第八十五話 『類は友を呼ぶ』★
翼人タクシーの運ちゃんは野郎だった。
予め女性二人と指名しておいたのに、どうしても都合がつかず、一人だけとなった。そちらは泣く泣くノシュカに譲り、俺はオッサンに抱えられての飛行と相成った。
出だしは不幸に見舞われたが、その後は幸運な展開となった。
港町クレドには日が沈んで間もなく到着したのだ。
本当は二日目の午前中に到着予定だったのが、一日で行けてしまったらしい。
運ちゃん曰く、終日にわたってあまりに順風だったから、本来の予定を繰り上げたようだ。
翼人タクシーの飛行速度は天候に大きく左右される。
特に風の影響は大きい。特急便を指定しようと、天候のせいで結局は通常便と変わらぬ日数を費やしてしまうことも間々あるようで、その逆も然りらしい。
今回は運が良かったというわけだ。
「う~んっ……凄かったねー、空飛ぶのって楽しいね!」
ノシュカが大きく伸びをしながら、実に晴れやかな笑みを咲かせた。
「ていうか、潮の香りがするね! さっきはもう暗くて良く見えなかったけど、やっぱりここ港町なんだねっ!」
「そういえば、ノシュカは沿岸部の郷へは一度行ったことがあるんでしたっけ?」
「うん、そうだよ-。初めて海を見たとき、この向こうにいろんな大陸や島があるんだと思うと、すっごくワクワクしたなぁ」
潮気を帯びたそよ風の吹く町中は割と活気がある。
ただ、先ほど上空から見た篝火の数からして、クロクスほど大きな港町ではないようだった。せいぜいクロクスの三分の一以下の、普通の町より少し大きい程度の港町といったところだろう。
ちなみにバドール同様、市壁はなかった。
「ベルさん、宿って今の時間でもとれるでしょうか?」
「探せばどこか一軒くらいはとれると思うわよ。港町だから、宿屋は多いはずだしね」
金にはまだ余裕はある。
今日のところはさっさと晩飯を食って、寝てしまった方が良いだろう。
明日からは換金と船探しで大変になりそうだからな。
先ほど翼人タクシー営業所で聞いた宿屋を目指し、俺たちは夜の町を歩いて行く。道行く人の種族比はやはり獣人が多い。
宿屋は一軒目でめでたくチェックインできて、俺たちは順調にその日を終えた。
♀ ♀ ♀
明くる日。
「さて、換金です」
四人で朝食を終え、一旦部屋に戻ってきた。
外で話して良からぬ者の耳に入れば狙われかねない話だからな。
「まだ船賃が幾らかは分かりませんけど、2万グルエでどうにかなるはずはありません。どうにかして安全かつ迅速に黒竜の素材を金に換える必要があります」
「港町だから商人は多いはずだし、そう難しくはないと思うわよ。竜の――黒竜の鱗なんて、まず市場には出回らない超がつくほどの希少品だからね。どの商人も借金してでも買い取りたいはずよ」
「それは何よりですけど……」
「問題は、足がつくということか」
ユーハは泰然と腕組みした格好で、相槌を打つように指摘した。
「指名手配はされていないようですけど、竜の素材を売っただなんて、すぐ噂になりそうですよね。ベルさん的にはここで全部売る気はないんですよね?」
「うーん、状況次第かしら。このまま現物を持ち続けるのも危険といえば危険だし、かといって全部売っちゃえば凄い金額になるはずだわ。そんな大金を持ち歩くのも危なっかしいのよねぇ」
悩ましげにベルは顎先に指を当てて、小さく唸る。
一部だけ売っても、全部を売っても、どのみち危険はつきまとうだろう。
前者の場合は、商人から希少品を持つ連中だと目を付けられ、最悪どっかで襲撃されかねない。後者の場合は、大金を持ち歩く関係上、買い取り先の商人から話が漏れて、やはり襲撃されかねない。
「重要なのは信頼できる相手に売れるかどうかですね。情報を守秘できる人でないと、どのみち危ないことになりかねません」
