第八十一話 『リオヴ族殺人放火事件 三』
翌朝、俺たちは朝食もそこそこに動き出した。
まずは牢獄に行って、ゴードンと面会する。
メンバーは昨日と同じ七人+一匹に、今回はティルテとその猫耳護衛一人も一緒だ。このままだとゴードンは処刑されてしまうので、できるだけ会っておきたいのだろう。
ちなみに族長ヤルマルは部下たちと何やら動いている。
「……随分と物々しいですね」
牢獄の警備は厳重だった。
郷の奥まったエリアの地下に作られているのだが、出入口付近だけで武装した見張りが四人、入ってすぐの詰所には武装看守が五人いた。
地下内部は直線状の通路の左右にそれぞれ三畳分ほどの檻が並んでいて、広さ的に一人から数人用だろう。猛獣用も兼ねてそうな檻は上下左右全てが物々しい格子状に組まれていて、床には木板が敷かれていた。
「この檻って、もしかしなくても耐魔性が高いんですよね?」
「そうだね。ただ閉じ込めておくだけだと、魔法を使えば抜け出せないこともないからね」
ノシュカは牢獄内でもあまり変わらぬ様子で応じてくれつつ、松明に照らされた薄暗い直線通路を歩いて行く。通路は見通せる限り五十リーギスほど先まで続いているようで、計三十ほどの檻がずらりと並んでいる。
出入り口に近い檻は空っぽだったが、奥の方には猫耳の野郎共が六人、六つの檻にそれぞれ閉じ込められていた。
看守は計四人だ。
囚人はどいつもこいつも憔悴した顔でぐったりしていて、頬が少しこけている。
しかし俺たちのことに気が付くと、半信半疑な思いが見え隠れした、何とも複雑そうな目を向けられた。
「■■■■……■■■■■……」
ティルテが隣り合った檻に収められた二人の男に声を掛けた。
一人は十代半ばほどの少年で、どことなくティルテママの面影が見られるが、薄汚れていて表情は暗く、生気が薄い。
もう一人は三十代のオッサンで、こちらはティルテの面影が見られる。
檻の中には藁製ベッドとトイレらしき蓋付きの桶があるだけだった。
「あっちがティルテのお父さんのゴードンで、こっちがお兄ちゃんのテオルドだね」
さすがのノシュカも同族の哀れな姿を目の当たりにしたからか、声に明朗さが欠けていた。ユーハは痛ましそうな顔で、ベルは口元に手を当てて、ティルテが檻の中の家族と言葉を交わし合っている様子を見つめている。
それから間もなく、三人の目が俺たち余所者に向けられた。
ゴードンが口を開いたので、ノシュカに通訳してもらう。
「私はティルテの父のゴードンと申します。このような姿で挨拶するのも無礼かとは思いますが、皆さんは既に我々の事情を承知していると聞き及んでおります。この度は娘を助けて頂いたそうで、本当にありがとうございました。そして今も尚、ご迷惑をお掛けしているようで、申し訳ありません」
ティルテパパは不自然なまでに落ち着いた声で言い、檻の中で正座したまま頭を下げてきた。
俺はその姿を前に、どう言葉を返せばいいのか分からず、立ち尽くした。
今は俯けられているゴードンの表情は凪いでいて、もはや腹を据えているのが一目瞭然だったのだ。
「ローズ、ゴードン殿はなんと?」
ユーハとベルにゴードンの言葉を伝えるが、二人ともあまり驚いていないようだった。あの泰然とした様子から、何を言われたのかはだいたい察していたのだろう。ただ、ユーハは右眼の眼帯に触れながら、やけに神妙な面持ちで、ゴードンとその娘と息子を左の瞳に映している。
「あの、ゴードンさん、顔を上げてください」
なにはともあれ、気を取り直して話をしてみよう。
「もう聞いているかもしれませんが、私はローズといいます」
「はい、聞いております、何でも娘の怪我を治して下さった優秀な魔女であるとか。本当にありがとうございます、娘も貴女がたがいなければ死んでいたと言っておりました」
ゴードンは感謝の念を表すかのように、一度あげた頭をもう一度下げたが、今度はすぐに面を上げた。
目元には隈が浮かび、頬はこけ、全身は小汚いが、元はユーハ並に精悍だろう顔に浮かぶ表情は穏やかなまでに落ち着いている。
「ゴードンさん、貴方にこんなことを訊ねるのは失礼かもしれませんが、事件があった日のことを何でも良いので教えてくれませんか」
「それは構いませんが……なぜ、そのようなことを? 既にこの郷までご足労頂いているとはいえ、興味本位で首を突っ込まれない方がよろしいかと思います」
ゆっくりと首を左右に振りながら、ゴードンは気遣うような顔を向けてくる。
その言い分は至極もっともで、言動は思った以上に礼儀正しい。
……このオッサンが犯人だとはとても思えんな。
「貴方の家族とは少なからず親交を持っているので、できれば誰も悲しまない結果になって欲しいんです。私たちは余所者ですけど、余所者ならではの視点で少し調べてみようかなと思いまして」
「それは……ありがとうございます。しかし族長から聞いたのですが、万が一にでも、貴女がたの意志に関係なく何か問題が起きてしまうと、娘の身が危なくなるのです。ですからどうか、そのようなお気遣いはなされず、大人しく待機していて頂けませんか」
……あー、うん。
こいつやってねえわ。
