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幼女転生  作者: デブリ
五章・竜人編
110/203

 間話 『君を忘れない 後』



 何はともあれ、フラヴィを家の中へ招き入れた。

 予期せぬ来客だったが、折良く掃除をした後で幸いだった。


「エリーから、ヴァジムが養子をとって退役したって聞いて、驚いたわよ。しかもその子の名前がレオナだっていうから、二重にね」

「我ながら柄ではないと思うが、これはこれで悪くない生活だ」


 そう答えたヴァジムに複雑な笑みを返してから、フラヴィは居間を見回して「意外と綺麗にしてるのね」と言いながら椅子に腰掛けた。

 ヴァジムが対面の定位置に座ると、その様子を見つめながらフラヴィは訊ねる。


「もう足はいいのよね?」

「ああ。お前たちが発って……一期ほど経った頃か。ある朝起きたら、急に治っていてな」


 今から二年ほど前、ヴァジムは一人の魔女から襲撃を受けた。

 全く見覚えのない人間の女は魔剣と魔法を駆使してヴァジムを追い詰め、彼は奮戦虚しく意識を失った。そして次に目覚めたとき、両脚が思うように動かなくなっており、フラヴィたちと共に行く予定だったオールディア帝国への任務に参加できなくなったのだ。

 

「更にその一期ほど後、今度は玄関に幼子が寝かせられていてな。しかも我の相識感が微かに反応しているときた。あのときは数十年ぶりに戸惑ったものだ」

「ええ、フレイズでエリーたちから粗方の話は聞いたわ。そっちはそっちで大変だったみたいね」


 フラヴィが訳知り顔で頷いたとき、レオナが食膳に三つの杯を乗せて厨房から出てきた。


「フェルのみのジュース」


 小さな手が差し出す杯を受け取りながら、フラヴィが「ありがとう」と微笑むと、童女は「どーいたしまして」と笑みを返し、居間を出て行った。

 テーブルには椅子が二つしかないので、別の部屋へと取りに行ったのだ。

 はじめはヴァジムがやろうとしたのだが、レオナは椅子を大人二人に譲って、飲み物の準備までし始めた。


「可愛いし、良い子ね」

「うむ、そうだな。しかし、どうにも元気がない」

「え、そうなの? 明るそうな子だと思うけど」


 そこでレオナが椅子を持って戻ってきて、ヴァジムの隣に座った。

 

「レオナちゃんは力持ちね」

「うん、だってあたし、リュージ――あ」


 レオナはふと気が付いたように口を止めて、横目にヴァジムを見上げた。


「大丈夫だ、フラヴィはレオナが竜人と人間の混血だと知っている」

「そうなの? あれ、でもどうして? あたし、フラヴィとははじめてあうよ」

「さっきも言ったと思うけど、アタシはしばらくローズと一緒にいてね。レオナちゃんのことは聞いてたから」


 フラヴィの言葉を聞いて、レオナは「……ローズ」と静かな声で、しかしはっきりとした口調で呟き、テーブルに身を乗り出した。

 彼女は普段は見せない真剣な眼差しでフラヴィのことを見つめている。


「ローズはどこにいるの!?」

「ごめんね、それはアタシにも分からないの。帝国内を探したんだけど、手がかりすらなくて」

「……そっか」


 レオナは肩から力を抜き、項垂れるように視線を膝の上に落とした。


 半年ほど前、オーバンたちが皇国に戻ってきたとき、ヴァジムは帝国で何があったのか、大体の話は聞いていた。港町バレーナへの道中にて、ヴァジムを襲った魔女と同一人物と思しき白髪の女から襲撃を掛けられ、全員が無力化されてしまったこと。そして気が付いたときには帝国で出会ったローズという幼い魔女がいなくなっていたこと。

 

 その後、オーバンたちは一旦バレーナへ向かって話し合った結果、フラヴィだけが帝国に残って捜索することになったそうだ。

 ローズという魔女の魔法力は常軌を逸していたらしく、優秀な魔女のためならば現地の人員を割いてでも探し出す価値があるとされたのだ。レオナはオーバンたちからローズが生きているとの話を聞いた当初、満面の笑みを浮かべて喜んでいたが、行方も生死も不明と知ると一転して落ち込んだ。

