第八十四話 『改めて帰路を行く』
央郷トバイアスを発った俺たちは巨大樹の森をひたすら北進していった。
案内役は猫耳のオッサンが二人で、当然こいつらも魔法士だ。
とはいえ道中で遭遇する魔物の大半は俺が片付けていったが。
途中でフェレス族の他の郷に立ち寄り、食料の補給とラノースの交換を行った。
同じラノースばかりを連日連夜に渡って酷使し続けていると、こいつらもへばっちゃうからね。
「やっぱりこの郷でも、なんだか微妙な反応でしたね」
「まあ、仕方ないでしょうね。所詮は人伝の話なのだし」
ベルはそう言って肩を竦めて見せる。
その言葉通り、補給地として立ち寄った郷での俺たちの扱いは、央郷トバイアスほど良くはなかった。案内役二人は伝令役でもあるようで、俺たちの存在の説明をするためにも、補給ついでに今回の件を他の郷にも伝えていた。
しかしリオヴ族やティグロ族、ハウテイル獣王国のことはともかく、俺たちに対しては当事者意識がないせいかあまり理解されなかった。
メリーも連れていないし、仕方がないといえば仕方がない。
「うぅ……ローズ、また治癒魔法お願い……」
「それはいいですけど、大丈夫ですか?」
「ありがとー……うん、まあ、今日を乗り切れば……」
道中で二日ほど、ノシュカは顔色の悪い日があった。
実はリオヴ族の央郷ザカリーでも、真相判明後の滞在期間中、笑顔美人の笑顔が不調な日はあった。
「んー、これはアレだね……ローズもあと何年かで分かるよ。ウチはちょっと重い方らしいけど、二日目だけだからね……」
「…………」
前世の俺なら、まさに他人事のように「女は大変だなぁ」くらいにしか思わなかっただろうが、今は違う。ここ数年は女だらけの館で生活していたから、たまに意識したりはしていた。
でもクレアたちはみんなノシュカほど顔に出していなかったし、俺はまだまだ先のことだから大丈夫だろうと軽視していた。
姐御も特にあの日は感じさせなかったしね。
しかし、これは……なんか大人になるのが怖くなってきたよ。
そんな感じにノシュカが女性特有の苦しみに苛まれつつも、ラノースに同乗した俺たちは色々と話をした。俺はエノーメ大陸にいた頃のことや魔大陸での生活、猟兵のことを話し、ノシュカからは森での日々だったり、南ポンデーロ語を教えてもらったりした。
移動中はやることがなくて暇だから、魔物の撃退か雑談くらいしかすることがない。ノシュカは明るい性格からも分かるとおり、お喋りな姉ちゃんなので退屈はしなかったが。
「では師匠、よろしくお願いします」
「うむ」
移動中、日が沈んで野営の時間になってからは剣術稽古をしていく。ここ最近はしていなかったら、勘が鈍りきる前に近接戦の練習をしておく必要がある。
焚火とノシュカの光魔法を光源に、ユーハの愛刀と俺の魔剣を交わらせていく。
四年前然り、ユーハの破魔刀《蒼哀》は魔法に対する耐性が高いので、魔剣と打ち合っても刃毀れ一つしない。
「ねえねえ、ローズローズ、ウチも稽古してみたいな」
ノシュカも初めての魔剣を手に、少々ぎこちなくユーハと稽古した。
彼女は短剣の扱いならそこそこらしいので身体は良く動くし、獣人だから動体視力も反射神経も良いのか、普通に俺より強そうだった。
十六日目、森境にほど近いらしい郷に到着して、そこで央郷トバイアスから道中を共にしたオッサン二人と別れた。
名前はサロモとブレットだ。二人とも良い奴だった。
それからはその郷のオッサン二人が道案内を交代して、更に北へ北へと進んでいき……央郷トバイアスを出発して十八日目で、ようやく見慣れた巨大樹ばかりの光景から、草原風景に切り替わった。
そこからハウテイル獣王国領らしく、俺たちは道案内役に先導されて丸一日、ラノースに草原を走らせた。
そして十九日目の夕方に、ようやく町並みが見えた。
「おぉー、なんか凄い立派な建物がいっぱい見えるよローズ!」
遠目に映る町の様子にノシュカは無邪気に歓声を上げて喜んでいる。
案内役のオッサン曰く、バドールという名前の町らしく、フェレス族の者たちも何人か住んでいるらしい。ハウテイル獣王国は森を脅かす可能性があるから、フェレス族に限らず他部族も日頃から警戒し、情勢を見極めるために偵察隊を送り込んでいるそうだ。
森境近くの郷では、一期おきの交代制で男たちを獣王国へ送り込み、町に滞在させているという。
