第八十九話 『賭博激闘録ローズ 一』
「〈風血爪〉」
林の中、俺は馬上から特級風魔法をぶちかます。
幾本かの幹の向こうで巨大な蛇型の魔物が見えたので、先制して狩っておいた。
「あの魔物、もしかしてホワイトヴァイパーですか?」
「そうよ、よく知ってるわね。牙の毒を抽出すればそこそこ良い値で売れるわ」
ベルは俺が乗る馬の手綱を引きながら、真っ白い大蛇の元へと近づいていく。
ユーハもベル同様に馬から下りて自前の足で歩いており、木々に囲まれた周辺を常に警戒してくれている。
この三人編成の基本的な戦法は魔法で先制攻撃をかますことなので、俺は視点を高くして見晴らしを良くしておく必要がある。
だから俺だけお姫様待遇で、馬上から楽々狩りに勤しめる。最近は船上生活で少し運動不足だから、本当は俺だって歩きたいんだが……致し方ない。
「相変わらず凄まじい威力である。実に見事な輪切りとなっておるな」
「でも、ユーハさんだってこれくらい余裕でできますよね」
全長十五リーギスはある巨大な白蛇は五つに分断されていた。
俺たちが側に近づくまで頭部はまだ生きていたようだが、ややもしないうちに沈黙して今はもう完全に死に絶えている。
「毒の抽出って、どうやるんですか?」
「教えてあげるわ、一緒にやりましょう」
すぐ近くの木に手綱を括り付け、俺たちは素材の剥ぎ取り作業に移った。
ベルの指示に従い、魔剣でドデカイ頭部をサクサク解体していく。かなりグロテスクだが、猟兵たる者そんな甘っちょろいことは言っていられない。
「本当は毒だけじゃなくて、皮も良い素材になるのよね。巨人を雇えれば、丸ごと持って帰っても良かったのだけれど……」
「あまり目立ちたくはないので、仕方ないです」
巨人は荷物持ちとして比類なき働きをしてくれるので、巨人の猟兵はどこの町でもかなり重宝されている。が、大抵は荷物持ち猟兵の仕事だけでは食べていけないらしく、港での積荷運びの仕事もしているようだ。
なにせ巨人の食べる量は半端ないからね、食費が滅茶苦茶掛かるらしい。
だから魔大陸以外の地では、巨人は港町に多く住まい、日々たくさん働いてたくさん食べている。
現在俺たちがいるのはチュアリーの南東部に広がる雑木林の中だ。
今日は魔物狩り三日目で、昨日もこの森には訪れている。馬の足で町から片道三時間ほど掛かる場所にあり、この辺りではそこそこ危険度の高いエリアだ。
本当は巨人を雇って同行させ、魔物を狩りまくって素材を売りまくりたかったが、安全を考慮して自重した。
港町チュアリーは北ポンデーロ大陸の影響が強い。
つまり北ポ大陸の国々の政府関係者も多く、俺の年頃で特級魔法をバンバン使うガキがいることを知られると、魔女でなくとも面倒事になりかねない。
巨人はあまり頭が良くないので、俺を男の魔法士として認識してくれるかもしれないが……どうやら俺の男装はあまり効果的ではないようだし、仮に守秘を約束させても情報が漏れる可能性はある。
もう余計な事態には巻き込まれたくないので、俺たち三人だけでの魔物狩りとなった。
「軽くてかさばらない素材で、高く売れるものってあまりないですよね」
「魔物の大半から採れる素材は質より量って感じのものばかりだからね。でも、この毒液みたいに割の良い素材もあるにはあるわ」
ベルと一緒に抽出した緑色の毒液を革袋に詰めた。
毒液はだいたい一リットル――もとい一ラッテンくらい採れ、これで1万ジェラくらいにはなるらしい。
なかなかの高値だ。
まあ、それもそのはずで、ホワイトヴァイパーは三級の魔物だ。
強固な鱗と巨大な体躯、力強い全身運動に鋭牙と毒液の組み合わせは危険極まり、かなりの強敵とされている。
しかし白竜島での日々を経験した今となっては雑魚も同然の相手だし、特級魔法ならたとえ特三級や特二級の魔物だろうと一撃死だ(たぶん)。
なにせ俺の魔法は竜鱗の防御力すら上回る攻撃力を誇るからね。
