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幼女転生  作者: デブリ
五章・竜人編
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第六十九話 『万死を出でて仮面に遇う』


 拠点に戻って、数時間。

 交代で眠っていると夜が明けた。


「肉来ねえな……仕方ねえ、メシにするか」

「そうですね」


 朝日に夜闇を払われ、徐々に青々と色づき始める空の下、俺たちは朝食を摂っていく。周囲は森だが、いつも通り警戒エリアを作っているので見晴らしは良く、現在はちょっとした広場の中心で切り株に腰掛けている。


「食べられる魔物って、この辺にはいないんでしょうか?」

「さてな、さっき襲ってきた奴も食べられねえって訳じゃねえが、酷い味だからな。火竜か地竜でも来てくれりゃあ、腹一杯に肉が食えるんだが」


 もう半日近く、竜には襲われていない。

 この辺りの竜は狩り尽くしてしまったのだろうか?

 あるいは俺たちを脅威だと認定し、これ以上の被害を出さないために、迂闊に手を出さなくなってきたのか。理由は不明だが、にくが来てくれないと腹一杯にエネルギーを補充することができない。


「ところでオルガさん、これからどうしますか?」

「当初の予定じゃ、一度船に戻るつもりだったが……どうすっかな」


 オルガは堅焼きパンに齧り付き、水を飲んで数回噛み、嚥下した。

 この堅焼きされた黒パン、栄養価と保存性重視なためか、はっきり言って不味い。それに中身がぎっしり詰まって硬いから、奴隷時代を思い出す。


「やっぱ一度戻った方が良いか。ローズもオッサンと真竜狩る前に一度戻るって約束したんだろ?」

「それは、そうですけど……」


 正直なところ、やはりオルガがいる現状、ユーハを同行させるメリットは少ない。


 真竜には八種類いるらしく、飛べない真竜は地竜と水竜だけだという。

 ユーハは地上戦オンリーなら頼りになるだろうが、空中戦となると話は別だ。水中戦をする気は当然ないので水竜を除外すると、空中戦になる確率は七分の六だ。


「ローズの言いてえことは分かるけどよ、何にしても一度戻った方が良いだろうな。食料にはまだ余裕あるが、補充しておくに越したことはねえ」


 気のせいかもしれないが、俺は微妙にオルガの様子に違和感を覚えた。

 いや、これは俺の思い込みからくる錯覚かもしれないが……。

 とにかく今はハッキリさせておく必要がある。


「オルガさん、私を船に置いて一人で真竜を狩りに行くのはなしですからね」

「……さすがに察しが良いな。寝不足の今なら誤魔化せると思ったんだが」


 オルガは悪びれた様子もなく肩を竦めた。


「オルガさんっ」

「んな顔すんなって。頭の良いお前なら、オレの言いてえことは分かるだろ?」


 この姐御は俺の身を案じている。

 それはもちろん分かっているつもりだが、納得はできない。


「ただの竜なら一人でも倒せるんです。足手まといにはなりません」

「いや、互いのためにハッキリ言うが、足手まといだ。人ひとり抱えて飛びながら戦うってのは結構な重労働なんだぜ? しかもお前と密着してっから、迂闊な行動はとれねえ」

「それはそうかもしれないですけど……ですが、真竜は無詠唱で魔法を使うといいます。きっと魔動感は竜にも反応するはずなので、役に立つはずです」


 隣の切り株に座るオルガを見つめ、俺はやや身を乗り出しながら力説した。

 するとオルガは「かもな」と小さく頷くが、すぐに鋭い眼差しでこちらの目を見返してきた。


「だが、それを差し引いても足手まといだ。分かるだろ? オレはクレアと約束したんだよ。お前が側にいちゃ、気になって全力で戦えねえ」

「ですから、その分は私が――」

「埋め合わせるって? 確かにお前は強いが……あんま自惚れんなよ」


 優しさの欠片もない、非情なまでに冷たい声でぴしゃりと言われた。

 俺は思わず口を噤んでしまう。


「こっからはオレ一人に任せてもらうぜ、ローズ。お前はもう十分に良くやった」


 オルガは一転して気さくな笑みを見せて、俺の頭を撫でてきた。

 

 もしかしなくても、オルガは真竜を狩ることになる可能性を考慮していた時点で、一人で戦うと決めていたのだろう。俺は初めから真竜を狩ると言っていたし、そのためにカーウィ諸島を訪れた。だから普通に説得しても俺が聞き分けないと思ったのか、オルガは騙し討ちのように俺を船に置いて一人で行こうとしたのだ。


「……でも、私も一緒に狩らないといけないんです」

「なんだ、例の神のお告げとやらを気にしてんのか? 協力者の同行を一人だけ認めるって言われたんなら、その協力者に全部丸投げしたって大丈夫だろ。直接真竜と対峙しろとは言われてねえんだろ?」

「それは……言われてないですけど」


 真竜狩りをオルガ一人に任せて、俺は悠々自適に船上で待っている。

 それでも良いのなら、俺としてもそうしていたい。

 実際、先ほどオルガの言った足手まとい云々は真実だろう。俺を抱えた状態では機動性は格段に落ちるし、体力の消耗も激しくなり、戦いに集中できない。

 俺が戦力に加わるとメリットは存在するが、デメリットの方が大きいと言われれば、そうなのだろう。


 しかし、アインさんは俺に真竜を殺せと言った。

 俺が戦いに参加しないと、何か良くないことが起きるかもしれない。アルセリアの抗魔病が神の仕業ではない可能性が高いとはいえ、油断はできない。


「しがみついてでも一緒に戦います……って言っても、ダメですか?」

「ダメだ、ローズは船で待ってろ」


 即答するオルガの様子を見ていると、もう何をどれだけ言っても説得されないだろうことが、嫌でも分かってしまった。

 俺はしばらく黙考し、悩んだ。

 が、結局は大人しく頷くしかなかった。


「……分かりました」

「おう、真竜のことはオレに任せとけ」


 オルガは力強く頼もしい声でそう言ってくれるが、不安感を拭いきれない。

 それでも状況的に、オルガが俺の参戦を認めてくれないのなら、俺にはどうすることもできない。

 飛べない魔幼女はただの魔幼女だ。

 闇魔法と風魔法を組み合わせれば空中移動もできないことはないが、危険だし機動性なんてほとんどない。

 

