第七十五話 『猫も手を借りたい』
翌朝、俺たちは朝食を済ませ、出発した。
ちなみに朝食は深夜にユーハが倒した魔物を焼いたものだった。
青い巨大カエルっぽい魔物で、ティルテが死体を指差して「ロングフロッグ」と言い、食えるらしいことを教えてくれた。
彼女に短剣を返し、俺の魔剣と一緒に捌いて、もも肉を焼いて食った。
味は意外と悪くなかったが、せいぜいパックファングと同程度か。
ラノースは肉食なのか雑食なのか、普通に生肉を食っていた。
ラノースに乗った俺たちは川沿いに戻り、西進していく。
水辺だからか、途中で何度か朝食のカエル型魔物から襲われたものの、奴の長い舌がこちらに届く前に風魔法で切り裂いた。
他の魔物からも襲撃を掛けられるが、魔法の力の前では雑魚同然だ。
やはり俺は強いのだろう。
無双状態だから調子に乗っちゃいそうだ。
「…………」
休憩中、ティルテは何か得体の知れないものを見るような眼差しを俺に向けてきた。今更だが、幼女のくせに強すぎて引かせちゃったのかもしれん。
俺はティルテより幾分も小さい。明らかに自分より年下の女の子が詠唱もせずに次々と魔法を現象させ、余裕綽々の態で魔物共を屠っているのだ。
無理もない。
とはいえ、怖がっているようではなかった。
昨日も感じたことだが、扱いに困っているような、どう接すれば良いのか分からないという感じだ。それは俺が余所者の人間であることも原因なのだろう。
早朝から川沿いに進んでいき、日が暮れた後もしばらくラノースの足を休ませず、大自然の中を移動していく。
道中、ティルテは耳を微動させながらチラチラと後ろを振り返っていた。
ライオンズを警戒しているのだろう。
昨夜、残りのラノース四頭は殺しておいた方が良かったのかもしれない。
三節前なら、相手が魔物でないなら可哀想だから殺せないとでも思っただろうが、既に竜を何十頭と殺してきたからか、躊躇う気持ちが少なくなっている。
この変化は良いことなのか悪いことなのか……。
おそらくは夜の九時くらいにラノースの足を止め、野営になる。
俺は眠くて眠くて仕方なかったので、半分寝ながら夕食を摂り、ごちそうさまと同時に意識を落とした。
そして夜が明け、次の日も朝から川に沿って西の方へと進んでいく。
どこへ向かっているのかは定かではないが、たぶんティルテの住まう村だろう。
という予想に違わず、昼前くらいになると、巨木ばかりの森林風景から一転して、見慣れぬ光景が視界に飛び込んできた。
「■■■■■■!」
ティルテが安堵感を滲ませた声で嬉しそうに言う傍ら、俺は我知らず呟いた。
「……田んぼだ」
巨木は相変わらず見られるが、その密度が減り、空きスペースに田んぼができていた。まだ穂にすらなっていない若葉色の小さな芽が規則正しく並んで列になり、一区画ごと五十リーギス四方ほどに区分けされて田園風景を成している。
川から引かれた水の通る水路と畦道があり、合間合間に巨木が屹立し、その太い幹に何やら物見台のようなものが作られていた。
地上二十リーギス程度のそこには二人の人影が確認できる。
ティルテが何事かを叫びながら大きく手を振ると、向こうは慌てたように手を振り返し、梯子を降り始める。
「この田園といい、駆け寄ってくるあの獣人といい、村が近いのであろうか?」
田園エリアの外周には幾つもの鈴の付いた縄が張り巡らされている。三十レンテ間隔で三リーギスほどの高さまで水平に重ねられてもいることから、魔物対策なのだろう。
ティルテは木枠で囲われた出入り口と思しき箇所まで先導し、金具のロックを外して柵内に入った。
「■■、ティルテ■■■■■!」
畦道を歩き始めたところで、物見台にいた二人の獣人が駆け寄ってきた。
若造とオッサンの二人はそれぞれと槍と剣を持ち、足はなかなかに速い。
もちろんと言って良いのか、二人とも猫っぽい耳と尻尾が生えており、服装もティルテと同様の意匠なのが一目瞭然だ。
「■■■■■■■■■■? ■■■■■■■■■■■■■■? ■■■■■■■■■■■■――■、■■■■■■■!?」
若造はラノースに乗るティルテを見上げ、俺たちをチラチラ見ながら口早に何かを言っている。
「■■、■■■■■■……■■■■■■……■■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■」
「■■■■■■■■■■■■!? ■■■■■■■■■? ■■■■■■!?」
ティルテにやや興奮気味な声で訊ねるように言ってから、若造はベルに槍の穂先を向けた。身長体格から十代半ばと思しき野郎は、表情に敵意を見せている。
