間話 『君を忘れない 前』
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それは彼女がまだ"本当の笑顔"を浮かべていた頃。
優しさに溢れた愛に包まれ、何の疑いもなく平穏な日々が続くのだと信じていた過去のことだ。
「ぅ……ふぇえぇぇっ、おかぁーさぁーんっ!」
温かく柔らかな日差しが降り注ぎ、まるで彼女の日常を象徴するように、青空に浮かぶ群雲はゆったりと流れている。
その日、彼女は母親と二人で川原に野草を摘みに来ていた。
年相応に元気な彼女は母の手伝いもそこそこに、草地を駆け回って一人はしゃぎ回る。が、不意につまずいて転んでしまった。右の膝頭を擦り剥いてしまい、その痛みと血の赤さに怯え、彼女はその場で泣き出した。
「あらら、大丈夫レオナ? ほら、見せてごらん」
「んぐっ、ぅえぇぇ……いだぃよぉ、ちがでてるぅ」
「なんだ、ちょっと擦り剥いただけじゃない。まったく、この子は大げさに泣くんだから」
屈み込んでいた母親は立ち上がると、片手を腰に当てて安堵と呆れの入り交じった吐息を溢した。
しかし幼いレオナにとっては一大事で、彼女の無意識は愛する母からの甘い慰めを欲していた。その結果として、より一層の涙と嗚咽でもって泣き続ける。
「んぅーん、ぃたいの、おがぁざぁーんっ、うぅんーっ!」
「レオナはほんとに泣き虫ね」
母親は再び膝を突くと、レオナの小さな身体を抱きしめ、背中をポンポンと叩いた。レオナはしばらく柔らかな温もりに浸って存分に甘えていき、次第に涙を収めていく。
娘が鼻をすすりだしたところで、母親はゆっくりと抱擁を解いた。
「ほら、こっち来なさい。念のため川の水で傷口くらいは洗っておくわよ」
「……ぅん」
優しく手を引かれて清流の畔に近づき、汚れた傷口を母親の手で綺麗にしていく。
「おかーさん、しみる……いたいよぉ……うぅ」
「これくらいで泣かないの。少しは我慢してみせなさい」
すぐに洗い終わって、母親は手拭きで傷口を覆って縛ると、「はい終わり」と言って軽く頭を撫でてくる。
レオナは目尻に涙を残し、小さく鼻をすすりながら、母の腰元に抱きついた。
「もう、しょうがないわね……こんな泣き虫さんには、お友達できないわよ?」
「ん……やだ、ともだちほしぃ」
「だったら、ほら、涙を拭いて、しゃきっとして」
母親はレオナの手を取って自らの腰から離れさせた。
レオナは服の袖元で顔をこすり、涙と鼻水を拭って、母を見上げる。
「よーし、じゃあはい、笑ってー」
「なにもたのしくないのに、わらえないよ……」
「え? お母さんと一緒にいるの、楽しくないの?」
快活な笑みを見せていた母親の顔が一転、悲しそうに眉尻を下げ、レオナの前で膝を突いて項垂れた。
「あはは、おかーさん、おーげさだね」
「レオナには言われたくないわよ。でも、うん、ようやく笑ったわね」
母親は小さく肩を竦めると、その場に腰を下ろした。
レオナもその隣に密着して座り、母の片腕をぎゅっと抱きしめる。
「ねえ、レオナ。さっきも言ったけど、泣き虫さんにはお友達ができないの。どうしてだか分かる?」
「んー……わかんない」
「一緒にいる子が泣いてばかりだと、楽しくないでしょう? だから、とりあえず笑ってなさい」
明るい声で言って、母親はお手本とでも言うように、気持ちの良い笑みを見せる。
レオナには友達がいなかった。
より正確にいえば、友達を作ろうとしても、できなかった。
彼女はグレイバ王国の片田舎であるダーレンという名の村に、父と母の三人で暮らしている。それだけを聞くと何の変哲もない有り触れた家庭のように思える。
しかし父親は竜人であり、レオナはその血を半分引いている女の子だ。村落という閉鎖的な社会において、竜人という異物は疎まれてしまっている。辛うじて村の外れに居を構えていられるのも、レオナの母親が生まれも育ちもダーレン村の人間だからだ。
レオナに友達ができないのは彼女の父親の影響が大きい。