 そしてその影響は未だに続いている。


「でも、今日はそのことで話があって来たの」

「そのローズという子のことで、何か分かったことがあったのか?」

「ええ。この前フレイズに帰ったら、アタシ宛てに手紙が届いててね。本来なら留守中の届け物は軍部で預かってもらうはずだったんだけど、なぜか実家の方にいってて、取りに来いって呼び出され――って、この辺はどうでも良いわよね。とにかく、その手紙がローズからのものだったから。内容を伝えるついでに、レオナちゃんとも会っておきたかったし、訪ねてきたってわけ」


 フラヴィは足下に置いていた背嚢リュックを漁り、一通の封筒を取り出した。

 レオナは普段の生活ではまず見せない意気を瞳に宿し、フラヴィが便箋を広げるのを見つめている。


「一応、読んで聞かせた方が良いわよね?」

「うん」


 即答したレオナに、フラヴィは軽く咳払いを挟んだ後、手元の文章をゆっくりと読み上げ始めた。



『お久しぶりです……と書くべきなのでしょうか?

 ローズです。

 ラヴィたちは私のことをきっと凄く心配してくれているでしょうから、手紙を出させてもらいました。

 まずはじめに書いておくと、私は無事です。生きています。


 あの日、見知らぬ女性に襲われて、私は意識を失いました。

 そして次に目覚めたとき、そこは全く知らない場所で、私の身に余ることが色々と起きました。ですが何とか五体満足ですし、こうして手紙を書けるだけの環境に身を置くこともできています。食事も毎日ちゃんと食べていますし、ベッドで眠れていますし、周りの人たちも親切で、何一つ不自由をしていません。

 私は無事ですから、どうか安心してください。


 そして、ごめんなさい。

 本当は今どこにいて、どんな人たちと一緒にいるのか書きたいのですが、諸事情あってそれは適いません。ラヴィとは家族になると約束をしたのに、今はその約束を果たせそうにありません。ですが、いつかきっとプローン皇国に行って、ラヴィやエリアーヌ先生に会いに行きます。

 もしそのときにも、まだ私と家族になっても良いと思っていてくれていたら、私を娘にしてもらえると嬉しいです。ですからどうか、私のことは探さないでください。探してもきっと見つからないと思うので、ラヴィは以前に言っていたとおり学校の先生になって、気長に私との再会を待ってもらえたらと思います。


 それと図々しいお願いですが、可能な限りで良いので、レオナのことを探してもらえないでしょうか? そしてもし見つけた場合は保護して欲しく思います。

 彼女は私に名前と笑顔をくれた大切な人です。どうかよろしくお願いします。


 最後になりましたが、ラヴィは元気でしょうか?

 エリアーヌ先生やロックさん、オーバンさんたちと一緒に、無事にプローン皇国まで帰り着けたのでしょうか? この手紙がちゃんとラヴィの手に渡っているのかも分かりませんが、無事でいてくれることを祈っています。

 いつか言っていたラヴィとエリアーヌ先生とのお昼寝や膝枕は今でも楽しみです。


 ここまで目を通してくれて、ありがとうございます。

 また会える日まで、どうか元気でいてください。

 ローズより』



 フラヴィは一息吐くように小さく深呼吸をして、紙面から顔を上げた。


「とまあ、こういう内容だったわ」


 嬉しそうな、悲しそうな、複雑な感情を滲ませた声をしていた。

 フラヴィは表情の変化に乏しいが、彼女が微苦笑を浮かべていることが分かるくらいには、ヴァジムも彼女とはそれなりに親交がある。


「ローズ……たいせつなひと……」


 レオナは心ここにあらずといった様子で、例の呆然とした姿を見せている。

 ヴァジムは当然の疑問とでも言うべき問いをフラヴィに投げかけてみた。


「その手紙、間違いなく本人からのものなのだな?」

「ええ、アタシやエリーしか知らないことまで書かれていたし、間違いないわ。これをローズ本人が直に書いたかまでは……さすがに分からないけど」

「ふむ……そうか。それで、フラヴィはどう考えている?」


 何が、とは言葉にせずとも通じたようで、フラヴィはテーブルに手紙を置くと、薄い胸の前で腕を組んだ。


「無事ではいるようだけど、どうにも状況が不透明なのよね。最も高い可能性としては帝国、あるいはどこかの国に保護されて、その監視下のもとでこの手紙を送ってきた。アタシらに探さないよう書いてあるのは、国側が皇国に有能な魔女を横取りされないように予防線を張った……ってところかしら」

