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幼女転生  作者: デブリ
五章・竜人編
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第六十五話 『竜網恢々疎にして漏らさず』


 俺は平和主義者だ。

 争いを好まず対立を嫌い、ラブ&ピースこそが世界を救って人生をハッピーにするのだ……と、そう信じたい。しかし、世界には様々な価値観を持つ者たちが生き、互いに譲れないもののために対立することがしばしばある。

 そういうとき、平和的に解決するにはどうすれば良いのか?

 答えは簡単、対話だ。


 言葉とは偉大である。

 思想や意志あるいは感情を相手に伝えることで、暴力沙汰になる前に諍いを治めることができる最高の道具だ。様々な言語を学んでおけば、様々な者たちと意思疎通を図ることができ、平和を実現できる。

 争いとは往々にして相互不理解から生じるからね。


 しかし、たまにどんな言葉も通じない者が現れる。

 例えば動物とか、魔物とか、竜とかね。

 そういう連中はしばしば肉体言語を用いてコミュニケーションを図ってくる。


「あの、オルガさん……私の見間違いとか幻覚だったりしたら良いんですけど……」


 船から飛び立って、一時間ほど経っただろうか。

 眼下のわた雲を次々と追い越していきながら、オルガは臙脂色の両翼で大気を蹴って空を切り、一直線に白竜島を目指す。そのスピードは結構なもので、轟々と唸る風の音に俺の声など一瞬で攫われ、かき消されてしまうほどだ。

 オルガ曰く、もっと速くできるらしいが、俺の呼吸が危うくなるそうなので抑えているらしい。実際、今でも顔を真正面に向けて呼吸しようとすると、上手くできない。


「残念ながら、そのどちらでもねえよ。ったく、クソが……あいつかなり速いぞおい」


 オルガは俺の頭上で舌打ち混じりの声を漏らす。

 俺は心臓の鼓動が一段階ビートアップしたのを自覚した。


「おいローズ、舌噛むなよ」 

「……はい」


 相変わらず頼もしい声に頷き、軽く深呼吸した。

 今、俺たちの前方には天竜連峰の山々と思しき凸凹した黒影が確認できる。

 そして急速に大きくなってくる緑色の塊も、青空を背景に良く見えている。

 

 オルガは水平飛行から斜め上空への飛翔に切り替え、更にぐんぐん高度を上げていく。少し肌寒くなってくるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 緑の塊だったものは既に形まで視認できるほど迫っており、俺はそいつから目が離せなかった。

 まず目に付くのは巨大な両翼だ。遠目に見てもオルガのそれとは比較にならない翼開長を誇っており、雄々しく躍動しているのが分かる。全身が薄緑の鱗で鎧われた巨体は遠目にも精悍で、体長は……最低でも二十リーギスはあるだろう。

 いずれにせよ見惚れるほど格好良く、その幻想生物は堂々たる姿で大空に君臨している。

 

「アレが風竜か……なかなかデケえなチクショウ」


 聖天騎士団には《竜騎槍》の異称を持つ竜人の聖天騎士がいるそうで、そいつは火竜を使役しているらしい。だからオルガも何度か見たことがあるそうだが、風竜は初見だからか、どことなく感嘆混じりに、しかし忌々しげに呟いている。


「――――――――」


 俺は声すら出なかった。

 魔法を初めて見たとき以来の衝撃だ。

 ここは本当に異世界なのだと改めて実感させられ、宙を舞う巨大生物の威容に俺の脳はオーバーフローを起こしている。

 百聞は一見にしかずとはいうが、まさにその通りだ。

 我が家のペットが霞んで見える迫力だぞ。


「――っ!?」


 不意に、大気が震えた。

 風竜の剛健さ溢れる顎門あぎとが開かれ、腹の底にまで響いてくる大音声だいおんじょうを発したのだ。その叫びに友好的な響きは皆無であり、ただ敵意しか感じられない。

 凶悪に並んだ鋭牙が陽光にギラリと反射した。


「行くぞローズッ! お前は魔法で可能な限り奴を足止めしろっ、オレは全速力で飛ぶ!」

「は、はいっ!」


 気合いを入れた。

 既に彼我距離は二百リーギスを切っているだろうか。互いに疾速の飛行を為している今、ものの数秒と掛からず零距離に変じるだろう。

 オルガは水平飛行でただ真っ直ぐ飛び、やや右前方から風竜が赫怒の叫声を上げながら迫り来る。速すぎて呼吸が難しくなるが、顔を正面に向けなければ一応は問題ない。

 風竜との間隙が百リーギスを切るか……といったところで、俺は先制した。


「〈爆風ロクェース・アーエ〉!」


 風属性上級魔法〈爆風ロクェース・アーエ〉の爆心地は視認できる範囲ならばどこへでも設定できる。が、行使者は正確に空間を認識する必要があるため、あまり遠すぎると狙いが逸れてしまうし、魔法自体が不発になることだってある。

 虚空、それも高速飛行中である今はかなり狙いづらかったが、なんとか風竜の飛行軌道上に狙点を定め、魔法を炸裂させられた。

 直撃だ。

 しかし風竜は体勢を崩しただけで、両の翼膜と腹をこちらに見せ、長い尻尾をしならせてバランスをとっている。

 〈爆風ロクェース・アーエ〉の圧縮波は優に音速を超えるはずで、実際に轟音も発生する。その衝撃は岩すら割る威力を誇るが……奴は無傷だ。

 驚きはない。

 アルセリアから竜種の精強さは聞いている。


 この隙にオルガは風竜を追い越した。

 無論、爆風の余波はこちらにも届いてきたが、距離が開いていたし、念のため中級の風魔法〈風盾ド・アーエ〉で防いだ。 

 絶叫が後方から響いてくるが、無視してとにかく突き進む。

 