やはりこの世界において、魔法の力は偉大だ。
「次は鱗も少し採っていきましょうか」
「はい」
「二人とも、魔物だ。ステルソンである」
俺がベルに頷いた直後、周囲の警戒を続けていたユーハが静かに声を上げた。
すぐにユーハが目を向けている方を見てみるが……何もない。
「どこですか?」
「上手く擬態しておる……あそこだ」
ユーハが指差す先に目を凝らしてみる。
ここは森というより林なので、木々はそこまで多くなく、十リーギス間隔ごとに生えている程度の疎林だ。代わりに一本一本の背丈は高く幹も太めだが、大樹ピュアラと比べれば、その五分の一もない。
そんな木の幹の根元がなにやら微妙に不自然な色合いと形をしていた。
先ほどユーハが口にしたとおり、ステルソンという魔物の影響だ。カーム大森林でも遭遇した五級の魔物で、奴はカメレオンの如く周囲の景色に同化する。
その擬態はなかなかのものだし、ユーハ曰く他の魔物より気配も薄めらしい。
攻撃方法は舌をゴムのように伸ばして標的を捕縛し、丸呑みにするという単純極まる方法だが、これを不意打ちでされると厄介だろう。
「たしかあいつの舌ってそこそこ良い素材でしたよね」
「そうね。天然ゴムより伸縮性があって丈夫だし、加工して色々なところで使われるわ。でも擬態しているし、獲物が油断するまで攻撃してこない魔物だから、探してもあまり見つかるような魔物じゃないって話ね」
ならば狩る以外にあるまい。
と暢気に話していると、三十リーギスほど先にいたステルソンが動き出した。
全身を木の茶色に擬態したまま、六本足による高速匍匐前進で地を駆り迫ってくる。たぶん俺たちに注目されたことで、奇襲を諦めて吶喊してきたのだろう。油断するまで攻撃してこないらしいが、それは相手に感付かれていなければの話だ。
「〈水縛壊〉」
ゴム舌が損傷しないように倒す必要があったので、水魔法をセレクトする。
二本の流水の腕で接近するカメレオン野郎を捕まえようとするが、奴は機敏に躱しやがった。ならばと無属性初級魔法〈魔弾〉を牽制として連発し、それを回避したところを上手く捕まえた。
水牢に閉じ込めたところで、魔力を込めて程良い具合に圧壊させる。
手加減もしたし、肝心の素材はゴムだから潰れていないだろう。
「本当に、魔法があると魔物狩りも楽々ね。特級魔法の使える猟兵なんてそうそういないから、未だに少し新鮮だわ」
「私はその逆で、接敵して戦う人の方が新鮮に映りますね。ユーハさんもベルさんも凄いです」
なにせ俺はまだ近接戦闘の経験が少ないからね。
昨日、ハンマートレントが現れた際に、初めて魔剣を使った近接戦闘を経験してみたが、かなり怖くてチビリそうだった。得物が魔剣だったから、刃筋とか構えとか気にする余裕がなくても豆腐のように斬れたので、さっくりと倒せはした。
しかし、やはり接近戦は怖い。
もう二度と魔剣戦闘はしたくないけど、せっかくユーハに師事してるんだから、これからも経験を積んでいった方が良いだろう。
まあ、その場合しばらくは十級か九級の魔物しか相手にしないけどね。
「まずはホワイトヴァイパーの方から片付けてしまいましょう。ステルソンはその後でゆっくりとね」
「はい」
とりあえず順番に剥ぎ取っていくことにした。
ユーハに任せてもいいが、周囲を木々に囲まれた場所では何が起こるか分からないので、警戒し続けてもらう。
やはりユーハがいると安心感が違うな。
「そういえば、ローズは先ほど魔法を同時に使っておったな。もう特級の魔法だろうと、同時に使えるようになるとは、さすがである」
「いえ、特級魔法の場合、同時に使えるのはまだ中級までですから」
「ふむ……しかし、それでも十二分に凄いことなのだろう。魔法に詳しくない某にも分かるほどのことである」
ユーハは感心したように頷いている。
まだ特級魔法の同時行使は完全ではないが、賞賛は素直に嬉しい。
