊まりですか」


 俺は町中で大きく伸びをした。

 空の旅では基本的に野営をせず、途中の町々で夜を明かす。

 この辺は翼人タクシーと一緒だ。

 今日はまだ昼頃で、目的のサースナまでは残り半日分ほどの距離しかない。

 が、今日の飛行は早々に切り上げられた。


「地上を行こうと空を行こうと、天気には逆らえないわよね」


 ベルの言うとおり、空輸も天気の影響は強く受ける。

 この町の周辺は快晴そのもので、今も青々とした空から燦々と陽光が降り注いではいる。しかし、先ほど空から見た限りでは、どうにもサースナ方面一帯にどす黒い雨雲があって、このまま進むのは危険らしかった。

 ここまでは順調に飛んで来られたが、やはりそうそう上手くはいかないようだ。

 まあ、どうせあと少しだから、ここら小休止もありだろう。


「まずは宿を巡りましょうか」

「お手数ですが、よろしくお願いします」

「いえいえ。今日は時間がたっぷりありますし、ついでにこの町も散策しましょう」


 低頭したイヴにそう応じて、俺たちは四人揃って通りを歩き始めた。

 これまで立ち寄った町々はいずれも日暮れ頃に着いていたので、町の宿に聞き込みをするだけで時間的に精一杯だった。加えて、港町ボアからこの町まで、当然幾つも町を通り過ぎてきたが、イヴとしては順々に訪れて聞き込み調査をしたいところだっただろう。

 しかし、彼女は俺の方を優先してくれた。どうせ一期は時間ができるのだから、まずは俺をサースナまで運んで、それから来た道を引き返すように町々を巡っていくそうだ。

 今日はまだ昼頃なので、のんびりできる。


 この町クルブニーはあまり大きな町ではなく、大都市の貫禄を醸し出していたボアと比べると田舎町といった風情だ。全体的にこじんまりとしていて、相変わらず猟兵連中は多いものの、活気もそこそこに、ゆったりとした雰囲気が漂っている。

 なかなか感じの良い町だな。


「あ? そんな奴は知らねえなぁ。客じゃねえなら、とっとと出てってくれ」


 一軒目の宿は色んな意味でハズレだった。

 まだ昼食は摂っていないし、今日泊まる宿も決める必要がある。

 なので俺たちは客として店を利用することで、相手のご機嫌を窺うこともできるが、そんなゴマすりが通用しない人種だっている。


 二軒目、三軒目と回ってみるも、やはりというべきか、ハズレだった。

 

「ボアから立ち寄ってきた町々の宿でも手掛かりはなかったですし、北西の方の町にいるんでしょうか?」

「かもしれませんね。ですが念のため、きちんと調べてはみるつもりです。ローズさんたちは無理に付き合って頂かなくとも大丈夫ですよ」

「無理はしてません。イヴと一緒にいたいので」


 イヴは穏やかな微笑みを見せ、俺と繋いだ手を握り返してくれる。

 彼女とはここ数日ずっと密着しているが、相手が美女だと全然飽きないな。

 これがオッサンだったら飽きる飽きない以前の問題だ。


 俺たちは適当に雑談しつつ、めげずに四軒目を訪れる。

 今度は一階が酒場になっている宿屋だ。

 疎らな客入りの店内を突っ切って、カウンターの向こうに立つ恰幅の良いオバサンに話しかけた。


「なんだい、人を探していて、ウチに泊まっていたかどうか教えて欲しいって? あのね、常識でものを考えておくれよ。知っていようと知っていまいと、大事なお客さんのことを見ず知らずの人にほいほい教えるなんてことはできないだろ? 何も注文しないんだったら、さっさと出て行っておくれ」


 女店主らしい四十代くらいのオバサンは闊達な感じに腕を組み、質問した俺たちにそう応じた。

 その対応は宿屋の者としては非常に評価できるが、今の俺たちからすれば厄介だ。しかし、こういうまともな店主には以前にもあたったことがある。


「探している方は私にとって大事な人なのです。彼の方もまた、私のことを少なからず大事に思ってくれているはずです。お願いします、もし何か知っているようでしたら、教えて頂けませんか」


