間話 『失われた愛を求めて 後』
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二度目の計画が失敗に終わり、三節が経った。
「んー、ユーリいつになったら飛ぶのかな?」
「たしかアシュリンは……六節もした頃には普通に飛んでたわね」
「えーっと、今は紅火期だから、もう生まれて六節くらいだよねっ」
先ほどまで中庭で槍を振っていた"女神"は"悪魔"と楽しげに談笑している。
二人の座る長椅子には"新入り"が寝そべっていて、相変らず心地よさそうに寝息を立てている。
彼は単身、その様子を端から眺めていた。
この三節の間、彼は"新入り"の観察に精を出してきた。
"悪魔"をも恐れぬ得体の知れない行動原理を理解しようと、彼なりに努めてきた。
結果、一つだけ分かったことがある。
「みんな、そろそろお昼にしましょうか」
"女将"が中庭に顔を見せて呼び掛けたので、"旦那"と"小娘"共々、全員で食堂へと移動する。熟睡したままの"新入り"は"悪魔"に抱きかかえられ、彼は"女神"に乗られたので、喜々として歩いて行った。
「アシュリン、ユーリに飛び方を教えてあげるんだっ」
「……ピュェ?」
食堂に到着し、食事を始めて間もなく、"女神"がそんなことを宣った。
「なに言ってるのよリーゼ、アシュリンにそんなことできるわけないでしょ。ユーリにはあたしが教えてあげるから大丈夫なのよ」
「なんだとぉー、アシュリンは凄いんだっ、飛び方教えるくらいできるんだ!」
「ピュェェェッ、ピュピュェェェピュェェェン!」
彼はここぞとばかりに声を上げた。
奴に飛行を教えてやる気など微塵もないが、"女神"の賞賛は嬉しかった。
「アシュリンうるさい、あと食事中に羽ばたかないの」
「……ピュェ」
しかし"悪魔"に一睨みされ、彼は全身で表現していた喜びをすぐに収めた。
するとそこで、"堕天使"が"悪魔"に笑いかける。
「サラが教えてあげるってことは、上空から落としてみるんでしょ?」
「セイディと一緒にしないで。というか、あれほんとに怖かったんだからねっ、今でもたまに夢に見るくらいなのよ!」
「でも、悪夢じゃないでしょ?」
「ま、まあ、そうだけど……」
"悪魔"は複雑そうに呟き、話を誤魔化すように"新入り"に肉を食べさせている。
「むぅ……アシュリンアシュリン」
どこか不満そうな顔を見せる"女神"から囁きかけられる。
彼は食事を中断し、喜々として"女神"に顔を寄せた。
「アシュリン、サラ姉より先に飛び方を教えてあげなさい」
「……ピュェ?」
「サラ姉はアシュリンのこと馬鹿にしてるんだ! それはつまり、あたしのことも馬鹿にしてるんだっ!」
「リーゼ、あんた内緒話してるつもりでしょうけど、丸聞こえだからね」
"悪魔"が呆れ半分に笑いながら言うと、"女神"は一転して堂々と宣言した。
「アシュリンは凄いんだぞっ、一緒にセイバーホークだってやっつけたんだ! 飛び方くらい、アシュリンならすぐ教えられるんだ!」
「はいはい、アシュリンもリーゼも凄いわよ」
「ぬわぁぁぁぁぁっ、サラ姉絶対そんなこと思ってないぃぃぃぃ!」
「ま、まあまあ、リーゼ、落ち着いて」
興奮も露わに"女神"は席を立つが、そこで"小娘"が宥めるように続けて言った。
「大事なのは誰が教えるかより、ユーリが飛べるようになることの方でしょ? そもそも無理に教えなくとも、そのうち勝手に飛び始めると思うよ。アシュリンのときもそうだったしね」
「そうじゃな、魔物や竜ならば自ずから飛び始めるじゃろう」
「まだ飛べるほど身体が出来上がっていないかもしれない。そっとしておいた方が良いだろう」
「うーん……まあ、言われてみればそうかもしれないわね。無理矢理に教えようとして、飛ぶの怖くなっちゃうかもしれないし」
"親分"と"旦那"が言い添えることで、"悪魔"は一応の納得をしたようだった。
しかしそこに"堕天使"が口を挟んだ。