こんな娘思いの良い父親が、状況証拠の揃った状態で犯行に及ぶという短慮を起こすとか、あり得ん。そんなアホなことをすれば、娘と息子にも害が及ぶと元クズニートの俺でも分かるし、現にそうなっている。
ゴードンは誰かに嵌められたのだ。
俺はゴードンに返事をする前に、ユーハとベルに今し方の会話を伝えてみた。
すると、ユーハが怒りと悔しさを滲ませたやりきれない表情を見せ、呻くように言葉を漏らす。
「ゴードン殿がやっておらぬことは間違いないはずなのだ。しかし、娘御のことを引き合いに出されては……某らが動くのは、迷惑にしかならぬのやもしれぬ」
「そうねぇ……見たところ彼、もう死を受け入れているみたいだし。アタシたちが動くことで彼の定まった心をかき乱したりするのも、いけないような……」
そうなんだよなぁ。
娘の心配をする父親として言われると、もう動けない。
やらない善よりやる偽善とはいうが、今回の場合はこれ以上俺たちが偽善を振りかざすと、死を受けいれているゴードンの心を乱すという迷惑が確実に掛かるくせに、成果が上がる可能性は限りなく低い。
こうなるともう偽善というより独善となってしまう。
「……分かりました。ゴードンさん、私たちは大人しくしています。すみません、貴方の気持ちも考えず、浅はかなことをお願いしてしまって」
「いいえ、謝らないでください、むしろ私の方が謝罪をすべきなのです。貴女がた恩人の更なるご厚意を一蹴するような無礼をお許しください」
死を覚悟しているからか、そう告げる口調には潔さまで感じられる。
きっと、ゴードンはこれ以上の被害が出ないよう、フェレス族全体のためにベターな選択として、己の死を受け入れているのだ。
彼一人が死ねば今回の一件は一応の落ち着きをみせるはずだ。
リオヴ族から死人が一人、フェレス族からも死人が一人。
焼けた食料はフェレス族が倍ほどの食料でも提供して穴埋めするのだろう。
そしてフェレス族にはリオヴ族に対して大きな借りができてしまうが、犠牲者は最小限に抑えられる。
「俺は――自分は、テオルドといいます。妹助けてくれて、ありがとうございました」
会話が一段落したところを狙ってか、今度はティルテの兄貴からも礼を言われた。少しナヨっとした感じの少年で、囚人という今の立場もあって弱々しく見える。
それから儀礼的な言葉を交わした後、俺たちは牢をあとにした。
ただ、ティルテはまだ残って愛する家族と話をするそうで、彼女につけられた猫耳護衛のオッサン一人と共に別れた。
九人から七人に減り、ローテンションで来た道を引き返していく。
その道中、頼んでもいないのに、ノシュカ自動翻訳サービスが獅子組の監視役二人の会話を訳してくれる。
「なあ、兄者はどう思う? あいつがやったと思うか?」
「まあな、状況的に見ればあの男が犯人で間違いないだろう。だが、ティグロ族やギエント族の連中もいるし、獣王国の連中もいる。全員が疑わしいが、状況がフェレス族のゴードンが最も怪しいといってんだから、そうなんだろう」
「だよな、そうだよな! あいつが犯人だよな、あいつフェレス族だしな! ちっくしょう、フェレスの奴らめぇ……族長はあいつ一人だけじゃなくて全員を殺すべきなのに! なあ、兄者もそう思うよなっ!」
「ったくこの馬鹿が、そんな浅はかにしか考えらんねえからお前は女の一人もできねえだよ。そろそろ伯父貴の深慮の一端くらい察せるようになれ、お前は昔っから浅慮な癖が直ってねえ」
「えぇ!? 族長はなんか深い考えあったのかっ!? それはなんなんだ兄者っ、馬鹿なオレに教えてくれ!」
「テメェの頭で考えろ、じゃねえといつまで経っても馬鹿は治らねえぞ。そもそも余所者とフェレスの女が側にいんのに話せるわけねえだろボケ、そうがっつくからお前は童貞なんだよ」
がっつく童貞はともかく、端から聞く分にはなかなか興味深い雑談だった。
リオヴ族の奴がどう思っているのか分かったし、このヌギーヌという兄貴分が親分さんの甥というのは意外だった。
こんな若造二人に余所者三人の監視を任せるのかと少々疑問だったが、族長の親族なら信頼性も高いのだろう。
だが、それよりも……。
「あの、ノシュカ、リオヴ族の族長の深慮って、何か分かりますか?」
「んー、そうだね……」
ダメ元で何とはなしに訊いてみたのに、ノシュカは一房だけ編み込まれた横髪を弄り、考える仕草を見せる。
てっきり暢気な笑顔と共に「さあ、分かんないねー」とか返されると思ったんだが……。
「たぶんだけど、ウチらフェレス族との仲をこれ以上悪くしたくないんじゃないかなー? 昨日、族長と向こうの族長もそんな感じのこと言ってたし、だからゴードン一人だけの命で納得したんだと思うな」
「でも、それは……五部族集会のために、他部族に隙を見せないとか、そういう話でしたよね?」
「うん、だからこそ今以上に、お互いが不仲になるのは避けたいんだと思う。だって、今回のことがもしティグロ族の仕業で、フェレス族とリオヴ族に喧嘩をさせようと企んだことなら、その狙いにまんまと嵌まっちゃうからね。だからリオヴ族はなんだかんだでゴードン一人だけで納得したし、族長もなんだかんだでゴードンの処刑をあっさり認めるようなことしたんだと思うな」
「…………」
あれ、実はノシュカって割と頭良いのか……?
