表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幼女転生  作者: デブリ
一章・奴隷編
10/203

第七話 『嗚呼、労働の喜び』


 すごい充実感を感じる。

 今までにない何か熱い充実感を。

 風……なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、俺たちのほうに。

 中途半端はやめよう、とにかく一生懸命働いてやろうじゃん。

 この工場にはたくさんの仲間がいる。決して一人じゃない。

 早寝早起きしよう。そして共に働こう。

 怒鳴られたりするだろうけど、絶対にくじけるなよ。


 奴隷生活、二十日目。

 俺は勤労の喜びを噛み締めていた。


 汗水垂らして労働した後の食事は最高に美味しいのだ。

 疲労困憊の身体で微睡みに沈む瞬間は最高に心地良いのだ。

 十日に一度の水浴びは最高に気持ち良いのだ。

 仲間と共に働き、語り合い、ときに争い合う。しかし俺たちは少しずつ絆を深めていき、互いにとってなくてはならない存在へと昇華していく。


 まったく……前世の俺は何をしていたんだ。

 労働とはこれほど素晴らしいものだというのに。

 今の俺ならば、働いていない者は生きていないとさえ言える。

 つまるところ、前世の俺は生きていなかったのだ。

 ずっと死んでいたのだ。

 生きるとは働くということだったのだ。

 今ならば、それがよく分かる。

 なんて愚かだったんだ、俺は。

 せめてバイトでもしていれば、労働の喜びを少しは味わえたというのに……。


 この充実感は何物にも代えがたい感慨を俺にもたらしてくれる。

 嗚呼、労働の喜び。

 いや、これぞ人生の喜びだろう。

 素晴らしきかな、ニューライフ!


 今日も今日とて、俺は仲間たちと共に汗を流していく。




 ♀   ♀   ♀




 日々のほとんどはルーチンワークと化していた。

 足腰の疲れや空腹感と戦いつつ、ただただ無心に作業していく。

 二階の奴隷部屋以外でレオナたちと会話する機会は少ないが、だからこそ一日の作業から解放された後、存分に言葉を交わし合うのは楽しかった。


 奴隷生活二十二日目。

 その日の夕食時もまた、俺たちはパンと野草と木の実と水を食しながら、雑談していた。


「最近は平和ですね。誰も喧嘩したりしません」

「そーだね。へーわがいちばんだよ」


 俺のしみじみとした声に、レオナが陽気に相槌を打ってくれた。


「ねえ、ローズ。それ、おいしいの……?」

「ん? これですか? もちろんおいしいですよ」


 ノエリアから不思議そうに問われ、俺は頷きを返した。

 ここ数日、俺は味気ない食事に変化を求めるため、食べ方を工夫していた。

 パンに草と木の実を挟んで食べる、いわゆるバケットサンドというやつだ。ただし、パンは石のように硬いので、まずはパンの半分ほどを水に浸す必要がある。同時に野草も水に浸すことによって、水分を持たせてシャキシャキ感を出させる。ある程度の水が浸透してパンが柔らかくなったところで、指先に力を込めて切れ目を入れ、そこに具材を挟んで出来上がりだ。


 このエセバケットサンドが意外とイケる。

 パンに水気があるのは今更なので気にならないし、あくまでも視覚的な面における錯覚が大きいとは思うが、それでも美味しいものは美味しいのだ。木の実がクルミっぽいことから、食感としてはクルミパンに近く、野草も微妙にシャキっとしていて新鮮味がある。

 

「明日にでも試してみるといいですよ。私が教えますから」

「うん……おねがい、ね?」


 少しモジモジとしながらも、ノエリアは上目に見つめてきながら呟いた。

 獣耳幼女のそんな仕草を見せられ、俺はホッコリとした気持ちになって、ノエリアを見つめ返す。


 ノエリアは最近、少しだけ落ち着いてきていた。必要以上にビクビクと怖がることがなくなっている。

 普通なら奴隷生活という状況に精神状態が悪化して鬱になってもおかしくはなく、実際にそうした子は何人かいる。しかし、レオナと同じグループかつ毎晩車座になって夕食を共にすることもあってか、ノエリアは以前よりも明るくさえなっている。


