第九話 『幼女の決意』
リタ様を失った翌日。
奴隷生活二十五日目。
その日の朝、俺はレオナの温もりと共に朝を迎えた。
昨晩はレオナに抱きつかれ、また俺の方からもレオナを抱き締めたまま、眠りについた。だからレオナと一緒なのは当然だし、俺はこれからも彼女と一緒にいるつもりだ。もはやこの人生という長い旅路を共に歩もうと――歩んでいきたいと思っている。
「朝だぞ起きろテメェらァッ!」
リタ様がいなくなっても、労働の日々に変化はない。俺たちはいつものように一斉に叩き起こされ、階段を降りて順番に朝食を受けとる。
「あ、君はちょっとこっち来て」
レオナが受け取る番になったとき、イケメンの優男ノビオがレオナに声を掛けながら手招きした。彼女は思わずといったように振り返って、不安げな顔で俺を見る。
昨晩の一件もあってか、レオナは俺に笑顔以外の表情を見せてくれている。
だが今はそれより、ノビオの呼び掛けだ。どういうわけか、俺の第六感がビンビンと警告を発している。前世では直感など当った試しはないのだが、本当に嫌な予感がする。
リタ様の一件で敏感になっているのか……?
などと不安感に苛まれるも、どうしようもない。俺たち奴隷幼女は野郎共に逆らえない。逆らえばどうなるか、昨日見せつけられた。
レオナが昨日のリタ様の二の舞になるなど……考えたくもない。
「…………」
俺はレオナにぎこちなく頷いた。
レオナの方も拒否するわけにはいかないと思っていたのか、硬い動きでノビオの方へと向かって行く。
「さあ、こっち来て」
ハリウッド級のイケメン野郎は柔和な笑みを浮かべながら、レオナの隣を歩きつつ、さりげなく小さな背中を押している。
二人は地下に繋がっている階段へと歩を進めていく。レオナは一度チラリと振り向いて、心細そうな眼差しを俺に残し、そのまま薄暗い穴の中へ消えていった。
俺は朝食を受け取るも、頭の中はリタ様とレオナのことで一杯だった。
リタ様はもういない。実に現実味のない事実だが、昨日目にした光景が脳に焼き付いて、紛れもない現実だったと訴えてくる。
昨晩、レオナは泣き止んだ後、ぎこちなく笑った。これまでのような向日葵を思わせる明快さはなかったが、それで十分だった。
俺は彼女から歌を教えてもらい、一緒に歌った。歌って、泣いて、笑って、レオナはさすがに疲れたのか、ぐっすり眠った。俺も眠かったが、寝られなかった。
どだい三十年という時を生きてきた俺にとって、リタ様の死は絶大な衝撃をもたらし、とてもではないが眠れなかった。そして俺はレオナの愛らしい寝顔を見ながら、いい歳して馬鹿みたいに、でも声を押し殺して泣いた。
異世界に幼女として転生して間もない頃は、亜人やら魔法やら魔弓杖やら何やらで驚きだったが、まだ若さと未知への昂揚があった。
だが、ここは紛う事なき異世界なのだ。俺は幼女となって一月近くの時間を過ごし、ようやく異世界の異常性というものを嫌というほど実感した。
この世界では人――奴隷の命は軽い。
前世の世界でも、場所によっては人命などパン一個に劣るものだったのかもしれないが、生憎と俺は引きこもりのクズニートだった。平和な島国で、いつか冷めるぬるま湯に浸かりながら、ぬくぬくと日々を過ごしていた。
いい加減、意識を切り替える必要がある。
俺は奴隷だ。脆弱な幼女だ。
油断していると、ゴミクズのように扱われた挙句、簡単に処分される。
自分は大丈夫、どうせ大したことにはならない……という思いがないわけではない。だが、それは正常化の偏見というやつだ。心理現象だ。現実逃避したいと思う俺の弱い心が生み出す幻想だ。
