第七十一話 『千の竜より子は宝』★
この岩山の連なる一帯が、なぜ"天竜"連峰と呼ばれているのか。
アルセリア曰く、"天を覆うほど多くの竜が生息している"ことから、天竜連峰と名付けられたらしい……ということをオルガに教えてやると、頭上から舌打ちが返ってきた。
「なかなか的確な命名じゃねえかチクショウが。おいローズ、これで何体目だ?」
「五十二……だと思います、たぶん」
霧の向こうへと落ちていく風竜を見下ろしながら、俺は大きく一息吐いた。
姐御も溜息混じりに吐息して、西方に堂々たる威容で屹立する大山へと翼を駆っていく。
天竜連峰に入って、まだ三十分も経っていない。
にもかかわらず、三十七頭の風竜と十五頭の火竜から襲撃されていた。
先ほどは一度に十八頭から同時に仕掛けられて、だいぶ苦労した。いや、俺は大して疲れていないが、俺を抱えて飛行するオルガは竜たちとの相対距離を調整しながら戦っている。特に風竜は飛行速度が半端ないから、集団で襲われると一度や二度は接近を許してしまい、回避行動のために激しい空中機動を強いられる。
「ちっと休憩するぞ」
オルガは最寄りの岩山の中腹付近に降り立ち、無骨な山肌に腰を下ろした。
緊急発進に備え、姐御とはベルトでドッキングしたままなので、俺は膝の上に座らせてもらうことになる。
何から何まで、世話になりっぱなしだ。
とりあえずコップに水を注いで、二人で水分補給した。
「思った以上に多いな……このままだと昼になる前には魔力切れになるぞ」
「あとどのくらい残ってます?」
「まだ八割以上はある」
オルガは魔力満タン状態なら、特級魔法を五百回は放てるらしい。
それで八割以上だから、少なくともあと四百頭は狩れることになる。
俺はまだまだ余裕だ。
以前、魔力量を調べるために朝から特級魔法を連発し続けたことがあった。そのときは集中力の限界もあって夜までに三千回ほど行使したが、体感する限りせいぜい十分の一くらいしか減っていなかったと思う。
つまり俺の魔力量は聖天騎士であるオルガの六十倍くらいあることになる。
チートも良いところだ。
婆さん曰く、並の魔法士は一日に特級魔法が十回も行使できれば、十分なレベルらしい。並の魔女だと三十回分ほど保有しているようで、姐御レベルの魔力を保有する者は非常に稀だそうだ。
こうしてみると、俺の魔力量が如何に異常なのかが良く分かる。
「では、ここから先はできるだけ私が倒した方が良いですよね?」
「……そうだな、そうしてくれるか。情けねえ話だが、正直、雑魚共に魔力を浪費すんのが惜しい。真竜ってのがどれだけの強敵か、いつ発見できるかも分かんねえからな」
オルガは苦々しい声で言いながら、空のコップを放り捨てる。
「あの、私のことは気にせず、剣を使っても良いんですよ?」
「危ねえから使わん……と言いてえところだが、この状況だと温いことは言ってらんねえか」
別段、オルガは魔法を使わなくとも、剣を使えば竜を狩れる。殺そうとすれば魔法よりも手間取るが、風竜に限って言えば、翼を切り落とすくらいなら比較的簡単にできるようだ。
姐御が剣を使わないのは俺の安全を考慮しているからで、もし俺がいなければ剣と魔法の両方を駆使して竜を撃退していたことだろう。
実際、昨日もそう言ってたしね。
「うっし、そろそろ行くか。一ヶ所に長居してると囲まれそ――って、もう来たか」
うんざりしたように溜息を溢しながら立ち上がり、オルガは両翼を羽ばたかせる。
周囲には岩山が乱立していて、その向こうから三頭の風竜がこちらに接近してきていた。ついでに下方に広がる霧海から二頭の火竜が一直線に上昇する姿も確認できる。
「風竜はオレが片付ける。火竜は任せた」
翼で風を叩いて上昇しつつ西進していく。
風竜は前方から疾速の滑空で近づいてきて、火竜は後方斜め下から追い迫ってくる。
オルガは俺の身体の前を経由して右手を左腰にもっていくと、鞘から得物を引き抜いた。両刃のそれはやや大ぶりで、剣先から柄頭までの全長は優に一リーギスを超えており、真っ直ぐに伸びた刀身は幅広だ。
曇天下でギラリと輝く白刃は、オルガが左手で柄頭を捻ると、見る見るうちに赤熱していく。ものの十秒足らずで、刀身は灼熱の炉から出したばかりの如き光輝を放つ紅刃に変じた。
「いいかっ、絶対に手足は動かすなよ! 間違えて切ったら洒落にならんっ!」
「了解です!」
風竜との距離はぐんぐん近づいており、あっという間に二百リーギスを切り、百リーギスを切った。オルガは右手一本で握った長剣を大きく振りかぶり、もう五十リーギスを切る……といったところで、目にも留まらぬ振り下ろしを放った。
すると刀身が十以上に分裂して宙を走り、接近してくる風竜のうち一頭の片翼を根元から切断した。かと思いきや、紅い軌跡が鞭のようにしなってもう一頭の風竜の片翼をも切り取った。
そこで残り一頭の風竜が間近に迫るも、オルガは両翼による空中機動によって鋭歯のぎらつく顎門から難なく逃れる。すれ違い様の強風の中で更に右手を振るうと、視認不可視な速度で一連の紅い刃がまたしても風竜の片翼を奪い取った。
三頭の風竜が雄叫びを上げながら墜落していく様を見届ける暇もなく、下方の火竜がファイアブレスを放ってきた。
俺は風魔法で火炎を散らし、その隙に〈風血爪〉の一撃で仕留めた。もう一頭も遅れてファイアブレスってくるが、同様の方法で対処し、あっさりと霧の海へと堕としていった。
