第八十六話 『笑って岐路を行く』
七人で部屋に入ると少々手狭になった。
小さなテーブルと椅子が二つあるので、そこにはベルとダヴィートが座る。
そうして、ダヴィートはベルから竜鱗や爪牙を手渡され、やけに真剣な眼差しで検分し始めた。
「たしかに竜鱗みたいだな」
「あら、分かるの?」
「あぁ、実家に風竜の鱗で作られたっていう手甲がある。手触りや質感なんかは似ているからな。こっちのデカい爪と牙は初めて見るから分からないが」
若造はそう答えた後、手元の竜鱗を脇に控える男装侍女に手渡しながらベルに問いかける。
「それで、どうやって手に入れた? 竜鱗は本物っぽいし、黒いってことは真竜のモンだろ? ベルを疑うつもりはないが、これほどの品だからな……」
「……ローズちゃん、どうしましょうか?」
ベッドに腰掛けて様子を見守っていた俺に話が振られた。
竜を狩ったのは姐御と俺だから、迂闊に話せば色々と面倒なことになりかねない。転移盤の件もあるし、さてどうするか……。
「あの、ダヴィートさん、話さないと買い取ってはもらえませんか?」
「いや、そんなことはないが……できれば教えておいてもらいたいな。仮にこれらが盗品だったりした場合、オレが買い取ったことがバレれば何か厄介事になることもある」
まあ、そりゃそうか。
いくら相手が友達だからって、いきなり真竜の素材を出されては色々勘ぐってしまうだろう。裏を返せば、ダヴィートもそこまで馬鹿ではないということだ。
「ベルがローズちゃんに訊くってことは、ローズちゃんが関係してるのか?」
「そうですね」
「今更だけど、ローズちゃんはどこの国の魔女なのかな? その年頃で言葉は堪能だし、どうしてベルと一緒に行動しているのか、教えてもらえないかな」
「…………」
一つ答えれば、芋蔓式に色々と聞き出されそうだ。
相手はベルの友達で、魔女も引き連れているし、人柄を見てもたぶん悪い奴ではない。商取引には信用が必要だ。
とはいえ全てを正直に明かすのも躊躇われる。
「では、一つだけなら、どんな質問にも嘘偽りなくお答えします」
「一つだけか。じゃあ、それでいこう。ま、オレとしてもこんな超希少品が入手できる機会を逃すつもりはないしな」
貴族という連中はしばしば権威付けをしたがるものだ。
デカい館に住んだり、身形を着飾ったりが良い例で、希少品を収集して自宅にでも飾れば、来訪者に自らの力を暗に示せる。
ダヴィートはそういう貴族っぽい貴族には全く見えないが、好事家だろうことは窺い知れる。
「一つだけ、一つだけかぁ……なぁに聞こうかなー」
若造は椅子の背もたれに身体を預け、悩ましげに「うーん」と唸った。
「そうだなぁ、どうやって手に入れたのかってことは聞きたいが、ローズちゃん本人のことも聞きたい」
「…………」
「でもまあ、ここはやっぱり入手した経緯だな。どこでどうやって誰から手に入れたのか、聞かせてくれるかい?」
場所と手段と相手。
単純に考えれば一つではなく三つになるが、まあいいだろう。
俺は努めて普段通りに、何でもないことのように、さらりと答えてみた。
「白竜島で、真竜を狩って、私が手に入れました」
「…………ん? あー、ローズちゃん? オレは紳士だから、可愛い女の子の冗談には笑ってやりたいんだけど……ごめんな、もう一度、ちゃんと言ってくれるかな?」
「白竜島で、真竜を狩って、私が手に入れました」
「…………」
ダヴィートからもハミルからもレンツォからも、一様に変な顔を向けられた。
当然の反応なのだろうが……本当のことなんだから仕方ない。
正確にはオルガの姐御と一緒にだったが、さすがに聖天騎士様が真竜をぶっ殺したことは言わない方がいいだろう。
嘘偽りは言っていないのだから、大丈夫だ。
「ベル?」
「本当よ、アタシも白竜島に行ったから」
「なに……?」
ダヴィートは俺とベルを交互に見遣ってから、俺に視線に固定して静かに見つめてくる。どうやら約束通り、これ以上のことは訊いてこないらしい。