村の大人たちは各々の子供に、レオナについて決して良くはない話を聞かせているのだろう。だからレオナがどれだけ子供たちに近づいても、彼らは親という最も信頼する人からの言葉に従い、彼女を遠ざけている。
無論、幼いレオナはそんな事情を知る由もない。
彼女の母親も殊更に真実を告げようとはしなかった。見た目はどこにでもいる人間の女の子だし、純真無垢な幼子に真実を教えたところで、状況が良くなるとは思えなかった。むしろ悪化するだろうと思い、レオナの母は我が子に別の方面から助言を授けることにしたのだ。
「でも、やっぱりたのしくないのに、わらえないよ」
「逆に考えるのよ、レオナ。楽しいから笑うんじゃなくて、笑うから楽しいの。だからこそ、悲しいときこそ笑いなさい。笑顔は自分も、周りにいる人たちも、みんなを楽しく幸せにしてくれるわ」
穏やかな川のせせらぎを前に、レオナはじっと母親の顔を見つめて耳を傾ける。
「泣いてばかりの子と、笑顔いっぱいの子、レオナはどっちとお友達になりたい?」
「……えがおのこ。でも、ないてるこはたすけてあげなさいって、おとーさんいってた……だから、りょーほう」
「お、良いこと言うわね、さすがアタシの旦那だわ」
嬉しげに、それでいて誇らしげに母親は笑って、レオナの頭を撫で回した。
「レオナは両方とお友達になりたいのよね? でも、泣いてる子がいたら、泣き止ませてあげなくちゃいけないでしょ? そのときにレオナまで泣いてちゃってたら、それもできないわよ」
「じゃあ、わらってれば、そのこもなきやむの?」
「そうね、レオナが可愛らしい笑顔を見せれば、きっと泣き止んでくれるわ。あとはその子が泣いている原因をどうにかできれば、完璧ね」
「えがおを、みせれば……」
レオナは母親の腕を抱きしめながら、その言葉の意味を噛み砕くように、そっと呟いた。
その様子を母親は慈愛に満ちた眼差しで見守りつつ、更に言った。
「今のレオナに友達ができなくて悲しいように、人ってのはね、生きてれば何かしら嫌なことが起きるの。でもね、辛くて、悲しくて、もうやだ苦しいってときは、笑っていれば良いわ。そうすれば、大抵のことは乗り越えられるし、友達だってできるわよ」
「じゃあ……どーしてもなきたいときは、どーすればいいの?」
「そのときは、お母さんが抱きしめてあげるから、思いっきり泣きなさい。もちろん、相手はお父さんでも良いわよ。でも、それ以外の誰かの前で泣いたり、一人で泣くのは止めなさい」
「どーして……?」
あどけない顔で見上げてくる我が子に、母は笑みを深くして、どこか得意げに答えた。
「一人で泣いちゃうと、どんどん悲しくなっていっちゃうでしょ? それに、女の涙は誰にでもほいほい見せていいものじゃないのよ。あっ、でもね……」
穏やかな日差し、煌めく川面、そよ風は優しく肌を撫でていく。
レオナの大好きな母は、さも大事なことだと言わんばかりに人差し指を立てると、笑みを潜めて穏やかな顔で言った。
「大好きな人の前では、泣いても良いわよ。できれば相手は男の子が良いけど、女の子でも良いわ。お父さんとお母さん以外の人で、この人が一番大事って人の前でなら、思いっきり泣いて良いわよ」
「でも、あたしまだ、おとこのこのともだちも、おんなのこのともだちも、いない……」
「だからそのために、まずは今日から笑顔でいなさい。そして友達をいっぱい作りなさい。泣き虫レオナは今日でさよならっ、ね?」
「……うん、わかった、がんばってなかないようにする」
いつになく明瞭な口調でレオナは断言したが、その直後には母の腕から胸に抱きついて、甘え始める。
母親はそれを苦笑しながら受け入れて、掌から愛情を注ぐように背中をさすっていく。
「君も良いことを言うね、さすがは僕の妻だ」
「あっ、おとーさん!」
聞き慣れた声が耳に届き、レオナは母の胸元から勢い良く顔を上げた。
母の後ろには父が槍を片手に立っていて、ともすれば気弱そうにも見える柔和な笑みを浮かべている。