「ま、ちょっと危険だが、これならかなり魔力を節約できるな」
「それ、本当に凄いですね……」
オルガが再び柄頭を捻ると、紅刃が徐々に白く冷めていき、元の白刃に戻った。
それを鞘に戻すことなく右手に持ったまま、姐御は飛行を続けて行く。
以前に聞いた話によると、オルガの愛剣は魔法具らしかった。
刃は魔力を通すと超高温を帯びる特殊な金属で鍛えられているらしく、これは柄頭に仕込まれた蓄魔石によって魔力を供給しているそうだ。刀身は幾つもの刃片で構成されており、これらはワイヤーのような鋼糸で繋がれている。
最大三十リーギスくらいまで伸ばすことができるそうで、伸縮は柄を握る手から魔力を供給することでコントロールしているらしい。
館にいるときに試させてもらったところ、どうやら一定量の魔力を供給することで、刀身が分裂・結合の状態に変化するようだった。鍔に鋼糸の巻き取り機構が内蔵されているらしく、結合状態になると鋼糸を巻き取って最後には機構をロックし、分裂状態になると巻き取り(あるいはロック)が解除されるので、剣を振れば遠心力で鋼糸が伸びる。要はオンオフのスイッチで伸縮をコントロールしているので、扱いがアホみたいに難しくて俺には到底扱えなさそうだった。
この剣の使用でも魔力は消耗するが、魔石には俺が魔力を込めれば良いし、鋼糸のコントロールには特級魔法の何十分の一以下の魔力しか使わないので、魔力効率は断然良い。
相当に高価な一品だそうで、特に鋼糸の巻き取り機構は《聖魔遺物》を分解して取り出した物を流用しているらしい。前世では連接剣や蛇腹剣と呼ばれていたこの種の剣は他にも存在するようだが、刃が赤熱するギミックを兼ね備えているのはオルガの剣だけっぽい。
そういう意味では婆さんの立派な魔杖と同等かそれ以上の価値がある。
超高熱による切断力アップによって風竜の鱗は制することが可能だが、火竜と地竜は無理だった。どちらも風竜より竜鱗の硬度は高いし、火竜はファイアブレスを吐くせいか、熱に対して耐性がある。
同じ箇所を何度か攻撃すれば竜鱗を貫くこともできたが、長期戦はそれだけ危険になる。
「これだけ竜が襲ってくる割りに、真竜が来ねえって、なんか変じゃねえか?」
おそらくは高度一千リーギス以上の高空を飛行しながら、オルガが訝しげに呟いた。
「ですよね……ここまで仲間を倒されておいて、出てこないなんて……」
「魔法が使えるってことは、そこらの竜よりは強いはずだろ? もうなんだかんだで優に百匹は狩ってんだし、向こうからオレ等を倒しに来ても良いはずなんだがな」
真竜は他の竜種と違って魔法が使えるため、仲間内ではおそらく王侯貴族的な、あるいはボス的な存在となっているはずだ。とすると、仲間であり部下でもある竜たちが百頭以上も撃退されている現状は見過ごせないに違いない。
ここは力ある者の義務として、仲間の仇を討つ意味でも親分さんが出張ってくるところだろう。
しかし、まだ真竜は現れない。
「もしかして、この島に真竜はいないとか……?」
「そいつは勘弁して欲しいな。別の島へ移動するのも時間が掛かるし、面倒だ」
一抹の不安を覚えながらも、俺たちは西へ西へと向かっていく。
とりあえずは天竜連峰の中で最も標高が高く、存在感のある竜神山まで行ってみる。その周辺を捜索しても真竜が発見できなかったときは……一旦ユーハたちのもとへと戻るしかないだろう。
もしかしたら、待機組が真竜に襲われて倒している可能性もある。
真竜との戦いも心配だが、肝心の真竜そのものの生息に対する憂いと共に、俺とオルガは竜神山を目指していった。
♀ ♀ ♀
白竜島に来てから、撃退した竜の数が合計で百五十頭を超えた。
と思しき辺りから、急にピタリと竜の襲撃が止んだ。
「なんだ、気味悪いなおい」
「とうとう私たちに恐れをなしたんでしょうか……?」
「そんな殊勝な連中なら良いんだがな」
悠々と飛行しながら周囲を見回すも、灰色がかった空と峻厳さ溢れる岩山の数々しか見られない。竜もいなければ魔物も野鳥も見当たらない。
まあ、竜以外の生物の大半は霧の下の山麓にでもいるのだろうが。
度重なる竜たちの襲撃によって幾度も足止めを喰らっていたが、今はすいすいと西進できている。おかげで竜神山の雄々しい威容は目と鼻の先にまで迫っていた。
日の出と共に出発して三時間くらいしか経っていないので、まだ十分に朝方と呼べる時間帯だ。曇天なのが玉に瑕だが、山地で高空なこともあってか、ひんやりとした空気は冷厳ささえ感じられるほどに澄み切っている。
「にしても、やっぱデカいな。ま、大陸にはこれ以上の山は腐るほどあるが」
目前にそびえ立つ御山は霊峰という単語が自然と想起させられるほど立派に佇んでいる。富士山のような円錐形の山容だが、縦にも横にも富士山よりは大きいだろう。そのくせ緑がほとんどなく、茶色い岩肌が露出していて、山頂付近でさえ雪化粧が見られない。周囲に乱立する山々とは比較にすらならない圧倒的な質量を備え、ただ無骨に厳然とそこに在る。
竜神山というだけあって、まさに神でも住んでいそうな雰囲気を漂わせていた。
「とりあえず、ぐるりと回ってみるか」
「はい……でも本当に、竜いませんね。嵐の前の静けさでなければ良いんですけど……」
百頭以上の仲間で一気に襲いかかろうとでもしているのだろうか?
あるいは、とうとう真竜の親分が出張ってくるから有象無象の竜たちは身を引いたとか……?