いや、やればできる子なのかもしれない。
牢にぶち込まれた同族を目の当たりにしたことで、少なからず気持ちが引き締まっているのだろう。相変わらず笑みは見せているが、今はそこに暢気さがないように思うし。
しかし、やっぱり今回の件、俺には荷が重すぎるな。
ゴードンに捜査を止められなくても、結局は無駄足に終わっていただろう。
そもそもリオヴ族が既に捜査をしている現状、今更俺たちが調べれば何か分かるかもしれないなどと、思い上がりも甚だしかったのかもしれん。
改めて考えるまでもなく、この事件は多分に政治的な問題が絡んでいるせいで、容疑者が多すぎるのだ。そういう意味ではハウテイル獣王国の、あのタピオというキモオタ風な使節も十二分に怪しい。
先ほどヌギーヌが口にしていたとおり、今回は誰もが犯人候補になる中で、もっとも黒に近いグレーであるゴードンが槍玉に挙がったのだろう。
つまりゴードンはスケープゴートであり、彼をそう仕立て上げてリオヴ族とフェレス族の更なる関係悪化=部族間抗争を企む真犯人がいると考えられる。
単純に考えればゴードンが犯人となるが、深く考えれば考えるほどその可能性が潰えていく。
「ゴードン助けてあげたいけど……族長に期待するしかないかなー……」
ノシュカは笑顔を引っ込めて、悩ましげな顔でうんうん唸っている。
彼女もここに来て、ようやく事態の深刻さを実感しているのかもしれない。
だが、俺たちはここでドロップアウトだ。
やはり万が一にもティルテに害が及ぶような事態は避けないと、ゴードンが浮かばれない。
とりあえず、今日は昼頃にタピオと交流して、それ以降は拠点で大人しくしておこう。メリーがいるから退屈はしないだろうし、ノシュカから獣人語――南ポンデーロ語を教えてもらってもいい。
こうなったからには気分を入れ替えて、自分たちのために今できることを全力でしていこう。
♀ ♀ ♀
昼頃、俺たちはハウテイル獣王国使節団が宿泊しているという建物までやってきた。
俺たちの宿泊所と違って地上にあるが、建物それ自体は似たようなものだった。
「わざわざご足労頂いて、申し訳ありません。ささ、どうぞ皆さん中へお入りください」
キモオタ風タヌキ獣人なオッサンは相変わらず低い物腰で俺たちを歓迎した。
獅子組の義兄弟も玄関先で待つことなく、同じ部屋に入ってくる。こいつらは監視役なので、俺たち余所者とハウテイル獣王国の奴が会って何をするのか、側で見ていたいのだろう。
どうせクラード語で話すから、話は理解されないだろうが。
「他にも我が国の使節団員はいるのですが、生憎とクラード語は小生しか扱えないものでして……それに大勢で仰々しく出迎えると息苦しくさせてしまうかと思い、このたびは団の代表である小生一人だけでおもてなし致します、はい」
タピオは使節団の代表――つまり大使らしいが、とてもそうは見えない恐縮姿勢で俺たちに着席を促した。既に床には食膳が人数分だけ並べられていたので、俺たちはそれぞれ座布団めいた席に着いた。
そして面倒な挨拶もそこそこに、俺は食事に手を付け始めながら早速タピオに話を振ってみた。
「ところで、つかぬ事をお聞きしますけど、タピオさんは何の目的でこの郷へ?」
「あぁ、はい、カーム大森林に住まう方々と友好的な関係を築きたく思い、訪問させて頂いております」
「つまり親善使節団というわけですか」
「はい、そうなりますね、よくご存じで。まだ随分とお若いように見受けられますが、クラード語が堪能ですし、聡明でいらっしゃる。よろしければ、お歳のほどを伺ってもよろしいでしょうか……?」
八歳だと答えると、タヌキ中年は大げさに驚いてみせた。
しかし……そうか、使節といっても色々あるが親善使節なのか。
それなら俺たちとも友好的な関係を築きやすいだろう。
獣王国で今回の殺人放火事件のような面倒事に巻き込まれないためにも、ここで公僕との人脈を構築しておくことは大いに意味がある。
「失礼ですが、ローズさんは我がハウテイル獣王国の南の国境が、カーム大森林と接していることはご存じですか?」
「それは、もちろん」
「森境では常々、様々な問題が起こっておりまして、我が国としても頭を悩ませているのです。特に山賊などの良からぬ者たちが大樹ピュアラを密伐することが多く、そうした件を受けて森の皆様が我が国へ抗議なさることもしばしばでして……我が国はそのような横暴は行っておらず、カーム大森林の方々とは仲良くしていきたいと考えているのです、はい」
タピオはふくよかな顔に柔和な笑みを浮かべた。その笑顔は微妙に気持ち悪くて滑稽に見えるが、だからこそ妙な愛嬌がある。
見た目はキモオタ風で物腰も低いが、こいつはこれで大使なのだから、きっと俺より遙かに頭は回るはずだ。
仲良くはなりたいが、あまり気を許しすぎないようにしないとな。
タピオは俺の隣に座るノシュカに目を向け、クラード語で他愛もない話題を振り始めた。あまり俺とばかり話していてはノシュカたちに無礼だとでも思ったのだろう。
その隙に、俺は自分とメリーの食事を進めていく。
メリーは実によく食べる。
床に四肢を突き、器に盛られた肉やら野菜やら白米やらが盛られた山に顔を突っ込んで、ムシャムシャと小さな身体に収めていく。
その姿を見ていると、否応なく慈愛の念が湧き上がってくる。
この身体に秘められた母性本能が反応しているのだろうか……?
「ローズさん、今朝方小耳に挟んだのですが、なんでもそちらの竜はこの郷までの道中で生まれたものだとか」
「ええ、まあ……」
タピオが俺のメリーに例のキモい視線を送ってきた。
このタヌキ中年、美少女フィギュアを見つけたらまず真っ先にスカートの中を覗き込むタイプだな。
し、親近感なんて湧かないんだからねっ!