俺はクレドからチュアリーまでの航海中、中級風魔法〈颶風流〉を常時行使してきた。その際、ネイテ語講座や読書の合間合間に気分転換も兼ねて、同時行使の練習も密かに進めていたのだ。
目には見えない風魔法でなければいけなかったので、練習用に連発していた特級魔法は〈風血爪〉ばかりだったが。
それでも練習のおかげで、集中すれば他属性の特級魔法でも、中級までならなんとか同時行使できるようになった。ついでに〈風血爪〉にもかなり熟達したし、味気ない船旅の日々も無駄にはならなかった。
そんなこんなで、俺の一番得意な魔法は〈風血爪〉となった。
俺は無属性適性者なので苦手な属性がなく、どの魔法も巧く扱えるが、好みの魔法となると風魔法になる。白竜島における日々でも、俺は風魔法を比較的多く使っていた。
風魔法は目には見えないから奇襲性が高いし、特に〈風血爪〉の使い勝手は他属性の特級魔法の中でも抜群に良好だ。黒竜戦でも決め手となったし、先ほどのホワイトヴァイパーのときも然り、〈風血爪〉――引いては風魔法は俺の性にも合っている。
「さて、剥ぎ取りも終わったし、今日はこのくらいで戻りましょうか」
「そうですね。今から帰路に就けば、ちょうど日暮れ頃に町に着きそうです」
本当は野営しても良いのだが、町の外は何かと危険だし、もうリュックは戦利品で一杯だ。
魔物のいるこの世界では、死は身近に存在するものだ。
あまり焦ったり欲張ったりすると、つまらないことで足をすくわれかねない。
安全第一だ。
「では、帰りも気を抜かずに参るとしよう」
この日の魔物狩りを終え、俺たちは町へと戻っていった。
♀ ♀ ♀
実力がどうあれ、俺たちは全員が十級の猟兵だ。
だから十級以上の依頼を受けることはできない。
しかし、素材の買取だけならランクに関係なくできる。
仮に、そこらの適当な高ランク猟兵を捕まえて、代理で討伐以来を処理してもらえば、そちらの報酬も貰える。協力者の高ランク猟兵は昇級に必要な点数が溜まるので、場合によってはウィンウィンな協力関係が築けるが……。
それは協会の規約違反とされるので、発覚した場合は罰金が科されることになる。更に規約違反を三回すると猟兵証を没収されて強制退会させられるらしいので、ずるはできない。
というわけで、リスクは犯さず普通に素材だけ買い取ってもらった。
「今日の成果は26300ジェラね、凄いわ」
「馬二頭の貸出料が3000ジェラだったので、実際は23300ジェラですね」
酒場で夕食を摂りながら成果を改めて確認し、俺たちは笑顔で頷き合った。
一日で2万ジェラ以上となると、非常に良い稼ぎといえる。
「でも、昨日は5000ジェラもいきませんでしたからね……馬代を差し引けば、2000ジェラにも届きませんでした」
「猟兵稼業は運次第なところもある故、安定せぬのは致し方あるまい。今日は相当に運が良かった」
ユーハの言うとおり、魔物狩りは魔物が現れてくれないと始まらないので、運も絡んでくる。
討伐依頼だったら、大抵はどの辺りにどんな魔物が出没するから狩ってくれ、と書かれるので分かる。
だが、チュアリーは少々特殊な位置にある港町だ。内陸方面には獣人部族の村々しかないので、チュアリーからは町と町を繋ぐ街道というものが存在しない。
なので討伐依頼の多くは近海の水棲魔物ばかりで、陸地に生息する魔物の討伐依頼は少なく、今回はその情報をあてにもできなかった。討伐依頼が出される魔物の素材はだいたいが高値になるので、参考にしたかったんだよね……。
「これで合計26740ジェラね。今日の分が大きいとはいえ、三日でこの額はかなりいい方ね」
「およそ27000ジェラですか……あの、ユーハさんもベルさんも、本当にいいんですか? 三人で狩ったんですから、三等分するのが筋だと思いますけど」
「いいのよ、魔物はほとんど全部レオンちゃんが倒したんだし」
「うむ、某もろくに刀を振るっておらぬ」
ベルもユーハも、なんだかんだで俺に甘い。