「商人は信用第一だから、商売相手の情報はそうそう漏らしたりもしないし、お客さんに何かしようだなんて普通は考えないわ。でも……今回は品が品だし、欲に負けてアタシたちに実力行使してくる可能性は無視できないでしょうね」
竜の素材を売らず、普通に猟兵として活動し、金を貯めるという手段もあるにはある。こちらの策をとれば、ノシュカともまだしばらく一緒に行動できるし、危険は少ない。が、たぶん船賃は三人で30万グルエはするだろうし、その金額を貯めようと思ったら相当の時間が掛かる。もしタピオがリオヴ族に捕まっていなければ、獣王国に長居すればするだけ危険度は増していくので、結局は危険が伴う。
とはいえ、タピオが獣王国に帰り着いていないと仮定すれば、危険はない。
「一応、魔石と魔剣があるので、最悪こちらを売ることもできます。私としては、あまり売りたくはないんですけど……」
「大丈夫よ、それはローズちゃんのものだから、大切にとっておいて。竜の素材は遅かれ早かれ売るのだから、できればこっちを売った方がいいわ」
「それでも、最後の選択肢はあるので、あまり無理はしないでいきましょう」
無理に危険を冒さずとも、切り札があると思えば、心にゆとりをもって事に当たれる。
大事なことだ。
「では、ここは迅速に行動しましょう。さっさと船を見つけて、さっさと売り払って、さっさとこの国を出る。それでいいですか?」
「ええ。ちんたらしていても、良いことはないしね」
「うむ。狙われる危険がある以上、それが良い」
二人とも頼もしく頷いてくれる。
何か荒事があっても、俺にはこのオッサン二人がいるのだ。
どうなるにせよ、何とかなるはずだ。
「ローズ、話は纏まった? 結局どうすることにしたの?」
できればノシュカとは一日でも長く一緒にいたいが、そんな悠長なことは言っていられない。
出会いがあれば、別れもあるのだ。
早く館に帰ってみんなに会いたいし、テキパキ動いてそそくさとハウテイル獣王国をあとにしよう。
俺はノシュカに方針を説明しながら、そう思った。
♀ ♀ ♀
まずは船を探すことにした。
換金するにしても、本当にチュアリー行きの船があるのか、出航日はいつなのか、船賃は幾らなのか。
それが分からなければ、どうしようもない。
蒼穹に白雲が映える夏空の下、建物の間を吹き抜ける海風を浴びながら町中を歩く。色々と懸念事項は多いが、それでも初めて訪れた町はただ道を歩くだけでも楽しい。
俺はノシュカと手を繋いで、ワクワクする彼女と雑談しながら港湾部を目指す。
「あら……?」
「ベルさん、どうかしたんですか?」
ふとベルの訝しげな声が聞こえ、俺はすぐ後ろを歩くオッサンを振り返った。
そのとき、
「ンベェェェェェェェェェルゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!」
もの凄く間延びした大声が聞こえて、俺は再び前方に顔を戻した。
俺たち同様に、通行人たちも今し方の叫びに何事かと驚いているのか、道の先に注目している。
だが俺の身長では人垣のせいで見えない。
「ンベェェェェェェェェェルゥゥゥゥゥゥゥゥゥン、じゃないっかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
なんか若い男が道のど真ん中を駆け抜けてくる。
通行人たちは勢いに呑まれているのか、道端に寄って男に進路を譲っていた。
「あっらぁ、ヴィートちゃんじゃないのぉ!」
「おぉぉぉぉぉぉベェェェェェルゥゥゥゥゥン!」
カマ野郎はカマ走りで駆け出し、前方から両手を広げて走ってくる男に手を振る。そして二人はヒシっと往来の只中で抱き合った。
「ベルの知り合いかな?」
「……みたいですね」
やたらと大声でベルの名前を呼んでいたし、そうなのだろう。
まさかオホモダチじゃねえだろうな……?
