間話 『それでも某はやっておらぬ 承』
■ Other View ■
その後、護身刀解任の報せは家臣たちへ正式に通達された。
ユーハが城内を歩いていると、様々な者たちから様々な反応をされる。
ある者はこれまでの任を労うように頭を下げ、ある者も表面上はそうしながらも嘲笑を滲ませていた。スオルギ家と国主血族との繋がりが薄れたと見て、これ幸いとばかりに空席を求める権力欲旺盛な輩もいるのだ。
「ま、元気出せって」
ロウンに町の酒場へ連れ出され、ユーハが酒杯の水面を眺めていると、肩を叩かれながら慰められる。
周囲からは他の客たちの声が猥雑に響き、つまみや料理の匂いが雑多に混じって鼻腔を突く。ユーハは高級店の静かな個室を望んだが、ロウンが「一層暗くなるから駄目だ」と言って許さなかったのだ。
「元気になどなれるものか……我がスオルギ家の歴史が、父祖たちの想いが、先代様との誓いが……」
「だが、仕方ねえだろ、シュンラク様が決めたことなんだ」
ロウンはそう言って、濁りない純水めいた醸造酒に口を付けた。
それから身振り手振りで促されたので、ユーハは一息で杯を空にする。
「何とかして説得せねば。某はあの御方を護らねばならぬのだ。護身刀の役を廃されることは……致し方ないとしても、せめて誓いは果たさねばならぬ」
「お前の気持ちは分からんでもねえが、シュンラク様はそれを望んでねえんだろ? それに、あの御方が一度決めたことを覆さねえのは皆知っていることだ」
言われずともユーハとて承知している。
しかし、それでも納得できないのだ。
スオルギ家の栄誉ある役職の歴史が終わることも受け入れがたく信じがたいが、何よりも、尊敬する父と先代国主との誓いを果たせぬことが許容できない。
「しっかし、これも時代の流れなのかねぇ……シュンラク様が国主となられてから、大陸との交流も以前と比べると遙かに活発になってきてる。国が変われば色々変わっていくさ、そうだろユーハ」
「変化を許容できぬわけではない、ただ某は無念なだけなのだ」
「とはいえ、もう十分すぎるほどお前の家は頑張ってきただろ。形あるものもないものも、いつかは終わりが来るんだ。幸か不幸か、それがお前の代だったって話だろ?」
ロウンは他人事のように暢気な様子で、焼き鳥をつまんでいる。
そこにユーハは違和感を覚えた。
情に篤いこの友ならばユーハに同情し、共に悲しみ悔やみ、シュンラクへの嘆願に付き合うとか何とか、そうしたことを言うはずだ。ロウンはこれでライギの第三軍団副将の地位にあるため、発言力がないわけではない。
しかし、ロウンはユーハの不幸をあまり不幸と思っていないように見える。
という疑念を抱いて間もなく、ロウンは感慨深げに一息吐いて、小さく頷きながら口を開いた。
「まあでも、これでユーレンへの厳しい稽古もせずに済むんだろ? 家族と過す時間も増えるだろうし、今後は優しい夫であり父として二人と接していけるじゃねえか」
それが理由か……とユーハは得心すると同時、友の短慮に呆れ果てた。
「何を申すか、ユーレンに対する修練は今後も変わらぬぞ」
「……なに?」
「今後、シュンラク様が黒幽衆を使役されてゆく中で、護身刀の役の価値を再認するやもしれぬ。そうでなくとも、黒幽衆は護身刀の後釜のようなものだ。某が無理でも、ユーレンには将来、黒幽衆に入ってもらわねばならぬのでな」
無論、ユーハ自身が黒幽衆の一員となること、あるいは護身刀の役を継続させてもらうことを諦めたわけではない。だがいずれにせよ、息子は一人前の剣士に育て上げる必要はある。
スオルギ家の男子は主君を護るために剣を振るわねばならないのだ。