 こうして不本意な今後の方針が決定し、朝食を終えた俺たちは船へと帰還するため飛び立って行った。




 ♀   ♀   ♀




 ひとまず、来た道を引き返すことになった。

 天竜連峰の方へと飛んで行き、その後に山地の東側へ回り込んで、海へと出る予定だ。なるべく同じルートを辿らないと、上手く船を発見できない可能性が高くなるからな。


 白竜島に上陸して、今日で四日目だ。

 本日は快晴で、青々とした空をオルガと一緒に飛んで行く。

 案の定、飛行中はやることがないので、俺は寝た。

 

 昼頃、鬱蒼とした緑の海――アズマ樹海の上空を飛んでいるとき。

 遙か前方に窺える山々の連なりから三つの点が射出され、それが次第に大きくなっていることに気が付いた。

 ややあって若葉色の鱗が確認できるようになり、微かに咆哮が響いてきた。


「やっぱあの山に近づくのがダメっぽいな」

「みたいですね」

  

 俺たちは連中を認識しても、慌てふためいたりはしない。

 正直なところ、俺はまだ少し怖いと思っているが、姐御がいるから余裕は保てている。


 風竜たちは途中でばらけ、正面、右斜め前方、左斜め前方の三方向から俺たちを襲撃する気でいるらしかった。

 三頭ともあと十秒くらいで有効射程内に入るな……と思って心の準備をしているとき、不意に斜め下方から二度、重低音の雄叫びが聞こえてきた。ちらりと目を向けてみると、右斜め後方と左斜め後方から火竜の赤々とした威容が確認できる。

 今し方、眼下の樹海から飛び立ってきたようだった。


「おいおい、挟み撃ちか?」

「もしかして、待ち伏せして機を窺っていたのかも……」

「ま、だからどうしたって話だけどな」


 この分だと五方向から一斉に襲い掛かられるだろう。

 だが、問題はない。

 五頭が十頭になろうと、俺たちなら片付けられるはずだ。


 二人で上級魔法やら特級魔法やらを連発し、五頭の竜は呆気なく堕ちた。

 風竜も火竜も、この高度なら片翼だけでもどうにかすれば、あとは墜落死してくれるだろうから楽だ。

 そろそろ昼食の時間だったので樹海に降り、大きく横たわる火竜の肉を胃に収めた。


「今回ので……合計して何頭狩りましたっけ?」

「さてな、もういちいち数えてねえよ」  


 えーっと、昨日の時点で二十五頭だったと思うから、これで三十頭か?

 四日でこの数は多いのか少ないのか分からないが、いずれにしろ俺一人だったら今頃は死んでたな。


 お昼休憩後、スリリングな空の旅を再開した。

 日が沈む頃には天竜連峰東部の森まで来られて、本日はそこで休息となった。

 尚、昼からそれまでに計十三頭の竜に襲いかかられたが、悉くを撃退した。


「つか、なんか数が多くねえか?」

「ですね、一日目はこんなに襲われませんでしたし」 


 警戒エリアを作成し、焚火を起こして地竜肉を食っていく。


「あの、オルガさん、やっぱり私も一緒に行った方が良くないですか? きっとあの山地に入れば、間違いなく今日以上の頻度で襲撃されますよ。真竜を発見したときには魔力が心許ない……って状況になったら不味いですよね」

「問題ねえよ、一人になったら剣で片付けてくからな。翼を切り落とせば良いだけだから、楽勝だ」


 オルガは余裕の笑みを口元に浮かべ、それから豪快に肉にかぶりつく。

 その粗野な食事風景や普段の言動を見ていると、どこにでもいそうな女猟兵にしか見えないが、彼女は聖天騎士様だ。

 《蛇焰剣》という二つ名から分かるとおり、本来オルガは火魔法と剣を駆使して戦う。館にいたときにユーハと模擬戦しているところを見せてもらったことがある。剣だけだとユーハには及ばないようだったが、オルガはこれまでの竜退治で剣が有効かどうか幾度か試しており、その有用性は証明されている。

 

「あ、そういや魔剣貸してくれ。解体すんのに必要だからな」


 これまでも肉の切り出しには魔剣を使っていた。

 肝を取り出すときも当然必要だろう。


「ところで、オルガさんって水魔法も使えますよね?」


 俺は腰のスリングに吊り下げてある魔剣の柄を手渡しながら、念のために訊ねてみた。


「問題ねえ、使うだけなら水魔法だろうと特級まで使える。ま、ローズほど巧くは扱えねえし、特級だとたまに失敗することもあるが、普通に凍らせるくらいは訳ねえよ」

「なんだ、訳ないんですか……」

「おいコラ、なに残念そうな顔してんだよ。ローズは連れてかねえぞ」


 肝の冷凍保存役としても、俺の役目はなさそうだった。

 やはり俺は船上でクール姐御便の到着を待つしかないようだ。

 決して自惚れるわけではないが、真竜戦は俺も役に立ちそうなんだけどな……。

 

「ん、また来やがった」


 ふとオルガは完全に日の沈んだ星空を見上げ、立ち上がった。

 俺はすぐにオルガの近くに駆け寄って、間もなく現れるであろう火竜の襲撃に備えた。




 ♀   ♀   ♀




 夜が明けて、五日目。


 俺たちは交代で睡眠をとっていたが、快眠とはほど遠かった。

 昨日は日が沈んでから計十九頭もの竜たちに襲われた。

 火竜が十六頭、地竜が三頭で、これで合計四十九頭だ。

 接近に気が付いても、もう面倒だったので場所は移動せずに迎撃した。

 