 イヴは背筋を伸ばした立ち姿勢からぐっと腰を折り、頭を下げた。

 この美女はどこでもいちいち礼儀正しく、誠意をもって人と接している。

 彼女の真っ直ぐな態度を前にして、オバサンは「むぅ……」と困ったように唸った。

 もう一押しだな。


「お姉さん、お願いします。教えてくれませんか?」

「お、お姉さんて……やだねこの子は、アタシはもうそんな歳じゃないってのに……」


 すみません、ちょっと気色悪いので照れないでもらますか。

 

「うーん、そうさね、こんな子たちが悪人だとは思えないし……」


 オバサンは俺とイヴを交互に見てから、オカマと眼帯のオッサン二人を不審者を見るような目で眇め見て、再び俺たち二人に注目する。

 数秒ほど思い悩むように眉根に皺を寄せた後、ふっと力を抜いてイヴと向き合った。


「ま、しょうがないね、特別だよ。たしか、えーっと、何だったかね……片腕がなくて、濃紺っぽい髪色の、二十歳くらいの男だっけ?」

「ありがとうございます、そうですっ、左腕のない男性です!」


 イヴは期待感の籠もった声で言いながら、僅かにカウンターへと身を乗り出す。

 先ほどオバサンは言い渋っていたし、今し方の応答を聞くに、これは何か知っている流れだ。


「ほう、宿の主が客の情報を漏らすのかの?」


 ふと背後から奇妙な声がして、俺は振り返った。

 するとそこには頭から足先までフーデットローブに身を包んだ、少女と思しき誰かが立っていた。なぜかユーハは顔を強張らせて腰の柄に手を掛けており、少女はそちらに顔を向けた。といっても、フードを目深く被っているせいで、緩く弧を描く若々しい口元くらいしか見えない。


「フフ、少し驚かせたようだの。だがそれはお互い様であろう」

「…………」


 ユーハは鯉口を切って僅かにメタルブルーな刀身まで覗かせていた。

 が、危険はないと見たのか納刀して柄から手を放しはしたが、依然として身構えたまま、険しい顔つきでフーデットローブな子を見下ろしている。

 こんな様子のオッサンも珍しいな。

 先ほどの反応といい、まさか接近に気付いてなかったのか?

 

「ほお、お主か」


 と、なぜか今度は俺に向き直ってきた。

 その声は少女らしい音色をしてはいるが、なぜだかやけに老成している響きが感じられる。ろくに顔も見えないのに、立ち姿からは貫禄めいたものまで伝わってきて、俺は自分の感受性を疑ってしまう。


「まったく、妾の識域内で馬鹿でかい反応を振りまきおって。心地良く熟睡しておったというのに、目覚めてしまったではないか」

「え、あ、えっと……?」

「しかもこちらに近づいて来るときたものだ。妾かあやつか狙いはどちらにせよ、何か面白いことになるかと思いつつ、下りてきてみれば……ふむ」


 妙に尊大な口調で、しかし少女然としたソプラノボイスで言いながら、すっと踏み込んで俺の前に立った。

 背丈は百五十レンテ程度で、俺より幾分か高いため少しだけ見下ろされる。

 おかげでフードに隠れて見えなかった真紅の瞳と視線がかち合う。

 呆然とする俺に、美少女は愉快げな笑みを向けてきた。


「どれほどの練達か、ちと楽しみではあったが、それが年端も行かぬ小童ときたものだ。しかもこの色……フフ、久々に見たの、やはり美しいものだ」

「…………」

「お主、名はなんと言う?」


 サラと同じか少し年上くらいの見た目の美少女は、しかし少女らしからぬ不思議な艶を帯びた微笑みを浮かべている。


「なんだい、お嬢ちゃん、知り合いなのかい?」


 どう対応しようか逡巡していると、店主のオバサンがローブの子に訊ねた。

 