いま食べている夕食代も宿代も、全てベルの金で賄われているものだ。
といっても、元は黒竜の素材から生まれた金だし、ベルは白竜島で帰路は不自由しないようにするとオルガと約束していた。
なのでそちらは未だしも、猟兵活動の成果を俺一人が享受するのはフェアではないだろう。たしかに俺の魔法で魔物はほぼ全て狩っていたが、ユーハがいなければ奇襲されていただろうし、ベルがいなければ素材の剥ぎ取りもろくにできなかった。三人で動いていたのだから、きちんと山分けはすべきだろう。
だが、オッサン二人がいらないと言うのであれば、今回は遠慮せずもらっておいた方がいい。元手が多いに越したことはないし、一応イヴの運命も懸かっているのだ。
「どうする? 明日も魔物狩りに行く?」
「いえ、元手はこれくらいでいいでしょう。これを食べ終えたら賭場に行ってみましょう」
今日の夕食は炊き込みご飯めいた米料理と焼き魚、野菜たっぷりのスープだ。
港町だから魚は新鮮だし、香辛料がたっぷりと効いていて美味しい。
「うーん、今日はもう止めておいた方がいいんじゃないかしら?」
上品に食事を進めるベルが思案げにそう提言してきた。
俺は咀嚼している最中だったので、首を傾げることで説明を求める。
「疲れていると判断力が鈍っちゃうから、負けやすくなってしまうわ。それに夜より昼の方が、賭場の雰囲気も幾らかマシだと思うし」
「なるほど……そうですね。では明日にしましょう」
ここはベルの助言に従っておこう。
夜の町ってのは酒の入った野郎共が数多く闊歩していて、幼女には危険だ。
なにより疲労した状態でのギャンブルは大損の元だろう。
焦ることなく、冷静かつ慎重な心構えで臨まないと、せっかくの稼ぎも一瞬で蒸発する。
「賭け事、か……ローズにはあまりそういうことはして欲しくないものだが……」
ユーハは杯を傾けつつ、何やら悩ましげに呟いている。
ギャンブルで一攫千金を狙うと決めた一昨日も、ユーハは反対こそしなかったが、ベルのように消極的な賛成すらもしなかった。
このオッサンは真面目だし、賭け事とか嫌ってそうだ。
「ところで、ユーハさんって賭場に行ったことありますか?」
「否、一度も無い。某、運任せというものはあまり好かん故。金銭は労働の対価として手に入れるものだと思っておる」
「……そうですか」
どことなくユーハからは頑固親父のオーラを感じた。
しかし、ユーハの言葉もまた真理だ。
苦労して技を修め、己が腕前だけを頼りに剣を振るう者からすれば、運という不確かなものにはあまり頼りたくないのだろう。
正直、俺は未だに迷っている。
せっかく稼いだお金で、このままギャンブルしても良いのだろうか?
大切なお金を運任せにして、本当に良いのだろうか?
そう思う一方で、そんな迷いはくだらないと一蹴する自分もいる。
"親の金"ならいざ知らず、自分で稼いだ金なのだから、その使い道は自由であり全ては自己責任だ。俺もユーハと同じく賭け事は好きではなく、むしろ嫌っているが、今回は事情が事情だ。
べつに悪事でもないのだし、運だろうと何だろうと俺自身の力で金を稼ぐことが重要なので、その手段としてギャンブルは有用といえる。
だが、今回の一件が原因でギャンブルに嵌まってしまったら目も当てられないので、念のため自戒はしておこう。
「ユーハさん、ベルさん、今回は賭場を利用しますけど、今回だけです。私も賭け事は好きじゃないですし、その中毒性も理解しているつもりです。なので勝とうが負けようが、賭場に行くは今回限りです。そう宣言しておきます」
「うむ、ローズのその言葉、しかと記憶した。もし今後、賭場へ足を運ぶようならば、そのときは某が全力で止めよう」
よし、これで何があっても俺は今後、賭場を利用できなくなった。
ユーハが全力を出せば、俺なんてあっさりと無力化されるだろうしな。
にしてもユーハ、お前そんなに張り切って言わなくてもいいのよ?