「そうだな、そう考えるのが妥当だろう。手紙を届けた人物のことは、何か分かっていないのか?」

「消印からして、皇国内から出されたことだけは確かみたいね。アタシの自宅宛てだったから、軍部が預かって、それを実家が受け取ったみたい」


 フラヴィも手紙のことには疑問を抱いているようだが、どこか堂々としていた。

 肝が据わっている、とでも言うべきか。

 まるで今後とるべき行動を既に決めているように見える。


「フラヴィはどうするつもりなのだ? 手紙に書いてあるとおり、皇国で教師をしながら待っているのか?」


 訊ねたヴァジムに、フラヴィは気負った様子もなく肩を竦め、テーブルの手紙を再び手に取った。


「アタシが教師になろうと思った切っ掛けはローズなの。ローズがいないんじゃ、やる意味も半減するわ」

「では、ローズを探すつもりか?」

「そのつもりだけど……って、ちょっと何その顔、そんなに意外?」


 ヴァジムは特に表情を変化させたつもりはなかったが、心情が顔に出てしまっていたらしい。

 フラヴィの指摘に正直に頷き、彼は疑問をそのまま口に出すことにした。


「意外という他あるまい。そのローズという幼い魔女とは、一期ほどを共に過しただけなのだろう? フラヴィはもう少し淡泊な者だと思っていたのだが」


 オーバンやエリアーヌから、フラヴィとローズの関係は聞いていた。

 フラヴィがローズを養子にし、軍を辞めて学院の教師になるという話を聞いたとき、それはどんな冗談だと耳を疑ったものだ。その場にロックしかいなかったのなら確実に冗談だと思っていただろうが、生真面目なエリアーヌがそんな嘘を吐くはずがないので信じた。


 三人によると、フラヴィは決してローズが魔女だから養子にしようとしたわけではなく、ただ一人の子供として気に入っていたのだと言う。国家に仕える魔女の家族あるいは保護者は優遇されるため、魔女を身内に引き入れたいと思う者は多い。

 なので幾らオーバンたちから言われようと、所詮は利益目的だとヴァジムは思うのだが、相手がフラヴィなら話は別だ。彼女は自ら進んで、爵位を有する実家と縁を切って一人暮らしを始め、貴族令嬢という金に困らない立場をなげうって入隊した。髪型に拘っていたことからしてフラヴィは変わり者で通っており、だからこそヴァジムとも以前から親交があったのだ。


 ヴァジムは竜人という珍しい種族故に、軍内では周囲からある種の特別視をされていた。とうの昔に双角は折り、尻尾は削ぎ落としていたので、服を着てしまえば外見は人間と変わらないとはいえ、竜人は竜人だ。

 むしろ竜人らしい特徴のない竜人として、妙に名を知られていた。

 性格も社交的とは言えないために変人として認知され、同じく変人扱いされていたフラヴィと自然と交流を持つようになり、今に至る。


「なんかそれ良く言われるわね……アタシ、こう見えてかなり惚れっぽい性格なのよ? それに、自分でもどうかと思うくらい一途なんだから」

「……ふむ」


 戯けたように言うその様子に違和感を覚えたが、ヴァジムは曖昧に相槌を打つだけに留めておいた。

 するとフラヴィはふと目を伏せて、手にしている手紙を強く握りながら、独り言のように漏らした。


「でも、過去のアタシは一歩を踏み出す勇気がなかった。踏み出した先に、道がなかったときのことを考えると、怖くて……今いる心地良い場所に戻って来られなくなることに怯えて、結局ずっと同じ場所に立ってた」

「…………」

「取り返しの付かない今になって思えば、駄目元でも踏み出すべきだったって思うのよね。もう後悔はしたくないから、自分の気持ちに素直になって行動するって決めたの。アタシの心はローズを求めている。だから探す」

 