そんな幻想は俺の命もろとも殺されるのだと、前世の最後で母親から学んだ。自分だけでなくレオナのことも守らなければならないし、真剣にこの奴隷生活から脱する方法を模索する必要がある。
昨晩、俺はそう決意を新たにした。
だから今はレオナのことが気に掛かって仕方がない。
なぜレオナはあのイケメン野郎と一緒に地下へ下りたのか、分からない。
不明は不安に直結する。
俺は堪らず、すぐ近くにいた監督役の男(名前不明)へと恐怖心を抑えて声を掛けた。
「あの、さっきレオナがノビオ……様、と一緒に地下へ向かわれましたが、あれは一体どうして――」
「お前はさっさとメシを食えっ」
野郎の汚い足で肩をどつかれた。一応手加減はされていたようだが、それでも非力なロリボディが尻餅をつくのには十分過ぎる。
俺は手にしていた朝食を地面に落とし、尾てい骨を強かに打ち付けた。
「――っ」
レオナへの憂慮が眼前の野郎を上回ったのか、俺は恐怖するより苛立ちながら身体を起こす。泥のような砂がついたパンを拾い、汚れた草を鷲掴み、あちこちに転がった木の実を拾っていく。
そのとき、薄汚れた小さな足が、伸ばした手の先にある木の実を踏みつけた。
思わず顔を上げる。
視線の先には、這いつくばってメシを拾う俺を見下すアウロラがいた。元幼女王は口元に酷薄な笑みを湛え、俺の木の実を明後日の方へ蹴り飛ばす。
「これでもう、おまえを助けてくれるやつはいないぞ、ローズ」
「え……?」
侮蔑しながらも愉快さを隠さず口端を歪め、アウロラはそう言って背を向けた。
俺は四つん這いの体勢で固まってしまう。なぜアウロラが、あんな表情で、あんな声色で、あんな言葉を、このタイミングで口にしたのか。
半ば唖然としながらアウロラの背中を見送っていると、尻に衝撃。
「おらテメェなにやってんだ、グズグズすんなボケ!」
マウロに我がプリティヒップをローキックされ、俺は更に倒れて地面に頬をこすりつけた。だが痛みを感じる間もなく、ほとんど反射的に立ち上がって、逃げ出すようにその場から離脱する。
リタ様を殺したマウロは憎々しいが、同じくらい怖い。
そんな自分が情けなくて悔しかったが、幼女で無力な俺には抗う術がなかった。
♀ ♀ ♀
不幸な事は連続して起きるということは、クソッタレな前世で実感したことだ。
一度の不幸が更なる不幸の引き金となり、負の連鎖は続いていく。それは自分の力でどうにかできるものではなく――あるいはできるのかもしれないが、力なき奴隷幼女に為す術はない。
それでも、事態の唐突さに驚かずにはいられない。あまりに非情な現実に嘆かずにはいられない。世の理不尽さに憤らずにはいられない。
希望を横からかっさらわれたことを落ち込まずにはいられない。
レオナが、戻ってこない。
一日の労働が終わり、奴隷部屋へと戻る段になって、俺は爆発しそうな不安を抑え込んでいた。昨日に引き続き、今日もまた幼女たちは陰々滅々とした雰囲気の中、凶器を組み立てていた。俺は吐き気を堪えながらも、意識と切り離した手を淡々と動かしていった。
その間、脳内を駆け巡っていた思考はレオナのことばかりだった。
トイレに行った際、俺はノビオにレオナのことを訊ねてみた。
しかし、あのイケメンは薄気味悪い笑みを張り付け、素っ気なく答えた。
「君が気にすることじゃない」
勇気を出して、目付きが悪すぎるボッチのイーノスにも訊ねてみたが、奴は無言を返した。マウロには訊けなかった。ノビオとイーノスでダメなら、マウロには訊くだけ無駄だと思った。
そうして時間が過ぎていき、陽が沈む頃。
俺たちは夕食を渡されて奴隷部屋へと戻されようとしていた。しかし、昨日に引き続いて、再びマウロがイーノスに怒声をぶつけている。