「うーん、そんなに身構える必要もないと思うのだけれど……。問題なのは、お金を稼ぐために賭場を利用するっていう発想の方よ。お友達とお遊びが目的で賭場へ行くくらいなら、べつにいいと思うわ」
「……あ、なるほど、それもそうですね」
「ローズよ、一度宣言した以上、たとえ目的が遊戯であっても某は止めるぞ」
ユーハは少しベルの柔軟な思考を見習った方がいい。
だがまあ、ユーハの考えも分からないでもないし、ともかく今はこれでいいか。
もし今後付き合いか何かでギャンブルすることになったら、そのときは頑固親父に注意して行動しよう。
というわけで、一応心構えもできたし、賭け金も工面できた。
明日、俺は猟兵から賭博師にジョブチェンジして、美女のために一攫千金を狙う。
……まあ、賭爆死する可能性大だけどね。
♀ ♀ ♀
翌日は少し遅い時間に起床した。
のんびりと朝食を摂り、その後は宿の部屋でゴロゴロする。ここ三日は色々動きっぱなしで疲れていたので、賭場の開店時間まで英気を養っておく。
基本的に、賭場は町に一つしかない。
その理由は単純であり、賭場の胴元が町の有力者だからだ。
猟兵協会へ繰り出した際に収集した情報によると、ここチュアリーの賭場は町の元締め的存在である獣人部族ムンベール族が経営しているそうな。前世だろうと異世界だろうと、その土地の有力者とギャンブルは密接な関係にあるようだ。
この町の賭場は正午から翌日の明け方までが営業時間となっている。
俺たちは昼前まで適当に時間を潰して、安閑と過した。
尚、本屋に行って港町クレドで購入した本は売っておいた。売価はベルの交渉もあって15万ジェラとなったが、この金はベルの懐へ仕舞われた。
「やっぱり大きいですね……見た目も立派ですし」
露店で買ったもので昼食を済ませ、ついに俺たちは賭博場へとやってきた。
町中でもかなりの大型建築に分類され、煉瓦造りの綺麗な外観を有している。傾斜の低い三角屋根と横に大きな造りはどことなく倉庫を連想させるが、倉庫にあるまじき華美な装飾が施され、周囲の建物の中でも異彩を放ち目立っている。
「まだ営業を開始して間もない時間のはずであるが、客入りは上々な様だ」
ユーハは入口から中へ入っていく者たちを眺め見て、眉根を寄せた。
「この町は猟兵が多いし、彼らの大半は魔大陸へ渡るために滞在している人たちだからね。船を待つ間の暇潰しとして、昼だろうと多く遊びに来るはずよ」
「その暇潰しで魔大陸への船賃まで使い潰しそうな人とかいそうですね……」
「そういえば、昨日協会で賭場の話を聞いた猟兵がまさにそういう事情の人だったわ。渡航費まですっちゃったから、この町でまた稼ぐって言っていたわね。あまり反省はしていないようだったけれど……」
つまりこの町の賭場は一種のトラップと化しているのだろう。
渡航費を携えてやってきた猟兵たちに狙いを定め、そいつらを食い物にする。中には船賃にまで手を付けて大敗し、この町で猟兵として金稼ぎの日々を送る。
チュアリーが魔大陸東部に最も近い港町という理由だけでなく、そうした足止めをくらう馬鹿共もいるからこそ、この町には猟兵連中が多いのだろう。
「では、行きましょう」
何はともあれ、俺は改めて気を引き締め、カジノ入口へと向かった。
入口は両開きの大きな扉で、その脇には左右それぞれに武装した強面の獣人と翼人が立っている。更に入口前には駅の改札めいたゲートがあり、そこにもオッサンが数人立っている。
「入場料は一人500ジェラだ」
改札口では金を求められた。
入場料――もとい寺銭や所場代ってやつだな。
「ガキ連れか、中では静かにさせろよ。妙な真似したり騒ぎを起こせば叩き出すからな」
「分かったわ」
オッサンの注意にベルはそう返事をして、自分とユーハの分の金を払った。
俺も自分の財布から金を出し、所場代を納めて入場する。
「広いですね……それに賑やかです」
「なかなか繁盛しているようね。大都市の賭場なんかだと、もっと大きくて賑やかよ」
俺たちは入ってすぐのところで、まず内部を見回した。
一見するとゲーセンのように猥雑としていて、あちこちから様々な声が上がっている。広々としたフロアは各ゲームごとにエリア分けされているようで、多くの人が蠢いていた。
フロアは半地下になっているため、正面入口のエントランスエリアから賭場の様子を一望できるのだ。そのせいでやけに天井が高く感じ、解放感がある。更に天井はガラス張りなので陽光が差し込んで明るく、なんだか否応なくテンションが上がってくる。