 第四期奴隷幼女たちは各グループに分かれて食事している。コップは基本的に水桶の周りに置いておき、飲みたくなったら桶の近くまで行って飲む。

 以前のアウロラ政権下では考えられないシステムだ。

 なので他グループにレオナ成分は行き渡らないのだが……

 レオナは意外にも他グループに割り込んでいったりはせず、俺たちといることがほとんどだ。女の子は同じグループ同士ばかりで行動するらしいが、異世界でもそれは同じなのだろうか。

 まだ四歳とはいえ、やはりレオナも女の子ということだろうか。


「…………」

「ん、どーしたのフィリス?」

「…………」

「あははっ、そんなにくっつかないでよ、もー」


 意外といえばフィリスだ。

 無表情かつ無口な彼女はなぜかレオナに懐いている。今もまたフィリスはレオナに身を寄せて、我が名付け親の左腕を抱えて密着している。

 ちなみに我らがフォーマンセルでの最年長者は五歳のフィリスだ。その次に四歳のレオナ、そして三歳のノエリア、年齢不詳(でも三歳を自称)の俺となる。


 そんなこんなで、幼女同士でじゃれ合いつつ夕食を終えた。

 腹がくちくなったことで眠気が襲ってくるが、最近では少しだけ我慢できるようになっていた。しかし、レオナやノエリアは我慢できないのか、そそくさとワラ製ベッドにダイブする。尚、フィリスは誰よりも早く寝床に付く。


 一方で俺はというと、夕食後はリタと話をすることが多い。

 奴隷部屋の出入り口から右奥――リタたち第二期奴隷幼女たちのテリトリーへ赴き、平和政権の長たるリタ様に謁見を申し込むのだ。

 といっても、リタの方から俺を呼んでいるので、快く通してくれる。


「そういえば、リタ様」

「ん? どうしたの?」


 リタは小首を傾げた。

 やはり服を着た金髪ロリというのは良いものだ。


「私たちの髪って切られないんでしょうか? 私の髪とか結構長いと思うんですけど」


 俺の真っ赤な髪は背中の半ば以上まで伸びている。おそらく奴隷幼女たちの中で一番長い。前髪も結構伸びているため、目にかかって非常に鬱陶しい。


「あぁ、髪ね。髪は定期的に、一斉に切ることになってるのよ。時期的に、たぶん次の水浴びのときにでも切ると思うわ」

「そうですか、良かったです」

「良かったって……ローズは髪を切りたいの? せっかく長くて可愛いのに」

「あはは……ありがとうございます」


 俺の後ろ髪に触れるリタに、曖昧な笑みを返しておいた。本物の幼女からすれば長髪は女の子らしくて良いのだろうが、俺はエセ幼女だ。長い髪だと新鮮味はあるものの、暑いし邪魔だし重いので快適さを選びたい。


「ところでリタ様。話は変わりますが、新しく来た若い男の人、なんかおかしくありませんか?」

「おかしいって、なにが?」


 リタは奴隷幼女の中で最も精神年齢が高く、少しでも俺と近い目線で言葉を交わせる優秀な幼女だ。とはいえ、さすがのリタ様も俺の感覚的であやふやな言葉の意味までは察せられない。


「なんと言いますか……あの人って、普段は外にいるじゃないですか。それで、たまに中の様子を見に来たときとか、なんだか背筋がむずっとするんですよ。それに外で休憩の時なんかはずっと私たちの方を見てきてますよね?」

「それはべつに、おかしなことではないでしょう? あの人――名前はノビオっていうらしいんだけど、彼の仕事はここの警備か何かだろうし、わたしたちの監視をしていてもおかしくないわ」


 さすがリタ様、既に新入り野郎の名前をご存じとは。

 しかし……ノビオか。青い猫型ロボットでも引き連れてそうなヘタレ野郎めいた名前だな。名前だけ聞けば、さして警戒する必要はないと思えるんだが……

 あの野郎はどこか変だ。

 精悍ながらも落ち着いた顔立ちは良く整い、脚はスラリと長く、背も高い。全身は引き締まっていてスマートだが、しかし不思議と弱々しい感じはしなかった。イケてるフェイスには常に微笑を湛え、物腰の柔らかそうな雰囲気を纏っている。