いずれにせよ、油断できない。
「ま、こうなったら雑魚共が一気に来てくれた方が有り難いんだけどな。一匹一匹狩るのも面倒だから、覇級か戦級で一纏めに片付けた方が楽だし」
「できれば真竜に出てきて欲しいですね」
そんなことを話しながら、竜神山の東側から右回りに一周してみることになった。
さて、今更の話だが、ただの竜と真竜の違いは魔法を使ってくるか否か=魔力の有無だけだ。つまり外見は全く同じであるため、突然現れても一目で真竜だと見分けることはできないだろう。
しかし、相手が黒竜、白竜、金竜、紫竜の場合はその限りではない。
竜と一口にいっても橙色の地竜、青色の水竜、赤色の火竜、緑色の風竜が存在し、竜にはこの四種類が存在する。真竜もまたこの四種の外見のいずれかに当てはまり、真火竜だろうと真水竜だろうと、体色は赤や青と変わりはない。
ただ、稀に黒か白か金か紫の体色をした竜がいるらしく、これらは例外なく真竜らしい。そして黒竜は闇属性魔法だけ、白竜は無属性魔法だけしか使わず、それは真火竜が火属性魔法、真地竜が土属性魔法しか使わないのと変わらない。
アルセリア曰く、竜人の竜鱗色が適性属性を表しているように、竜種の竜鱗もまた適性属性を表しているとのことだった。つまり真竜はその体色が表す属性の魔法しか使用しない(できない?)ことになる。
正直なところ、竜の体色=適性属性説には疑問が残るし、一考の余地がありすぎる。が、いま重要なのはそこではなく、一目見て真竜だと判別できない可能性が高いということだ。
相手が黒竜、白竜、金竜、紫竜ならば良いが、真火竜や真風竜だった場合は外見だけで見分けることはできないだろう。青い火竜や緑の地竜などはいないらしいので、真火竜の場合だと竜鱗の色は赤黒白金紫の五色に限定される。
しかし赤い真火竜以外は稀だそうなので、見た目では真竜か否かを見分けられないと思った方が良い。
ちなみに竜人族の伝承では銀竜の存在も認められているらしいが、もう千年以上も確認されてはいないそうだ。
とにかく、真竜は外見だけで判別できるものではない可能性大なので、良く注意しておく必要がある。相手がただの火竜や風竜だと思って油断していると、いきなり魔法をぶっ放されたときに対処できなくなる。
だからこれまでも警戒し続けてきたし、竜との戦いには慣れてきても、気は抜けなかった。
「あ、竜いましたね……って、ん?」
そろそろ半周ほどを回るという頃、竜神山の影から十頭ほどの竜が滞空している様を目視した。それでも姐御は構わず緩い弧を描きながら飛行していくが、その更に向こうにも赤と緑が空中を飛び交っていた。
どういう訳か連中はこちらに襲いかかってこようとはせず、その場で翼を羽ばたかせたり、旋回したりして、一定範囲内に留まっている。
が、そんなことよりも、次々と確認できてくる竜の数が異常だった。
「なんだあれ……?」
オルガは訝しげに呟きながら、進路を右斜め前方に変更し、竜神山から距離を取りつつ西進する。
そうして、ちょうど竜神山の西側からその御山と対峙してみたことで、状況の異様さがまざまざと感じ取れた。
霧海から中腹にかけての山肌が、見えない。
赤と緑の点が不気味に蠢き、覆い隠していた。
その数をカウントすることなど不可能で、優に五百は超え、千にすら迫っているかもしれない。両翼を広げて滞空している個体もいれば、ゆったりと円を描くように旋回したり、山肌に足をつけている個体もいる。
どいつもこいつも俺たちの存在に気付いているはずなのに、襲いかかってこようとはせず、ただ無数の瞳がこちらに向けられているだけだ。
「アレ、絶対なんかあるよな」
「……さ、さすがにあの数は不味くないですか?」
二、三メトは距離を取った状態で、俺とオルガは幾多の竜たちと睨み合う。
いや、俺は睨んでない。圧倒的大多数から向けられる視線に、俺の戦意はすっかり萎えていた。
アレはもう無理ですわ。
「たぶんあそこが竜たちの巣か溜まり場みてえなとこなんだろうな。ってことは、真竜もあの中に紛れている可能性が高い」
オルガは意気揚々と言うが、俺の本能は余りある危機感から早々にこの場を離脱すべきだと強く訴えていた。
こちらを目視しているはずなのに、なぜ竜たちは襲いかかって来ないのか。
それは不明だが、あの数から一斉に襲撃されれば、さすがに命はないだろう。
「なんで襲って来ねえんだ……なんか雰囲気的に警戒はしてるみてえだが」
「私たちを脅威だと認めてるんじゃないですか?」
「だから迂闊には近づいて来ねえって? ……にしては、なんとなく違和感があるな」
オルガは思案げに呟きつつ、旋回しながら滞空する。
上空を吹きすさぶ横風に煽られても、上手くバランスをとって螺旋状に上昇と下降を繰り返していた。
「攻めて来ねえってことは、守りに入ったってことだろうな」
「と、言いますと?」
「オレたちは連中の仲間を殺しまくった仇敵のはずだろ? 仲間思いらしい竜が仇を目の前にして、ただ大人しくしてるだけとは思えねえ。つまり、あそこに連中の頭――真竜がいて、雑魚共が守ってるって考えるのが妥当だな」
それは一理ある。
仮にあの赤緑集団が覆い隠している山肌に真竜の住処があったとしたら、竜の親分さんは俺たちを警戒して迂闊には姿を現さず、部下共にそこを守らせていると考えることができる。
まあ、あくまでも想像だが。
「それで……どうしますか? アレと正面切ってやりあうんですか?」
「ま、それしかねえだろ。あの規模なら戦級魔法の一発でもぶっ放せば大半は片付けられるはずだ。仮にあの中に真竜がいたとしても、そうそう簡単にはやられねえだろ」
あの大集団を前にしても、オルガは相変わらずの頼もしさでそう言った。
なんか姐御がいれば、この絶望的な数的不利など大した問題ではないと思えるから不思議だ。実際、戦級の魔法でも使えば、どうにかなるのだろう。
「でも、大量に竜を殺すと、ユーハさんたちの方が危なくなるんですよね? あの仮面の人もそう言ってましたし」
「つっても、仕方ねえだろ。あいつらがオレ等の前に立ちはだかってんだ。真竜を倒そうと思ったら、あの数は邪魔すぎる」
それはそうだが、ユーハたちの方も心配だ。
船のときのように、待機しているオッサンたちに大量の竜が迫れば、今度こそ二人とも死んでしまうかもしれない。
「大丈夫だ、仮にも聖天騎士の一人が護衛についてんだぞ。あいつならいざとなればオッサン二人と一緒に転移して逃げられる。昨日見た限りでも、一発で火竜を倒してただろ?」
「そう……なんでしょうか?」
「オレもあいつの人格は信用してねえが、腕前だけは確かなはずだ。そもそも後方の連中を気にして戦って、それでオレ等が死んだら元も子もねえだろ」
