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幼女転生  作者: デブリ
六章・獣人編
113/203

第七十四話 『夜襲獅子』★


 日が暮れた。


「あんまり美味しくないですね……」


 俺はパックファングの焼き肉を嚥下してから、顔をしかめて呟いた。


「でも、食べられないほどでもないわ。竜のお肉の方がずっと美味しかったけれど」

「某は食べられるだけでも十分である。しかし、クレア殿やセイディ殿の料理とは比べるべくもないが……」


 ユーハはそう言いながらも、淡々と肉を食している。

 食べ放題の焼き肉屋で出される安物カルビの味を数段落としたのが、パックファングの味だ。美女二人の料理とは雲泥の差がある。


 現在、俺たちは巨木の根元でワイルドな晩餐と洒落込んでいる。

 猫耳美少女と遭遇した場所から、更に三時間ほど北上した地点だ。彼女はユーハが背負い、剥ぎ取った肉は荷物係ベルが持ち、途中で遭遇した魔物は俺が魔法であっさりキルして進んできた。

 カーム大森林の夜は深く、まだ日が暮れて間もないというのに闇が色濃いので、もう真夜中の暗さだ。月明かりも星明かりも、そのほとんどが陽光と同じように、頭上高くに生い茂る枝葉に遮られてしまっている。


「その子、なかなか起きないわね。ねえ、ローズちゃん、普通はどれくらいで起きるものなの?」


 ベルは焚火で肉を炙るように焼きながら、横たわる美少女に目を向けた。

 念のため、土魔法で作った硬いベッドの上に寝かせており、身体も拭いて綺麗になっている。無論、野郎共には見せないようにしたし、更に念のため、仕方なく、パンツまで脱がせて全身綺麗に拭いてやったのだが、この子はラヴィと違って毛深かった。純血の獣人だからか、まだ幼女らしさの残る少女でも立派な茂みだった。


「んー、そうですね……」


 そんなことを思い出しているとは到底思わないだろう無垢な顔で、俺は顎先に指を当てて唸った。


「彼我の魔法力の差とかで変化しますから、一概には言えませんけど、大抵は小一時間もすれば自然と目が覚めると思います」

「でも、まだ眠ってるわよね」

「私が強く掛け過ぎたのかもしれません。それか、消耗している様子でしたし、そのまま普通に寝入っているのかもしれませんね」


 などと話していると、タイミング良く猫耳っ子の耳と目蓋が小さく震えた。

 ゆっくりと目を開け、未だ微睡みの残る瞳で俺たちを見回してくる。

 

「――ッ!?」


 急に大きく目を見張って鋭く息を呑んだ後、少女は身体を起こそうとした。

 が、腰を浮かせてすぐに転んでしまう。

 一応の処置として、両の手足を革紐で縛ってあるのだ。ユーハが弾き飛ばした短剣も回収して、今はベルのリュックの中だ。

 また襲いかかられたらたまらんからね。


「■■■■、■■■■■■■■■■!? ■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■!」


 小器用に両脚を揃えて立ち上がり、ウサギ的なバックステップで距離をとってから、猫耳っ子は尻尾を逆立てて敵意に溢れる声を発した。

 うん、やっぱり何を言ってるのかは全然分かんねーや。


「あの、一緒に食べませんか?」


 俺がパックファングの骨付き肉を差し出すと、少女は三秒ほどじっと肉を見つめた後、視線を転じてユーハをキッと睨み付けた。


「■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■!? ■■■■■■■■■■、■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■! ■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■――」


 威勢良く喋っていた少女だが、不意に何かに気が付いたように「あ」と声を上げた。かと思うと、なぜか一転して勝ち誇ったような笑みを浮かべ、余裕を感じさせる声色で何事かを告げてくる。


「■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■! ■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■! ■■■■■■、■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――」


 意気揚々と喋っていた少女だが、不意に間の抜けた音が大きく響いた。

 音源は猫耳娘の露出した細い腹部からで、彼女自身も驚いているのか、口上を止めて固まっている。


「ねえ、貴女、アタシたちと一緒に食べましょう?」


 ベルも少女の方へと肉を差し出した。


「■、■■■■■■■■■、■■■■■■■! ■■■■■■■■■■■――」 


 また腹が鳴り、猫耳っ子は歯噛みして俺たちの手元を睨み付けている。焚火に照らされているので不確かだが、たぶん彼女は怒りと羞恥で赤面していた。

 それに昼間は分からなかったが、焚火のおかげで顔の陰影が色濃く浮き出ているので、頬が少しこけているのが分かる。出会ったときの状態といい、もしかしたらここ最近はまともに何かを食べていないのかもしれない。


