間話 『続・卵を巡る問題 前』
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目覚めたとき、ローズもリゼットも隣にいない。
メレディスは久々に一人きりのベッドに横たわり、ぼんやりと天井を見上げる。
「……私、鈍いのかな」
起き抜けの呟きは誰にも聞き届けられることはなく、夜明けの静けさに溶けていく。窓から差し込む朝日が少し眩しくて、再び目を閉じた。
現状に対する自責と後悔がメレディスの身体を気怠く縛り、起き上がる気にさせてくれなかった。
ローズが、そしてリゼットが出て行ったとき、全く気付かなかった。
そんな自分が情けなくて、彼女は自身に疑念を抱いてしまう。
「ちゃんと、向き合えてないのかな……?」
かつて、メレディスは家族から逃げ出した。
父も姉も愛情を見せてくれず、むしろ嫌悪感を覗かせていた。それが免罪符になっているとはいえ、メレディスは未だに少し心苦しく思っている。
彼女が家を出たことで国からの援助金は打ち切られ、父と姉は困窮しただろう。
あれから二人がどうしているのか、今のメレディスには知る由もない。
当時はきちんと家族と向き合わず、故郷を捨てた。
そして今は、血の繋がらない家族の一員として、みんなと生活している。
今度は恐れずきちんと向き合って、話し合っていこうと、強く思っている。
だが今回、ローズとリゼットの考えや思いに、気付けなかった。
リゼットの件は未だしも、ローズの件はクレアとセイディとマリリンは何か感付き、行動できていた。
自分はみんなのことを理解できていないのではないか、引いてはきちんと向き合えていないのではないか……と、メレディスは不安を覚えていた。
「ううん、今は自分のことより、ローズとリーゼのことだよね」
メレディスは留守番を言いつかった身だ。
できることといえば、聖神アーレに二人の無事を祈りながら、クレアたちが不在の館の家事をこなすことくらいだ。みんながいつ帰って来ても、すぐに先日までの日常を再開できるように、館の状態を維持する。
「よし、起きようっ」
メレディスは身体に力を入れて、ベッドから降り立った。先日まで三人一緒に起床していたせいか、静かな朝がやけに物寂しく感じてしまう。
もう二度とこんなことにはならないよう、ローズやリゼットたち全員のことをよく理解する必要がある。
みんなと生活し始めてもう一年半とはいえ、まだ一年半だ。
メレディスは一番の新入りで、みんなと過した時間が最も短い。
今まで以上にきちんと向き合って、クレア以上にみんなの気持ちを察してあげられるくらい、仲良くしたい。
ローズがカーウィ諸島へ向かい、リゼットがアシュリンと共に空を駆けていたとき、メレディスは一人そんなことを思っていた。
■ ■ ■
「いってきます」という簡素な書き置きを見た日から、十三日後。
リゼットが帰ってきた。
アシュリンはもちろん、クレアにサラ、セイディまで一緒だが、そこにローズの姿はない。
「おかえり、二人とも」
それでもメレディスはひとまず安堵して、リゼットとサラを抱きしめる。
サラは未だしも、リゼットの方は少し元気がなかった。
その後、クレアから事の顛末を聞いた。
どうやらリゼットは相当に急いで、かつ正確にクロクスを目指していたようだ。
クレアたちがクロクスに到着した頃には既に港にいて、一人で号泣していたというから驚きだった。加えて、八歳になったばかりの彼女は道中で遭遇した三級魔物セイバーホークと戦って勝利し、負傷しつつもアシュリンと共に先に進んだらしい。
その話を聞いたメレディスは、リゼットにとってローズの存在が如何に大きなものなのか、よく実感できた。
「リゼット、もう無茶はせぬと、皆に約束しておくれ」
「うん……ごめんなさい、おばあちゃん……」
「あとでアリアにも謝っておくのじゃぞ。あやつもとても心配しておったのでな」
リゼットはマリリンの言葉に悄然と頷いていた。