「竜の卵など、どちらで手に入れられたのですか? 後学のためにも是非ともお聞かせ願いたいのですが」
「あ、えーとですね……知り合いから頂きまして。旅の途中、ある商人を助けたお礼として受け取ったのですが、まさか本当に生まれてくるとは」
「その商人、どこのどなたかお教え頂いても?」
「すみません、私も一度しか会ったことがありませんし、詳しいことは何も……」
「そうでしたか……それは残念です」
タピオは言葉通り、心底から悔しそうな顔で苦笑しつつ、おにぎりにかぶりつく。
俺はそれを横目にメリーの背中を撫で、大学芋っぽい芋料理を差し出してやる。メリーは小さな口でパクリと食いつき、咀嚼して呑み込むと「キュェェ」と鳴きつつ両翼を上下させる。
さすがにカーウィ諸島で真竜をぶっ殺して入手したなどとは言えないし、転移盤の守秘義務もある。これが一番無難な誤魔化しだ。
それにしても本当にメリーは可愛いな。
早く大きくなって俺を背中に乗せておくれ。
「ローズさんは魔大陸からいらしゃったとのことですが、なぜこの森へ……?」
「見識を深めるために、ユーハさんとベルさんの三人であちこちを旅してまして」
「それはそれは、ご立派なことで。小生もこの大陸だけではありますが、若い頃に旅をしたことがあります」
「そういえば、タピオってロア平原じゃなくて獣王国出身なんだよね?」
ふとノシュカが話に入ってきた。
ちなみにオッサン二人はたまにこちらの様子を窺いつつも、料理について話し合っている。獅子組の義兄弟も何やら俺たちの方をチラ見しながら雑談に興じている。フェレス族側の監視役である猫耳中年モデストは、どうやら先ほどから俺とタピオの会話をノシュカに翻訳させていたっぽい。
まだ信用されてないのかね。
「えぇ、はい」
ノシュカに問われたタピオは鷹揚に頷き、笑みを深くした。
「森の方々からはたまに訊ねられますが、小生は獣王国の生まれです」
「そういえばノシュカ、昨日も言ってましたけど、どうしてロア平原だと?」
「ラクート族はロア平原に住んでる一族だからね。フォルス族とラクート族はウチらフェレス族と同じで、比較的魔法力が高いから、ウチらの郷にもたまに来るんだよね」
「これは推測になりますが、小生の祖先は復興期のハイネス帝国時代にでも、ロア平原から世界へ飛び出していったラクート族の者なのでしょう」
世界帝国時代でも、南ポンデーロ大陸のポンディ海以南は沿岸部など一部地域以外、獣人たちの領域だった。が、当然そこに住まう獣人部族の中からも世界へ飛び出していった人々はいたらしい。
このカーム大森林はもちろん、南のロア平原、ポンディ海を挟んで東側に広がるフォルスター大峡谷など、様々な地域の様々な獣人たちが世界中へ散っていった。
タピオの祖先然り、たぶんラヴィの祖先も復興期かそれ以降にカーム大森林を出て行ったフェレス族の者なのだろう。それだけでなく、リーゼやメルやウルリーカは元より、多くの獣人たちもまた同様のはずだ。
「ローズさんは魔大陸出身なのですか?」
「ええ、そうですね」
「では、どこの国家にも属してはおられないと?」
「そう……なりますね、自由気ままにやっていきたいので」
俺の言葉に、タピオは満面の笑みを浮かべ、ここぞとばかりに俺の目を力強く見つめてきた。
そして恭しくも熱の籠もった声で言ってくる。
「それでは是非とも、我が国へ来て頂けませんか? 我が国は獣王国と冠されてはいますが、人間や翼人、魚人に巨人も多くおります。リオヴ族の方からローズさんの実力の一端は耳にしておりますし、こうして言葉を交わさせて頂いていると非常に聡明であることが伝わってまいります。将来は間違いなく、さぞ高名な魔女になられるでしょう。我が国は魔女の方々に対して、かのプローン皇国やオールディア帝国、リーンカルン王国などの大国にも決して劣らぬ待遇をもって歓迎させて頂いております。自由気ままにやっていきたいと仰るローズさんの意志は最大限尊重いたしますし、決して暮らしには困らない俸給もお約束いたします。どうでしょう、ローズさん、我がハウテイル獣王国所属の魔女となって頂けませんか?」
凄い勢いで熱弁を振るわれ、対面に座るタピオはずいっと上半身を突き出してくる。勧誘されるだろうとは思っていたが、まさかここまで熱心にされるとは思わなかった。
しかし今の口ぶりからすると、タピオはまだ八歳児な俺が詠唱省略できることを知っている。聖天騎士たるオルガも俺の実力は認めていたし、ただでさえ魔女は希少なのだから、たぶん俺は相当に希有な存在なのだ。
しかも俺を国に引き込めれば、火竜の赤子までセットでついてくる。
もはや国家からすれば、俺の存在は金塊以上の価値があるといえるだろう。
だからこそ、タピオはこんなロリにも礼儀正しく接しているのだ。
俺の答えはもちろんノーだが……後学のために少し訊いてみるか。
「ちなみに、その俸給というのは如何ほどの額になるんでしょう?」
「そうですね……魔法院や軍など所属する機関で異なりますが、魔女でしたら最低でも一期で90万グルエは頂けるでしょう。ローズさんは無属性の特級魔法〈霊衝圧〉を詠唱もなく行使したと聞き及んでおりますが、間違いありませんか?」
「え、ええ、そうですね」
本当に耳が早いな、おい。
俺にやられた獣人のオッサンから聞いたんだろうが、あのオッサンが帰ってきたのは昨日の昼だ。
僅か一日で聞き出してくるとは、こいつリオヴ族に相当顔が利くっぽいな。
「それでは適性属性は無属性ですか? あぁいえ、お答えしたくなければ、もちろん結構です」
「まあ、そうですね、無属性です」
今更隠すのもなんだし、正直に頷いておいた。
するとタピオは少し考え込む素振りで目を伏せた後、ややキモい営業スマイルを添えて言った。
「無属性の適性者は比較的数が少ないですし、ローズさんの今現在の実力も考慮しますと……おそらく、一期で600万グルエはくだらないでしょう。将来的にはこの三倍以上は確実かと思われます」
「あの、グルエって、ハウテイル獣王国の通貨ですか? ジェラかリシアに換算すると如何ほどなんでしょう……?」
「あ、これは申し訳ありません、つい我が国の通貨単位で申し上げてしまいました。恥ずかしながら、魔大陸の通貨であるジェラには詳しくありませんのでお答えできかねますが、オールディア帝国通貨であるリシアに換算しますと……600万グルエはおおよそ300万リシアといったところでしょうか」
「300万リシア……?」
ちょっと待て……待てよ、落ち着け、落ち着け俺。
もう四年以上も前だが、たしか俺が都市クイーソで見掛けたそこそこ美人な年頃の奴隷(処女)が、ちょうど40万リシアじゃなかったか……?
アレがたったの一節半足らずで買える額だと?
しかも将来的には一期で二十二人分以上は硬いだと?
「――――」
「ローズさん? 如何されましたか?」
い、いかん、こいつはヤバいよ、ヤバいって……。
だってさ、ね? というか……えぇ?