「……そうですね、分かりました」
確かにオルガの言うとおりだ。
竜はなるべくなら殺さないに限るが、障害として立ち塞がるのならば、否応はない。ここは仮面女に迷惑を掛けてやるくらいの気持ちでいった方が良いだろう。
「よし、ローズは念のため魔法の警戒をしといてくれ。真竜に魔動感が反応するかは分からねえが、魔力感じたらすぐ言え」
「了解です」
オルガは「ぅしっ」と鋭く息を吐きながら言って、剣を持っていない左手で俺の胸を叩いてきた。
「気合い入れろよローズ。準備はいいか?」
「はい、いつでも大丈夫です」
「じゃあ、いくぞ」
俺が覚悟を決めて頷いた直後、姐御は何の躊躇いもなく、ゆっくりと前進し始めた。これまでの高速飛行に比べると、穏やかさすら感じる遅々とした飛行だ。
対して、前方に見える火竜と風竜の大群は一瞬大きく蠢いたかと思いきや、向こうもこちらに進み出てきた。
風竜だけ突出してくるようなことはなく、全ての竜が足並みを揃えるように空を駆けてくる。幾重にも重なる重低音の咆哮が山脈に漂う澄んだ大気を揺さぶり、奴らの背後にそびえる竜神山の威容と相まって、かつてない威圧感を覚えた。
俺の身体は思わず強張ってしまったが、しかしその原因は奴らの進撃のせいではない。
背中から、これまで感じた中でも最高レベルの魔力波動が放たれているのだ。
直近にいるからか、余程の魔力を込めようとしているのか、震動を錯覚するほどに魔動感が刺激されている。もう魔動感には結構慣れているはずなのに、魔法行使の兆候で吐き気を覚えるのは久々だった。
「やるからには容赦しねえ。悪いが……堕ちてくれ」
戦意に満ち満ちた、底冷えするような呟きが聞こえたと同時、オルガは詠唱もなく魔法を放った。十以上の小さな火球が一斉に射出され、それらは広範囲に群れる集団のあちこちへ、それぞれ高速で向かっていく。
火球は瞬く間に極小の光点となって目視が難しくなり、竜たちに紛れて見えなくなった――瞬間、さながら赤緑の雲のような大群が、紅蓮一色に爆ぜた。
火竜の竜鱗よりも尚色濃い豪炎が、僅か一秒にも満たない一瞬で竜の集団を呑み込んだのだ。
「――――」
微かにだが、熱波と衝撃波がこちらにまで届いてくる。
何が起こったのか良く分からず、俺は口を半開にして瞳に映る光景に見入った。
いや、何が起こったのかは知識としてなら知っている。
火属性戦級魔法〈猛爆掃討〉だ。広範囲に大爆発を起こすことで敵を殲滅する……とは勉強していたので知っていたが、実際に目にするのは初めてだ。
火力は込めた魔力量によって上下するものの、基本的には上級魔法である〈爆炎〉と同程度の威力があるらしい。要は〈爆炎〉の大規模版だ。ただ、戦級魔法の魔力消費量は上級魔法がおよそ一千回くらい放てるほどと、効果範囲同様にデタラメなようだ。
中空に現出した火の海は十数秒ほどで火勢を弱め始め、大量の黒煙に隠れ始める。まだ一メト以上は離れているが、幾多の竜が煙の尾を引きながら墜落していく様は酷く現実味を欠いていた。
漂う黒煙からこちらに抜け出てくる個体は皆無で、いずれも霧の海へと力なく堕ちている。
「す、すごいですね……」
これほどの大規模魔法を無詠唱で放てる魔法士は、一瞬で町一つを壊滅させられる。だからこそ、どこの国々も魔法を重んじていて、押し並べて魔法力の高い魔女は有り難がられるのだ。
とはいえ、戦級魔法を無詠唱で放てるのは聖天騎士くらいだろうが。
「驚くのも良いが、一匹も竜が出て来ねえぞ。まさかあの中に真竜はいなかったのか?」
「もしかして、倒しちゃったんじゃ……?」
「こんなあっさりか? そうは思えねえんだがな」
オルガは前進を止め、再び滞空すると、徐々に晴れつつある黒煙を見つめる。
俺も目をこらして様子を窺うが、やはり一頭もこちらへ近づいてくる竜はおらず、落下する竜も既に品切れらしく見られない。
と思ったら、黒雲めいた黒い煙の中心部に穴が開き、黒い何かが接近してくるのを目視した。
「やっぱいたか!」
「ですがあの竜、なんか真っ黒ですけど……どっちなんでしょうか?」
姿形は火竜のそれに見える。
が、煤で全身が黒く染まった火竜なのか、それとも黒竜なのか、離れているせいで判別が付かない。
「どちらにせよ、油断はすんなよローズッ。まずは移動しつつ様子を見る、お前はとりあえず中級魔法あたりを連発しろ!」
「了解です!」
勢いよく上空へ飛翔しながら言葉を交わした。
その直後、前方から近づきつつあるブラックなドラゴンが咆哮し、俺は魔力波動を察知する。
「オルガさんっ、魔動感が反の――っ!?」
最後まで言い切れず、俺は舌を噛んだ。
突然、上から何かがのし掛かってきたような、途轍もない重量感に圧されて急落下し始めたからだ。次いで頭上から苦鳴を堪えるような歯軋りとバギッという怪音が耳に届いた。
「グ、ッ……!」
剛速で真下に墜落していく中、ふと左右を見ると、臙脂色の翼の先端が真下を向いていた。
急な状況の変転に混乱しつつも、俺は何がどうなっているのかを直感的に悟る。
おそらく今のオルガは闇属性上級魔法〈超重圧〉を掛けられており、突然下方向へ圧迫されたせいで、躍動させていた翼の骨が折れたのだ。
「ローズッ、〈魔解衝〉と治癒頼む! それときつく目瞑っとけっ!」
「了解です!」
魔法という超物理の力で墜落させられながらも、オルガは苦痛を感じさせない声で叫んだ。
俺は言われたとおり目を瞑り、まずは無属性上級魔法〈魔解衝〉で、オルガの身体に掛かった闇魔法の効力を打ち消す。
「祈りは果たされ顕現す、敬虔なる者よ旭日の光輝に喝采せよ。
集え、常闇を払う輝きよ、燦然たる煌めきを我が手に収めん」
自然落下しながら光属性上級魔法を詠唱するオルガに、間を置かず治癒魔法を行使する。治癒魔法は患部に直接触れた方が良く効くのだが、特級の治癒魔法だし、大量に魔力を込めてやれば問題はないはずだ。
「海嘯の如く来たれ、冥暗却け征する光波を今此処に――〈大閃光〉」
目蓋を閉じていても尚、強烈な光が網膜を刺激してくる。
光魔法の行使と同じタイミングで身体が上方向に引っ張られ、空中を舞う感覚が戻ってきた。
そこで再び重低音の荒ぶった咆哮が轟き、俺はゆっくりと目を開けた。
黒い火竜――黒竜とはまだ結構な距離が空いている。
だが、魔法をレジストされたせいか、盛大な目眩ましを喰らったせいか、禍々しいまでに黒一色な竜が怒り心頭なのは声だけでも十二分に伝わってくる。
「クソが……この距離からあんだけの威力の魔法放ってくるとか、あいつ結構な魔法力あんぞ」
オルガは忌々しげな声を漏らしつつ、高度を保つために再び飛翔を始める。
俺はといえば、無属性上級魔法〈魔球壁〉を行使した。
