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幼女転生  作者: デブリ
六章・獣人編
119/203

 間話 『それでも某はやっておらぬ 転』


 ■ Other View ■



 歴史ある、そして誇りある護身刀の任を正式に解かれた、その翌日。

 橙土期第七節、最初の日。

 それは起こった。


 昼食を済ませて間もなく、ユーハは新たなお役目のため、午前から引き続き城内の一角にある練兵場で兵たちの練度を見極めていた。

 これまでにも幾度か兵たちと模擬戦はしてきたが、いざ全体に教えるとなると、入念な調査が必要だ。どれほどの技量を持ち、どこから鍛えていくのか、数人なら未だしも何百何千といった規模となると、改めて全体の平均練度を見極めるのも一苦労だった。

 故に、従来の練兵役の者たちと共に、場外から兵たちが剣を振るう様を眺め回していた。相変わらず気分は晴れず、未練も余りあるが、だからといって主命を蔑ろになどできないため、集中する。


「ユーハ殿、シュンラク様がお呼びです」


 見慣れた御用人の若者が走り寄って来て、ユーハにそう告げてきた。

 なんだろうかと思いつつも、主君がお呼びとあらば急ぎ駆けつけねばならない。

 御用人と共に練兵場から御殿へ向かい、彼の案内のもと雅な庭先が臨める廊下を歩き、主君の寝所へと急ぐ。

 しかし、ユーハは疑問を抱いた。

 普段のシュンラクはこの時間なら城で政務に励んでいるはずだが……。


 考えているうちに寝所前に到着するも、襖の前には見慣れぬ黒装束の男が二人、立っていた。露出した部分は目元だけで、それ以外は上から下まで黒地に包まれており、両腰には短刀と思しき得物が見られる。


「シュンラク様、ユーハ殿が参りました」

「……そうか」


 黒装束が襖越しに呼び掛けると、その向こうからシュンラクの声が返ってくる。

 何はともあれ入室しようと、ユーハは襖へと一歩を踏み出す。

 が、黒装束が眼前に立ちはだかった。


「申し訳ありませんが、御部屋へ入れることは適いません」

「なに、それはどういうこ――」

「ユーハ」


 黒装束を訝しげに睨み付けていると、内側から襖が僅かに開き、シュンラクの声が名を呼んできた。襖の隙間からは布団の上で上体を起こしたシュンラクがおり、見るからに顔色が優れない。

 ユーハはすぐにその場で膝を突き、やや動揺を隠せぬまま主君へと問いかけた。


「どうされたのですか、シュンラク様。このような時間に床に入っておられるなど。それにその顔色は如何されました、何かあったのですか」

「何かあっただと? あぁ、あったぞ、大いにあったわ」


 静かな声ながらも、かつてない怒りが籠もっていた。

 青白い顔は生気が薄く、そのせいで神経質な気質が浮かび上がっているかのように、表情が険しく見える。

 

「先刻食した俺の昼餉に毒が入っていた」

「――っ!?」

「しかし、この通り俺は生きている。普段から食事中は高位の解毒術士を控えさせていた甲斐があった」


 淡々と語る口調は不自然なまでに落ち着いており、反して声音と表情にはまざまざと感情が浮き出ている。

 かつてないほどに、主君は激怒しているのが察せられた。


「俺は毎食毎食、毒味をさせていたことはもちろん知っているな、ユーハ」

「それは……もちろん存じております。しかし、にもかかわらず、なぜ毒が……?」


 ユーハは主君に降りかかった突然かつ予想外の出来事に驚き、そう返すのがやっとだった。

 

「毒味役か配膳役あたりが、隙を突いて毒を混入させたのだろう。いずれにせよ、怪しい者は既に捕らえている」

「そ、そうですか。して、シュンラク様、お身体は大丈夫なのですか」

「…………」

「シュンラク様……?」


 鋭く細められた双眸から無言で見つめられ、ユーハは何事かと訝しんだ。

 が、主君の前で眉をひそめるような無礼はしないよう、努めて平静な面持ちでシュンラクの言葉を待つ。


「ユーハ、《蒼哀》をそこの男に渡せ」

「は……? 突然如何されました」

「俺に二度同じ事を言わせるな」


 どこか張り詰めたような空気の中、ユーハは不可解ながらも愛刀を鞘ごと腰帯から外し、黒装束の男に手渡した。

 すると代わりに、無骨な鋼鉄を渡される。


「ユーハ、それを自分で手に着けろ」

「え、は……シュンラク様? なぜ、某がこのようなものを」

「…………」


 ユーハは物々しい手枷を持ちながらシュンラクに問いかけるも、今度はただ無言を返されただけだ。その言葉無き圧力は尋常ではなく、さすがのユーハも事ここに至って、主君が何を思っているのか理解した。