セイバーホークとの戦いで、リゼットは片耳が聞こえなくなっていたようだが、マリリンの治癒魔法で無事完治した。
これでローズがいない以外は元通りの日常となった。
そう思えてしまう程度には、アルセリアが寝たきりの状態であることに慣れつつある。だが元通りとはいっても、一期前と比べると館全体に活気はなく、それはローズが出て行ったことで一層顕著になってしまった。
「リーゼ、一緒に特級魔法の練習するわよ。ローズが帰ってくる頃には使いこなせるようになって、驚かせてやりましょ」
「わかったーっ、驚かせてやるー!」
それでも十日もすれば、サラもリゼットもある程度は元気を取り戻し、笑顔を見せるようになった。
ローズは無事に帰ってきて、更にアルセリアの治療法も分かって、きっと以前のような日々に戻れる。二人ともそう信じているようで、それほど不安の色は窺えない。それどころか、ローズがいるときよりも魔法の練習や勉強に励むようにすらなった。
それが寂しさの裏返しであることはメレディスにもよく分かっている。
「くそ、つまんねーな……」
その一方で、ウェインはあまり元気がなかった。
リゼットとサラに接しているときも、どこか物足りなさそうな様子を見せている。トレイシーも、鍛錬に身が入っていないと溢していた。
「ねえ、メル」
ローズ不在の生活も、そろそろ三節が経とうという頃。
読書をしていたメレディスは文字から意識を引き上げ、呼び声の主に顔を向けた。
サラはベッドに横たわって何をするでもなくゴロゴロしていたが、曇り気味な表情で視線を虚空に投げ出している。
「どうかした、サラ」
「メルはさ、ローズが泣いた日のこと、覚えてる?」
「それは……もちろん」
突然の話に疑問を抱きつつもメレディスは肯定する。
今から六節ほど前の話だし、ローズが涙を見せたことが意外で、よく記憶に残っていた。
「あのときのローズ、一人でここを出て行こうとしてたでしょ? レオナっていう友達を探しに行くって言って。でも最後にはわたしたちを頼ってくれて、みんなでどうにかするってことで、納得してくれたわよね」
「うん、そうだね」
「なのにどうして、カーウィ諸島には一人で行こうとしたんだろ?」
サラの口調はぼんやりとしていて、それはメレディスに話しかけているというより、独り言のようだった。
「大勢で行くと危ないからだとか、そういうことじゃないわよね。クレアたちが止めるから、こっそり行くしかなかったのかもしれないけど……わたしは翼人なんだし、行くことにも反対してなかったのに、どうしてわたしには何も言ってくれなかったんだろ?」
その疑問は、きっとここ三節の間、一人で抱えていたのだろう。
だがどうしても答えが分からなくて、今更になって打ち明けたのだ……とメレディスは察した。
「……手紙にも書いてあったけど、何か理由があったんだよ」
「わたしたちにも話せない理由って、なに? 本当はやっぱり、ローズはわたしたちのこと、頼りたくないのかな? わたしは頼りにならなくて、信じてくれてないのかな……?」
物憂げな面差しで、溜息を吐くようにサラは言った。
その表情はバルコニーでアシュリンと一緒に午睡に耽るリゼットとは対照的だ。
メレディスはどう言葉を掛けるのが最善か逡巡する。
サラがこうして弱気や不安を見せてくれることはあまりないので、力になってあげたいという思いは強い。
しかし最適な言葉が思い浮かばず、それでも何とか口を開いてみる。
「ローズは、なんていうか、誰かに頼るのが上手くないからね。私もそうだったから、なんとなく分かるっていうか……だから、サラが頼りないとか、そういうことは思ってないはずだよ」
「……メルが来る少し前にさ、ローズと屋根の上で話したことがあるの。何か隠し事してるようだったから、相談に乗ってあげようと思ったんだけど……結局なにも話してくれなくて、それから色々あって、有耶無耶になっちゃったこともあったのよね」