「いいや、知人ではないの」

「皆さん、行きましょう」


 俺は隣で少し困惑しているイヴの手を取り、口早に言いながら立ち去ろうとした。が、俺の手は白い手袋に包まれた赤眼の美少女に掴まれてしまった。

 振りほどこうにも、万力で挟まれたようにビクともしないが、痛くはない。


「レオンさん、どうかしたのですか? このローブの方、もしかすると――」

「ほう、レオンというのか、名はありふれておるの。それで、急にどうしたというのだ」

「すみません、放してください。先を急いでますので」


 俺は素っ気なくそう言い返して、ちらりとユーハに目を向けた。

 オッサンは再び柄に手を掛けていたが、俺のアイコンタクトを受けて、フーデットローブ美少女と俺を引き剥がそうと手を伸ばした。


「なんだ、ジークハルトの行方を知りたいのではないのかの?」

「――えっ」


 イヴが驚きの声を上げた。

 俺としても少し虚を突かれて、迷ってしまう。


「あの、貴女は彼の行方を知っているのですか!?」

「うむ、知っておるとも」

「今どこにいるのですかっ、教えて頂けませんか!?」

「教えてやっても良いが、代わりにお主らのことも教えてもらおうかの。特に、この小童のことをの」


 イヴが俺を切実とした眼差しで見つめてきた。

 頼むからそんな目で見るなよ、こちとら今すぐにこの美少女から逃げないといけないんだ……とは思っているが、まあ仕方ないか。

 一目散に逃げた方が良いと婆さんから教えられてはいるものの、その忠告を抜きにすれば俺も美少女には興味があるし、ジーク某の情報は無視できない。


「……分かりました。でも貴女のことも教えてください」

「ほう、妾のことか? それはお主次第だな、小童」


 紅月を思わせる瞳をフードの向こうから覗かせて、美少女は艶然かつ老巧と微笑んだ。




 ♀   ♀   ♀




 以前、婆さんから言われたことがあった。


『ローズよ、良く聞くのじゃ。もし万が一、紅い瞳を持つ者を見掛けたら、可能な限りすぐに逃げるのじゃ』


 なぜかと問うと、婆さんは教えてくれた。

 曰く、黄金色の瞳は魔人、鮮血色の瞳は鬼人の証であるそうだ。

 そして魔人はともかく、鬼人の方は危険らしい。


『魔人も鬼人も、どちらも特別な眼を持っておる。人の才を見極める眼じゃ。ローズはとても才能のある魔女だからの、もし鬼人に見つかったら攫われてしまうじゃろう』


 さながらナマハゲのことを孫に語り聞かせるように、婆さんはそう言った。

 俺がなぜ攫おうとするのかを問うと、


『彼らは才ある者を攫い、自分たちのために利用しようとするのじゃ。一度囚われたが最後、恐ろしい洗脳教育を施され、二度と自由にはなれぬじゃろう』


 良く分からなかったが、そのときの俺はとりあえず頷いておいた。

 なんだか婆さんがやけに真剣な様子だったのだ。


『まあ、とはいえ安心すると良い。魔人はもとより、鬼人も人里にはまずおらぬ。じゃから常日頃から警戒する必要はないのでな。あり得ぬとは思うが、もし紅い瞳を持つ者を見掛けたときは、あたしの言葉を思い出しておくれ』


 その後、俺は魔人と鬼人について詳しく教えてもらおうとした。

 この二種族はどの文献にも曖昧な記述しかなく、世間の噂も似たようなもので詳細は不明だったのだ。

 だが結局、何か知っているはずの婆さんは当たり障りのない説明でお茶を濁し、詳しいことは何も教えてくれなかった。


「イヴにユーハ、ベルというのか。妾の名はゼフィラという」


 ローブの少女――ゼフィラは丸テーブルの向こう側で偉そうに腕を組む。

 彼女は先ほど、なぜか酒場内でも一等日当たりの悪いテーブル席に先行し、給仕の姉ちゃんに五人分の酒を頼んだ。

 俺たちも席に着き、まずは軽く自己紹介をしたのだが……。


「しかし、お主……なんだその化粧は。極稀にお主のような男を見掛けてきた覚えがあるが、それはなんなのだ? どこぞの新興宗教か何かの礼装なのかの?」

「失礼しちゃうわねっ、己を美しく見せるための努力を新興宗教ですって!?」 

「ふむ……また妙に女々しい小僧よの。まあ面白いから良いのだが」


 割とどうでもよさげに呟いて、ゼフィラは対面の俺に顔を向けてきた。

 といっても、今もまだフードは被りっぱなしなので、こちらからは口元くらいしかよく見えないが。


「そういう意味では、お主も女々しい小童だの。まだ十にも満たぬ年頃に見えるが、それでも随分と愛くるしい面差しに加え、髪も長い。そっちの眼帯と違って、将来はなよなよとした優男になりそうだの」