「■■■■■■■■■■、■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
今度は猫耳のオッサンから何かを言われ、ティルテは頷きつつ俺たちを見回した。そしてオッサンにゆっくりと言い聞かせるように言葉を返す。
「■、■■……■■■■。■■■■■■■■、■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■。■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■、■■」
ティルテはラノースから降りると、俺たちにも降りるようジェスチャーしてきた。
「■■■、■■■■■。■■? ■■■■■■、■■■■■■■■■■■」
ティルテは理解不能な言葉で言いながら、地面を指差し、胸の前で両手を突き出すように動かす。たぶん「ここで待ってろ」的なことを伝えたいのだろう。
俺が頷くと、ティルテは猫耳野郎と二言三言の会話をして、再びラノースに乗って一人で先に行ってしまった。
「……………………」
そして残される野郎四人と幼女一人。
大方、目の前で警戒心を露わに槍剣を構える獣人二人は見張り役なのだろう。
ティルテはこの先にあると思しき村へ、俺たちのことなどを報告に行ったのだ。
「なんか、凄いじろじろ見られてますね」
「二人とも特にローズちゃんを見てるわね。きっと可愛すぎて思わず見つめちゃってるのよっ」
本当にそうなら別に良いんだけどさ、若造もオッサンも訝しげというか、疑わしげな眼差しを向けてくるんだよね。ユーハとベルのことも見てはいるが、特に俺に注目しているようだった。
森の空気は清澄で軽やかなはずなのに、今この場は緊張感を孕んで重苦しく、居心地が悪い。
とりあえず、俺はローズスマイルを無料でプレゼントしてやった。
野郎には効果抜群のはずだ。
「――ッ!?」
と思ったら、若造の方が身を強張らせ、思わずといったように一歩後ずさりながら槍を構え直した。その反応にユーハがさりげなく俺を庇う位置に立ち、冷静な左眼で猫耳獣人野郎を見つめている。
俺の笑顔が効かないどころか、逆に警戒されるとか、意味が分からん。
ティルテがさっき何か言ったのか?
それか余所者相手によほど緊張しているのか。
「私たち、どうなるんでしょうね」
「もし何らかの害を及ぼされるようであれば、応戦しつつ退散する。ローズには傷一つ負わせぬ故、安心すると良い」
ユーハは落ち着きのある声で応じてくれた。
また少し張り切っている様子だし、実に頼もしい護衛剣士だ。
これで鬱から脱却しきれば完璧なのに。
特にやることもないので、ラノースの毛並みを撫で撫でしたり、田んぼを観察したりする。この辺りは木が少ないから陽の光が地面にまで届いてくるので、余所と比べて随分と明るく感じる。見渡す限り田園ばかりで人家は見当たらず、疎らに存在感を主張する巨木のせいで、そう遠くまでも見通せない。
「あ、向こうから大勢の獣人さんたちがやって来るわよ」
三十分ほど経った頃だろうか。
畦道を二十人くらいの集団が駆け足で近づいてくる。
先頭にはティルテの姿があって、少し安心した。
猫耳獣人集団は俺たち三人から十リーギスほど離れたところで立ち止まった。
ほぼ全員が何らかの武器を持っており、大半は野郎ばかりだ。
数少ない女のティルテと杖を持った婆さん、それに壮年の猫耳オヤジが前に進み出てきた。
「もしワシの言葉が分かるようなら、返事をしておくれ」
婆さんは俺に視線を注ぎながらクラード語で言った。
俺は安堵の吐息と共に「分かります」と返事をする。
「そうかい、そりゃあ良かった。クラード語が通じなかったら、どうしようもなかったからの。それじゃあ、まずは自己紹介をしとこうかね」
猫耳婆さんは七十歳前後ほどで、穏やかな口調をしている。背は猫背に曲がり、右手で身の丈ほどの杖を突いているが、それは魔杖だった。先端に十レンテ大の魔石が装備され、蓄魔石か増魔石かは不明だが、深い橙色をしている。
「ワシはニエベスという。この女子は既に知っておると思うが、ティルテじゃ。こっちの男はワシらフェレス族の長をしておるヤルマルじゃ」
やはりフェレス族か。
つまり歴史上の愚王トバイアスも猫耳だったのか。
俺は軽く頭を下げてから、オッサン二人に通訳して手早く会話内容を伝えた。
それからこちらも自己紹介を返す。
「私はローズといいます。こちらの男性はユーハとヒルベルタです」
「ローズか、良い名じゃな」
ピロリロリンッ、ローズの好感度が2あがった!