日暮れ頃、案内役のオッサン二人と共にバドールに入った。
町に壁はなかったので、検問なんかもなく、すんなりと町の猥雑な空気の一部となれた。ノシュカ経由で軽く町の説明をされながら歩いて行き、最後に猫耳なオッサンは頭を下げた。
「ここは信頼できる宿だから、今日はここに泊まると良い。何か分からないことがあれば、先ほど教えた家を訪ねてくれ。フェレス族をハウテイル獣王国の奸計から救って頂いたこと、感謝する」
森境に近く、実際に獣王国へ偵察隊を出している郷の人だからだろう。
ハウテイル獣王国に対する警戒意識が高く、森境からある程度離れた郷の人々と違い、案内役の彼らは俺たちを割と歓迎してくれていた。
フェレス族の郷は二十以上あるらしいし、住む郷が獣王国に近いか、他部族領に近いか、外海に近いかなどで意識に差があるのだろう。
その辺りは国家と同じで、同じ国に住まう民だろうと生活地域によって風習や常識に差異が生じるのは自然なことだ。一口にフェレス族といっても色々いて、安易に一纏めにはできないらしい。
そう考えると、フェレス族を纏める族長ヤルマルの凄さを今更ながらに実感する。
「こちらこそ、どうもありがとうございました」
俺たちは礼を言い、乗ってきた三頭のラノースを引き渡して彼らと別れた。
この町にはフェレス族の偵察拠点があって、二人はそこに泊まるのだそうだ。
ここから先はフェレス族のサポートなしに独自に動いていくつもりだが、何かあれば頼らせてもらおう。
もうすっかり暗くなってしまったので、その日は宿で夕食を摂り、俺たちは身体を休めた。
♀ ♀ ♀
翌朝。
俺たちは宿で朝食を摂った後、まずは部屋で今後の活動方針を確認することにした。
「なにはともあれ、着替えですね。全員、服は着替えてしまった方が良いでしょう」
「そうね、目立たないようにするには周りに溶け込まなくちゃいけないし」
頷くベルに、ノシュカも笑顔でうんうんと同意している。
たぶんこの姉ちゃんは外の世界の服を着るのが楽しみなんだろうが、俺たちにとって目立たないようにするのは死活問題に直結する重要なことだ。
デブタヌキ獣人タピオは央郷ザカリーからラノースで逃亡したと聞いている。
あれからもう三節ほど経つし、奴が逃げ切ったのなら、もう既に獣王国へと帰還して国に色々報告していることだろう。そして幼竜という希少生物とユーハの愛刀である破魔刀《蒼哀》を奪取するべく、俺たち三人は指名手配されている可能性が高い。一国家からすれば、どちらも喉から手が出るほど欲しいに違いない代物だ。
翼人がいるので情報の伝達速度は速いはずだし、とりあえず何をするにしても変装は必要だった。
とはいえ、ユーハはもうある程度なら変装できている。
大森林を移動中に眼帯は黄色い布地を取って革の茶色に変えてあるし、髪も切った。もうパッツンヘアーは卒業し、今ではこざっぱりとした男らしいショートヘアーだ。
以前までと比べてユーモアさが減って、もう普通の眼帯中年にしか見えない。
我ながらなかなかの出来映えだよ。
「服を買った後は運送屋さんに行って、空輸人の予約をしましょう。でも魔大陸行きの船がどの港町から出ているかは分かりませんから、服を買いながら情報収集もします」
「うむ、やはり言葉の分かるノシュカがいてくれて助かるな。某は役に立てそうになく、申し訳ないが……」
「ユーハさんはいてくれるだけで意味がありますから。危ないときには私たちを守ってくださいね」
俺は思わずスマイルを見せながら慰めるように言ってしまったが、ユーハは特に鬱っているわけではなかった。
央郷ザカリーで黒幕の一人であるクーバルを自身の手で捕まえたおかげか、以前より更に鬱の闇が晴れているのだ。通常時の鬱度は5%から10%くらいだろうか。
もう名残くらいしか感じられないので、治ったと言ってもいいくらいだ。
それでも、オッサンは約六年にわたって鬱をこじらせていた。
精神的な病はなかなか完治するものじゃないっていうし、道中でも物思いに耽ったりする姿はたまに見掛けていた。
今後もこれまで通り気を配った方が良い……とは思うが、もう十分だろう。
あまり俺の存在に依存させるのもダメだし、あとは自力でどうにかしてもらうのが本人のためだ。下手をすればまた鬱がぶり返すかもしれないが、そのときはそのときだ。
おめでとうユーハさんっ、貴方は晴れてRMCを退院しましたよ!
