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幼女転生  作者: デブリ
一章・奴隷編
13/203

 間話 『盲目の変態紳士』


 ■ Other View ■



 カルミネは幼女至上主義者だった。

 幼女こそが至高だという彼の価値観は、もはや過去のものだ。

 今のカルミネはアウロラ至上主義者である。


 初めて抱いた淡い恋心はカルミネを昂揚させた。

 胸の内側が苦しくて堪らない一方、その息苦しさが心地よい。アウロラの可憐な姿を目にする度に胸が高鳴り、小さな口から発せられる美声を聞く度に脳が痺れる。


 そんな愛しき幼女と接触して、二日後。

 カルミネは便所から出てきたアウロラに話しかけられた。

 例の『愛の逃避行計画』に乗ってくれるのかと、彼は大いに期待した。


「それで、僕と逃げる気になったのかいっ?」


 カルミネはアウロラに対してだけは紳士になりたいと思っている。

 好きな人には嫌われたくないという当然の心理が、元性犯罪者に働いていた。故に、アウロラを無理矢理連れ去るような真似はできない。それがどれだけアウロラにとって良い事であっても、彼女の意志を蔑ろにはできなかった。


「い、いえ……そのお返事をする前に、少しお願いがありまして……」


 もじもじしながら上目遣いに話すアウロラの姿が可愛すぎて、カルミネは目が潰れそうだった。

 実際には、警戒心からくる緊張によって落ち着かず、アウロラは怖々と盗み見るようにカルミネを見上げていた。


「え、あぁ、なんだい? なんでも言ってごらん」

「では、実はその、同じ奴隷にマヌエリタという子がいるんですが……夜になると、その子がみんなを苛めているんです」

「なんだってぇっ!?」


 ――おいまさか僕のアウロラを傷つけてるのか巫山戯るなよマヌエリタ!

 という憤激がカルミネの思考を埋め尽くした。


「分かった、そのマヌエリタをどうにかすれば良いんだね。僕に任せておいて!」

「え、えぇ……はい、ありがとうございます……」


 アウロラは感動のあまり唖然としている……と、カルミネの目には見えていた。

 実際には、簡単に話が通り過ぎて、アウロラはただ困惑しているだけだった。


 そんな彼女にすぐさま背を向けて、カルミネは愛しの君を守る騎士となって駆けていった。




 ■   ■   ■




 勇ましくアウロラの前から出立した騎士は、しかし怨敵がどの子だか分からなかった。今更になってアウロラに聞きに行くのは如何にも格好悪い。

 ということで、カルミネはマウロに訊いてみることにした。そこら辺にいる幼女に聞いても良かったが、万が一その場をアウロラに見られたら大変だと変態は判断した。浮気はいかんよ、浮気は。


「あの、マウロさん」

「あん? なんだ、新入り」


 壁際で暇そうに全体を眺め回していた中年親父に声を掛ける。

 マウロはカルミネより背が低いが、醜い傷痕の残る顔は迫力がありすぎる。しかし、カルミネは数多の修羅場をくぐり抜けてきた戦士でもある。元猟兵にとっては強面のオッサンなど見飽きるほど目にしてきた。


「マヌエリタという奴隷がどの子か、教えてもらえませんか?」

「マヌエリタ? なんでまた……っておい、まさかお前、アノ話本当なのか?」

「アノ話、というと?」

「お前がここのクソガキ共を犯しても止めるなって、上から言われててな。冗談だと思ってたが……お前、ほんとにあんなチビ共を……」


 マウロはカルミネから上体を反らして遠ざかり、理解不能な変質者を前にしたかのように表情を歪めた。


「いえ、そういう話ではなくてですね。実は、マヌエリタという子が他の子たちを苛めてるみたいなんですよ」


 カルミネは誤魔化した。

 この世に真理を悟った者が極少数しかいないことを彼は重々承知している。無知な愚者共は賢者を前にすると決まって似たような反応するが、あれは無知からくる愚挙だ。カルミネは常識というものをよく分かっているので、円滑な人間関係を構築するためには賢者であることを秘さねばならないと常々心掛けている。