やったね婆さんっ!
「ではローズよ、幾つか質問させて欲しいのじゃが、良いかの?」
「どうぞ」
婆さんは咳払いを挟んでから、口を開いた。
「この森には何の用があって来たのじゃ?」
「えーっと、ですね……来たくて来た訳ではないと言いますか……」
転移してきたと正直に告げるべきか否か。
オッサン二人と相談したいが、即答しなければ怪しまれるだろう。
「…………」
俺は逡巡した末、正直に答えることにした。
何事も誠意を持って接すれば、きっと分かり合えるさ。
「カーウィ諸島の白竜島から、転移してきたんです」
「……ほう、転移とな」
「はい。色々あって、ザオク大陸から白竜島を訪れたんですけど、水竜に船を壊されてしまって、帰れなくなったんです。それで竜人たちの都にあった転移盤で転移したら、この森に出たんです」
「この森の、どこに出たのじゃ? もう少し詳しく教えてくれぬか」
婆さんは敵意も何もなく、柔らかな物腰で接してくる。
元から低身長なのか、背中が曲がっているからか、目線は俺とそう変わらない。
俺の名を褒めてくれたし、なんか親近感が湧く婆さんだな。
「お墓みたいな場所の地下です。そこの壁には竜人語で『第二十七代獣人王トバイアス・フェレスに敬意を表する。第十二代竜人王ルスラーン』と書かれていました。きっと貴女がたのご先祖様のお墓だと思うんですけど……すみません。知らずとはいえ、お墓の中に足を踏み入れてしまいました」
怒られる可能性があったので、先に謝っておいた。
きちんと頭を四十五度以上は下げて、謝意を表明する。
すると、猫耳が半ば垂れた魔老女は先ほどまでと変わらぬ声で、「良い、頭を上げるのじゃ」と言ってきた。
「転移してきたのはいつの話かの?」
「えーと……ちょうど二日前の今頃ですね。それから森の中を歩いていると、ティルテを見つけたんです」
「ふむ、なるほどの……」
婆さんは緩慢な動きで頷いた後、隣の中年オヤジを見上げて、何やら理解不能な言語で話し始めた。
こちらも今までの会話内容をユーハとベルに伝えておく。
しかし……こうして猫耳族の面々を見てみると分かるが、こいつらみんな背低いな。一番高い奴は族長らしいヤルマルとかいう五十歳ほどの強面オヤジで、だいたい百七十レンテくらいか。他の野郎共は軒並み百六十レンテ前後ほどで、ティルテも含めて全体的に小柄だ。
「ローズよ」
「あ、はい」
呼び掛けられたので婆さんに向き直った。
「お主らはこの森を出て、ザオク大陸に帰るつもりなのじゃな?」
「そのつもりです。ですが途中で魔物に襲われていたティルテを見つけて、助けたその後になぜか見知らぬ獣人たちからも襲われました。放ってはおけなかったので、とりあえず人里まで護衛しようかなと思い、ティルテについてここまで来ました。それで、あの……もしよければ、ここからハウテイル獣王国までの道のりを教えてもらえませんか?」
「教えることはできるのじゃが……すまぬの」
婆さんは申し訳なさそうに顔の皺を深めて、目を伏せた。
「実は、このティルテは――いやワシらフェレス族は今、少々厄介な状況に置かれておっての。お主らが悪人でないことは分かるのじゃが……今お主らにいなくなられては、困ったことになってしまうのじゃ」
「……と、言いますと?」
「先日、このカーム大森林に住まう五つの部族の一つ、リオヴ族の郷へティルテらは所用で出向いておった。じゃがそこで、郷の食料庫が火事になる事件が起きたようでの、死人も出てしまったそうな。火の回り方などから人為的な出火だと分かり、時機悪く来訪しておったティルテらに冤罪が掛けられ、リオヴの掟により死罪を言い渡されたそうじゃ。この子の父や兄、他の仲間たちは捕まってしまったそうじゃが、この子はなんとか逃げ延びてきた」
なんだか嫌な予感がするのは俺の気のせいだろうか?
