第八十三話 『また会う日まで』
夜が明ける前に、ゴードンたちは釈放された。
彼の護衛共はいずれ解放される予定だったので未だしも、ゴードン本人は死を覚悟していた。それが実にあっさりと解放され、娘に泣きながら抱きつかれて、どこか呆然としているようだった。
だが族長ヤルマルから事情を説明されると、酷く安心したような笑みを溢して、俺たちを見てきた。
「この度はありがとうございました。娘の命だけでなく、私の命まで救って頂き……感謝の念に絶えません」
「いえ、今回はメリーのおかげですから」
ゴードンは神妙な顔でメリーをまじまじと見つめ、ティルテはメリーごと俺に抱きしめてきた。瞳を涙で潤ませつつも、ノシュカに負けず劣らずな晴れ晴れとした笑みを咲かせている。
「ありがとう、ローズ、ありがとう、メリー。本当にありがとう、ありがとう」
感極まった様子で何度も何度もお礼を言うティルテに、俺は大人しく抱かれておいた。猫耳美少女に抱きしめてもらえるなんて、役得だ。
フェレス族の郷へ帰れば猫耳幼女からも感謝感激の嵐だろうし、リスクに見合うリターンはあったぜ。
そうして俺的ハッピーエンドを迎えたかと思われた状況だったが、しかし問題が一つ発生したようだった。今回の事件を裏で仕組んでいた元凶――キモオタ風タヌキ獣人タピオが逃亡したのだ。
組長ホルザーはボリウェンの報告を受けて俺たちの宿泊場に来る前、既にタピオたち使節団の身柄の拘束を手下共に命じていたらしい。彼らは一度大人しく捕縛されたようだが、隙を突いて魔法を使い、逃げ出したという。
しかもこの際、リオヴ族に二名の死者が出た。
タピオは魔法が得意らしいラクート族の血を引いてるっぽいし、国を代表して出向いていた役人なのだから弱いはずがない。
使節団はタピオを含めて七人いたようで、一人は殺してしまい、一人は何とか捕まえ、タピオを含む五人には逃げられたようだ。早々にリオヴ族の戦士団から大勢の追手が放たれたらしいが……果たして捕まるかどうか。
とりあえず、俺たちは央郷ザカリーにあと三日だけ滞在することになった。
色々と状況を整理して、捕まえた使節団員やクーバルから事情聴取し、今回の一件の関係者たちの証言と照らし合わせる必要がある。
それに、央郷トバイアスへ戻るにしても、俺たちだけでは心許ない。投獄されていたゴードンたちは一度帰郷するようなので、帰路を共にするためにも、彼らには獄中生活での疲れを癒す時間もいる。
三日間、俺たちは宿泊場で大人しくすることにした。
既に事件は終息に向かっているが、俺たちが郷の中を散策していては再び厄介事が起きないとも限らない。
なので央郷トバイアスへの帰路に備えて、英気を養っておこうと思ったのだが……。
「だーもーっ、お前ら散れっつってじゃんっ! そんなにうるせえとローズたちがのんびりできねえだろ!」
「そういうテメェが一番うるせえんだよボリ! あとテメなんだおい、ローズじゃねえだろローズさんだろがボケっ!」
「分かったぜ兄者っ、これからはローズの姐御と呼ぶぜ!」
「誰もそこまで言えとは言ってねえだろ馬鹿がっ、だからテメェは童貞なんだ!」
なにやら事件解決の立役者である幼竜メリーの噂が広まり、リオヴ族の方々が宿泊場に押し掛けていた。一応、未だに監視役というか護衛役となった義兄弟二人が玄関前で応対しているようだが……。
うん、奴ら二人が一番うるさかったよ。
メリーもあまり衆人環視に晒したくはなかったので極力外出はせず、オッサン二人や笑顔美人さんと雑談したりしていた。
「おう、良く来たなテメェら。食料庫の一つは焼けちまったが、まァ遠慮せず食え」
二日目の夕食は獅子組の親分さんに誘われ、同席させられた。
猫組の親分さんも一緒だ。
出された食事はかなり豪勢で、たぶん感謝の印でもあるのだろう。
メリーに出されたメシも俺たちに負けず劣らず豪華だった。