「でもさ、なーんかユーリって何事にもやる気なさそうな感じよね。この子いっつも寝てるし、今だって食べることすら億劫そうに見えるし」
「そうだっ、だから教えてあげた方がいいんだ! アシュリン先生の飛行特訓だっ!」
「そうね……たしかにユーリって、自分から飛ぼうとするような子には見えないわね」
力説する"女神"に対して、"女将"は心配そうな眼差しで"新入り"を見遣っている。
「前にも話したと思うけれど、ユーリが廊下をふらふらと歩いていたとき、見守っていたら……この子、壁に頭をぶつけるだけなら未だしも、そのまますやすやと寝入っちゃって、驚いちゃったわ」
無論、最近は観察のために張り付いていた彼はその場面を目撃している。
数日前、部屋で惰眠を貪っていた"新入り"がふと身体を起こし、開きっぱなしの扉から廊下に出て行ったので、彼は後を追った。
奴は覚束ない足取りで館内をあてもなく歩き回ったかと思えば、最後には壁に頭突きをして、しかし何事もなかったかのようにそのまま安らかな寝息を立て始めたのだ。
そこで彼は悟った。
"新入り"が"悪魔"を恐れないのは、あの恐怖を理解すらできない低脳の間抜けだからだ……と。
「そのときアシュリンがユーリを部屋まで運んだんだよねっ!」
「そうね、私が駆け寄るより先に、後ろをついて歩いていたアシュリンが咥えて戻っていったのよね」
「うむ、偉いぞアシュリン」
「ピュェンッ、ピュェェェェェ!」
思いがけず褒められたことで、彼は望外の幸運に歓喜の声を上げた。
あのときの彼はただ、第二の計画失敗の際に『一緒に寝ろ』と命じられていたことを忠実に実行しようとしただけであって、決して"新入り"を思いやってのことではなかった。"悪魔"と"女将"の命令は絶対なのだ。
廊下に奴を放置しておけば、後々になって叱責されると思い、仕方なく部屋まで運んだに過ぎない。
「まあ、とにかくだ。ユーリのことはひとまず一年ほど様子を見てみよう。それでも飛ぼうとしなければ、教えてやれば良いだろう」
「えー、せっかくアシュリンやる気出してるのにー」
"旦那"の言葉に"女神"が不満を唱えると、"親分"が締めくくるように言った。
「リゼットとアシュリン、それにサラの気持ちは大変素晴らしいものじゃが、ここは様子見した方が良い。子供というものは伸び伸びと自由に育ててやるものじゃ」
いくら"女神"の希望とはいえ、彼としては教える気など皆無だったので、その言葉は有り難かった。
■ ■ ■
飛行の話題が出た翌日。
彼は部屋でのんびりと横になりながら、"新入り"排斥計画を練っていた。
「ピュェェェ……」
昼過ぎ現在、部屋には彼と"新入り"しかおらず、静かなものだった。
"女神"と"悪魔"、ついでに"小娘"は外で魔法の練習をしている。
本来ならば普段通り、"親分"の隣でその様子を見守るところだったが、"悪魔"に命じられたのだ。
『今日は集中したいから、アシュリンとユーリは家の中にいてね。すぐそこにいると思うと気が散るから』
"女神"は反対していたが、彼女も"悪魔"にはあまり逆らえない。
結局、彼はこうして忌々しき"新入り"と共に部屋で待機することになった。
彼としては単身で散歩に繰り出したかったが、奴を放置していけば"悪魔"の怒りが炸裂する。
「……キュァァァァ」
不意に、熟睡していた"新入り"が目を覚ました。
彼のすぐ側で床に寝転がっていた"新入り"はのっそりと身体を起こし、歩き出していく。奴の頭はそよ風と陽光の入り込む窓辺へと向けられていた。
今日は天気が良いので、バルコニーで惰眠を貪るつもりなのだろう。
そう思って気にせず放置していたが、"新入り"の歩みが止まる気配がない。
「ピュェ……?」
"新入り"はふらふらと覚束ない足取りで前へ前へと歩き続け、仕舞いにはバルコニーの欄干に頭をぶつけた。が、今日の奴はそこで眠りこけることなく、更に前進しようとしてか、欄干の隙間に頭を突っ込んだ。