何はともあれ、俺たちは数十リーギス先にいるベルに近づいていった。
ベルは知り合いっぽい若い男と、何やら嬉し楽しそうに話している。
聞こえてくる言葉は北ポンデーロ語だ。
「ベルさん、お知り合いですか?」
「あっ、ローズちゃん、ごめんなさいねぇ。つい驚いちゃって、思わず駆け出しちゃったわ」
「ん? な、なんだベルこの子は!? まさかお前の知り合いなのかっ!?」
リーゼを超えるハイテンションな様子で、なぜか俺を凝視してくる見知らぬ若造。年頃は二十代中盤といったところで、特にイケメンでもブサメンでもない。
そこそこ上背はあるが体格は並で、鍛えているような身体付きではなく、服装からしても普通の若造だ。ただ、男にしては長い金髪を後ろで一つに縛っていて、外見的な特徴といえばそれくらいだ。
というかベル、人前なのに俺のこと本名で呼んだな。
「ローズちゃん、彼はアタシのお友達のダヴィートよ。ヴィートちゃん、この子はローズちゃんっていって、少し事情があって最近一緒に行動してるの。あっ、ローズちゃん、ヴィートちゃんはとても良い人だから名前のこととか気にしなくてもいいわよ」
まあ、ベルがそう言うなら良い奴なんだろう。
少なくとも悪い奴には見えない。見た目は割とどこにでもいそうな若造だ。
俺はダヴィートという男を見上げ、とりあえず挨拶しようとした。
が、その前に野郎は石畳の道に片膝を突き、こちらと目を合わせてきた。
そして俺の右手を恭しくとると、先ほどと一転して落ち着いた様子で口を開く。
「どうも初めてまして、可愛らしいお嬢ちゃん。オレの名はダヴィート・デュルフルク。良ければヴィートと呼んでくれ」
そう挨拶する声はビックリほどのイケメンボイスだった。
先ほどはハイテンション過ぎて分からなかったが、並の女なら声だけで堕ちそうだ。
などと素直に驚いていると、いきなり手の甲にキスされた。
「ぅえ!?」
「ローズちゃん、だったね? 実に良い名前だ、服装と相まって凛々しくも愛らしい」
イケボ野郎はこちらの驚愕を華麗にスルーして、その美声で俺の名前を褒めてきやがる。
どうすれば良いのか反応に窮していると、不意に目の前の男が真横に吹っ飛んだ。
「ぶへぇあっ!?」
「また小さい女の子に声掛けてやがりますか、この馬鹿は」
俺の前からイケボ野郎がいなくなり、代わりに翼人のイケメン野郎が立っていた。ダヴィートより幾分か若そうなそいつは自らが蹴り飛ばした男のことなど見向きもせず、腰を屈めて俺を見つめてきた。
「大丈夫ですか、お嬢さん。あちらの変態に何かされませんでしたか?」
「あ、えっと……だ、大丈夫です」
「そうですか、それは良かった」
中性的な顔立ちのイケメン野郎は特に何の表情も見せることなく、淡々とした所作で頷き、立ち上がった。
そこでイケボ野郎ダヴィートが復活する。
「お前いきなり何すんだよハミルッ、すっげぇ痛かったぞオイィィィ!」
「うるさい黙りやがれ今のは当然の反応だろうが。いきなり叫びながら走り出したかと思えば年端もいかない女の子にちょっかい出している馬鹿を見れば誰だって蹴り飛ばす」
「オレはただ挨拶してただだけだっ! そうだろうベル!?」
これら一連の会話は全て北ポンデーロ語だ。
話を振られたベルはダヴィートの手を取って立ち上がらせながら、イケメン野郎を見た。