「そ、そういえば、この魚料理は凄く美味しいですけど、魚介類はどこで獲ってるんですか? この郷のすぐ側を流れる川には魔物もいるらしいですけど……」
緊張しまくって間が保たなかったので、適当に話題を振ってみた。
すると組長さんは面倒臭がることもなく、しっかり答えてくれる。
「ここらの川に魚はあんまいねえが、もっと上流の方には結構いるぜ。だがまあ、オレらリオヴのモンはだいたい東のポンディ海で捕ったモンを食ってるな。沿岸部近くの郷には農業より漁業ばっかさせて、内陸の郷が育てた作物と交換してんだ」
「フェレス族も似たようなものだな、私たちの方は西が外海に面している。魚介類は魔法で冷凍したり、干物などに加工して、内陸の郷へと輸送させている。リオヴ族は魔法が苦手だから、この郷では新鮮な魚を使った料理が少ない。ローズ、私が一筆したためるので、トバイアスに戻ったら新鮮な魚料理をたくさん食べると良い」
「あ? おいヤルマル、テメェ喧嘩売ってんのかオイ? 魚ってのはなァ、漬けたり干したりした方がうめえんだよボケ」
「そうか、それは残念な味覚と言わざるを得ないな、ホルザー。確かに酢漬けや塩漬け、干物も十分旨いが、魚は新鮮なものを焼いたり刺身にしたりして食べるのが一番だろうに」
なんか親分さん同士が少しピリピリしていて、せっかくの上等な料理も味が全然分かりません……。
まあ、喧嘩するほど仲が良いっていうし、これからフェレス族とリオヴ族はハウテイル獣王国やティグロ族と色々大変だろうから、上手くやって欲しいね。
そんな小心者の俺に対し、ノシュカはいつも通り旨そうに食べていたし、ベルも少なくとも表情から緊張感は読み取れなかった。ユーハに至っては普段と変わらぬ様子どころか、むしろ実に味わい深そうに杯を傾けていた。
「うむ、実に良い酒である……これは余程の良米を丁寧に醸造せねば、この味は出まい。ローズよ、ホルザー殿に礼と共にそう伝えてくれぬか」
「あ、はい」
ノシュカ経由でホルザーに伝えると、ユーハはおっかない親分さんと平然と酒を酌み交わし始めた。どうやら酒さえあれば意思疎通に言語は不要らしい。
このオッサンも昔は一国一城の主に仕えていたという話だし、さすがに場慣れしているな。
我が護衛剣士が組長の相手をしてくれたおかげで、途中からは俺もそこそこ気を抜けた。
まあ、ホルザーから酒杯から差し出されたときはさすがに焦ったけどね。顔は笑っていたが、雰囲気的には「オレの酒が飲めねえのか」的なものを感じたから、せめて舐めるくらいはした。それでも幼女の舌に酒は早すぎたのか、思わず酷いしかめ面を晒してしまったが、ホルザーは豪快に声を上げて笑っていた。
三日目は義兄弟とも色々話をしてみたし、獅子組の魔女たちとも少し交流してみた。メリーのおかげで警戒心もあまりなく、ノシュカを交えて主に魔法のことを話し合った。
やはりリオヴ族は魔法が苦手なようで、メルと同い年ほどの魔女でも適性属性の中級魔法が使えれば上々のようだった。央郷ザカリーに詠唱省略ができる者はおらず、短縮ができる野郎魔法士が一人いるだけらしい。
俺が詠唱省略で魔法を使うのを見せてみると、みんな初めて見るようで凄く驚いていた。
なんだか優越感を覚えて得意気になりかけたが、女関係はともかく、勉強関係はストイックにいかなくちゃね、うん。
ちなみに、ティグロ族の連中は一度だけ見掛けた。
連中はリオヴ族並に大柄なくせに、耳や尻尾、毛深さはフェレス族っぽかった。
そしてどうにも尻尾と背中の毛が二色の縞模様になっていて、見た感じタイガー獣人とでもいうべき風貌だった。
まあ、そんな感じに郷での滞在期間は終わり、俺たちはフェレス族の央郷トバイアスへと戻ることになった。メンバーは俺たち余所者にノシュカ、ゴードンとその娘のティルテ、息子のテオルド、それに投獄されていた野郎共四人の計十一人だ。