「おいおいおい、そんな、お前……もう良いだろう? これを機に色々変えていけよ、護身刀の役がないのなら、もう息子に剣を教えなくとも良いだろう? ユーレンは武官より文官向きだ、ここらで鞍替えもいいんじゃねえか? その方がチヨリも喜ぶ。これからは文のスオルギ家としていけばいいじゃねえか」
「馬鹿な、鞍替えなどあり得ぬ。軟弱な文官になどさせてたまるものか。我が家の男子は剣を修め、剣と忠に生きるが定め」
「ユーハ……」
ロウンは哀しげな表情を見せながらも、更なる説得を試みてきた。
だが友からどう言われようと、ユーハの意志に変わりは無い。
■ ■ ■
護身刀の任が解かれ、長い歴史を持つ役職が廃される予定の橙土期第六節いっぱいまで、ユーハは嘆願を続けた。事あるごとにシュンラクに申し出て、なんとか考え直させようと、あるいはせめて黒幽衆の一員に入れてもらおうと願ったが、全て無駄に終わった。
どころか、しつこいユーハを厭って、身辺に近づけさせてもらえなくなってしまった。
「シュンガイ様、どうかシュンラク様に口添えして頂けませぬか」
ならばと、主君の弟であるシュンガイに頼ってみる。
シュンガイは準国主という立場であり、発言力は大きい。
故に頼み込んでみたのだが……。
「兄上に捨てられたのならば、我がお前を重用してやろう。我の護身刀になると誓うのならば、退屈な練兵役なぞにさせられるという話、撤回させても良い」
などと告げられたため、謹んで辞退した。
シュンラクを護れぬなら弟君でも良いかと心は揺れたが、ユーハが先代から任されたのは兄シュンラクの身だ。それに噂では、弟シュンガイは兄シュンラクから何とか国主の座を奪い取りたいと考えているらしく、実際に先代の死後は後継者を巡り兄弟で対立していたが、遺言によりシュンラクが就いた。
そうしたこともあり、兄は他人どころか弟すら信じていないようで、だからこそ常日頃から毒殺を警戒しているとも言える。
ただ、表向き二人は和解しているので、どうにかならないかと淡い期待を抱いたのだが……案の定どうにもならなかった。
シュンガイとの接触後、城内の有力者たちと接触してみるも、どれも上手くいかなかった。剣一筋に生きてきたユーハは政治的な駆け引きは元より、交渉ごとが得意ではない。大臣たちはユーハに味方する見返りなどを暗に求めたが、それらの機微に疎い武辺者には到底現状を覆す切っ掛けは見つけられなかった。
そして無慈悲に時は流れ……橙土期第六節、最後の日。
不慣れな奮闘も虚しく、ユーハは正式に護身刀の任を解かれた。
「…………」
未知の喪失感に苛まれながら城を出て、ユーハはあてもなく歩き始めた。
ロウンが酒の席に誘ってはくれたが、そんな気分ではなかったので断った。
城下町近くを流れる大河沿いの土手道を一人歩きながら、茜色の寒空の下で様々なことに思いを馳せた。
尊敬する父、偉大な先代国主、やや気難しくも立派な現国主、お節介な親友、愛する妻と息子、守るべきスオルギ家の歴史。
こうして黄昏れているより、少しでもユーレンのために時間を割くべきなのだが……どうにも気持ちを整理しきれず、このままでは何をするにしても如何ともし難かった。
足の向くまま支流の一つに逸れ、しばらく物思いに耽りながら静かな土手道を歩いて行くと、思い出深い場所に辿り着いた。やや人里から離れたそこは、見窄らしい木橋が見られるだけの有り触れた河川敷だ。
が、そこはかつてロウンと決闘した場所でもある。
ユーハは現実逃避気味に、在りし日の思い出に浸ろうかとも思った。
しかし無理矢理に気分を入れ替えて歩みを止め、背後を振り返り、言い放つ。
「もう随分と某をつけておるようだが……何用か」
幾ばくか距離を隔てた土手道には人影が一つだけ揺れていた。
それはゆったりとした歩調で距離を縮めてくると、間合いまで十歩ほどのところで立ち止まる。