ハミルは先ほどレンツォに手渡した竜鱗と俺を興味なさげな瞳に映し、その胡乱げな面差しからは到底信じていないことが分かる。レンツォの方は半信半疑な顔で俺やベルやユーハや手元の竜鱗を転々と眺め回している。
「……………………」
無言の空気が痛かった。
これは明らかに俺が大嘘つきの痛い子と思われている。
お前らそんな目で俺を見るな。
なんだか少し居たたまれなかったこともあり、特別サービスに特級幻惑魔法〈幻彩之理〉を無詠唱で行使して、姿を消してやった。
三人とも息を呑んで俺を凝視してくる。
まあ、実際には服しか見えていないのだろうが。
でもこれで少しはこちらの実力が伝わったはずで、俺の言葉にも信憑性が出るだろう。きっとメリーがいれば一発で信じてくれたはずだ。
あぁ、メリー、元気にしてるかな……。
十秒ほどで解除して姿を見せると、ダヴィートは不意に口元を大きく緩めた。
「フフ……フハッハッハッハッハッ、そうかそうかっ、ローズちゃんが狩ったのか! うん、良しっ、ローズちゃんがそう言うのなら信じようっ!」
「そうよヴィートちゃんっ、ローズちゃんはとても良い子なんだからっ! すっごく才能ある魔女で家族思いのとても純真な子なのっ、嘘なんてついてないってアタシも保証するわ!」
「そうだなっ、あぁそうだなベル! こんな綺麗な目をした子が嘘吐くわけないよな! ごめんなベルゥッ、オレちょっとでも疑っちまったよ! 栄えある会の一員としてあるまじき行為だったよなぁぁぁぁ」
「落ち込まないでヴィートちゃんっ、今回はさすがに無理もないことよ!」
「ベ、ベル……ンベェェェェェェルゥゥゥゥゥゥン!」
「ヴィィィィィィトちゃぁぁぁぁぁぁん!」
野郎二人はなぜか感極まった様子で、テーブル越しに上半身を乗り出してヒシっと抱き合った。
何が何だか全く分からんし、そもそも栄えある会ってなんだ? なんかベルも出会った当初に似たようなこと言ってた気がするが……。
まあ、何はともあれ、少なくともダヴィートは信じてくれたようだ。
男装の麗人たるハミルは主の背中を呆れたような半眼で投げやり気味に見つめ、レンツォは俺のことを未だに驚いた顔で凝視してくる。
野郎二人はひとしきり抱擁を交わした後、それぞれ席に戻った。
「さてベル、お前これらを売ってくれるらしいけど……具体的には幾らだ?」
「んー、正直アタシも計りかねてるのよねぇ。なにせ真竜どころか普通の竜の相場だって知らないのだし」
「というか、本当にオレ個人に売っていいのか? どこか大都市で競売会にでも出せば、一生遊びまくっても釣りがくる値で売れると思うぞ」
「まあ、そうなのだけれどね、そうすると逆に色々なところから目を付けられちゃうじゃない? ヴィートちゃんも知っての通り、アタシ元は貴族だし……あまり目立ちたくはないのよねぇ。でもヴィートちゃんならアタシやローズちゃんのことは秘密にしてくれるでしょ?」
「もちろんだ、ベルとの関係に面倒臭い問題は持ち込みたくないからな。しかし……真竜の素材と釣り合うような対価、オレに払いきれるかどうか……」
ダヴィートは腕を組んで思案げに眉根を寄せた。
どうやら真竜の素材は貴族のボンボンでも普通は手が出せない代物っぽい。
「それは次の機会にでもじっくり話し合いましょう? アタシたち、今はとりあえずお金が必要なの」
「なんだ、金に困ってるのか?」
「ええ。実はアタシ、ローズちゃんを魔大陸まで送り届けるって約束しているの。でも渡航費がなくて、どうにかしてこの竜の素材を売って換金しようとしていたのよ。だから今は渡航費分だけいいわ。アタシ、この使命を完遂したらリグレイン大公国へ向かうから、残りはそのときに話し合いましょう?」
「分かった。それじゃあ、とりあえず……200万グルエくらいでいいか? 今はオレも旅行中で何かと入り用だし、あまり多くは払えないんだが」
「大丈夫よ。それだけあれば魔大陸へ行って、北ポンデーロ大陸まで渡るには十分よ」
ベルは特に驚いた様子もなく、快く頷いている。
あまり手持ちがないとか言っておきながら、若造はさらりと200万グルエとか口にしたのに……これがノーブルパワーか。