球状の仄白い壁を俺とオルガの周りに展開し、再度の〈超重圧〉に備える。
〈魔球壁〉は他属性の盾と比べて物理的な攻撃には弱いが、一方で魔法的な攻撃には強い。故に、身体に直接作用するような〈超重圧〉や〈霊引〉、〈幻墜〉などを防ぐことができる。
ただし土属性上級魔法の〈岩塁壁〉のように空気まで遮断するわけではないので、熱気や冷気までは土魔法ほど防げない。しかし、少々曇っているとはいえ透明なので視界が利くし、空気は透過するのでバリアを張りながら飛行できるという利点がある。
「良い判断だ、ローズ。しかしよりにもよって黒竜かよ……相性最悪だな、おい」
黒竜が行使する魔法は闇属性のみとされている。
つまり〈超重圧〉や〈霊引〉といった重力系の魔法が多く、空中戦では致命的に相性が悪い。というよりも、闇属性魔法自体が厄介なので、たとえ地上戦だろうと黒竜には来て欲しくなかった。
火魔法を使う真火竜だったらオルガの〈従炎之理〉でほとんどレジストできただろう。
「ここは場所が悪い、まずは山の上に移動するぞ」
と言って、オルガは迫る黒竜から視線を切らず、斜め後方に見られる中規模程度の岩山へ向けて飛行していく。
現在飛んでいる真下はちょうど谷間になっていて、白い霧海が広がっている。黒竜を倒しても、谷間へ墜落して内臓が破裂されても困るので、なるべく地面に近い低空で戦う必要がある。とはいえ谷間は霧が濃いので、山の上で戦い、高空からの落下を防げる状況を作らねばならない。
そもそも、真竜との戦いはハンデだらけだ。
戦闘場所に気を遣うのはもちろん、うっかり肝を傷つけないよう常に配慮して攻撃しないと、本末転倒となる。最も確実なのは首から上を狙って、なるべく胴体は無傷で殺すことだが……そうそう上手くいくとは思えない。
「…………あれ、なんか止まってませんか、あの黒竜」
「だな、なんで追ってこねえんだ?」
これまで俺たち目掛けて空中を猛突進していた黒竜が滞空して、それ以上の前進をしてこない。空中に留まって羽ばたきながら、一メト以上も向こうから俺たちを睨んできているだけだ。
オルガも一旦移動を中断して、距離を取っていた竜神山と改めて向かい合う形で黒竜と相対した。
「攻撃はしてきているようですけど……」
またもや〈超重圧〉を放たれたようだが、俺のバリアは破られない。意外と真竜も大したことないんじゃ……と思ったとき。
右斜め下方あたりに小さな漆黒の点が出現した。
「上級の次は特級かよっ」
オルガは両翼を駆って、闇属性特級魔法の恐ろしい黒点から十分に距離をとった。
〈極重暴圧〉は魔力のあるものを引き寄せるわけだが、無属性魔法の盾は魔力を遮断することできる。〈魔盾〉と同様に〈魔球壁〉でも魔力流である断唱波は防御できるし、魔力に反応して引き寄せる〈極重暴圧〉の影響からも〈魔球壁〉ならば逃れることが可能だ。
無論、攻撃側が防御側より多くの魔力を注いでいれば、例え盾を展開していても攻撃の影響を受けずにはいられなくなるが。
無属性上級魔法の全周防御はかなり有用なわけだが、なかなかに致命的な欠点もある。バリアの内側から外側へは魔法を放てないのだ。
同じ無属性魔法か魔剣の刃なら透過させられるが、それ以外は無理だ。だから大抵の場合、攻撃をする際には防御を一時的に解除しなければならない。
更にもう一つ、魔動感が反応しなくなるという最悪のデメリットもある。魔力を防ぐ全周バリアなので、一面だけの〈魔盾〉なら未だしも、〈魔球壁〉は魔動感が察知する魔力活性の波動までをも完全カットしてしまう。
「……どうなってやがる? なんであいつ、近づいて来ねえんだ?」
俺たちは奇妙な沈黙の中で睨み合うこととなった。
一千リーギス以上の上空で、他の竜が見当たらない中、峻厳な山々の只中で対峙する。オルガも黒竜も滞空したまま前後にも上下左右にも動かず、底知れぬ緊張感だけが漂っている。
「攻撃もしてきませんし、向こうに戦意はないのでしょうか?」
「さっきはあんだけ仲間の竜を堕としたんだぞ、それはねえだろ。何か理由があるんだろうが……どういうこった」
俺もオルガも疑問を呈しつつ考えるが、答えは出てこない。
ただ、このままだと膠着状態が続いて、いつまで経っても状況は変わらないだろう。
「まあ良い、だったらこっちから近づくぞ」
そう言って、オルガはまず更なる上空へと飛び上がり始めた。急に高高度まで上がると高山病なんかが心配になるが、この世界には治癒魔法がある。
ぐんぐんと上昇していると、黒竜の方も前後左右には動かず、俺たちと高度を合わせようとしてくる。
闇属性魔法には己の影を利用する魔法も多く、例えば下級の〈影刃〉だったり、上級の〈影縛〉、天級魔法には〈影蝕滅〉など、様々な危険魔法がある。
もし黒竜に上空をとられて、奴の影の中に入れば、何をされるか分かったものではない。天級魔法まで使ってくるかは不明だが、〈影蝕滅〉はあらゆる防御を無視して、影内の魔力を有するものを消滅させるという空恐ろしい魔法だ。それを使われれば、さすがのオルガといえどジ・エンドだろう。
おそらくは二千リーギスを超え、三千リーギス近くまで上昇しただろうところまで飛翔した。高空からの天竜山脈の眺めは実に雄大で素晴らしい景色だが、黒竜と相対している今は景観を楽しむ余裕はない。
オルガは「いくぞっ」と言って、垂直方向から水平方向の飛行に切り替え、黒竜――もとい竜神山へと一直線に突き進み始める。
黒竜は待ち構える姿勢らしく、一度だけ猛々しい咆哮を上げた後、魔法を連発してきた。魔動感が反応しないので展開中の〈魔球壁〉には常に全力で魔力を注ぎ込んでいるおかげか、俺たちは何事もなく猛スピードで前進できている。
途中で進路上に何回か〈極重暴圧〉の黒点が出現しても、オルガは上下左右に回避して着実に距離を詰めていく。
黒竜との相対距離が五百リーギスを切った辺りで、ようやく黒竜の身体も動きだし、こちらに急接近してくる。
「ローズ、オレがお前の腹を叩いたら〈魔球壁〉を消せ!」
と告げられた直後、姐御は早速俺の腹を叩いてきながら「こっちからも攻撃すんぞ!」と、攻撃は最大の防御とでも言わんばかりの大声で言った。
俺は半透明のバリアを解除し、とりあえず〈爆風〉を放った。ほぼ直撃したようだが、少しバランスを崩しただけのようで、すぐに体勢を整えて突進してくる。特に魔力を込めたり手加減したりもせず、普通に放っただけだが、やはりこの程度の攻撃は大した意味を為さないらしい。
「片翼を狙えっ、この高度で堕ちられたら不味いが、奴ならたぶん大丈夫だろ!」
〈爆炎〉を漆黒の右翼に放ちながら、オルガが叫んだ。