「苛めてるだぁ? それがどうしたってんだ?」

「どうしたって……放っておいていいんですか?」

「好きにさせとけば良いんだよ、そんなもん。オレたちの命令を聞きさえすれば、それでいい。あのチビ共に上下関係ができれば、一番上の奴に命令するだけで、他のチビ共にも伝わるからな。むしろ好都合だ」


 そう、カルミネは知り得ぬことだが、だからこそマウロは奴隷幼女たちに一着だけ服を与えた。争わせ、誰か一人が服を着れば、そいつがかしら

 マウロは頭一人に命令を下すだけで、後はその頭が伝言役となるため、仕事が円滑に進む。彼は最近、アウロラに代わってマヌエリタが服を着ていることを知っているため、放っておけば良いと言ったのだ。


 しかし、カルミネはそんな事情など知らない。

 仮に知っていたとしても関係ない。愛しい人のためならば、マヌエリタという鬼畜幼女に罰を与えて更正させる選択肢しか頭にない。

 恋は盲目という現象を、彼は正しく体験していた。


「いいえ、ここはマヌエリタに罰を与えるべきです。奴隷を害して良いのは主人だけだということを、分からせてやる必要があります。このままではいつか調子に乗り、面倒なことが起きるかもしれません」

「む……」


 マウロは納得したように、あるいは図星を突かれたように口を噤んだ。

 カルミネはここぞとばかりに説得の言葉を重ねる。


「奴隷たちを統括しているのはマウロさんです。マウロさんがあるじなんです。彼女らを害せるのはマウロさんと、その配下である僕たちだけなんです。それに……ほら、ちょうど良い機会じゃないですか」


 カルミネはマウロの腰に目を遣った。そこには小型の魔弓杖が吊り下げられている。数日前、カルミネがこの地に赴任してきた折、彼が帝都のお偉いさんから預かってきた品だった。この僻地での任務は退屈極まり、綱紀も緩むため、褒賞としてマウロに贈られた物だった。


「それの威力は、まだ彼女たちに見せてはいないでしょう? 威嚇に一、二回撃って、調子に乗るとどうなるか、分からせてやる必要があるんじゃないですか?」

「うーむ……そうだな。いい機会だし、ここらでいっちょこいつの性能を確かめてみるか」

 

 マウロは腰から小型魔弓杖を抜いて、口元に獰猛な笑みを浮かべる。そんな彼の姿と言葉を見聞きして、カルミネも内心でほくそ笑んだ。

 本当はカルミネ自身が直接マヌエリタという鬼畜幼女に正義の鉄槌を下したかったが、それはやめておく。いくらアウロラを苛めていた相手とはいえ、悪逆非道な幼女も彼女と同じ奴隷幼女だ。アウロラは純真無垢で優しい心の持ち主なので、奴隷とはいえ幼女に暴行を加える男だと思われ、軽蔑されたくはなかった。


「では、早速明日にでもよろしくお願いします」

「おう、任せとけ」


 そうして、カルミネはその後、アウロラに何とかなりそうだと伝えた。

 彼女は安心したように微笑んで礼を述べ、カルミネに脳が蕩けそうなほどの多幸感を与えた。

 実際には、人の悪い笑みを浮かべて、アウロラは暗い感情が満たされる快感に浸っていた。しかし、人の機微に聡いカルミネも、盲目状態とあってはさすがに気づけなかった。




 ■   ■   ■




 カルミネは幼女至上主義者だった。

 幼女こそが至高だという彼の価値観は、もはや過去のものだ。

 今のカルミネはアウロラ至上主義者である。


 が、しかし。

 だからといって、世に遍く存在する幼女たちを愛していないわけではない。

 相も変わらず幼女は素晴らしい。聖神アーレに勝る至高の存在だ。ただ、今のカルミネにとってはアウロラという絶対存在の方が万倍愛おしいというだけだ。


 故に、幼女の無残な死は許容し難いものがあった。


 まさかマウロがマヌエリタを殺すとは思っていなかったのだ。

 いや、以前までのカルミネならば気づけただろう。昨日マウロが覗かせた獰猛な笑みで察しが付き、彼を止めることができたはずだ。しかし、カルミネ当人はそんなことにさえ気が付かない。