300万リシアをジェラに換算すると、おおよそ900万ジェラくらいだ。
ディーカの町では贅沢しなければ、一日に300ジェラで三食普通に食える。
一期(九十日)の食費を27000ジェラとして、その食費をディーカの人々の平均一期収入の15%と仮定すると……平均一期収入は18万ジェラとなる。
俺の給料、現時点でさえ並の五十倍、だと……!?
「ちなみに……ちなみですが、専属騎士はつきますか?」
「それは魔女の護衛役ということでしょうか? それでしたら、もちろんつきます。ただ、ローズさんは稀に見る大変優秀な魔女でいらっしゃいますから、常に三人以上はついてもらうことになるでしょう」
「三人以上、だと……!?」
それはもうハーレムじゃないですか!
人間、獣人、翼人の美女騎士を一人ずつだっ!
「その点では、ローズさんに窮屈な思いをさせてしまうことになるかと思いますが……」
「そんなっ、とんでもない!」
「え……あ、そうですか……?」
タピオは意外だと言わんばかりの表情を見せている。
こいつキモオタのくせにハーレム願望がないのか?
「で、ではローズさん、我が国へ来て頂けますか?」
「…………いえ、すみません、それはできません。私としても非常に悩ましいことではありますが、今のところ特定の国家に属する気はあまりないので」
「そうですか……残念です。しかし、少しでも気が変わられたら、いつでも仰ってください。我が国はローズさんのような優秀な魔女でしたら、いつでも歓迎いたします、はい」
「ありがとうございます」
俺は謙虚な姿勢で頭を下げておいた。
礼をもって接してくる相手には、俺も礼をもって接するよ。
それにタピオには頼みたいこともあるしね。
「ところで、タピオさんはいつ頃、国の方へお帰りになるんですか?」
「小生どもは……そうですね、この郷で起きた此度の件が落ち着き次第、すぐにでも帰国する予定です。本来ならば二節ほど前に帰路に就く予定だったのですが、此度の件でリオヴ族の方々から引き留められておりまして……」
まあ、そうだろうな。
こいつらだって容疑者といえば容疑者なんだし、ティグロ族たち同様に帰すわけにはいかないのだろう。
だが、明後日の昼にはゴードンが犯人だと確定してしまう。
「翼人の方に抱えられて、この郷まで来た……ということはないですよね?」
「はい、もちろんです。ここは獣人族の方々が住まう土地ですからね。他種族の方は警戒されてしまうので、小生どもは地上からラノースに乗って参りました」
やはりか。
さっきチラリと見た他の使節団員は全員が獣人だったし、親善大使がみすみす他種族を連れてきて警戒される愚を犯すはずがない。
「では、もしよろしければ、道中をご一緒させてもらってよろしいですか? 私たち、ハウテイル獣王国の港町から船に乗りたいもので」
「あ、そうなのですか。そういうことでしたら、もちろん大丈夫です。むしろ是非ご一緒して頂きたく思います、はい。ローズさんのような優秀な魔女がいてくだされば、道中の魔物も恐るるに足らず、ですから」
タピオはお世辞とは思えない素振りで嬉しそうに頷いている。
魔物云々は嘘ではないのだろうが、たぶん俺と道中を共にすれば説得する機会が増えるとでも思っているのだろう。
やはり魔女は国家にとって重要なもんらしいな。
「まあ、私よりユーハさんの方が強くて頼りになりますけどね」
「あちらの剣士殿ですか……?」
「見た目はちょっとアレですけど、もの凄く強いです」
タヌキ中年は半信半疑な様子で、食事を進めるユーハを見つめている。
するとユーハが視線に気付き、パッツンヘアーと黄色い眼帯で飾られた割と精悍な顔をタピオに向けた。
たしかにあの形では強そうには見えないけどさ……。
「ユーハ殿は、その、ローズさんの護衛なのですか?」
「そうですね、護衛剣士です」
「ローズさんほどの魔女の護衛ですか。とすると、やはり相当な使い手なのでしょ――ん? あ、ユーハ殿と仰いましたか? もしや、かの《七剣刃》の一振り、破魔刀《蒼哀》の今代所有者であるというスオルギ・ユーハ殿でしょうか? 五年以上も前から、《蒼哀》と共に行方不明になっていると風の噂で耳にしたのですが……?」
タピオは俺とユーハの交互に視線を向けながら、眉をひそめつつも驚愕を露わにしている。
こいつ、さすがは大使というべきか、国外の情報にも通じているようだし、頭も良く回る。いや……感心している場合じゃない、これは不味いぞ。
まさか感付かれるとは思ってなかった。
ユーハはここ数年、ディーカの町ではオラシオという偽名を名乗っていた。
というより、エノーメ大陸の猟兵協会で猟兵登録をする以前――祖国を去った直後から、偽名を使用していたとか。
とてもそうは思えないが、このオッサンは北凛流に五人といない天級剣士として武人や国家の間ではそこそこ有名人らしく、何より世に二つとない激レア装備品の所有者として広く名が知られているそうだ。
ユーハの愛刀は、MMORPGでいうところのサーバーに一つしかないユニーク武器であり、国宝級どころか世界遺産並に希少な品だ。更にユーハ自身、祖国から追われる身であったため、普段は名前を偽っておく必要があった。
ただ、どうにもユーハは相手に誠意を見せるときは本名を名乗る嫌いがある。
俺のときは相手がロリだから良いと思ったのだろうが、ベルのときは本名を名乗ってたしね。そもそも名前がユーハという剣士だからといって、有名人本人だと結びつける者もそういないだろうから、ホームタウンであるディーカから離れればそこまで意識する必要もない。
だからこそ俺もティルテには普通に本名を教えていた。
それがまさか、カーム大森林というド田舎で感付かれることになろうとは……。
