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幼女転生  作者: デブリ
七章・黄昏編
137/203

第九十一話 『賭博激闘録ローズ 三』


 翌朝。

 朝飯を食った後、食後の運動も兼ねて町の散策に出掛ける。

 昨日から頭を使いすぎているので、少し気分転換をしたかった。


「…………」


 白雲の多い青空の下、まだ朝方にもかかわらず港町の活気は上々で、人通りも多い。潮の香りを孕んだ海風に吹かれながら、俺は昨夜から続けている思考をこねくり回していく。


「うーん、やっぱり分からないわねぇ」

「……うむ」


 黙考する俺の隣で、ベルが悩ましげな声で呟き、ユーハがそれに頷く。

 俺も内心では同意せざるを得なかった。


 〈霊引ルゥ・ラトア〉を用いたイカサマ。

 もし昨夜の推理が正しかったとしたら、おそらく突破口は……ない。

 いや、イカサマ自体の妨害は可能だろう。こちらも〈霊引ルゥ・ラトア〉を行使するなり、断唱波を放つなりすれば、公正なゲームにすることは可能だ。

 しかし、相手のイカサマを逆手に取って、こちらが丁半を思いのままにできる方法はどう考えても存在しない。 


 正直、このイカサマを考案した奴は天才だと思う。

 常人にはまず見破れないし、見破られたとしてもサイコロを精査するか〈霊引ルゥ・ラトア〉などの魔法でも行使しない限り、立証はできない。

 だが、丁半賭博において客がサイコロに触れることは厳禁だし、黒服獣人たちのせいでカジノ内では詠唱もままならない。仮に魔石サイコロを客側に利用されそうになっても、一つしか操作できないのだから、客側からすれば確率が二分の一になるだけで本来のゲームと勝率は変わらない。


「考えれば考えるほど、イカサマとしてはこれ以上ないほどに完璧すぎよ。アタシもユーハちゃんも気付けなかったし、隙なく完成された手法だわ」

「そうですね……これはもう付け入る余地がありません。こう言うのも何ですけど、素晴らしすぎて感服します」


 逆手にとって一攫千金とか、そんな希望は幼稚な夢幻だった。

 ギャンブルを題材にした漫画やドラマのように、そうそう都合良くはいかないのが現実だ。こんな天才的な手法を用いてくる連中が、むざむざ逆手にとられる隙を残すはずがない。


「あのツィーリエって人以外からは何も感じなかったのよね? だったら、別の壺振り師のもとで賭戯に挑めば公平な勝負ができるはずよ」

「待たれよベル殿。それではこのまま、すごすご引き下がると申すのか? 相手は常人では到底気付けぬイカサマをしておる卑怯者どもである。せめて気付いた某らが目にもの見せてやらねば」

「でも、どう考えても逆手にはとれないし、事を公にすれば危険だわ。悔しいけれど、アタシたちにできることはないのよ……」


 ベルが図体に見合わぬ声を零し、肩を落として頭を振る。

 ユーハは苦虫を噛み潰したような面で「むう……」と唸っている。

 そんな二人を横目に、俺は溜息を吐きながら口を開いた。


「とりあえず、今日も賭場には行きましょう。ベルさんの言うとおり、別のテーブルでなら公平な勝負ができるはずです」 


 それで運良く勝って、イヴを購入できる金額に届くほど稼げれば、それで良し。

 無理だったら、これが現実なのだと諦めるしかないだろう。

 前世だろうと異世界だろうと、なかなか自分の思うようにはいかないもので、それこそが現実なのだ。

 決してこの世界は俺を中心に回っているわけではない。


「イカサマを見破れたと思ったのに、意味なかったですね……」

「…………」


 俺の呟きに、ユーハもベルもただ無言を返してきただけだった。


 その後、俺たちは町中をぶらついて時間を潰し、昼食を摂ってから賭場に向かった。昨日の帰り際に訊ねた通り、今日もツィーリエはいて、たまに魔力波動を放っていた。

 俺はそれを別の丁半賭博テーブルから感知しつつ、おそらくは公平だろうゲームに挑む。

 

 結局、あの妖艶な熟女と違って、若い姉ちゃんの壺振り師からは一度も魔力波動を感じなかった。

 結果は五十八戦して三十三勝二十五敗、儲けは7500ジェラだった。

 チップを換金して入場料を差し引けば、6625ジェラの勝ちだ。

 たぶんこれでも相当に運良く稼げた方だろう。

 