 恋の病は着々と彼を蝕んでいた。


 朝から金髪の幼女(それも知的そうで並以上に可愛らしい)の凄惨な死に様を目にして、カルミネの精神は参っていた。賢者の至宝たる美幼女がこの世から一人失われたという喪失感は、アウロラ至上主義者として新生した彼としても落ち込まずにはいられない。

 いくらアウロラを傷つけていた奴隷幼女とはいえ、何も殺す必要はなかった。

 帝国に限らず、奴隷の命というのは軽い。なのでマウロの暴挙は別段、常識外という訳ではない。訳ではないが、幼女なのだから十分に加減はして然るべきだった。


 そうしてカルミネが溜息を吐いていると、そこに追い打ちが掛けられた。

 昨日と同じく、便所から出てきたアウロラに話しかけられる。それはカルミネにとって至福となるはずだったが、愛しの君の表情が暗すぎて、一層胸が痛んだ。


「どうして……殺したんですか……?」


 アウロラの声に生気はなく、瞳はどこか焦点があっていないようだった。他の幼女たちと同様、あまりの出来事に心が追いついていないのは一目瞭然だった。


「い、いや、その、えっと……」


 カルミネはしどろもどろになる。

 彼女の表情を陰らせているのはカルミネのせいでもある。いくら下手人がマウロとはいえ、彼に話を持って行ったのは他ならぬカルミネ自身なのだ。


「ぼ、僕はただ、マウロさんに、罰をあ、ああ与えるべきだって、言っただけで……」


 カルミネはアウロラと相対すると、童貞喪失前の、女性が苦手だった頃に戻ってしまう。それが今回は言い訳しなければという後ろめたさが重なり、顕著になっていた。


「あっ、でででも、キミが気に病むことは、ないからね? ぼぼ僕、僕がマウロさんにちゃんと伝えなかった、からで……そもそも、マウロさんがわわわ悪いよ、うん。なにも、殺す必要はなかったのにね、ほんと……」

「…………」


 アウロラは呆然とした顔で虚空を見つめている。やはり心優しい彼女は、自身を苛めていた相手とはいえ、その死に並々ならぬ衝撃を受けているのだろう。

 このままではマズいと思い、カルミネは明るい話題を持ち出してみた。


「そ、そういえば、その……僕と一緒に、こ、ここから逃げ出すって、話だけど」

「フッ、フフフフフ……」

「ア、アウロラ?」

「アハ、アハハハハハハ」


 それは静かな哄笑だった。

 カルミネにもよく聞こえないほど小さく声を漏らし、だが口元には大きな笑みを刻んでいる。まるで何かが吹っ切れたように、あるいは壊れてしまったかのように、肩を微動させて笑っている。


「あ、あの、アウロラ……?」

「ふぅ……すみません、ノビオ様。突然笑い出して」


 そう言って頭を下げるアウロラはどこか晴れやかな顔をしていた。彼女と出会ってから一番明るい表情をしている。以前までの、どこか憂いを孕んだ面差しも魅力的だったが、やはり快活な表情の方が愛らしい。

 しかし、何が彼女を茫然自失の態から立ち直らせたのか、盲目状態のカルミネには分からない。


「以前、ここから逃げ出すという話をしてくれましたけど、それは本当のことですか?」

「ほ、本当だとも!」


 急にアウロラの方から話が振られ、カルミネは一も二もなく頷いた。もう彼の中では、アウロラが立ち直った理由など些事になっていた。


「それでは……」


 アウロラは幼女とは思えない女性的魅力に溢れた笑みを浮かべた。

 実際には、ゾッとするような妖しい笑みを口元に浮かべ、アウロラは一線を踏み越えて開き直っていた。


「その前にもう一つだけ、あたしのお願いを聞いてくれますか?」

「もちろんさっ!」

「実は……マヌエリタと一緒にみんなを苛めていた、レオナという子がいるんです。彼女はすごく力が強くて、誰も彼女を止められなかったんです。マヌエリタが命令して、実際にはレオナがみんなを苛めていたんです」

「なんだってぇっ!?」


 ――おいクソまだ下手人が裁かれてないのか巫山戯るなよレオナ!