「おいおいおいイーノス、テメェ……なんだこれは」
「肉だ」
「んなことたぁ分かってんだよボケ!」
無表情で答えたイーノスに、マウロは苛立ったように舌打ちして怒鳴った。
マウロとイーノスの間には巨大な肉の塊がある。表面はこんがりと焼けていて、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。何の動物かは知らないが、豚か猪めいた一リーギスほどの身体には頭がない。台車に乗せられた肉塊の丸焼きが二人の間に鎮座している。
「肉も食べないと身体が保たない」
「だから余計なことすんなっつってんだろが! お前の頭は空っぽなのか!? アァッ!?」
遂にマウロは腰の凶器を引き抜いた。肉塊に銃口を向けると、躊躇いなくトリガーを引く。その光景に、俺の脳はフラッシュバックを起こしかけた。
昨日のリタ様の惨状が強制的に想起される。目の前の現実では赤い血も脳漿も弾けることはなかったが、中まで焼けた肉塊に穴が空き、肉片が少し周囲に飛び散った。
「……うっ」
俺は胃が締め付けられるように収縮し、思わず嘔吐し掛けるが、なんとか堪えた。
「恐怖ばかりでは廃人になる。効果的に運用しようと思うのなら――」
「うっせえぞ鳥頭!」
淡々としたイーノスの意見に対し、マウロを銃口を向けた。
だが、そこでノビオが微笑みながら登場し、マウロにゆっくりと語りかける。
「まあまあ、マウロさん。確かに彼の言うことにも一理ありますよ。それに、これだけの肉だ。僕たちはもちろん、彼女にも食べさせられる。見栄え良くするためには肉をたくさん食べさせた方が良いですよ」
「んなことたァ分かってんだよ! 俺はな、こいつがまた勝手なことしてんのが気に喰わねえんだッ!」
ノビオのおかげか、マウロは少し落ち着きを取り戻したようで、銃口を下げて腰のホルスターに戻した。そして肉塊を迂回し、イーノスの顔面をブン殴ってから、吐き捨てるように告げる。
「お前は今日、外で寝ろ。メシもテメェでなんとかしろ」
「…………」
イーノスは殴られても倒れなかったが、口端から血を垂らしながら無言で首肯を返し、踵を返して屋外に出て行った。
それから俺たちはいつものパンと草と木の実の他に、肉を一切れだけ貰った。穴の空いた肉塊はまだ優に半分以上は残っていたが、ノビオの言うとおり彼らの分なのだろう。
それにしても……奴の言っていた彼女って、まさかレオナのことか?
なんだ、何がどうなっているんだ。もう意味が分からん。
それに、イーノスの行動も意味不明だ。
なぜ、あの翼男は肉なんか持ってきた?
この世界に来て初めての肉とはいえ、レオナがいなければ素直に喜べない。
「訳分かんねえ……」
ダメだ、状況が不透明すぎて不安しか覚えない。
とりあえず、一旦落ち着く必要がある。冷静になって、よく考えてみよう。
俺はガキじゃないんだ、それくらいはできるはずだ。
グチャグチャになりそうな心を宥めつつ、俺は奴隷部屋への階段を上っていった。
♀ ♀ ♀
これは俺の経験とネットの知識によって知り得たことだが……
人は抑鬱状態に陥ると、思考力が低下する。低下した思考力では現状を改善する策が思い浮かばず、鬱で勇気も出ず、結果的に何も行動を起こせずに更に鬱になる。
鬱はそうした負のスパイラルによって際限なく心を蝕んでいく。
ここには前世のようにアニメもゲームもマンガもネットも何もない。現実逃避できるものがないから、非情な現実を前に心が潰れ、思考できなくなり、人の言いなりになるしかなくなる。
俺はそうした人間の心理を知識として知っている。十代の頃に鬱になりかけたので、ある程度の慣れというか、ストレスへの耐性がある。だから自分を客観的に省みて、負のスパイラルを食い止める自分なりの術を持っている。