「ここにある竜の鱗やら角やら爪牙そうがやらを全部持って帰れば、一攫千金どころの話じゃねえぞ」


 拠点の周囲は竜の死体で囲まれていた。

 火竜のファイアブレスのせいで木々が燃えたせいもあり、地上から周囲を見回す限り、ここが緑豊かな森とは思えない。

 竜たちが横たわっているおかげで魔物は近寄ってこないし、そもそも周辺の生き物は夜間の戦闘でとっくに逃げ出しているだろう。

 

「やっぱり竜の素材は高く売れるんですか?」

「まあな、ここにしか棲んでねえし、竜狩りは一苦労だからな。行き帰りには水竜の危険もあるから竜の素材は何でも貴重品だ」


 竜人と違って、竜の鱗は身体から剥がしても脆く崩れ去ったりはしない。

 鋼鉄のように頑強な爪牙は武具に加工され、竜鱗は防具の素材として重宝されるらしく、特に地竜の鱗は火竜や風竜に比べて一段と硬質だ。それらの素材で鎧でも作れば、並の剣なら完全に防ぎきるだろうし、逆に相手の剣を刃こぼれさせるだろう。


「でも、魔法士がいれば割と簡単に狩れそうですけどね」

「お前な……普通はこんな簡単に竜ってのは狩れねえんだぞ? 特級魔法が使える魔法士だろうと、巧く行使しなけりゃ鱗を貫いて傷を負わせられねえ。三大流派の戦士だろうと、最低でも特級の腕前はねえとまともに攻撃を通せねえだろう」

「実際戦ってみると、あまりそうは思えないですけどね」

「それはオレ等がこいつらより強いからだ。いいか、決してこいつらが弱い訳じゃねえ、オレ等が強すぎるんだ。そこを履き違えるな」

 

 なんだか割と真面目な口調で言われ、俺は素直に頷いておいた。

 オルガは首筋を揉みほぐしながら、呆れたような、困ったような顔で俺を見下ろしてくる。


「どうにもお前は世間の魔法士についての常識ってのが欠如してんな……いや、頭では分かってんだろうが、実感できてねえのか? ま、あの館の連中と一緒に辺鄙な場所で暮らしてりゃ、そうなっても無理はねえが」

「あの、参考までに聞きたいんですけど、竜を倒せる魔法士ってどのくらい凄いんですか?」

「あ? そうだな……実力だけで言えば、オレ等のとこだと聖光騎士の称号がもらえるくらいか? 実際は覇級以上の魔法使えねえと無理だが、仮にどっかの国に仕えてたりすっと、宮廷魔法士とか近衛騎士団長とか、そんなもんだろうな」

「…………」


 思った以上に凄かった。

 ちなみに聖天騎士団における聖光騎士とは上から三番目の位らしい。

 頂点が聖天騎士で、その下に従天騎士、聖光騎士、従光騎士、聖白騎士、従白騎士、正騎士、従騎士と続くそうだ。


 オルガの言うとおり、どうにも俺の常識は少し狂っているようだ。

 いや、もちろん知識としては知っているつもりだが、そこに実が伴っていない。

 メルが一般レベルだとは理解しているものの、彼女は魔女だ。魔女は並の魔法士より魔法力が上なので、やはり通常の世間一般レベルというやつを理解しきれていない。

 

「ローズみてえなガキがサクッと竜を狩れてりゃ、とっくに全ての竜は狩り尽くされるっての。そもそも竜人たちもここを安住の地としていなかっただろうぜ。つまりはそういうことだ、お前はもっと自分の力がどういうもんか、ちゃんと自覚しとけ」

「……はい」

「ま、だからって自惚れんのはダメだがな」


 俺は認識を改めた。

 あまり自覚したくはないのだが、俺の魔法力は天才といって良いレベルなのだ。

 ラヴィとエリアーヌから魔法を教わってからというもの、日々魔法の練習に励んではきた。しかし十分な才能があったからこそ、前世の知識や経験があったからこそ、竜を狩れるくらいになっているのだ。

 謙遜も結構だが、驕らない程度にきちんと自分の力がどういうものかを理解しておく必要はある。

 そういう意味ではここ数日の竜狩りは良い経験になったといえる。


「んじゃ、朝飯にするぞ」


 そうして俺とオルガはまたしても竜の肉を食って一日の活動エネルギーを補充していった。




 ♀   ♀   ♀




 ベルたちが待つ船――若葉号は毎日昼頃、魔物の死体を焼いて狼煙を上げてくれる。だから上手くその時間に合わせて飛んで行く必要がある。


 日が昇ってしばらくした後、俺たちは森から飛び立った。

 西の天竜連峰とは真逆のだだっ広い海原を見据え、ひたすらに東進していく。

 幸いにも空模様は良好なので、どれだけ進んだかは後方にそびえ立つ山々の大きさを確認すれば大まかに分かる。

 

「竜、来ませんね」

「去る者は追わずってか?」


 青空と青海の狭間を飛行するのは俺たちだけだ。

 海鳥の姿もなく、前方にはただどこまでも空と海が続き、色差から生じる水平線だけが真っ直ぐに伸びている。太陽は着々と上昇を続け、その位置と背後の山々をしばしば確認しつつ進行方向を修正し、船があると思しき地点を目指していく。

