1-5 旅の始まり ―魔術―
『隠者』のジジイが魔術を発動させると、レナの体から光があふれ始める。あの深い青の光……魔力だ! 脳裏に魔力を出して倒れるレナの姿がよぎる。
「レナ!」
「騒ぐな!」
ジジイが怒鳴り返す。光の粒はレナの上に集まって、大きな光球になっていく。
「私は大丈夫です、エレノラ」
レナはこちらに微笑みかけてくる。レナからでる光の粒はもう無くなっていて、すべて光球に集まっていく。すると、光球の中に何やら映りだした。
あれは……人の顔? なんだか誰かにつねられているようだ。というか、あれは私だ。さっきレナにつねられていた私のようだった。うわ、あんな顔をしていたのか。なんだか恥ずかしい。それになんとなくムッとしてきた。
ジジイが魔法陣をまたつつくと、映っているものが変わった。今度は空の上のようだ。誰かの背中にしがみついて周りを見渡すような映像。時々グリフォンの翼が映る。なんだかみているとワクワクしてくる。
「これって……レナの記憶?」
ジジイは椅子を近くに寄せ、座った。
「さよう。この魔術は魔力に刻まれた記憶を映し出す。つまるところ生まれてから今までの見たものと、その時の感情をこの光球に写す」
「じゃあこの映像を見てて思ったことは、レナが思ったことってことですか」
ジジイが頷く。
「もちろんすべてがそうというわけではないがな」
と、レナがフルフルと震えている。
「どうしたの、レナ?」
「聞いてません……そこまで、とは」
よく見ると耳まで真っ赤になっている。ジジイは頭をポリポリと書いている。
「言っておらんかったかの」
このジジイ、ボケているんじゃないだろうか。まあ、たしかに感情まで知られるのは嫌だろう。私だってこれからの旅を気まずい感じにはしたくない。
「それじゃ、やっぱり外で待っているね」
と、レナはフルフルと首を振ってこっちを見た。
「いい。……恥ずかしいです、けど。みて、ください。知ってほしいので、私を」
なんかちょっと泣きそうな顔をしている気がするけれど、そこまで言われて断るのも失礼だろう。私も覚悟を決めて姿勢を正した。
「分かった。それじゃあ、何見られても言いっこなしよ」
レナは頷いて、また正面に戻った。今度はジジイにちょっと尋ねる。
「ねえ、そういえば音は?」
「音はない。うるさいのも臭いのも辛抱たまらんからな。さあ、どんどん行くぞ」
ジジイが魔法陣をつついてどんどん映像を進める。夜の草原でとっても疲れていたこと。私との戦いの間ちょっとワクワクしていたこと。森の中で私と出逢ってとってもほっとしたこと。ジジイとの特訓を必死にやっていたこと。ジジイに首を振られてひどくがっかりしたこと。森の中でもうろうとしていたこと。
次の映像に移ろうとすると、映像が乱れたようになって何も映らなくなった。
「あれ、どうしたの?」
「魔術は問題なく働いておる」
ジジイが何回か魔法陣をつつくと、乱れた映像の中に男の姿が映った。その男はこちらに向けて手を向けている。その手には何かを持っているようだったが、乱れてよく分からない。それを見ていると胸が押しつぶされるような気持になってきた。やめて、こないで。
ジジイが魔法陣をつつくと、光球は光の粒に散って、レナの体の中に戻っていった。
「今のは……」
「生まれた頃のようではなかったが……」
ジジイは苦虫を噛み潰したような顔をしている。私は立ち上がってレナに声をかけに行く。
「レナ?」
顔を覗くと、レナは泣いていた。いや、泣いていたというより、うつろな瞳からただ涙を流しているようだった。懐かしむでもなく、悲しむでもなく。まるで雨に濡れた人形が水を貯めていたみたいに、溢れた体液をただ流れるがままにしているようだった。
「レナ!」
レナの肩を揺さぶると、レナの瞳に力が戻った。レナは自分の頬を触り、それでようやく自分が泣いていることに気付いたようだった。レナがジジイの方を見ると、ジジイは何も言わずに首を振った。
「ごめんなさい。先に休みます」
レナは私の手を振りほどいて階段の方に向かっていった。私はかける言葉も見つけられず、その背中をただ見送った。