 という憤激がカルミネの思考を埋め尽くしかけたが、二度目なので多少の冷静さは残った。


「その、凄く力が強いというのは、どういうことなんだい?」


 アウロラはレオナの名前を出したとき、少し苦々しい表情を見せた。

 カルミネは盲目だが、愛しの君の憂い顔には敏い。


 力が強いとはいっても、所詮は幼女だ。しかし、アウロラの口ぶりにはそうと一蹴できないだけの響きが感じられた。とはいえ、そもそもカルミネは彼女の言葉を一蹴するような馬鹿な真似などしないのだが。

 

「本当に、すごく力が強いんです。何人がかりでも抑えられないほどなんです」

「その子は……獣人なのかい?」

「いいえ、人間です」


 獣人の中には、幼児でも人間の大人並の膂力を発揮する者もいると、聞いたことがある。たしか、南ポンデーロ大陸で幅を利かせているユルサンス族の獣人だ。

 しかし、獣人ではないという。

 人間の幼女だ。

 カルミネでなければ、単にアウロラが子供らしく誇張しているだけだと結論付けるだろうが、カルミネはアウロラの言葉を信じている。盲信している。

 故にカルミネは思考を止めず、少し考えてみた。


 人間の幼女にアウロラが言うような力は出せない。

 ならば、人間ではない他種族ということになる。単純に筋力が強いのは巨人と竜人、そして噂によると鬼人もだろう。巨人は幼女でも人間の大人より大きいので、まずあり得ない。


「ふむ……」


 ならば、残るは竜人か鬼人だ。

 とはいえ、謎の多い鬼人がこんな場所にいるのは非現実的だし、そもそも鬼人は例外なく紅い瞳をしているという噂を彼は知っている。ここに来て数日、そんな幼女はついぞ見かけたことがない。

 つまり、レオナという幼女は竜人ということになるのだが……

 それはあり得ない。

 以前、カルミネは命懸けでカーウィ諸島の竜人の郷を訪れたにもかかわらず、門前払いを喰らったことがある。その際、竜人の子供たちを見かけていた。彼ら彼女らは一様に、鱗に覆われた尻尾が生えており、小さい角も見られた。

 だがそんな特徴的な幼女は、やはりいない。

 

 カルミネは元々怜悧な頭脳の持ち主だ。

 純血かそれに近い亜人種でないとするならば、人間との混血児という可能性が高いと考えた。混血児で人間と見分けが付かなくなる種族は……

 おそらく獣人か竜人か鬼人の混血児。

 鬼人を例によって除外すると、獣人か竜人。


「耳は人間と変わりなかったのかい?」

「はい、どこからどうみても人間です」


 アウロラの言葉を聞いて、ならば竜人の混血だろうとカルミネは見当を付けた。

 獣人の混血児は特徴的な耳がまず間違いなく遺伝するという。尻尾が遺伝するかはまちまちだが、耳に例外はない。獣人の血が更に薄まればその限りでもないが、それならば人間以上の筋力も遺伝しなくなるはずだ。

 なので消去法的に考えて、レオナは竜人の混血児だ。

 さすがのカルミネも人間と竜人の混血児などお目に掛かったことはない。しかし、半獣人の例を参考にするのなら、半竜人の場合も尻尾は遺伝せず、耳の代わりに角が遺伝すると思われる。


「レオナという子は、いくつくらいなんだい?」

「四歳か五歳くらいだと思います」


 それくらいの歳ならば、まだ成長途中な角が髪に隠れていても不思議ではないだろう。


「うん、あり得ないことはないな。でも、もしそうだったら、これは……」


 カルミネは小さく呟いてから、アウロラに「任せておいて」と意気揚々と頷いた。

 



 ■   ■   ■




 何はともあれ、まずはレオナという悪逆非道な幼女に接触する必要がある。

 そう考え、カルミネは便所の前で網を張った。今度はアウロラからレオナがどの子が聞いていたので、どの幼女かは判明している。

 カルミネにも工場の警備という仕事があったが、彼はさぼっていた。どうせ近々アウロラと逃亡する身なので(もはや彼の中では確定事項)、多少職場での立場が悪化しようと関係ない。