「ッ……ローズ、とにかく撃ちまくれ!」


 オルガは一瞬だけ振り返り、舌打ちしながら叫んだ。

 俺は首を限界まで下げて、逆さ状態で後方を見た。

 風竜が追ってきている。

 見たところ腕がないので、ドラゴンというよりは翼竜ワイバーンだ。


 姐御の指示通り、俺は〈爆風ロクェース・アーエ〉をがむしゃらに連発した。あまり魔力を込めると追い風が強くなりすぎてオルガの姿勢制御に支障が生じるため、威力は度外視だ。とにかく数で翻弄し、風竜の進行を阻害する。

 阻害するだけで、負傷させたり殺したりはしない。殺せば更なる風竜が援軍として襲いかかってくるだろうからだ。


 前世において、ある島国の領空を侵犯した航空機があったとする。

 レーダーでこれを察知した空軍が侵入者を撃退するため、戦闘機を出した。空軍の戦闘機は近隣の仲間たちと常時通信で繋がっており、現在位置やある程度の機体状況をリアルタイムで一定範囲内の仲間と共有している。

 もしこの戦闘機を攻撃し、中破か大破あるいは撃墜した場合、どうなるか。

 空軍は一機でダメなら、二機の戦闘機を出撃させるだろう。

 二機でもダメなら、それ以上の戦闘機が出撃してくるだろう。

 そして仲間を害した侵入者を何としてでも仕留めようとするだろう。


 これはつまりそういうことだ。

 竜種は知能が高く、仲間思いで、縄張り意識が強い生き物らしい。

 迂闊に攻撃して負傷させるか、最悪殺してしまったら、連中から憎悪をもって襲い掛かられることになる。

 とはいえ、このまま突き進んでも、白竜島に近づけば援軍は来るだろう。

 俺たちはそれらを撒いて逃げ延びる必要がある。

 正直、無理難題だと思う。白竜島に入れば更に地竜と火竜も加わるのだ。地竜は飛べないらしいが、地上でも中空でも常に竜種を警戒し続けなければならない。

 だからこそカーウィ諸島は、彼らの相識感に敵だと認識されない竜人族以外にとって、鬼門なのだ。そして竜人族にとっては、精強な警備員が二十四時間態勢で警備してくれる、まさに最高に安全な土地なのだ。

 

「野郎……ッ、無茶苦茶速いなおい! やっぱ飛行なら火竜より風竜のが断然上かっ!」

「振り切れませんかっ!?」

「このままだとな! ったく、こっちは全翼会三位だぞクソッ。人と風竜じゃ土台勝負にもなんねえってかっ!」


 現在、俺たちと風竜との間隙は百リーギスあるかないか、といったところだ。

 こっちは全力で風魔法を連発して気流を乱しまくっているのに、奴は両腕でもある両翼を勇ましく駆って、着々と距離を縮めてくる。

 もう十秒もしないうちに追いつかれるだろう。


「ど、どどどどうするんですかっ!?」

るっきゃねえだろ、こうなったら!」

「でもそしたら更に援軍が――」

「ここで野郎に追いつかれて喰われるよかマシだろ!? 覚悟決めろローズッ!」


 オルガは叫びながら右へ急旋回した。

 遠心力というGのせいで全身のベルトが食い込み、一瞬だけ魔動感が反応した直後、真下から急激な上昇気流が発生して俺たちは旋回しながら上昇する。

 オルガの適性属性は火属性だが、水属性を含む他属性も下級までなら詠唱省略で使うことができる。今のは風魔法を無詠唱で使ったのだろう。

 上昇中も俺は風竜を捉え続け、風魔法を連発して急迫を阻害する。


「ローズッ、野郎を足止めしろ!」


 やや斜め下方、風竜との距離は……五十リーギスもないだろう。

 もはや緑鱗の一枚一枚が視認できるほどで、爛々と輝く双眸からは射殺さんばかりに睨まれているのを肌でびりびりと感じる。二本の角は鋭く尖り、勇壮であり凶悪なその威迫は常軌を逸し、本能的な恐怖を喚起させられてチビりそうになる。


「ぅわあああぁぁぁぁっ!」


 自ら鼓舞するために叫びながら、俺は風竜に両手を向けた。

 こちらへ上昇しながら迫り来る風竜へ向けて、闇属性特級魔法をぶっ放す。

 極小の黒点が虚空に出現し、風竜はその脇を通り過ぎようとするが……そこで奴の動きが止まった。黒点を中心にその周囲の光景が歪曲し、風竜の雄々しい肉体も黒点へ吸い込まれるように歪んでいく。

 相手が人だったら既に超圧縮されて即死しているはずだが、しかし奴は抗っている。竜鱗がひび割れて剥離し、尻尾の先端共々黒点に吸い込まれていく中、両翼や両脚は未だ踏ん張っており、大きく開口して恐ろしい絶叫を発している。

 

「アアアアアアァァッ!」


 グロテスクすぎて怖すぎてもう何が何だか訳が分からず、俺も絶叫しながらただ本能のままに全力で魔力を込めた。それに比例して歪みが増し、巨大な翼と両脚が黒点に呑み込まれ、ヒュッと瞬く間に巨体が消えていった。

 