 しかし、イヴを購入できるだけの金額には到底及ばない。




 ♀   ♀   ♀




 翌日。

 出港を明日に控えた朝。

 今日は朝食を食べた後、部屋でのんびりとしていた。


「なかなか降ってるわねぇ……明日の出港に影響しないと良いけれど」


 ベルはベッドに腰掛けたまま窓の外を見遣り、独り言のように呟く。

 ユーハも別のベッドに腰を預けているが、鞘から愛刀を引き抜き、調子を確かめるようにメタルブルーな刀身を見つめている。

 俺はといえば、窓辺に椅子を置き、曇天から降り注ぐ雨と濡れた町並みを漫然と眺めていく。

 

 今日もまた賭場には足を運ぶつもりだが、十中八九、イヴは助けられないだろう。いや、可能か不可能かでいえば、可能なのだ。単に俺が魔石や魔剣を売って金を工面しさえすれば、あの翼人美女を奴隷の身から解放してあげられる。

 しかし、それはできない。

 つまらない意地かもしれないが、ここで妥協してしまえば、今後もずるずるといきそうだ。明日から本気出すと言っている奴は、一生本気になんてなれない。


「イヴ……レオナ……」


 声にならない声で、思わず呟きを零してしまう。

 俺の理性はもうイヴのことなど忘れろと言っているが、感情がそれを拒んでいる。彼女も大切な人を探しているというのだ。嫌でも感情移入してしまうし、四年以上ぶりに偶然再会したこともあり、何か運命的なものを感じてしまって、放ってはおけないと思ってしまう。

 それでも、俺が助けるべきはレオナであり、自らのクズニートっぽさも看過はできない。


 助けたいと思っていて、助ける方法はあって、だから助ける。

 そんな単純な思考に身を任せたくなるが、よく考えもせずに動けば、自覚もないままにクズになるおそれがある。

 人は考えることを止め、悩むことを止めたとき、成長が止まるのだ。

 俺は前世でクズニートだった頃、いつか破綻する未来から目を背け、思考を停止していた。ただ今が良ければそれで良いと、目の前の快楽娯楽にだけ注目し、場当たり的な満足感だけを得て生きていた。


 俺は、また自分がクズな人間になるのではないかと、不安だった。

 だからこそ、俺は転生してからこれまで事あるごとに散々考えてきたし、悩んできた。

 だからこそ、自分とイヴのことを天秤に掛けても、彼女の側へは傾かない。


「ローズ」


 ふと声を掛けられて、俺は窓外からユーハに視線を転じた。

 オッサンはちょうど胸の前でゆっくりと納刀し、真っ直ぐに俺を見つめてくる。


「某にとって、ローズの身の安全は大切なことである。何よりも優先すべきことだ」

「えっと……ありがとうございます……?」

「しかし、何よりもとは申したが、ただ一つだけ例外はある」

「え……?」


 ユーハが何を言いたいのか分からなかったし、その言葉が少し意外でもあって、俺は眉根を寄せた。

 すると、眼帯のオッサンは当然のことのように言い切った。


「ローズの意志だ」

「私の、意志ですか……?」

「ローズが傷つくような事態は避けたく思うし、何があっても護りたいとは思っておる。しかし、それはローズの意志を蔑ろにしてでも、優先されるべきことではない」

「……………………」


 瞬間的に、俺は悟った。

 たぶんユーハは俺の秘めたる最終手段を理解し、言外に「気にするな」と言っているのだ。


「無論、ローズが紛う事なき悪の道を歩むというのであれば、某はその意志を阻むであろう。だが……此度は事情がある。ローズは己が欲望や金銭のためではなく、誰かを助けたいがために奔走し、頭を悩ませておる。ならば某も多少の不義には目を瞑り、積極的にとはいかぬまでも、ローズが望むのであれば協力したく思っておる」

「ユーハさん……」


 思い返せば、ユーハはいつも俺の意志を尊重してくれていた。

 カーウィ諸島へ行くと言ったとき、俺の身を案じていながらも、反対することなく同行してくれた。その道中の船上で、ユーハには留守番していて欲しいと言ったときも、納得してくれていた。まあ、あのときはなんだかんだで屁理屈をこねて、俺を守ろうとしてくれていたが……。