 俺は逡巡した末、肉を片手に立ち上がり、美少女のもとへ近づいた。

 彼女はオッサン二人へ向けるものより幾分か敵意の少ない眼差しで俺を睨み、両手足を拘束された状態ながらも、僅かに腰を落として身構えている。


「はい、どーぞっ」


 久々に奥義を発動してやった。我ながら無垢なロリボイスで言いながら、満面の笑みを浮かべて、美少女の口元へ肉を差し出す。

 もう八歳だが、年上相手ならまだまだイケるはずだ。


「――――」


 美少女は虚を突かれたように、毒気の抜けた間抜け顔になって、俺の笑顔と口元の肉を交互に見ている。

 じれったくなったので、更に肉を突き出し唇に押し当てると……食べた。


挿絵(By みてみん)


 最初は恐る恐るといった様子だったが、すぐに貪るように食いつきだし、俺は肉から手を放した。

 

「さすがローズちゃんっ」

「こういった場合は、やはり無骨な男より女子おなごの方が良いのであろうな」


 オッサン共は温かな目で猫耳美少女を見ている。


 俺は彼女が咀嚼しているうちに背中に回り込んで、手首の革紐を解いてやった。

 名も知らぬ美少女は自由になった両手と俺を見て、困惑の表情を浮かべる。

 俺は構わず、更に両脚の革紐も取り払うと、両手をとって焚火の前まで引っ張った。そして俺のコップと更なる肉を持たせてやり、再び全力のスマイルを披露してやる。


「…………」


 美少女は警戒と困惑の念が綯い交ぜになった顔で、俺からオッサン二人に目を向けた。そしてまた笑顔の俺に視線を戻すと、手元の飲食物に視線を落とす。

 生唾を飲み込んだのか、喉をごくりと動かしてから、美少女はまさに獣の如く勢いで肉にかぶりつき始めた。

 

 うん、とりあえず良かった。

 笑顔は世界共通のコミュニケーションツールだね。

 こちらに敵意がないことを示し、相手の緊張を解してくれる。

 

「ほぉら、たくさんお食べ」


 ベルが肉を焼き、美少女がそれを食って、俺はコップに水を入れていく。

 行儀はなっていないが、実に良い食いっぷりだ。

 あの腹の鳴り具合といい、きっと相当空腹だったのだろう。


 俺たち三人も一緒に食事を続けていく。

 四人で焚火を囲み、和気藹々とは言い難くも、決して悪くはない雰囲気だった。

 きっと美少女は空腹のせいで苛立っていたのだろう。

 誰しも腹が減ると短気になるものだ。


「ふぅ、ごちそうさまでした」


 最後に水を飲んで、俺は食事を終えた。

 ユーハもベルも既に食べ終えているが、猫耳っ子はまだ食べている。

 ベルが肉を焼き、それを掻っ攫うように受け取って咀嚼し、水で流し込むように嚥下していく。


「名前くらいは訊いてみましょうか。それくらいなら身振り手振りでなんとかなりそうですし」

「うむ、そうであるな。しかし某ら男より、ローズが話しかけた方が良かろう。すまぬが、よろしく頼む」

「アタシは男じゃないわよっ、ユーハちゃん!」


 どうでも良い反論だったが、ベルのその語調は強かった。

 そのせいで勢い良くがっついていた美少女はビクリと動きを止めて、ベルを警戒の眼差しで見つめている。マッチョなニューハーフは慌てたように、妙に女っぽいしなを作った気色悪い笑みを浮かべた。

 普通に笑えばそこそこ格好良いと思うのに……。


「――ッ!?」


 美少女は怯えたように顔を引き攣らせ、肉とコップを手にしたまま、微かに腰を上げる。

 その気持ちは分かるが、少し落ち着いてくれや。


「ローズ」


 俺は美少女の腕をつついてから、その手で自分を指差し、名乗った。

 そして手首を返し、掌を上に向けた手を彼女へ向け、小首を傾げてみせる。


「…………?」

「ローズ、ユーハ、ベル」


 今度は俺とオッサン二人を順番に指差してから、再び少女に手を向けて首を傾げる。

 