「ユーハさん、ですよね? 北凛流の天級剣士、今代の《蒼哀》継承者、ライギ国主の護身刀、スオルギ家当主のユーハさん」
「それが如何した」
朗々とした声に無味乾燥な応えを返しながら、ユーハは相手の人相を手早く確認した。年頃は十代後半ほど、背丈体格は並、整った面差しと柔和な表情からは人当たりの良さが窺える。
灰色の頭髪はざっくばらんに整えられ、ただし長い後ろ髪は一つに結われて毛先が寒風に揺られている。この辺りでは見掛けぬ大陸由来の装いをしており、横合いから西日に照らされた風貌にはどことなく品がある。
見知らぬ青年は微笑みを湛えたまま低頭し、外見に違わぬ好青年然とした声で、先と変わらぬ流暢なサンナ語を駆使して挨拶した。
「初めまして、自分はカイルといいます。突然ですけど、今少しお時間よろしいですか?」
「某に用ならば、一度城を通して、改めて出直してきてくれぬか」
ユーハはこれまでの半生で幾度となく口にしてきた台詞で応じた。
無論、ユーハとて好青年然とした相手から話しかけられた場合、大抵はその場で用向きを聞くほどの融通なら備え持っている。しかし、カイルと名乗った青年の口上と身形から用向きの程を察し、先手を打ったのだ。
青年は腰に一振りの刀を佩いていた。
先ほどの歩法や立ち方から見て、それなりに腕の立つ剣士なのは明白だ。
ユーハは北凛流でも五人といない天級の剣士であり、今まさに腰に携えている愛刀は非常に希少な代物だ。故に、武者修行中の武芸者や愛刀を狙う不埒者などの挑戦者は跡を絶たず、時には自宅にまで押し掛けて仕合を申し込んでくる輩もいるほどである。目の前の青年も、その類いのものと見て間違いない。
と思考するユーハに、青年カイルは自若とした物腰で首を左右に振った。
「いえ、そうすると貴方はもう自分と会ってはくれなさそうだ。それに、今ここで自分の話を聞く価値はありますよ」
「……では、話だけ聞こうか」
ユーハはやや逡巡した後、しぶしぶながら頷いた。
挑戦者の中には了承もなしにいきなり斬りかかってくる者もいたが、カイルは一応の礼儀をもって接してきている。後々になって面倒事を起こさないためにも、きちんと話を聞いて、そのうえで無礼がないように挑戦を断ろうと思ったのだ。
「それじゃあ、こんな道端でお話するのも何ですし、下におりませんか」
カイルは河川敷を手で指し示し、土手道から緩やかな坂を下って草地に向かう。相も変わらず曇った気分のまま、ユーハはその後に続いて、かつて親友と決闘した場所に降り立った。
周囲に人影はなく、土手道や近くの木橋を稀に一人二人が通りかかるくらいで、日暮れ間近な空に鴉の鳴き声が虚しく響いている。
「して、話とは何か。某と剣を交えたいと申すのであれば、色よい返答はできそうにないが」
「はは、噂に聞いていたとおり、なかなかの堅物のようですね」
青年は邪気の無い笑みを見せつつ、困ったように肩を竦めた。
「貴方の言うとおり、自分は貴方と戦いたく思っています。そして貴方は色よい返答はできそうにないと言われましたけど……しかし、きっと貴方は自分との決闘を受けてくれるでしょう」
「…………」
ただの仕合ではなく、命の奪い合いを所望する輩はそう多くない。
だが相手はまだ若者であり、若者とは往々にして無謀なものだ。故に決闘という言葉には大して驚きはしなかったが、青年の口ぶりに疑問を覚えた。
ユーハが訝しんでいると、カイルはおもむろに腰元の柄に手を伸ばし、鞘から刀身を引き抜いた。しかしユーハは特に焦ること無く、その様子を冷静に見守る。
相対距離は十分に空けているし、そもそも青年からは殺意も敵意も戦意すら微塵も感じず、抜刀もおざなりなものだった。