 カーム大森林のときだって、何かを決めるときは俺に判断を委ねてくれていた。今回のことも、賭場へ行くことを反対はしていたが、強引に止めようとはしなかった。一昨日にイカサマを利用しようと提案したときも、ユーハはきちんと自分は反対だという意見を述べはしたが、最終的には俺に同意してくれた。

 

 ユーハ自身が今し方にも言ったとおり、彼は俺の絶対的な味方ではない。

 オッサンにだって意志はあるし、曲げられない道義心もあるはずだ。

 あくまでもユーハは俺の意志を尊重してくれているだけで、俺という存在を全肯定してくれるイエスマンではないのだ……という認識を忘れてはいけない。


 それでも、ユーハは言った。

 今回は事情があるから、多少の不義には目を瞑って、協力しても良いと。

 その言葉は俺の躊躇いを吹き飛ばしてくれるように深く響いた。


「ユーハちゃん、本気なの?」


 端から話を聞いていたベルが真剣な表情で問うていた。

 色々と言葉を省いていることから、ベルも最終手段には気付いている。

 このオカマは頭が良いし、何より交渉事に長けた商人だから、たぶん俺がイカサマの説明をしたときには真っ先に思い浮かんでいたはずだ。

 しかし、危険だから口には出してこなかっただろうし、提案するつもりもなかっただろう。


「ベル殿は一昨日の夜、申しておったな。ローズはきちんと分かっている、と」

「ええ、だからその点はあまり心配していないわ。でもね、危険は冒せないわよ。下手すれば大勢から命を狙われることになるのよ。ユーハちゃんはそれを許容するっていうの?」

「無論、許容しがたいが、ローズが望むのならば此度はやむを得まい。もしローズを害するような輩が現れるのであれば、某は一切の容赦なく斬り捨てるまでである」


 《七剣刃》の一振りを所有する凄腕剣士に断言され、さしものベルも反論はできないようだった。

 窓から漏れ入ってくる雨音に埋もれない低い声で、ユーハは普段通り泰然とした様子で続けた。


「某とて、危険な目に遭う可能性の高い行動を推奨しておるわけではない。だが、できうる限りはローズの思いを汲んでやりたく思う。たとえそれが危険で、決して正しい行いだとは申せずとも」

「……必ずしも正しいことが正しいわけはない、か」

「それも一昨日、申しておったな」

「ええ」


 ベルはそう応じながらも、悩ましげな表情を見せている。

 そのままベルは俺に向き直ってくると、眉を曇らせつつ口を開いた。


「アタシたちの思いはともかく、ローズちゃんはどうするつもりなの? イカサマの真実を武器に交渉しようと、本気で考えているの?」

「……今ではそれも、ありかなと思っています」

「賢いローズちゃんなら、イカサマを逆手にとろうと考えるより前に、思いついていた事よね? でも、それは口にすらせずに、あくまでも賭戯で稼ごうとしていたわ。つまりどれだけ危なくて、イカサマを逆手にとって稼ぐことより悪いことかは、よく分かっていたのよね?」

「はい」


 もちろん重々承知している。

 ベルは言葉を濁していたが、要は脅迫なのだ。

 胴元側に、イカサマの真実を公表されたくなければ金を寄越せ……とチンピラ紛いにゆする行為。

 それこそが単純にして明快な最終手段だ。


「それで、やる気はあるの?」


 何とも言い難い神妙な顔で、ベルは静かに訊ねてきた。

 俺は逡巡したが、頷きを返す。


「正直、気は進まないですし、方法としてもどうかと思います。命の危険を冒してまでお金を工面して、イヴさんを救おうとするくらいなら、もういっそのこと魔石か魔剣を売った方がいいのでしょう」

「そうね、その通りよ」

「ですが、それでイヴさんを救ってしまえば、きっと私が私でなくなります。私の決意も、覚悟も、これまでの行動全てに意味がなくなって、今後の私は事あるごとに自分を甘やかしてしまうでしょう」