「着替えと予約を済ませたら、猟兵協会に行ってノシュカの登録をしましょう。状況的に大丈夫そうなら、魔物を狩りに行ってみるのも良いでしょう」
「森の外だと、魔物を狩るとお金が貰えるんだよね? それって凄いよね、どんどん狩ってお金持ちになれるよ!」
「魔法が使えれば魔物狩りも簡単ですが、魔女という立場は色々厄介です。ノシュカもあまり大々的に自分が魔女だと言わない方がいいですよ」
「うん、それはもうよく分かってるよ。ローズが何度も何度も説明してくれたからねー」
ノシュカは少し辟易とした、苦味のある笑みを覗かせた。
この町バドールまでの道中で、俺はしつこいほどノシュカに注意してきたのだ。
《黄昏の調べ》のことを殊更にヤバイ組織だと教えて、恐怖心を煽ってやった。彼女は暢気なところがあるから、それくらいでなければ警戒心を抱いてくれなさそうだったが……うん、この調子なら大丈夫そうか。
「こういう方針で動くってことで、皆さんいいですか? なんか生意気にも私が仕切っちゃいましたけど……」
「全然生意気なんかじゃないわっ、ローズちゃんはローズちゃんの思うとおり行動して! 間違っているところがあったりしたら、アタシたちがちゃんと教えるから大丈夫よっ!」
「うむ、ローズはしっかりしておるし、これも良い経験となる。仕切りたければ、遠慮することなく仕切ってくれて構わぬ」
「あぁ……これよ、この成長する姿……幼い心が旅をすることで大きく成長する……そしてアタシは間違った方向へ進まないように、そっと手を添えて支えてあげるの。なんて素敵なのかしらっ!」
ユーハの言うとおり、これは良い経験になる。
ロリコンのことは知らん。
「ウチはまだまだ知らないことが多いから、とりあえずローズたちに任せるよ。港町からは一人でやっていくんだから、たくさん勉強させてもらうねー」
ノシュカも問題ないようだし、俺が色々考えて率いちゃっても問題ないか。
しかし……我ながら意外なんだが、これから魔大陸までの帰路を旅するのだと思うと、少しワクワクする。それに何より、自分で考えて判断を下し、自分から率先して動いていきたいっていう気持ちが強い。
前世では引きこもりのパラサイト生活だったし、リュースの館ではクレアたち大人が色々やってくれていた。その反動か、あるいは俺も成長したからか、世界という大きなものに自らの意志で向き合っていくことに対して、不安以上の楽しみがある。きっとノシュカも同じような思いを抱いているはずだ。
「それじゃあ、行きましょう」
俺はまず真っ先に立ち上がり、行動を開始した。
♀ ♀ ♀
何はともあれ服だ。
宿の主人にノシュカが服屋の場所を聞いて、四人で宿を出る。
「昨日はちょっとしか見れなかったけど、やっぱりいろんな人がいるね-。普通に獣人以外の人も歩いてるし」
「それでも、獣人は多い方だと思いますけどね」
青々とした空の下、そこそこ活気のある町中には様々な人が見受けられる。
比率としては獣人が多く、だいたい半数以上は獣耳と尻尾の生えた人で、人間や翼人はその中に紛れている感じだ。
「あの、ベルさん、ハウテイル獣王国ってあまり栄えていない国なんでしょうか?」
俺は木造建築ばかりの町並みを眺めながら、大柄なオッサンに訊ねてみた。
帝国や魔大陸の町でも木造の建物はもちろん見られたが、石造りの家々も多かった。この町バドールはディーカより幾分も見窄らしく、規模もそれほど大きくはない。
「んー、そうねぇ……物価でいえば、南ポンデーロ大陸の国々は世界でも安い方よ。だから他の大陸の国々と比べると、あまり栄えていないように見えてもおかしくないと思うわ」
「魔大陸より安いんですか?」
「いえ、魔大陸より少し高いくらいじゃないかしら。魔大陸は資源が豊富だから、町はしっかり作られているって聞いていたし」
たしかベルは市場視察も兼ねて魔大陸の地を踏んだのだったな。
俺たちのせいで悪いことをしてしまったが……まあ、これは俺がいま考えても仕方ない。
俺はベルから聞いた話をノシュカに訳して聞かせてあげた。
彼女は割と真剣な様子でふむふむと頷いていたが、そこで俺は念のためダメ押ししておいた。
「ノシュカ、今は普通にクラード語で話してますけど、お店に入ったら注意してくださいね」
「うん、分かってるよ。魔法語で話してると、魔女だって分かっちゃうもんね」
通りでは多くの人が行き交い、雑音に紛れるから未だしも、店内や人前だとどうしても目立ってしまう。だが南ポンデーロ語が分かるのはノシュカだけだし、クラード語が分かるのは彼女と俺だけだ。
服屋での会話は必要最低限に、こそこそとした方がいい。
俺は男装装備に着替えれば野郎魔法士として振る舞えるから大丈夫になるが、ノシュカは男装しても身体付きで女だと分かってしまう。
この笑顔美人さんにはあまり目立たないでいてもらおう。
「それと念のため、人前では互いの名前を呼び合わないようにしましょう。私たちの名前も人相同様に広まっているはずです」
「ローズは心配性だねー」
「森とは違って、外の世界は色々と恐ろしいんですよ」
そんなことを話ながらしばらく歩いて、服屋に到着した。
本当は市が開かれていれば良かったんだが、今日は開かれていないらしい。
店舗では良品が多い反面、それだけ値段が高くなる。
「いらっしゃいませ」
簡単な南ポンデーロ語だったので、店員の定番フレーズくらいなら俺でも分かった。が、それ以降の「どんな服をお探しでしょうか?」的な言葉は分からなかったので、ノシュカに適当に相手をさせる。
彼女は店内をキョロキョロ見回したり、落ち着きなく色々と服を見て声を上げており、その姿は田舎から出てきたおのぼりさんそのものだ。
まあ、服装からして森の住人然としているから、言動以前の問題だが。
「ユーハさんとベルさんも、なるべく安い服でお願いしますね」
「うむ、某の着るものなど安物で構わぬ。その代わり、ローズはきちんとしたものを着るのだ」
「そうね、ローズちゃんが男の格好しちゃうのはちょっと複雑だけれど……でも女の子なんだから、男装しようと服装には気を遣わなくちゃね」
ベルはキモいウインクを添えてそう言ってきたが、ふと身体を縮めてモジモジし始めた。
なんだいきなり、催したのか?