 こうして上空から水平線やら地平線を見ていると、この世界も惑星として成り立っていることが実感できるな。


「もし船が見つからなかったら、どうします?」

「どうもしねえよ、意地でも見つけてやる。いざとなったら上空から盛大に火魔法をぶっ放して合図を送ればいいさ」


 轟々とした風に煽られる中、頭上のオルガは頼もしく答えてくれる。

 だが俺はネガティブな思考を止められなかった。


「ですが、万が一ということもあり得ますよね?」

「そんときはそんときだ、一度戻ってまた明日様子を見に来れば良いだろ」 


 俺もポジティブに考えたいが、海と空以外に何もない場所を飛んでいると、なんだか無性に不安感を煽られる。

 ベルたちの船は水竜の縄張りに入っていないはずだし、彼らならこの辺りの魔物たちも対処できることは分かっている。

 しかし、万が一という可能性は捨てきれない。


 そんな心情のまま飛び続け、太陽が南中に達する頃。

 俺たちは海面に近づき後方を見て、微かに竜神山の頂が視認できる距離にいることを確かめた。

 

「この辺だな。あの山と陽の位置からして、距離も方角もだいたい合ってるはずだが……」


 再び上空に戻って周囲を見下ろしてみるも、海上に浮かぶものは何一つとして存在していない。

 青々とした風景の中に描かれているはずの、一条の狼煙も確認できない。


「ちょっくらこの辺を旋回してみっか」


 オルガの声音にはネガティブな響きなど皆無だ。

 更に上方へと飛翔して、緩やかに旋回しながら巨大な円を描くように飛行していく。俺は目を皿にして海面を見つめていくが……何もない。

 

「……オルガさん」

「潮に流されたか? 山は船からも見えてたし、ちょっと移動してみるか」


 竜神山との距離は保ちつつ、南西方向へと高空を駆けていく。途中で火属性上級魔法〈爆炎バ・ラトス〉を虚空に放ち、盛大な合図を送った。

 しかし、何もない。

 ただただ空と海の青さだけが世界を埋め尽くしている。

 俺は脳内で嫌な想像が膨らむのを抑えられなかった。


「あの、オルガさん……いないですよね?」

「…………可能性は三つある」


 オルガは百八十度の旋回を行い、今度は北東方向へ頭を向け、遊びのない口調で言った。


「一、連中がオレ等を見限って帰った可能性。だがこれはまずあり得ねえだろう。二、潮に流されすぎてオレ等が見つけられねえ可能性。これも可能性としては低い方だな。三、魔物か水竜に襲われて船が沈没した可能性。これが一番あり得るな」


 頭の中が白くなっていく俺に対して、姐御は冷静だった。

 

「とりあえず、今日はもう少し探したら戻るか。明日、明後日と探してもいなかったら、何か手を考える」

「…………」


 俺は何も言えなかった。

 ユーハやベルが死んでしまったかもしれない。

 その可能性が濃厚になってくると、何も言葉が出てこなかった。


 オルガはそれ以上のことは言わず翼を動かしていき、俺も黙々と海上に目を走らせて船を探す。若葉号の帆は風竜のような薄緑色だった。

 上空から見れば海原に若葉が浮かび、漂っているように見えるはずだ。

 

「……ない」


 喉が引き攣って、呟いた声は少し掠れてしまった。

 俺の脳裏にユーハ、ベル、船員のオッサンたちの姿が次々と浮かんでは消えていく……っていや違う、まだみんな死んだと決まったわけじゃない。

 しばらく北東方向へと進んでいたが、オルガはゆっくりと翼を左に傾けて、竜神山を前方に見据えた。

 そしてそのまま真っ直ぐに飛行していく。


「まだ探してみましょうっ」

「いや……今日はこれで引き上げる。往復するだけでも結構体力使うってのに、これ以上は疲労が溜まりすぎる。また明日探せば良い」 

「ですがっ!」

「そう焦んなって、心配すんな。仮に船が沈没してたとしても……まあオッサンたちは気の毒だが、仕方ねえよ。そういうこともあり得ると連中も分かってたはずだ」


 オルガの声はやはり落ち着いている。

 だが発言内容から察するに、姐御はもうユーハたちが全滅しているという最悪の可能性で思考していることが分かった。

 俺も、ユーハたちが死ぬはずないと思っている一方で、頭の冷めた部分では最悪の事態を受け入れかけている自分がいた。


 もしかしたら、神の仕業かもしれない。

 真竜狩りをオルガに任せることになったから船を消して……いや、俺の思考までは分からないはずだ。しかし結果的に、このまま船が見つからなかったら、真竜狩りは俺とオルガの二人で行うことになるだろう。

 オルガが一人で行けば、その間、俺は一人で襲い来る竜と戦う必要がある。

 姐御ならば置いていくより一緒に連れて行く方を選択するだろう。


 そう考えると、なんだか仕組まれているように感じてしまう。

 だが、もう今後は神のことを可能性から除外することにしよう。その気になれば、不幸なことは何でもかんでも神の仕業にしてしまえるからだ。

 いくら異世界とはいえ、これは現実なのだ。神という超存在がそうそう頻繁に介入してくるとは思えない。


「ユーハさん、ベル……」


 胸の内側が苦しくなった。

 罪悪感、不安感、喪失感、様々なマイナス感情がごちゃ混ぜになって心を圧してくる。

 そんなとき、ふと海面に違和感を覚えた。


「オルガさん、アレ」


 俺は指差しながら目を凝らした。

 左斜め前方の海面に何かが浮かんでいる……ように見える。


「あの大きさと形……小舟か? 誰か乗ってるように見えるな」

 

 訝しげに呟き、オルガは進路をそちらに向け直した。

 そして小舟と思しき海上の何かへ向かって、降下しながら一直線に飛んで行く。

 波間に漂うそれが帆のないボートであることは元より、その形状に見覚えがあることに俺はすぐ気が付いた。

 若葉号に積載されていた浜辺上陸用の小舟だ。

 

 小舟まで数十リーギスのところまで近づいたところで、全長三リーギスもないであろうボート上に誰かが横たわっているのが見て取れた。がっしりとした体格や背丈からして、カマ野郎ベルことヒルベルタだ。