「…………」
何をどう言えばいいのか分からず、メレディスは沈黙してしまう。
サラもそれから口を噤んでしまって、どこか寂しげな静けさが漂い始める。
「ローズはさ、たぶん私たちが思ってるより、ずっと臆病なんだよ」
「臆病……?」
メレディスは椅子から立ち上がり、ベッドの縁に腰を下ろした。
上体を起こしたサラの癖のない金髪を手櫛で梳きながら、口下手を自覚するメレディスは言葉を繰っていく。
「私もそうだから、よく分かるんだけど、なんていうのかな……どうやって頼ったらいいのか分からなくて、なんだか怖くなっちゃうんだよね。だからほら、この前のときも、ローズはみんなの言葉に安心して、嬉しくて泣いちゃったんだと思うし」
「ちょっと分かるような、分からないような……」
「私が来る前、ローズがサラに相談しなかったのは、まだ臆病だったからだよ。でも、この前のことがあってからは、きっとみんなのことを頼りにしていたはずだよ」
「それでもローズ、勝手に行っちゃったわ」
どこか拗ねたように言って、力のない眼差しを膝の上に落とすサラ。
「何かどうしようもない理由があったんだよ。手紙にも、私たちのことは信頼してるって書いてあったしね。帰ってきたら、どうして黙って一人で行っちゃったのか、みんなで問い詰めよう?」
「それでも、話してくれなかったら……?」
「大丈夫だよ、きっと話してくれる。あんな手紙を残して行くくらいだから、罪悪感はあったはずだし」
なんとか安心させようと、メレディスは微笑みかけてみた。
しかしサラの様子はあまり変わらず、不安げに呟いた。
「ローズって、たまに絶対譲らないことあるから。問い詰めても、話してくれないかもしれないわ」
「んー、そうだね……それじゃあ、こうすればいいんじゃないかなっ」
メレディスはサラをベッドに押し倒して、身体をくすぐってやった。
抵抗するサラの力は年相応なので、単純な筋力ならメレディスの方が上だ。
「ちょ、きゃはっ、ちょっとメル……っ、いきなり何すの……あはははっ」
「こうしてくすぐってあげれば、ローズも降参して話してくれるよ」
そう言って、メレディスはしばらくくすぐり続けた。
一緒にベッドに横たわって、可愛らしく笑い声を上げて悶絶するサラとじゃれ合う。一段落する頃には、顔を赤くして息を乱したサラに憂いの色はなく、笑みの名残が見られるだけだ。
「もう……メルの馬鹿っ、くすぐったすぎて苦しかったわよ!」
「うん、ごめんね」
「まあ、でも……その、ありがと」
サラは紅潮した顔を隠すように、さっと身体を起こした。
一応元気になってくれたようで安心しながら、メレディスも起き上がろうとする。が、そこでサラが腰の上に跨がってきて、勝気な笑みを浮かべて見下ろしてきた。
「でも、わたしだけやられっぱなしのは嫌よ。今度はメルの番だから、大人しくしてなさいよね!」
「え、あの、サラぁぁはははっ、ひゃ、ちょっと……サラ、きゃははっ」
振り払おうにも、メレディスはくすぐったさに上手く力が出ず、声が漏れ出てしまう。だがなんとかサラの身体を隣に落とし、くすぐられながら反撃して、二人で笑い合った。
それがなんだか妙に楽しくて、言い難い幸福を感じて、でも少し物足りなさも覚えてしまう。
早く以前のような、アルセリアも元気でローズもいる日常に戻って欲しいと、メレディスは身を捩りながら思ったのだった。
■ ■ ■
それから数日後。
起床して、リゼットとサラとアシュリンと共にアルセリアの部屋に行くと、オルガがいた。彼女はベッド脇の椅子に座っていて、入室したメレディスたちに「よお」と手を上げて挨拶してくる。
「オルガさん、帰ってきたんですか!?」
「夜中にな」
黒みを帯びた赤い翼や中性的な顔立ちの凛々しさは三節前と何ら変わらず、オルガはメレディスの言葉に気安く頷いてみせる。
ベッドに横たわるアルセリアは深く眠っているようで、まだ目を覚ます気配はない。