「このままでは、リオヴ族の者たちがワシらの郷に来て、この子を寄越せと言うてくるじゃろう。それだけならばお主らには関係のない話じゃろうが、お主らはリオヴの戦士たちに、ティルテと共におるところを見られたはずじゃ。ワシらフェレス族が余所者と手を組み、リオヴ族に害を為したと見られるのは非常に困る」
「それで……私たちは共謀していないことを、証言しろと?」
「そうしてもらいたい。リオヴ族が訪ねてきた際、お主らがいないとなれば、いま以上に状況が混迷しよう。無論、お主らがやっておらぬことは、先の話からもティルテを助けてもらったことからも、承知しておる。お主らに罪を着せるような真似は決してせぬ故、此度の一件が片付くまで、しばし付き合ってはもらえぬか」
「…………」
どうしよう、もの凄く面倒臭い感じがする。
ざっと聞いただけだから詳細は不確かだが、これはあまり良くない状況だ。
婆さんは罪を着せないって言ってるけど…………信用できん。
火事にフェレス族は無関係で、全て俺たち余所者がやったということにすれば、フェレス族的には丸く収まるはずなのだ。
俺はちらりと隣に立つユーハを見上げた。
オッサン剣士は鬱度15%ほどの男前面で俺を見下ろしてきている。
「ローズ、如何した? どのような話だったのだ?」
オッサン共に相談すべきかどうか、迷う。
ベルは未だしも、ユーハに婆さんから聞いた話を伝えれば、この剣士はきっと残ろうと言うだろう。ユーハはかつて冤罪を切っ掛けに全てを失い、鬱武者となった末に魔大陸で華々しく散ろうとしていた。あらぬ罪を掛けられて猫耳美少女たちがピンチと聞けば、それを放っておくとは思えない。
「実はですね……」
だが話さないわけにはいかなかった。
俺たちは三人で行動しているのだから、独断で返事をするわけにはいかない。
婆さんから聞いた話をオッサン二人に伝えると、ベルは小難しい顔で太い指を顎先に当てた。
「あらぁ、それはなんていうか……大変そうね。アタシたちが残らないと、ティルテちゃんは殺されちゃうかもしれない。でも残ったら残ったで、アタシたちにも害が及ぶ可能性があって、ローズちゃんが危険に晒されるかもしれないのよね」
「…………」
ユーハは何も言わず、ただ婆さんの隣に立つティルテをじっと見つめている。
その顔が少し思い詰めているように見えるのは気のせいだろうか。
対するティルテは不安そうな面持ちで俺たちと婆さんを交互に見遣っている。
「あの、どうします?」
「可愛らしい女の子が困ってるなら、もちろん助けてあげたいわ。でも……聞いた限りだと、本当に冤罪かどうか分からないのよね。もしティルテちゃんたちが犯人なのだとしたら、悪事に手を貸すことになっ――」
「否……断じて否である。ティルテはあらぬ罪を掛けられているだけのはずである」
ベルの冷静な意見を遮り、ユーハが妙に熱の籠もった声を上げた。
「ローズとベル殿も見たであろう。某らが魔物共から助けた直後、彼女は満身創痍の態で某らに襲いかかってきた。あのとき、きっと某ら余所者をその火事の犯人だと思い込み、捕まえようとしたのだ。あの必死な姿が嘘であるはずがない」
「ユーハさん……」
「ローズよ、ティルテにそれとなく訊ねてみてはくれぬか。なぜ出会った当初、某らに襲いかかってきたのか」
「分かりました」
俺は婆さん経由で、ティルテに質問した。
すると彼女は気まずそうな、申し訳なさそうな顔になって、こう言ったようだ。
「あのときは、お父さんもお兄ちゃんもみんな捕まって、あたしが郷のみんなに伝えなくちゃ、大変なことになるって思ってて……あたしたちは何もしてないのに、どうして捕まって死刑にならなくちゃいけないのかって、すごく怖くて、腹が立ってて……だから、ローズたちを見たとき、きっとこいつらがやったんだって思ったの。余所者がこんな森の奥深くにいることなんて滅多にないらしいし、絶対事件と関係あるって思って、それで捕まえて、リオヴ族にあたしたちは無実だって証明したかったの」