「ところでさ、この竜鱗とかはベルのものなんだよな? ローズちゃんが真竜を倒したらしいのに」
「ええ、ローズちゃんは心優しいから、お礼とお詫びにってアタシにくれたのよ」
「そうなのか……?」
ダヴィートからイケボで訊ねられる。
質問は一つだけって約束だったのだが……まあこれくらいは良いか。
「ベルさんの船と仲間が水竜に沈められてしまったので。すみませんけど、この件に関してはもう何も話せません」
「あぁいや、ごめんねローズちゃん、また質問しちゃって。もうこれ以上は訊かないから、安心して。でも色々気になってはいるから、話しても良いと思ったら聞かせてくれるかい?」
「はい」
話す気はないが、儀礼的に首肯しておいた。
それからベルに目を向け直し、ちょうど良い機会だと思うので言っておくことにした。
「あの、ベルさん」
「ん? どうかした、ローズちゃん?」
「渡航費だけ頂ければ、ベルさんとはここでお別れしても大丈夫ですよ?」
「――え?」
ベルは何を言われたのか分からないというようなショック面になって固まった。
「もうベルさんには十分お世話になりましたし、ここから魔大陸まで行って、それから北ポンデーロ大陸まで行くのは二度手間になりますよね? 渡航費もそれだけもったいないですし、ここでお別れした方が――」
「ダ、ダメよっ、そんなことできないわ!」
椅子を蹴って立ち上がり、悲しげな瞳に俺を映すカマ野郎。
大の男がそんな顔するなよ。
どう考えても、ベルとはここでサヨナラした方がベル本人のためになる。
たぶんこの町からなら、魔大陸西部の港町とリグレイン大公国は距離的に同じくらいのはずだ。
金さえ手に入れば、あとは俺とユーハだけでも何とかなると思うし。
「アタシはオルガちゃんと約束したの! ローズちゃんのことはきちんと責任をもって魔大陸まで送り届けるわ!」
「……オルガ? 魔大陸、魔女……聖伐……聖天騎士団……?」
おいおいおいベルッ、お前そんな興奮すんなよ。
なんかダヴィートが変な風に勘違いしそうになってんぞ。
というか、こいつ見かけによらず頭の回転良すぎだろ、下手したら俺が聖天騎士団の関係者と思われるじゃねえか。
「わ、分かりましたから、落ち着いてください。すみません、無粋なことを言ってしまって。これからもよろしくお願いしますね、ベルさん」
「いえ、アタシの方こそごめんなさい……ローズちゃんの気遣いはとても、とっても嬉しいことだけれど、これはアタシの信念に関わることなの。だからどうしても譲れないの、ローズちゃんみたいな可愛い女の子を置いて行くことなんてできないのよ!」
うん、やっぱこのオカマは良い奴だわ。
ベルがそこまで言うのなら、好きにさせてやればいいだろう。
「あのー、ローズ、みんなでどんな話してるのかな? ウチにも教えてくれる?」
「ローズよ、話は纏まったのだろうか? であるならば、某にも顛末を教えてもらえぬか」
これまで蚊帳の外だった二人からそんなことを言われた。
そういえば、今まで全部北ポンデーロ語で話してたから、二人にはチンプンカンプンだったか。
ノシュカとユーハにもきちんと話しておいた方が良いだろう。
何はともあれ、こうして渡航費の件は目処が立った。
♀ ♀ ♀
話し合いの後、金と素材を交換した。
ベルとダヴィートは友人関係だが、きちんと契約書を作っての取引だ。
二枚の羊皮紙に契約内容を書き記し、サインをして、血判を捺していた。
「これから船探すんだろ? オレたちも手伝うぜ!」
どうやらハミルは南ポンデーロ語を少しなら扱えるようだったので、七人全員で宿を出て港湾部へと向かった。
二手に分かれて探した結果、チュアリー行の船は無事見つかった。
渡航費は一人14万グルエらしく、まだ乗船人数に余裕はあるようだったので、話をつけておいた。金は事前に半分払っておき、出港日に残り半分を支払うことになるようだ。
「出港は五日後ですか……それまでどうしましょう?」
「町を見て回ったりして、のんびりしておきましょうか。あぁでも、タピオのこともあるし、あまり出歩かない方がいいのかしら?」