 これは決定事項だとでも言う風に、途中から力強い口調になって、そう断言した。

 フラヴィはヴァジムにとって、自分の六分の一程度しか生きていない若輩者だ。しかし、この一年半で何がフラヴィを変えたのか、以前に比べて明らかに大人になっていた。

 いや……おそらくはローズという魔女と関わり合ったことで、変わったのだ。


「やはり変わったな。見た目だけではなく、中身も」

「ヴァジムも言ったとおり、女は髪型一つで変わるものなのよ」


 ヴァジムは静かに笑みを溢し、「そうか」と感慨深く頷いた。

 そこで二人とも、今まで口を付けていなかった杯を傾け、一息吐いた。

 喉を潤したのはレオナ用に買ってあった果汁で、甘酸っぱくも爽やかな味わいが胸を心地良くさせた。


「……………………」


 杯を置き、ヴァジムは横目にレオナの様子を窺った。

 これまでの大人二人の会話を聞いていたのかいないのか、レオナはいつになく力強い瞳で対面に座す女性を見つめている。フラヴィの方も、そんなレオナと視線を合わせ、幼子が口を開くのを待っているようだった。


「フラヴィ」

「なに、レオナちゃん」

「あたしもいっしょに、ローズをさがしたい」


 今朝方ヴァジムに「今日は掃除をする」と言った子とは別人に思えるほど、それは明確な意志の籠もった言葉だった。しばしば呆然と空を見上げる幼子の面影は見られず、真っ直ぐな性格が引き締まった表情から良く感じられる。


「どうして、探したいと思うの?」

「ローズは……たいせつなともだちだから。なかせてくれて、すごくうれしくて、もうずっとおぼえてるの。だから、ローズにおれいをいって、いっしょにあそんで、いっしょにいたいの」


 拙い言葉で一生懸命に気持ちを吐き出す姿は純真で、それ故に尊く、聞く者の心に直に届いた。

 フラヴィは愛おしそうに笑みを浮かべながら、更に問いかける。


「探すのは、きっと凄く大変よ? 色々な土地を回って、色々な人と関わって、魔物とだって何度も遭遇するでしょうね。きっと辛いことや嫌なこともたくさんあるわよ」

「それでも、またローズにあいたいの」


 真摯な訴えはどこまでも真っ直ぐだった。

 ヴァジムはフラヴィから視線を送られていることに気が付き、口を開いた。


「レオナ、今のお前には無理だ」

「どうしてヴァジムっ、あたしぜったいローズをみつけるよ!」

「そういう意味での無理ではない。お前はまだ幼く、弱い。そんな半竜人が旅に出れば、たちまち人攫いにあって、お前は再び奴隷にされるだろう」

「じゃあ、つよくなるよっ。もしローズがわるいひとにつかまってても、たすけられるくらい、つよくなるよ!」


 その言葉が、子供らしいその場限りのものでないことは、ヴァジムでなくとも分かったことだろう。

 しかし彼は柔和な表情など見せず、しばしば強面と評される顔でレオナを見た。


「強くなるのは当然だ。ローズを探しに行くのはそれからでなければ、許可できない」

「どのくらいまでつよくなればいいの?」

「我が認めるまでだ。加えて、最低でも七歳になるまでは我とこの町で鍛錬に励んでもらう」

「ななさい……あといちねんとすこしくらい……」


 レオナは覇気のある顔をしてはいるが、焦燥感も見え隠れしていた。

 ヴァジムとしてもレオナの希望は叶えてやりたいが、最低限の自衛手段くらいは身に着けさせねばなるまい。人間や獣人たちは七歳で半人前になるというので、せめてその年までは旅という危険な行いは控えさせた方が良いと考えた。


「でも、あたしがリュージンとニンゲンのコンケツだって、わからなければいいんだよね。だったらぼうしをかぶったり、ヴァジムみたいにつのをなくせばわからなくなるから、だいじょうぶだよねっ」


 レオナは来期で六歳になるが、そろそろ頭の双角が頭髪では隠しきれない大きさになろうとしている。もう一年もすれば、一目で茶髪の間から白い角が覗き見える様を確認できるようになるだろう。


「帽子は良いが、我のように折るようなことはするな。レオナのその姿は、お前の両親が授けてくれたものだ。父と母を想っているのなら、二人を否定するような真似はすべきではない」

「おとーさん……おかーさん……」


 片手で自らの小さな角を触りながら、レオナはそっと呟きを溢した。


 レオナ本人によれば、彼女の両親は居所どころか生死すら不明らしい。

 つい先ほどまではローズも同様の状態だったが、そちらは生きていることが分かった。今のレオナはそれを受けて、もしかしたら両親も生きているかもしれないと、そう淡い希望を抱いているのかもしれない。