無論、脱力しきって広げられた背中の両翼が欄干と接触して前進を阻み、それ以上は前に進めず落下には至らない。
「ピュェェェン、ピュェッ」
彼は苛立たしげに鳴き、"新入り"を連れ戻そうと身体を起こした。
奴のことだ。万が一にでも転落すれば、その責は自分が負わされることになる。
そんなことは御免だった。
「……キュェ」
彼が歩み寄っていると、おもむろに"新入り"が両翼を折りたたんだ。
その当然の帰結として、尚も前進しようとしていた奴は欄干の隙間を通り抜け、前足を踏み外して姿を消した。
「ピュェッ!?」
彼は焦慮の声を漏らしながら駆けた。
馬鹿だ間抜けだとは思っていたが、まさか本当に投身自殺を敢行するとは思いもしなかったのだ。
無論、彼としては奴の自殺は大歓迎だったが、この状況では"悪魔"だけなく"女神"や"女将"からも後で最大級のお叱りを受けることになる。
「キュェェェェェ」
しかし、彼の憂慮は無駄に終わった。
奴は銀色の双翼を広げて虚空を滑っていたのだ。
それは飛行と呼べるほど力強いものではなく、実際に翼を上下させてもおらず、ただ両翼で風を切って滑空しているだけだ。
それでも一応、飛んでいた。
"新入り"はやる気のない声を上げながら左方向へ身体を傾むけ、館の角向こうへと消えていく。あちらは"女神"たちが魔法の練習をしている場所だ。
とりあえず彼は急ぎ後を追うことにして、バルコニーから飛び立った。
「ぅわっ、ユーリが飛んでる!?」
「え、急になにっ、なんで飛んでるのよ!?」
彼が魔法の練習場所に姿を見せたとき、"新入り"はちょうど"小娘"の胸元に飛び込んでいた。"小娘"は驚きながらも抱き留めて、呆然と奴を見つめている。
「あっ、アシュリン……そうかっ、ユーリに飛び方教えたんだね!」
「……ピュェ?」
"女神"は着地した彼に抱きつき、興奮した様子で声を上げた。
「え、うそ……ほんとに?」
「そうに決まってるっ、そうだよねアシュリン!?」
「ピュェ…………ピュェェェッ、ピュェピュェェェン!」
彼はここぞとばかりに誇らしげに鳴いた。
すると"女神"は「ほら、やっぱり!」と嬉しそうに"悪魔"へ告げている。
「でも昨日、とりあえずは様子見って言ったじゃないっ。なに勝手に教えてるのよアシュリン!」
「ピュピュピュピュェェェ……」
「ま、まあまあ、いいじゃない、サラ。アシュリンなりに、ユーリを思いやってのことなんだよ……たぶん」
彼は"小娘"から疑わしげな眼差しを向けられた気がした。
が、構わず堂々とした態度で「ピュェェェン!」と鳴いておいた。
「うむ、そうじゃな……元よりアシュリンに人語を理解せよというのも無理があるのじゃ。何はともあれ、アシュリンのおかげでユーリが飛んで見せたことじゃし、それで良いじゃろう」
「む……まあ、それはそうだけど……いえ、そうね、ユーリが飛べたんだし、いい事よね!」
"悪魔"も納得したのか、"新入り"を撫でて褒め称え、そのついでといった感じに彼も頭を撫でられた。
だが"女神"は"新入り"を構うことなく、ただ彼に抱きついて褒めていた。
「すごいぞアシュリンっ、偉い偉い!」
「ピュェェェェェェ!」
完全に想定外の事態とはいえ、彼は"女神"から一心に褒められて嬉しかった。
このとき、彼は真理を悟りかけた。
「さすがお兄ちゃんだっ、これからもユーリに色々教えてあげるんだぞ!」
「ピュピュェェェェェェェンッ!」
と調子よく鳴きながら、彼は"女神"からの賞賛を享受する。
今はただ望外の愛を味わっていたかった。
「よーしっ、じゃあもう一回ユーリを飛ばせてみよー!」
彼は何かに気付き始めている。
しかし、彼はそこまで頭が良くないので、気付けないでいた。
■ ■ ■
「最近はもうすっかり暑いな」
「町の方はもっと暑いよっ、もう第四節だからね!」
館の裏に広がる第二の"聖域"に"女神"の元気な声が響き渡る。
彼女は"旦那"と並んで草花へと水をやっており、彼はそれを"聖域"の外から眺めていた。