 前世で言うところの欧米風の顔立ちと相まって、さながらハリウッドスター並に魅力ある男だ……と評するとただのイケメン野郎だが、俺はノビオからただならぬ気配を感じ取っていた。


 なんというか、不気味なのだ。何がどう不気味なのかは判然としないが、なぜか奴の琥珀色の瞳には不快感を覚える。

 最も近い感覚としては、前世で鏡を見たときに似ている。キモメンのクズニートが、エロ漫画とエロ動画とエロゲばかり嗜んだことで濁りきった瞳を向けてくる、あの薄気味悪い感覚だ。ノビオはイケメンで、一見するとその瞳は少年めいた純真さを覚えるほどに澄み切っているのだが……

 どういうわけか、どこかのクズ野郎を見たときと同様の不気味さを感じ取ってしまうのだ。


「いえ、でもそうね……」


 ふとリタは顎先にそっと手を当てて目を伏せた。

 以前のマッパ状態とは違い、服を着て思案する仕草は、なるほど元貴族の高貴な雰囲気が感じられないこともない。

 まあ、俺は前世でも鏡の中以外で貴族なんて見たことないんだけどな。


「ローズは背筋がむずっとするって言ったけど、わたしはたまにローズから見られていると、そんな感じがするときがあるわ」

「――え」


 リタ様から「どうしてかしら?」とでも言いたげな目で問いかけられる。

 俺は焦り、混乱する脳内から強引に別の話題を引っ張り出した。


「そ、そういえばリタ様っ、最近のマウロさんは機嫌が良いですよね!? あれってどうしてなんでしょうっ?」

「え? えぇ、そうね、たぶん新しい魔弓杖を貰ったからでしょうね」


 無論、リタの答えを聞くまでもなく、マウロがご機嫌な理由くらいは俺も知っていた。なにせ俺が前世から引き継いだスキルは、人の顔色を窺うことに長けた観察眼だけなのだ。

 クソ兄貴の爆弾めいた癇癪がいつ発動するのかを見極め、誰からも好かれることを望み非難されることを恐れた俺の無意識が、幼少期の頃から常に人の顔色を窺って適切な行動をとらせていた。

 それを可能にした観察眼も引きこもってからは少々錆び付いたが、物心つく前から約二十年に渡って錬磨された俺の眼は、もはや魔眼といっても差し支えない精度で人の表情や仕草から心情を読み取れる。

 まあ、読み取れると言っても、実際はネガティブ思考と被害妄想が生み出す曖昧な推測なんだが。


 マウロがご機嫌なのはリタの言うとおり、新しい魔弓杖――もとい銃を手に入れたからだろう。あのイケメン野郎ノビオが来た日から、マウロは右腰に拳銃をぶら下げるようになった。休憩時間などには同僚の連中に自慢しているほどだ。


 拳銃の外観は至ってシンプルで、パッと見た限りはL字型の物体にトリガーとトリガーガードが付いただけの代物だ。スライド部や排莢口も見当たらなかった。

 俺はマスケット型の魔弓杖組み立てに、一部とはいえ関わったことで、いくつか分かったことがある。魔弓杖というやつは弾丸も弾薬も魔力なので、物質的な弾丸は必要ない。そのため、機械的な機構がほとんど存在しないのだ。

 俺の推測だと、以下のような構造になっていると思われる。


 ・機関部……魔力の弾丸=魔力弾(勝手に命名)を生み出すための装置。

 ・銃身……魔力弾の軌道を安定させる、あるいは加速させる。

 ・引き金……機関部を駆動させ、魔力弾を発射させる。

 ・銃把……銃を握ると同時に使用者から魔力を吸い出す(あるいは任意に流し込む)。


 この世界に火薬式の銃が存在するのかは不明だが、こう考えると銃形態であることはなかなか理に適っている。魔力弾などは魔法が存在する時点で魔弓杖がなくても使えそうだが、大抵のRPGや漫画なんかでは魔法具的なものがあれば、魔法発動に詠唱は必要ないといった事が間々あった。