 

「ところで、ヴァジム」


 会話が途切れたところを突いて、フラヴィが呼び掛けてきた。

 そして、まさしく猫を思わせる悪戯っぽい笑みを浮かべ、問うてくる。


「レオナちゃんがアタシと一緒に行くとなったら、もちろんヴァジムも同行するのよね?」

「無論だ、お前たちだけで行かせられるわけがないだろう」

「そう、良かった」


 ローズという魔女がどこにいるのか分からない現状、各国を渡り歩くことになるのだろう。旅に危険はつきものではあるが、魔女と半竜人ともなれば、危険の度合が大きく増す。ヴァジムはレオナを育てると決めた以上、送り出すという無責任な選択肢はそもそも存在していない。


 先ほどの表情から察するに、フラヴィは皇都フレイズでエリアーヌたちからヴァジムとレオナのことを聞いて、この展開を想定していたのかもしれない。

 フラヴィの一人旅より、レオナという幼子が一緒でも、見るからに屈強な戦士然としたヴァジムが同行することで得られる安全は大きい。

 こういうところで抜け目ないのがフラヴィという女性だ。


「しかし、フラヴィは良いのか? 我らは最低でもレオナが七歳になるまでは動けぬぞ」

「それまでは皇国内で可能な限り情報を集めるわ。どのみち、あてもなく探し回るわけにはいかないしね。それにアタシもまだ軍籍だから、辞めるにしてもすぐって訳にはいかないでしょ? 魔女だと余計にそうだし、国外に出るともなれば色々話を着ける必要があるのよね」


 フラヴィにその気がなくとも、貴重な魔女が自国から他国へ渡る可能性をプローン皇国は看過しない。おそらく正規の手続きを踏んで出国しようとすれば、数節では終わらない煩瑣な審査が必要となる。

 無論、皇国側の制止を無視して逃亡するように旅立つこともできるが、未熟な学院生なら未だしも、それが特級魔法まで使える優秀な魔女の場合は追手が掛かるだろう。そうならないためにも、きちんと皇国側と話をつけておかねばならないのだ。

 

「レオナちゃん、誕生日はいつ?」

「すいふうきの、だいよんきの、ななにち」

「それじゃあ、来年の翠風期第四節か五節頃に出発ってことで良い? レオナちゃんはそれまでにしっかりと鍛えて、ヴァジムを認めさせること。できる?」

「できる!」


 童女らしい元気な声で、根拠のない自信を頼りに、レオナは意気揚々と言い切った。




 ■   ■   ■




 フラヴィがローズの手紙を携えて訪ねてきた日から、半年が経った。

 レオナは六歳になり、来年の出発に向けて着々と準備を進めている。


 紅火期第六節。

 夏もそろそろ終わり、秋の到来を感じさせる頃。

 その日もレオナはヴァジムと共に、パルレ郊外の林の中で鍛錬に励んでいた。


「やぁっ!」


 矮躯から威勢の良い声を放ち、身の丈以上の長さの槍を振って鋭い突きを前方へ放つ。次撃は切り払うように薙ぎ、力の流動に沿って手首を回し、一歩を踏み出しながら石突による打突。かと思いきや瞬く間に後方へ飛びながら、柄を縦回転させて真下から切り上げてくる。

 ヴァジムはそれらを難なく捌いていき、一度距離が空いたところで、石突を地面に突き立てた。


「うむ、一息入れようか」

「うん」


 レオナは構えを解くと、槍を片手に息を整えながら、額の汗を手の甲で拭う。

 その顔には疲労感が滲み出ているが、幼子らしい生き生きとした表情をしている。


「ヴァジム、いまのどうだった?」

「悪くはなかった。だが、所々では我が教えたとおりにやらなかったな」

「だって、からだがかってにうごくんだもん」

「ふむ……」


 レオナは地面に腰を落とすと、水筒に口を付けて何度も喉を上下させる。

 その幼い姿を見下ろしながら、ヴァジムはどうしたものかと頭を悩ませていた。


 この半年ほどの間で薄々感じていたことだが、どうにもレオナは類い希な天稟を有していた。彼女がやる気を出す前までは惰性や義務感でやっていたせいか、ヴァジムも気が付かなかったが、この半年におけるレオナの上達具合は常軌を逸している。