「レナ……」
慰めてあげたかったけど、どう慰めればいいかも分からない。
レナにかける言葉を探すためにも、まずはジジイに話を聞いてみよう。
「ねえ、どうしてあの子の記憶を見ていたのです? 約束って何だったんですか?」
ジジイは杖をまた壁に立てかけて、話し出した。
「……あやつに初めて会った時、あやつは何も覚えていないようじゃった」
「記憶喪失ってこと? でもそんなの」
失せ物探しなんて研究しつくされてる。それが記憶でも変わらない。ジジイは頷いた。
「もちろん記憶復活の魔術はすぐに試した。じゃが、理由はわからんがあやつの記憶は戻らんかった。……じゃが幸いにもあやつには魔女の才能があった。魔女になって魔力を開けば、、魔力に刻まれた記憶を見ることができる。それを見ればあやつの出自も知ることができると思ったのじゃ。魔力に刻まれたものを完全に書き換えるのは、不可能じゃからな」
だからあんなに必死に魔女になろうとしてたのか。自分の過去を知る為に。
「それでも、すべての記憶は出て来なかった」
ジジイは椅子に座り、船漕ぎながら天井を見つめていた。
「期待して努力していた分、落胆も大きかったのじゃろう。結局ワシはあやつに苦痛を与えるばかりで、何もしてやれんかったようじゃ」
ジジイは大きいため息をついた。落ち込んでいる姿が、この人なりにレナのためにしてきたことを思わせる。
「……なにもしてやってないってことはないと思いますけど」
私はその辺にあった魔石を手に取って力を込める。石は魔石特有の赤い光を出し始める。
「最後の男……知っている人ですか?」
「いや、見たこともない男じゃった」
「それならその男に会いに行けばいいんですよ。記憶は過去へと戻していたんですよね。あなたに出会う前の記憶にいた人なら、私達の知らない何かを知っているはずでしょう」
ジジイはこっちを見た。
「じゃがどうやって? 当てはあるのか?」
「ありません。それでも、旅をしていれば、きっといつか見つけられます。その旅をするための力を、あなたはあの子に与えたんですよ」
……他人を慰めるなんて私らしくなかったかな。
魔石を棚に戻して、ジジイの目を見た。
「私、あの子と旅をします。それがあの子との約束でもありますから」
皺の奥に隠れるようにあるその瞳が少し細くなる。
「それは願ってもないことじゃ。あやつが持っておるのはどう見ても魔術師向きの才能ではない。わしのところにおっても良いことはないじゃろう。しかし……」
ジジイは少し視線を下げ、また戻した。
「お主はなぜ旅をしておる? 小娘の所有物に堕ちてまで、何が目的じゃ?」
今度は私が視線を逸らす番だった。でも、真面目に聞かれてるなら、真面目に答えなければいけない。
「……『最強』。私はそれを探す旅をしています」
ジジイは眉間にさらに深く皺を寄せる。
「思い出した。お主、戦争の最後の島の生き残りじゃったな」
ジジィの視線を避けるように目を逸らすと、さっきまで触っていた魔石が砕けた。少し力を込めすぎたのだろうか。
「はい、他はみな『最強』に」
「仇討ちか。……あの『歩く災厄』は人の手で消せるものではない。それを小娘にさせるつもり、ということか」
レナの笑った顔が思い浮かんでちくりと胸に刺さる。その顔が、古い思い出を湧き立たせる。
それでも、やると決めたのだ。
「やるのは私です。あの子には、ちょっと魔力を貸してもらうだけ」
視線を戻して、冗談めかして笑う。
「それに、私かわいい子も才能ある子も好きなんです。だから全く後悔はしていませんよ」
「そうか」
それだけ言ったと思ったら鼻を鳴らすように笑った。
「まあ、ただ利用するんじゃったら普通は召喚獣にするじゃろうな。とんだお人好しじゃ」
う。まあ、それが正しいんだろうけど。
反論しようと口を開こうとしたらジジイは椅子から立ち上がり、こちらに頭を下げた。
「『円卓の管理者』、どうかレナを頼む。あやつはどれだけ強い魔法が使えようと、ひよっ子じゃ。導き手となってやってくれ」
「そんな、頭を上げてください」