 きっとベルには何を言っているのか、よく分からないことだろう。

 あるいは大げさだと思っているのかもしれない。

 それでもベルは笑わず、冗談めかしたりもせず、真剣な眼差しを俺に向けてくる。


「……そこまで考えていても、イヴちゃんのことは諦めきれないの? べつにあの子は死ぬわけじゃないのよ。高級奴隷として扱われていたから、命の危険にだって晒されないわ」

「分かっています。ですがそれでも、可能な限り助けてあげたいんです。私には、彼女の気持ちが分かるつもりです。できることがあるのにしなかったら、きっと自分のことのように後悔します」


 俺は自らのクズニート精神を忌避している。

 胴元をゆする行為は悪だと自覚しているが、この厳しい世の中で望みを叶えようと思うのならば、綺麗事だけではやっていけない。

 前世然り、今世然り、悪を制することができるのは正義ではなく、それを上回る悪だけだけであり、より強い方こそが正義となり得るのだ。

 いつまでも処女厨めいた潔癖症のガキみたく、残酷な現実を見据えず過酷な社会に適応する勇気を持てなかったから、かつての俺はクズニートだったのだ。

 清濁併せ呑んでこそ、大人というものだろう。


「イカサマの件を武器に交渉して、それでもお金を工面できなかったら、そのときは諦めがつきます。自分にできることは全て精一杯やったんですから、仕方がなかったと思えるはずです。私は私の信条を曲げてまで、イヴさんを助けてあげたいとは思っていないので」

「…………」


 ベルは俺の言葉を聞き終えると、逡巡するように瞑目した。

 それから俺を見つめ、ユーハを見つめ、実に悩ましげな表情を見せた後……ふっと顔や肩から力を抜いた。


「ローズちゃんがそこまで考えた上でやるって言うのなら、アタシも反対はしないわ。正直、ローズちゃんにはそういうこと、して欲しくはないのだけれど……」

「すみません、ベルさん。ユーハさんも。私のこと、いつも心配してくれてありがとうございます」


 俺は本心から感謝した。

 自分のことを真剣に考えてくれる人がいるというのは、幸せなことだ。

 たとえ相手が三十代のオッサンだろうと、有り難いことだよ。


 そう思いながら深呼吸をして、俺はユーハとベルを見据えた。


「私は今日、イカサマの種を元手に、賭場に勝負を仕掛けてみようと思います。分の悪い賭けかもしれませんし、決して胸を張れることでもないですし、何より危険を伴います。それでも二人とも、協力してくれますか?」

「うむ、相手は卑怯者であり、誰かを助けるためなのだ。義は此方にある。某にできることならば、手を貸そう」

「アタシも力になるわ、ローズちゃん。誰かのために頑張るその心、いつまでも忘れないでね」


 二人とも頷いてくれた。

 俺は一人でもやる覚悟だったが、やはり心強く思うし、安心もした。

 事が失敗すれば戦いになる可能性大で、命の危機に瀕するかもしれない。

 しかし、それでも俺は、大切な誰かを求める美女を放ってはおけないのだ。

 無論、今回はお金の大切さを学ぶためというお題目で動き出したため、強硬手段に出ては名目に矛盾が生じる。とはいえ、脅迫という行為で賭けるのは俺の身の安全――すなわち命だ。命をベットして金を得んとするならば、金の大切さは嫌でも実感できるだろう。

 俺のやり方は邪道も邪道だが、前世では賭博においてこんな名言もあった。


 ――やり方は三つしかない。

 ――正しいやり方、間違ったやり方、俺のやり方だ。




 ♀   ♀   ♀




 参謀ベルの知恵を借りて作戦会議をし、俺たちは満を持して宿を出た。

 昼前には雨が上がっていたので、緊張する心を落ち着かせながら濡れた路面を歩いて行く。賭場の前には早朝のパチスロ屋のように営業開始前から並ぶ連中がいて、俺たちもその列に加わった。

 そして開店と同時に入場する。やはり500ジェラをとられたが、俺はこれからその一万倍の金額を脅し取る予定なので、問題はない。


 まだ人気の少ない賭場の中を、一直線に丁半賭博エリアへと足を進めていく。

 開店して間もないからか、ディーラーのいるテーブルは一つしかなかった。

 きっと客が増えていくのに合わせて、他のテーブルを解放していくのだろう。


 目標の美熟女ツィーリエはU字型テーブルの側に立ち、続々と集まってくる客に挨拶をしていた。俺もユーハとベルを伴って近づくと、向こうからこちらに気が付き、声を掛けてくる。