「なんだベル、タピオって誰だ?」
みんなで昼食を頂くことになって、適当な店を探しながら町をぶらついていると、ダヴィートが疑問を口にした。
ダヴィートは昨日この町に来たばかりのようで、せっかくだから俺たちが出港するまで一緒に行動しようと言ってきていた。
ベルの友達だし無碍に断る理由もなく、とりあえず承諾したのだが……。
やはり色々と問題があったのかもしれない。
ベルは俺の顔を窺い、確認を取ってくる。
タピオの件にはメリーが深く絡み、そしてメリーの存在はあまり余人に知られて良いものではない。本当は説明せず秘密にしておいても良かったが、隠し事ばかりだとベルとダヴィートの友情にも影響が出そうだ。
「今更ですけど、ダヴィートさんってどこまで信用できる人なんですか?」
俺はベルの腕を引き、小声で問いかけた。
「アタシとヴィートちゃんは同志だからね、どこまでも信用できるわよ。でも……そうね、ローズちゃんが心配なら、アタシも黙っておくわよ?」
「では、そうですね……メリーのことは伏せて私から話します」
というわけで、ダヴィートにカーム大森林でのことを簡単に説明してやった。
俺たちと一緒にいるとダヴィートたちまで狙われかねないので、さすがに話しておくべきだろうと思ったのだ。
「つまり、そのタピオって獣王国の大使はローズちゃんたちを逆恨みして、襲ってくるかもしれないってことか?」
「そうなりますね。ですが、今のところは何もないです。タピオが無事に獣王国へ帰り着けたかどうか分からないですし」
話は少し改変しておいたが、特に問題はないようだった。実際、タピオは俺たちのことを恨んでいるかもしれないし、あながち嘘でもない。
「竜の素材が狙われるってことはないのかい?」
「彼らは知らないので」
「そうか、でも一応警戒はしておいた方がいいな」
ダヴィートは一国の貴族だ。
もしメリーのことを話せば、フェレス族の郷からメリーを強奪しようとしても不思議はない。まあ、そういう奴には見えないが、タピオの例もある。
フェレス族に迷惑が掛かるかもしれないので、ベルの友達だからって易々と信用するのは危険だ……と思って、適当に話をぼかしておいた。
その後、俺たちは奴隷商館へ行ってレオナのことを探してみた。
が、当然のように成果は上がらなかった。
「ローズちゃん、半竜人の子を探してるのかい?」
「はい、レオナという女の子です。もし見掛けることがあれば、保護してあげてくれませんか?」
「ローズちゃんの頼みとあらば、引き受けよう」
一応、ダヴィートにも話を通せたことだけが救いだ。
翌日。
念には念を入れて、俺とユーハとベルは宿で待機することにした。
ノシュカはダヴィートたち三人と一緒に町中をぶらぶらと見て回ってくることになったのだが……。
「おいおいおいベルッ、聞いたぞベルッ! 火竜の赤子がいたんだってな! すっげーなおいっ!」
「ごめんローズ、なんかお酒飲んでヴィートと色々話してたら、メリーのこと話しちゃったー」
夕方頃に帰ってきた笑顔美人さんはあまり悪びれていない赤ら顔で、暢気に笑っていた。ダヴィートのことを信用しているのか、あるいは深く考えていないのか。
それでも彼女は転移盤のことは話していなかったので、最後の一線はきちんと守っているようだった。
いずれにせよ、色々な意味でさすがはノシュカだといえる。ちくしょう。
「昨日は嘘を吐いてすみませんでした、ダヴィートさん」
「いや、いいよ、ローズちゃんが警戒する気持ちも分かるからね。まあ確かにね、正直に言えば、相手がローズちゃんみたいな可愛い女の子じゃなかったら、実家の力も使ってでもメリーちゃんを奪いに行っていたかもしれない。でもオレはローズちゃんが悲しむようなことはしないから、安心して欲しい」
「……あ、ありがとう、ございます」
「その代わりと言ってはなんだけど、もっとローズちゃんのことを教えてくれないかな?」
前世の声優さんもびっくりなイケメンボイスで、そんなことを宣うダヴィート。