「あ……」
「こらこら、リゼット、人参のところにも水をやろうな」
「えー、やだー。代わりにお芋の方にたくさんあげよー」
"新入り"が滑空に成功し、およそ三節が経った。
その間、彼は"新入り"への対応を決めかねていた。
排斥しようと計略を駆使しても、奴が間抜けすぎるあまり、上手く嵌まらないことを彼は既に学習している。
かといって、このまま観察と不干渉を続けるつもりも、彼にはなかった。
あの日は運良く"女神"たちから褒められたとはいえ、未だに彼女らの関心は"新入り"に大きく傾いている。
このままでは以前までのような寵愛を受けられない。
彼はどうするべきか、思い悩んでいた。
「リゼット、人参にもきちんと水をあげるのじゃ。でなければ、今年の焼き芋はリゼットだけ焼き人参になってしまうぞ」
「そ、それは……絶対やだ……」
「もう、リーゼはほんとに野菜嫌いね、特に人参。特別美味しくはないけど、別に不味くもないじゃない」
照りつける日差しの中、"親分"と並んで水やりをしていた"悪魔"が呆れたように言った。
「そういうサラは赤茄子にもきちんと水をやろうの」
「……さ、さっきあげたわ」
「ふむ、ではサラは焼き芋が焼き赤茄子に――」
「やめてっ、あげるわっ、ちゃんとあげるわよ!」
さすがの"悪魔"も"親分"には敵わないらしく、指示に従っている。
そんなとき、館から手押し車と共に"三下"が現れた。
「リーゼはともかく、サラも好き嫌いなんかすんなよな。お前今日で十一歳だろ? そろそろ食えるようになれよ」
「なによウェインッ、あんただって前は胡瓜嫌いとか言ってたじゃない!」
「前はな、もう食える」
と、"三下"は得意気な様子を見せながらも、小さく「……食わんとしばかれるからな」と呟いている。
作業に"三下"も加わり、ややあって五人は菜園の作物たちに水をやり終えた。
それから彼女らは菜園の一角に移動し、"親分"が宣言する。
「さて、では西瓜を収穫しようかの」
「やったぁぁぁぁスイカだぁぁぁぁ!」
「今日はサラの誕生日だからな、今年もよく実ってくれて何よりだ。そういえば、ウェインは西瓜の収穫をしたことはなかったか?」
「ああ、そうだな」
「うむ、まず西瓜は一つだけ収穫するのじゃ。ウェイン、その桶を持ってきてくれぬか」
"親分"が下知すると、"三下"は手押し車に乗せていた木桶を地面に置いた。
そこに"親分"がどこからともなく生み出した水と氷を入れ、緑色の球体に向き直る。
「ではサラ、最初の一個はサラが採っておくれ」
「ええ」
"悪魔"が頷いたとき、地面に寝そべり傍観していた彼は不意に名案を思いついた。
今まさに、すぐ側で惰眠を貪っている"新入り"。以前から着々と変化してはいたが、もはや奴の身体はすっかり硬質な銀色となり、生意気に陽光を反射している。
こいつをあの桶の中に放り込めば、驚いて悲鳴を上げるだろう。
観察の日々の中、"新入り"が驚いた場面は一度も見たことがない。
が、睡眠中にいきなり氷水の中に入れられれば、さすがにどれほどの間抜けだろうと、声を荒げて無様な醜態を晒すに違いない。
「……ピュェ」
早速、彼は行動に移すことにした。
少しだけ"聖域"に踏み込んでしまうことになるが、危険に見合う見返りはある。
嘴で奴の硬い身体を掴み、"聖域"の一角に集まる五人のもとへ近づいて、氷水の張られた桶の中へと"新入り"を情け容赦なく放り込んだ。
「ぅおっ、お前いきなり何してんだ!?」
「こらアシュリンッ、あんたユーリに何してるのよ!」
「ピュピュピュェェェ……」
"悪魔"に怯えながらも、彼は横目に"新入り"の様子を窺う。
が、奴は全く驚いた素振りもなく、当然のような態で氷水に浸かって「キュェェェ……」と心地よさそうに鳴いている。
その姿はただただ彼を悔しがらせた。
「ち、違うよサラ姉っ、アシュリンはユーリのためにやったんだ!」
「え? なんでユーリのためになるのよ」