朝飯を食った後、郷の西口にたくさんの人が集まり、俺たちを見送ってくれる。
「ローズ、ユーハ殿、ヒルベルタ殿、この度は世話になった。ありがとう、再び私たちの郷を訪れるようなことがあれば、君たちなら歓迎しよう」
ラノースの傍らに立つ俺たちに、族長ヤルマルが低頭し、俺たち三人に握手を求めてきた。
俺たちがそれぞれ応じた後、猫組の親分さんはノシュカに目を向けた。
「ノシュカ、私は■■■■お前を■■■■■■■■■■■。だが、■■■■■お前は■■■■■■■■彼らの■■■■■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■……■■■■■、元気でやれ」
南ポンデーロ語で何事かを言って、ヤルマルは実の娘に対するようにノシュカの頭を撫でた。
ノシュカは涙目になりながら思わずといったように族長オヤジに抱きつき、族長は苦笑しながらもその背を叩く。
この郷まで来るのに同行した族長ヤルマルと七人の護衛共は、このまま獅子組のシマに残って事後処理に勤しむらしい。そしてノシュカは一昨日のおっかない夕食後に森を出て行くことを伝えたようで、族長はそれを承諾したようだ。
二人はおもむろに身体を離すと、ノシュカは姿勢を正し、大きく頭を下げた。
「ありがとうございます、族長。元気でやります、■■■■■■■■■■■■■。族長■■■、■■■お元気で」
ノシュカから習った俺の南ポンデーロ語では簡単な単語やフレーズしか拾えない。だが雰囲気的にも、ノシュカが族長に別れの挨拶をしているのは明白だ。
俺たちはその様子を黙って見つめていた。
二人の挨拶が終わると、族長ヤルマルは俺たちに頭を下げてきた。
「申し訳ないが、しばらくの間、ノシュカのことをよろしく頼む。既に知っての通り、これは少々不作法者だが、根は明るく良い娘だ。もし邪魔になるようなら見捨ててもらって構わない」
「大丈夫です、見捨てたりはしません。ノシュカといると楽しいですし、たくさんお世話になりました。それに獣王国では南ポンデーロ語が分からないと色々不便ですからね」
「……感謝する。君たちには面倒ばかりを掛けて、本当に申し訳ない」
たしかに面倒ばかり掛けられているが、そんなに面倒だとも思っていない。
特にノシュカのゲストパーティ化は大歓迎ですよ。彼女は明るく楽しい笑顔美人さんだから、このまま館まで一緒に帰ってもいいくらいだ。
ヤルマルはノシュカに関わる挨拶を終えると、俺たち余所者やゴードンを含めた全員に目を向けてきた。
「皆、道中はくれぐれも気を付けてくれ。魔物もそうだが、まだタピオたちも捕まっていない。特にローズたちを森境まで送り届ける際、案内役の者たちに念押ししておいてくれ」
「はい、分かっています、族長」
ゴードンがしっかりと頷くのを横目に、俺は少し不安に思った。
タピオは現在、おそらく獣王国へ向けてひたすら北進していることだろう。
俺たちはまず央郷トバイアスを目指して西へ十日ほど進み、その後はフェレス族の案内役と共に北進するので、間違っても進路は交わらないはずだが……。
まだ奴らが俺のメリーを諦めていない可能性は否定できない。
ちくしょう、あのキモオタ風デブタヌキ野郎めぇ……。
あいつ上っ面だけは礼儀正しくしてきたくせに、かなりの腹黒野郎だったんじゃねえかよ。リーゼたちのおかげでようやく人間不信を克服できたのに、また人を信じられなくなりそうだ。
今後は出会う人々に対して、もう少し警戒心をもって接していこう。
この広い世界には善人もいれば、それ以上に悪人もいて、暢気にしていると容赦なく食い物にされてしまう。
「ま、フェレスの連中はともかく、テメェらは気ィ付けろ。森には不慣れだろうしな。おうユーハ、いつか機会があればまた飲むぞ」
リオヴ族の族長ホルザーは俺たちを見回しながら言って、最後にユーハの肩を気安く叩いている。