 

 しばらく待っていると、栗毛の幼女が便所に入っていく姿を目撃する。数多の女を犯してきたカルミネの目から見ても、なかなかの美幼女だった。もしアウロラに惚れていなければ、真っ先に犯していたかもしれない。

 とはいえ、今のカルミネの審美眼からすれば、どんな美幼女もアウロラと比べれば霞んで見えた。


「ちょっといいかな?」


 目標であるレオナが便所から出てきたところを狙い、カルミネは彼女に話しかけた。


「…………」


 しかし、レオナに反応はない。ぼんやりとした面持ちでカルミネに視線すら向けないまま、彼の横を通り抜けようとする。


「ちょっと、待つんだ」


 カルミネは左手でレオナのか細い左腕を掴んだ。

 すると、栗毛の美幼女はビクッと身体を強張らせて立ち止まり、振り返り様にカルミネの手を振り払う。


「――ぇ、あ」


 レオナはカミルネを見上げ、整った面差しに驚愕の色を浮かべている。おそらく彼女もアウロラと同様に、今朝の惨たらしい光景にショックを受けているのだろう。

 だが、カルミネが気になったのは別のことだ。

 軽くとはいえ幼女の腕を掴んでいた利き手が、あっさりと振り払われた。カルミネは決して筋骨隆々という体型ではないが、単純な筋力は並の成人男性を上回る。猟兵であり遺跡探索者でもあった青年の肉体は、そんじょそこらの凡夫以上の身体能力を有している。

 にもかかわらず、あっさりと振り払われた。


 カルミネは双眸を細め、レオナの全身を眺め回した。

 普通の幼女だ。栗色の髪が愛らしく、美幼女という点を除けば、どこにでもいそうな幼女だ。今し方の力は何かの勘違いで、ただの幼女だと思ってしまいそうになる。

 しかし、カルミネは自分とアウロラを信じている。目の前の幼女は、決して並みいる人間の幼女ではない。

 カルミネは意識して微笑み、レオナの頭を撫でた。


「ぼーっとしていたら危ないよ」


 アウロラが見ているかもしれなかったが、カルミネは断腸の思いでレオナの頭を撫で回す。当のレオナは身体も表情も硬くして、ただ怯えを内包した瞳で虚空を見つめている。


「ほら、もう行きなさい」


 頭から左手を放し、可能な限り素っ気ない態度でレオナを作業台へと戻らせる。それがカルミネにできたアロウラに対する誠実さの表れだった。


「…………まさか、本当にあるなんて」


 カルミネは自分の掌を見つめ、呟いた。

 頭を撫でていたとき、両のこめかみの上辺りに、小さく硬い突起が感じられた。おそらく、意識していなければ気付けなかっただろう。先ほど腕を振り払われた力といい、レオナが竜人の混血児であることは、もはや疑うべくもない。


 そう結論を下すと、カルミネはマウロのもとへと歩き出す。気は進まなかったが、今回も彼を利用するのが最も効率的だ。

 無論、今回はマウロを焚きつけるような真似はしない。カルミネとしてはレオナを売り払い、逃亡資金にしたいと考えている。本当は、せめて混血児でもいいから竜人を味わいたいという思いがないでもなかったが、アウロラへの愛を思えば我慢できた。


 しかし逃亡資金にするといっても、今この場におけるカルミネには売却の伝手がない。都市部まで逃げ延びれば、世慣れしている彼なら容易に奴隷商に渡りをつけることもできるが……それは下策だった。逃亡する際にレオナを拉致しようがしまいが、十中八九、帝国から追手が掛かる。

 そもそもカルミネはイクライプス教国に指名手配されている身だ。もし逃亡中にレオナが怪我をして――万が一にでも五体の一部が欠ければ、大幅に価値が下がるのは想像に易い。逃亡時は愛しの君の護衛に専念したいので、レオナは出立前に換金してしまった方が良い。