「ところで、その……ほら、アタシもオンナじゃない? だから身形には気を遣いたいのよね」
「え、あ、まあ、そうですね……?」
「でもアタシ、服は安いものでいいから、早くお化粧したいのよ! これ以上すっぴんのままでいるのなんて、恥ずかしくて耐えられないの!」
「…………」
まあ、ベルが強く望むのなら、化粧品くらい買ってもいいだろう。
あとで靴屋にも行く予定だし、そのついでにどっか適当な店でね。
とはいえ、この世界の平民は前世のように常日頃から化粧なんてしない……と思う。ノシュカはもちろんすっぴんだし、クレアとセイディは町へ出るときたまにしていた程度だ。
オンナはオンナで色々大変らしいね。
俺とユーハは買う服を手早く決めた。
既に紅火期に入っているし少々暑いが、長ズボンと半袖シャツ、長袖の上着を選んでおいた。旅に半袖半ズボンだと手足に生傷とかできそうだし、虫も多いから、それらの対策としてなるべく肌は露出させたくなかった。
服は全て男ものだが、色合い的にも男っぽくしたかったので、どれも黒と紺を基調としたものだ。紅い髪と合わされば、ちょっとダークな感じになって幼女には見えなくなる……はずだ。
ノシュカは店員とアレコレ楽しそうに会話しながら、色々と手にとって選んでいた。ベルも何かと悩んでいるようで、俺とユーハに「これはどうかしら?」とか聞いてくる。
オンナの扱いは男に任せておいた。
それでも、だいたい三十分くらいで服の購入は済んだ。
俺たちは試着室でそのまま着替え、これまで着てきた服は買い取ってもらった。
シャニエラさんのお手製らしいトスカの服は惜しかったけど、どうせ成長したら着られなくなるんだし、泣く泣く手放した。
髪飾りだけは売らずにベルのリュックに仕舞っておいたが。
さて、問題のお金だが、現在の俺たちの所持金は10万グルエだ。
これは族長ヤルマルとニエベス婆さんからの指示により、森境近くの郷で頂いたもので、当面はこれが活動資金となる。竜の素材セットはタピオのせいで換金し難いし、なんとか10万グルエで港町まで行きたい……と思っている。
「ありがとうございました」
店員に挨拶されながら店を出た。
お会計はベルが値段交渉をして、最終的に4000グルエの出費となった。
内訳としては、全員の服(ズボン、シャツ、上着)で4800グルエ、全員分の下着一枚(ノシュカはブラジャーも)で700グルエ、そして服の買取価格が1500グルエだった。
服屋近くの靴屋にも行って、全員分の靴も新調した。
白竜島とカーム大森林の日々で靴の摩耗が激しく、もうボロボロだったのだ。ノシュカも大森林仕様の簡素なサンダルだったから、もっとフォーマルかつ丈夫な品に買い換えた。靴もベルが値段交渉をして、全員分で2500グルエとなった。
「ベルさんのおかげで1000グルエくらい得しました。凄いですね、ありがとうございます」
「どういたしましてぇ。でも、地元のお店ではあまり真似しちゃダメよ? 一度しか訪れない旅先のお店なら、多少強引に値引きさせても後腐れがないけれど、住んでいる近くのお店だと周りのお店でも噂になっちゃって、印象悪くなっちゃうから」
「なるほど」
社会とは人とお金で構成されている。
金銭の問題は人間関係にそのまま響いてくるし、長い目で見れば定住地では自重した方が良いのは明らかだ。
ノシュカにも伝えてやると、ふむふむと頷いていた。
まあでも、結局は化粧品の出費で値引き分なんて吹っ飛んでいったけどな。
ベルの化粧品代はしめて5000グルエだった。
これでも相当に自重したらしく、たしかに店では一個1万グルエの小瓶とか普通に置かれていた。この世界でも美容品は高いらしい。
「そういえば、これから私のことはまたレオンと呼んでください。せっかく男装したのに、人前でローズと呼ばれては意味ないですから」
「うむ、承知しておる」
「……分かったわぁ」
ユーハはともかく、ベルの表情は少し複雑そうだった。
このオカマとは若葉号で性差について色々話をしたし、思うところがあるのだろう。
「うん、分かったよー」
ノシュカにもクラード語で名前の件を伝えると、彼女はいつも通り笑顔で頷く。
が、それからおもむろに簡単にメイクしたマッチョなオッサンの面をジッと見つめて、言った。
「なんか、ベル……変な顔になったね」
何とも言い難い微妙な表情を見せるノシュカ。
ベルのためにその感想は訳さず、俺の胸の内に留めておいた。
「ところでさ、ウチの格好ってどうかな? 変じゃない……?」
「似合ってますよ。前の軽装も良かったですけど、こっちも十分似合ってます」
以前のノシュカはスポーツ下着めいた布地の少ない民族衣装っぽい格好だったが、今は割と普通だ。町中で見掛けても違和感は全く覚えないだろう。
「ローズも――じゃなかった、レオンも似合ってるよ。可愛いというより格好良いね」
「……ありがとうございます」
あれ、なんだろう……?