「オルガッ、ローズはどこ!?」
「ロぉぉぉぉぉぉズぅぅぅぅぅぅ!」
サラは一も二もなく問い、リゼットは室内にローズの姿がないと見るや、叫びながら廊下に飛び出して行く。
オルガは気まずそうに後頭部を粗雑に掻き、らしくなく言葉を濁しながら答えた。
「あー、まあ……なんだ、色々あってローズとは別れてな。あいつが帰ってくるのには、まだ少し時間が掛かる」
「なんでっ、どういうこと!? ローズは無事なのっ!?」
「大丈夫だ、出発してから怪我一つ負わなかったしな。もうクレアたちには色々説明したが、お前等にも今から話す」
逸るサラと共に、メレディスはオルガの話に耳を傾けることにした。
まず最初に、なぜローズと別れることになったのか、そしてアルセリアが治ることを聞かされ、サラもメレディスも自然と笑みが浮かんだ。
「じゃあ、アリアはちゃんと治って、また前みたいに元気になるのね!」
「ま、そういうことだな」
「それは……とても良かったです。でも、まさか本当に治療法を見つけてくるなんて……」
「さすがローズね! それで、結局どんな病気だったの? どうやって治すの? ローズはちゃんと無事に帰って来られるの?」
矢継ぎ早に質問するサラに、オルガは一つ一つ順を追って詳細を説明していった。
抗魔病の原因や真竜との戦い、《虚空の銀閃》という聖天騎士の存在や転移盤のことなど、メレディスは予想の斜め上をいく話に理解が追いつかず、開いた口が塞がなかった。
「つまり、ローズは南ポンデーロ大陸から帰ってくるのね。まあ、ユーハがいるし、そのベルって人も一緒みたいだから、大丈夫だとは思うけど……それよりなんでその聖天騎士はオルガしか転移させないなんてケチ臭いこと言ったのよっ!」
「そういう奴だったんだよ。オレも色々交渉しようとしたが、結局はこうなっちまった。カーム大森林からの帰路は結構長いだろうが、カーウィ諸島に比べれば百倍安全だ。早ければ半年も掛からずに帰ってくるだろうから、あんま心配せず待っててくれ」
サラは未だ見ぬ聖天騎士への不満のせいか、憤懣やるかたない様子だったが、オルガの言葉に渋々ながら納得しているようだった。
メレディスとしても、状況的に白竜島で待っているよりは南ポンデーロ大陸からの帰路の方が遥かに安全だろうと思う。
「とりあえず、アルセリアさんは助かって、ローズも無事なら一安心ですね」
「そうね……ローズならちゃんと帰って来られるだろうし、結果は上々よね。ところで、さっき言ってたローズからのお土産って何なの? どこにあるの?」
二人でひとまず胸を撫で下ろしていると、不意にリゼットの声が遠く聞こえてきた。響きからして食堂か厨房の方からで、おそらくクレア辺りから今し方メレディスも聞いた話をされたのだろう。
それにしては声音が喜々としていて、とてつもない興奮が伝わってくる。
「土産はクレアに渡してある。やっぱリーゼは喜んでるみてえだな。お前等も行ってこい、オレはここでアリアを見てる」
メレディスとサラは顔を見合わせつつも、食堂の方へ行ってみた。
すると既に朝食の準備は粗方できていて、リゼットだけでなくクレアとセイディとマリリンの姿もあった。
「やったああああぁぁぁぁぁ竜だああぁぁぁぁ!」
「こらこらリーゼ、あんたちょっと落ち着きなさいっての……あぁ、二人ともおはよ」
「おはよ、セイディ。それで、なに? なんでリーゼ騒いでるのよ?」
リゼットは床に座り込んで背中を向けていて、何かを抱きかかえながら無茶苦茶に歓声を上げている。
ふさふさの尻尾が勢い良く左右に振られ、なぜかアシュリンが傍らから呆然とその様子を見つめていた。
「二人とも、オルガから話は聞いたかの?」
「あ、はい、先ほどだいたいの話は聞きましたけど……それで、何かあったんですか?」
「あれ、卵のことは聞いてないの?」
「卵?」
サラとメレディスはリゼットの正面に回り込んでみた。