「……ティルテ」


 硬い口調で、それでも名前を思しき言葉を呟いてくれた。


「ローズ、ティルテ」


 念のため、俺と猫耳美少女を交互に指差しつつ名前を言ってみると、彼女は微かに頷いた。どこか憮然とした表情をしていて、まだ警戒心を解いていないのは一目瞭然だが、上々の結果だ。


 簡単な自己紹介後も、猫耳美少女改めティルテは肉と水を胃に収めていった。

 俺が手品のように水を出してコップに注いでやると、彼女は息を呑んで目を剥き、俺とコップを交互に見ていた。

 魔法を見るのが初めてなのか、俺のような幼女が詠唱省略で使えていることが信じられないのか、とにかく驚いている様子だった。


 ティルテの食事が終わり、さてこれからどうしようか……という頃。

 俺は卵のことを思いだした。


「ベルさん、リュックから卵出してくれませんか」


 俺はベルから竜の卵を受け取り、膝の上に乗せた。

 これまで特に温めてたりはしてこなかったが、大丈夫だろうか。

 いつ生まれるのかも分からないし、夜は抱えて眠った方が良いだろう。


「――?」


 ティルテがぎょっとした目で巨大卵に注目していた。

 俺は竜の卵だということを、なんとかジェスチャーで伝えようと試みてみる。

 角と尻尾と翼を身振り手振りで表そうとするが、猫耳っ子は尻尾を左右にふらふらと揺すりながら首を傾げている。

 ユーハとベルを見てみると、微笑ましい顔で温かな眼差しを向けてきていた。

 恥ずかしかったので即止めた。


「そうだベルさん、竜鱗ですっ、竜鱗を見せてみてください!」

「分かったわ」


 ベルがリュックから俺の掌大ほどの黒い鱗を取りだし、ティルテに持たせた。

 ティルテは焚火に照らしてそれをしげしげと観察し、両手で折割ろうとしてみたり、コンコンと叩いたりしている。

 だが竜鱗は鋼よりも軽いくせに頑丈なのでビクともせず、光を吸い込むような漆黒の板を不思議そうに見つめている。


 しばらくすると、手にした竜鱗の置き場に困った様子で、ティルテはベルに返そうとする。が、オッサンは受け取らず、首を横に振った。


「それ一枚あげるわぁ、友好の証ってことで」

「――?」


 言葉は通じていないだろうが、状況から意味は分かったのか、ティルテは竜鱗を持ったまま手を引っ込めた。特に喜んでいる様子はなく、むしろ困惑している。

 それ一枚だけでも相当な価値があるだろうに、相変わらずベルは気前が良い。真竜の鱗なんだから、もし価値の分かる奴が受け取っていたら、今頃は感涙に噎び泣いているところだろう。

 豚に真珠、猫に竜鱗ってか。


 俺は卵を膝に乗せたまま、愛用の櫛を取り出した。

 ここ最近は風呂に入ってないから、せめて髪だけでも梳いておきたい。いや、白竜島でも魔法で身体は洗えていたが、どうにも湯船に浸からないと落ち着かないのだ。もう三年半以上も毎日入浴してたから、俺もすっかり綺麗好きの風呂好きになってしまった。

 北ポンデーロ大陸には有名な温泉街があるという話を船上でベルから聞いたので、いつかみんなで行ってみたいものだ。


「ティルテさ――ティルテも、どうですか?」


 櫛を差し出すも、彼女は受け取ろうとしない。未だ硬い表情のまま、こちらの真意を探るような眼差しを返し、首を横に振っている。

 俺は逡巡したが、果敢に攻めてみることにして、卵を地面に置いて立ち上がった。そして身構えるティルテを敢えて無視し、彼女の後ろに回り込んで、俺よりやや短い髪を梳いてやる。

 異文化交流には壁を乗り越える勇気が必要なのだ。


「……………………」


 ティルテは身体を強張らせ、若干険しい表情を浮かべながらも、俺を振り払おうとはしない。

 これは……良い調子だろう。

 少しずつ敵意がないことを示し、緊張を解していけば良いのだ。


「ユーハさん、ベルさん、これからどうしますか?」


 猫耳美少女のブラッシングを終え、再び卵を膝の上に乗せたところで、俺は二人に問いを投げた。ティルテという満足に意思疎通できない猫耳美少女をどうするのか、まだ何も決めていないのだ。