「そうよ、ヴィートちゃんは紳士的な挨拶をしていただけよ」
「……貴方は?」
「アタシはヒルベルタ、ヴィートちゃんのお友達よ」
「お友達……?」
どこか計りかねるように、並び立つオカマと若造を交互に見遣るイケメン。
ただし表情や声音に特段の変化はなく、なんだか全体的に素っ気ない印象を受ける人だった。
「そうだそうだぁっ、ベルはオレの大事な友達で同志なんだぞぉ! 分かったらお前も挨拶しろハミルッ! そしてオレに謝れぇい!」
なぜか腰に手を当てて威張り散らしながら、無駄なイケボで宣うダヴィート。
ハミルと呼ばれたイケメン翼人は一度目を閉じた後、ゆっくりと丁寧に頭を下げた。
「私はダヴィート様の執事をしております、ハミルと申す者です。以後、どうかお見知りおきください、ヒルベルタ様」
「あら、執事? 侍女じゃなくて?」
「――っ!?」
無表情だったイケメンが、大きく目を見開き、驚きを露わにする。
そこでダヴィートが声を上げて笑った。
「ハハハハッ、やっぱベル相手に性別は偽れないなぁ! 大丈夫だハミルッ、こいつは良い奴だからな!」
「そうですか。しかし今はひとまず場所を変えましょう。これ以上人通りにいてはいらぬ注目を浴びてしまいます」
「そうだなっ、とりあえずどっか店でも入るか! よぉぉぉっし、行っくぞぉぉぉベルゥゥゥ! 偶然の出会いにぃぃぃ……乾っ杯だぁぁぁっ!」
ダヴィートは叫びながら全身を小躍りさせ、駆け出した。
が、その直後、思いっきりずっこけた。
「へぶぁっ!?」
「良くやった、レンツォ」
淡々とそう口にするハミルの視線の先――地に伏せる若造の側には一人のガキンチョが立っていた。犬っぽい感じの獣耳と尻尾が見られ、自らが足を引っかけて転ばせた男を呆れ顔で見下ろしている。
「また一人で勝手にどっか行こうとしないでよ、父さん」
「だからって転ばせることないだろ!? ほら見ろお前っ、さっきの蹴りと今ので全身傷だらけだ!」
「自分勝手に行動しようとするから、半分くらいは自業自得だよ。それに、あとで治癒魔法かければ大丈夫だから」
テンションマックスで叫ぶ若造に、溜息混じりに言い返す獣人ボーイ。
見たところ俺と同じか少し上ほどの年頃だが、その物腰はなかなかに落ち着いている。
「ねえ、ローズ、何がどうなってるの?」
ノシュカが不思議そうに小首を傾げて、見知らぬ三人に目を向けている。
一連の遣り取りはほとんど北ポンデーロ語だったので、ノシュカはもとよりユーハにも何が何だか分からなかったことだろう。
しかし、俺も言葉が分かっただけで状況の方はよく分からない。
「さあ、何がどうなってるんでしょう……?」
ダヴィート、ハミル、レンツォというらしい三人の見知らぬ連中を前に、俺もまた首を傾げるしかなかった。
♀ ♀ ♀
近くにあった酒場に移動した。
まだ朝方だが、客入りは上々らしく、席は半分ほどが埋まっている。
赤ら顔の奴もいて、猥雑な雰囲気の店内は程良く騒がしい。
俺たち六人は一つの丸テーブルを囲み、適当に飲み物だけを注文した。
「いやぁ、まさかベルと会うなんてな、すっごい偶然だな! どうしたんだこんなとこで、こっちはお前の商圏じゃないだろ?」
「その前に、一度みんなで挨拶し合った方がいいわね」
「おぉっ、そうだな!」