リゼットは四、五十レンテほどの巨大な卵に四肢を絡めて抱きつき、興奮さめやらぬ笑みを浮かべて「竜だあああぁぁぁぁぁ!」と尚も叫んでいる。
「え、これって……?」
「ちょっとセイディ、まさかこれって竜の卵!?」
「みたいね、しかも真竜の卵って話よ。これ一個でいったい幾らの価値があるのか……」
自分で言いながら身震いし、セイディは一人勝手に戦慄している。
メレディスは突然のことに戸惑いつつも、卵の存在よりクレアの様子に意識を引かれた。リゼットとサラの二人が興味津々に卵を撫で回す様を見守る彼女の顔には憂慮が見え隠れしている。
「クレアさん、ローズのこと聞きました。きっとローズなら大丈夫ですよ」
「メル……そうね、大丈夫だとは思うけれど、やっぱり心配だわ」
三節ほど前にローズが出て行った頃に比べれば、大して不安の色は見せていない。だが、やはり元気な姿を確認し、抱きしめてやるまでは安心できないのだろう。
「ところで、あれ竜の卵だそうですけど……どうするつもりなんですか?」
「まだ判断しかねているわ。アルセリアさんの意見も聞いて、決めようと思っているのだけれど……」
「竜だっ、竜だぞアシュリン! ローズのお土産だっ! いつ生まれるのかな!? オスかなメスかな名前はどーしよーっ!?」
クレアは喜色満面のリゼットを見て、仕方なさげに苦笑している。
たしかにここまで喜ぶ姿を見せられれば、飼えないとは言い辛いだろう。
ローズの土産という由来も無視できない要素だ。
「とりあえず、全員揃ったことじゃし、朝食にしようかの」
「あの、オルガさんはいいんですか?」
「あやつはメレディスたちが起きる前に、一人で三人前ほど食べおった。今はアリアの側について、起き出すのを待つと言っておる」
そう答えるマリリンの表情は穏やかで、口調には喜色が滲み出ている。
抗魔病の治療法は真竜の肝を食べることらしいので、オルガは早く食べさせてやりたいだろう。
その気持ちはマリリンだけでなく、メレディスも他のみんなも同じだ。
「いただきまーすっ!」
リゼットの元気一杯な挨拶から始まった食事風景は久々にとても明るいものだった。なんとか無事、アルセリアに端を発する一連の騒動に決着が付きそうで、みんなひとまずは安堵している。
あとは実際にアルセリアが元気になって、ローズが五体満足で帰ってくれば、残りの不安も完全に晴れて元通りの日常に戻るだろう。
メレディスは美味しく朝食を頂きながら、微かな笑みを浮かべていた。
■ ■ ■
「これは……酷い味だな……」
横になったまま力なく咀嚼し、ゆっくりと嚥下して、アルセリアは静かにそう呻いた。体力が落ちているせいか、表情にこそあまり出てはいないが、相当に不味いだろうことは容易に察せられた。
「どんだけ不味くても全部食うまで寝かさねえぞ」
「分かっている……元より全て頂くつもりだ。オルガとローズが命懸けで獲ってきてくれたのだからな……」
「うむ、これを食べれば治るのじゃ。良薬は口に苦しというからの、我慢してくれアリア」
マリリンは言いながら、フォークに突き刺した真竜の肝をアルセリアの口に運ぶ。
オルガが持ち帰ってきた大きな肝は、解凍して薄く切り、生のまま食べさせている。良薬となるものは赤黒く、奇妙に弾力があり、見るからに生々しくて食欲は全く湧いてこない。
だがリゼットは興味津々なようで、物欲しそうな目で皿にのった肝を見つめている。
「うーん、不味いのかぁ……でも一回食べてみたいなぁ」
「あれはアルセリアの薬なんだぞ、分かってんのかリーゼ」
「そうよリーゼ、絶対食べちゃダメよ。いっぱいあるけど、もし足りなかったらまた獲りに行かなくちゃいけないんだから」
さすがに弁えているのか、小さな食いしん坊も今回ばかりはウェインとサラの言葉に素直に頷いている。
それを見て思わず微笑んでいたメレディスはオルガに視線を転じた。
「オルガさん、アルセリアさんはどれくらいで治るんですか?」