「あ、そういえば武器とかって身に着けたままでも入れるんですね」
他の客たちの姿を見て今更ながらに気が付いた。
視界に映る野郎共の半数ほどが腰元に剣を帯びていて、しかし槍や弓などは見当たらない。
「ここは魔大陸に近い猟兵の多い町だからでしょうね。都会の方だと武具どころか防具の類いを装備していても入ることなんてできないわ」
「まあ、普通そうですよね。集団強盗とか起こりそうですし」
「この賭場も、見たところ剣以外の武具は禁止しているようね。腰に帯びていない人も、きっと短剣なんかは懐に隠し持っているはずよ」
「限定的とはいえ、武装が許可されておるのは助かる。某、どうにも刀を帯びておらぬと落ち着かぬのでな……」
ユーハが腰元の柄をさすりながらしみじみと呟いている。
剣士の性だろうか。
「さて、どんな博戯で勝負する? それともまずは一通り見学してみましょうか?」
「そうですね、まずは色々と見て回りましょう」
俺たちは頷き合い、階段を下りて半地下フロアに降り立った。
事前の情報収集により、この賭場ではどんなゲームが行われているのかは既に把握済みだ。
しかし、まずは場の空気に慣れるためにも見物から始めてみる。
さて、この賭博場では全部で六種類のギャンブルが繰り広げられている。
サイコロ賭博として丁半、大小、チンチロリン、クラップスの四種があり、あとはルーレットと賭試合だ。この世界にもトランプめいたカードゲームはあるようだが、そちらは主に貴族の賭け事として普及しているらしい。
大都市の賭場でもない限り普通はないようで、いま俺たちがいる賭場にもない。
半地下フロアはエリアが六分割されている。賭試合以外の五種類のゲームが各エリアで行われ、残り一つのエリアは休憩スペースのようだ。そこかしこにゲームテーブルとディーラーが置かれ、盛んに賭け事が為されている。
フロア中央には両替所があり、ゲームに使用した専用チップはここで換金する。闘技場に関してはこの半地下フロアの更に下に広がっているという地下空間で行われているらしい。
とりあえず俺たちは全てのエリアをさらりと見学していく。
色々な服装の者たちが賭博に興じ、その様を観覧したりしている中、黒服の獣人野郎共も見られる。連中は揃って同じ服装をしており、全員が部族こそ違えど獣人で、フロアを歩き回っている者やテーブル近くに控えている者など、割かし多く見掛ける。カジノに警備員やイカサマ防止の監視員は必須なので、何も不思議なことはない。
「――ん?」
丁半賭博を行っているエリアで、そのゲームの様子を見物しているとき、不意に後方から魔力波動を感じた。
思わず振り返ってみるも、かなり微弱で一瞬しか反応しなかったし、人も多いから行使者が誰かは検討もつかない。
「どうかしたか、レオン」
「いえ、何でもないです」
ユーハには適当に首を振っておいた。
だが、常日頃から感じる魔力波動とは些か異なるものだったので、気にならないといえば嘘になる。
俺は町中を普通に歩いているときでも、しばしば魔力波動を感じる。
日常生活で火や水は度々必要になるのだから、それは別段おかしなことでも何でもない。この世界には魔法が存在し、そのくせ魔法士はそういないものとされているが、初級魔法を現象させるだけなら庶民の中にもできる奴がチラホラいる。
魔法の難しいところは実戦的に扱うための制御であり、初級魔法を現象させる程度ならば、そこまで難しいものではないのだ。
俺が初めて魔法を使おうとしたときが良い例だろう。
あのとき俺は〈火矢〉を詠唱し、火そのものを現象させることはできたが、魔法としての形を成さずに間もなく消えてしまった。
〈水弾〉のときも同様に、水を生み出せはしたが、弾に形成することも射出することもできず、地面に落ちた。
つまり、日常生活に必要な火や水をただ生み出すだけの似非魔法なら、誰かに師事せずとも習得できないことはない。詠唱だってクラード語の発音を覚え、その意味を教えてもらえば何とかなるので、よほど才能に恵まれていない限り、たぶん時間さえ掛ければどうにかなる。
だからディーカだろうとこの町チュアリーだろうと、普段から俺の魔動感はたまに反応している。
事前に受講したベルさんのカジノ講座では、カジノ内で魔法を使えば黒服連中に拘束されるらしい。黒服共は全員が獣人だから耳はいいだろうし、クラード語を話しただけでロックオンされるという。