「だってほらっ、今日暑いし、さっきからユーリもアシュリンも日差し浴びてたし、あたしたちも汗掻いちゃってるし! アシュリンはユーリが暑いと思ったから、氷水に入れてあげたんだ! そうだよねアシュリン!?」
「ピュェ? ピュェ……ピュェェェェン!」
彼は流れに乗って勇ましく鳴いた。
完全に想定外の展開だが、彼は褒められる機会をむざむざと逃すほど馬鹿ではない。
「ふむ、アシュリンはしばしば眠るユーリを運んでおるしの。リゼットの言うとおりかもしれぬ」
「そうだな、昼寝のときも一緒に寝ているし、アシュリンなりにユーリを想っているのだろう」
「うーん……おばあちゃんとアリアが言うくらいだし、本当なのね。なによアシュリン、だったらもっと丁寧に入れてあげなさいよね」
「アシュリン偉いぞー、ちゃんと妹に優しくしてる!」
彼は"女神"や"親分"、"旦那"からだけでなく、"悪魔"からも頭を優しく撫でられた。
しかし"三下"だけは胡乱な目付きで彼と"新入り"を見比べていた。
「ほんとにそうか? こいつユーリが卵の頃、川辺に捨てようとして――たぁっ、テメェなに突いてんだ!?」
「ピュェッ、ピュェェェェ!」
「ウェインがそんなこと言うからだっ。もーアシュリンはお兄ちゃんなんだぞ!」
「サラ、ユーリが入っておっても、なんとか西瓜も入れられるじゃろう」
「そうね。じゃあこれは冷やしておくとして、他のも収穫しちゃいましょ」
"親分"は"三下"のことなど歯牙にも掛けず、"悪魔"に言って収穫物を桶に入れさせていた。
「リゼット、ウェイン、他のものも収穫するぞ。今度は向こうの手押し車に運ぶんだ」
「スイカとーるー!」
「あー、くそ、こいつリーゼとかサラのときと態度違いすぎだろ……」
"三下"はぶつくさと文句を言いながらも、他の面々と共に収穫を始める。
彼はそれを端から眺めながら、首を傾げていた。
"新入り"の無様を拝んでやろうと思って起こした行動なのに、褒められてしまった。以前と同様、単に偶然が重なっただけの結果だ。
このとき、彼はまたしても真理を悟りかけた。
「よーしっ、全部とったー!」
「といっても、十個だけだけどね。ミーネとウェインに一個ずつあげて、今から一個食べて、夕食にも一個食べるし……そうすると残りは六個か。やっぱり今年もすぐになくなっちゃいそうね」
「では来年はもう少し多く育てるかの?」
「百個育てよー!」
「はは、それはさすがに多すぎるな」
五人は軽く笑い合った後、"旦那"と"三下"の二人は球形の収穫物の積まれた手押し車と共に館へ戻っていった。
一方、"悪魔"は氷水から西瓜を取り出すと、"聖域"の脇に設置されている長椅子に向かった。そして"親分"から刃物を受け取り、緑色の球体を真っ二つにした。
「おぉぉ、おいしそー! サラ姉あたしの大きく切って! この半分の大きさのがいい!」
「それは全体の何分の一のこと?」
「四分の一だ!」
「その半分は?」
「八分の一っ!」
「はい、よくできました。じゃあリーゼは八分の一切れを二つね」
「やったぁぁぁぁぁ!」
"悪魔"が幾つかに切り分けていると、"旦那"と"三下"が戻ってきた。
それから間もなく、五人は大小様々な大きさの西瓜を手に持ち、全員で食べ始める。
「はい、アシュリンとユーリの分」
「ピュェ」
「キュェ」
彼は足下に差し出されたものを見て、そのまま自分で食べようか逡巡した。
"新入り"は"悪魔"に食べさせてもらっている。
彼も"女神"に食べさせてもらいたくて目を向けるが、彼女は一心不乱に食らい付いており、気付かない。
「ピュェェェッ!」
「ん? どーしたのアシュリン」
「ピュェン」
「もー、しょーがないなー、アシュリンは。でもさっきはいいことしたから、塩をかけて食べさせてあげよー。はい、あーんして」
"女神"から口に放り込まれて、彼は満足だった。
未だに"新入り"のことは気に食わないが、今回は"新入り"のおかげで良い目が見られた。