「おい馬鹿ローズッ、お前やり過ぎだこっちまで引き込まれてんぞ!?」

「――っ!?」


 そこで俺は我に返り、魔力の供給を絶った。

 すると大きく身体が上方向に引っ張られ、同時に黒点が真紅に弾けた。

 その瞬間、魔動感が反応するや否や目の前に炎の壁が現れて、無数の小さな蒸発音が耳朶を打つ。数秒ほどで炎は消え、開けた視界で眼下を見下ろすと、白雲へ赤い雨が降り注いでいた。

 

「……やり過ぎだ」


 オルガが呆れたように呟く。

 思わず首を捻って振り仰ぐと、少し顔を引き攣らせている。


「オレがやるまでもなかったじゃねえか。お前の魔法力は練習見てて知ってたつもりだが、こりゃバアさんの言うとおりだなおい……」

「お、お婆様は、私のことをなんと……?」

「特級までしか使えねえ聖天騎士」

「…………えっと……なんかすみません」

 

 とりあえず謝っておいた。

 もしオルガが盾を張ってくれなかったら、今頃俺たちは全身が風竜の体液塗れになっていただろう。あのときの俺は取り乱してて盾どころじゃなかった。


 そもそも魔力を込めすぎていたから、あのままだと俺たちまで呑み込まれていた。闇属性特級魔法〈極重暴圧ル・クーダ〉の引力は行使者本人には及ばないが、それはあの歪みの範囲外にいるとき限りのことだ。

 効力の及ぶオルガにつられて範囲内に入っていれば、自滅していた。

 まあ、魔力供給を絶てば引力も消えるから、たぶん大丈夫だったろうけど。


「しかし、まさか今のが真竜ってことはねえよな?」

「さすがにそれはないと思いますけど……魔法だって使ってこなかったですし」


 本当は先ほど、闇属性上級魔法の〈超重圧ティラグ・ルフ〉を使おうとしたのだ。だが風竜をまともに見たことで俺は死の恐怖を感じ、我を忘れて特級の方を使ってしまった。


 〈極重暴圧ル・クーダ〉は魔力を持つものしか引き込めない。つまり魔力を持たない魔物や物質には効力がなく、人や魔力を有する物にしか効かないのだ。

 竜種では魔力を持つ竜を真竜と呼ぶが、ただの竜は魔力を持っていないとされている。にもかかわらず、今の風竜は魔法の引力に反応していた。


「昔、邪神オデューンは竜からも魔力を奪ったんですよね? 魔女でない女性でも少しは魔力があるんですし、真竜でない竜にだって少しは魔力があるはずです。それで反応していたんでしょう」

「もちろんそれは分かってるが、可能性としてはあり得たって話だ。まあでも、真竜がこんなあっさりと倒せるはずはねえわな」


 と言って、オルガは苦笑を溢した。


 最盛期の頃、竜たちは人類とは別に魔物共と戦っていたため、彼らも邪神オデューンから目を付けられたとされている。竜は無詠唱で魔法を使うし、竜鱗に守られた身体は頑丈なので、人類より数こそ少ないが圧倒的に精強だ。

 そのためオスメス関係なく全ての竜が魔力を奪われたが、人類同様に聖神アーレの加護を受けたという。

 真竜とは人類でいうところの魔女と同義であり、魔女と真竜は神様のご加護を受けた者同士なので、謂わばお仲間みたいなものだ。魔力を持つ竜こそが由緒正しき正真正銘の竜というわけなので、真竜と呼ばれているわけだ。


「もし竜を殺したことがバレたら、竜人族と話をするどころじゃないですよね」

「バレたらも何も、無事に町へ辿り着けた時点で何匹か殺してるとは思われるだろ。んなことは気にするだけ無駄だ」


 オルガはそう言って翼を動かし、滞空状態から再び水平飛行へと移った。

 結構な高度で飛んでいることもあってか、視線の先には既に天竜連峰だけでなく、陸地も見えている。

 しかし見る限り、まだまだ遠い。今更の話、空を飛んでいるとこの世界もちゃんと丸い惑星として存在していることが分かるな。


「さて、と……これで竜たちがどう出てくるかだな」

「きっと今度は二頭以上の風竜が襲撃してきます。どうしますか?」

「もう一匹殺っちまったんだ、次からは襲いかかられたら速攻で片付ける。幸い、ローズでも一人で片付けられることが分かったからな。二匹以上来たら、一匹はローズに任せるぜ」

「は、はい、頑張ります」


 と答えつつも、俺は未だに躊躇いを拭いきれない。

 既に一頭殺してしまったとはいえ、相手は知能の高いらしい生き物だ。

 そして俺たちは彼らの縄張りを侵す不埒者だ。

 正当性は向こうにあるといえる。


 しかし、俺に退く気はないし、やらなければ俺たちがやられる。

 否応はないのだ。

 竜には悪いが、襲いかかってくるなら幾らでも狩らせてもらう。

 所詮は少し頭が良くて図体がデカく、ついでに翼も生えているだけのトカゲもどきだ。真竜だって狩る予定だから、その予行演習になるし、今のうちに躊躇いは捨てきっておいた方が良い。


「でも次は〈極重暴圧ル・クーダ〉以外にしろな。こっちまで引き込まれかねん」

「……了解です」


 こうして、俺たちは白竜島へと近づいていく。




 ♀   ♀   ♀




 陸地に降り立つまでに、合計して風竜を六頭狩った。

 ファーストエンカウントの後、二頭同時、三頭同時と襲い掛かられたが、俺たちは無傷で悉くを撃滅した。オルガの火魔法はさすがというべき威力を有しており、中級魔法でも狩れていた。ただ、十分に魔力を込めないと竜鱗に防がれてしまうようだったが。