「…………」

「……ゼフィラ殿、人の事をどうこう申す前に、まず某らにしかと顔を見せるのが礼儀なのではなかろうか」

「もっともな物言いだが、それはできぬのだ。妾としては今更なのだが、あやつが無駄に目立つなとうるさくての」


 ローブの向こうで肩でも竦めたのか、身じろぐように小柄な身体を微動させる。

 そこでイヴが口を開いた。


「そのあやつというのは、ジークハルトのことなのですよね?」

「うむ、そうだ」

「彼は今どこに?」

「フフ、まあそう焦るでない小娘。まだ杯も来ておらぬというに」


 鷹揚と応える様はどことなく婆さんやアルセリアを思い起こさせる。

 いつでも焦らず急がず、歳経た者特有のゆったりとした余裕が感じられる。

 先ほど覗き見えた顔貌から推測される年齢に見合わぬ雰囲気だ。


「まずは先の言葉通り、お主らのことを聞かせよ。なぜジークハルトを探しておるのだ?」

「彼は私にとって大切な人なのです」

「ほう」


 ゼフィラは口元を綺麗な三日月型にして、くつくつと楽しそうな笑みを零した。


「しかしの小娘、妾はあやつの女なのだぞ? 夜毎この貧相な肢体を激しく求めてきての、妾とて満更でもない。お主のような女に、妾があやつの居所を教えると思うのかの?」

「…………」


 どことなく挑発的な言葉に対し、イヴは無言を返した。

 いつになく表情がなく、まるで能面のような顔は美しい反面、少し不気味だ。


「ふむ……なんだ、つまらぬ反応だの。どうやらそういった間柄ではないようだが……たしかあやつ、以前は貴族だったと言っておったから、その関係者といったところかの」


 フードの影に隠れた双眸でイヴを見つめた後、ゼフィラは「まあ良いか」と小さく首を縦に振った。


「お主が何者であれ、あやつに会わせれば少しは面白いことになりそうだ。最近は酷く退屈だったからの……これを機に何か起こってくれれば良いのだが」

「それで、ゼフィラさん、彼はどこに?」

「ん? ジークハルトは今朝方より出掛けておっての、ここで待っておればそのうち帰ってくる」

「そ、そうですか……」


 イヴは喜色の表れた声でそう反応する。

 だが、なんだか半信半疑といった様子だ。

 それはゼフィラに対しての疑念ではなく、この現実が信じられないような、あまりの喜びに一周回って呆然としている風な印象を受ける。

 