 加えて、前世における銃とは誰でも簡単に使えることが最大の利点だった。弾丸さえ込められていれば、老若男女の別なく、ただトリガーを引き絞るだけで撃てた。魔弓杖が魔力さえあれば誰でも使用できることは既にリタ様が仰っていたことだ。

 拳銃型魔弓杖の大きさは前世の一般的な拳銃より一回り大きいくらいだろうか。それでも全長は三十センチもないので、マスケット型より携帯性は格段に高い。


 ちなみにリタ様によると、この世界の度量衡でセンチはレンテというらしい。

 リタ様に「これは何レンテくらいですか」と様々なもので何度も訊きまくって確認したので、たぶん一レンテは一センチとほぼ同等だ。

 どうやらミリはルス、メートルはリーギスで、キロはメトというようだ。

 おそらくグラムはゼルンで、リットルはラッテンとか何とか……まだまだ慣れないが、俺はこの世界の人間として生きていくのだから、その辺も意識して変えていった方がいいだろう。

 

「マウロさんの持っている新しい魔弓杖って、なんなんでしょう? 新型なんでしょうか?」

「見たことのない形だったから、そうかもしれないわね。でも、アレが広まれば、また人がたくさん死んでいくわね……」


 リタは眉を曇らせ、悄然と呟きを溢した。

 彼女は既に、故郷を破滅に追いやった魔弓杖の組み立てを百日以上は続けているわけだが、やはり色々と思うところはあるのだろう。俺が質問したせいで暗い表情を見せているとはいえ、やはり幼女にはレオナのように笑っていて欲しい。


「げ、元気出してくださいリタ様っ、笑う門には福来たるですよ!」

「笑うカド……? よく分からないけど、ありがとう」


 リタは微笑みながら俺の頭を撫でてきた。

 二日前に水浴びしたばかりだから、それほど汚くはないはずだ。


「わたし、弟と妹がいてね。四つ下の双子だったんだけど、いつも『お姉ちゃんお姉ちゃん』って言って凄く懐いてくれてたの」

「そうだったんですか」


 貴族というだけでなく、姉という立場もあったから、リタは大人びているのかもしれない。


「なんかローズを見てると思い出してくるわ。あの子たちはどうなったんだろ……」


 なんか地雷っぽい話なので迂闊に質問できないな。

 俺もリタの頭を撫で撫でしてやりたかったが、ここは年下らしく撫でられていよう。しかし……うーむ、頭を撫でられるというのはかなり気持ちいいな。眠気が俺を微睡みの海へ連れて行こうとしてくる。


「ローズは言葉遣いもきちんとしているし、頭もいいし……ちょっと変なところもあるけど、可愛いわね」


 今度は頭を撫でられつつも抱きしめられた。幼女になってからはレオナやノエリアと引っ付くことが多かったが、やはり人の体温というものは安心できる。

 リタは奴隷幼女たちの例に漏れず、痩せ気味の身体をしているのに、柔らかい。か弱いとはいえ、幼女からしっかりと抱擁されていると、形容しがたい感情がわき上がってくる。


「……………………」


 なんだろう……?

 俺は今、もの凄い安らぎと幸福を覚えている。

 こんな穏やかで満たされた気持ちになったのは久々――いや、初めてだ。


「ぅ、うぅ……ぐす……っ」

「え、あれ? ローズ? 急にどうしたの? もしかして痛かった?」


 思わず涙がこぼれ、嗚咽を漏らすと、リタが俺の顔を覗き込んできた。

 

「い、いいえ、その、なんでもありません……」

「なんでもないことないでしょう? えーっと、ほら……よしよし」


 リタは俺の頭を、髪を梳くように優しい手つきで撫でてくる。

 しかし、それがまた一層、俺の心を大きく揺さぶって落涙量を増大させる。


「あ、あれ? 本当にどうしたのローズ?」

「――――」


 俺は答えることができず、思わずリタの胸に顔を埋めてしまう。

 リタは小さく苦笑したような気配を覗かせつつも、俺の身体に手を回して、背中をさすってくれた。

 