 野郎はぐったりと横たわっており、俺たちがゆっくりと小舟の上に着地しても微動だにしない。


「ベルさん……?」


 へんじがない、ただのしかばねのようだ。

 っていや違う、なんか微妙に肩や胸が上下している。


「おい、オッサンッ」

「ベルさん!」


 俺とオルガはドッキング状態のままその場に屈み込み、肩を揺すった。

 すると、ぐったりと仰臥していたベルの目蓋が微かに震え、ゆっくりと開かれた。


「…………あぁ、とうとうレオンちゃんの幻まで見えちゃってるわ……アタシもここまでなのかしら……?」

「幻じゃないですよ、本物です」


 俺はベルの頭に水魔法を掛けてやった。


「ぶわっ……つ、冷たいわ……それにこの水、塩辛くないわ……」

「大丈夫ですか、ベルさん? 起きられますか?」

「え、えぇ……」


 ベルは半ば呆然とした様子でゆっくりと上体を起こした。

 化粧は酷く崩れていて、顔には生気が薄く、双眸にもつい数日までのような力強さがない。しかし、恐る恐るといった挙措で手を伸ばしてくると、俺の両肩をふわりと掴んだ。


「レ、レオンちゃん……?」

「あの、本当に大丈夫ですか? それに、一人でどうしたんで――」

「う、お、ぅおわあああぁぁっ、レオンちゃあああぁぁぁぁんっ!」


 号泣したかと思うと、いきなり抱きつかれた。

 ベルはオルガの背中に手を回して、むさ苦しく頬ずりしてくる。

 涙と化粧が混じった液体がヌメっとして汚ねえ……とは思うが、なんだかただならぬ様子なので、引き剥がすに剥がせない。


「なんなんだ、一体……」


 オルガは呆れた口調ながらも、そう呟く声音には真剣味が混じっていて、事態の深刻さを俺に実感させた。




 ♀   ♀   ♀




 ベルは三分もすれば落ち着いた。

 

「うぅ……二人とも無事だったのね……それにアタシのことを見つけてくれただなんて……あぁ、今日ほどアーレ様に感謝した日はないわ」


 デカい身体で正座して、指先で涙を拭っている。

 既にほとんどスッピン状態なので、そこそこ男前なオッサンが女々しい言動をしていると思うと、なんだかシュールだ。

 だが状況は全くシュールではない。


「で、オッサン、何があったんだ? なんでこんな小舟に一人で乗ってんだよ」


 対面に座るベルにオルガは至極真面目な声で問いかけた。

 ちなみにまだ俺と姐御はドッキング状態を保っている。


 ベルは鼻をすすると、背中を丸めて足下に視線を落とした。


「船が沈んでしまって、それでみんながアタシを逃がしてくれたのよ……う、うぅ……あの子たち、みんな……ぉわあああああああああっ!」


 両手で顔を覆い、慟哭の叫びを上げるベル。

 どうにも要領を得ない。

 とりあえず水でも飲ませて落ち着かせよう。


「ベルさん、水です」

「あぁ、ありがとうレオンちゃん……やっぱり優しいわね……」


 どこからともなくコップを出して手渡したのだが、ベルは気にする余裕もないのか、水を一気飲みして大きく息を吐いた。


「ふぅ……ごめんなさい、取り乱しちゃって。でも、本当に良かったわ、二人は無事で」

「あぁ、オレ等の方は問題ねえよ。で、オッサンたちはどうしたんだ? 船、沈没しちまったのか?」

「……えぇ、そうなの。昨日の朝のことよ。いきなり水竜が現れて、船を壊されて……それで、みんなはアタシを逃がそうとしてくれて……」


 ベルはもの悲しげに目を伏せてぽつぽつと語る。

 この小舟を発見したときから予想はしていたが、いざ聞かされるとやはり多大なショックを受けた。

 

「まさか島に近づいていったのか?」

「いいえ、あの辺りを漂っていたわ。近づきすぎず、離れすぎないようにちゃんと距離を保っていたのだれけど……」


 それでも水竜が現れた。

 アルセリアの話によると、水竜の海域はもっと先のはずだ。三日は水竜に襲われなかったことを鑑みれば、縄張りには入っていなかったと考えられる。

 それなのに、水竜に襲撃をかけられた。


「ユーハさんは……? ユーハさんはどうなったんですか?」

「ユーハちゃんは……水竜と戦って、海に流されてしまったわ……」


 詳しく話を聞いてみると、こういうことらしかった。


 朝方、魔物を警戒しつつものんびりしていると、急に水竜が襲いかかってきた。

 全員で応戦するも水竜は強力で、魚人の護衛たちは襲撃前に全員やられていて、船は水ブレスの一撃で半壊し、翼人たちは撃墜され、たちまち絶体絶命に陥ったそうだ。残った全員でなんとか水竜を倒そうとしたらしいが、あとは海戦に不向きな獣人と人間しかいない。

 形勢の圧倒的不利を悟った全員はベルを小舟に乗せて戦域から離脱させ、ユーハたちは水竜を引きつけながら不安定な足場で奮戦したらしい。

 仲間はどんどん海に呑まれていき、最終的にはユーハが水竜にとどめを刺したようだが、そのときには既にベルはかなり離れていて、良く分からなかったそうだ。

 小舟を漕いで戦域まで戻ってみるも、後に残っていたのは何人かの死体と船の残骸が浮いているだけだったとか。


「…………」


 しばらく、俺たちの間に波音だけが静かに流れた。

 

「……昨日ってことは、オレ等が出発して三日後ってことだろ? 船が沈んでから今まで、オッサンは水竜にも魔物にも襲われなかったんだよな?」

「えぇ、なんとか島の方へ行こうと、舟を漕いでいたのだけれど……みんないなくなっちゃって、水も食料もなくて、いつ襲われるのかと思うと不安で、それにこの日差しの下にいると頭がクラクラしてきちゃってね。もうダメかもしれない……と思っていたところに、貴女たちが来てくれたのよ」