しかし、年端もいかない幼女たちは違う。突然リタ様を無残に殺され、その死体を見せつけられた彼女たちの心は危うい状態にある。
以前にも増して、無気力そうな幼女が多い。ノエリアもフィリスも同様で、今日はレオナがいないせいもあるのか、昨日以上に暗澹とした表情を見せている。双眸は気怠そうに半眼で、口角や頬は下がり、背中は曲がっている。一片の肉を与えられたところで、笑顔になれるほどこの雰囲気は軽くない。
誰もがこの世の終わりのような顔で、緩慢に顎を動かし、黙々と夕食を飲み込んでいる。
「おい、待てよ」
そんな中、それは起こった。
第二期奴隷幼女――元リタ様配下の一人の幼女が、部屋中央の水桶に近づいたとき、彼女の前にアウロラが立ちはだかったのだ。
アウロラはいつの間にか服を着ていた。昨日までリタ様が着ていた服を。そして髪も以前のようにポニーテールになっている。
「……ぁう!?」
アウロラは疲れたように肩を落とす幼女を突き飛ばし、尻餅をつかせた。そして、か弱い悲鳴を上げた彼女に、力強く傲然と言い放つ。
「だれが勝手に水を飲んでいいって言ったんだ?」
部屋の中心部で起こった出来事に、幼女の多くが気怠げに視線を向ける。だが何人かは鬱々と、機械的なまでの動きでメシを口に運び続けていた。
「マヌエリタは、もういない。あの怪力も、もういない」
アウロラは尻餅をつく幼女の前で仁王立ちになると、宣言するように大声を響かせる。
「どうしてだか、分かるか?」
問いかけるような口調ながらも、アウロラはそのまま続けた。
「アタシが頼んだからだよ、あのノビオって新入りにな。そして、まずはマヌエリタに消えてもらった。あの怪力――レオナにもだ」
「な……んだ、と……?」
俺の思考は一気にこんがらがった。だがアウロラは俺の困惑を余所に、かつての幼女王の風格を纏って、声高らかに宣言する。
「これからアタシに逆らった奴には消えてもらう。マヌエリタのようにな」
その一言に、奴隷部屋の空気が凍り付いた。
きっと誰もが昨日のリタ様を思い出しているのだろう。頭が半分消え去って、ピンク色の液体が流れ出し、ピクリとも動かない泥だらけの身体と、漏れ出る黄金水。喚起されるのは純然たる恐怖だ。
俺も否応なく頭に思い浮かべてしまった。
視界がグルグルして、気が狂いそうだった。
「水が欲しければ、アタシにお願いしろ。膝をついて、頭を下げて、アタシにお願いするんだっ! アハッ、アハハハ、アハハハハハ――――!」
アウロラが狂ったように哄笑する。愉快痛快お前等全員アタシの奴隷だと、そう言わんばかりに誰憚りなく嗤っている。
「……………………」
誰も反抗しようとしなかった。
鬱のスパイラルに捕われて、勇気も気力も出ないのだろう。
だが、俺は違う。
俺はアウロラの言葉を聞き流せなかった。
「この野郎……っ!」
自分でもよく分からない激情を胸に立ち上がり、笑い狂うアウロラに近づいていく。すると、向こうも俺に気が付いたのか、口元に嘲笑を刻んだ顔を俺に向けてくる。幼女王の瞳は炯々と、あるいは陰々と輝き、他の幼女たちと違って異様な迫力がある。
「アウロラ、お前さっきなんて言った? レオナに……レオナに何をしたっ!?」
「ローズ、なあローズ。アタシにそんな生意気な口きいていいと思ってるのか? もうお前を守ってくれるマヌエリタもレオナもいないんだぞ?」
アウロラは不自然なまでに冷静だった。
まるで羽虫でも見るような目で俺を睥睨している。
「……っ」
怒り狂いそうだった。
未だかつてないほどに、誰かをやっつけてやりたい気持ちが芽生えていた。