カイルの刀はユーハの得物より僅かに反りが深く、刃長も拳一つ分ほど長大な太刀だ。その刃は処女雪を思わせる白銀色で、西日を受けて紅に煌めく姿は流麗かつ趣深く、一目見て相当な業物だと知れる。妖美なまでに洗練された威容は打ち下ろしの新身そのものだが、反して鞘と柄は凡百の意匠の代物で、相応に使い古された感があった。
普通なら、決闘のために刃を研いできたのだろうと判断するが……。
その太刀の醸し出す雰囲気は、ユーハ自身の得物のそれと似通っているように感じられてならなかった。
「ちゃんと見ていてくださいね」
言うや否や、青年は手首を捻って刃を寝かせると、傷一つ無い切っ先を無造作に地面につけた。そして乱雑に片脚を上げ、何の躊躇いも無く刀身の腹を踏み抜いた。
「――っ!?」
さすがのユーハも突然の奇行に眉をひそめた。
売れば相当な値になるであろう業物は横っ腹からの衝撃に耐えきれず、梃子により実にあっさりと折れてしまう。
が、そこで更にユーハは眉間の縦皺を深くし、刮目した。
ちょうど刃が二等分された太刀――その無残に折れた刃は地面に横たわって間もなく、淡い銀光を発し始めた。刃は粒子状に煌めきながら雪解けの如く、しかし瞬く間に消失していく。と同時に、カイルの持つ折れた太刀の刃も淡い光を放ち始め、見る見るうちに刀身が伸びていく。
五秒もしないうちに折れたはずの刃は元通りの姿となり、斜陽を反射して先ほどまでと変わらぬ煌めきを発する。
「《七剣刃》が一振り、再煌刀《雪華》です。自分との決闘で、貴方が自分を殺すことができたなら、こちらを戦利品として勝ち取ることができます」
「――――」
何でも無いことのように平然と宣う青年。
そして彼が手にしている太刀を見つめ、ユーハは純粋に吃驚した。
かつての戦乱期に活躍したとされる英雄豪傑たちの中に、《七剣刃》と呼ばれる人間の剣豪集団がいた。七人の男女はそれぞれが特殊な刀剣を有し、その得物と尋常ならざる剣技をもって一騎当千、獅子奮迅の活躍をしたとされている。
《七剣刃》とは彼ら剣聖たちを指すと同時に、彼らの用いた七振りの刀剣を指す言葉だ。あるいは人物と区別するために《天下七剣》、《七妖刀》とも呼ばれており、これら刀剣はそれぞれ以下のように名付けられている。
皆斬刀《黒塵》
呪霊刀《無悠》
奪命剣《緋惨》
破魔刀《蒼哀》
再煌刀《雪華》
朧流剣《翠虚》
纏光剣《虹麗》
七本全てが超常の異能を秘め、古代魔法文明期の遺物――神器よりも不可解な代物とされている。伝承曰く、遙か昔に滅びた妖精族が鍛え上げた刀剣とされているがために、《七妖刀》とも呼ばれているのだ。
戦乱期以前、これら妖刀の類いは七本に限らず数多く存在したようだが、長い歴史の中でそのほとんどが失われ、近年所在が確認されているのは四本のみだ。
奪命剣《緋惨》、破魔刀《蒼哀》、朧流剣《翠虚》は北凛流の剣士が、纏光剣《虹麗》はイクライプス教国の聖天騎士団の長――《全天騎》と称される者が代々受け継いでいることが分かっている。
しかし、今まさに五本目の所在が明らかになった。
「噂が本当なら、《雪華》の力は《七剣刃》の中で最も価値が低いものでしょう。なにせ見たとおり、ただ速く再生するだけですから。ユーハさんの持つ《蒼哀》も、時間を掛ければ再生されるんですよね?」
「うむ……時間を掛ければ、な」
通常、刀剣というものは朽ちる。
どれだけ巧く斬ろうと刃は少なからず毀れていき、研磨をすれば磨り減って、時間により否応なく蝕まれていくものだ。しかし、《七剣刃》は最低でも二千年は存在しているにもかかわらず、未だに業物として使用できる状態で残っている。
その所以は至極単純であり、今し方にも目の当たりにしたとおり、再生するからだ。刃毀れしようと、折れようと、柄に収まった茎の核が破損しない限り、幾らでも再生する。