 当初の予定では半年ほど素振りだけをさせた後、ヴァジムとの対人稽古をさせるつもりだったのが、素振りは三節で切り上げさせていた。闘気はその存在を教える前から無自覚に度々駆使して、教えた今となっては早くもそこらの戦士より余程上手に扱えている。物覚えが良いという程度を越えており、一を教えれば勝手に十まで理解していく。


 ヴァジムの槍術は我流だ。

 彼は竜人族の扱う槍術と南凛流の槍術を独自に掛け合わせ、己の身体に見合った術理を編み出していた。竜人族の槍術は竜戦の纏の使用を前提とし、竜人族の身体に合った形で、長い年月を掛けて熟成されていったものだ。

 しかしヴァジムは太い尻尾を削ぎ落としていることで、身体の重心がずれ、体重移動の妙が崩れてしまっている。そこで人間の扱う武術を取り入れることで調整を図り、人間らしい身体で竜人の力を十全に発揮できる戦闘術を身に着けた。


 その点、レオナの指南役としてヴァジムはこれ以上なく適任といえる。

 レオナの筋力は竜人族らしく精強で、人間の六歳児では難儀する重さの槍だろうと軽々振り回せる。そして角はあっても尻尾はないので、身体の作りは概ね人間と変わらない。竜戦の纏が使えるようになるかどうかは不明だが、竜人の筋力が遺伝している以上、それを全力で発揮するために必須の能力が備わっていないとは考えにくい。

 つまりヴァジムとレオナはある種の似たもの同士であるため、ヴァジム独自の武術はレオナにとって最適の武術となり得る。


 しかし、最近になってある問題が浮上してきていた。

 レオナがヴァジムの我流槍術を勝手に改変して覚えようとしているのだ。

 ヴァジムの我流槍術は八十年以上の時間を掛けて、攻守共に均衡の取れた形で整えられているのだが、レオナは無意識的に教えられた術理を攻撃に偏った形にして身に着けようとしている。それが稚拙な改悪だったなら未だしも、なまじ上手く纏まって機能しているものだから、ヴァジムの頭を悩ませている。

 もしヴァジムが自らの槍術を攻撃重視型に練り直そうとしたとき、そうするだろうという形でレオナは的確に改変しているのだ。

 

 今の段階ならば矯正させることは容易いだろうが、レオナは「身体が勝手に動く」と言う。つまり彼女の無意識は己の気質に合った形で槍術を修めようとしていると考えられる。

 天才肌の者は下手に頭を抑えつけて教え導くより、伸び伸びと自由にさせ、明らかな誤りがあるときだけ指摘し、助言するだけの方が良いのかもしれない。

 教えるというよりは見守るという形態に近い。


「ねえ、ヴァジム、あたしどのくらいつよくなった? このままやれば、ななさいになって、すぐしゅっぱつできる?」


 何も知らないレオナが無垢な瞳で、期待感の入り交じった眼差しを向けてくる。

 ヴァジムは僅かに思い悩んだ末、首を横に振った。


「いや、このままでは無理だな。まだまだ鍛錬が足りない」

「うーん、そっかぁ……じゃあもっともっとがんばるね!」

「うむ、努力を怠らず、しっかり励むのだ」


 すくっと立ち上がったレオナに、ヴァジムは素知らぬ顔で師匠面をした。

 本当は今すぐにでも出発しても良いのだが、後々のことを考えれば、彼女に自らの才を自覚させることは避けた。

 

「よし、やるぞー!」


 槍を掲げて気合いを入れるように「おー!」と叫び、レオナは休憩もそこそこに素振りを始めた。それは素振りというより演武に近く、おそらくレオナにしか見えていない架空のヴァジムを相手に戦っているのだ。