「放ってはおけないわよねぇ。また魔物に襲われちゃうかもしれないんだし」

「道中で村落を探し、その付近まで共に参るか? もっとも、見つかるかどうか定かではないのだが……」


 迷いどころだ。

 ティルテに目を向けると、彼女は相談する俺たちを訝しげに見ている。

 理解不能な言葉で他人同士が話している光景は、彼女にとって無用な不安感を抱かせる行為かもしれない。

 だが今後の方針は決めておく必要がある。


「彼女なら土地勘ありそうですけど、眠っている間に結構北上しちゃいましたからね。あの場所から移動したのは失敗だったのでしょうか?」

「でも、あんな人気の無いところに、十歳くらいの女の子が一人でいたのよ? 魔物に襲われることは分かっていたはずなのに……この子の住む村から出掛けたんじゃなくて、やっぱり何かがあって迷子にでもなっていたんじゃないかしら」


 ティルテとの遭遇地点を離れるときにも似たようなことは話した。

 しかし、時間を置いて冷静に考えてみると、少し違和感が残る。


 ティルテは助けた俺たちに襲いかかってきた。

 彼女は俺たちを奴隷商のような良からぬ類いの輩だと勘違いした……とは思う。

 だがいくら何でも、窮地を救った相手に対し、ややもしないうちに親の敵とでも言わんばかりの激しい敵意を向けて襲いかかってくるだろうか?

 そこまで思い込みの激しい子なら、俺の奥義だって通用しなかっただろうし、何か理由がありそうだ。


「ユーハさんはどう思いますか――って、ユーハさん、どうかしましたか?」


 不意にユーハが小脇に置いていた愛刀の鞘を掴み、森の深い暗闇に目を遣っていた。鬱度の低いその顔は引き締まり、真剣な様子なのが分かる。


「おそらく、囲まれておる」

「え……?」

「気配の隠蔽が巧妙である……これは人であろうな。数は五、六人といったところであろうか。すまぬ、気が付くのに遅れてしまった……」


 と言いながらもユーハは立ち上がり、腰帯に鞘を差して、右手を柄に掛けている。そこでティルテも素早く腰を上げ、暗闇に目を凝らし始める。

 念のため、俺とベルも緊急事態に備えるべく、心身を引き締めて辺りを見回す。


「■■■■■■■■■■、■■■■■■! ■■■■■、■■■■■■■■■■■■!」


 ティルテが暗闇へ向けて声を張り上げた。

 その声音に敵意はなく、何か懇願するような響きが感じられる。


「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■! ■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■! ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!」


 相手はティルテの仲間なのか、敵なのか。

 いや、仲間なら姿を見せるはずだし、敵か。あるいは人間と一緒にいるから姿を見せないだけで、彼女の仲間の獣人なのかもしれない。

 いずれにせよ、何を言っているのか分からないから、俺たちは置いてけぼりだ。


「■■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■■■■」


 正面の暗闇から低い声が聞こえてきた。特に感情が込められているわけでもなく、どこか事務的な声で、静かな夜の森に良く響く。


「■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■。■■■■■」


 何事かを言いながら、暗闇から人影が歩み出てきた。

 その数は……六人。

 俺たち四人は巨木を背にしているため、六人は俺たちを取り囲むように半円に広がっている。

 どいつもこいつも毛深い男ばかりでむさ苦しく、それでいて雄々しかった。野郎共の顔の周りはたてがみめいた立派な毛で覆われており、毛量の多いごわごわとした頭部には猫っぽい耳も見られる。尻尾もティルテのものと似てはいるが、彼女と違って先端が房になっている。

 ティルテが猫娘なら、そいつらは百獣の王っぽい特徴を有した獅子男だ。

 

「■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■。■■■■■■■■」


 俺たちの正面にいる三十路ほどのオッサン獣人がティルテを見ながら静かに告げる。その様子から察するに、どうにも二人は顔見知りっぽいが、友好的な感じはしない。


 ライオン獣人たちは全員が臨戦態勢に入っており、武器を構えていたり、ファイティングポーズをとっている。

 ティルテは身構えて切羽詰まった顔を見せ、戸惑う俺たちをチラ見してきた。


「なんかこれ、不味くないですか?」

「とてもじゃないけれど、良い雰囲気とは言えないわねぇ」

「この状況、如何に対処する? 彼らから敵意は感じるが、殺意は感じぬ。おそらくは捕縛でもする気であろう」


 俺たちを捕まえてどうするって言うんだ?