このキモオタ風タヌキ獣人が獣王国の使節と聞いた時点でもっと警戒すべきだった。まだタピオは半信半疑なので誤魔化せるだろうが、刀を見せろと言われたら一発アウトだ。メタルブルーな刀身は特徴的すぎるし、模造品だと言ってもこの状況ではさすがに信じまい。
「……タピオさん、このことは内密にお願いします」
「で、では、ユーハ殿はご本人であると……?」
俺が静かに頷くと、タピオは未だ信じられない様子でユーハを見つめていた。
「ねえ、ローズ、ユーハってそんなに有名人だったの?」
「みたいですね」
ノシュカは暢気な声で「へぇー」と言いながら、メリーに手渡しで肉を与えている。
「いやはや……その、非常に驚いてしまいました。ローズさんほどの魔女と行動を共にしているのであれば、不思議ではありませんが……ちなみに、どういった経緯でお知り合いになられたのでしょう……?」
「それはご想像にお任せします」
「想像ですか、小生のような凡俗の輩にはとても想像できませんが……きっと歴史にある偉人たちの物語めいた、素晴らしい出会いがあったのでしょうね」
「…………」
船倉で鬱ってる武者風のオッサンがいたからRMCを駆使して護衛剣士に仕立て上げただなんて、とてもではないが言えない……。
それから、俺たちは食事を進めながら色々と話をしていった。
無論、俺はあまり喋りすぎないよう注意して、表向きは友好的な態度で接しながらも、裏では警戒心を抱き続けていた。どうにもタピオは情報通で頭も良いようなので、余計なことを話せば何がどうなるか分からない。
ちなみに、ハウテイル獣王国入りした後の道中に関する支援などについてはまだ話していない。獣王国までの道中でタピオは俺の勧誘を続けるだろうから、こちらはそれを逆手にとって上手いこと交渉していくつもりだ。
……つもりだから上手くいくとは限らないが、俺には商人ベルがついている。
交渉事についてのイロハなら、あの新人類にレクチャーしてもらえばいい。
食事が終わり、雑談も落ち着いてそろそろお暇しようかな……と思ったとき。
「ところで、ローズさん」
タピオが食後の午睡を楽しむメリーに例のキモい眼差しを向けて、さりげない口調で言ってきた。
「そちらの、火竜らしい竜の赤子ですが、よろしければ我が国に譲って頂けませんか……? もちろん、タダとは申しません。ローズさんの希望するもの、あるいは金銭を、我が国で用意できる限り差し上げます。何でしたら、我らが国王から爵位を賜ることもできるでしょう。いかがでしょうか、ローズさん」
「すみませんけど、メリーを手放すつもりはありません」
俺はきっぱりと断った。
本当は今後のためにも交渉の余地くらいは匂わせておいた方が良いのだろう。
が、俺自身のことならともかく、メリーはダメだ。
この愛らしい我が幼竜を交渉事に利用するなど、もってのほかだ。
「そうですか……」
タピオは、美少女フィギュアのスカート内部が酷く残念なクオリティだったときのように、キモい苦笑を覗かせた。そして俺とメリーの両方を未練がましい顔で見つめてきながら、相変わらずの慇懃な態度で頭を下げてくる。
「ですが気が変わりましたら、いつでも仰ってください。もしお望みならば、一生を遊んで暮らせるだけの金銭を差し上げることも可能でしょうから、はい」
「私が貴国所属の魔女になる件はともかく、メリーのことで気が変わることはありません」
「ですが、もしローズさんが我が国に来て頂けることになれば、そちらの火竜も共に来て頂けるのですよね……?」
「まあ、仮にそうなれば、そうなるでしょうね」
さすがに少々しつこくて面倒だったので、おざなりに首肯しておいた。
するとタピオはその返事で満足したかのように、満面の笑みを見せつつ大きく頷いた。
なんというか……役人も大変だな。
それとフリーの魔女も大変だということが、良く分かった。
そんな感じに、色々と見識が深まった交流を適当に切り上げ、俺たちは使節団の宿泊所を後にした。
結局、オッサン二人は全然会話に入れないで、ほとんど俺だけが話しちゃったな。
♀ ♀ ♀
帰り道、あちこちに獅子組構成員と猛獣が散見される郷の中を、のんびりと歩いて行く。
その途中、俺は気になることがあったのでノシュカに話しかけてみた。
「ノシュカ、タピオさんには色々訊かなくても良かったんですか?」
「ん? なんのことー?」
「森の外のことです。タピオさんは獣王国の人でしたけど、私たちのときみたいに話を訊いているようではなかったので」
隣を歩く笑顔美人は小首を傾げていたが、「あぁー」と漏らしつつ頷いた。
「うん、まあ、なんかそんな気分じゃなかったからねー」
そう答えるノシュカの表情は別段暗くはないし、むしろ微笑みさえ浮かんでいる。が、ここ最近は毎日見せてくれていた暢気で朗らかな成分は欠けていた。
やはりこの姉ちゃんも自重していたらしい。
と思って納得していると、ノシュカは少しだけ眉間に皺を作って呟いた。
「それになんか……ウチ、この人あんまり好きになれそうにないなーって感じたから」
「え? この人って、タピオさんですか?」
「うん。上手く言えないけど、なんていうか、ちょっと嫌な目してたから」
自分でも不確かな感情なのか、珍しく小難しい顔になって首を捻っている。
しかし……そうか、さすがのノシュカもキモオタ風タヌキ獣人なオッサンはお断りか。そういえば昨日、俺たちと会ったときはしてきたハグを、同じ余所者のタピオにはしていなかった。
まあ俺たちの場合はティルテという同族を助けたから、感謝と歓迎の意味もあったのだろうが……でも思い返せば、昨日のノシュカはタピオとの握手もスルーしていたな。
や、やっぱ幼女は最高だぜ! 幼女で本当に良かったよっ!