 竜人もそうだが、竜鱗はかなりの防御力を誇っている。物理だろうと魔法だろうと、生半可な攻撃ではダメージを与えることができないのだ。

 六頭目では初級魔法から特級魔法までを色々撃ち込んで、少し実験してみた。

 結果、魔法の種類や込める魔力の量にもよるが、中級魔法以下では有効的な攻撃になりにくいことが分かった。

 何発か撃ち込めば倒せるが、手早くKOしたい場合は上級か特級の魔法に十分魔力を込めて放つのが良い。

 ただ、風竜は火竜・地竜・水竜と比べて防御力が低いという。最も硬いらしい地竜の場合がどうなるのか気になるところだが……。


 今はとりあえず休憩だ。


「あー……ローズ、水」

「ちょっと待ってください」


 俺は土魔法で簡単にコップを作り、水を注いで手渡した。

 オルガはそれを一気に飲んで、「ぷはぁっ」と一息吐く。

 俺も自分の分を生み出して水分を補給しておく。


 現在、俺たちは鬱蒼と繁る木々の只中にいる。

 天竜連峰の麓には森が広がっており、特に西部一帯はアズマ樹海と呼ばれる深い森が相当な範囲を覆っているらしい。現在地は天竜連峰の南部で、北に行けば山々、南に行けば海岸という場所だ。

 

「それにしても、やっぱり暑いですね」

「だな、この辺りの植生を見ても、熱帯地域のもんばっかだ」


 オルガは眉をひそめ、辟易とした声で言いながら周囲を見回す。

 俺とのタンデム飛行で蒸れたのか、ワイルドな姐御は大きな岩に腰掛け、上半身裸になって汗を拭っている。


 着陸する前に上空から周辺の地形を俯瞰したところ、この辺りに人里はなく、峻厳な山々と大小様々な河川、それに深い緑しかなかった。海岸線には椰子の木っぽいものが見られ、この辺りにも似たようなノッポの木々が散見される。


 世界地図を信頼するのなら、白竜島はディーカとほぼ同緯度に位置するはずだが、ディーカの温暖な気候より幾分も厳しい。しかし、ここは異世界だから前世の地球環境と比べても詮無い……という訳でもない。

 この世界は約三千年前に放たれたという《大神槍スラ・ド・トーレ》によって、地上に十三個の大穴が空いたという歴史がある。当時は天災が多発したらしいし、この星へのダメージも相当なものだったろうから、その影響で気候帯など狂っているはずだ。


「今のところ、地竜や火竜は来ませんね。この辺りにはいないんでしょうか」

「さてな。何にせよ、襲いかかってこねえならそれが一番だ。今日中に目的地のラフクって町くらいは見つけておきてえからな、いちいち邪魔されんのも鬱陶しい」

「体力は大丈夫ですか?」

「問題ねえよ……と言いてえが、ガキとはいえ人ひとり抱えてかなり飛んで、しかも風竜と連戦したんじゃ、さすがにちっと疲れたな」


 オルガは巨乳丸出しの格好で首筋を揉みながら、少し気怠そうに言った。

 速度もだいぶ出してたから、疲労感はそれなりだろう。

 普通なら倒れていてもおかしくはないはずだ。


「にしてもよ、マジで風竜ってもう襲って来ねえのか? 空じゃあんだけ襲ってきたくせに、切り替えよすぎだろ」 

「ですね、でもそういう習性らしいですし。地上の敵は地竜と火竜の担当ってことなんでしょう」


 アルセリアの話曰く、風竜は食事目的以外では空中の敵しか襲わないらしい。

 無論、既に目視された状態で地上に下りても襲いかかられるだろうが、相識感で察知しても空中にいなければ、わざわざ襲撃しには来ないらしい。竜種は相識感で互いの位置を把握し合っているというし、おそらくは役割分担がされているのだ。

 海は水竜、空は風竜、陸は地竜、そして火竜は空陸の両方だ。

 火竜も飛べるようだが、風竜ほど速くはないらしい。その代わりなのか、地水火風の竜の中で火竜だけは口から炎を吐くという。ドラゴンの代名詞ともいえる技――ファイアブレスだ。

 ちなみに水竜は高圧水のブレスを吐くそうな。たぶんウォーターカッター的なやつだと思うから、非常に危険だ。


 というわけで、海岸沿いではなく森の中に着陸したのは水竜を警戒してのことだ。水竜の本領は海戦だが、一応は陸地にも上がれるらしいし、水ブレスもあるので、海岸は危険地帯だ。


「改めて思うんだが、鳥とかは普通に飛んでんのに、なんで奴らは襲わねえだろうな……竜の相識感ってやつは人とか動物とか魔物とかって見分けられんのか?」

「さあ……アルセリアさんもその辺は分からないって言ってました。でもたぶん、私はこういうことだと思います」


 と言って、俺はオルガに以下のような自説を披露してみた。


 おそらく相識感とは魔動感のようなものだと思われる。

 人によって魔力波動に差があるように、生物ごとに感じ方が異なるのだろう。

 竜は生まれたときからこの島にいて相識感を働かせているため、この島=縄張りにいる生物全ては馴染みのもののはずだ。

 しかし、俺たちは違う。次々と生まれてくる竜人の赤子が襲われないことを鑑みるに、おそらく竜は同じ竜以外の生物を種で識別している。竜人という種族の反応は敵だと認識していないが、人間や翼人という種族の反応には馴染みがないから、縄張りを侵す敵だと認識するのだろう。