 連中の村にでも連れ帰って事情聴取でもする気か、あるいはリンチして身ぐるみ剥いでポイか。奴らの中にロリコンがいたら大変なことになるぞ。


 そもそもユーハが間違っていて、連中は俺たちを殺す気かもしれない。

 しかし本当なら、敢えて捕まることで獣人たちの村まで行けるかもしれないし、そうなれば誰か一人くらい言葉の通じる奴がいるかもしれない。

 いや、その前に少し試してみるか。


「あのっ、誰かクラード語が分かる人はいませんか!?」


 ライオンマンたちは警戒した歩みでゆっくりと包囲を狭めており、彼我の距離は三十リーギスを切っている。俺のクラード語の叫びに対しては無反応だ。

 他にもエノーメ語、北ポンデーロ語、フォリエ語、拙いネイテ語で呼び掛けてみたが、いずれの声にも理解可能な言語は返ってこない。

 

「ローズ、如何する……? なんとか意思疎通を図ってみるか、あるいはティルテを連れて逃げるか、それ以外か。このままでは彼らと一戦交えることになろう」


 猶予はない。

 どうする、どうすれば良いんだ。


「……………………」


 俺は二秒ほど硬直してぐるぐると思考をこねくり回した後、決めた。


「逃げましょう」


 現状、言葉が通じず害される危険があるのならば、逃げるのが無難だ。

 三十六計逃げるにしかずって諺もあることだし、ここはトンズラに限る。


 俺はオッサン二人と極簡単に素早く話し合った。

 その直後、ライオンズとの距離が十リーギスを切ったところで、俺たち三人は同時に動き出した。




 ♀   ♀   ♀




 険しい表情で身構えながら、迫るライオンズと相対するティルテ。

 そんな猫耳美少女に俺は背中から飛びついた。


「――ッ!?」

 

 驚くティルテの双眸を両手で塞ぎ、俺もきつく目を閉じて、光属性上級魔法〈大閃光イャ・バオー〉をぶっ放した。

 目蓋越しでも分かる強烈な光が暗い森に炸裂し、野郎共の低い呻き声が耳朶を打つ。


「ティルテ!」


 俺は押し倒してしまった猫耳っ子の手を引っ張りながら、彼女の名を叫んだ。

 当の本人は困惑の表情を見せていたが、すぐに起き上がって、さっと周囲を見回す。雄々しく立派なたてがみを持つ野郎共は一様に目を押さえ、その場に膝を突いたり、ふらついている。

 ユーハは先ほど正面に立って話していたオッサン獣人に跳び蹴りをかまし、進路を確保する。

 ベルは卵を回収し、荷物を背負った状態で俺たちが動くのを待っていた。


「行きましょうっ!」


 言葉は通じていないだろうが、何が言いたいのかは伝わったようで、ティルテは身軽く駆けだした。俺も〈風速之理メト・リィエ〉を使って、包囲の穴から脱出を試みる。


「■■■、■■■■!」


 ライオンズの一人が目を瞑った状態で苛立たしげに毒づき、俺とティルテの方へ襲いかかってくる。だが、横合いから放たれたオカマパンチが顔面にクリーンヒットして、野郎は数リーギスほど吹っ飛んだ。


「ゴラァッ、女の子に襲いかかろうとするなんて恥を知れやボケェ!」


 さすがロリコン!

 こういうときは頼りになるぜ!