「割とすぐらしいな。二、三日で黒い斑点は消えて、十日も経たねえうちに竜戦の纏も解けるらしい。まあ、その間は毎日肝を食べさせなきゃならねえようだが」
その言葉に集まった全員が胸を撫で下ろす。
まだ安心するのは早いとはいえ、それでも確実に室内の雰囲気が幾分も和やかなものに変わった。
だからか、アルセリアの食事が終わると、リゼットが待っていたと言わんばかりに声を上げた。
「アリアアリアっ、ほらこれ見て! 竜の卵! ローズのお土産っ!」
「なに……?」
尚もベッドで仰向けになっているアルセリアの双眸が驚きに見開かれた。
リゼットは満面の笑みを浮かべたまま、床に置いた大きな卵を抱きしめている。
「これ飼っていいでしょ!? クレアがアリアの意見聞きなさいって言うの!」
アルセリアが視線でクレアたちに説明を求めると、マリリンがそれに応えた。
黒竜もとい真竜の卵だと聞いて、アルセリアは驚きを通り越して呆れた様子を覗かせる。
「よくもまあ、そんな希少なものを発見できたものだな……。しかし……なるほど、それで竜を飼うつもりだと」
「さすがにどうかと思うじゃろうが、ものがものじゃ。売り払おうにも変な足が着きそうじゃし、捨てるわけにもいかん。可能ならば飼っても良いとは思っておるが……アリアはどう思う?」
「……ふむ、飼うこと自体は可能だろう」
その言葉を聞いて、まず真っ先にリゼットが喜びに跳び上がる。
だが、アルセリアは少し眠たそうな疲れた声で続けた。
「とはいえ、騎士団にいた頃、ゾルターンから聞いたのだが……竜の調教はそこらの魔物より余程難しいようだ。元来、竜は精強で知能も高い生き物だ。人に服従するような気性ではないらしい」
「ちゃんと調教できるよっ、アシュリンだってちゃんとできたし!」
「まあ、アシュリンは臆病だからね」
当のアシュリンはリゼットの後ろでお座りし、サラに頭を撫でられながらも、どこか寂しげに「ピュェ……」と鳴いている。
「あの、ゾルターンって、聖天騎士の人ですよね?」
「そうだ、火竜飼ってるオッサンだな。あのオッサンの竜はかなり従順そうだった」
メレディスの問いにオルガが答えると、それを引き継ぐようにアルセリアが言った。
「……彼の使役する竜は成体から躾けたと聞く。だが、それは主が竜人だからという点が大きいだろう。赤子の頃から育てれば……あるいはそれほど苦労することも、ないかもしれないが……」
曰く、竜人は相識感という第六感を有しており、これは竜種も備えていると聞く。竜種はこの感覚により、周囲の敵味方の存在を関知できるようだが、竜人は敵だと認識されないという。
「でも、竜ですよ? アッシュグリフォンとは比べものにならないくらいヤバいですよね。これでもし魔法の使える真竜だったりして、上手く躾けられず育ったら……ねえ、お姉様?」
「そうね……アシュリンみたいに上手く躾けられるとは限らないし」
「やぁぁぁぁぁだぁぁぁぁぁ、竜飼うもん絶対飼うもん竜欲しいもんっ!」
「アリアが育てればいいんじゃねえか? もうアリアはどのみち転移盤使えねえんだから、町まで行くのに翼はいるだろ」
オルガの言葉を聞いて、メレディスは遅まきながらに気が付いた。
転移盤――引いては魔力が原因で抗魔病になったのだから、もう今後は転移盤を使用させるべきではない。そうなると町との行き来ができなくなる。
「今後、アリアはヘルミーネの家に住まうのが良いのかもしれぬな」
「でも仮にそうするとしても、転移盤以外でここと町を行き来できる手段は必要なんじゃねーの?」
「アシュリンはいるけど、竜の方が体力あるだろうし強いだろうし、相識感っていうのもあるんだから、竜の方が断然いいわ」
「ピュェェェ……」
アシュリンは鳴きながら床に伏せ、嘴でリゼットの肩を突いている。
だがリゼットは振り向きもせず煩わしそうに振り払い、卵を抱えたままサラの弁に便乗した。
「そうだっ、アリアのために竜はいるんだっ、だから飼うんだ!」