「よもやシュンラク様、某を疑っておられるのですか……?」

「早く着けろ、ユーハ」

「な、なぜです、本気ですかシュンラク様!? 某が貴方様の毒殺を謀ったなどと、本気で――」

「早く着けろと言っているっ、ユーハ!」


 普段はまず声など荒げない若き主君が大音声を響かせた。

 それだけでユーハは出かかっていた言葉を呑み込み、硬直してしまう。


「俺が疑り深いことはお前も知っているだろう、ユーハ。ここ最近のお前の行動は十二分に疑わしいものだ、故に拘束する」

「何を仰っているのです、某のどこが疑わしいと――」

「俺が護身刀を廃すると報せてから、お前は方々へ声を掛けていたよな? 愚弟シュンガイを始め、家臣団の面々と度々接触し、あまつさえ郊外で異邦の者とも会っていただろう」


 そう口早に告げてくるシュンラクの相貌は猜疑の色に染まりきっていた。

 常日頃から誰をも信じていない男だったが、今はそれが一目見ただけで瞭然と分かるほど、どこか切羽詰まった顔をしている。


「お前が不満に思うことなど分かりきっていたことだ。だから最近は黒幽衆を使ってお前の様子を監視させていた。シュンガイに何を言われた? 臣共に何を言った? 昨日の剣士は何者だ?」

「――――」


 監視されていたことなど、全く気が付いていなかった。

 それだけなら未だしも、まさか主君が己を監視していたなど、信じられなかった。

 しかし、驚愕するのは後だ。今は弁明しなければならない、己が主君を陥れるはずなどないと理解してもらわねばならない。


「シュンラク様、お聞き下さい、某は何も怪しいことなどしておりませぬ」


 ユーハはシュンラクに問われたことを全て事細かに答えていった。

 一片の嘘偽りも無く、シュンガイの勧誘からカイルとの決闘に関することまで、洗いざらいだ。


「そうか……《雪華》のことは黒幽衆からの報告とも一致する」

「では――っ!」

「が、それでも尚、そなたが疑わしいことに変わりは無い。手枷を嵌めよ、ユーハ。これ以上はないぞ」


 先ほどよりは僅かに落ち着いた様子だが、昏い瞳を見るに、シュンラクは未だに深い疑心に捕われているようだった。

 それを哀しく思いながらユーハは密かに嘆息しつつ、手枷を嵌めた。


「さすがに俺とて、心底からそなたが犯人だと思っているわけではない。少しでも疑わしい者はそなた同様に捕らえている」

「…………」

「しばらくは牢に入っていろ、その間に此度の件の調査を行う。……連れて行け」


 シュンラクの命により黒幽衆と思しき黒装束二人がユーハの両腕を両側から掴んだ。そして襖の内側に控えているであろう黒幽衆が隙間を閉ざす直前、ユーハは己が主を真っ直ぐに見つめて、告げた。


「シュンラク様、某はやましいことなど一切しておりませぬ。某はただ貴方様のことだけを考え、お役に立ちたく思っているだけであります」

「…………」


 シュンラクは返事を寄越さぬまま瞑目し、ぴしゃりと襖が閉ざされた。

 両脇の黒装束はユーハの腕を硬く掴んで引っ張り、寝室前から連行させ始める。

 廊下を歩いている際には御用人たちが、城内を移動中は文官武官問わず多くの者たちから遠巻きに見守られながら、ユーハは地下牢へと歩かされ、収監された。




 ■   ■   ■




 記憶を辿ってみたことで、不安は些か振り払えた。

 ユーハは手狭な独房の壁際に腰掛けたまま、深く息を吐き出す。


「そうだ……うむ、大丈夫だ、何も問題はない。ただ巡り合わせが悪かっただけなのだ、うむ」


 自分に言い聞かせるように一人小さく呟く。

 