ダヴィートは意気揚々といっても足りないほどのハイテンションで、俺たち三人に改めて自己紹介をした。それを俺がユーハとノシュカにエノーメ語とクラード語で訳して伝えていると、なんと野郎は二言語でそれぞれ挨拶し直した。
俺たちもベルを含めてダヴィートたちに自己紹介をする。
その後、若造は隣に座るイケメン翼人の肩を気安く叩いた。
「こっちはオレの優秀だけど小うるさいメイド、ハミルだ! まあ男装してんのはアレだ、魔女だとバレると何かと面倒だからなっ!」
「あ、魔女……なんですか?」
俺はイケメン翼人ハミルをまじまじと見つめてしまった。
どうやら男ではないらしいが……たしかに中性的な顔立ちだから、女と言われれば女にも見える。しかし、髪型は男にしてはややロンゲという程度だし、胸元も全然膨らんでないし、服装は完全に男ものだ。
紺色の羽毛と無表情に近い落ち着いた面差しからはクールな印象を受け、端然と座す姿はどこぞの貴公子めいている。見た目だけでいえば、同性にモテそうという点以外、オルガの姐御とはちょうど対照的な感じだ。
まさに男装の麗人という表現がぴったりで、オスカルと呼びたくなるな。
「ローズさんも、その名やクラード語を扱えていることから、魔女とお見受けしますが」
「まあ、そうですね」
「ウチもそうだよー」
俺たちはクラード語で言葉を交わし合った。
というか、ローズって名前だとやっぱり男装してる意味ねえな。
まあ、相手も魔女だから特に危険はないだろうが。
「こっちはオレの息子のレンツォだ!」
「へぇ、この子がそうなのね。養子って聞いていたけれど、なんだかヴィートちゃんに似てるわね」
「まあなっ、子は親に似るもんだし、顔もそのうち似てくるだろ!」
いや似ないだろ、遺伝子は変わらねえっての。
紹介された獣人のガキことレンツォが俺たちに目を向け、座りながら低頭した。
「はじめまして、僕はレンツォといいます」
北ポンデーロ語でそう言った後、今度はやや拙いクラード語でも同じように挨拶した。
しかしエノーメ語までは扱えないようで、ユーハには俺が訳して伝えておく。
伝え終わると、機を見計らったようにレンツォが話しかけてきた。
「あの、ローズさん、先ほどは父が迷惑を掛けたみたいで、すみませんでした」
俺と同い年くらいのガキなのに、ウェインやトビアと違ってなかなかに礼儀正しい。ちゃんと名前にさん付けしているし、親の不始末を子供がつけようとする姿勢は評価できる。
「いえ、貴方が気にすることはありませんよ」
特別サービスとして、ローズスマイル(Mサイズ)をくれてやった。
するとレンツォは少し呆けたように俺の顔を見つめてきた後、やにわに顔を赤らめて俺から目を逸らした。
「ハッハッハッ、一丁前に照れてるなぁ、こいつぅ!」
「ち、違うって、やめてよ父さんっ!」
「ところで、ローズちゃんはいくつなのかな? クラード語は上手だし、うちのマセガキより落ち着いて見える。ちなみにレンツォはつい前々節で九歳になった」
なぜかダヴィートは俺に話しかけるときだけ、やけに紳士な雰囲気を漂わせる。
まあ、俺は端から見れば十にも満たない幼女だし、気遣われるのは当然……だとは思うのだが、なんかそれだけじゃないような気もする。
「私は橙土期で八歳になりました」
「なるほど、八歳か。大変素晴らしい!」
なにが素晴らしいんだ。
いや……まさかこいつもロリコンなのか?