異世界だろうと飲みニケーションは偉大だ。
「ローズさんたち、世話になりました。どうか壮健で」
「またなローズの姐御っ、その竜がでっかくなって空飛べるようになったらまた来てくれ! そんでオレも背中に乗せて空飛んでくれっ!」
「馬鹿野郎っ、テメ最後くらいちゃんとしやがれ!」
ヌギーヌとボリウェンの義兄弟は最後まで相変わらずだった。
あとテメェ童貞、俺をローズの姐御なんて呼ぶんじゃねえよボケ。
どうせならDT同士、兄弟でいいんだぜ。
「ではな、三人とも。今回は本当に助かった、元気でな」
リオヴ族の魔女っ子たちとも軽く挨拶した後、最後に族長ヤルマルがそう締めくくった。
こうして、俺たちは知り合った大勢の人たちに見送られながら、リオヴ族の央郷ザカリーをあとにした。
♀ ♀ ♀
道中は特に何事もなく進んで行けた。
強いて言えば、猫耳の美少女が俺とメリーにもの凄く懐いてくれたので、イチャラブ度が増したことか。ラノースに揺られながらノシュカと一緒に南ポンデーロ語を教えてくれたし、夜は肌が触れ合うほど近くで眠った。
以前は普通に距離を開けられていたので、大きすぎる進歩だ。
ティルテはローズルートに入ってもいいのよ?
尚、道中の魔物共の撃退には俺も積極的に参加した。
猫耳護衛が四人いるとはいえ、行きと違って少人数だし、やはり危険もある。
実戦経験(といっても遠距離から魔法を放つだけの簡単なお仕事)も積めるし、魔物共はバシバシ屠っていった。
そして出発から十日後の昼過ぎ頃、俺たちは誰も怪我一つ負うことなく、フェレス族の央郷トバイアスへと帰還した。
「あなた、テオルド、無事だったのねっ」
「おぉー、父ちゃん兄ちゃん姉ちゃん、おかえりー」
「みんな、おかえり」
郷に到着するや否や、ゴードンの家族は六人でわいわいと喜びを分かち合っていた。相変わらずトビアとトルテは何も知らないようだったが、まあ無駄に心配させずに済んで良かったことだろう。
郷の入口にはゴードン帰還を聞きつけて他にもわらわらと猫耳獣人たちが集まってきて、ちょっとした騒ぎになる。
しかし……こうして見ると、やっぱフェレス族の人たちは小柄だな。
リオヴ族の連中は大柄な奴が多かったから、余計にそう感じる。
「おぉ、ゴードンたち、無事で何よりじゃ。どうじゃった、何があったのか詳しく聞かせておくれ」
老魔女……たしかニエベスとか言った族長ヤルマルの叔母に請われて、俺たちは温かい食事を頂いた後、ことの顛末を説明した。更に族長から預かってきた手紙にも目を通してもらうと、猫耳婆さんは目を閉じ、深い吐息を溢しながら頷いた。
「……そういうことじゃったか、色々と複雑だったようじゃな。今後も少し大変じゃろうが、ワシらフェレス族からは死者が出なかったのじゃ。リオヴ族との関係も悪化させずに済んだことじゃし、良い結果じゃ。ありがとうの、ローズ。それと、そちらの小さな竜もの」
婆さんは満足げな笑みを見せている。
フェレス族にとって、今回の一件では特に被害らしい被害はなかった。
ゴードンたちは投獄されたが、事件はフェレス族の連れてきた余所者――俺たちのおかげで一応は丸く収まったのだ。
リオヴ族には一つ貸しができたことになるだろうし、上々の結果といえる。
「ローズたちはいつ頃発つ予定なのじゃ?」
「三日ほどこの郷で休ませてもらってから、出発することになります。そちらの準備が必要なら、もう少し遅らせますけど……」
「いや、良い、気遣いは無用じゃ。ワシらは当初の約束通り、お主ら三人の道中をしっかり支えよう」
やはり予め約束させておいて良かったな。
話がスムーズに進んで助かる。
「ノシュカよ、本当に行くのかの?」
婆さんは笑顔美人さんに向き直り、神妙な面持ちで問いかける。
ちなみに今の発言にはノシュカ自動翻訳サービスは働かなかったが、簡単な単語ばかりだったので辛うじて分かった。