 牢に入れられ、早くも十日が経っている。

 その間、幾度となく事情聴取が行われた。

 おそらくは関係者たちの証言との照合を行っているのだろう。

 ユーハは訊かれたことには全て正直に答え、ただ粛々と牢獄生活を送ってきた。

 しかし、未だに何の進展も窺えないのは妙だ。

 配膳役や取調役に状況を訊ねようにも、彼らは一様に黙りで、ユーハの質問に何らの答えももたらしてはくれなかった。

 故に、さすがのユーハも不安が募っていたのだ。


「…………」


 目蓋を閉じ、心を無にして、ただ時の流れに身を任せた。

 あれこれと思索に耽ったところで、何がどうなるというわけでも無いのだ。

 ただ泰然と、臆せず恥じず、真実が詳らかになるのを待っていれば良い。

 捕縛された当初はシュンラクも毒殺されかけた直後で興奮していたのだろうが、彼は元々怜悧な男だ。必ずや真犯人を突き止め、己をこの場から解放してくれるに違いない。


 それから、どれほどの時が流れたか。

 腹具合から察するに、そろそろ夕食時かという頃、跫音が響いてきた。

 しかし、それは聞き慣れた配膳役や取調役のものと歩調が異なり、ユーハは目を開けて来訪者を待った。


「スオルギ・ユーハ」


 あるいはシュンラクかもしれない……という淡い期待は黒装束の登場によって打ち砕かれた。僅かな灯火があって尚、牢獄内の闇に溶け込みそうな、全身が黒々とした年齢不詳の男は檻の向こうからユーハを見下ろし、告げた。


「国主暗殺を謀った罪により、貴様を死罪に処すとの決定が下った」

「…………は?」


 おそらくは人生で初めて、ユーハは完全に間の抜けた阿呆面を晒した。

 が、黒装束の男はそれを笑うことなく、ただ無感情に続ける。


「貴様は明日のこの時間、この場所で自刃せよ。これはシュンラク様の慈悲である。もし、自らの手で為さぬ場合は公衆の面前で処刑を執り行うとのことだ」

「――――」

「貴様のスオルギ家と妻子については――」

「ま、待つのだ、待ってくれ! 何を、何を申しておるのだお主はっ!? 某が死罪だと……? 自刃? 訳が分からぬ、何であるかそれは!?」


 ユーハはその場から立ち上がり、檻の前に駆け寄って、黒装束の男へと問い質す。

 が、相手はやはりユーハのその様子に何らの感慨を抱いた気配も見せず、無機質な瞳を向けてくるのみだ。

 

 それから黒装束の男はスオルギ家がどうこう、チヨリとユーレンがどうこう、破魔刀《蒼哀》がどうこう、未だ服の下に纏ったままであるスオルギ家伝来の鎧下がどうこうなど、一方的に意味不明な発言をして去って行った。

 檻を掴んだまま、ユーハは牢獄の薄闇の中で呆然と立ち尽くし、全く理解の追いつかない状況にただただ困惑する。気が付いたときには足下に食膳があり、遠ざかっていく足音が微かに耳朶を突いていた。


「……………………どうなって、おるのだ」


 死罪を言い渡されたということは、この己自身が犯人だという断定が下されたことを意味する。

 あり得ないことだ、真実がねじ曲がっている、理不尽に過ぎる、なんだこれは。


 スオルギ家の当主が、国主暗殺を謀った罪。

 冗談だとしても笑えない。

 いや、一周回ってもはや笑い話にしか思えない。

 国主を守護する護身刀として、先祖代々が一心にその務めを果たしてきたのだ。

 主君は本当に己が犯人だと思っているのか?

 何者かの陰謀ではないのか?


 ユーハが直接的に毒を盛れない立場であったことは明々白々だった。

 故に、裏で糸を引いていたと判断されたのだろうが……あまりに荒唐無稽だ。

 そのような謀計が可能ならば、まず何よりも護身刀の役を復活させてもらうよう全力を尽くす。


「あり得ぬ……これは陰謀である……何者かが某を嵌めたのだ……」


 そうとしか考えられず、薄暗く冷たく、淀んだ牢獄の中で力なく呟いた。

 しかし誰が嵌めたのか、全く見当が付かない。

 ユーハの存在を疎んでいる者は……城内に少なからずいるだろう。彼らは国主の側近中の側近である護身刀の役を担うユーハを妬んでいる節がある。

 シュンラクに近づいて覚えを良くして貰おうと、側近たるユーハに袖の下を渡そうとした者など数しれず、しかしユーハはそれらを全て一顧だにせず撥ね除けてきた。誰かがユーハに恨みを持っていたとしても何ら不思議では無い。