闇属性特級魔法には浮遊を可能とする〈反重之理〉という魔法がある。これは前後左右への移動はできないが、垂直方向には上下することができるため、翼を飛行不能な状態にすれば、黒竜はこれを使って降下するはずだ。
とはいえ本当に使うかどうか、使えるかどうかすら不明なので、やはり確実性を期すためにも竜神山まで十分に近づいて、山肌近くで戦った方が良いのは確かだが。
「無傷かよ……魔力があると防御力も上がんのか?」
火と風の上級魔法を喰らっても、黒竜はピンピンしていた。
オルガの〈爆炎〉は十分に魔力を込めれば、普通の火竜でも殺せていた。しかし黒竜は翼に直撃したにもかかわらず、翼膜すら傷一つなく健在だった。
オルガの言うとおり、明らかに頑丈になっている。
魔力を有しているから、魔法に対する耐性でも上がっているのだろうか。
という疑問に囚われたせいで、魔動感の報せに反応が遅れた。
「ローズッ、オレが合図したら〈大閃光〉で目眩ましを――っ!?」
「――ぅわ!?」
あと数秒で相対距離が零になるというとき、突然の急ブレーキに晒され、かと思ったら黒竜とは逆側に吹っ飛んだ。
〈霊斥〉だ。この感じだとオルガに行使されたのだろう。
俺は即座に〈魔解衝〉で斥力を打ち払って、半透明のバリアを張った。オルガもすぐに体勢を持ち直す。
「まずはあの山に近づくことだけに集中するぞ。攻撃はその後だ」
迫り来る黒竜にオルガは真正面から向かっていき、風を切って飛んで行く。
途中で〈黒衝弾〉の乱れ撃ちをされるが、オルガは華麗に躱しながら距離を詰めていく。俺は合図に従って、一時的にバリアを解除して〈大閃光〉を行使した後、即座にバリアを張り直した。
〈大閃光〉はもろに喰らうと人なら失明するほどの光量を生み出す魔法だが、黒竜の瞳に直撃してくれたのかどうかは硬く目を閉じているので分からない。
しかし奴は苛立たしげな咆哮を轟かせ、大きく開いた顎門から火炎を撒き散らした。オルガはファイアブレスを難なく避けつつ斜め上へと大きく迂回して黒竜を通り過ぎると、一直線に竜神山へと接近していく。
すぐに背後を振り返って様子を見てみると、黒竜は早くも俺たちの後を追ってきながら、かつてない怒気を孕んだ咆哮を上げている。
「なんだ、キレさせちまったか?」
「あれもう明らかにブチギレてますよっ」
幸い、飛行速度は五分五分といったところなので、追いつかれる心配はない。
十分に竜神山の山肌まで近づいたところで、腹を叩かれたのでバリアを解除し、黒竜をロックオンした。
俺は先ほどのお返しとばかりに〈超重圧〉を行使する。
だが奴は真下へと急落下せず、如何にも億劫そうながらも翼を上下させ、こちらへ接近してくる。更に魔力を込めて、ダークな雰囲気漂う真っ黒い竜を傾斜の緩やかな山肌に墜落させようとするが、動きが鈍るだけで尚も空を飛んでいる。
やはり魔法に対する耐性が普通の竜より格段に上がっている。
オルガは〈陽焰〉を放った。高空のひんやりとした空気を熱気で攪拌しながら黒竜へと剛速で迫る。
俺が尚も〈超重圧〉を行使し続けているおかげか、動きにキレのない黒竜は回避しきれず、右翼に命中する――その直前、黒々とした盾が現れた。〈闇盾〉だ。いや、〈反盾〉かもしれないが、とにかく黒い壁は防御魔法だった。
しかしオルガの特級魔法は盾をぶち破って片翼を焔で呑み込んだ。
「クソッ、盾が邪魔だったな」
黒竜の翼は……焼け焦げている様子すら見られず、健在だ。
盾で威力が削がれてしまったのだろう。奴の魔法力はなかなかに高いようだが、それ以上に厄介なのは竜鱗の防御力だ。火属性適性者であり聖天騎士であるオルガの〈陽焰〉は常識外の火力を誇っている。
普通の火竜なら、防御魔法で減衰した威力のでも通用したはずだ。
黒竜から魔力波動を感じたので、俺は加重を止めて〈魔球壁〉を行使した。結果、何も起こらないが、今の感じだとたぶん〈超重圧〉を使われたのだろう。
既に黒竜の魔力波動パターンは少しなら把握できている。
「この調子なら、倒せないこともなさそうですね」
「そうだな、今のをもう一回いくぞ。だが今度は奴が盾を張ったら〈魔球壁〉を解いて〈風血爪〉を使え」
黒竜は後ろから追ってきながら、たまに魔法だったりファイアブレスだったりを見舞ってくる。だが前者は俺が、後者はオルガの空中機動で回避して、攻撃を当てさせない。
確かに真竜は強いのだろうが、魔動感と無詠唱と〈魔球壁〉のおかげで魔法攻撃は対処できるし、三次元的な機動のおかげで回避もしやすい。
もしオルガがいなかったら、ユーハを相棒に地上で空中の竜と戦わねばならなかっただろう。そう考えると、オルガがいてくれて本当に良かった。
姐御が腹を叩いてきたタイミングで、再びバリアを解いて〈超重圧〉を行使し、黒竜の動きを鈍らせた。
オルガは〈陽焰〉を放ち、再び右の黒翼を焼却しようとするも、やはり黒い盾に邪魔される――その寸前。俺は〈超重圧〉を中断し、可能な限り全力で〈風血爪〉を放った。
黒竜の首を刈取るつもりで放った特級魔法は命中する。
が、やはり防御力が半端ないのか、あるいは速度重視で十分に威力が乗っていなかったのか、黒い竜鱗の欠片が僅かに飛散しただけで首は落ちない。
盾を突破したオルガの火魔法も、やはり右翼を損傷させるには至らない。
「やっぱ火魔法より風魔法の方が有効っぽいな」
黒竜は火竜でもあるせいか、火への耐性が強い。オルガの火魔法より、俺の放つ風魔法の方が未だしも有効……なのかもしれない。
俺たちは黒竜の攻撃を逃れながら簡単に話し合った後、再び攻勢に出ることにした。
「我が愚想は変幻にして自在なる凶変の因、志操なき我意が制するは引斥の理。
猛射せし弓兵、逃遁せし懦夫、我は間遠にて嘲笑せし敵手を引き寄せん――〈霊引〉」
オルガが魔法を行使する直前でバリアを解き、五十リーギス以上は離れていた黒竜を引き寄せる。しかし黒竜に抗う様子はなく、むしろ自ら羽ばたいてこちらに急接近してくる。
その様子を捉えながら、俺は奴の頭部目掛けて全力で〈陽焰〉を放った。魔法で進行方向を限定され、この距離から放たれては回避する術はない。案の定、黒竜は眼前に黒い盾を張って防御の姿勢を見せるが、俺の魔法はその盾を突破して顔面に火魔法が直撃する。
そして、オルガが〈霊引〉と同時行使した〈陽焰〉が右翼にも直撃し、翼がごっそりと溶解した。
俺の攻撃は目眩ましであり、本命は姐御だったのだ。
その頃には黒竜の無傷の顔が僅か十リーギスを切る直近まで迫っていて、奴は耳をつんざく叫び声を上げながら、俺の身体から一リーギスも離れていない虚空に〈極重暴圧〉の黒点を出現させた。
俺は黒竜の恐ろしい形相と特級魔法の存在に怯えかけるが、なんとか〈霊斥〉を行使した。既に片翼がまともに機能しない黒竜は押しのけられ、先ほどとは対照的に瞬く間に距離が開いていく。