「頼む」
なんからしくないように思える。でもよく考えたらこのジジイのこと何も知らなかったわけだし、考えを改めないといけないのかもしれない。
「分かりました。大船に乗った気持ちでいてください」
ジジイは頭を上げた。
「すまん」
「まあ、とりあえず今はレナのところに行ってきます」
私はジジイを置いて階段の方に向かった。
「レナの部屋は2階にある。多分、そこにおるじゃろう」
手を上げてあいさつ代わりにする。
*****
階段を上るともう夜になっていた。キッチンにはレナが用意したのか、夕食が用意されているようだった。あとで食べるとして、ひとまずは気にせず2階に上がる。
2階はどうやら寝室になっているようで、ベッドと机、小さな本棚があるが、そこにレナはいなかった。2階は1部屋しかないのに、いないじゃないか。
よく部屋を観察してみると、窓がすこし開いていた。
「レナ?」
窓から外を覗くと、レナが屋根の上で座って空を見ていた。2つの月明かりに優しく照らされた顔は穏やかで、落ち込んでいる風でもなかった。
「ねぇ、何しているの?」
さっきのことを断ち切るように明るめのトーンでそう尋ねると、レナは視線を変えずに答えた。
「月を、見ています」
確かに今日の月はどちらも明るく、星はあんまり見えそうになかった。
「月、ねぇ。よく見るの?」
レナはこくりとうなづいた。
「あと、10日くらい、で、隠れ月です。それまで、2つの月は1年で一番惹かれ合って、一番明るい。ですよね?」
「そうね。お師匠に聞いたの?」
私はレナの隣に座った。
「はい。でも、周期とかは、見て」
「そう。……空を見るのは大事なことよ。旅人にとって空は時計であり方位計なの。これから必ず役に立つわ」
レナの方に微笑みかけると、照れくさそうに笑い返してくれた。私は寝転がって空を見上げる。2つの月が串の通った団子のように並んでいる。
「私、月から来たんです」
いきなりの発言に思わず屋根からずり落ちそうになる。慌てて元の位置に戻る。
「冗談でしょ?」
レナは意地悪そうな笑みをこちらに向けている。
「半分。……お師匠様、言ってました。異世界から来た人のこと、この辺りだと、『動き月から来た人』って呼ぶって」
「ああ。じゃあ、あなたって異世界人ってこと?」
レナは困ったような顔をした。そっか、そもそも記憶がないはずなんだった。
「お師匠様が言うには。私、最初は、言語も話せなかったんです」
「それでちょっとしどろもどろなのね。あ、ゴメン」
「良いです。私が話していたのは、翻訳魔術、にも訳せない言葉で、でもお師匠様の言葉は、理解できたんです」
翻訳魔術はこの世界で離されている言語ならなんでも、少なくともある程度は意味が通じるようになる。それが通じないっていうことは独自の言語か、この世界にない言語か。独自言語ならそれと別に母国語があるはず。でもレナの場合は、それもなかった。
「でも、異世界からの召喚術には、一緒に専用の意思疎通の魔術や翻訳魔術を入れてるって聞いたことがあるわよ」
うろ覚えだけど、そうじゃないとコミュニケーションが取れなくて困るはずだ。
レナはちょっと寂しそうな顔をした。
「お師匠様も言ってました。それで、おそらく召喚事故で意思疎通の魔術だけが抜けたか、意図的に省略されたのだろうと」
と、いうことは。あの記憶のはじめの頃のレナには、記憶も知り合いも故郷も、意思疎通できる相手もなかったんだ。
「でも」
レナはまた空を見上げて優しく続けた。
「私、それで良かったです。この言葉がなかったら、私にとって過去が本当にないものだったから」
泣く訳でもなく、強がってる風でもなく、レナはそう言った。
強いなって思った。慰めに来たつもりだったのに、そんなもの必要じゃなかったみたい。
レナはまたこっちを見て、こちらに微笑みかける。
「ありがとうございます。エレノラ」
「なにが?」
「話、聞いていただいて。すっきりできました」
気を使ってくれてるのか、本心か。どっちでもよかった。私は起き上がり、レナの頭の後ろに手をまわしてぎゅっと抱きしめる。