「そうね……ローズはなんだか大人びてるけど、まだ三つか四つくらいだものね。誰かに甘えたいわよね。いいわよ、今日は特別にわたしが一緒に寝てあげるわ」


 金髪美幼女から一緒に寝てあげると言われても、俺は全く興奮しなかった。

 そんなことを思えるような状態ではなかったし、それ以前に、なぜかそんな邪な感情をもうリタには向けられなかった。


 次第に微睡みが深くなっていき、俺はいつもリタが使っているワラ製ベッドに身体を預ける。リタも一緒になって横になり、尚も俺を抱き寄せたまま、頭を撫でてくる。

 俺はリタの胸にしがみついたまま、目を閉じて人の温もりに浸った。


「……………………」


 もう死んでもいいと思った。

 幼女としての新しい人生はあるものの、今ならば悔いなく死ねる自信がある。今度は時空魔法だとか馬鹿なことは言わず、心安らかに人生を終えられるだろう。

 なぜ、俺はこうまで安らかになってるのか。

 今更思い返すまでもなく、前世では孤独な人生を送っていたからだろう。

 その原因はもちろん俺自身にあったが、クソ兄貴の存在も無視はできない。 

 だって、俺の兄は正真正銘のクソ野郎だったんだ。肉体的暴力はあまりふるわれなかったが、精神的暴力なら毎日のようにふるわれ続けた。

 精神的な傷は目に見えないからたちが悪い。クソ兄貴より四つ年下だった俺は、物心ついた頃から奴の異常性を目の当たりにして育ったのだ。


 奴は掛け値なしに異常だった。

 今の今まで怒り狂っていたかと思うば、次の瞬間にはケロっとした顔で笑っていやがる。強姦魔が獣の如く腰を振っていたかと思えば、急に服装を整えて女性に優しく微笑みかけるのに似ている。

 常人には理解不能な二面性を持つ男だ。

 もちろん被害者の女性は不気味に思うだろう。しかし、彼女は戸惑いながらも笑顔を返すしかない。そうしなければ、目の前の強姦魔がいつまた自分に襲いかかってくるか知れないからだ。そして状況によっては、女性は強姦魔に惚れるだろう。

 襲われないように媚びへつらうことを無意識が己に強要するのだ。

 マッチポンプだな。

 優しさというのは恐怖があってこそ際立つものだ。


 まあ、大人ならそうやって冷静に状況を分析することができる。だが、俺は物心ついた頃から異常な環境にいたせいか、それが異常だと気がつくのに随分と時間が掛かった。

 簡易的な洗脳に近いな。俺は俺も気づかぬままにクソ兄貴から抑圧されて育ち、いつの間にか良い子を演じていた。兄が兄らしくないから、俺が代役として兄らしく、落ち着いた手の掛からないガキとなったのだ。

 世間ではこれを機能不全家族というらしい。


 そのせいか、俺は怒られることを極端に嫌った。兄がいつも怒られていたせいもあるだろう。俺は怒られない良い子になるよう努力した。とにかく誰からも責められず、怒られない子供を演じた。

 結果、俺は他人を人間として見なくなった。俺が優秀であるために、誰からも好かれるために、俺は他人を利用しやすい便利な道具同然に思っていた。

 いま思えば酷く矛盾した思考だが、それこそ俺が既に異常な状態にあった証左ともいえる。異常な状況においては、異常な判断こそが、正常な行動なのだ。


 高校に入学して二ヶ月ほど経った頃、俺は友人の一人がクラスで密かにハブられていることを知った。誰もが表向きは和気藹々としているが、裏では罵詈雑言を吐き、偶然と見せかけて様々な嫌がらせをしていることを知った。