格好良いって言われて嬉しいはずなのに、あまり嬉しくなれない。
これまでに色々な人から何度も可愛いとは言われてきたが、そっちの方が幾分も嬉しく思えた気がする。
俺は身体的には女なんだから、その容姿を賞賛する言葉は「格好良い」より「可愛い」が適当だ。だから「格好良い」より「可愛い」という言葉に喜びを覚えても何らおかしくはない。
しかし……うーむ、いかんな……もう訳が分からん。
ただ確実に言えることがあるとすれば、俺はまだ「俺」だが、そのアイデンティティが着々と女々しさに浸食されていることだ。いつか女々しさに呑み込まれるのか、それとも上手く融合して女々しさを備えた「俺」になるのか。
こればっかりは自分でもどうなるのか未知数だな。
予期せずして自身の性問題に悩まされながらも、俺たちは翼人タクシー会社に到着した。四人で中に入り、まずは港町のことなどについて話を聞いてみる。
すると、どうやらハウテイル獣王国から魔大陸への直行便はないらしい。
受付のオバサン曰く、
「ザオク大陸の東部へは、まずチュアリーっていう港町を経由するのが一般的みたいですね。チュアリーはこの大陸の南西部にありましてね、ザオク大陸東部への便はチュアリーから出ていますね。この辺りだと、そうですね……ここから北西の方にあるクレドという町が比較的大きな港町ですし、そこならチュアリー行きへの船が見つかるでしょうね」
地図を見せてもらいながら説明してもらうと、たしかに港町チュアリーは魔大陸東部に最も近い位置にあった。
つまり俺たちはまず港町クレドに行って、港町チュアリー行きの船を探す。そしてチュアリーから魔大陸行きへの船に乗り換える……といった感じになるっぽい。
「ちなみに、クレドからチュアリーまでの船賃っていくらくらいか分かります……?」
「すみませんね、そこまではちょっと分からないですね。ただ、この町からクレドまでだと、うちなら四人で6万グルエになりますね」
船賃は分からなかったが、タクシー代は分かった。
にしても、やっぱ高いなおい。
一人当たり15000グルエかよ。
ここバドールからクレドまで徒歩で行くと、だいたい三十日前後ほど掛かるらしい。それが翼人タクシーなら、急げば一日と掛からず、遅くとも二日掛ければ余裕で行けるという。
翼人タクシーにはベルの値段交渉が効かず、俺たちは6万グルエで納得して予約した。出発は明後日の朝になるそうで、思ったより少し早かったのが幸いだ。
「どうして翼人の運送屋さんって高いんでしょう?」
店を出て、次は猟兵協会へ向かうことになった道すがら、俺は物知りベルさんに訊ねてみた。
「アタシが聞いたところによれば、魔物対策のためですって」
「魔物対策…………あっ、なるほど」
「ん? ねえ、どういうこと?」
言われてみれば納得できることだったが、まだ常識に疎いノシュカには分からなかったようだ。
俺はベルの代わりに、ノシュカに説明してやった。
「地上を移動するには街道を通ります。でも、街道にも魔物は現れます。ここまではいいですよね?」
「うん、もちろん」
「空から行けば早く移動できますけど、人や物はそう多く運べません。大量のものを運ぶには、馬車で地上を行くのが一番です。なので地上の魔物――街道近くの魔物はできるだけ減らしておきたいですよね?」
「えーっと、つまり、町から町への移動には普段から地上を行かせて、常に魔物の数を減らしておきたいってこと……?」
「そうです。ついでに盗賊なんかもですね」
道というのは人通りが少ないと荒れるものだ。
石畳で舗装でもされていないと、そのうち地面から雑草が生えてきて、硬く踏みならされた路面が次第に柔らかくなり、そこに雨でも降れば酷くぬかるんで悪路になる。それだけなら未だしも、街道近くの魔物が繁殖してしまい、通行人単位の危険度が増す。人通りが多ければ、それだけ魔物に襲われる頻度も分散されて、結果的に安全な道となる。
それに、町から町へと移動するのはだいたいが旅人か商人か猟兵だ。
猟兵を例にとって考えてみると、町から町へと移動する際には日数同様に必要経費も気にするだろう。三十日掛けて地上を行くか、二日で空を行くか。
行動次第では空からの方が安くなる。
例えば、猟兵の一日の稼ぎを1500グルエと仮定してみる。
空から二日で移動できれば、二十八日間も時間に余裕ができて、その間に毎日仕事をしたとしよう。すると4万グルエ以上も稼げることになり、食費や宿代を引いても、2万グルエくらいは残るだろう。