「……なるほど」


 俺の説明を聞いてオルガは思案げに頷くと、感心したように俺を見てきた。


「たしかに一理あるな。というか、たぶんそうだな。ローズ、お前ホントに頭良いな」

「いえ、たぶん魔動感を持ってる人なら、同じような意見が出てくると思いますよ」


 それに、俺はこの世界の人々とは違う価値観や知識があるからね。

 だから俺の頭が特別良いわけではない。

 

「ところで、寝る場所はどうしますか? 竜に襲われない場所って、なさそうなんですけど……」

「ま、今この調子だと割と安全そうだが、そうもいかねえだろうな。この島、竜だけじゃなく魔物だって当然いんだろ? だったら当初の予定通り、交代で寝るしかねえだろう」


 オルガはシャツを着直し、自分でコップに水を注ぐと、それを煽った。

 そしてコップを投げ捨てて、腰掛けていた岩の上に身体を横たえる。


「竜か魔物が襲ってくるまで、ちっと休憩だ。ローズも風竜と戦って気疲れしただろ? 軽く休んどけ」

「そうですね、身体はほとんど動かしてないのに、なんか怠いですし……あ、ちょっとお花摘んできます」

「あんま離れんなよ」


 この辺りは草木が無駄に多い。

 俺はオルガのいる岩から数リーギスほど距離を取り、木陰に入って膀胱を空にした。ついでにパンツを見てみると、ちょっと黄ばんでいる。実は風竜とのファーストエンカウント時、少々チビっていたのだ。

 今のうちに洗っておこう。


 しかし改めて思うと、魔法ってのは本当に便利だ。

 いつでもどこでも水を生み出せるとか、サバイバルでは最高に役立つ。火は一瞬で熾せるし、土魔法は色々応用が利くし、濡れたパンツを乾かすのには風魔法が役に立つ。もう魔法なしの生活なんて考えられんな。


 とか思いながらパンツから水気を落とし、もう良いかな……と思ったとき。

 不意に周囲の影が色濃くなり、森が揺れた。

 

「…………え」


 空を見上げると、枝葉の向こうに全身真っ赤な巨大生物がいて、俺の身体は否応なく硬直した。そいつは木々の真上で大きく羽ばたいて滞空しており、辺り一帯が強風に煽られてざわめいている。 

 風竜よりも幾分か体格が良く、連中には見られなかった精強さ溢れる二本の腕も生え、ギョロリとした瞳と視線がぶつかった。

 

「ローズッ!」


 火竜が放った雄々しい咆哮とオルガの鋭い呼び声が同時に耳朶を打った。

 いきなり背中から腕を回されたかと思いきや、頭上の火竜が盛大に爆ぜた。

 オルガは俺を小脇に抱えて木々の間を走り抜け、やにわに翼を躍動させる。


「呆けてんなローズッ、お前も攻撃しろ!」


 叱声で我に返り、咄嗟に背後を振り返ってみた。すると次の瞬間、さっきまで俺がいた場所が紅蓮の炎に包まれた。

 火竜はオルガの火属性上級魔法〈爆炎バ・ラトス〉を喰らって上半身が黒ずんではいるが、未だ健在らしく、空中から盛大にファイアブレスっている。

 

 オルガは地を蹴り、飛び立った。途中で枝葉に邪魔されつつ樹上に出るが、風竜対策としてそれ以上は上昇しない。

 

「やっぱ火竜に火魔法は効きにくいのか……?」


 背後から迫ってくるファイアブレスを空中機動で華麗に躱し、オルガは好戦的な笑みを浮かべた。俺は背後三十リーギスほどの間近に迫る火竜へ向けて、水属性上級魔法〈氷槍リベャ・ルィア〉を放った。

 八本の鋭利な氷柱は高速で射出されるが、火竜には三本しかまともに命中しなかった。奴は俺の氷槍をファイアブレスで溶かしやがったのだ。

 二本はそれぞれ左右の翼膜を貫通し、一本は肩の鱗を砕くが、致命傷には至らない。


 ふとオルガは急旋回し、火竜を左斜め四十五度の角度で臨める軌道をとった。

 俺の魔動感が急激な魔力活性を察知する。


「火力勝負だコラ!」


 オルガは火属性特級魔法〈陽焰レーファ・ルエ〉を放った。

 直径二リーギスほどの焰球は紅く、あるいは白く眩く輝き、どろりとした質感からは粘性を帯びているのが分かる。小さな太陽を思わせるそれが火竜目掛けて射出され、熱波で気流を乱しながら急迫するそれを火竜はファイアブレスで迎え撃った。

 結果、火竜は墜落した。奴の火炎放射と焰球では勝負にならず、頭部から腹の半ばまで焰球にくり抜かれた。


「なるほどな、さすがに火竜も〈陽焰レーファ・ルエ〉には勝てねえか。なら〈爆炎バ・ラトス〉も十分に魔力込めればいけるな」


 一人思案げに呟きながら、オルガは火竜の墜落地点へと飛び、降下した。


「ったく、気抜けねえな……大丈夫かローズ?」

「え、えぇ、ありがとうございます」


 俺は地面に降り立ち、十リーギスほど先で無残な骸を晒す火竜を見た。

 片翼は木々に引っかかり、五リーギスほどの尻尾がついた下半身と残りの片翼は少し捻れた格好で落ちている。下半身の断面は溶けかかっているのか、ピンク色にドロドロしていた。


「ローズ、お前魔力に余裕はあるな?」

「――えっ、あ、はい、余裕です」


 グロテスクな光景を前に呆然としていたので、少し反応が遅れてしまった。

 オルガは片手に持っていたリュックから俺の魔剣を取り出し、ニヤリと笑った。


「なら解体すっぞ、竜の肉を味見だ。持ってきたメシはなるべくとっておきてえからな」

「は、はい」

「だが、ローズはその前にパンツ穿け」


 妙にスースーすると思ったら、そういえば下半身は裸だった。

 俺は握り締めていたパンツを装着するも、そこでズボンがないことに気が付いた。


「あの、オルガさん、私を抱えるときにズボンは……」

「あ? 拾ってねえよ、んなもん」

「…………」


 え、そんな……俺のズボンが……さっきあそこはファイアブレスで焼かれてたから、今頃は消炭になってるんじゃ……?