「うん、■■ごめんなさい、ニエベス■。でも■■■■■■■■■■■■■、■■機会■■■■■■■■■。■■みんなには■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■……それでも、■■世界で生きて■■■■■」
「そうか……お主はなかなか■■■■■■■■■■■■■■■。その目を見れば■■■■■■■■■■■。■■■■ヤルマルも■■■■■■■■■■■■■■、ワシからは■■■■■。お主には■■■■■■■■■■■■と思うだけじゃ」
ノシュカが郷を出て行く件を話しているのだろうが、案の定、彼女はヤルマルのとき同じく婆さんに抱きついた。
婆さんの様子を見るに、孫を見守るような穏やかな顔で、ノシュカの背中を撫で叩いている。
それからは、族長のときと同様にノシュカのことを婆さんから頼まれた。
言われずとも南ポンデーロ語の分かるノシュカにはいて欲しいし、仮に分からずともいて欲しい。明るいお姉さんが一緒だと心が豊かになるからね。
その後、俺たちはゴードンの家にお邪魔して、ティルテママが腕によりを掛けてくれたらしい手料理を頂いた。
だが、夕食後は族長宅の空き部屋に移動し、そこに泊まることになった。
ゴードンの家は父と兄が帰ってきたことで少々手狭になったし、約六節ぶりに家族が勢揃いしたのだ。夕食の歓待は感謝の印として受けたが、さすがに夜は一家団欒を満喫して欲しかった。
郷に着いた翌日。
午前中、俺たちはフェレス族で最も偉い御方からお言葉を賜った。
「此度の件の詳細は聞き及んでいる。そなたらには大変な迷惑を掛け、同時に世話になったようだ。フェレス族を代表して、御礼申し上げる」
以前、ノシュカから聞いたフェレス族で一番偉い人――《魔洪王》トバイアス・フェレスの血を引くという、フェレス族の象徴的人物だ。
名前をマティアス・フェレスというらしく、生憎とご尊顔を拝することは適わなかった。なにせ簾の向こうにいて、人影くらいしか分からなかったからな。
ちなみに声からしてオッサンっぽかった。
どうにもフェレス族の面々は、三十年ほど前に消えた直系血族最後の少女フレドリカ・フェレスが人攫いにあったと思っている。今回の件で、俺たちはフェレス族にとって恩人ともいえる存在となったが、しかしだからといって、完全に信用されているわけではないらしい。だから俺たちに顔を覚えられないようにというわけで、簾越しでの対面だ。
今回はマティアスさん直々にお礼を言いたいそうだったから、こうした形になったのではないか……と、ノシュカは説明してくれた。
一番偉い人との対面に始まり、出立までの三日間は色々なところを見て周り、多くの人と交流した。ノシュカの実家に一緒に行って、彼女の家族に挨拶したり、娘のことを任されたりした。とはいえ、ノシュカの祖父はどうにも納得していなかったようで、少し揉めたが。
畑の方を見学させてもらったり、酒蔵にいって米を使った醸造の様子も見せてもらった。猫耳の幼女や少女たちと触れ合ったり、魔女っ子たちと一緒に魔法の練習もした。
リオヴ族の魔女たちと違い、こちらはメルと同い年ほどの猫耳美少女でも、中級魔法までなら普通に使えているようだった。詠唱省略や短縮ができる人もいて、やはりリオヴ族よりは魔法力に秀でているのだと実感した。
「ローズ、お父さんがね、すごく感謝してたよ。三人は恩人さんだから、良くしてあげなさいって」
ゴードンの言葉により、トスカの好感度も着実に上がっていた。
特に彼女は姉のティルテ同様にメリーを気に入ったようで、抱っこさせてやるとメリーも特に嫌がることなく大人しくしていた。
俺はその様子を見て、リオヴ族の郷にいた頃から悩んできたことに、決断を下した。
「よく来てくださいました。さあ、こちらです」
「お邪魔します」