それでも黒点は消えず、俺は身体がグッと引っ張られる感じを味わうが……それだけだ。〈極重暴圧〉の深い闇色の球体は数秒ほどで消滅した。
「ふぅ、危ねえな……ローズ、今の判断は間違ってたぞ」
オルガは珍しく焦ったような声で言いながら、俺の頭を軽く叩いてきた。
〈極重暴圧〉は魔力を有するものを引き込む魔法だ。
つまり魔力に反応しているわけだから、黒点へ向けて一定量以上の魔力を放出すれば、その間だけは〈極重暴圧〉の影響を受けずに済む。
更に、行使者が魔法に注ぐのより大量の魔力を黒点へ与え続ければ、吸引力が飽和して黒点は消滅してしまう。並の魔法士なら〈極重暴圧〉を使われれば一巻の終わりだが、魔法力の卓越した聖天騎士様には無問題だった。
「お前が〈極重暴圧〉に対処して、オレが黒竜にとどめを刺すべきだったな」
「す、すみません、怖くて思わず……」
「ま、さっきの状況で魔法が使えただけ上等だ。あの黒竜の姿を間近に見れば、並の大人でもチビってるだろうしな。八歳にしては上出来だし、むしろ褒めるべきか」
と言って、オルガは滞空しながら先ほど叩いた頭を今度は撫でてきた。
しかし……八歳では上出来と言えても、精神年齢が三十五歳ではどうなんですかね?
「あの、ところで黒竜、追いかけなくて良いんですか? なんか凄い勢いで逃げてますけど」
「そうだな、さっさと追っかけてとどめ刺すか」
俺たちの眼下では黒竜が背中を向けて、見るからに必死な動きで下へ下へと遁走している。片翼は三分の二ほどがなくなっているが、それでも重力方向への落下飛行はなんとか可能らしく、ふらつきながら滑空している。
あの分だと、もう空中戦闘など到底無理だろう。
「にしても、あいつ躊躇いなく逃げたな。やっぱなかなか頭良いんだな」
オルガは感心したように呟きながら、黒竜の後を追っていく。
たぶんあいつは俺たちを強敵だと認め、敵わないだろうと悟って、逃走することにしたのだ。下手に俺たちを倒すことに拘らず、逃げようとするのは賢いといえば賢いが……。
「竜って、仲間思いのはず……ですよね? だったら命懸けで私たちを殺そうとしてきそうですけど」
「あいつは真竜だけあって、柔軟な頭でも持ってんじゃねえか? そりゃ仇は討ちてえだろうが、それで自分が死んだら元も子もねえとでも思ったんだろ」
「そうでしょうか……?」
釈然としない。
だがそれでも、俺たちがすることに変わりはない。
片翼を失った黒竜の飛行速度はオルガよりも遅く、俺たちはすぐに距離を詰めた。
黒竜は僅かに振り返りながら〈霊斥〉を放ってくるが、〈魔球壁〉に阻まれて俺たちには通じない。
俺は防御を解いて、〈超重圧〉を行使した。片翼がほぼないせいか、黒い巨体が大きく揺らぎ、体勢を崩してそのまま竜神山のごつい山肌に激突する。
「こうなると哀れだな……」
オルガは吐息混じりに言って、無事な左翼目掛けて〈陽焰〉を放った。当然のように黒竜は〈闇盾〉で防御し、切羽詰まった感じの悲鳴を上げる。
そこで不意に、俺の魔動感は微弱な魔力波動を察知した。
それは未知のもので、オルガでも黒竜でもなく、初めて感じる者の魔力だ。
少し引っかかったが、周囲には何もないし、とりあえず俺は全力で〈風血爪〉を行使した。オルガの魔法に対処しているおかげで黒竜はその一撃を防げず、狙い過たず首に命中する。
前回と同じ箇所に当てたおかげか、鱗を貫いて肉を切り裂いた。が、首は切断できず、およそ四分の一ほどを切り裂いただけに見える。
「あと一発だな。よし、もう一回い――」
オルガが再度の〈陽焰〉を喰らわそうと、魔力波動を放ち始めたとき、ふと勇ましい咆哮が耳朶をついた。それは負傷した黒竜のものではあり得ず、俺は思わず声がした方へ目を向ける。
山麓方面から尋常ではない速度で翠緑の竜が一直線に飛翔してきていた。
「なんだ、風竜? ここで一匹だけ来るってことは……」
「真竜です!」
俺の魔動感は徐々に反応を強くしており、それは今まさに接近してくる風竜の方から放たれている。そのスピードはこれまでの風竜より明らかに速く、魔動感が反応していることから、おそらく風魔法でブーストしている。
「クソッ、なんだもう一匹いたのかよ!」
オルガは両翼を大きく羽ばたかせて黒竜から距離を取りつつ、再度〈陽焰〉を黒竜へ放つ。そのとき、猛スピードで迫る風竜の魔力波動が一瞬だけ途切れ、次の瞬間には一層強く魔動感が反応した。
俺は咄嗟に〈魔球壁〉を行使し、それとほぼ同時に全周から強烈な衝撃に襲われた。
おそらく〈風血爪〉か何かの魔法を放たれたのだ。
「ひとまず防御と回避に専念するぞ! 風竜とやり合うのは黒竜がくたばってからだっ!」
竜神山の斜面に横たわる黒竜から更に離れつつ、オルガはこちらへ迫る風竜へ顔を向けた。二頭からの魔法攻撃は厄介なので、オルガの判断は至極妥当だろう。
黒竜は俺たちの方は見上げておらず、首から鮮血を流しながら立ち上がっている。
あの出血量だと、そう遅くないうちに死ぬだろう。
疾速で空を駆け上がる風竜は風魔法で俺たちを攻撃してくる。
〈魔球壁〉は突破されないが、余波で気流が乱れまくり、オルガは上手く飛べないようだった。その隙に黒竜はおそらく〈反重之理〉で垂直方向に浮き上がると、山の傾斜に沿うように再びの落下飛行で逃走し始めた。
風竜は風魔法を連発しながら俺たちに噛みつこうとしてきたが、荒れ狂う風の中でオルガはなんとか躱して見せる。すれ違い様に直近から覗き見えた風竜の瞳には敵意など生ぬるい剣呑な光しか宿っていなかった。
「ローズ、〈魔球壁〉を解け」
オルガは沸々とした魔力波動を放ちつつ、俺の腹を叩いてきた。
ちょうど風竜は俺たちに背を向けて、二百リーギスほど斜め上空を今まさに旋回しようとしていた。
再び風魔法を連発しながら凶悪な牙で襲う腹積もりなのだろう。
「肝を気にしねえで良いなら、全力でやってやる」
呟くオルガの魔力が急激に高まり、上空で横っ腹を見せている風竜の姿が陽炎のようにぼやけ始めた。次第に歪みは大きくなり、数秒で虚空に炎が現れて、太陽となった。
もうそうとしか表現のしようがなかった。
今さっきまで風竜がいた場所を中心に、直径五十リーギスほどの巨大な焰球が浮遊しており、翠緑の竜など影も形もない。煌々と輝く炎の塊は粘性でも帯びているような質感が見られ、紅く、白く、強烈な熱波を振りまきながら中空で音もなく燃えている。
十数秒ほどで巨大な焰球は空気中に溶け入るように消えた。
後には何もない。
風竜などどこにもいない。
ただ上空に重量感溢れる黒雲ができ始めているだけだ。
「…………え?」
「やっぱ殺すだけなら一撃だったな」
え、あれ?