「んな顔すんな、お前オッサンからもらった服持ってきてただろうが」


 オルガはそう言って、リュックからゴスロリ服を取り出し、投げ渡してきた。

 俺には黙ってそれを受け取るしかなかった。


 まずは竜人たちと接触するということで、今回は交渉用の服も持ってきていたのだ。男より女は舐められやすいだろうから、当初は男装して臨もうと思っていたが、子供の場合はそれほど大差ないかと気が付いた。それに相手が可愛らしい服を着た人畜無害そうな幼女なら、竜人たちもそんなに警戒しないはずだ。

 そう思って、わざわざ用意していたのだが……。


「ほら、さっさと着ろ」


 俺はパンツ一丁になって、ワンピース型のゴスロリ服を着た。

 幸い、半袖なので暑苦しくはないが……スースーする。

 船上で着ていたときにはスカートの下にズボンを穿いていたので大丈夫だったが……今はとてもスースーする。

 

「うし、行くぞ」

「……あい」


 俺はスカートの裾を引っ張りながら火竜へ近づいた。

 オルガは魔剣を手渡してくると、俺に指示して火竜の身体を切らせる。べつにオルガが魔剣を使っても良いが、どうせ魔力を使うのなら俺の方が良い。なにせ俺は未だかつて一度も魔力切れを起こしたことがないし、俺よりオルガの方が強い。

 いざというときオルガが魔力切れになると、未熟な幼女頼りになってしまうので、危険だ。


 竜鱗は魔剣を数秒ほど当て続ければ切断できた。なので肉の切り出し作業は少し時間が掛かり、また火竜か、今度は地竜に襲われないかと心配したが、なんとか杞憂に終わってくれた。

 太い左足を根元から切り取り、試しにもも肉を焼いて食べてみる。


「不味くはねえが、旨くもねえな」

「ですね、でも香辛料があれば結構いけそうです」


 味としてはランドブルと同程度だ。

 調理次第では美味しく頂けるだろうが、今はただ焼くことしかできない。


「ま、腹には溜まるし、一応肉だから栄養もあんだろ。今のうちに食えるだけ食っとけ」

「はい」


 俺とオルガはドラゴン焼き肉を調味料なしで食べまくった。

 焼き肉の匂いに誘われて魔物共が近寄って来ないかと警戒していたが、周囲には野鳥の鳴き声さえなかった。さっきの戦いでこの辺の住民は軒並み逃げ出したのだろう。


 腹いっぱいに肉を食べた後、ひとまずはその場から移動した。

 魔力節約のため、火竜の死骸は燃やさず、そのまま放置だ。


「町探しは日暮れ頃にするぞ。町に明かりが灯れば発見しやすいだろうしな。ただ、地理的に見てこの辺には目的の町はねえだろうから、今のうちに山地付近からは離れておくぞ」


 というわけで、食後間もなく再びの飛行となった。

 オルガは割と疲れているはずだが、まだ体力切れにはほど遠いのか、ぴんぴんしている。実に頼もしい。


 俺たちはなるべく竜の襲撃がないことを祈りながら、西へと飛んで行った。




 ♀   ♀   ♀




 空が茜色になる頃、尚も俺たちは空の上にいた。


 結局アレから一、二時間ほどが経ったが、竜には二回襲われた。

 一回目は火竜が一頭、二回目は風竜が二頭同時だ。これで計十頭の竜を狩ったことになり、うち四頭は俺が仕留めた。

 そのせいか、なんだか早くも竜には慣れてしまった。いや、感覚が麻痺して、いちいち驚いたり怖がったりするのにも疲れたというべきか。


「こりゃ嬉しい誤算だわ。正直、ガキのお守りすんのかと思ってこっちも覚悟してたんだが……実際はかなり助かってるぜ、やるなローズ」

「ありがとうございます」


 オルガは嬉しそうに笑いながら言って、背中の両翼を動かし、夕焼け空を滑空する。現在は右手に天竜連峰、左手に海原を臨みながら、夕陽へ向かって高空を飛んでいる。

 先ほど山地の方から風竜が一頭襲来したが、風属性上級魔法〈爆風ロクェース・アーエ〉で一瞬動きを止めた隙に、同じく風の特級魔法〈風血爪ルゲ・ディラ〉で両翼を切断し、墜落させることで片付けた。

 もはや竜退治はルーチンワークと化しつつある。

 俺は平和主義者だというのに……。

 もうこれ以上無駄な犠牲は出さないでもらいたい。


「しっかし、ホント広い森だな。アズマ樹海って言ったか? まさに樹の海だなこりゃ。迷ったら一生出られねえんじゃねえか?」


 眼下や水平線の先まで広がる深くて黒い森は、前世のネットで見掛けた富士の樹海やアマゾンの航空写真のようだ。地竜や火竜、それに魔物だって生息してるだろうし、あの只中に放り出されれば大抵の奴は死ぬだろう。