 

 俺は包囲から抜け出るついでに〈幻墜ルー・ムァフ〉を野郎共へ連発しておいた。威力より速度重視なので効果は薄いだろうが、やらないよりは幾分もマシだ。


「ローズ!」


 ユーハは俺を抱えると、深い闇の中を駆けていく。

 無論、俺は光魔法を行使しているので、視界状況は問題ない。

 ティルテはちゃんとついてきているかと思って背後に目を遣ると、ベルと並んで走っていた。が、百リーギスほど走って、後方の焚火の明かりが大木に隠れて見えなくなった頃、彼女は口を開いた。


「■■■■、■■■■! ■■■■■■■■■■■■!」


 右手の方角を指差しながら、何かを訴えかけているようだった。

 俺とユーハは目を合わせて無言で頷き合い、今度はティルテを先頭に彼女が指差した方へと駆けていく。するとまた百リーギスほど進んだところで、大木の根元に見慣れぬ生き物がいるのを確認できた。


 そいつを一言で表現するのなら、ダチョウとキリンを足して二で割ったような生物だった。鳥類めいた細長い四本足で立ち、同じく細長い首の先に小さな頭と嘴、ピンと立った三角の耳が見られ、短い尻尾もついている。

 身体は短毛に覆われ、申し訳程度の小振りな翼が生えていた。

 そんな良く分からん生物が全部で七頭いて、その全てに鞍と手綱が装着されている。近くには剣を持ったライオン獣人が一人いて、近づく俺たちへと向こうからも駆けてきた。


「〈超重圧ティラグ・ルフ〉」


 獣人男は転ぶように俯せに倒れ込み、地面に張り付いた。だが懸命に抗うように、不可視の重圧の中で手足を微動させている。

 ペシャリと押し潰すのは簡単だが、殺さないように威力を調節するのも難しいのだ。


 俺は上級魔法を行使し続けたまま、中級魔法である〈幻墜ルー・ムァフ〉を可能な限り全力で放った。

 ユーハに男の近くで下ろしてもらうと、刀を首筋に当てて牽制してもらう。

 そして俺は野郎の毛深い背中に手を突き、無属性特級魔法〈霊衝圧ルゥソ・クイン〉を行使した。接触部から仄かな白光が弾けた瞬間、男の身体が電気ショックでも与えられたかのようにビクッと跳ねた。かと思えば、全身から力が抜けて動かなくなる。


 〈霊衝圧ルゥソ・クイン〉は相手に魔力的な衝撃を与える魔法だ。

 俺の魔動感の過剰反応に似たような反応を引き起こさせ、無力化することができる。良く効けば気絶させられ、そうならなくとも少なからず酩酊感を与えられるが、それはあくまで副作用であり、こいつの真価は別にある。

 〈霊衝圧ルゥソ・クイン〉を喰らった奴はしばらく魔力が扱えなくなるのだ。魔法が使えなくなるのは元より、魔石や魔法具などに魔力を込めることすらできなくなる。無論、彼我の魔法力差によって威力が変化するので、数分だけの場合もあれば、数日にわたって効果が継続する場合もある。

 魔法士にとっては致命的に厄介な魔法だが、〈誘眠撃タス・ピリィ〉同様に零距離から放つ必要がある。今回は魔力的な作用より、身体的な作用の方に期待して行使した。


 獣人を片付けた俺たちは、先行したティルテのいる大木の根元へと走り寄った。

 七頭のダチョウもどきは地面に打ち込まれた楔に繋がれている。頭部までの高さは最低でも二リーギスはあって、近くから見ると結構大きく見える。

 

「ラノース」


 ティルテがダチョウもどきを指差して言った。

 それからラノースというらしい生物の背中に飛び乗り、俺たちにも騎乗しろ的なジェスチャーを送ってくる。

 

「馬のようなものであろうか……? 走って逃げるより良さそうではあるが、上手く乗りこなせるかどうか」

「何はともあれ、乗ってみましょう。ローズちゃんはアタシと一緒に――」

「ベルさんは荷物背負ってますから、ユーハさん……も初めてで不慣れでしょうし、私はティルテの後ろに乗ります」


 何を思ったのか、オッサン二人は若干落ち込んだ顔を見せながらも頷いた。

 俺はユーハに抱き上げてもらい、ティルテの後ろに乗って、露出した細い腰にしがみつく。ティルテはなんとも複雑そうな顔を向けてくるが、そこに敵意は感じられない。ただどういう反応をすれば良いのか自分でも分からず、困っているような印象を受ける。


 だがすぐに俺から視線を切ると、真上を見上げた。

 頭上には高い幹と枝葉、その隙間から覗き見える天体の輝きしかない。

 ティルテはぐるりと上方を眺め回した後、なんとか騎乗したオッサン二人を見て、ラノースという謎生物の脇腹を軽く蹴った。そして何ら迷った様子を見せず、たぶん北の方角へとラノースを疾走させ始める。