「レナってさ」
私の腕の中でレナがこっちを見上げる。
「抱きしめやすいよね」
レナの顔が火が付いたようにボッと赤くなった。照れ隠しで変なことを言ってしまった。
ごまかすように優しく髪の毛を撫でてあげる。
「レナの母国語って、あの詠唱のときの言葉よね?」
「は、はい」
「私、あの言葉の響き好きよ。ねえ、なにか歌……は覚えてないか」
記憶がないから歌える歌も思い出せないだろうと気付いたけど、思い付きが止められなかった。レナは寂しそうに首を振る。
「それじゃあ、思い出したら歌ってもらえる?」
そういうと、レナは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「はい。約束、です」
「よーし、じゃあ明日から頑張らなくちゃね。ねえ、代わりにいろいろ教えてよ。たとえば『月』ってどういうの?」
「ええと、つき、です……」
そんな感じでしばらくレナの母国語をいろいろ聞いて、夜が更けていった。
*****
翌朝、私は食卓に座ってレナの支度を待った。ジジイは向かいでレナの淹れた茶をすすっている。
「そういえば、レナが普通の召喚士を連れてきたらどうするつもりだったのですか?」
「まあ、頼み込んでレナに召喚を教えてやってもらうつもりじゃった」
「その後は?」
ジジイはお茶をすする。
「後などない。まあついでに小娘を連れてもらえれば助かるというものじゃったが」
私はため息をついた。
「それってどうなんです? 普通不要な伴は嫌がられますよ」
「小娘の頼みを聞くような奴じゃ。きっとお人よしが来るじゃろうて」
ジジイはひっひと笑った。なんだか自分のことをいわれているようでむかつく。
「一応言っておきますけど、私はだれの頼みでも聞くわけじゃありませんから。ただ、レナは、なんというか、ちょっと好みだったから、それでまあ話くらいは聞いていいかなって……ってレナ」
階段の方を見るとレナが顔を赤くしていた。よく顔を赤くする子だ。
「準備はもういいの?」
「はい。……あの」
「……どこから聞いてた?」
「……エレノラが、頼みを聞かない、というところから」
ビンゴで聞かれたか。まあ、知られて困る話ではないだろう。……レナの反応次第だけど。
「ねえ」
レナの方に寄ろうとすると、レナは体をびくっと震わせた。あ、これはだめなやつかもしれない。
と、ジジイがため息をつきながら立ち上がった。
「レナ。行くのか」
「はい」
レナは気を取り直した。ジジイ、ナイス。
「メイド長。これからどうするつもりなのだ」
「そうですね。私の方は当てのない旅ですから、当面は例の男を探そうかと思います」
「そうか。ワシの知る限りではこの辺りであの顔を見たことはない。とりあえずは魔法都市に向かうとよかろう。ここからじゃと西に向かって峡谷を超えれば見えるじゃろう」
私は手をひらひらとさせた。言われなくともそのつもりだった。
「ご助言、感謝いたします」
しかし魔法都市か。いつぶりになるだろう。
「どうやって行くんだ?」
「もちろん歩いて。旅の始まりはいつだって、だれだってそうするものでしょ?」
ジジイは鼻を鳴らした。私は出口の方に向かって、ドアを開く。
「さあ、そろそろ行きましょうか」
レナはこっちに向かって歩き、途中で後ろを向いてジジイの方を向いた。レナは例のローブと杖と、それと大きめのナップサックを背負っていた。
「お師匠様、これまでありがとうございました」
師匠は頷いて、後ろを向いた。顔を見られたくないのかもしれない。
「……忘れるな。魔女とは自由なものじゃ。どんなことがあろうとも、どんな時でも」
「はい!」
レナは元気よく返事をして、私と一緒に外に出た。外は雲一つない空で、絶好の旅日和だ。
「改めて、これからよろしくね」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
*****
こうして、私達の旅は始まった。私にとっては旅の一幕でしかないのだけど、あの子にとっては特別なもので、だから私にとっても特別な想い出だ。