だが、俺の記憶に刻み込まれたクソ兄貴の姿が脳裏にチラつき、キレさせてくれない。前世から引き継いだ呪いが勝手にブレーキを掛け、こんなときまで怒りは悪だと訴えてくる。
「レオナを、どうしたんだ。答えろアウロラッ」
「どうもしてねーよ。ただ、地下で閉じ込められてるだけだ。ま、四日後にはどうなってるのか知らねーけど」
「四日後……?」
ふとノビオがマウロに言っていたことを思い出した。
見栄え良くするためには肉をたくさん食べさせるという台詞。そして今まさに、アウロラはレオナが地下に幽閉されていると言った。レオナが竜人ハーフという希少種であることも考慮すれば……
「まさか、お前、レオナを……」
レオナは売られる。
なぜレオナが竜人ハーフだとバレたのかは分からない。
だが、リタ様も言っていたことだ。まず間違いなくレオナは別のところへ連れて行かれる。
そう考えると、少しだけ気が抜けてしまった。レオナは死んだわけじゃない。どこかへ売られるのだろうが、生きてはいる。
そうして安堵の吐息を溢していると、不意打ちを食らった。アウロラに両手で勢いよく突き飛ばされ、本日二度目の尻餅をつく。
そんな俺をアウロラは鼻で嗤うと、またもや幼女たちに宣言した。
「いいか、お前らっ。これからずっと、ローズに味方する奴は全員、マヌエリタみたいに消えてもらうからな!」
ハブろう宣言だった。
俺だけ孤立させる作戦だった。
高校の時のトラウマが全身を縛り、起き上がらせてくれなかった。
「……ぅぐ!?」
アウロラは奴隷生活初日のように、俺の平坦な胸を踏みつけてきた。
軽く肺が圧迫され、思わず苦しげに咳き込む。
「ローズ……アタシはお前が大っ嫌いなんだ。レオナに助けられて、マヌエリタに守られて、お前はのうのうとしていた……マヌエリタと同じくらいむかつくな、お前」
過去、誰からも嫌われないようにしていた俺は人間を人間として見ていなかった。だからこそ、高校ではクラスの意向に反して約束を軽視し、ボッチとなった。
そして今まさに、俺はこの奴隷部屋でボッチになろうとしている。
いや、もうなっているのかもしれない。
踏まれたまま、視線を第四期奴隷幼女たちの方へ向けてみる。薄暗くてよく分からないが、誰もがこちらを遠巻きに眺め、動こうとしない。ノエリアもフィリスも、ただ見ているだけだ。
しかし、それも当然だろう。アウロラの宣言は卑怯なまでに恐怖心を煽る。
先ほどの発言が嘘という可能性もあったが、あそこまで自信満々な様子を見せられれば、年端のいかない幼女でも真実だと悟る。そもそも、この状況で俺に味方するのは馬鹿のすることだ。愚の骨頂だ。あるいはレオナなら、リタ様なら、俺に味方してくれたかもしれないが……
彼女らはもうこの場にいない。
誰も俺を助けてはくれない。
リタ様もレオナもいない。
俺は独りだ。
せっかく転生したのに、またしても俺は集団内で孤立してしまった。
何がいけなかったのか、分からない。
さっきアウロラに突っかかっていかなければ、大丈夫だったかもしれない。
いや、もう今朝の時点でアウロラは俺に目を付けていたか。
だが、とにもかくにも……
俺は、自分の行動を後悔してはいない。
リタ様とレオナのことで、アウロラ相手にすら何の行動も起こさなかったら、俺は俺を決定的なまでに軽蔑していた。いつものように自分をクズだと卑下することで、その場限りの言い訳をしていただろう。そうして、明日も明後日も一年後も十年後も、厚顔無恥に現実逃避を繰り返していただろう。
俺は、ローズだ。
レオナに名付けてもらった立派な名前がある。
だから、もう俺は断じてクズなんかじゃない。