「自殺にはもってこいですね」

「……なかなか変なこと言う奴だな。魔法力といい、お前ホントに八歳か?」

「実は三十五歳なんです」

「アホか」


 頭を小突かれたが、最高級クッションのおかげでたちまち癒される。

 今は例によって例の如く密着してのタンデム飛行状態だが、俺の下半身はパンツ一枚だ。ゴスロリ服だと股にベルトを通せないので、また着替える必要があった。

 地上からは到底見えない距離だから別にいいんだけど、なんか妙に解放的で気持ち良いから困る。

 

 しばらく樹海の上空を飛んでいると、地平線から仄かな明かりが現れた。

 深く濃い緑の一帯からは少し離れていて、完全日没まで残り数分という薄闇の中では結構目立っている。


「アレが古都ラフクってとこか? 竜人たちの首都みてえな町ってことだから、もっとデカいと思ってたんだが……ここから見る限りじゃ、割とこぢんまりしてるな」

「いえ……たぶん違います。ラフクには立派な宮殿があるらしいですし、もっと大きいはずです」


 明かりの規模から見るに、どっかの郷だろう。

 目的地の古都ラフクがどこにあるのかまでは不明だが、アルセリア曰くディーカよりは大きいらしい。

 

 発見した郷は無視して、更に飛行を続けて行く。

 既に日は完全に沈み、夜の闇が色濃くなっている。

 この状態で竜に襲われると危険だが、今日のうちに都は発見しておきたい。


 やや曇り空なせいか、星々や双月の明かりが十全に受けられない。

 オルガは先ほど郷を見つけてからは無言で、黙々と飛び続けていく。途中で火竜が一匹、斜め下方から咆哮を上げながら近づいてきたが、姐御が火魔法で焼却した。

 竜は強敵ではあるが、魔法さえあれば狩れないこともないため、もはや俺たちにとってそこまで脅威ではない。

 とはいえ、俺は姐御の体力が心配だった。


「オルガさん、今日はもう休みましょう。船を出てから相当な距離を飛びましたよね?」

「……不本意だが、そうすっか」


 オルガは溜息と共にそう答えた。

 焦って体力を使いすぎると、明日以降に響く。

 ただでさえ安眠は期待できない状況なので、ほどほどにしておいた方が賢明だ。

 

 そんな会話を交わした直後、夜闇の中に新たな明かりが見えた。

 おそらくは地平線から覗き出たばかりなため、距離は相当離れているだろうが、真っ暗な地上では煌々としている。

 先ほど発見し、今尚見えている明かりとそれは同程度だが、距離の違いを考慮すればどちらがより明るいかは自明だ。


「アレか……?」

「分かりませんが、可能性は高いです。明日はあの方向へ飛ぶことにして、とりあえず今日は休みましょう」


 そうして、俺たちは地上へと降りていった。




 ♀   ♀   ♀



 

 まだ樹海上空を飛んでいたため、野営はジャングルめいた森の中で行う。

 ただ、視界が悪すぎるので周囲の草木を風魔法で根元から伐採しておいた。半径二十リーギスほどの円形広場が出来上がり、視界良好だ。

 俺たちの身を隠せなくなるが、どうせ竜には相識感があるのだ。こうしておけば枝葉に邪魔されずスムーズに飛び立てるし、竜や魔物の接近にも気が付きやすく、戦いやすい。

 

 まだドラゴン肉が腹に残っていたので、夕食は少しだけつまむ程度にしておいた。リュックの食料は二人で五日分ほどはあるが、万が一の場合に備えておくに越したことはない。


「ローズ、揉んでくれ」


 オルガは上半身裸になると、大きな葉を集めて作ったベッドに俯せになり、親指で自分の翼を指差した。


「背中乗っていいからよ」

「分かりました」


 俺はオルガの腰の上に跨がり、翼をマッサージする。

 姐御は「あー……」と脱力するように声を漏らし、全身から力を抜いている。


「なかなか巧いな」

「サラとセイディにはたまにやっていたので」


 今日はかなりの距離を高速で飛行した。

 オルガの様子を見るに、まだまだ飛べそうではあったが、疲れているのは確かだ。マッサージして明日に疲労を残さないようにしなければならない。

 俺なんてファーストクラスで悠々と空の旅をしていただけなので、体力は有り余っている。いや、精神的にはだいぶ疲れてるけどね。


 焚火の明かりに照らされながら、黙々とマッサージをしていく。

 手が小さく握力も弱いが、やらないよりは幾分もマシなはずだ。


「そういえば、バアさんやアリアに肩揉みとかしてなかったな……」


 ふとオルガが独り言のように呟いた。

 俺はその台詞を拾おうかどうか迷ったが、止めておいた。

 なんだかそういう雰囲気だったのだ。


 しばらく一心不乱にマッサージをした。ついでに肩や二の腕も揉んでやり、オルガは「あぁ……気持ちぃ」と快げに呻く。

 三十分ほど続けていると、姐御が顔を上げた。


「ローズ、右斜め後ろ、魔物いるだろ」


 そう言われて振り返ると……いた。円形に伐採した警戒エリアに侵入し、ゆっくりと近づいている三匹のトカゲっぽい魔物がいる。竜と比べれば幾分も小さく、せいぜいライオン程度だが(それでも十分デカいが)、尻尾が刃物のように鋭く大きい。

 三匹のそいつらは俺たちに発見されたことに気が付くと、四本の手足で地を這いながら一気に距離を詰めようとしてきた。が、十分に魔力を込めた〈風刃ラス・ドィウ〉をお見舞いして、三匹一気に上下分割して片付けた。