「はいよ、お待たせ」


 先ほどカウンターで話した女店主が、盆に五つの杯を乗せて現れた。

 オバハンはそれぞれの前にジョッキを置いていく。


「む、女将よ、なんだこの乳臭いものは。妾は酒を頼んだはずだがの」

「いくら偉そうにしてたって、お嬢ちゃんはまだ成人前の子供でしょうが。成長のためにも、牛乳を飲んどきなさい。そっちの子の分と一緒に、特別にただにしてあげるから」


 俺に配られたジョッキの中身もミルクだった。

 しかも無料らしい。

 なかなか気の良いオバサンはゼフィラの頭をフード越しに軽く撫でから去って行った。


「まったく……いらぬ世話を焼きおって。おい小娘、お主の杯を寄越すが良い、お主には牛の乳をくれてやる」

「あ、はい、私は構いませんが……成人前の飲酒はあまり良くないと思いますよ」

「それはいらぬ気遣いというものだ」


 ゼフィラは問答無用でイヴの前に置かれたジョッキと自らのを取り替えた。

 イヴはイヴで、出された酒を持てあましていたようだったので、ちょうど良かったのだろう。


「こらこら、ゼフィラちゃん、せっかく女将さんが用意してくれたのに。それに、成人前の子がお酒を飲むのは良くないわよ」

「えぇい、お主もいちいちうるさい奴だの。人の齢を見掛けだけで判断するでないわ、戯けが。妾はとうに成人など過ぎておるのだ、小僧にどうこう言われる筋合いなどないわ」


 ベルを小僧呼ばわりした美少女は杯に口を付け、ごくごくと喉を上下させる。

 間もなく口を離すと、僅かに舌なめずりをした。


「ふむ、蜂蜜酒か、まあ飲めなくはない味だの。さて……小童よ、妾はそこの小娘より、お主に興味があっての。とりあえず訊くが、なぜ先ほど妾の前から立ち去ろうとした?」

「それは、えっと……少し急用を思い出しまして」

「フフ、嘘の下手な小童だの。正直に答えてみよ、べつに妾はお主に対して何かしようとは思っておらぬ」


 フードのせいでゼフィラの表情は分からないが、特に苛立っているわけでもなく、むしろ機嫌が良いように見える。

 さて、どうするべきか。


 俺としても鬼人とは初めて会ったので興味があるものの、婆さんの忠告は無視できない。だがまあ……さすがにこの場でどうこうしてはこないだろう。

 いざとなればユーハがいるし、ゼフィラはどこか底知れない雰囲気こそ纏ってはいるが、強そうに見えない。

 それに相手はイヴの探し人と行動を共にしているらしい美少女だ。

 幼女を攫って洗脳教育を施すような外道には思えん。


「その前に少し訊きたいんですけど、ゼフィラさんって鬼人族の方ですよね?」


 俺のその問いかけに、相手は口元をにやけさせた。

 イヴやベル、ユーハは一様に驚いた顔を見せ、俺とゼフィラを交互に見遣っている。


「ほう、よく分かったの小童。いや……赤眼は鬼人という噂はそれなりに広まっておるのかの? まあ良いわ、それでレオンとやら、妾が鬼人だとどうだというのだ?」

「僕の祖母が、もし鬼人――紅い瞳をした者に会ったら、逃げろと言っていたので」

「ほう、なぜ逃げるよう言われたのだ?」

「えっと、気を悪くしないで欲しいんですけど……祖母によると、鬼人は特別な眼を持っていて、才能のある人を見極めて攫い、洗脳教育を施すとかなんとか……」


 半ば隠れた相手の顔色を窺いながら話した。

 すると、ゼフィラは愉快そうにくつくつと小さく声を上げて笑う。


「なるほどの、そういうことか。訊くがその祖母とやら、もしやイクライプス教国に縁のある者かの?」

「え? そうですけど……どうしてそれを?」

「いやなに、ちょっとした確認だ」


 よく分からないが、教国では鬼人はナマハゲ的な種族として知られているということだろうか? それならエイモル教の教えにも影響してくるはずで、世間一般にも常識として知れ渡っているはずだ。

 しかし、そんな常識はついぞ聞いたことがない。


「あの、祖母の話は本当なのでしょうか?」

「ん? そうだの……まあ強ち間違ってはおらぬな」

「…………」

「フフ、なんだお主ら、そのような顔をするでない。間違ってはおらぬが、全ての鬼人が攫うだのなんだのをするわけではない。少なくとも、このような場末の酒場に出入りする鬼人はせぬことだ、安心するが良い」


 うーん、信じてもいいのだろうか?

 相手はかなりの美少女なはずだから信じたい気持ちはあるが、婆さんの方が信じられる。

 まあ、ひとまずは安心しておくとして、警戒は怠らないようにすればいいか。


「攫ったりなんかはしないというのは、分かりました。ですが、才能を見極める特別な眼というのは本当なんですか? それは具体的にどういうものなんですか?」

「教えてやっても良いが、その前にお主のことを聞かせよ。レオンとやら、お主先ほど逃げようとしたということは、自らの才は自覚しておるのだろう?」

「それは……まあ、それなりに」


 なんか恥ずかしかったので、曖昧に頷いておくに留めた。

 思えば、さっきの説明だと自分で自分は才能のある奴だと言っていたようなものだ。自惚れたガキだと思われたのだろうか?


「では、もしや既に空属性魔法は習得済みなのかの?」

「空属性……?」

「ふむ、なるほどの。そこまでは知らぬか」


 ゼフィラはなにか一人納得したように頷いている。

 

「自身の図抜けた魔力量の方は、しかと自覚しておるのだろう?」

「そう、ですね」

「お主いま幾つだ? まだ十未満であろう?」

「八歳です」

「それでこの魔力量か……フフ、反応が大きすぎて気が狂いそうだの。適性も十二分にあると見えるし、これは……」


 面白可笑しそうにくつくつと笑いながらも、どこか真剣な口調で呟くフーデットローブ美少女。

 だが俺には何が何だか分からないし、イヴやオッサンたちはもっと分からないだろう。それにいい加減、素顔をきちんと拝みたいな。

  

「あの、それで鬼人の特別な眼というのは……?」

「ん、あぁ、そうだの。まあ一言で言ってしまえば、常人には見えぬものが見えるのだ。例えば小娘、お主の適性属性は風だ」

「え……?」


 紅い瞳に見つめられながら指を差されたイヴは、突然の指摘にどう反応すれば良いのか困っている。

 それは俺も同じだった。


「女男なお主は治癒解毒、眼帯のお主は火。この中で魔法適性が最も高いのは圧倒的に小童だが、小娘も常人よりは高めだの。眼帯は並以下で、女男は……酷いの、ここまで才のない者も珍しいわ」