弱い俺は消え去った。
牙の抜けた狼になどなるものか。
ボッチなんて今更だ。
「フ、フフフフフフッ」
俺は意識して笑みを溢した。
静かに、でも迫力ある姿を演出するために堂々と。
「……何がおかしい?」
アウロラは訝しげな顔を見せる。
俺は胸を踏みつけられながら、いけ好かない幼女を力強く見上げた。
そして、やや舌足らずなロリボイスで決然と言い放つ。
「この薔薇を手折ろうなどと、二十年早いぞ幼女王。怪我しないうちに、さっさとこの足をどけ――ぶァ!?」
顔面を蹴られた。だが、おかげで胸を圧していた足が消え、俺は匍匐回転して距離を取ってから立ち上がった。
「ローズ、お前なに生意気なこと言ってんだ? むかつくな、むかつくよお前」
アウロラは苛ついた様子で俺を睨み付けてくる。
「おいこらアウロラ、誰に向かって口を利いている。年上は敬えよ、俺はお前の四倍以上は生きて――るきゅッ!?」
「ハッ、わけ分かんねーな、お前。でもむかつくことだけは分かる」
突進の勢いがプラスされた蹴りを腹部に見舞われ、その場にうずくまった。
アウロラは後頭部を踏みつけてきて、俺は額を床に打付ける。
「どーした、ローズ。ほら、おい、どーしたんだよ、ローズ」
「…………」
俺は黙って踏まれ続ける。
これも作戦のうちだ。アウロラにはいい気にさせておけばいい。
これが俺の戦いなのだ。
アウロラは七歳ほどだが、反して俺は三歳(せいぜい四歳)ほど。身長も俺より二十レンテ以上は高く、俺は体格で劣っている。
だが、仮に肉弾戦で俺がアウロラを傷つけたとしよう。べつに論戦でもいい、幼女王を言い負かしたとしよう。そうして彼女の許容量を超えるストレスを与えたとき、果たして俺はどうなるだろうか。
ノビえもーんっ、ローズを殺してぇ!
俺はリタ様の後を追うことになる。
そうなれば、レオナを助けられない。
必ずレオナを守ると、俺はこのロリボディに誓ったのだ。仮にレオナが変態貴族に売られていき、俺が奴隷から脱するのに十年二十年掛かっても、俺は必ずレオナを探し出して助ける。俺の目的はアウロラ如き小物を打倒することじゃない。
レオナを助けることだ。
だから、アウロラには仮初めの満足感を味わってもらう。
俺は道化となって無様な幼女を演じ、いくらでも幼女王の虚栄心を満たしてやる。非力なロリボディでは頭脳こそを活用する。
機会を待つのだ。
ロンリーウルフならば虎視眈々と好機を窺え。
時間が俺の心を腐らせようものなら、リタ様を思い出せば良い。
レオナと一緒にうたった歌を思い出せば良い。
「人間やればできる。やらねばならない。やるしかない。もう俺は諦めないぞ……」
「あん? なんだってローズ?」
ぐりぐりと後頭部を踏みつけられるが、俺は耐える。
これが今の――ロリで無力な俺にできる精一杯の戦いだ。
「ハハッ、アハハハ、アハハハハ――ッ!」
俺は笑った。
声高らかに笑った。
レオナの教えを活かし、辛いときにこそ笑ってやった。
正直、地下でひとりぼっちなレオナを思うと居たたまれなくて仕方がない。
レオナが変態貴族に犯されるなど、想像しただけで心が折れそうだ。
こんな暢気に笑っていていいのかと、心のどこかで自分が責め立ててくる。
それに俺自身、これからの奴隷生活に耐え続けられるか、それほど自信がない。
しかし、だからこそ俺は笑う。負の感情など吹き飛ばしてやる。
俺は強く生きていくと決めたのだ。レオナを守ると誓ったのだ。
そのためならば、俺は俺を奮い立たせるためにできることは全てやる。
「なに笑ってんだっ、気持ちわるいんだよ!」
そうして俺は一匹狼と化し、幼女王に足蹴にされながらも、孤独な戦いに身を投じていった。