「そういえばさ、さっきあの人と一緒にハウテイル獣王国まで行くって話してたよね?」
「はい。あ、これでフェレス族に案内してもらわずに済みますね。あとで族長さんに伝えておいてくれませんか?」
「うん、それはいいんだけどさ、ウチも一緒に行っていい?」
「え? 一緒にって、ハウテイル獣王国までですか?」
「うん」
ノシュカは微笑みを湛えながらも平然と頷いている。
突然の話に、俺は少し驚きつつ訊ねてみた。
「それは……えっと、もちろん構いませんけど、急にどうしたんですか? もしかして、郷を出るつもりなんですか? それとも観光的なアレですか?」
「観光じゃないよ、この森を出て行こうと思って。それと急でもないよ、前からずっと考えてたことなんだよね」
巨大樹の幹をぐるりと取り巻く螺旋階段を、ノシュカは笑顔美人らしく軽快な歩調で上っていく。
だが表情に遊びがなかったし、どことなく真剣な様子が伝わってくる。
「小さい頃から、森を出て外の世界を旅して回りたいなーって、そう思ってたんだけど……なんていうのかな、踏ん切りがつかないっていうか、いざ郷を出ようって考えると躊躇っちゃうっていうか」
「…………」
「森ではみんなで暮らしてるけど、外の世界だとウチ一人になるわけでさ。郷を出て行ったらみんなどう思うのかなーとか、一人でちゃんとやっていけるのかなーとか、色々不安もあったしね」
普段はアレだけど、この姉ちゃんも思い悩むこともあるんだな。
いや、誰にでも大なり小なり悩み事や心配事はあるだろうから、当然といえば当然の話だけど、やっぱり少し意外感はある。
「あ、もちろんローズたちに迷惑掛けるつもりはないよ。ローズたちは港町まで行くんだよね? だからそこまでは一緒に行かせてもらって、そこからは一人でやってみようかなーって思って」
「いえ、べつに迷惑だとかは全然思いませんよ。むしろ今回の件でノシュカには通訳として迷惑掛けまくってますから、頼ってもらっていいですよ?」
ノシュカは俺の頭を撫で撫でしながら、「ありがとー」と言って落ち着きのある大人な笑みを見せる。
「本当はさ、今回のことでこれから少し大変になるかもだから、そんな状況で出て行くってことに躊躇う気持ちはあるんだよ? でも、なんていうのかな……こういうことの切っ掛けって、凄く大事だと思うんだ」
「……切っ掛け、ですか?」
「誰にも何にも頼らず、自分の身一つで外の世界へ出て行くことって、凄く勇気のいることだし、思い切りの良さも必要で、なかなかできることじゃないよね。でも、森の外の人が一緒だと少しは安心できるし、勢いで未練なんかも吹っ切れちゃえると思うんだ」
……まあ、彼女の言いたいことは何となく分かるよ。
要は前世で俺がニート生活から脱却できるか否かって問題と本質は同じなんだよね。
人は無意識的に安定を求める生き物で、現状に満足していようとしていまいと、変化を恐れる。
ずっと森で暮らしてきたノシュカは外の世界へ憧れてはいても、慣れ親しんだ郷での暮らしや仲間たちを捨ててまで、外へ飛び出すほどの勇気がない。
良くも悪くも安定している現在を捨てた結果が、現在より不幸な未来でしかなかったら?
真剣に考えれば考えるほど、そうした不安は大きくなっていくものだ。
だからなかなか一歩が踏み出せず、ずるずると現在の安定を維持し続けて、希望と絶望が入り混じった不安定な未来を見つめて、憧れることしかできない。
だが、そこに切っ掛けが現れたら? 自らが踏み出そうとしている未来の舞台をよく知る人がいて、一緒に行動できるとしたら?
それはとても心強いだろう。
勇気を出して一歩を踏み出してみようと思えるようになるかもしれない。
前世の俺は未来へと踏み出せなかった。
今になって思い返せば、大小問わず切っ掛けは無数にあったように思う。
それでもクズニートという砂上の楼閣からは抜け出せなかった。
どうしても勇気が出なかったのだ。
「きっとローズたちがいなかったら、ウチは外の世界に憧れるだけで、ずっと動けなかったと思う。周りの子たちがどんどん結婚していく中で、ウチは森を出て行くんだっていう意地を張り続けて、でもいつかは諦めちゃってたと思う」
「結婚……」
「本当は十五になったら出て行こうって思ってたんだけど、なかなか動けなくてさ。ウチ全然男っ気なかったから、ここ三年くらいは周りから結婚しろ結婚しろってうるさくて……まだ十八歳っていっても、もう十八歳だしね。でも、良かった。みんなの言葉に流されずに意地張ってて」
そこでノシュカは朗らかな笑みを咲かせるも、すぐに苦味を織り交ぜて肩を竦めた。
「まあ、こんな状況でこんなこと考えちゃうのって、薄情なことなんだけどね。ゴードンは死んじゃうだろうし、フェレス族とリオヴ族はこれから色々あるだろうし、そんなときに出て行くわけだからね」
「……いいんじゃないですか、薄情でも」
「え……?」
「ノシュカが自分で考えて、自分で決めたことなんです。その決断に対して起こる問題や責任を、ノシュカ自身が負い続ける限り、誰にも文句は言えませんよ」
正直いえば、少し薄情だと思わないでもない。
しかし、彼女はきちんと自分で考えて、決断を下したのだ。
自分で薄情だと承知していながらも、未来へ踏み出そうとする笑顔美人は応援してやりたい。
ノシュカは少し驚いた顔で俺を見つめてきたが、ふっと肩の力を抜くように笑顔を見せた。
「ありがとう。ローズは……うん、すごく大人びてるね。なんかついつい語っちゃったよー、森の外の子はみんなそうなのかなー?」
「……いえ、私だけだと思います」
「そっか、ちょっと安心したかも。ウチ馬鹿だからみんな頭良かったらどうしようかと思っちゃった」
あまり幼女らしくない部分は見せない方がいいか。
万が一にもノシュカが自信喪失しちゃ不味いしね。
まあでも、俺が幼女幼女していたら、ノシュカは話してくれなかっただろう。
暢気そうに見える笑顔美人さんでも、けっこう色々考えてるんだなと分かって、ノシュカという女性がより身近に感じられるようになった。
今後もこういうことはあるかもしれないし、やはり今くらいの幼女っぽさで丁度良いのかもしれない。