だが、そこらにいる客たちは手に杯やつまみを持っている奴もいて、先ほど休憩エリアにバーカウンターも見掛けた。飲食物の用意に水魔法や火魔法は使うだろうから、カジノ内で魔力波動を感じても不自然ではない。
不自然ではないのだが、ここに入ってからさっきまでは一度も魔力波動は感じなかったし、今し方のは…………いや、まあいいか。
そこまで気にするようなことでもあるまい。
今は見学に集中しよう。
「丁半の最低賭金は500ジェラのようですね。余所より高いです」
「丁半は単純な博戯だからでしょうね。賭ける対象が丁か半か、二つに一つしかないから」
ゲームテーブル付近には立て札が見られ、そこに最低賭金と最高賭金が記されている。ルーレットやクラップスは最低100ジェラから賭けられたので、その五倍が最低賭金は高い方だろう。
「闘技場へ行ってみましょう」
地上階は一通りの見学が済んだので、次は階段を下りて地下へと向かった。
一段下りるごとに野郎共の野太い歓声がより鮮明に聞こえてきて、得も言われぬ熱気が感じられるようになる。
階段を下りきって地下空間に顔を出すと、そこはすり鉢状の闘技場となっていた。観客席は半分ほどが埋まり、客たちが拳闘士に声援を送っている。
二人のむさい拳闘士は直径五十リーギスほどの円形エリアで今まさに拳を交えており、なんだか見るからに痛ましい。
「あの闘ってる人たちも、勝てば賞金が出るんですよね?」
「そうね、出ないと本人たちも真剣にならないから、盛り上がらないし。あの子たちは……身体付きからして本職の拳闘士さんみたいだけれど、奴隷同士を闘わせたりもするわね」
「勝った方は奴隷から解放ってことですか」
「ええ。でも場合によっては一度だけでなく、何度も勝つ必要があるみたいね。それに過激なところでは剣奴隷を使った殺し合いをさせているところもあるわ。ここはやっていないみたいだけれど、大都市の賭場なら大抵はやっているわね」
「…………」
なんというか、奴隷制度のある世界特有の文化だな。
観客たちはさぞ盛り上がるのだろうが、闘う本人たちは真剣そのものだろう。
それで賭けをするのだと思うと、あまり気分の良いものではない。
賭場を訪れる者の多くは男で、上階で見掛けた女性客は二割以下だったが、この闘技場の観客席に女はほぼいない。拳闘は前世のプロレスみたいなものなので、女性客にはあまり人気がないのかもしれない。
「もしかしなくても、結界魔法が張られてますよね?」
「そうね、魔法で妨害とかするお客さんも中にはいるから」
ここから見える円形エリアは硝子越しのように、微妙に透明度が下がっているのが分かる。どうにも半球状に結界が張られているらしく、この規模の結界なら維持に結構な魔力が必要になるだろう。
俺たちは早々に地上階に戻った。
闘技場の賭けは丁半と同じくルールは単純だし勝率は二分の一なので、なかなか好条件なゲームといえるが、如何せん一回の試合に時間が掛かりそうだ。
それに何より、人が必死に闘う姿を高みの見物と洒落込み、その勝敗に一喜一憂などしたくない。人として何か大切なものを失ってしまいそうな気がするので、闘技場はスルーだ。
「さて、一通り見てみたけれど……どうするローズちゃん? どれをやってみるか決まったかしら?」
とりあえずフロアの片隅で軽く休憩した後、ベルが訊ねてきた。
「はい、やっぱり丁半が良さそうですね。二択の単純な賭けですし、最低賭金も多いのでお金も増やしやすいです」
事前の情報収集段階で、丁半には既に目を付けていた。
丁半賭博は二つのサイコロの出目の合計が偶数か奇数かを当てるだけという、至極単純なゲームだ。それに当たれば賭金が確実に二倍になるという点も、シンプルだし旨味がある。
本当はルーレットの上下限ベット最高額テーブルの方が効率は良いが……如何せん、現在の手持ち金と勝率、最低賭金のバランスを考慮すれば、まずは丁半が最良だ。ある程度稼げたら、よりハイリスクハイリターンのルーレットに移って効率アップを図ろう。
「それじゃあ行きましょうか。一応、アタシも参加してみるつもりよ。ユーハちゃんはどうする?」
「某は遠慮しておこう」
ユーハは頑なな面持ちでベルの問いに即答した。
やはりこのオッサンは真面目だな。
「……俺は勝てる、俺は勝つ、俺は勝って美女を救う」
密かに自己暗示をして不安を取り除きつつ、俺は丁半賭博の場へと向かっていった。
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