「た、たしかにアタシ、昔は魔法を習わされていたけれど、初級魔法すら習得できなかったわ……」


 ベルはつぶらな瞳を驚きに見開きながら、呆然とそう零した。

 言われてみれば、ベルって昔は貴族だったというのに、魔法は使えないんだよな。ほとんどの国の貴族は教養として魔法を修めるのが一般的らしいので、元貴族たるベルも昔は魔法教育を受けていたはずだ。

 でも才能が全然ないから魔法は習得できず、代わりに肉体を鍛え上げて強く逞しいマッチョになった……といったところだろうか? 貴族の子息ならクラード語も習得させられるはずだが、ベルは話せない。つまり本人の言うとおり、初級魔法の習得段階で見切られたのだろう。


「でも……え? ゼフィラちゃん、本当にそんなことが分かるっていうの?」

「このようなことで嘘を吐いてどうするというのだ。それに、この程度ならば魔人共にも分かることだぞ」


 当たり前のことのように頷き、再び偉そうに腕を組むゼフィラ。

 俄には信じがたいが……あ、そういえば俺の魔法適性だけ指摘してきていないな。


「僕の適性属性はなんですか?」

「お主は……ふむ、無属性であろう」


 なんか俺のときだけ少し考えた風だったが、ちゃんと当たっている。

 属性は八つあるから、八分の一と言えばそれまでだが……。

 しかし、これは本当だろう。

 すげえな、鬼人。

 いや魔人もか。


「もしかして、魔眼ってやつですか」

「なんだ小童、知っておったのではないか」

「いえ、実際はどういうものか知らなかったので……」


 まさか本物の魔眼が存在したとは。

 もう俺のショボい観察眼を魔眼だなどと自称できなくなったな。

 最近は解呪が進んで精度も落ちてきたし、ちょうどいいが。


 しかし、鬼人の魔眼も大したことはないな。

 なにせ俺の男装が通じていて、こうして話をしても未だ誤認したままだ。

 あるいはようやく俺も男物の服を着慣れてきて、ちゃんとショタっぽく見えるようになっただけかもしれない。


「お主ら、揃いも揃って面白い奴らだの。久々に退屈凌ぎができそうで何よりだ」

「レオンやベル殿、イヴ殿はともかく……某は何の面白味もない男である。むしろ某としては、ゼフィラ殿の立ち居振る舞いの妙こそ、面白味があるように感じるが」


 ユーハは何かを見極めるように左眼を僅かに眇め、ゼフィラが杯を傾ける姿を見つめている。

 だがゼフィラの方は悠々とした所作で杯をテーブルに置き、フードの奥から真紅の瞳を覗かせ、言った。


「ふむ、過小評価は良くないの。その腰にそれを帯びておるだけでも、十二分に面白いわ」

「…………」


 そういえば、ゼフィラが現れたとき、ユーハは少し抜刀したな。

 たぶんそのときに見たのだろう。

 目敏いな、さすが魔眼持ちは違う。

 それに、一目見ただけでそうと判じたことも驚きだ。


「フフ、相変わらずその刀の持ち主は陰気そうな奴ばかりだの。銘の由来通り、お主も何か哀れな目にでも遭ったのかの?」

「…………」


 ユーハは答えず、ただ渋い顔を見せるだけだ。


 しかし……さっきから気になってたけど、やはりゼフィラの発言は老婆のようだな。まさかラヴィのときみたいに、実は美少女じゃなくて良い歳した美女なのだろうか。既に成人していると言っていたし、酒も飲み慣れている感じだ。

 でも先ほど覗き見えた限り、顔立ちは少女然としたし、身長も然りだ。


「あの、ところでゼフィラさんってお幾つなんですか?」

「淑女に歳を訊ねるでないわ、馬鹿者が」

「あ、はい……すみません……」


 叱られた。

 そういえば、俺はガキとはいえ男と思われてるんだった。

 

「ゼフィラさん、少しお訊ねたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「内容次第だの、なんだ」

「貴女はいつからジークハルトと行動を共にしているのでしょうか? これまで得てきた情報によると、もう一人幼い女の子もいると聞いているのですが」

「ふむ、いつからだったか……生憎と年月には頓着せぬ質でな……そういえばもう何年かの? 愛刀を手放して二、三年ほど経った頃に会ったから――む、どうやらそろそろ戻ってくるようだの。思ったより早く戻って来よって、あやつめちょうど良い時機だ」