とりあえず、俺はノシュカが同行する件をオッサン共に話してみた。
するとユーハは静かに頷き、ベルは「あらま」と手を合わせつつ目を見開いた。
「アタシはいいと思うわよぉ、女を磨くには色々な人と関わり合っていかなくっちゃね! 外の世界へ飛び出して、より一層魅力的な女になろうだなんて、素敵じゃないっ!」
「いや、ベル殿、ノシュカはそうした意味で森を出ようと思っているわけではないと思うのだが……」
「目的は何だっていいのよっ、女として大きく成長できる環境に飛びだそうっていう気持ちが大事なんじゃない! アタシも負けてらんないわね! でも今はカーム大森林っていう普通じゃ来られない場所に来てるから、きっとこうしている今もオンナとして大きく成長中に違いないわねっ!」
そうだな、新人類として更なる位階へ到達するため、まあ頑張ってくれや。
心身の性差がもたらす苦しみは俺も分かるからね。
そんなこんなで雑談しながら歩いて行き、あてがわれた宿泊場まで目前というとき。
どこか見覚えのある獅子獣人が前から歩いてきた。
「あ、クーバルの旦那! お疲れ様ですっ!」
ノシュカ自動翻訳サービスが童貞ボリウェンの声を訳してくれた。
若造は立ち止まって三十代半ばほどのオッサン獣人クーバルへと直角に腰を曲げ、兄貴分は低頭する。
これまでも幾人かの獅子獣人たちとはすれ違って来たが、義兄弟はたまには声を掛けて今のように挨拶をし、挨拶されていた。
獅子組内の上下関係とか、そういうのがあるのだろう。
若造共から挨拶された側は大抵、そのまま一言二言残して足を止めることなく去っていた。が、クーバルは立ち止まって、俺たち余所者を炯々とした眼光で睨み付けてくる。
この人、緩みなく引き締まった表情といい、強い眼力といい、なんか怖いよ……。
「クーバルさん、どうかしましたか」
必然、俺たちも何となく足を止めてしまい、兄貴分ヌギーヌがそう声を掛ける。
するとクーバルの旦那は俺――正確には俺が胸元に抱いているメリーを見つめつつ、口を開いた。
「その生き物はなんだ?」
「あぁ、それは火竜らしいっすよ、竜ってマジでいたんすね!」
「竜……?」
童貞の言葉を聞いて、一歩踏み出しつつ、メリーを覗き込むオッサン。
そんな怖い眼で俺のメリーを見つめるんじゃねえよ。
と思ったが、なんか興味深げな感じがする。
そこで何を思ったのか、ノシュカがクーバルに話しかけた。
何を言っているのかは不明だが、ノシュカは敵意もなければ臆した様子もなく、普通に明るい調子で何事かを言っている。
クーバルは変わらぬ眼力で、無邪気に「キュェ」と鳴くメリーと軽快な口調で話すノシュカを交互に見遣り、なるほどと言わんばかりに頷いた。そしてオッサンは表情を一切緩めず、ノシュカに対して口を開き、言葉を交わし合っていく。
というか、そういえばこのオッサンって有力証言者なんだよな。
間近から見てみると分かるが、親分さん同様にこいつも何人か殺してそうな面をしている。案外、このオッサンが犯人だったりするんじゃねえのか? ゴードンが容疑者として最も疑われているのはこいつの証言の影響力も大きいだろうし。
しかしそうなるとリオヴ族が犯人ということになって、獅子組と猫組の双方がデメリットを被るという点で筋が通らない。
いや……もう犯人捜しはしないとゴードンと約束したんだ。
色々話を聞きたいとは思うが、自重せねばなるまい。ノシュカは何か話しているようだが、この雰囲気からしてメリーに関することだろう。
しばらくすると会話は終わり、ボリウェンとヌギーヌに何事かを告げて、クーバルは去って行った。
俺たちに挨拶をしなかった点はこれまでの獅子獣人共と変わりなかった。
「ノシュカ、あの人とどんな話をしてたんですか?」
「メリーのことだよ。なんか興味あるっぽかったから、話してみたの」
「それで、あの人はなんと?」
「竜っていうより、竜人とかカーウィ諸島……いや、んー、なんか少し同じ匂いがしたね。たぶんあの人も森の外のことに少なからず興味あるんじゃないかなー?」
ノシュカは首を捻りつつも、口元に浮かべた微笑みは消えていない。
今更だが、やっぱりこの笑顔美人さんは結構感性で生きてる人だね。
この場合の匂いが物理的なものでないことは明白だし。
俺たちが話している横で義兄弟も何やら話し始めたので、念のためノシュカに訳してもらった。
「なあ兄者、オレ思うんだけどさ、オレもクーバルの旦那みてえな表情してれば威厳が出てくるんじゃねえかな?」
「抜かせ、童貞には一生威厳なんてもんは備わらねえよ」
「な、なんだよ兄者っ、童貞童貞って童貞の何が悪いんだよ!? オレだってヤッてみてえよ、でもできねえんだよっ、だから威厳を身に着――って兄者聞いてんのかよ? 旦那の去りゆく背中ばっか見てねえでオレの話を――っきブァ!?」
「うっせえぞボケ、考え事してんだ黙ってろ童貞」
やはりというべきか、獅子組義兄弟の会話内容はくだらないものだった……。
もうこいつらの遣り取りは訳さなくてもいいよとノシュカに言ってしまいたくなるが、それは止めておく。今後、何か重要な会話が交わされる可能性はあるし、童貞と連呼する罵声を笑顔美人が訳しているのを聞いていると、なんかぞくぞくしてくる。
ちなみに俺はMじゃない……はずだ。
その後、間近に迫った宿泊場へと辿り着き、俺たち余所者は屋内で静かに過していった。本当は郷の中を散歩して、色々と見て回りたいが、出歩くと何か問題を起こさないとも限らない。
俺はノシュカと一緒にメリーの世話をして、その日を終えた。
誤解されそうなので補足。
ローズの想定給料は世間一般の魔法士の平均収入より幾分も高額です。
特級魔法まで使える魔法士は全体の一割もいない程度だと、第四章で描写したため、八歳で特級魔法を無詠唱で行使する魔幼女という存在は相当な希少種です。
当然、タピオはローズを「稀に見る非常に優秀な魔女」と認識している=将来的には覇級以上の魔法も使えるだろうと見込んでいるため、先行投資の意味合いも含んでの金額となっています。