 が、ユーハは既に護身刀の役を解かれているのだ。

 そうした連中の醜い心はそれで満たされたはずだと、そう思うが……。

 更なるどん底に陥れてやろうと画策した輩がいないとも限らない。

 それが誰であるかは、心当たりが多すぎて皆目見当も付かないが……。


「頼むっ、お頼み申すっ、シュンラク様と話をさせて欲しい!」


 ユーハは叫んだ。

 檻の中からでは見えないが、牢番は幾人かいるはずなのだ。

 なんとかして彼らから主君へと話を繋いで欲しかった。


「誰かっ、誰でも良いっ、某にシュンラク様と話をさせてくれ! さすればきっとっ、必ずっ、某が無実だと分かっていただけるはずなのだっ!」


 ただ己の声が獄中に反響するだけで、誰の声も返ってこない。

 それでもユーハは諦めず叫び続けたが、どれだけ経っても何も変わらなかった。


 ユーハは覚束ない足取りで壁際まで後ずさり、ずるずると崩れ落ちた。

 今この場に己がいるという事実すら現実味がなく、思考が纏まらず、もう何もかも訳が分からなかった。




 ■   ■   ■




 今が何時頃なのか、ユーハには全くもって不明だった。

 盆にのった質素な夕食は喉を通らず、ただ冷たい床に腰を下ろして、薄闇を見つめていた。


「ユーハさん」


 まるで時間が静止したかのような錯覚に陥る。

 もう混乱こそしていないが、逆に何の思考もできず、あり得ない現実を前に呆然とするより他ない。


「ユーハさん、おーい、ユーハさーん」


 ふと己の名が呼ばれていることを自覚して、ユーハはゆらりと顔を上げた。

 すると、檻の向こう側には紅い男が立っていた。

 

「あぁ、良かった、意識はありましたか。大丈夫ですか? とりあえず、一緒に逃げ出しましょう」

「……お主、カイルか……?」

「そうですよ、カイルです。もしかしてユーハさん、たった十日くらい前に会った自分のことなんて、早くも忘れかけてたんですか? だとしたら、少し寂しいですね」


 カイルは微笑みの中に苦味を滲ませ、肩を竦めた。

 しかし、以前会ったときは好青年然として見えたその姿が、今は酷くおどろおどろしいものへと変貌していた。


「その、血は、何なのだ? 怪我をしておるのか……?」

「いえ、違いますよ、見ての通り返り血です。どうにも数が多くて、汚れるのを気にしていられる状況ではなかったんです」


 青年の全身は上から下まで紅かった。

 微かに灯る篝火に照らされて、手足や胴体、頬などに付着した液体がぬらりとした質感を浮き上がらせている。右手の再煌刀《雪華》も、白銀の刀身に禍々しい朱を纏っている。

 だが当のカイルは大して気にした様子も無く、左手に持った鍵束を檻の鍵穴に近づけ、一本一本順番に差し込んでいる。


「なぜ、そなたがここに……?」

「ユーハさんが殺されると聞いたので、助けに来たんですよ。貴方と会った翌日、真夜中に黒装束の連中から寝込みを襲われまして。あぁユーハさんも酷いなぁ、と思いながら返り討ちにして、貴方のお屋敷へ向かったんです」

「…………」

「そうしたら、奥さんがユーハさんは捕まったっていうじゃないですか。詳しく話を聞いて、城下町の情報屋なんかに事の詳細を探らせまして――あ、開いた」


 金属の擦れる甲高い音を響かせて、檻の扉が開いた。

 その音を知覚したせいか、どうにも騒ぎ声が遠く聞こえてくることに遅まきながら気が付いた。


「それで半日ほど前に、ユーハさんが死罪になるという情報を得まして。これは駄目だと思い、こうして助けに来たわけです」

「な、なにが、駄目だというのだ……? よもや、そなた、此度の事件に関わっておるのか……?」

「え? 国主さんの毒殺未遂って話ですか? 一介の剣士である自分が、そんなことに関わっているわけないじゃないですか」

「では、なぜ……?」


 突然のカイルの出現と、血塗れの姿、そして牢の檻を開けてみせたという珍事を前に、ユーハは思考が纏まらなかった。

 しかし混乱の元凶たる青年は何のその、落ち着きのある微笑みを湛えた顔で、当然のことのように言い切った。


「ユーハさんほどの剣士が、こんなつまらないことで死ぬなんて、自分には耐えられないんですよ。もったいないじゃないですか、到底受け入れられないことです。ですから、どうせ死ぬのなら、自分と戦って死んでください」