そして彼女はごめんなさい的なことを言いながら、俺たちに頭を下げた。
ついでに婆さん経由で、魔物やリオヴ族の追手から助けてくれたことや、怪我を治してくれたことを感謝していると伝えられた。
「某は……彼女らの力になってやりたく思う。無論、ローズが早く皆のもとへ帰りたいことは承知しておるし、危険が皆無とも限らぬ。それでも、しばし時間を割いてやってはくれぬだろうか……?」
ユーハは同情しているのだろう。
俺も猫耳族の力になってやりたいとは思うよ、うん。
だが、いくら相手がキュートな一族でも、俺はそう簡単に人を信じ切れない。
ティルテが嘘を吐いていて、俺たちに罪をふっかけようとしている可能性がある以上、もう下手に関わり合いにならない方が良いし、関わるメリットもない。
どのみちハウテイル獣王国へはひたすら北上していけば辿り着けるはずだから、見返りに旅路の協力を得られるとしても、想定されるデメリットの方が遙かに大きい。つまり、これ以上の交流は不要かつ不毛であり、すみやかにこの場を離脱して獣人部族のいざこざになど背を向けるべきだ。
……と、俺の冷静で冷徹な部分は声高らかに主張している。
「ユーハさんがそこまで言うのなら、ティルテたちに付き合ってあげましょうか。私だって、ティルテが困ってるなら助けてあげたいですし、これも何かの縁でしょう」
しかし、俺の感情的な部分は利害計算抜きで助けてあげたいと思っている。
人を信じず疑心暗鬼に陥るより、どうせなら信じて裏切られてやる。
それくらいの気概を持っていなければ、他人となんてろくに関わり合いになれない。袖振り合うも多生の縁、という言葉だってあるのだ。
ティルテが悪い子だとは思えないし、俺は猫耳獣人の善性を信じたい。少なくとも、あのツインテールが良く似合っていた彼女はとても優しい人だった。
「うむ、ローズならばそう申してくれると思っておった。しかし……すまぬな、かたじけない」
「いえいえ、ユーハさんが謝るようなことじゃないですから」
俺は両手と首を振りながら苦笑した後、ユーハからベルに視線を転じた。
「……というわけで、ベルさん。私とユーハさんはティルテたちのお願いを聞いても良いと思ってるんですけど、ベルさんはどうですか?」
「ローズちゃんがそうしたいって言うのなら、もちろんアタシも付き合うわよ。あ、でもね、ローズちゃん。誤解しないで欲しいんだけど、フェレス族の人たちにはちゃんと見返りを要求した方が良いと思うの。無条件で引き受けるなんて、相手からすればあらぬ疑いを持たれやすいし、今のアタシたちの状況を考えれば、ハウテイル獣王国までの道のりに獣人族の協力はあった方が良いわよね。だから、こういう要求は予めきちんと言っておかないと、後々になってどちらも不幸なことになっちゃうかもしれないわ」
全くの正論だな。
さすがは商人というだけあって、こういうことはしっかりしている。
ベルから言われなかったら、その辺のことを有耶無耶にしたままオーケーの返事をしていたところだ。
今度から気を付けよう。勉強になった。
それでは早速、ネゴシエーションタイムといこうか。
「ニエベスさん、お待たせしてすみません」
「いや、良いのじゃ。それで、色よい返事はもらえそうかの?」
「はい。ですが、幾つか条件があります」
「ほう、条件とな……?」
婆さんは温和な雰囲気を崩さず、先を促してきた。
正直、図々しいという思いがないでもないが、ベルの言うとおり要求はしっかりせねばなるまい。袖振り合うも多生の縁とはいっても、ギブアンドテイクの精神を忘れては損ばかりする愚か者に成り下がる。