「二人とも大丈夫ですか?」


 背後を振り返ると、ユーハもベルもぎこちないながらも、ダチョウもどきを何とか駆っているようだった。


「う、うむ、少々コツを要するようだが、何とか」

「初めて馬に乗ったときよりは上手く乗れてるわ、大丈夫よ」


 オッサン二人に比べ、ティルテは上手に乗りこなしているようだった。

 ラノースの速度は思った以上に速く、馬に準ずる速度が出ており、森の夜気を攪拌するように大木の間を駆け抜けていく。

 俺は光魔法ライトを灯しておくだけで良いので楽だ。

 ティルテの背中はサラサラとした短毛に覆われて触り心地抜群で、頬ずりするように顔を埋めた。美少女の身体は少し汗臭いが、しなやかに引き締まった腹回りは絶妙な柔らかさがある。


 俺たちは後方を気にしつつ、夜の森を駆けていった。




 ♀   ♀   ♀




 ラノースによる夜間進行は数時間続いた。

 途中でエンカウントする魔物は魔法で瞬殺だ。

 幾度か小休憩を挟み、しばしば後方を気にして、焦ったようにティルテは先行していく。先ほどのライオンズといい、何か事情があるのだろうが、言葉が通じない以上は聞こうにも聞けない。


 光魔法の光量は最小限に絞り、暗々とした巨木の森をひたすらに走っていく。

 ライオンズ六人に放った〈大閃光イャ・バオー〉は手加減していたので、失明はしないまでも、しばらく目は使いものにならないはずだ。ラノースの番をしていた野郎は最低でも一時間は起きないだろう。

 連中が追跡してくるにしても、アドバンテージはこちらにある。

 が、相手は獣人だ。おそらく森のことは知り尽くしているだろうし、人間より体力があって嗅覚も聴覚も鋭い。

 油断はできない。


「■■■■■、■■■■■■■■■■■■! ■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■!」


 誰も彼も無言のままラノースの背中で揺られていると、ふとティルテが喜色に溢れた声を上げた。何事かと思って背中から前方を見てみるも、特に変わったことは何もない。

 だがしばらく進んでいくと、穏やかなせせらぎを奏でる大きな川が進行方向に横たわっているのが見えた。


「なかなか綺麗な川ですね……って、え? ティルテ?」


 ティルテは岸辺でラノースの足を止めることなく進んでいく。

 ラノースの長い四本足が半分ほど浸かったところで、背後を振り返ってオッサン二人を手招きした。


「もしや、ここを渡る気であろうか」

「魔物とかいないかしらね……?」


 川の水質はなかなか良さそうで、水底まで見えている。

 ベルの言うとおり水棲魔物やピラニア的生物の存在は気になるが、接近されても魔法で即座に撃滅すれば良いだろう。


 オッサンたちもラノースごと川へ吶喊し、ティルテを先頭に進んでいく。

 どんどん深くなっていくが、ラノースに躊躇いはなく、足が着かなくなると四本足と短翼を懸命に動かして泳いでいた。首まで浸かった俺は、掌に現象させている初級光魔法〈光輝ル・ラト〉の明かりを水面下で灯して、周辺水域の警戒に努めた。


 川幅は二十リーギスほどあったと思うが、流れが穏やかだったので、あっという間に渡り終えた。尚、ベルはリュックを濡らさないよう頭の上に乗せていたため、食料は無事だし卵は冷えていない。

 

 水も滴る猫耳美少女は渡河してすぐにラノースを走らせた。

 川沿いに西へと進んでいく。

 頭以外は全身ずぶ濡れなので身体を乾かしたいが、そのうち乾くだろう。夜でも気温は高からず低からずの適温なので、この状態だと少し寒いものの、風邪は解毒魔法で治せる。


 またしても数時間ほど移動した頃、ティルテは川沿いから少し逸れて、一本の巨木の根元で止まった。そこは太い根の一部が地上にせり上がり、複雑に絡まったことで、洞窟のような穴倉を形成していた。


「■■■■■■■■■■■■■■。■■■■……■■■、■■!」


 ティルテはラノースの背中から軽やかに飛び降りて、手綱を根に繋ぎ、洞窟の中を指差した。相変わらず何を言っているのかチンプンカンプンだが、たぶんここで休憩しようと言っているのだ。