出立を明日に控えた夕方、俺たちは昨日一昨日と変わらず、ゴードンの家に招待されて夕食を共にすることになった。なんだか、もうすっかりこの家の雰囲気に慣れてしまって、これで最後だと思うと名残惜しく感じる。
みんなで楽しく食事を済ませた後、俺は意を決して話を切り出すことにした。
膝の上に乗って俺の身体に顔をすり寄せてくるメリーを一瞥してから、口を開く。
「あの、みなさんにお願いがあるんです」
「どうかしたの、ローズ?」
ノシュカの翻訳を聞いて、ティルテが気安い様子でついと小首を傾げてくる。
「実は、その……メリーを、お任せしたいと思いまして」
「お任せって、どういうこと?」
「ティルテたちに育てて欲しいんです」
「……え?」
さすがに予想外だったのか、ティルテも他の面々も驚いているようだった。
俺はこの三日間、ずっとメリーと一緒だったし、今さっきだって手ずからメシを食わせていた。
当然の反応だろう。
「ティルテも知ってますよね、クーバルやタピオがメリーを狙っていたことは」
「うん。でもそのおかげで、お父さんは助かったんだ。ローズとメリーには本当に感謝してるよ」
「いえ、それはいいんです。私たちはこれからハウテイル獣王国へ行きますから、メリーはたくさんの衆目に晒されることになります。そうなれば、あの二人のように希少な竜を奪い取ろうとする輩がきっと大勢出てくるでしょう」
「――あ」
ティルテは遅まきながらに気が付いたようだ。
そう……俺もクーバルの件を受けて、実感した。
完全に認識が甘かった。
幼竜など格好の獲物であり、更に俺は魔幼女でもある。
端から見れば、鴨がネギ背負って歩いているようにしか見えないだろう。
無論、俺はハウテイル獣王国入りしたら、すぐに男装装備に切り替えるつもりだが、メリーはそうもいかない。
「攫われそうになるだけなら、まだいいんです。私もユーハさんもベルさんも強いですから、大抵の賊は撃退できます。でも、まだメリーはか弱くて、ちょっとしたことでも死んでしまうかもしれません」
「だから、メリーはここに置いていくの……?」
「私は、そうした方が良いと思っています。ニエベスさんに確認してみたところ、大丈夫だと言ってもらえました。ですから、この郷で一番仲良くなった皆さんに、メリーのことを頼みたいんです」
ゴードンやシャニエラさん、テオルドたちは困惑した顔を見合わせている。
その一方で、トビアとトスカは実に嬉しそうな笑みを浮かべており、ティルテは俺を複雑な面持ちで見つめてきている。
正直、俺だって別れたくはない。
だがメリーの安全を考えれば、これが最善なのだと理性が訴えかけてくる。
逃走したタピオが、もしハウテイル獣王国まで無事に帰り着けば、奴は俺たちの存在を必ず国に報告する。そして港町に網を張り、手配書なんかを出したりして、俺――メリーのことを捕らえようとしてくる可能性は高い。
一国から狙われるとなれば、さすがに危険が過ぎる。
ユーハもベルも俺の話には納得してくれて、連れていくも置いていくも俺の判断に任せると言ってくれている。
ゴードン一家はメリーに救われたようなものだし、命の恩人ならぬ恩竜を大切に育ててくれるだろうことは間違いない。それに彼ら一家はリオヴ族との連絡役を担う家系だから、将来的にはメリーを足――もとい翼として使えるという利点もある。
ここ央郷トバイアスはハウテイル獣王国から十分に離れた森の奥深くだし、タピオや獣王国は竜が希少な生き物だという認識が強いからこそ、俺がフェレス族にメリーを託したとは考えまい。
仮に、リュースの館まで無事にメリーを連れ帰れたとしても、館には既に一頭の幼竜がいるはずだ。竜を二頭も飼育するとなると、リーゼはともかくクレアは渋りそうだし、レオナ捜索のことを考えればやはり二頭は負担が大きい。
他にも色々と考慮してみたが、現状ではこの郷で飼育してもらうのがベストな選択なのだと結論づけられた。
「お願いします。メリーを皆さんの家族として、育ててくれませんか」