レオナは母親の柔らかな身体から離れて、逞しい身体に抱きついた。
「もー、いつから聞いてたわけ? 気配殺して盗み聞きなんて、男らしくないわよ」
「あはは、ごめんね、妻と娘がどんな会話をしているのか気になって。それに良い雰囲気だったから、なかなか声を掛けられなくてね。さすが母親といったところかな」
「ふ、ふふーんっ、もっと褒めても良いわよ」
立ち上がって夫に向き直りながら、レオナの母は腰に両手を当てて胸を張った。
しかし頬がやや紅潮しているので、微かな羞恥心を誤魔化すための所作なのだろう。
「レオナ、お母さんが褒めて欲しいって」
「おかーさんすごいねっ!」
「うん、お母さんは凄いわよー」
羞恥の見え隠れする笑みを浮かべつつ、片手でレオナの頭を撫で、もう片手は握り拳にして夫の肩を軽くどついた。
空色の双角を生やした彼はそれに微笑みを返し、口を開いた。
「少し見回ってきたけど、村の周りに異常はなかったよ。でも大きな猪がいたから狩ってきた。後でみんなで、村の人たちに猪肉を分けに行こうか」
「そうね、ついでに毛皮は村長のジジイのとこに持っていきましょうか」
レオナの両親は互いに頷き合うと、それぞれ我が子の手を握った。
「さて、帰ろうか。ところでレオナ、その膝はどうしたんだい?」
「さっきころんじゃったの」
「大丈夫かい? 泣かなかった?」
「だいじょーぶっ、ないたけど、もーなかない!」
レオナは元気良く答えて、両の腕を楽しげに振った。
父親の手は硬く、母親の手は柔らかいが、どちらも温かく、心地良い。
嬉しさから自然と笑みを咲かせて、レオナは大好きな両親と一緒に家路に就いた。
村が戦火に蹂躙されたのは、それから間もない日のことだった。
■ ■ ■
辛苦に塗れた日々の中、我が身を抱きしめる温もりがこの上なく心地良かった。
父母以外に初めて安息を覚えた夜、告げられた言葉、向けてくれた笑み、それら全てが鮮烈に心の奥底に焼き付いている。
燃えるような紅い髪もさることながら、蒼穹を思わせる優しい瞳が忘れられず、忘れたくなかった。
あの蒼く澄んだ瞳に己が映り、また己の瞳にも彼女が映り続ける。
堪えていた涙を流した夜、幼いレオナはそんな日々を無自覚のうちに強く望んだ。
だから、彼女のいない日常を、日常だとは思えなかった。
■ Other View ■
ヴァジムの朝は早い。
彼は日の出と共に起床して、朝食の前に鍛錬を始める。
既に皇国軍を退役した身とはいえ、身体は日々十分に動かさなければ、すぐに鈍ってしまう。清澄な朝の空気を槍の穂先で幾度となく突き刺し、切り裂き、程良く身体が火照ったところで終える。
庭先から屋内に戻ると、今度は朝食を作り始める。
一見すると強面で体格の良い彼は見るからに不器用そうだが、一人暮らしが長いので料理はお手の物だった。
「ヴァジム、おはよう」
そろそろ出来上がる……というところで、匂いに釣られたのか、同居人が起き出してきた。
いつも通りの時間で、いつも通りの朝だ。
「おはよう、レオナ」
娘のような幼い同居人は「きょうもおいしそうだね」と言いながら、テーブルへの配膳を手伝う。
明るい茶髪には寝癖がついているが、愛らしい大きな双眸に眠気は見られず、小さな身体で厨房とテーブルを往復する。
朝食の準備が整うと、ヴァジムの対面に座って食べ始めた。
「きょうはいえのそうじをするんだよね」
「……そうだったか?」
「もー、ヴァジムだめだよ、きょうはいえじゅうをきれいにするんだから」
レオナは可愛らしく怒ってみせて、優に二十倍以上は年上の男に注意する。
現在の住まいに越してきて、そしてレオナと生活を共にし始めて、もう一年半になる。だが引っ越し当日に掃除をして以降、何度か軽く掃除をするだけで、大掃除と呼べるものはしてこなかった。
ヴァジムは雨風を凌げれば概ね問題ないと思っているので、家が多少汚くても何ら問題はない。そもそも掃除という細々とした面倒事を進んでやりたいとも思っていない。
「今のままでも、問題はあるまい」