相手が俺じゃなかったら、たとえ幼女でも口説き落とされていただろう。
しかもメリーを引き合いに出して、真竜を倒したと自称する魔女の情報を引き出そうとするとか……実はこの若造、アホそうに見えて割と油断ならない奴なのかもしれん。ただのロリコンという可能性も十分あるが。
俺は《黎明の調べ》やオルガの姐御の存在を関知されない程度に、自分のことを話してやった。
「つまり、ローズちゃんはどこの国にも属していないのかな?」
「そうなります」
「それじゃあ、家族の人たちと一緒に、リグレイン大公国へ来ないかい? 生活は保障するよ」
「えーっと、今は魔大陸での生活が楽しいので、ちょっと……」
「そっか。でも、気が向いたらいつでもオレのもとを訪ねてくれていいからね。普段はリグレイン大公国のサファイスって町にいるから」
勧誘はされたが、結構あっさりしたものだった。
一国の貴族との伝手ができたと思えば、そう悪い話でもないだろう。
更に翌日。
俺はベルに頼んで、少しお金を貰った。
船旅は退屈だろうから、今のうちに本を買っておこうと思ったのだ。
「あの、ローズさんの名前って、やっぱり《閃空姫》からとって名付けられたんですか?」
だがどういうわけか、いま俺の隣には獣人ボーイであるレンツォがいる。
他にも我が護衛剣士ユーハと男装の麗人ハミルが同行し、この四人で本屋への道を歩いている。ノシュカとダヴィートは意気投合でもしたのか、ベルを交えて日が昇りきらないうちから酒場で飲んでいる。
「たぶんそうだと思いますよ」
「たぶん、ですか?」
「実の両親のことは知らないので、これは友達から頂いた名前なんです。でもその友達も、今はどこにいるのか分からないので」
「あ、そうだったんですか……えっと、すみません」
レンツォは九歳児の割に礼儀正しい。
どっかのウェインとは雲泥の差だな。
ダヴィートの養子らしいから、養父がアレでも貴族としてちゃんとした教育は受けているのだろう。
顔立ちは可も無く不可も無くで、どことなくダヴィートに似ている気がしないでもない平凡な容姿をしている。今は旅行中だからか服装にも特に秀でたところはなく、貴族の子供には全く見えない。
「いえ、謝らなくてもいいですよ。ところで、そういうレンツォ君の名前はどうなんですか?」
さん付けしてくるガキには俺もきちんと君付けしてやる。
一応相手は貴族の坊ちゃんだし、礼には礼をもって応えるよ。
どっかのウェインも見習えってんだ。
「僕の名前は、ハイネス帝国時代に名を残した魔剣使いのレンツォからとって名付けたと、父さんが言っていました。もしかして、分かりましたか?」
「ええ。あまり有名ではないですけど、前に魔剣の本で読んだので。それに君は獣人みたいですし。ですが《魔刃剣》のレンツォから名付けられたのなら、半獣人なんですか?」
「はい。あまり有名な人でもないのに、本当に良く知ってますね」
「それほどでもありませんよ」
うん、こういう子供なら相手が男でも楽しく会話できる。
十歳以下のガキってのは幼女に対して何かと意地悪したり悪戯したりするもんだが、ダヴィートが反面教師にでもなっているか、レンツォは大人しい。
ウェインはちょっと擦れた性格してるから意地悪とか悪戯とか、そういう下らないことはしてこなかったが、あいつはあいつで生意気だからな……。
「そういえば、真竜を倒したって話、本当なんですか?」
「え、まあ……そうですね、結果的にはそうなりますね」
オルガと一緒に戦ったとはいえ、黒竜は俺の〈風血爪〉が致命傷となり、息絶えた。結果的には俺が倒したと言っても過言ではないだろう。
それでも姐御がいてこその結果だし、あまり胸を張っては言えないが。
レンツォは俺の言葉を信じているのか、尊敬の眼差しを向けてきた。
「ローズさんは本当に凄い魔女なんですね! 才能があって博識で、それにとても可愛いですしっ!」
「…………」
「あっ、いえ、すみません。い、今のはその、なんていうか……」
なにモジモジしてんだ、こいつ。
まさか俺に惚れてんのか?
