《Bird side - 4》『綴─TSUZURU─』
──リスク?
声を目に見えるようにするためには『リスク』が伴うかもしれない。フォグと名乗る白髪の魔法使いはそう言った。
「なに、大袈裟にとらえることはないさ。穀物を得るのだって雨や風が必要だろ。それと同じだと思えばいい」
そんな言葉にワガリが騒ぐ。
「なあ、やっぱりやめとこうって。よお、おい、ヴァンブーってば」
そして騒ぐワガリに目もくれず、ヴァンブランは平たく言い放つ。
「うるさいな、帰りたきゃおまえだけで帰ればいいだろう。そんなんだからおまえは何にも得られないんだよ」
そして……その言葉にワガリは全身の羽毛が逆立つような気分になった。何も言い返せなかった。いや、今回ばかりはさすがにこう言い返したかった。
──得られないだって? おまえは最初から持っていただけじゃないか! その『声』は決して勝ち取ったものなんかと違うじゃないか!
と。
▼ ▲ ▼ ▲ ▼ ▲
霧はその濃さをさらに増してきた。ヴァンブランがフォグの方に向き直った時にはもはや彼の姿は霞んでぼんやりとしか見えなくなっていた。
「こちらの準備は整った。あとはきみが歌えばいいだけだ」
フォグはまたパイプの煙を一直線に吹いた。その姿を見てヴァンブランはようやく気がつく。先程からやけに霧が出てきているなと思っていたがこれは全て彼のパイプによって生み出されているものなのだ。
霧は拡散することなくその場に留まり、ぐるりとヴァンブランたちを包み込む。魔法はすでに始まっているのだ。
「さあ、小さなヴァンブラン。歌うんだ。君が持つ最高の声でね」
不思議な感覚だった。姿も顔も見えず、ただ霧に覆われた真っ白な空間から響いてくるフォグの声はまるで黄泉の国から手招きする天女のようにヴァンブランを誘う。さあ、今こそ歌えと促す。『声』だけがくっきりとその輪郭を成して存在を主張する世界。そんな中で天女がふわりと羽衣を広げる姿がヴァンブランの目にははっきり映ったように思えた。早く声をかけねば、早く歌い讃えねば、彼女はこのままどこかへ飛び去ってしまう。
君のまといし──
気がつくとヴァンブランはそう歌い始めていた。
君のまといし衣の糸が
ふいに舞い散ることがある──
飛び立とうとした天女がゆっくりとこちらを振り返った。まるで動くものに興味を示す猫のように。無垢な乳飲み子のように。
目の前で呟けば
衣の糸は軽やかに
ふわりとまた空を舞う──
振り返った拍子にはらりと長い前髪が落ちる。言い伝え通りだった。天女に後ろ髪はない。ただ長く美しい前髪があるだけ。それに触れたくてヴァンブランは翼を伸ばす。
君に触れたやわらかが
現よりも鮮やかで──
“歌声”は消えることなく、死に絶えることもなく、己が肉体を求める魂のように彷徨っていた。それは閉ざされた籠の中で行き場をなくした蝶が辺りを漂う姿にも似ていた。
穏やかな陽射しですら鋭くて
君のいた陽だまりに
降る矢のごとく突き刺さる──
まるで突然何かに射ぬかれたように、ヴァンブランたちを包み込み込んでいる霧が今度は熟れたざくろのように赤く染まった。天女はびくりとその細い指で口を押さえる。辺りがしばし静寂に包まれ、やがて……とくんとくんと音が聞こえ始めた。射ぬかれた獣の肉体から新たな生命が今にも這い出してくるように、母体のなかで胎児の臓器が初めて脈打つ時のように、霧は鼓動を始めた。ヴァンブランはまた歌う。綴る。
君のまといし衣の糸は──
その声が合図といわんばかりに赤く肉付いた霧はゆっくりと天空に向かって真っ直ぐに細い細い糸を放出する。その一本一本がそれぞれに産声を奏でながら。
時折
君が知りえぬ場所で
ふいに現れたりもして──
ヴァンブランの目の前に今度はトリルの姿が一瞬眩く広がった。彼女もまた天女のように飛び立っていこうとしている。
守るすべなく
景色はゆらゆらと水の中──
何千、何万の糸は一本一本に意思があるかのようにゆらゆらと絡み合い、紡ぎ合い、次第に形を織り成していく。ひとつとして無駄な動きがない。天女はそれらと戯れるように空を舞い踊っていた。
君のまといし衣の糸が
ふいに舞い戻ることもある
愛しいと呟けば
衣の糸は軽やかに──
「へえ、これは思っていた以上にすごいな! すごいよ、こんな上質の声は“見た”ことがない!」