「あら、今日も来てくれたのね。昨日は別のテーブルで遊んでいたようだけれど」

「はい。今日はお姉さんに会いに来ました」


 俺がそう答えると、既にテーブルに着いていたオッサンが笑い声を上げる。


「ハッハッハッ、ガキにツィーリエの魅力が分かるとはな!」

「ガキすらも虜にするたぁ、さすがツィーリエちゃんだな」

「ツィーリエはおっぱいでかいから母性が滲み出てんだろ」

「あー、俺のかーちゃんもツィーリエみたいだったらなぁ」

「ばっか、そしたらお前、ヤリたくてもできねえじゃねえかっ」

「馬鹿はテメェだろ、こいつの面じゃどのみちヤレねえよ」

「んだとゴラッ」


 野郎共が楽しげに騒いでいる。

 思った通り、この美熟女は結構な人気ディーラーのようだ。

 この中に何人、胴元側の手先がいるのだろうか。


 俺が野郎共を横目に見ていると、ツィーリエが腰を屈めて俺に囁いてきた。


「おじさんたちの言うことは気にしなくてもいいからね。私は君が女の子だって、ちゃんと分かってるわ」


 どうやら幼女を気遣ってくれているようだ。

 なかなか優しいとは思うが、外面に騙される俺ではない。

 にしても、やはり俺の男装はあまり効果的ではないようだ。

 まあ、ツィーリエが気付いていたのなら、それはそれで好都合だな。

 

「私も、ツィーリエさんのことはちゃんと分かっていますよ」

「あら、私のこと? どんなことかしら?」


 やや小皺の見られる美貌で柔和かつ色っぽく微笑みながら、小首を傾げる熟女。

 俺も微笑みを浮かべながら、無言で〈霊引ルゥ・ラトア〉を一瞬だけ行使した。


「――っ!?」


 ツィーリエはバランスを崩して前屈みによろめき、足を一歩前に出して体勢を持ち直す。

 そして不可解そうに眉根を寄せた顔で、俺に驚愕と困惑の眼差しを向けてくる。


 今度は〈霊斥ルゥ・ルペリ〉を一瞬だけ行使し、その直後に再び〈霊引ルゥ・ラトア〉を掛けた。ツィーリエは肩を揺さぶられたようにその場で身体を前後に揺らした。


「ね? ちゃんと、分かっています」

「――――」


 絶句したまま俺を見下ろしてくる美熟女に一歩近づき、俺は微笑んだまま告げた。


「この賭場の代表者の方はいらっしゃいますか? 是非とも一度、ツィーリエさんも交えて、主に丁半賭博のことについて語り合いたいのですが」


 ツィーリエは相変わらず言葉が出てこないのか、口を半開にして双眸を見開き、棒立ちになって見つめてくる。

 しかし、俺が笑みを絶やさずに瞳を覗き込み続けていると、間もなく回復した。


「そ、そうね、私も是非一度、君と話がしてみたいわ」


 硬い表情と乾いた声で、俺の問いに答えてくれた後、今度はテーブルのオッサン共に向き直った。


「……皆様、申し訳ありませんが、本日は別の者が担当いたしますので、少々そのままでお待ちください」

「え、おいおいどういうったよツィーリエちゃん!?」

「まさかそんなガキの誘いに乗るってのかツィーリエ!?」 

「どういうこった、あのガキ、ツィーリエを落としたってのか!?」

「おれはツィーリエが壺振るから来てんのによぉ!」


 野郎共は一様に悲鳴めいた声を上げている。

 だがツィーリエはそいつらに頭を下げただけで、近寄ってきた黒服獣人に何事かを耳打ちする。すると黒服は懐からタバコめいた木の棒を取り出すと、そいつを口に咥えた。

 テーブルに着いている客の中年獣人が「なんだ、この音?」と呟いているが、俺には音など聞こえない。たぶん獣人共にしか聞こえない周波数の笛なのだろう。

 いわゆる犬笛って奴か。


「こちらへ」


 俺とユーハとベルは、どこからともなく駆けつけてきた四人の黒服獣人に囲まれる。そしてツィーリエに先導されて、カジノの奥へと足を進めて行った……。



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