「あるよっ、このまえだいどころに、へんなおっきいむしがいたでしょ! すっごくきもちわるかったんだからね」
「その割りには、平気な顔で掴み取って、外に放り捨てていただろう」
「うん、きもちわるいから、おいだしたんだよ」
「…………」
大人の女性が悲鳴を上げるような生物も、子供にとって平気な場合は間々ある。
だが、気持ち悪いという健全な価値観を持っていながら、何食わぬ顔で引っ掴んで捨てる童女はそういまい。
「とにかく、きょうはそうじするの。いいよね?」
「うむ……仕方ないか」
ヴァジムが頷くと、「じゃあ、きょうはがんばろー!」と笑顔で言って、昨日の残りものであるスープをかき込んでいく。
その姿は今年で六歳になる童女としては何もおかしくないだろう。
だが、ヴァジムは少し違和感を覚えていた。
食卓はレオナが口を閉ざすと、食器の音しかしなくなる。元来が口数の少ない男であるヴァジムは、必要な会話以外、基本的に自分から話題を振らない。
一年以上も同じ屋根の下で暮らしている今でこそ多少は慣れたが、ヴァジムは子供の扱いが上手いとはいえないのだ。
「しょっきはあたしがあらうから、ヴァジムはさきにそうじをはじめててね」
食後すぐにレオナはそう言って、厨房の方へ行ってしまう。
一人残されたヴァジムは軽く居間を見回した後、立ち上がった。
現在、ヴァジムが住まいとしているのは平屋の小さな一軒家だ。
レオナと共に暮らすことになってから、皇都フレイズの自宅を引き払い、皇都の北東にあるパルレという町に居を構えた。皇国は北に行くほど寒冷になっていく傾向にあるため、橙土期も八節の今は冬の名残と春の訪れを同時に感じる時期だ。
春を迎え切る前に掃除をしておくのも悪くない……と自分に言い聞かせ、ヴァジムはまず寝室の掃除に取り掛かった。
窓を全開にし、二つのベッドを楽々と移動させ、箒で床を掃いていく。
彼は世間一般の男性の例に漏れず、家事全般に対しては少々無精なところがあるものの、やると決めたことはやる性格だ。大柄な身体を女々しく屈めて雑巾掛けをし、ベッド自体も綺麗に汚れを取っていく。
シーツや毛布を持って部屋を出ると、居間を通って玄関へ……行こうとして、ヴァジムは足を止めた。
食事の後片付けはもう終わったのか、レオナは居間にいた。開かれた鎧戸の前で何をするでもなく棒立ちになって、空を見上げているようだった。
「レオナ」
声を掛けても、反応がない。
「レオナ、何をしているんだ」
もう一度呼び掛けても小さな身体はピクリとも動かない。
吹き込むそよ風で肩先に掛かった栗毛が踊っているだけだ。
ヴァジムが近づいて隣から顔を覗き込んでみても、レオナは彼に気が付いていないようだった。ただ気の抜けた顔で突っ立って、呆然と蒼く澄んだ空に目を向けている。
しかし、その瞳は空よりも遠くのどこかを見ているようで、茫洋としていた。
「レオナ」
「――っ、あ」
名を呼びながら肩を叩くと、レオナは一瞬身体を強張らせて、ヴァジムの顔を見上げた。
「我にだけ掃除をさせて、自分は休憩か?」
「う、ううん、きょうはてんきがいいなーっておもって。あ、シーツあらうんだよね、あたしがやるよ」
レオナはそっと微笑んで、ヴァジムの腕から二人分のシーツを引ったくる。
そして彼の後ろに回ると、「ヴァジムはもうふをほしておいてね」と言いながら、竜鱗に覆われた逞しい背中を押す。
一緒に外に出ると、ヴァジムは毛布を干しながら、一生懸命にシーツを洗う童女を横目に見た。
普段から年相応の活発さを覗かせてはいるが、レオナはよく一人で空を見上げていることが多い。特に何をするでもなく、ただ佇立しながら、あるいは寝転びながら、遠い眼差しでぼうっとしている。
余人が見れば少し変わった子という認識で済ますのだろうが、色々と事情を知るヴァジムはおおよその理由なら見当が付いている。
いつかレオナが過去を忘れる日を待つべきなのか、あるいは過去を清算させるために動くべきなのか、彼は判断しかねていた。