ベルの友達らしいし、十分にあり得る。
「ところでダヴィート様、ヒルベルタ様とはどのようなご友人なのですか? 先ほど同志とも仰っていましたが」
「それはさすがのお前にも教えられないなぁハミルゥッ!」
「…………」
中性的な美人がイラっとした感じに睨み付ける顔って、予想以上に迫力がある。
しかしダヴィートは柳に風で、ウェイトレスが持ってきた杯を受け取り、大きく傾けている。
「ハミルちゃん、私たちの前ではそう堅苦しくしなくてもいいのよ? あまり慇懃な態度でいると、周りの人たちにも怪しまれちゃうわ」
「しかし、ダヴィート様のご友人であられる以上、私には――」
「そうだぞハミルッ、ベルはオレの個人的な友達だからな! 家は全く関係ないんだから気にせず普通にしておけってっ!」
「……では、そうさせて頂きます、ヒルベルタさん。とりあえずお前はこんな時間からこんな強い酒を飲むな馬鹿がっ。ますます羽目を外されて迷惑するのはこっちなんだよ」
美青年っぽい美女ハミルの変わり身は早かった。
主であるはずのダヴィートの脳天をぶっ叩いてから杯を奪い取る。
俺はその遣り取りに少々気後れしつつも、口を開いた。
「あの、ダヴィートさんは貴族の方なんですか?」
「あぁ、そうだよ。ローズちゃんはリグレイン大公国って知ってるかな?」
「えーっと、名前くらいなら」
「そこのデュルフルクって侯爵家の三男坊が、オレだな。三男だから色々気楽なもんさ、こうして気儘に旅行もできるしな」
どうやら貴族のボンボンらしいが、あまりそうは見えない。
隣に座るハミルの方が雰囲気は貴族っぽい。
「それでだ、ベル。お前なんで南ポになんているんだよ?」
「うーん、一言では説明できないのだけれど……色々あってね。そういうヴィートちゃんはどうしたのよ?」
「オレは観光だっ、世界一デカい木っていう大樹ピュアラをこの目で直接見てみたくてな!」
ダヴィートは貴族の道楽息子といった感じか。
そして美女ハミルは魔女らしいので護衛兼メイド。
レンツォは養子らしいので一緒に連れてきたのだろう。
「それじゃあ、カーム大森林に行くつもりなの?」
「そうだっ、まあ中には入らないけどな! なんか色々と獣人たちがうるさいらしいし、ハミルに空飛んでもらうぜっ!」
若造の瞳は少年のようにキラキラしていた。
隣のレンツォより幾分も好奇心に溢れている。
たしかに大森林の大樹は一見の価値があると思うが……貴族のボンボンってみんなこんな感じなのか?
「…………」
「ん? どうしたベル? あっそうだ、この際だからみんなで見に行くかっ!」
一人勝手にテンションを上げるダヴィートの横で、ベルは何やら逡巡しているようだった。アイシャドウの入ったつぶらな目が俺に向き、床に置いたリュックにも向けられた後、口を開く。
「ところでヴィートちゃん、アナタ珍しい素材に興味はない?」
「なんだ藪から棒にっ、珍しいモンならオレは何でも興味津々だぞ!」
またベルが俺に視線を送ってきた。
今度は何度かウインクをして、何やらアイコンタクトを送ってきている。
キモかったが意味は十分に伝わってきたので、俺は頷いておいた。
「ヴィートちゃん、ちょっと耳貸して」
「お、なんだなんだ、内緒話かっ?」
無駄に嬉し楽しそうな様子のダヴィートに、ベルは両手で筒を作って耳と口を繋いだ。マッチョなカマ野郎がこそこそと内緒話をする構図とかシュールだな。
だが、獣人族は耳が良いので、周囲に話を聞かれるのを防ぐためには必要なのだ。
「…………なに?」
陽気すぎる笑みを浮かべていたダヴィートだったが、ふと表情を消してイケボによる呟きを溢した。
「ベル、お前が商談を嘘を吐く奴でないことは分かっているつもりだ。だが……本当なのか?」
「ええ、本当よ」
「どこで手に入れた?」
ダヴィートは表情を引き締め、遊びのない静かな口調で問いかける。
ベルが俺の方を見てきたので、少し迷いはしたが、頷きを返した。
「ここでは話せないわ。どこか部屋に移動しましょう」
「分かった」
先ほどまでと一転して、大人らしい反応をするダヴィートを、レンツォは訝しげな顔で見つめている。ハミルの方は特に変わりなく、無表情に近い素っ気ない様子のまま、黙って隣に座っている。
少し話し合った末、俺たちの泊まっている宿の部屋へと移動することになった。