もちろん、地上を三十日間歩いて移動しても、その道中で魔物狩りはできる。しかし持てる素材に限度はあるし、町から離れすぎるとそれだけ危険で、野営に関しても同様だ。
猟兵が金と安全を考慮すれば、町から町への移動には翼人タクシーを利用した方が断然良い。だからタクシー代を安く設定すると、みんな空から行こうとして、地上を行く奴が激減する。
その結果として、街道には魔物が多く出没するようになるだけでなく、地上を行くのが大荷物を抱えた商隊などに限られるようになり、それを狙った賊徒も増える。
「町の商業組合なんかでは市場の均衡を図るために、商品の最低価格を取り決めておくことは良くあるわ。運送組合でも最低運賃が国や地域ごとに決められているのでしょうね」
「それじゃあ……町にお店を構えないで、秘密裏に格安でやってる人も当然いますよね?」
「そうね。でも、そういう人たちってあまり信用できないでしょう?」
「できませんね」
自分の身体を預けることになるのだから、信用は第一だ。
マッチョメンならともかく、女子供だと下手をすれば誘拐されて奴隷にでも堕とされそうだ。
しかし、やはり翼人タクシー業界一つとっても仕事ってのは大変そうだな。
時間と金、魔物と安全、需要と供給……きっと他にも色々と理由が絡み合っているのだろう。
翼人タクシーという特殊な移動手段は、社会にとって薬にもなれば毒にもなる。
「なんていうか……外の世界って、色々大変なんだね」
俺もノシュカの感想には大いに共感できた。
♀ ♀ ♀
ノシュカの猟兵登録はあっさりと済ませた。
彼女は猟兵協会に入っても、相変わらず物珍しげに視線をきょろきょろさせていた。俺も異国の猟兵協会には興味があったので観察してみたが……建物そのものの外観はともかく、内部の構造なんかはほとんど一緒だった。
「ユーハさん、エノーメ大陸の猟兵協会もこんな感じでしたか?」
「うむ、どこもそれほど変わらぬようであるな」
猟兵協会は全世界的な組織だし、規格とかはある程度統一されているのだろう。
尚、ノシュカのついでに俺たちの猟兵証も新しく作っておいた。俺のもユーハのもベルのも、ベルの若葉号と共に海の藻屑と化してしまったのだ。
三人とも十級からのスタートだ。
ちなみにカードに記載される名前は変わらずローズのままにしておいた。
性別と年齢は《聖魔遺物》で判別するから、男装しても意味ないしね。
猟兵協会を出た後、ひとまず休憩することにした。
目に入った露店で、なんと焼きおにぎりが売られていたので購入し、町を貫く川の畔で頂くことにする。
「これからどうしましょうか? 時間はありますし、魔物でも狩りに行きますか?」
「アタシは別に構わないのだけれど……この町の周りは田畑ばかりだったから、魔物を狩ろうと思ったら郊外まで出なくちゃいけないわ。でも昨日着いたばかりで明後日出発だし、少し身体を休めた方がいいと思うわよ」
「うーん、体力は有り余ってるんですけど、たしかに休息も必要ですよね……」
出発が明後日というのが微妙にネックだ。
明明後日だったら、今日は休息、明日は魔物狩り、明後日は休息という予定でいけたのに。ノシュカのために一度は魔物狩りをしておきたいが、今日はそろそろ昼になるし、時間的に中途半端だ。
「そういえば、自由に使えるお金はあと幾らあります?」
みんなの金庫番ベルに訊ねてみる。
オッサンは紅を差した口でおにぎりにかぶりつこうとしていたのを止め、思案する間もなく即答した。
「今度の食事代を含めて、あと15920グルエね」
猟兵登録料が一人1500グルエ、焼きおにぎりは一個20グルエだった。
宿代は一人一泊800グルエで、今日明日の二日分も当然引いてあるはずだ。
食費は1500グルエもあれば、今夜と明日は十分に食っていける。
どうやら今はまだ金に余裕があるようで、一安心だ。
「――ん?」
ふと川向こうの通りを行く大きな馬車に意識が向いた。それは巨大かつ異様な馬車で、荷室が鉄格子製になっている。その中にはぐったりした感じの人間や獣人の男女が二十人ほど押し込められていた。
それを見て、俺は思い出した。
「あの、この後は奴隷商館へ行きましょう」
「あら、急にどうしたのローズちゃん?」
「なるほど、レオナを探すのであるな」
ベルは首を傾げたが、ユーハはすぐに納得したようだった。
俺はベルとノシュカに軽く事情を説明した。
するとカマ野郎はせっかくの化粧を涙で崩してしまう。
「う、うぅ……なんて、なんて健気なのかしら……それにローズちゃん、昔は奴隷だったのね……でも今はこんなに立派に明るく……そういうことなら是非とも行きましょうっ、行って奴隷商の奴に知りうる限りの情報を吐かせるのよっ!」