「――――」

「ユーハさんだって剣士なんですから、どうせなら戦って死にたいですよね? ちゃんと《蒼哀》も探して持ってきたんです、万全の状態で自分と決闘してもらいますよ」


 青年は帯革に差された見慣れた柄を軽く叩きながら、微塵の邪気もない、清々しいまでの笑みを向けてきた。

 対するユーハはこれまでと別の意味で唖然としてしまった。

 そして先日の青年に対する人物評を修正した。


 カイルという青年は常軌を逸しているどころの話ではない。

 明確に、完膚無きまでに、狂っている。 

 この牢獄に侵入するのが、そして城内の何処かで厳重に保管されていたであろう破魔刀《蒼哀》を探し出して奪取するのが、どれほど困難なことかは想像に易い。

 どう考えたところで、命が幾らあっても足りない難事だ。

 にもかかわらず、ただ決闘したいがために、常人ではまず実行し得ないことを平然とやってのけ、今ここにいる。

 正気の沙汰とは思えない。

 

「……もしかしてユーハさん、ここで死ぬ気だったんですか? ここまでしても、自分とは決闘してもらえませんか?」

「い、いや、その……うむ、決闘に関しては、引き受けると約束しよう」

「あ、そうですか、良かった」

「だが、その前に某は己が嫌疑を晴らしたい。いま城内は混乱しているであろうから……まずは城外へ抜け出て、何処いずこかで落ち着こう」


 ユーハは己に言い聞かせるように告げ、腰を上げた。

 本当なら、今すぐにでもシュンラクのもとへ馳せ参じ、己が無実のほどを説きたい。が、今まさに城内を混乱させている元凶たるカイルは、ユーハの仲間と思われているはずだ。

 今は一旦時間を置き、改めてシュンラクへと弁明する機会を窺うしかない。


 とはいえ、カイルはこれほどまでの大事を起こしてしまった。

 既に幾人もの黒幽衆や衛兵たちを殺しているはずだ。その原因はユーハにあるため、もはや毒殺の件を差し引いても許しは得られないかもしれない。

 しかし、ユーハが受け入れがたいのは理不尽な死そのものではなく、不名誉なのだ。在らぬ嫌疑を掛けられたまま、汚名を被って果てることなど、到底許容できることではない。

 故に、その点に関してはカイルに感謝している。

 ただ死を待つのみだったところに、彼のおかげで汚名を雪ぐ機会を得られたのだ。最終的にどうなるにせよ、カイルとの決闘は受けても良いと思った。


「さ、行きましょう」

「うむ」

「魔法を放たれたら、お願いしますね。一度くらい、破魔刀《蒼哀》の力というものを見てみたいですし」

 

 遠く聞こえてきた声が次第に大きくなっているのに、カイルは全く緊張した様子を見せていない。

 それを頼もしく思いながらも、ユーハは不安だった。


「可能な限りで良い、襲い来る者たちは殺さないで欲しい」

「いえ、すみませんけど、それは無理な相談です。ユーハさんの気持ちは分かりますけど、戦いは遊びじゃないんです。矛を抜き、敵意をもって襲い来る者は、誰であれ斬ります」


 やはりというべきか、カイルに手心を加えてもらうのは難しそうだった。

 だが今この場で説き伏せる余裕は無い。

 ユーハ自身が奮闘して、なるべく死者を出さないようにする他ないだろう。


 正直な心境では、ユーハはこの場からの脱出に乗り気ではない。同じ主君に仕える仲間達をこれ以上傷つけてまで、己の潔白を証明するのは気が引ける。

 しかし、既にカイルは取り返しが付かないほどの被害を出しているはずだ。今ここで彼の手を拒めば、彼に殺された者たちは全くの無駄死となる。それにユーハ個人はともかく、スオルギの家名を逆賊の汚名で穢したくはないし、妻子に関しても同様だ。

 ユーハは死ねばそこで終わりだが、チヨリもユーレンも世間から冷たい眼差しを受けて生き続けていかねばならなくなる。

 己の大切なもののためにも、事ここに至って退くわけにはいかなかった。


「……皆の者、すまぬ」


 ユーハはカイルから受け取った愛刀を腰帯に差しながら、人知れず謝罪した。

 ここでの犠牲の借りは、真犯人を突き止めることで返す。


 そう己に誓って、ユーハは抜刀し、薄暗い牢獄内を駆け出した。


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