 というわけで、マウロの出番だ。ここの責任者たる彼ならば、出入りの輸送人とも親しいだろうし、わざわざ都市部にまで出向かなくとも奴隷商と渡りを付けられそうだ。それに現在のレオナは帝国の所有物なので、どのみちマウロのような上役の協力は必要になる。

 レオナの売却金はマウロと分け合うことになるだろうが、そこも問題はない。逃亡前にでもマウロを襲い、金を強奪すれば済む話だ。世の至宝たる幼女を殺してしまうような極悪人から金を巻き上げるのに、カルミネは罪悪感など抱かない。


「あ、マウロさん。少しいいですか?」


 そう声を掛ける美青年の顔には、人好きのする柔和な笑みが浮かんでいる。


「あん? なんだ、新入り」


 反して、マウロはすこぶる機嫌が悪そうだった。今朝の一件の最後、イーノスに水を差されたせいだろう。

 自慢の玩具で奴隷幼女を惨殺し、他の奴隷幼女たちを戦々恐々とさせて愉悦でも覚えていたところに、イーノスの勝手な横やりである。まだ職場に来て日の浅いカルミネも、マウロがイーノスを気に入っていないことは肌で感じ取っていた。


 カルミネは迷った。

 今のマウロに話せば、レナオも殺してしまいそうである。ここは慎重に事を運んだ方がいいだろう。心優しいアウロラが悲嘆の念で美貌を曇らせるような姿は、もう二度と見たくなかった。


「いえ、よろしければ今夜、一緒にお酒でもどうかと思いまして」

「んなこといちいち言わんでもいいわボケ」

「はい、すみません」


 カルミネは恐縮した笑みを張り付けて腰を折り、ひとまずその場は撤退した。




 ■   ■   ■




 その日の夜。

 カルミネはマウロの対面に座し、酌をしていた。

 監督役や警備役の男連中が寝泊まりする部屋は、工場の二階にある。その日も仕事を終えて、干し肉や塩漬けされた魚などをつまみながら酒を酌み交わし、それぞれが疲れを癒やしていた。

 だがマウロは夜になっても機嫌が悪かったので、誰も彼に近づこうとはしない。カルミネはこれ幸いとばかりにマウロに接触し、幼少期から鍛えられた処世術によって機嫌を取りつつ酔わせていた。


「おい、新入り。そういえばイーノスのクズはどこいった?」


 マウロが赤らんだ強面で苛立った声を響かせる。


「さっき、隅の方で夕食をとっていたんですが、魔弓杖を持って出ていきましたよ。何しに行ったんでしょうね」

「ハッ、んなもん、なんだって良い。奴の辛気くせえむかつく面を見なくて済むなら、どうでもいいことだ。ほら新入り、お前も飲めっ」


 機嫌良さそうに言って、マウロは杯をグイッと傾ける。

 どういうわけか、イーノスは先ほど部屋を出て行った。カルミネは少々気に掛かったが、今は気にしているときではない。とにもかくにも、話を持ちかけるのなら今が好機だった。

 

「実はですね、是非ともマウロさんのお耳に入れたいお話がありまして」


 幼少期から商家の息子として育てられ、数多の女性を口説き落としてきたカルミネにとって、酔っ払いの中年親父一人を言いくるめることなど朝飯前だ。

 カルミネが一通りのことを話し終えると、マウロは口元に卑しい笑みを刻んだ。


「ほう、竜人と人間の混血か。それはまた随分と珍しいな、金になりそうだ。選別の段階で他の連中に気づかれなかったのは運が良い」

「それでマウロさん、彼女を売り払うあてはありますか?」

「おうよ。魔弓杖の部品を持ってくる連中がいるだろう? 奴らとは懇意にしているからな。連中に頼む。仲介料と口止め料は取られるだろうが……まあ、せいぜい二割程度に抑えてやる」


 ここセミリア山地にあるセミリア工場は、帝国各地で製造された魔弓杖の部品が集められる。それらを魔弓杖として組み上げ、部品と入れ替わりで完成品を輸出していく。

 カルミネの聞いた話によると、同じような場所は他所に幾つもあるという。市壁に囲まれた都市内の工場では、全部品の製造から組み立てまで全てを行うところもあるらしいが、大抵は分業だ。