「ピュェ……?」
そこで彼は思った。
もしかして、"新入り"を利用すれば良いのではないか。
奴を排斥するのではなく、上手く活用することで、愛を取り戻せるのではないか……と。
そして西瓜を食べさせてもらった翌日。
彼は彼なりに考え抜いた末、行動を起こすことにした。
「ピュェ」
既に夜も更け、寝静まった室内で、彼は身体を起こした。
すぐ側で暢気に熟睡している"新入り"を一瞥してから、ゆっくりと歩き出す。
嘴で器用に窓を開け、バルコニーに出て、きちんと閉める。
「ピュェンェン」
彼は小さく鳴いて気合いを入れると、夜の森へと飛び立って行った。
■ ■ ■
「あ、リーゼ、アシュリン帰ってきたよっ」
「アシュリン!? 起きていなかったから、ちょっと心配したんだぞーっ!」
すっかり朝日が昇り、普段なら起床している頃、彼は館に帰り着いた。
すると"小娘"と"女神"が驚いたように駆け寄ってくる。
「その鳥、なに? もしかして獲ってきたの?」
「ピュェッ」
「おぉぉぉぉっ! すごいけど、でもなんでまた急に?」
"女神"は感心したように唸り、しかしすぐに小首を傾げた。
彼はバルコニーに置いていた血塗れの鳥を再び咥え、"小娘"の胸元で眠る"新入り"に近づけた。
「もしかして、ユーリのために獲ってきたのかな?」
「そーなのかアシュリン!?」
「ピュェェェェェ!」
彼は威勢良く鳴いた。
そう、全ては"新入り"……引いては自身のため、彼は夜な夜な奮闘していた。
努力の甲斐あってか、案の定、"女神"は彼を褒め称えた。
「すごいっ、アシュリン偉い! 妹のために頑張ってお肉獲ってきたのか!?」
「ピュェンッ!」
「おぉぉぉぉぉっ、アシュリィィィィィィィン!」
「ピュェェェェェェェェェェン!」
彼は"女神"からの愛を一身に享受した。
それは彼にとって、狩りの疲労が吹き飛ぶほどの満足感となった。
「え、なに、アシュリンがユーリのために獲ってきたの? 凄いじゃない、本格的に兄としての自覚でも出てきたのかしら」
その後、"悪魔"すら驚きながらも彼を褒めた。
"堕天使"や"女将"はもちろん"旦那"と"親分"からも賞賛され、その日の朝食は"新入り"同様に一品多く、豪華になった。
そうして、彼は気が付いた。
これで正しいのだと。
初めからこうしていれば良かったのだと。
「アシュリンっ、またユーリのために獲ってくるんだ!」
「ピュェェェェン!」
彼は翌日も、そのまた翌日も、夜な夜な狩りに出かけて、"新入り"のために肉を獲ってきた。すると、やはり"女神"はこの上なく褒めてくれる。
労せずして肉を食べられる"新入り"には腹が立ったが、しかし数日もしないうちに思い直した。
奴はその名の通りの"新入り"であり、間抜けだ。
つまり"小娘"や"三下"より更に格下の存在だ。
そんな相手には腹を立てるのも馬鹿らしく、また奴が哀れに思えてしまった。
「……キュァァァァ」
暢気に欠伸を漏らす、自身より幾分も小さな銀色の奴。
滑空はできても未だに飛行はできず、誰かを背中に乗せることも当然できない。
狩りなど到底無理だろうし、ただ寝ることしか能のない間抜け。
こいつは誰かが守ってやらねばなるまい。
「ピュェンェン」
"女神"たちが寝静まった深夜。
彼は単身バルコニーに出て、気合いを入れるように小さく鳴いた。
そして彼は今日もまた、自身のため、"妹"のために、深夜の狩りへと出かけていく。
愛とは、ねだるものでも、勝ち取るものでもなく、与えるものなのだ。
その真理に彼が気付いたのかどうか、それは誰にも分からない……。
【アシュリン的ヒエラルキー】
悪魔>>(越えられない壁)>>女将=姐御>親分=旦那>女神>
>(越えられない壁)>>自分=ダチ公=堕天使>小娘>妹>三下
本当は人参とか西瓜は出さず、オリジナル野菜を出すつもりでしたが、読み手が味も形も分からないと理解しづらいかと思い、分かり易さを重視しました。
言い訳終わり。