その様はまるで湿った霧がヴァンブランの声を吸収し、液体が氷になるような、あるいは水蒸気が雲を作り出すような、そんな化学変化のようでもあった。いや、どちらかと言えばそれはただの石を金に変えてしまう“錬金術”に近いといえた。
ふわりと空を舞う
ふわりふわりと消えてゆく──
歌声が消えていくと共に天女は高く高くその姿が見えなくなるまで高く昇っていった。やがて霧は晴れ、それと反比例して夜空に完成されていく一枚の色鮮やかな“織り”。それこそが“ヴァンブランの声”だった。
「こりゃあ……たまげたな」
ワガリはポカンと開いた嘴が塞がらなかった。
やがて最後の一本が紡がれた時、織りは眩い光を放ち空からぷっつりと糸の切れた凧のようにヒラヒラと舞い落ちてきた。嵐のあとのようにはっきりと星が仰ぎ見える満天の夜空から。
フォグは優しく、天女の羽衣を抱くようにその“織り”をふわりと受けとめた。
「どんな気分だい。これが君の声だ」
その“織り”はプリズムのように見る角度によって異なる光を放っていた。まるで抽象画を思わせる色彩や模様は一時たりとも同じ位置に留まることはなく、言ってみればそれは“動く絵画”のようだ。
“織り”は歌っていた。驚くべきはそれが聴覚からではなく視覚から直接頭に伝わってくることだった。もちろヴァンブランだって自分自身の声をその目で“見る”のは初めてのことだ。彼は自分の体に少し違和感を覚えたがそれでも満足だった。
『こりゃすごい。これでやっと、トリルに──』
フォグにお礼を言おうとしたその時、ヴァンブランの背筋に悪寒が走った。先程から感じている違和感の正体が少しずつわかり始めてきているのだ。
『まさか……まさかまさか──』
彼は恐る恐る嘴を開き、腹から空気をゆっくり吐き出した。そこに“音”は存在しなかった。
──声が、出ない。
「これで満足かな? 小さなヴァンブラン。言っただろ? 自然の流れに逆らえばそこには必ずリスクが生じる」
フォグは“織り”をくるくると巻くと、大事そうに小脇にはさんだ。
「見つけた。この世を造りし《原初の声》。ようやく我が手に──」
フォグの声が低く凄みを増した。
──返せっ! 俺の……“声”だぞ!
ヴァンブランはそう叫んだつもりだったがもちろん声になるはずもない。“それ”はもはや男の手中にあるのだから。
ゆっくりと歩き出した男に向かってヴァンプランは翼を広げて猛スピードで突進していったが、あっさり弾き返されてしまった。
右手を広げニヤと笑うフォグの前には何か目に見えない結界のようなものが張り巡らされているようだったが、彼にしてみればそんな芸当は瞬きするくらいのことでしかないのだろう。
今となってはまさにヴァンブラン自身が“籠の鳥”だった。
まるで虫にまとわりつかれたかのように肩を払うとフォグはフードを目深にぐっと被り再び森の奥へ歩き始めた。
「じゃあな、小鳥さん。またどこかで会おう」
そんなフォグの声が響き終わると森にまた静けさが戻った。ヴァンブランとワガリは茫然と立ちつくしたままだった。
──これは夢だ。夢に違いない。
彼は望んだ。早く朝がきてこの夢から目覚めることを。
だが、例え夢であってもそれは“悪夢”であり、そしてまだ始まりでしかないということに、ヴァンブランは気付いていなかった。
※今回作品内で扱わせて頂きました詩は、
霜月透子様の詩集『雲居なす』からの一編「君のまといし衣の糸は」(他十四編)──
を御本人様の承諾を得て使用させて頂きました。(物語上一部再構築等がございますことをこの場を借りてお詫びさせて頂きます)
御存知の方も多いと思われますが霜月様は〈アルファポリス〉〈BOOKSHORTS〉〈カクヨム〉などでも精力的な活動を、そして当サイト〈小説家になろう〉では個人作品はもとより[ひだまり童話館]での主催、葵生りん様主催の[ELEMENT]への参加など多方面・多彩なジャンルで活躍されております。そのイメージをかきたてられる表現力、豊富な語彙力、読むものを引き込ませずにはいられない構成力には自身さまざまな影響を受けさせて頂いております。
霜月様、この度は拙い作品に素晴らしい詩を提供して頂き感謝の言葉もありません。まことにありがとうございました。
── ペイザンヌ ──