 俺たちも地面に降り立って、天然の屋根の下に入ってみた。

 少し狭いが、四人全員が入れないことはない。

 周辺を軽く回って枝や雑草を集め、焚火を熾して一息吐く。


「某はここで見張りをしておこう。既に夜も深い故、ローズは休んでおくと良い」

「アタシたちが見張っておくから、ローズちゃんはティルテちゃんと安心して眠っていてね! アタシたちは大丈夫よ、二人の寝顔を見ていれば元気百倍だから!」


 さすが変態紳士的なオンナは言うことが違うな。

 ここは有り難くオッサン共の好意に甘えておこう。

 これも幼女の特権だ。


「ティルテ、一緒に寝ましょう!」


 地べたに寝るのは躊躇われるので、土属性中級魔法〈岩壁ルォ・ロー〉でベッドを作り、猫耳美少女をそこへ引っ張った。

 彼女は逡巡するように俺とオッサン二人を交互に見遣る。しかし俺が強引に寝かせようとすると、躊躇いがちに硬いベッドの上に横になった。


「あ、ベルさん卵ください」


 ベルにリュックから卵を出してもらい、俺はそれを抱え込むようにティルテの隣に横臥した。いつも気怠げなラヴィとは違って、パッチリと見開かれた猫目から不思議そうな視線を送られたので、俺は笑顔を返しておいた。

 すると、ティルテはどこか気の抜けたような吐息を溢し、口元を緩めた。

 やっと笑ってくれたよ。

 笑顔が可愛い子は大好きだ。

 共にライオンズからの危機を乗り越えたことで、吊り橋効果でも発動しているのかもしれない。


 正直なところ、相手が猫耳美少女とはいえ、一度は本気の敵意を向けてきた人と一緒に寝るのは少し怖い。しかし、もう彼女から敵意は感じないし、敢えてこちらが無防備な姿を見せれば、ティルテも心を開いてくれるかもしれない。

 

「ふぁ……」


 欠伸が漏れ出てしまった。

 なんだかんだで、転移してまだ半日程度しか経っていないが、予想外に色々あった。さっきまではライオンズのせいで気を張っていたが、こうして横たわると急に眠気が襲ってくる。


「ティルテ……?」


 うとうとしていると、隣のティルテがゆっくりと身体を起こし、外へ出た。

 どうかしたのかと思って後についていく。

 ティルテはユーハたちに対し、胸の前に両手を出し、ここで待ってろ的なジェスチャーをしている。それから彼女は大木の裏手に回り込むと、なんだかんだで一緒についてきたベルと俺を可愛らしく睨んできた。

 小さく眉根を寄せ、どこかモジモジとしている。

 可愛いなおい、眠気が吹き飛びそうだぜ。


挿絵(By みてみん)


「■■■■■■■■■■■■……■■、■■■■■■■■」


 猫耳っ子は俺たちの背後に回り込むと、何事かを言いながら背中を押し、来た道を引き返させようとする。

 どことなく懇願しているような響きが感じられた。


「もしかして、お花摘みかしら」

「……あ、なるほど」


 ティルテの顔を良く見てみると、何かを堪えているようにも見える。

 言葉が通じないと、こういうところで不便だな。

 

 そそくさと焚火のもとまで戻り、俺は再び卵を抱えて横になった。しばらくするとティルテが戻ってきて、今度は自分から俺の隣に身体を横たえてくれる。

 少しは警戒心も解れたかな……と思い、恐る恐る猫耳を触ってみた。

 ティルテは身体をビクッと強張らせたが、こちらの笑顔を見るとすぐに脱力して、俺の好きにさせてくれた。

 代わりに彼女の方も俺の頭をゆっくりと撫でてきた。


 この調子で胸元に顔を埋めてみようかと悩むが……止めておこう。

 それは次のステップだ、焦らずゆっくりと打ち解けていけば良い。

 ティルテはまだ小さいから、気持ちよくもないだろうしね。


「おやすみなさい、ティルテ……」


 そうして、俺は出会って半日も経っていない猫耳美少女の隣で、意識を落とした。


 

挿絵情報

企画:Shintek 様 FAN PV(https://youtu.be/NWTNZI-q20c?vq=hd720)

イラスト:ふみー 様 pixiv(https://www.pixiv.net/users/197012)

 

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