「私、格好良くはないですか?」
「え? あ、その……格好良いというより、か、可愛いと、思います……」
可愛いと言われて悪い気は全くしない。
しかし、今の俺は格好良くはないのか。
かなりボーイッシュな格好だから、自分ではイケてると思ってたんだが……。
「……………………」
俺が黙ったことで、会話が途切れてしまった。
レンツォは先ほどの発言を気にしてか、何やら顔を赤くして俺と目を合わせようとしない。
こいつ、マジで俺に惚れてんじゃねえだろうな……?
ちょっと確認してみるか。
「レンツォ君、これからは親しみを込めてレンツォって呼び捨てにしてもいいですか?」
「え、あ、はい、もちろんっ」
「ありがとうございます、レンツォ」
ローズスマイル(Lサイズ)をプレゼントしてみる。
効果は抜群だった。
レンツォは歩みをぎこちないものにして、顔を真っ赤にしたまま「ぁ、いえ、ど、どういたし、まして」とテンパった感じに呟く。
なんか面白いな、おい。
と、つい思ってしまったが、これ以上は自重しておく。
野郎のピュアハートを弄んではいけない。
俺も中坊の頃、隣の席だった女子に……いや、やめよう、思い出すと鬱になる。
「…………」
「…………」
どちらも無言になった。
俺の方から適当に話を振ってやっても良かったが、まだレンツォはローズスマイルの余韻が残っている。少し落ち着くまで待ってやった方がいいだろう。
しかし……なんかこの世界のガキって、ちょっとませてないか?
俺が九歳の頃は男女差なんてそんなに意識してなかったぞ。
当時は水泳の授業だろうと男女混同で着替えていたが、俺は全然ドキドキしてなかったし。いま思えば、アレって凄い状況だったな……。
この世界では十代半ばで結婚することはざらにある。
更に十五歳で成人というのが一般的だから、それだけ前世より精神的に早熟なのかもしれない。と考えると、九歳で普通に男女差を意識してドキドキしたりしても、全くおかしくはない。
サラも九歳でセックスがどうこう言ってたしな。
とはいえ、ウェインの野郎はそうでもなかったな。
前にメルがパンツあげようとしたのに受け取らなかったし。
あいつは幼くして娼館の実態を知ってしまった分、男女関係やエロ方面には忌避感とか抵抗感があるのかもしれんが。
「レンツォたちはカーム大森林に大樹ピュアラを見に行くんですよね? それなら獣人王の話は知っていますか?」
「あ、はい、本で読んだことがあります」
落ち着いた頃合いを見計らって話しかけてみると、普通に食いついてきた。
俺は普段から周りの大人たちに気を遣ってもらっているから、俺もガキには気を遣ってあげるよ。
ま、相手は選ぶがね。
雑談しながら、俺たちは本屋へと向かっていく。
尚、俺たちの後ろを歩くユーハとハミルはあまり言葉を交わしていなかった。
だが、こんな感じの会話が耳に届いてきた。
「ユーハさん、少し伺いたいのですが」
「む、如何したハミル殿」
「貴方はローズさんほどの魔女を護衛しているのですよね? 立ち居振る舞いから、相当の使い手であることは分かりますが……もしや、ユーハさんの本名はスオルギ・ユーハというのではありませんか?」
「……い、いや、某はただのユーハである」
「では、よろしければ腰のものを拝見させてもらえませんか?」
「…………」
タピオと今回の件で得た教訓。
俺がそれなりの魔女であることが知られ、ユーハが本名を名乗ると、高確率でユーハの正体がバレる。
今度から気を付けよう。
本屋ではレンツォと色々話しながら買うものを選んでいき、最終的に歴史の本を買った。安定期に入ってから、光天歴七〇〇年くらいまでの南ポンデーロ大陸における国々の変遷が書かれた本だ。
同じ文章が南ポンデーロ語と北ポンデーロ語の二言語で書かれてある珍しいタイプの本だったので、少し高かった。どうせチュアリーで売り払うから幾分か金は回収できるし、勉強用としては最適だ。
お値段の方は177000グルエだった。
ありがとな、ベル。
今度お礼に添い寝くらいはしてやるよ。
♀ ♀ ♀
出港日までの時間は適当に潰していった。
町を散策したり、ダヴィートたちと雑談したり、みんなで猟兵協会へ行って一度町の外へと魔物狩りにも行った。