大半の神器に用いられている謎の金属――俗にいう秘神極石は現存する物質で最も丈夫かつ不朽という例外的物質で、これらを用いた武具も存在はするらしい。が、秘神極石は秘神極石により傷つけることが可能とされており、《七剣刃》と違って再生の効力を備えていないという話だ。
その《七剣刃》特有の効力だが、本来その再生速度は酷く緩やかなものだ。
ユーハの愛刀は僅かな刃毀れで丸一日、刀身が半ばから折れてしまえば、状態にもよるが優に丸三節は掛かる。だがカイルの持つ《雪華》はそれを僅か数秒で完全再生してみせた。噂にもある通り、そして仕手本人の言葉通り、その驚異的な再生速度が再煌刀《雪華》の秘めたる力なのだろう。
脅威といえば脅威だ。
戦闘の最中に得物の損壊を気にする必要がなく、常に最高の切れ味で刃を振るえる。相応の仕手が用いずとも、同じ刀で一千人の首を立て続けに斬り落とすことも可能だろう。ユーハの愛刀では、どれだけ巧く斬ろうと遅かれ早かれ刃毀れが目立つようになるため、到底叶わなぬ芸当といえる。
しかし、ユーハの持つ破魔刀《蒼哀》はもとより、噂に聞く他の五剣の効力の方が利用価値は高いはずだ。
「それでも、これは間違いなく、妖刀と称される《七剣刃》のうちの一振りです」
カイルは己の得物をひけらかすわけでも、その効力を卑下するわけでもなく、淡々と事実を述べた。
そして手にした妖刀を鞘に納めると、涼やかな微笑みを湛えて問いかけてくる。
「さて、どうしますか、ユーハさん。貴方が自分を殺せば、こちらの再煌刀《雪華》は貴方のものになります。自分との決闘、受けてくれますか?」
「…………」
ユーハは判断に窮した。
予想外の展開に少々混乱してはいるが、それを抜いても大いに悩むべき問いだった。
《七剣刃》は剣術の最大流派――北凛流の総本山が管理している。
とはいえ、ライギという国に仕えているユーハが所有していること然り、聖天騎士団の者が所有していること然り、それは管理というより認知に近い。どこの誰が所有しているのかという事実が確認できていれば、それで良しという方針なのだ。
無論、可能な限り北凛流に属する剣士が七本全てを所有している状況が望ましいため、北凛流の剣士たちには《七剣刃》を発見した場合、総本山へ報せるようにと伝えられている。しかし総本山へ報せれば、《雪華》を自国ライギの者が所有することができなくなる可能性が高い。
それに今を逃せば、カイルという青年は姿を眩ますだろう。
「その問いに答える前に、某からも幾つか問わせて欲しい」
「いいですよ、どうぞ」
快く首肯したカイルに、ユーハは率直な問いを投げかけてみた。
「なぜ、某との決闘を望む。《蒼哀》を欲してのことだろうか」
「いいえ。自分は強い人と戦いたいんです」
何らの衒いも無い、純真さすら感じられる面持ちで、カイルはそう答えた。
「では、これまでにも幾らか決闘をしてきたと?」
「もちろんです。百から先は数えていませんが、多くの戦士たちと戦い、殺してきました」
「ならば、その《雪華》は幾多の決闘を経て手に入れたものなのだろうか」
「そうですね。以前、ある女性から頂いたものです。それ以降はこうして《雪華》を餌に、決闘を申し込んできました」
ユーハの質問に嫌な顔一つせず青年は即答する。
嘘を言っているようには見えず、ただ真摯に剣の道を歩む武芸者そのものな青年という印象を強く受けた。ただ、十七、八ほどの青年が既に百度以上も命懸けの決闘を経験しているという事実を考慮すれば、武芸者というよりは求道者に近いのかもしれないが。
この年頃で百余名の戦士を斬りながらも尚、濁り無き瞳のまま剣の道を極めんとする心は常軌を逸していると言って良い。良くも悪くも、尋常の精神性を有していない。