 凡人が今の段階で行っても全く鍛錬にはならないのだが、ヴァジムが見る限り十分に意味のあるものになっているようだった。




 ■   ■   ■




 昼食時になったので、二人は鍛錬もそこそこに、走って町まで戻った。

 これも鍛錬の一環だ。

 パルレの町周辺は魔物がほとんどおらず、いたとしても弱い個体ばかりだ。

 まだレオナには実戦を経験させていないが、今の調子ならば年内に挑戦させても良いだろう。


「あっ、ラヴィ!」


 自宅前まで戻ってくると、見慣れた知り合いの姿があった。

 庭先の花壇前で腰を屈め、色とりどりに咲く花々を眺めていたようで、彼女はレオナの声に立ち上がって振り向いた。


「良かった、ちょうど帰ってきた」

「ひさしぶり、ラヴィ! きょうもとまりにきたのっ?」

「久しぶり、レオナ。といっても、六節ぶりだけどね。今日も泊まらせてもらいに来たわ」


 抱きつくレオナを受け止めながら、フラヴィはヴァジムにも目を向けて、互いに軽く挨拶を交わす。それから三人で玄関をくぐり、フラヴィもまだだったので、三人で昼食を摂った。


 フラヴィは六節に一度ほどの割合で、皇都フレイズからパルレの町までやって来る。目的は近況報告が主だが、レオナの様子を見るためでもあるようだ。

 レオナはフラヴィに良く懐いており、彼女が訪ねてきた日には一緒に町へ買い物に出掛け、夜は一緒のベッドで眠っている。


 その日もレオナは夕方までフラヴィと町を練り歩き、夕食はヴァジムも連れて三人で外食した。そしてその帰り道、ヴァジムははしゃぎ疲れて眠ってしまったレオナを背負いながら、夜の町中をフラヴィと並んで歩いていた。


「ぐっすり寝ちゃってるわね。相変わらず寝顔も凄く可愛い」

「フラヴィが来たときくらいだ。普段は今の時間なら、まだ起きて勉強している」


 レオナのあどけない顔を下から覗き込むフラヴィに、ヴァジムはしみじみとした声で言った。


「毎日凄く身体動かしてるんでしょ?」

「遊びと鍛錬は違うようだな」


 端正に整っていながらも気怠そうな顔を僅かに曇らせ、フラヴィはヴァジムを横目に見上げた。


「まだ町の子供たちとは遊べてないの?」

「遊べないというより、遊ばないだな。友人を作ることよりも、鍛錬に夢中だ」

「そのことを、ヴァジムはどう思ってるわけ?」


 人通りを歩きながら、ヴァジムはふと夜空を見上げた。

 星々が無数に煌めき、町灯りの中にいても多彩な光点の輝きが見て取れる。


「同い年の子たちと遊ばせるべきだとは思う。だが、良くも悪くも、この子は真っ直ぐだ。本人にその気がないのでな、好きにさせている」

「まあ、いま友達を作っても、来年にはお別れになっちゃうからね。そういう意味では悲しまずに済んで良いのかも」

「旅に出れば、多くの人々と関わることになるからな。嫌でも出会いと別れは経験することになる。今は人としての成長より、戦士としての成長に専念させても問題はないだろう」


 レオナは半年前と比べて、明るくなった。

 半年前も、端から見れば活発な童女ではあった。だがその実、町の子供たちとは遊ぼうとせず、一人で茫洋とした瞳を空へ向けているだけだった。

 日常の中で笑顔を浮かべながらも、それは楽しいから笑っているのではなく、笑っていると楽しくなるとでも言う様な、どこか空虚な笑顔だった。幼い身で奴隷という過酷な現実を経験したせいか、あるいは件のローズという子の存在が大きすぎたのか、レオナは日常を謳歌できていないようだった。


「最近、レオナは少し楽しそうだ。目的と希望を得て、充実した日々を送っているように見える」

「…………」

「仮にローズを見つけられず、目的を果たせなかったとしても、その過程でレオナは様々なことを経験するだろう。それが過去を受け入れ、乗り越える力となり、この子は生きる喜びを知るはずだ。いずれにせよ、レオナにとって旅をするのは良いこ――どうした、何を笑っているフラヴィ」


 柄にもなく饒舌に語っていたヴァジムだったが、隣を歩く少女のような女性がにやにやとした笑みを浮かべているのに気が付いた。

 フラヴィは一度目を閉じて正面を向くと、後ろで両手を組み、羨ましそうに言った。


「いえ、なんだかんだで、ヴァジムも親やってるなぁと思って。ちゃんとレオナちゃんのことを見てて、考えてて、もう完全に父親ね」

「……そう、か」


 夕食の席で酒を飲み過ぎたと後悔しながらも、予想外の言葉に意表を突かれ、そう応じることしかできなかった。


 これまでヴァジムは自らを親ではなく、保護者だと思っていた。が、他人から親だと告げられると、どうにも心中で複雑な感情が渦巻いた。

 自らが親になることなど、ここ百年近くは想像すらしていなかったことなのだ。


 ヴァジムは竜人族が嫌いだった。

 閉じた世界を是とし、狭量な価値観を有し、相互に監視し合うような第六感に息苦しさを覚えていたのだ。故に故郷を捨て、同族のもとを去り、無用の長物と化した邪魔な角を自らの手で折った。