 もちろん、それを当人に知らせてはいけない。それはクラスのお約束だった。

 俺も約束させられたが、しかし俺はその友人のため――否、俺自身のために真実を伝えた。俺は誰からも好かれたかったのだ。


 が、当然のように俺の裏切りはばれてしまい、今度は俺がハブられた。それどころか、酷いいじめに発展した。真実を伝えた友人は助けてくれず、俺を見捨てた。

 高校は半年も経たたないうちに、逃げるように中退した。

 約束を破り、人間って奴を軽く見ていた俺に、神が罰を与えたのだと思った。


 それからは散々だった。自業自得とはいえ、俺は人間不信に陥り、広所恐怖症になり、太陽光が嫌いになった。しかしそれでも尚、本能は良い子であることを強要してきた。なんとしてでも大学に入学して、再び優秀であることを周囲に見せつけねばならなかった。

 そうしなければ、俺には存在価値も居場所もないと思っていた。


 日々、兄の暴虐に晒されながらも、胃潰瘍と顎関節症と頭痛に悩まされながらも、俺は頑張った。十代にして鬱病を発症しかけていたので、予備校にもどこにも行けず、ひたすら家に籠もっての独学の日々だった。

 無論、両親との仲なんて良くなかった。高校中退という負い目などがあって、上手く接することができなくなってしまった。


 そうして、俺は高認(大検)を一年で取得した。十八歳でFランの私大になんとか合格し、俺は俺の存在価値をかろうじて証明して、キャンパスライフをスタートさせた。が、その頃には既に鬱が致命的なまでに心を浸食していた。

 幼少期から我知らず溜まり続けていたストレスは俺の意志を容赦なくへし折った。人間不信と広所恐怖症と太陽光嫌いは独学の日々によって、性根まで完全に蝕んでいた。


 結果、俺は引きこもりになった。優秀な自宅警備員になった。

 せっかく入学した大学は中退した。Fランだったので見切りは簡単につけられた。

 そうして全ては兄が悪いのだと、全て生まれた星の下が悪いのだと、俺は自分に言い聞かせた。親も子供に甘い人だったから、クソ兄貴を叱ってはいたが、所詮は表面的なものだった。軽く叱って、次に同じ事をしても同じように叱って、叱った後は馬鹿みたいに甘やかす。

 両親が兄を止められなかったという事実もあり、俺はそう納得できてしまったし、両親はクズニートと化した俺を殊更に非難したりしてこなかった。


 それから俺はあらゆる努力を放棄し、二次元世界に没頭した。親のスネを囓りまくり、エロ画像や動画の収集に熱中し、あらゆるアニメやゲームをこれでもかと堪能する日々を送った。

 バイト? 就職活動? 高校も大学も中退したクズにどうしろと?


 こうしてクズな引きニートが誕生した。

 前世では常に諦念を抱きながら、ただただ無気力な日々を過していた。誰にも理解されないまま、理解されようともしないまま、漫然と生きていた。全ては育った環境のせいだと言い訳して、あらゆる努力を放棄していたのだ。

 クソ兄貴同様に、俺も正真正銘のクズ野郎だった。


 そんな俺が、今まさに抱きしめられている。

 感無量だった。

 俺はこんな風に、誰かに自分の存在を受け入れて欲しかったのだ。相手がたとえ幼女だとしても、俺の事情を何も知らないのだとしても、リタは俺を一人の人間として認め、受け入れてくれた。クソ兄貴からはついぞ弟扱いされなかった俺を、妹のように扱ってくれている。

 こんなクズな俺を抱きしめてくれている。


 これが幼女の身体でのことでも、三十年という歳月で蓄積した欲求の解放は、多大なカタルシスをもたらした。俺は高校をドロップアウトしてから、両親にすら本心を打ち明けられず、十五年ほどの半生を孤独に生きてきた。

 そんな俺が――ありのままの俺が、抱きしめられた。

 受け入れられた。

 無上の幸福とはこのことだ。


「おやすみ、ローズ」


 リタの声を最後に、俺は尚も安らかな気持ちのまま、意識を閉ざした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=886121889&s ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
[良い点] まだ序盤ですが読みやすいし面白い [気になる点] 独自の単位は分かり辛いだけの誰も得しないものなので辞めてほしい。 どうせ異世界語で話してる言葉も日本語で書いてるんだからそこも日本と同じ…
[気になる点] 誰からでも好かれたいから秘密をばらすのはよく分からんなぁ。兄のせいにしてるだけで元々そういう気質のある主人公だったんだろうな
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