「まず、今回の一件の行く末にかかわらず、私たちのハウテイル獣王国行きの旅路を支援してください。具体的には、この生き物――ラノースの貸与と十分な食料の供与、それと道案内役をつけてもらいたいんです」
「ふむ、しばし待っておくれ」
婆さんは族長らしい猫耳オヤジと軽く話し合った後、俺に穏やかな目を向けてきた。
「族長ヤルマルは約束すると言っておる。もとよりティルテの命を救ってくれた礼もしたい故、協力は惜しまないと」
「ありがとうございます。次に、貴女がたの郷に滞在する際のことですが、私たちの衣食住と身の安全を保証してください。特に身の安全についてですが、もし仮に誰かが私たちを害するような行動をとった場合、私たちは報復行動を行った後、速やかにこの地を離れます」
これはいちいち口にせずとも分かっているとは思うが、念のため言っておく。
きっとフェレス族の郷に入れば多くの住民がいて、俺たちの情報が上手く行き渡らず、余所者に変なちょっかいを掛ける奴がでてくるかもしれない。
予防線は張っておきたかった。
キュートな猫耳とアンマッチな強面をしている族長オヤジに、やはり婆さんは俺の言葉を通訳して伝え、返事を聞いている。
「その点は当然、十分に気を払うと言っておる」
「ありがとうございます。次で最後になりますが、私たちに訊ねられたことは可能な限り正直に答えてください。例えば、ティルテたちが冤罪を掛けられた事件の詳細だったり、南ポンデーロ語のことやフェレス族の歴史についてなど、色々です。それと、私たちが困るようなことを故意に隠しておくようなことも止めてください。もし誠意を欠いた対応をされていたと判断した際にも、私たちはすぐにでも郷を出て行きます」
要求というより、これは脅迫に近いかもしれないが……仕方がない。
異文化生活では疑問が山ほど出てくるだろうし、舐められないためにも言葉にしておいた方が良い。この辺の機微は向こうも察してくれるだろう。
それに食料庫放火事件の詳細は気になるし、良い機会だから簡単な南ポンデーロ語くらいは身に着けたい。
ヤルマルと短く遣り取りした後、婆さんは俺に首肯を返してきた。
「それも当然、問題はないと言っておる。じゃが、それはワシらの方も同様じゃ。まだ色々と話を聞きたいと思っておる故、正直に話して欲しい」
「もちろんです」
俺はしっかりと返事をして、頷いておいた。
とりあえずは……こんなところだろうか。
軽く一息吐いて、オッサン二人に会話内容を伝えようとしたとき、ふと婆さんが微笑んだ。
「ローズはまだ十にも満たない年頃に見えるが、しっかりしておるの。ティルテからは魔法の腕前も相当なものじゃと聞いておるし、クラード語も使いこなせておる。大したものじゃ」
「え、あぁ……それはどうも……? あの、でも、今の条件はユーハさんとベルさんと相談して決めたことを伝えただけですよ?」
八歳女児らしくない振る舞いばかりしていると、驚きを通り越して怪しまれそうだ。まあ、結局は小生意気な天才児だと思われるだけだろうが、幼女アピールはしておきたい。
「では、その、よろしくお願いします」
俺は可能な限りプリティなスマイルを浮かべ、ロリロリしい声で言った。
猫耳婆さんは「こちらこそ」と俺たち三人に向けて低頭し、握手を求めてきた。
向こうはティルテと族長オヤジと婆さん、こちらは俺とユーハとベル、それぞれ三人が三人ずつ全員と握手を交わした。
なんか握手するとグッと距離感が縮まったような気がする。
今度から美少女と仲良くなりたいときは握手するようにしようかな。
何やかんやあったものの、こうして俺たちは猫型獣人フェレス族の郷に賓客として招き入れられた。
願わくば面倒なことが起きず、あっさりと問題が解決する未来を期待しよう。
まあ、たぶん無理っぽいけどね……。