 一つの部品を一つの工場で大量に製造し、各地から全パーツを集めて組み立て、完成させる。これは偏に生産性の向上という理由もさることながら、危機管理という面が重視されていた。

 オールディア帝国は既にグレイバ王国との戦争を終結させているが、王国の残党はまだ残っているだろうし、プローン皇国と戦争中――正確には冷戦中のスタグノー連合を支援してもいる。そうした状況にある昨今、もし仮に敵国の隠密部隊などに工場を襲撃されても、損害は小さく済む。

 部品工場も組み立て工場も各地に数多くあるため、一つの部品工場、組み立て工場が破壊されても、全体への影響は抑えられる。 

 マウロは部品や完成品を輸送する連中に依頼して、レオナを都市部まで送らせて、奴隷商へと売却させるという。


「では、レオナがここから消える理由はどうしますか?」

「んなもん、適当にでっち上げればいいんだよ。そこは任せとけや。それより分配の話だ。お前は儲け話を持ってきたが、持ってきただけだ。分け前は俺が八割、お前が二割。いいな」


 問いではなく通達だった。

 マウロは腰の凶器――今朝方に暴威をふるったばかりの小型魔弓杖を手で叩きながら、両の眼を刃物のように鋭く細めてカルミネを睨み付ける。


 どうせマウロは幼女虐殺の罪もこめて死刑に処し、有り金は全て頂く予定なので、二割だろうと一割だろうと問題はない。カルミネは従順な部下よろしく「はい、ありがとうございます」と礼を述べながら深く腰を折った。


「それで、マウロさん。次に荷馬車が来るのはいつ頃なんでしょうか」

「昨日来たばっかだからな。次はたしか……予定通りなら、五日後だな」

「では、それまでレオナは隔離しておきましょう。奴隷として売るならば、今の痩せぎすな身体では値引かれそうですからね。僕たちと同じ食事を与えて、少しでも健康体に見えるようにしておきましょう」

「あぁ、そうだな。それがいい。というか新入り。お前、お人好しそうな顔してなかなか腹黒い奴だな。気に入ったぜっ」

「ありがとうございます、マウロさん」


 マウロは醜悪な傷痕の残る顔に、仲間へ向ける顔そのものな、何のてらいもない笑みを見せた。

 そんな中年親父に爽やかな微笑みを返しながらも、カルミネは内心で吐き気を覚えていた。至宝の価値を理解できないだけなら未だしも、それを躊躇いなく惨殺する暗愚で非道な輩に好かれても、気持ち悪さしか覚えない。

 

「じゃあ早速、明日の朝にでもとっ捕まえて、地下に放り込んでおくか」


 地下は運び込まれてきた部品や完成した魔弓杖、そして食料などを保管しておく場所である。もしこの工場が何者かに襲撃された場合に備え、地下の作りは頑強だ。加えて、襲撃者や反逆者を捕らえた場合のためなのか、一つだけ牢も備わっている。


「おーし、新入り! 祝杯だっ、もっと酒持ってこい!」


 今日一日続いた機嫌の悪さが嘘のような上機嫌さで、マウロは笑みを溢している。カルミネは「はい」と笑顔で頷きつつも、密かに溜息を吐いた。

 

 五日後にレオナが引き取られていくとすると、金が入ってくるのは少なくとも十日以上は後ということになる。それまではこの地で過ごすのだと思うと、少なからず陰鬱とした気持ちになる。それに、アウロラをまだ十日以上も待たせなければならないのだ。

 本当は今すぐにでもこんな場所からはおさらばしたいが、『愛の逃避行計画』に失敗は許されない。慎重確実に事を進め、道中もアウロラに苦労をさせないため、今は耐えるしかなかった。


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― 新着の感想 ―
[一言] どうにかしてアウロラに権力を持たせたかったのかな?男の察しが良すぎるし生い立ちから惚れた経緯とかもちょっと強引な気はするけど…。この感じだとアウロラはそこそこの敵役になったりするんだろうか。…
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