「ローズも色々あったんだねー」
張り切るベルに、温かい眼差しを送ってくるノシュカ。
俺たちは焼きおにぎりを堪能した後、露店のオッチャンに奴隷商館がどこにあるのか聞き、目的地へと向かっていった。
♀ ♀ ♀
まあ、なんていうのかね。
当然の如くレオナの姿はなかったよ。
こぢんまりとした奴隷商館にはあまり奴隷がおらず、その全てが人間か翼人だった。ノシュカ経由で店員に話を聞いてみたところ、この町は森に近いから獣人は売っていないのだそうだ。奴隷が逃亡して森に逃げ込まれれば、厄介だからだろう。
それはともかく、レオナだ。
半竜人はもとより竜人の奴隷が相当に希少なのは俺も十分知っている。
だから大々的に売ることはないし、こんな小さな町に入荷するはずもないことは分かっていた。
「えーと、元気出しなよローズ。もしかしたら、もう奴隷になんてなってなくて、どこかで幸せに暮らしてるかもしれないし」
「落ち込むことないわローズちゃん! 希望を捨てずに、これからも探していけば良いのよ! 次はクレドっていう港町で探してみましょうっ!」
二人とも俺を慰めてくれた。
その一方で、ユーハは優しげな左眼でただ俺を見守っている。
みんなの気遣いは嬉しかったが、俺はそこまでショックを受けていなかった。
むしろ「あぁ、やっぱりいなかったか」程度の感想しか抱けなかった。
それでも三人とも俺に気を回してくれているのは、俺の表情に影がしているからだろう。
しかし、それは俺が別のことにショックを受けていたからだ。
レオナのことに本気になれない自分にこそ、俺はショックを受けていた。
俺の心は以前ほど強くレオナを求めていないのだ。
奴隷商館を確認するのだって、奴隷の乗った馬車を見て思い出し、感情ではなく理性に従って有無の確認をした。
もしかしなくても、時間が俺の心を腐らせていた。
正直、もしレオナとリーゼのどちらか一人を選べと言われたら、俺はリーゼを選んでしまう。レオナのことはもちろん大切に想っているが、既に彼女は俺の中で思い出になりかけているのだ。
それを理屈ではなく心で実感してしまって、俺はショックを受けていた。
「……猟兵協会に、行きましょう。今日中に動いて、明日はゆっくり休みましょう」
嫌な思考を振り払い、三人にそう言って猟兵協会へ足を向けた。
協会の掲示板で適当な依頼を見繕い、昨日教えて貰ったこの町におけるフェレス族の拠点を訪ねてラノースを借りた。
ラノースは主に馬より足は遅めだが、多少の悪路なら走れてしまえる柔軟性がある。もちろん南ポンデーロ大陸でも馬は普通に利用されていて、レンタルも行っていたが、無料でラノースが使えるのならラノースで十分だった。
人気の無い丘陵地まで走り、魔法を使って狩りをして、素材を剥ぎ取って猟兵協会に持っていった。
ノシュカは猟兵協会のことを大まかに理解できたらしく、喜んでいた。
その後すぐに適当な酒場で晩飯の米料理を食い、宿に帰った。
昨日もだったが、部屋は三人部屋で俺はノシュカとベッドを共にする。
ユーハは枯れてるし、ベルは去勢済みだから、いちいち部屋は男女別にしなかったのだ。
「おやすみ、ローズ」
「はい、おやすみなさい、ノシュカ」
俺はノシュカの身体に密着しつつ、目を閉じた。
未だ見ぬ世界や新しい町にはワクワクするし、ノシュカと一緒にいるのは楽しい。色々と好奇心を刺激されることも多くて、最近はとても充実している。
しかし、そう感じる一方で、俺は早くみんなに会いたかった。
あの住み慣れた館に帰って、アルセリアがちゃんと元気になったか確認して、みんなで風呂に入りたかった。
レオナのことより、リーゼたちみんなの方が気掛かりで、俺は軽く自己嫌悪に陥りながら眠りに就いた……。
♀ ♀ ♀
翌日は身体を休めた。
ここ最近はラノースでの移動、そして明日は朝から翼人に抱えられて飛行する。
実際に手足を動かしていなくとも、疲労感は溜まってしまう。
宿の部屋でゴロゴロしたり、町へ散歩に出掛けたり、その日はのんびりと過した。ただ、ノシュカは一人で一日中町を探検していたようだが。
田舎から出てきたばかりなので危ないとも思ったが、彼女は魔女だし、身体能力もそこらの凡夫よりは高い。
案の定、夕方頃には無事に帰ってきて、みんなで晩飯を食べに行った。
「食べたことないものとか、見たことないものとか、たくさんあるね。他の大陸とか行ってみたら、きっとまだまだ知らない色んなものがあるんだろうねー」