「昨日から水竜には襲われてないってことは、やっぱこの辺でもまだ水竜の縄張りじゃねえってことだ」


 オルガは冷静だった。

 背中に姐御の豊満な柔らかさと温かさを感じていると、俺の乱れた心も次第に落ち着いてくる。


「つっても、海やら空やらの縄張りなんて、どうせ曖昧だ。たまたま散歩か遠出でもした水竜に発見されて襲撃されたって考えるのが妥当だろうな」


 きっとそうなのだろう。

 なんだかんだ言っても、ここはカーウィ諸島からほど近い海域だ。

 海だから縄張りだって明確に設定されているわけではないだろうし、水竜が常に一定範囲内で生活しているとも限らない。

 

 このときようやく、やはりカーウィ諸島は危険なのだと実感した。

 俺もオルガも風竜、火竜、地竜を撃退できていたが、それは俺たちが特別強かったからだ。それに海上では水竜が水面下から襲いかかってくるので、陸や空より遙かに接近に気づきにくい。周りは全て水なので、船をやられれば足場がなく、魔法の使えない戦士たちには不利極まりない状況に陥る。

 

「ま、とりあえずこっから離れるぞ。いつまた水竜やら魔物に襲われるか分かったもんじゃねえからな」


 オルガは立ち上がり、毅然とした声で言った。

 一方、ベルも表情は暗いが、それでも微かな笑みを覗かせた。


「そうね、こうなったら早く島に戻った方が良いわ。船の上よりは安全だろうから……ミランダちゃん、レオンちゃんのことは頼んだわよ」

「んなこと言われんでも分かってるっての。おら、いいからオッサンも立て、さっさと行くぞ」


 ベルはオルガを見上げ、虚を突かれたように目を見開き、眉をひそめた。


「行くって……さすがに二人も抱えては飛べないでしょう? アタシはこのまま舟を漕いで島を目指してみるわ。二人と会えて元気が出たもの、絶対に諦めないわ」

「その根性は結構だが、オッサンにも空から行ってもらう。ローズ、〈霊引ルゥ・ラトア〉でオッサンを引っ張り上げ続けられるか?」

「あ、はい、たぶんできます」


 俺とオルガの遣り取りを前に、ベルは「……ローズ?」と更に首を捻っている。

 事ここに及んで魔女であることを秘密にし続けておく理由はないので、本名でも問題はない。

 

「すみません、ベルさん。実は私たちは魔女なんです。私も本当はローズという名前で、こちらはオルガさんです」

「まあ……!」


 先ほどのコップに再び水を注いでやると、ベルは口元に手を当てて驚きを露わにしながらも、水を飲んだ。

 ベルは昨日から海上で水なし生活をしていたので、脱水症状を起こしているかもしれない。飛ぶ前に水分を摂らせておいた方が良いだろう。


 三杯ほど水を飲むと、ベルは俺とオルガの顔を交互に見て、納得したように頷いた。


「そうだったのね……だから無事に島からも戻ってこられたのね。でも、まさかレオンちゃ――いえ、ローズちゃんが魔女だったなんて! ぴったりな名前だわっ!」


 少々興奮したように言いながら、熱視線を送ってくるカマ野郎。

 さっきまで少し落ち込んでいたが、幾分かは明るさを取り戻した……ように見えるが、実際はまだショックだろうな。

 

 何はともあれ、さっさと島に戻ることにした。

 まずは俺とオルガが飛び立ち、小舟の数十リーギス上空で待機する。次に闇魔法の〈霊引ルゥ・ラトア〉で海上のベルを空中へと引っ張り上げた。


 この〈霊引ルゥ・ラトア〉という魔法は〈極重暴圧ル・クーダ〉同様、魔力を有するものにしか作用しない。

 引き寄せる力は行使者が注ぐ魔力量と、対象物が保有する魔力量で上下する。

 電磁石のようなものだと考えれば分かり易い。

 対象物=鉄、行使者=電磁石だ。


 対象の保有魔力量は鉄で例えるところの質量であり、多ければ多いほど重たくなるため、引き寄せるには多大な電磁力=魔力(魔法力)が必要となる。

 逆に、対象の質量=保有魔力量が少なければ、それだけ軽くなるため、引き寄せるには少量の電磁力=魔力(魔法力)で事足りる。

 これは〈霊斥ルゥ・ルペリ〉の場合も同様で、相手の魔力量が多ければ多いほど、魔法が効きにくいとされている。闇魔法だけでなく、対象に直接作用するような魔法に対しては魔力量が多ければ、あるいは魔法適性が高ければ、それだけ耐性が高くなるのだ。

 だから俺なんかはこの種の魔法には非常に高い耐性があるといえる。

 

 しかし、〈霊引ルゥ・ラトア〉は磁力と決定的に異なる点が一つある。

 行使者は磁力=魔法の影響を受けないのだ。

 対象物だけを引き寄せたり、引き離したりすることができるため、行使者は何らの影響も受けない。〈魔弾ト・アルア〉や〈氷槍リベャ・ルィア〉の射出にも反動が生じないこと然り、魔法には反作用がない。だから対象物を上から引き上げても、その反作用で下から引かれることがないため、重さを感じないのだ。

 

「あぁ、浮いてるわ……っ! 凄い、凄いわよローズちゃん! これローズちゃんがやってるのよね!?」

「そうですよ」


 俺はベルを身体の前に固定した。

 対象物であるベルには重力が働いているが、行使者である俺に反作用はないため、オルガは俺一人分だけの重さしか感じていない。


 これを使えばユーハも白竜島へ連れて行くことはできたし、ディーカからオルガと一緒にクロクスまで行くことも可能だった。

 しかし、この方法は結構リスキーなのだ。

 なにせ飛行中は常に集中し続けておく必要があるし、今の俺には特級魔法を同時行使することができないという欠点がある。

 それでも今になって思えば、やはりユーハも一緒に連れて行けば良かった……。

 尚、凡百の魔法士は俺や姐御より魔力量が格段に少なく、魔法適性も低いので、単位時間当りの消費魔力も増える。つまり何時間も常時行使し続けることが不可能なので、この方法は一般的ではない。