 腕組みして何やら考え込み始めた矢先、ゼフィラは不意に顔を上げて小さく笑った。対するイヴは疑念と期待の混交した面持ちで小首を傾げる。


「あの、戻ってくるとは、まさか……」

「うむ、お主が会いたがっておる奴だの。入口まで行って出迎えてやってはどうだ?」

「ですが、なぜそのようなことがお分かりに……?」

「妾には分かるのだ、さあ早う行くが良い」


 ゼフィラに急かされ、しかしイヴも満更でもなく立ち上がり、酒場の入口へと向かっていく。

 俺たちはゼフィラと共にその後を追いながら、隣を歩くローブな彼女に訊ねてみる。


「ゼフィラさん、もしかして鬼人って、竜人の相識感みたいなのがあるんですか? さっきも僕が来るのが分かってたような口ぶりでしたし、識域だとか反応だとか言ってましたよね」

「お主、小童の割になかなか頭が冴えるようだの」


 肯定も否定もせず、ゼフィラはフードの向こうから紅い瞳を横目に向けて、艶のある微笑みを見せる。

 なんだろう……やっぱりこの美少女、実は美女な気がする。

 あとで女であることを明かして年齢聞いてみるか。


 酒場の大きな扉は常に開きっぱなしで、イヴはそのまま通りに出て行った。

 俺たちも外に出ると、空は日暮れが近いことを思わせるセピアがかった茜色をしている。

 

「あちらの方から来るの。む、もう見えておる」

「…………あ」


 ゼフィラの指差す方を見て、イヴが呆然としたような声を漏らした。

 俺もどんな野郎か気になって探してみるも、往来を行き来する連中もそこそこいるので、判別がつかない。

 だが、もう二十リーギスを切ったところで、ようやく確信がもてた。


「アレか……」


 思わず憎々しげに呟いてしまった。

 なにせイヴのような礼儀正しく優しい上に意志の強さも兼ね備えた美女から大切に思われている野郎なのだ。

 否応なく妬心は抱く。


 通りの先から歩いてくるそいつは、俺の想像していたジーク某よりは格好良くない青年だった。いや、顔立ちは普通に整っているし、背丈だって百八十レンテくらいありそうだ。群青色の髪は少し長めで、首から下は吊鐘型のマントにすっぽり隠れて見えないが、無駄な贅肉もなく引き締まった顔は精悍だ。

 が、思ったほどイケメンではなかった。

 少なくとも見た目ではイヴと釣り合わない人間だ。


 しかし、野郎の隣を歩く幼女はかなり可愛い。

 ウルリーカのような長く量の多い茶髪を微風に揺らし、野郎の隣をとことこ歩いている。年頃は俺と同じか少し下くらいで、当時のサラやリーゼ並の美幼女っぷりだ。

 うむ、あの子とは是非ともお近づきになりたい。


「なんだゼフィラ、そんなとこに突っ立って。まさか出迎えにでも出てきたのか?」


 すぐ近くまで歩み寄ってきた野郎は、フーデットローブな彼女に目を向けながら冗談めかした口調で問いかける。


「妾ではない、この小娘がの。どうにもお主に会いたがっておってな」

「ん?」


 野郎はイヴに顔ごと向けて、微かに眉根を寄せたところで硬直した。

 それから、ややもしないうちに驚愕やら困惑やらが綯い交ぜになった表情にゆっくりと変化させ、ぽつりと声を零した。


「まさか……イヴ……?」

「ジーク様」


 イヴは俺の一歩前に立っているので、その表情は窺い知れない。

 だが、うらやまけしからん青年の名を呼ぶ声には明確な喜色が表れていた。

 ジーク某は未だに信じがたい様子でイヴを見つめており、イヴの方はふらりと一歩を踏み出す。かと思ったら、いつの間にか抜剣しており、目にも留まらぬ速さで踏み込みつつ白刃を野郎の首筋に突きつけていた。


「……お久しぶりです。ジークハルト・ヴィリアス様」


 端から聞いていても分かるほどその声は昏く、溢れんばかりの恨み辛みが凝縮されていた。

 そんな底冷えするような冴え冴えとした感情を全身から放ちながら、俺に背中の緑翼を向けた美女は至近距離から野郎を見上げていた。

 

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