食事中、ノシュカは未知への期待に幼女の如く瞳を輝かせてニヤけていた。
本当にこの笑顔美人さんはいつもニコニコ明るくて、いるだけで場が華やぐ。
俺も彼女を見習って少し暢気になり、明るく朗らかにいこう。
あまり考えすぎたり警戒しすぎたりしても、気疲れして身が保たん。
「ノシュカは私たちと別れた後、どこに行くのかとか決めてるんですか?」
俺は雑炊めいた煮物料理をパクつく合間に、適当に話を振ってみた。
するとノシュカはモグモグと咀嚼しながら悩ましげな顔を見せる。
「んー、そうだね、まだ迷ってるんだけど、とりあえずこの大陸の国々を回ってみようかなと思ってるよ。その後のことはまだ分かんないや、ウチこの大陸の言葉と魔法語しか話せないし」
「どこか具体的に行きたい場所とか見てみたいものとかはないんですか?」
「見てみたいものかぁ……そういえば、氷都リーレイってところは行ってみたいかな。前にニエベス様から、大昔に放たれた神級水魔法の氷が今でも残ってるって聞いたんだけど、それって本当なのかな?」
「本当だと思いますよ。私も本で読んだことありますし、物知りなお婆様からも聞いたことがあります」
氷都リーレイは北ポンデーロ大陸にあるクアドヌーン王国という国にあるらしい。曰く、神級魔法以外では溶かすことも割ることもできず、《聖魔遺物》の魔剣を使ってなんとか傷つけられる程度の硬度を誇るらしい。
俺も魔法士の端くれとして、一度くらいは見てみたいな。
「そういえば、やっぱりアタシたちって、今のところ特に指名手配とかはされていないみたいね。この分なら何事もなく国を出られそうで、良かったわぁ」
「タピオはまだ国に帰れていないんでしょうか? それかリオヴ族に捕まったのか」
「どちらにせよ、危険が少ないだろうことは良いことだ。無論、油断はしない方が良さそうではあるが」
昨日と今日で色々と情報を集めた結果、ベルの言うとおり、危惧していた事態にはなっていないようだった。だから少しは安心して良いはずだが、ひとまず船に乗るまでは留意しておくか。
にしても、あのタヌキオヤジ……なんか思い出したら腹立ってきた。
まあ、俺は前世からの呪いのせいで、腹が立っても実際に怒ったりはできないんだけどな。
「明日は翼人さんに抱えられて空飛べるのかぁ、楽しみだなー」
ノシュカは俺たちが何を話しているのか分からないので、一人暢気に明日への期待に胸を膨らませているようだった。
夕食を終えた後、俺たちは清酒や果汁百パーセントのフレッシュジュースを飲みながら、適当に雑談した。ノシュカとはあと数日でお別れになるし、そう思うと少しでも色々と話しておきたかったのだ。
宿に帰っても、ベッドの上でノシュカにくっつき、スキンシップと洒落込んだ。
オッサン共もベッドに入って部屋の明かりを消してからは、暗闇の中で程良い大きさの膨らみを堪能した。この笑顔美人さんは胸だろうと猫耳だろうと尻尾だろうと、どこを触っても嫌がったりしない。
代わりに俺も身体のあちこちを触られたり、抱き枕にされたりはするが、全く問題ないので俺は彼女の温もりを味わっていった。
猫耳な女性と一緒のベッドに入っていると、否応なくラヴィを思い出す。
だが、もしラヴィとクレアのどちらかを選べと言われたら、俺はクレアを選んでしまうだろう。
人生とは思うとおりにはいかなくて、様々な出会いと別れがあって、それ故のしがらみがあって、人の意志や想いは常に変化を強いられる。
どれだけ離れていようと、どれだけ時間が経とうと、昔日と変わらぬ想いを抱き続けることは困難を極める。現在に満足していれば、余計に。
言い訳なんてしたくはないが、人ってのはそういう生き物なのだ。
俺の中ではレオナもラヴィも思い出になりかけていて、リーゼたちとの日常に得も言われぬ幸福感を覚えている。その幸福が、決して忘れないと思っていた過去を溶かし、過去をただの思い出として作り替えていく。
「……人生って、ままならないものだな」
「ん……? ローズ、なにか言った……?」
「いえ、なんでもありません」
俺はそう答えながら、抱きついてくるノシュカを抱き返した。
いい加減、明日に備えて眠った方がいいだろう。
ま、こうして色々と考えていられるうちは余裕があるってことだし、この先も余裕を持っていきたいな。
♀ ♀ ♀
夜が明けて、翌朝。
俺たちは日が出て間もない時間に宿を出て、翼人タクシー会社へと向かい、空の人となった。このまま港町クレドでも、その先からも何事もないまま、今年中には帰り着きたいものだ。