 

「風竜が来たら、オルガさんお願いしますね」

「あぁ、任せとけ」 


 こうして、俺たちは三人で白竜島へと戻っていった。




 ♀   ♀   ♀




 白竜島に戻るまでに九頭の風竜と一頭の火竜が襲いかかってきた。

 しかしいずれも姐御の魔法力に屈し、敢え無く墜落していった。

 

 ひとまず天竜連峰東の森に降り立って、いつも通り警戒エリアを作ってから腰を落ち着ける。

 元気のないベルのために、俺は野郎の隣に座ってやった。


「なんだか、もの凄くたくさん来たわね。でもオルガちゃん、どれもすぐに倒しちゃって……」


 ベルは少し困惑しているようだった。

 だがそれも無理なきことだろう。

 計十頭の竜に襲われて生きている現状は、おそらく普通ではないのだ。

 オルガの言うとおり、俺たちのような者がごろごろいたら、カーウィ諸島が竜人族の楽土にはなっていまい。


「この前のときより数が倍近かったな……人数が増えたからか?」


 オルガは切り株に腰掛け、肩を回しながら一人思案げに呟いている。

 しかしすぐに首を左右に振って小さく吐息すると、豊かな胸の下で腕を組んだ。


「何にせよ……これからのことだ」

「あっ、そうよ、これからどうしましょうか。船もなくなっちゃったし、帰るにしてもどうやって帰れば良いのか……」


 不安の色を覗かせたベルに、オルガは昨日と変わらぬ力強い声で言う。


「いや、まずは目先の問題からだ。帰りについては後で考えれば良い。あの地下の転移盤を使ってみるなり、船を探して奪うなり、方法はある」

「転移盤?」


 何も事情を知らないベルに、オルガはこれまでのことを簡単に説明していった。

 潜入調査で治療法が分かったこと、真竜を狩る必要があることなど、一通り話し終えると、ベルは驚きを露わにした。


「そんなっ、真竜を狩るだなんて、危険すぎるわ!」

「危険だろうが何だろうが、やるしかねえんだよ」

「で、でも、それじゃあローズちゃんはどうするの!?」

「それが問題だ」


 二人して俺に目を向けてきた。

 だが俺は特に何の反応も返さない。

 いや、返せなかった。


 ユーハがいない。

 海に流されたといっていたが、十中八九……死んでいるだろう。

 あの地点から白竜島まで泳いで行くなど、さすがのユーハでも体力が保つとは思えないし、水棲魔物や水竜の脅威がある。

 無事でいるはずがない。


「……ぅ、っ……ぅぇ」

「ロ、ローズちゃん!? どうしたの!?」


 ベルが慌てた様子で俺の肩に手を添えてくる。

 しかし、一度決壊した涙腺は止めどなく感情を溢れさせ、俺は苦しさのあまり膝を抱えて丸まった。


 俺のせいだ。

 俺が同行してくれと頼んだから、ユーハは死んでしまったんだ。

 オルガがいる以上、ユーハが来る必要はなかったのに。ベルは信用できるオカマだし、俺たちを置いて帰るなんてことはあり得なかっただろうから、船の見張りも必要なかったと今ならば分かる。

 あの日の朝、ちゃんとユーハに言っていれば良かった。せっかく鬱もだいぶ薄れて、ようやくオッサン人生の第二部が開幕するというときに……。


 ユーハだけでなく、ベルの仲間たちも死んでしまった。

 あまり話はしなかったが、みんな気の良い連中だった。

 なのに俺のせいで……死んでしまった。


 もうユーハやあの連中と話せないのだと思うと、頭の中がぐちゃぐちゃになって、訳が分からなくなる。ポッカリと心に穴が開いて、その空虚さを補うように際限のない悲しみが生まれ、意思に関係なく涙が溢れ出てくる。

 リタ様のときも悲しかったが、今回はそれ以上だ。

 四年近くも一緒に過してきて、剣を教えてもらったり、猟兵として一緒に出掛けたり、話だって色々した。ユーハというオッサンは俺の中で存外に大きな存在だったのだと、このときになって初めて自覚した。


「く、っ……ぅ、ごめんなさい……ごめんなさぃ……」

「あぁ、そんな、ローズちゃんが謝ることなんて何もないわっ」

「で、でも……私のせいで、私が、カーウィ諸島に行くって言ったから……」

「違うわよ、たしかに切っ掛けはローズちゃんだったけれど、みんな自分の意志で来たのよ。絶対にローズちゃんのせいなんかじゃないわっ」


 膝頭に顔を埋める俺を、ベルはそっと抱きしめてきた。

 

 一年以上前、サラがチェルシーの死を自分のせいだと言い、自室に引きこもったことがあった。あのときのサラがどんな気持ちでいたのか、今なら嫌と言うほど実感できる。

 しかしサラの場合は《黄昏の調べ》という明確な元凶があったが、今回はそんなものない。原因は俺だ。

 

 クレアがあれほど心配してくれた理由も、今なら分かる。

 きっとクレアにとって俺という存在は、俺にとってのユーハ以上の存在だったに違いない。かつてチェルシーという家族の死を経験した彼女にとって、こんな悲しみは二度と味わいたくなかったことだろう。

 クレアには本当に悪いことをしてしまった。

 ちゃんと謝らないといけない。

 そしてちゃんとアルセリアを助けないといけない。

 

「ぅう、ぐ……っ、ぅ」


 今は悲しみに暮れるより、これからどうするかを話し合うべきだ。

 せめてアルセリアを助けなければ、全てが無駄になってしまう。

 だから今はとにかく行動しなければいけない。

 頭の片隅ではそうと分かっているのに、俺の心は全く落ち着いてくれなかった。

 