俺は頭を下げた。
それは頼み込む立場として当然の行動故でもあったが、恥ずかしくて顔を見せられなかったからでもある。
軽い気持ちで生き物を育てようとして、でも結局は他人の手に委ねようとしている。周りに迷惑が掛かることだし、何よりメリーが一番不幸を被る。
メリーはもうすっかり俺に懐いていて、当初の狙い通り俺を親のように慕ってくれている。例えば、少し離れたところから名前を呼ぶと、メリーはよちよちと歩いて近づいてきて、俺の身体にすりすりと密着してくる。誰かに抱かれているときも、不意に鳴き声を上げて俺の方を見ながら身体を暴れさせることもある。
俺の行いは、親の勝手な都合で子の幸せを台無しにする、最低最悪の愚行だ。
「顔を上げてください、ローズさん。私たちはもちろん構いませんし、むしろ喜んでお引き受け致しますが……ローズさんは、本当にそれでよろしいのですか?」
ゴードンは気遣うような眼差しを向けてきてくれる。
だが、本当に気を遣うべきは魯鈍で最低な俺ではなく、無垢で愛らしいメリーの方だ。
「はい、どうかよろしくお願いします」
「そうですか……分かりました。でしたら、そちらの竜は私たちの家族として、責任を持って育てていきます」
誠意溢れる精悍な顔で、ゴードンは俺の目を真っ直ぐに見つめながら、そう断言した。するとトビアとトスカが何やら声を上げて喜びだし、俺の側に駆け寄って、膝の上でリラックスするメリーに構い始める。
メリーを膝上から床に下ろしていると、ティルテは嬉しそうな、悲しそうな、あるいは申し訳なさそうな表情を見せつつ立ち上がり、弟妹同様に近づいてきた。そして俺の頭を優しく抱え、膨らみかけの胸元に押し当ててきた。
「ローズ、ありがとう、ごめんね」
ノシュカに訳してもらわずとも、ティルテがなんと言ったかは理解できた。
おそらく彼女は、自分と出会わなければ俺がメリーと別れずに済んだと思っている。しかし俺と出会わなければ、父であるゴードンは助からなかった。
だからこそのありがとうであり、ごめんねなのだ。
「ローズ」
猫耳美少女の抱擁が終わると、ノシュカが気遣わしげな手付きで俺の肩に触れてきた。ノシュカは何とも言えない表情で、「大丈夫?」とでも言いたげに無言のまま首を傾げる。
「私は大丈夫です、可哀想なのはメリーなので……」
「そっか」
と頷きノシュカは口元を小さくほころばせる。
そして、どこかわざとらしい口調になって「ところでさ」と前置きしつつ、笑顔美人さんは続けて口を開いた。
「ローズがこの郷で一番仲良くなったのって、ティルテたちなの? ウチ、ローズとはすっごく仲良くなったと思ってたんだけど、もしかして勘違い?」
「……違いますよ。ノシュカはこの森で、一番です」
思わず笑みを溢してしまったが、そこに苦味が表出してしまったことは否めない。それでもノシュカなりの気遣いが有り難く、俺は彼女を見習ってティルテたちのためにも明るく振る舞うことにし、その後を過していった。
♀ ♀ ♀
翌朝、俺はゴードンの家でメリーと共に目を覚ました。
メリーは可愛らしく「キュァァァ……」と欠伸をするように声を漏らし、俺の手に頭を擦り付けてくる。顎の下を軽く撫でてやるが、今日でお別れだと思うと無性に悲しくなってきた。
昨日のうちに出発の準備は整えていたので、ゴードン一家と朝食を摂った後、郷の北口へと移動する。
見送りには思いの外たくさんの人が来てくれた。リオヴ族殺人放火事件の顛末はある程度広まっているのか、猫族さんたちの表情にはもう警戒の色がない。
「三人とも、世話になったの」
婆さんが俺たち余所者三人の顔を見回しながら、一人一人に握手を求めてきた。
この辺はさすが族長ヤルマルの叔母というべきか。
「いえ、こちらこそ、お世話になりました。ラノースに道案内の人も付けてもらって、食料も頂けて、ありがとうございます」