まさか、一撃死しちゃったわけ?
さっきまでの苦労は……?
俺たち二人で、あんなに頑張って黒竜を追い詰めてさ……。
うん、いやね、もちろん分かってるよ?
ただ殺すだけの方が簡単だろうし、オルガは聖天騎士だ。
だから真竜が一撃で滅却されても、まあ納得できなくはないよ。
でもさ、さすがにこんなん見せられたら、俺っていったい何なんだって話になるよね。
今の魔法は火属性覇級魔法〈溶焰炉〉だろう。
〈陽焰〉の大規模版であり、こちらは狙い定めた地点に現象させられる。千頭近くいただろう竜たちを全滅させた戦級魔法〈猛爆掃討〉よりは下位の魔法で、効果範囲は幾分も劣るが、その威力は目にした通りだ。
通常、覇級魔法の消費魔力は特級の二十倍ほどらしいが、全力でやってやるって言ってたし、今のは間違いなく二十倍ではきかない量の魔力が込められていた。たぶん戦級魔法の方では魔力を節約して、堕ちる程度に威力を調整していたのだろう。
「……やっぱり私、かなり足手まといでしたよね」
「あ? いや、そうでもなかったが」
姐御は俺を気遣ってか、否定してくれるが、間違いなく俺は足を引っ張っていた。俺を抱えていなければ高速で複雑な機動の飛行が可能だったろうし、俺の身の安全を気遣わないでいい分、もっと多様な戦術がとれていただろう。
なにせ俺が使える魔法はほとんど全て、詠唱ありでならオルガも使用できるのだ。更に火属性魔法なら詠唱は省略できるから、同時行使も可能だ。
「とりあえず、黒竜の方いくぞ。念のため〈魔球壁〉頼む」
「……あい」
言われたとおりに半透明のバリアを張って、俺は下方に目を向けた。
黒竜の姿は……まだ見える。
オルガは両翼で大気を蹴って、真っ直ぐに黒竜へと接近していく。
あっという間に距離を詰め、あと五十リーギスほど……というところで、黒竜は岩陰に消えてしまった。
「洞窟か」
上空からは見えなかったが、岩陰の向こうには大きな穴が空いていた。
入口はちょうど竜一頭が入れるような幅で、中は真っ暗だ。
「というか、この位置と高度って……大量の竜がいたあたりじゃないですか?」
「やっぱあいつらが真竜の住処を守ってたってわけか。まあいい、とりあえず光魔法で中の様子を見てみるぞ」
俺はバリアを解除して、大幅に威力を落とした〈大閃光〉を炸裂させた。数秒だけ暗闇が払われて中の様子が鮮明になる。
入口から二十リーギスほど先のところで、黒竜が横たわっているのが確認できた。その奥は壁のようで、何もない。
「あれは……死んでるか?」
「少なくとも魔力は感じません」
未だ洞穴の入口付近の空中に留まりながら、今度は〈火矢〉を放ってみた。燃え盛る一本の矢は暗闇の中を奔り、黒竜の尻あたりに命中する。
が、反応はない。
「住処で傷を癒そうとでもしたのかね。だが辿り着いたところで息絶えたと」
「なんか……私たちがやっておいて何ですけど、ちょっと可哀想ですね」
「たしかにオレ等が殺したが、あいつがオレ等より弱いから死んだんだ。気にすることはねえよ」
オルガは俺の頭をポンポンと撫で叩きつつ、洞窟の入口に着地した。
ドッキングを解除して、俺も地面に降り立ち、初級光魔法の光を片手に灯す。
久々というほどでもないが、やはり空中にいるより自前の足で立っていた方が落ち着くな。
「あんま気抜くなよ、オレの側を離れるな」
一緒に奥へと歩いて行き、黒竜の死体の側に立つ。
オルガは自分の剣を鞘に収めると、代わりに俺の魔剣の柄を手にして、紅い光刃を形成した。そして躊躇いなく尻尾に突き刺す。
十秒ほどで竜鱗を貫通し、刃が中程まで見えなくなるが、やはり黒竜は微動だにしない。死んだふりでもなく、完全に息絶えているらしい。
「良し、んじゃ肝を取り出すか」
俺は魔剣を手渡され、オルガと並んで大きな胴体の横に立った。
腹を地面につけて俯せになっているので、肝の摘出には苦労しそうだ。
ふと黒竜の頭部に目を遣ると、戦闘中に見た様子からは想像もできない、安らかな死に顔を晒していた。
「ん?」
「おい、どうしたローズ」
何か白いものが見えて、俺は頭のある奥へと足を進めてみた。
すると、やはり見間違いでも何でもなく、黒竜の鼻先から数リーギスのところに、楕円形の白い塊が三つ並んでいた。
「まさか……」
それは紛うことなく、卵だった。
竜の、卵だった。