「…………」

「…………」


 オルガもベルも何も言わず、ただ黙って俺が泣き止むのを待っていてくれる。

 二人とも大人だ。

 特にベルは一気に仲間を失って、これから先のことだって不安だろうに……。

 自分の未熟さが嫌になる。

 リタ様のときで人の死がどういうものか知ったつもりでいたが、全然分かっていなかった。何年も一緒にいた人がいなくなる悲しみは到底言い表すことのできない激情だ。

 せめて遺体をこの目で確認して丁重に葬ってやりたいが、それすらできない。

 

「誰か来るぞ」


 不意に、オルガはやや鋭い声音で言いつつ切り株から腰を上げた。

 俺もオルガの視線を追って、警戒エリアの先に広がる緑を見た。

 涙でぼやけた視界に、二人分の人影が木々の向こうから歩み出てくる光景が移り、その二人はこちらに近づいてくる。


「え……?」

「オッサン……と、テメェは……」

「ユーハちゃん!」


 俺は呆然と、オルガは訝しげに、ベルは喜色に溢れた声を上げた。


 森から出てきた二人のうち一人は、非常に見覚えのあるオッサンだった。

 黒いパッツンヘアーに黄色の眼帯、野袴めいた意匠のゆったりとした服装と腰に帯びた一本の刀。割と男前な顔に鬱色は薄く、珍しく微笑すら浮かべてこちらを見てくる。


「ローズ、オルガ殿、ヒルベルタ殿、無事であったか」


 訳が分からない。

 海に流されたんじゃないのか?

 だったら生きているはずがないのに……生きている。

 幽霊ということもなく、ちゃんと二本の足で地面を踏みしめて歩いている。


「ユーハさん……ユーハさあああああああん!」


 俺は歩いてくるユーハに駆け寄り、抱きついた。

 相手が美女ならともかく、オッサンに抱きつくなど普段の俺ならまずしない。

 だが、今はとにかく抱きつきたかった。

 ユーハの感触ってやつを確かめたかった。


「む……ローズ?」

「無事だったんですねっ、生きてたんですねユーハさん!」

「うむ、この通り五体満足である。どうやら心配を掛けたようだな……すまぬ。ヒルベルタ殿も、無事で何よりであった」

「ユーハちゃああああああああん!」


 ベルも感極まった声を上げながら駆けてきて、ユーハに抱きつく俺ごと、筋骨隆々とした両腕でユーハを抱擁する。前も後ろも女らしい柔らかさなど皆無だが、今だけは男特有の無骨な感触に得も言われぬ安心感を覚える。


 ユーハは確かに生きている。

 そう思うと、先ほどよりも更に涙が出てきて、俺は堪らず声を上げて泣いた。

 

「ユーハさあああああああんっ!」

「ユーハちゃああああああんっ!」


 俺とベルは歓喜の叫びを上げながら感涙に噎び泣いた。

 ユーハもユーハで感動しているのか、「ローズ、ヒルベルタ殿……」と震えた声を漏らしている。


「おい、仮面野郎」

 

 そんな感動的な再会シーンの最中、ふと胡乱な声が響いた。

 俺たち三人が感じていた空気にそぐわぬ姐御の様子に、俺たちは抱き合ったままそちらに目を向けた。


「……………………」


 オルガが呼び掛け、しかし無言のまま相対しているのは如何にも怪しい誰かだった。そいつは足下まで届く吊鐘型の外套で全身をすっぽりと覆っており、眼深くフードを被っている。顔は覗き見えているが銀色の仮面に隠れていて、背丈が百七十レンテ以上はありそうなので、一目見ただけでは年齢どころか性別すら窺い知れない。ただ、外套のせいで判然とはしないが、胸元の辺りが膨らんでいるっぽいので、おそらくは女だ。


「前に一度だけ、テメェに良く似た格好の奴を見たことがあるんだが……テメェ、本物か?」

「こうして話をするのは初めてだな、《蛇焰剣》オルガ・オリファント」


 仮面野郎は微かに顔を上げると、銀仮面の向こうから覗く碧眼を真っ直ぐオルガに向け、問いに答えた。口調は淡々としていて、声音も抑揚に乏しく素っ気ないが、やはり女の声だった。


 仮面女の言葉を聞いて、ベルが「え!?」と戸惑いの声を上げた。

 そういえばベルにはオルガのこと言っていなかったか。


「ハッ、やっぱそうかよ。テメェ、こんなとこで何してやがる」

「それはこちらの台詞だ、《蛇焰剣》。貴卿きけいには果たすべき聖務があるはずだが、このような僻地で何をしている」


 オルガは不審を隠さず面に出し、対する仮面女は相手の様子など気にした風もなく無感情な声を返している。


「オルガ殿、そちらの御仁は某を助けてくれた恩人である。よもやオルガ殿の知り合いであったか……?」

「ま、知り合いっていえばそうだな。こいつはオレの同輩……というより後輩か。そうだろ、十三位?」

「…………」


 どことなく挑発的にオルガは言うが、仮面女は何らの反応も返さず、静かに佇立したままだ。

 それを受けてオルガは友好的とは言い難い表情のまま腰に手を当てると、小さく鼻を鳴らした。


「十三位って……それじゃあオルガさん、その人も聖天騎士なんですか?」

「あぁ、一番の新入りだな。二年くらい前、急に現れて《無幻煌》のクソガキに取って代わりやがった。正直、胡散臭すぎて信用ならねえんだが……とりあえず、オッサン共々話を聞かせてもらおうか」

「いいだろう」


 オルガの上から目線な物言いなど意に介した風もなく、やはり淡々と答える仮面女。

 しかし、俺にはなぜか女が微かに笑ったように感じた。


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