「なに、これくらいでは感謝し足りぬくらいじゃ」
俺は婆さんとの挨拶をそこそこに済ませ、ゴードン一家に向き直った。
すると俺が口を開く前に、ゴードンが深く腰を折ってきた。
「この度は本当にありがとうございました。ご恩は一生忘れません。よろしければ、またいつでもこの郷へいらしてください」
「ローズさん、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
ティルテママのシャニエラ、そして兄のテオルドからも礼を言われる。
俺の方も、滞在中に世話してもらった礼をオッサンたちの分まで述べ、頭を下げた。
それが終わると、今まで腕に抱えていたメリーをティルテに手渡し、彼女と視線を合わせる。
「ティルテ、メリーをよろしくお願いします」
「うん、任せて、ちゃんと育てるから。ローズ……その、ありがとう、元気でね」
瞳を潤ませながらティルテがそう言ったとき、彼女の腕に抱かれたメリーが暴れ始めた。つぶらな瞳が俺の顔を一心に見つめ、「キュェェ!」といつになく大きな鳴き声を上げる。
その姿を見ていると、やはり一緒に連れて行こうという思いがわき上がってくるが……必死に抑え込む。
しかし、その代わりに別離の悲しみは抑えきれなかった。
それでもせめて落涙はすまいと、歯を食いしばって堪える。
「トビア、トスカ、メリーのことをよろしくお願いします」
「おー、任せとけっ!」
「うん、いっぱい可愛がる」
笑顔で頷く猫耳幼女トスカは俺と交換したゴスロリ服を着てくれている。
非常に愛らしいが、その魅力をもってしても今この時ばかりは俺の心を癒し切るには足りない。
メリーは別れを感じ取っているのか、凄い勢いで鳴き声を上げている。
あまりもたもたしていると心が折れそうだ。
早く出発してしまおう。
「げ、元気でなぁ……ノシュカぁ……」
ノシュカは昨日までに家族や友達と別れを済ませてきたらしく、彼女の方の挨拶はあっさりしたものだ。ただ、爺さんだけ泣きながらノシュカを抱きしめていたりしていたが。
「では、そろそろ行きます」
俺たちはラノースに騎乗した。
ノシュカの前に座って、フェレス族の人々を眺め回し、巨大樹の郷を見渡して、最後に視線をティルテ――メリーに向けた。
メリーは小さな身体を尚も暴れさせながら、こちらを見つめてくる。
その眼差しに耐えかねて、俺は思わずラノースの背中から飛び降り、メリーに駆け寄った。頭を撫で、腹を撫で、手足を撫で、翼を撫で、小さな顔にキスをした。
それでもメリーはまだティルテの腕から俺の身体へ移ろうとしていたので、俺は紺色のハンカチを取り出した。リュースの館から持ってきて、これまで何度も洗いながら使ってきた愛用品だ。
それをメリーの首にスカーフのように緩く巻いてやり、その姿を見納めにして、幼竜の鳴き声に背中を向けた。
ノシュカに引っ張り上げてもらって再度ラノースに乗ると、俺は今度こそ別れの言葉を口にする。
「皆さん、お世話になりました。どうかお元気で、いつかまた会いましょう」
「またね、ローズ。いつかまた来て、メリーに会ってあげてね」
ティルテは悲しさを押し込めた満面の笑顔で、明るく告げてきた。その表情や声音は出会った当初からすれば信じられないほど素直で、親愛の情に満ちている。
彼女の声に続き、多くの人に声を掛けてもらいつつ、俺たちはラノースの足を進ませ始める。
今回の件では色々な人に出会って、森に住まう人たちの考えや文化に触れ、見識を深めることができた。そして同時に、出会いと別れの楽しさと悲しさ、己の浅はかさや未熟さを改めて痛感した。
色々あったけど、フェレス族とリオヴ族の人たちに出会えて、良かったと思う。
俺はノシュカの身体越しに振り返り、手を振った。
そしてもう一度だけ幼い火竜の姿を脳裏に焼き付けて、俺たちはフェレス族の央郷トバイアスを発っていった……。