「ま、とりあえず飼ってみればいいじゃねえか。育てるのに苦労するようなら野に放ってやればいいし、刃向かってきてもバアさんなら余裕で倒せるだろ」
「ふむ……竜人のアリアがおれば、上手く育てられそうだしの。あたしは良いと思うが、クレアたちはどうじゃ?」
マリリンが賛成すると、早くもリゼットが歓声を上げ、サラも期待感に満ちた笑みを浮かべる。
その一方、セイディは快活な面差しに渋みを見せ、クレアも少し考え込んでいるようだった。
「アタシは……なんか不安ね。アッシュグリフォンなら未だしも、竜はアタシの手に負えないだろうし。でもせっかくの竜を売るっていうのも、それはそれでなんかもったないような気が……」
「竜の食事量はどれほどなのかしらね……? 大きくなったら、アシュリンの数倍は食べるでしょうし……」
「メルはどう思う!?」
二人の反応がよろしくないせいか、リゼットが懇願するような眼差しで見上げてくる。
「私は飼ってみてもいいと思うけど……でも、リーゼはアシュリンの親だよね? もし竜を飼うことにしたら、生まれてくる竜の親は誰になるのかな? もちろんみんなで世話しなきゃだけど、一応そういうのは予め決めておいた方がいいよね」
「あたしが親だーっ!」
「ちょっとなに言ってるのよリーゼッ、あんたにはアシュリンがいるでしょ! 竜の親にはあたしがなるんだからっ!」
「そんなの関係ないもんっ、あたしが親だもん! アシュリンだってちゃんと躾けられたし、あたしの方がいいんだ!」
親権を巡ってやにわに言い合いを始める二人。
サラが卵からリゼットを引き剥がそうとするも、リゼットは抵抗して無茶苦茶に両手を振り回す。それが金髪に直撃して鈍い音を立て、お返しとばかりにサラもリゼットの頭を叩く。
瞬く間に取っ組み合いに発展し、クレアとセイディが止めようとする。
「アシュリンっ、サラ姉から卵を守るんだ!」
「ピュェ!?」
アシュリンはリゼットに顔を寄せるも、暴れるリゼットの拳が頭に当たり、悲鳴めいた情けない鳴き声を上げた。
だがリゼットは気にする余裕もないのか、より激しくサラと戦っている。
「おいお前ら、なに喧嘩してんだよ。そんなに取り合うくらいなら、ここは間をとって、俺が竜の親として――」
「ウェインうるさい!」
「ウェインは黙ってなさい!」
二人の女の子からきつく睨まれ、どこか得意気だったウェインは怯んだように口を噤んだ。普段ならリゼットとサラから何を言われようと彼も対抗するはずだが、今の二人は真剣すぎて怖じ気づいたのだろう。
事実、メレディスも仲裁の口を挟めない。
「二人ともやめなさいっ」
「そんなに喧嘩するなら飼わないわよっ」
クレアとセイディが叱りつけると、子供たちは渋々といった様子ながらも大人しくなった。それを傍から見ていたオルガは声を潜めて笑っており、マリリンは苦笑を見せ、アルセリアは仕方なさげに嘆息している。
リゼットとサラの様子もそうだが、メレディスはアシュリンのことも気掛かりだった。先ほどからなんだか酷く落ち込んでいるようで、力なく伏せたまま微かな鳴き声を漏らしている。
「アシュリン、大丈夫?」
「……ピュェッ」
メレディスが頭を撫でようとすると、アシュリンは身体を起こして毅然と振り払う。
相変らず格下に見られているな思いつつも、一応は立ち直ってくれたようで安心した。
「まあ、竜の卵のことは追々詰めていけば良かろう。必ず孵るとも限らぬしの」
マリリンの言うとおり、卵が必ず孵化するという保証はない。
竜を飼うか否か、誰が親になるかといった問題は、竜が生まれてこなければ問題にすらならないのだ。
アルセリアが眠たそうにしていたので、とりあえずその場はお開きになった。
しかし、彼女ら九人は誰も気が付かず、予想すらできなかった。
竜を飼うか否か、誰が親になるかといった問題どころか、その前提から全てがなかったことになるなど、灰色の魔物以外は知る由もなかった……。