日が昇りきるまでには家中を掃除することができた。
部屋数の少ない小さな家なので、二人で真面目にやれば、思いの外あっという間に終わってしまった。
「これたべたら、にわにはなのたねをうえようね。このまえもりでとってきたやつ、あったでしょ?」
笑顔を見せるレオナに、ヴァジムは軽く頷きを返した。
「だが、それが終わったら槍の練習だ」
「うーん……それはあんまりしたくないんだけどなぁ」
レオナは種植え発言のときより幾分もやる気のない声でぼやいた。
退役後、ヴァジムは猟兵としての活動で暮らしている。
だが、彼はプローン皇国に腰を落ち着ける以前から猟兵だったため、既に一級だ。地方の田舎町にも猟兵協会はあるが、三級以上の依頼はあまりない。
というわけで、レオナに猟兵証を作り、普段は低級の手軽な魔物討伐や素材収集をこなしていた。
ただ、幼いレオナを一人残して仕事に行くわけにはいかないし、何より彼女の身体的事情を考えれば、自衛手段を身に着けておく必要はある。
そうした理由から、ヴァジムはレオナを連れて活動していた。
このあと一緒に植えるらしい花の種は、つい昨日行った森でレオナが採ってきたものだった。しかし、そうした女の子らしいことは好んでも、戦いの術には興味がないようで、槍術や体術の練習にはあまり熱心ではない。
「レオナ、何度も言っているが、お前のような半竜人はとても珍しい。自分の身を守る力を身に着けないと、いつか悪い人に攫われてしまうぞ」
「ヴァジムがいるから、だいじょうぶだよ」
「我がいつでも守ってやれるとも限らない。それに、弱くて困ることがあっても、強くて困ることはそうそうない。今は実感が湧かないかもしれないが、いつかレオナが誰かを守ってやりたいと思うときがくるかもしれないしな」
「でも、いまつよくなっても、もうおそいよ……」
レオナはテーブルに目を落として、独り言のように小さく呟く。
そこで会話が途切れ、童女は食事に集中してしまった。
ヴァジムは殊更に言及せず、二人して黙々と食事を進めていった。
食後、二人は花の種と小さな円匙を持って、庭に出た。
二人の家はパルレの町でも外縁に近い住宅地にあり、周囲一帯は多くの家々が建っている。それでもパルレには市壁がないため土地に余裕があり、家自体は小さくても庭は広い。
「この辺りが良いだろう」
普段の鍛錬や洗濯の邪魔にならない一角の土を掘り、種を植えていく。
レオナは口元に笑みこそ浮かべているが、声に出してはしゃいだりはしない。
涼やかな風と柔らかな日差しの中、ヴァジムは我ながら似合わないことをしていると自覚しつつ、一緒に花壇を作っていった。
最後に水をかけて終わりだ……というとき、ふと庭先に人気を感じて振り返ってみた。すると、今まさに通りから敷地内に足を踏み入れてきた一人の女性と目が合う。
彼女は軽く手を上げた。
「久しぶりね、ヴァジム」
「……フラヴィか、久しぶりだな。オーバンたちから聞いてはいたが、一瞬誰かと思ったぞ。髪型一つでだいぶ見違えるものだな」
「フレイズに帰ったとき、似たようなことさんざん言われたわ」
小柄な半獣人の女性は肩を竦めて、立ち上がったヴァジムの側に歩み寄ってきた。
長身で体格の良いヴァジムと並ぶと、端からは大人と子供にしか見えないだろうが、フラヴィは今年で二十四歳になる立派な女性だ。どこか気怠そうな表情に細く引き締まった手足、背中の中程まで伸びた青灰色の頭髪は一年半前と比べて短く、結わずに下ろされている。
「ヴァジム、だれ……?」
レオナがフラヴィを見て、小首を傾げている。
そんなあどけない童女よりは上背のあるフラヴィは微かに口元を緩め、レオナに向き直って軽く膝を曲げ、視線を合わせた。
「はじめまして、レオナちゃん。アタシはフラヴィっていって、ローズの……知り合いね」
レオナは挨拶を返すことなく、ただ目を見開いてフラヴィの顔をじっと見つめている。
フラヴィもまた、レオナから目を逸らすことなく、優しい眼差しを向けていた。