 だが世界を渡り歩くうちに竜人という立場に不便を感じたため、尻尾を削ぎ落とし、人間として振る舞うことにした。

 その頃には自らが親になることを完全に諦めた。元々なりたいとも思っていなかったが、もし己の子が誕生すれば、それは半竜人となる。竜人という立場よりも更に生きづらくなるであろうことは想像に易かったため、子供が苦手なこともあり、子供のいる未来というものを完全に除外していた。

 しかし、レオナと出会ってしまい、彼は沸々と湧き上がる同情心から、義務的な思いでレオナを育てることにした。

 

 それが今では他人から親と評され、それに反論できないどころか、受け入れている己がいるのだ。自分でも気付かぬうちに、レオナという童女に相当入れ込んでいて、もはや手遅れの段階だった。

 だが心中に後悔の念はなく、ただ不思議な充実感と満足感を覚えている。


「あんなことがなければ、アタシも今頃はローズと一緒に楽しく暮らせてたはずなんだけどなぁ」


 フラヴィは溜息と共に呟いた。

 

「そういえば、フラヴィは結婚する気はないのか?」

「今のところはないわね。そんな気になんて全然なれないし」


 今のところとは言うが、フラヴィはもう二十四歳だ。

 十代で婚姻し、子を成している夫婦などざらであり、今まさに歩いている通りにも若い親子連れが散見される。まだ決して手遅れではないが、この調子だと確実に婚期を逃すだろう。

 しかしヴァジムとて弁えているので、さりげなく話題の転換を図った。


「やはりフラヴィも、ローズが気になっているからか。そちらの調子はどうだ、順調か?」

「ええ、だいたいね。軍はもう半分辞めたようなもので、今年いっぱいで完全に退役できるわね。出国の方も来年の翠風期までには何とかできそう。レオナの方はどう?」

「上達しすぎて困っているくらいだ。この調子でいけば、十年後には東部三流の天級程度の腕前にはなるだろう」

「親馬鹿じゃなくて?」


 フラヴィの指摘に、ヴァジムは一瞬だけ揺らいでしまった。

 だが冷静に思い返してみても、やはりレオナの腕前は異常で異様だ。もう一年もすれば、凡百の戦士では相手にならない強さにまで昇華しているだろう。


「……断じて違う。一人の戦士としての厳正な予測だ」


 常よりも厳めしい顔で答えたヴァジムに、フラヴィは全てお見通しと言わんばかりに、小さく声に出して笑った。


「それじゃあ、レオナには期待しておこうかな。旅の間は無闇に魔法使って目立ちたくないし」

「それには同意するが、だからといって荒事は我らに任せきりも困るぞ」


 そんなことを話しているうちに、自宅に到着した。

 あと一年もしないうちにこの小さな一軒家を引き払い、今いる三人で旅立つことになる。半年前にそう決まった当初は大した感想もなかったが、改めて思うと、ヴァジムは感慨深くなった。

 この家でのレオナとの暮らしを惜しむ一方、気心の知れた者たちと行く旅も悪くないと思っているのだ。

 百三十年以上を生きて、様々な事に対して少々達観した気になっていたが、人生とはそう浅いものでもないようだった。




 ■   ■   ■




 年が明け、光天歴八九四年、翠風期第四節七日。

 ヴァジムはレオナ七歳の誕生日をフラヴィとささやかに祝い、それから間もなくパルレの町を三人で出発した。

 

「ローズっ、ぜったい見つけるからね!」


 中身の詰まった背嚢と一本の槍を背負い、レオナは青空に向かって力強く宣言したのだった。





 今回のレオナ出発は本編のちょうど二年前にあたります。

 時系列を考えれば日常編に挿入すべきでしたが、竜人編に合わせました。

 

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