それに経緯はどうあれ、《七剣刃》の一本を所有しているということは相当の手練れと見て相違ない。
「…………」
決闘を受け、勝利すれば、《雪華》が手に入る。
それをシュンラクに献上でもすれば、その功績により護身刀の役を続けられるかもしれない。
しかし、敗北した場合は失うものが大きすぎる。自身の命はもとより、父から受け継いだ《蒼哀》を奪われ、妻子を後に残してしまうことになる。
「ユーハさん、決闘を受けてくれますか?」
「……申し訳ないが、やはり色よい返答はできそうにない」
感情面では決闘を望んでいたが、なんとか理性で押さえ込み、冷静な言葉を返した。
「どうしても、受けてはくれませんか?」
「すまぬな」
カイルはその心根が知れるほどの真っ直ぐな眼差しで見つめてきたが、やがて瞑目して溜息を吐いた。一目見て落ち込んでいるのが分かるほど、先ほどの微笑みは鳴りを潜め、表情に影を落としている。
「そうですか……とても残念です」
「納得してもらえるのだろうか」
「まあ、納得しますよ」
存外に聞き分けが良かったので、ユーハは少し拍子抜けしてしまった。
それを見透かしたのか、カイルは付け加えるように言った。
「ただ自分が戦いたいがためだけに、戦意のない相手に斬りかかって殺してしまえば、それはただの殺人鬼です。これでも剣士を自称しているので、無理矢理の決闘は自分の矜持に反します」
「それはまた……うむ、立派な心掛けである」
「ただ、もうしばらくは城下町に滞在しますから、気が向いたら桜楽亭という宿を訪ねてください。もちろん、無粋な真似をするようであれば自分も容赦はしませんから、そのつもりでお願いします。ユーハさんはそんな感じの人に見えないですから大丈夫でしょうけど、念のために」
「……承知した」
微笑みと共に告げるカイルに、ユーハは硬く頷いた。
ユーハが余人にカイルの存在――もとい《雪華》のことを口外し、その身に危険が迫れば、彼は報復するだろう。カイルは気持ちが良いほど純粋な剣士と見受けられるが、それ故に汚い手段や裏切りめいた行為は許さないはずだ。
でなければ、これほど簡単に引き下がったりはしないだろうし、そのうえで滞在先を告げはしまい。
「お時間をとらせて、すみませんでした。いつの間にか、すっかり暗くなっちゃいましたね」
青年は低頭し、周囲を見回しながら苦笑いを浮かべた。
既に陽は沈んでしまい、辺りは夜闇で色濃く覆われている。幸い、今日は快晴で紅月も満月なので、双月と星々の明かりである程度は視界が利く。
「よかったら、一緒に町まで戻りませんか? ユーハさんとは戦ってみたいですけど、もっと話もしてみたいです。あなたほどの使い手と話ができる機会なんて、そうそうありませんしね」
「……良いだろう、某もカイル殿の話には些か興味がある」
普段のユーハなら決闘を断った者と帰路を共になどしなかっただろう。
しかし、カイルという青年は裏表がないよう見え、不意打ちなどの心配もないだろうと断言できた。共に剣の道を真摯に歩みながらも、《七剣刃》を所有する者同士だからか、ある種の共感が芽生えていた。
それに何より、この一向に晴れない胸の内を誤魔化したかったのもあった。
ここ最近、自身の哀れな事情を知る者ばかりと接していたせいか、相手から憐憫や嘲笑といった類いの感情を向けられることが多く、辟易としていたのだ。
だからこそロウンの誘いを断り、一人で川沿いを歩いていた。
カイルはユーハの個人的な事情は何も知らないはずで、実際にそんな素振りもない。久々に気を抜いて、優れた剣士と剣の話でもすれば、幾分かこの気持ちもましになるかと考えた。
それからユーハは思いの外カイルとの会話で盛り上がり、何事も無く町で別れた。
だが、相も変わらず心の靄は晴れないままで、橙土期第六節、最後の日を終えてしまった。