 

「アックスリザードだな、割とどの大陸にもいる魔物だ。奴らの肉はクソ不味いから、とりあえず燃やしとくか」


 野営地に血臭があっては魔物共に来て下さいと言っているようなものだ。

 オルガは起き上がって、軽快に肩を回しながら死体に火魔法を放ち、火葬し始める。


「やっぱり魔物は少ないみたいですね」


 白竜島に入って初めて魔物に襲われた。

 カーウィ諸島の島々は竜が生息しているせいか、他の大陸や島より魔物は比較的少ないらしい。飛行中には遠方を飛ぶ鳥型魔物は幾度も見掛けたが、群の場合は上下左右に迂回して、数匹の場合は先制攻撃してサクッと片付けていた。

 

「魔物が少ないのは良いが、さっきから竜が現れる気配がねえのが気掛かりだな……」


 オルガは胡乱な眼差しで曇り気味な空を見上げた後、俺に笑いかけてきた。


「ま、とりあえずあんがとよ、ローズ。だいぶ楽になった」

「いえ、まだやります」 


 マッサージの本番はこれからだ。

 オルガは今、自分で自分の胸を揉み始めている。もちろん自慰的なものではなく、あの豊満な膨らみの上から胸筋を揉みほぐしているのだ。

 翼人は翼を動かすのに背中と胸の筋肉も使っているようで、セイディとサラも飛びまくった日はマッサージしていた。

 

「オルガさんは仰向けになってください。前もちゃんと揉みほぐします」

「そうか? やってくれるってんなら任せるが」


 俺は仰向けになったオルガの腹の上に乗り、揉んだ。

 オルガは両手を頭の後ろで組み、目を閉じて大きく胸を上下させている。

 この体勢といい揉み心地といい、かなりエロティックではあるが、あまり興奮はしない。今はそんなことより、きちんとマッサージしなければならない。

 それに、最近は美女の身体にも割と慣れていた。もういちいち鼻息を荒くするようなDT丸出しの反応はそうそうできないだろう。


 前世では考えられない贅沢な慣れだが、しかしそれも仕方がない。なにせ今の俺は精神的にはともかく、肉体的にはほとんど性欲を感じていないのだ。

 まだ子供だし、女は男と違って物理的に色々溜まることもない。

 その気になれば毎日賢者モードで過ごせる。

 ま、あくまでもその気になればの話だけどね。


 思えば、なんだか自分がどんどん女になっている気がする。今もゴスロリ服を着てるし、普通に女体を触りまくってるし、周囲の人々からも幼女扱いされている。

 これで第二次性徴が始まってアレがきた日には自分がどうなるのか全く予想できん。

 

 俺はオルガの胸筋を黙々と揉みほぐしながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。それからまた三十分ほど続けて、マッサージは終わりとなった。


「さて、さっさと寝ちまうか」


 特にやることもないので、早々に休むことにする。

 二人同時に寝てしまうと危険なため、もちろん交代で寝る。

 更にもちろん……といって良いのか、俺の方が睡眠時間は圧倒的に多い。そもそも俺の見張りは信頼性が低いので、俺がどれだけ力強く説得しても、オルガは仮眠状態で夜を明かすことになろう。遠慮して俺まで寝不足になったら元も子もないため、俺はしっかりと寝させてもらう。

 数時間したらオルガに起こしてもらい、交代だ。


「おやすみなさい」

「おう、ガキはたっぷり寝とけ」


 オルガは膝枕してくれた。

 この姐御はなんだかんだ言って優しいのだ。

 

 そうして、俺は白竜島での一日目を終え、微睡みに沈んでいった……。

 と思ったら、いきなり頬を叩かれた。


「起きろローズッ、客だぜおい!」

「――ふぇ!?」


 オルガの鋭い声が降りかかり、飛び起きた。

 いつの間にかオルガは立ち上がっており、リュック片手に身構えている。どれくらい眠っていたのか不明だが、そこそこ頭がすっきりしているので、数時間は眠っていたのだろう。


 周囲を見ると、右方と左方に茶色――汚れてくすんだ橙色の巨大生物がいた。

 まだ頭部しか見えていないが、土色の鱗が焚火の明かりに照らされている。

 たぶん地竜だ。


 何はともあれ先制して魔法を放とうとしたとき、今度は頭上に火竜っぽい影が現れた。それも三頭分。

 更に目を凝らすと、雲間からの月光を受けて風竜っぽいのが三、四頭ほど上空を旋回しているのが分かる。


「……奴ら、全然来ねえと思ったら戦力集めて来やがった」

「え……あの、さすがにヤバくないですか、これ……?」

「すまん、うとうとしてたから接近に気付くの遅れた」


 と話しながらも、俺とオルガは同時に上空の火竜を特級魔法で堕とした。

 瞬間、左右二十リーギスほどの距離に迫っていた地竜がいきなり大地を揺るがしながら突進して来る。


「行くぞローズッ!」


 オルガは俺を抱きかかえ、両翼を羽ばたかせる。

 火竜がファイアブレスを見舞ってきたので水の盾を張って防ぎ、大量発生した目眩ましの蒸気を突っ切って飛翔する。


「〈雷光撃ロークト・ダーサ〉!」


 俺はオルガの身体にしがみつきながら、光属性上級魔法をぶっ放す。

 上には風竜、下には地竜、そして蒸気の靄から火炎と共に飛び出してくる火竜。

 否応なくカーウィ諸島という地の厳しさを再認し、この島にいる間はやはり安眠できそうにないことを実感させられた。


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