ダヴィートたち三人は三人とも魔法が使えて、どうやらレンツォは下級魔法までしか扱えないようだった。若造と男装麗人の実力は定かではないが、どちらも詠唱省略も短縮もできないらしいことは分かった。
そうして、出港日の早朝。
俺たちは乗船する前に、桟橋の上で別れの挨拶と洒落込んでいた。
「また無事に会おうなぁぁぁぁ絶対だぞベルゥゥゥゥ!」
「分かってるわヴィートちゃんっ、次の定例会も一緒に参加しましょうね!」
「ンベェェェェェェルゥゥゥゥゥゥンッ!」
「ヴィィィィィィィトちゃぁぁぁぁぁぁんっ!」
という野郎二人のキモい抱擁を脇に、俺はノシュカと向かい合っていた。
「ローズ、色々とありがとねー。森でのことも、ウチと一緒にここまで来てくれたことも、すごく感謝してるよ」
「こちらこそ、ノシュカには感謝しています。たくさんお世話になりました。ありがとうございます」
頭は下げず、抱きつくことで感謝の意を示した。
ノシュカも俺をギュッと抱きしめてくれて、「んー、ローズぅー」と言いながら頬ずりしてくる。
思えば、ノシュカとはなんだかんだで六節ほどの間、ずっと一緒に行動してきた。彼女の笑顔にはいつも元気を分けてもらったし、隣にいるだけで楽しく過ごせた。
とても良い思い出だ。
「ノシュカ、これからも元気で頑張ってください」
「ローズも、頑張ってお家まで無事に帰ってね」
俺たちと別れた後、ノシュカはとりあえず北の方へ向かうらしい。
ダヴィートと仲良くなっていたから、今度は彼らに同行するかもと思ったが、これからは自由気ままに旅していきたいようだった。
彼女一人だと少し……どころか大いに心配ではある。
だが、それがノシュカの選んだ人生なのだし、俺にはこの笑顔美人さんの無事を祈ることしかできない。ベルとダヴィートから幾らか金を援助してもらっていたようなので、当分は大丈夫だろう。
俺は最後に猫耳と尻尾を撫でさせてもらってから、ゆっくりと身体を離した。
ノシュカの表情に悲しげな色はなく、いつも通り魅力的な笑みが咲いている。
「また会えるといいね、ローズ」
「はい、いつかまた会いましょう」
俺もノシュカに倣って笑みを浮かべた。
別離は惜しいが……惜しすぎて涙が出るのを我慢しているが、どうせ別れるなら笑顔がいい。
「ローズさん、いつか是非、サファイスを訪ねてください。僕もローズさんとまた会いた――あっ、でも来年からシティールだし、どうしよう」
「お? なんだレンツォ、ローズちゃんを口説いてるのか?」
「ちょっ、変なこと言わないでよ父さん!」
「ローズさん、ユーハさん、ヒルベルタさん、お元気で」
親子の遣り取りも何のその、ハミルは最後まで素っ気ない顔で挨拶してきた。
この人はかなりの美人で美青年と見まがうほど格好良いが、少し愛想が足りないな。せめて一度くらいは笑った顔を見てみたかった。
「ダヴィートさんも、ハミルさんも、レンツォも、お元気で。機会があれば、またお会いしましょう」
「ローズちゃん、オレはまた会えると信じているよ」
聞き惚れそうなイケボでそんなことを言われる。
同性からしても良い声と台詞だとは思うが、俺は男なので特に胸はトキめかない。女ならヤバかっただろうな。
「それではみなさん、色々とありがとうございました」
最後にお礼を言って、俺たちは乗船した。
出航するまでノシュカたち四人は桟橋に残って、俺たちを見送ってくれる。
今日は実に良い出港日和で、まだ陽が昇って間もない空は清々しいまでに深く高く澄んでいる。
そのせいか、別れだというのに、なんだか晴れやかな気持ちだ。
「ローズー、またねー!」
「ローズさんっ、また会いましょう!」
「ロォォォズちゃぁぁぁん! 元気でなぁぁぁ!」
海原へと進み始める中、俺は船上で遠ざかる桟橋に大きく手を振り返し、声を上げた。
「みなさん、また会いましょう!」
俺もみんなも、さよならとは言わなかった。
再会を期した挨拶の方が前向きな気持ちになれて、別れが辛くならない。
またいつか、会えるといいな。
こうして、俺たちは出会った人々と別れ、魔大陸を目指して出航していった。
八月中に六章を終わらせちゃうことにしたので、明日明後日も更新します。