1-4 旅の始まり ―儀式―
ノックしてから少し経ってドアが開き、偏屈を絵にかいたような、顔がしわしわで眼鏡をかけた老人が顔を出した。
「なんじゃ、レナか。早かったな」
「あ、あの」
ドアの淵を掴んで老人の全身が見えるようにさらに開く。思ったよりも腰は曲がっていないようだ。
「ん? …これは、『円卓の管理者』とは。こんな田舎にまで名前の通る有名人が、老人しかいないような小屋に何の用じゃ?」
「お初にお目にかかります。えーっと、『隠者』? 聞いたことないわね……。とにかく、私、あなたのお弟子さんの召喚獣になりましたので、以後よろしくお願いいたします」
優雅にお辞儀してみせると、ちょっとしてから目の前の老人は大笑いし出した。ま、その反応も分からないでもないかな。しかしそもそもはあんたが言い出したことじゃないのかと。
複雑な気持ちの中、レナが服を軽く引っ張る。
「あの、お師匠様とエレノラは、お知り合い?」
大笑いしていた老人が息を整えて答えた。
「ああ、言っておらんかったな。魔女はみな、魔女としての名である二つ名を持っておる。それはその者の魔力に刻まれておるから、十分近づくと分かるようになっておるんじゃ」
真面目に答えたかと思ったら、また『隠者』は笑い出した。
「それにしても、先の戦争でも活躍したという『円卓の管理者』が人の物、しかもこんな小娘の物となるとは…くっくっくっ」
ひとしきり笑ったところでレナの師匠は私たちを招き入れた。
「ま、こんなところで立ち話もなんじゃ。茶くらいは淹れてやろう。レナ」
「はい」
招かれるままに『隠者』の家へと入っていく。
家の中は普通の小屋のようで、意外と窓から光が漏れ入ってきて明るくなっていた。
レナは慣れたように奥に向かっていく。レナの師匠は気にせず奥側の椅子に座り、私はその向かいに座る。レナがお茶を淹れて持ってきて、私の隣に座った。
「淹れるって、自分で淹れてないじゃん」
聞こえないように独り言を言いながらお茶を一口すする。なかなかおいしい。
レナの方を見ると湯呑に息を吹きかけている。猫舌なのかもしれないな。
おっと、本題に戻ろう。私は緩んだ頬に気合を入れなおし、師匠の方に向き直った。
「しかし、外に出すならいろいろと教えてあげるべきことがあったのでは? この子、召喚契約の仕方も知りませんでしたよ」
「そんなもん、ワシも知らんのだから教えようがない」
師匠がお茶をすする。……めちゃくちゃな言い分だ。
「知らないって、あなた。自分も知らないものを試練にするって、どういう神経なの?」
「そもそもワシは召喚を使えるやつを連れて来いとしか言っとらん。それがまさか、こんな大物を、しかも召喚獣にして帰ってくるとは」
また笑い出した。なるほど、どこかで勘違いが起きて召喚できるようにならないといけないと思ったわけか。どんな勘違いだ。気分直しにお茶をもう一度すする。
「さて、質問は終わりかね、客人?」
言いたいことはあるけど、言っても無駄だろう。右手をひらひらとして返事する。
それを見て向こうは小さく頷いた。
「それでは茶を飲み終えたら儀式を行おう。順序がやや入れ替わったが、たしかに召喚はできるようになったようじゃからの」
「は、はい」
レナは慌ててお茶を飲もうとするものの、まだ熱かったのかむせてしまった。
「おい、メイド長」
「…それって私のこと?」
「お前以外にだれがおる。女執事とはそういうことであろう?」
師匠が眼鏡を上げながらこっちを見る。見下されたように感じて思わず立ち上がる。
「馬鹿にしないでもらいたいわね。私だって、別に好きで名乗ってるわけじゃないんだから」
「別に馬鹿にはしとらん。ただなんたらかんたらと長いから呼ぶのがおっくうなだけじゃ」
冷静に流されてしまった。この人、なんか苦手だ。大ババ様を思い出す。
「……長いって言うならエレノラと呼んでもらっても結構ですが」
席に座ると師匠は人の悪そうな笑みを浮かべる。
「人の名など覚える気は無い。それに今は名実ともにメイド長ではないか。自らの召喚士のために召喚獣たちを操るなど。なんならワシが『メイド長』と名を付け替えてやろうか?」
「結構です」
訂正。この爺、嫌いだ。睨みつけているとジジイは真面目な顔に戻った。
「冗談はこれくらいにして、頼みたいことがある」
「……なんでしょう」
さっきの流れからだとどうしても警戒してしまうが、表情からして面白い話ではなさそうだ。
「立ち合いをしてくれ。小娘の魔女の儀式には立ち合いがいる」
「そういうことなら。まあ、喜んで」
気分を落ち着けるためにもお茶を飲む。
「しかし魔女の儀式に立ち合いがいるとは、あまり聞いたことがありませんよ」
「この子は特別じゃ」
ジジイが間を置くように茶をすする。
「なんせ『人』を召喚獣にするような子じゃからな」
またにやにやしながらこっちを見る。私は立ち上がってお茶をぐいっと飲み干してからになった湯呑を机にどんと置く。笑えない冗談はともかく、特別というのは実感のある話だ。
「とにかく、やるなら早く始めましょう。それでちゃっちゃと終わらせたら、私たちは旅に出ますから」
レナの方を見ると、目が合った。レナは慌てるように目線を逸らしてお茶をこくこくと飲み干した。
「あの、でも、約束」
「分かってるわよ。それも早く終わらせましょうって話」
「旅か。それは良い。ワシもこれでようやっと自由になれるわけじゃな」
ジジイは立ち上がり奥へと向かっていく。
「さて、儀式は地下で行う。ついて来い」
私は立ち上がったレナと一緒にジジイの後についていき、地下への階段を降りて行った。階段は石造りで、こつ、こつと乾いた音が地下へと鳴り響いていく。
階段を降りた先の地下室は、いかにも魔術師の研究室といった風だった。
石壁につけられた棚には本やら魔石やらが置かれている。地面にはいくつか魔法陣がかかれているようだ。隅には物書き机と椅子、それに杖が立てかけられている。灯りは松明で取っているようで、入ったとたんにすべてが燃え出した。便利なものだ。
ジジイはいくつかある魔法陣の一つの端に立ち、レナを真ん中に立たせる。
「メイド長は反対側じゃ」
「……私はあなたのメイド長ではありません。レナのだったらなってもかまいませんが」
もう諦めかけてきたけど、精一杯反論してからレナの後ろに立つ。
「ふん、弟子のものはワシのモンじゃ」
なんじゃそりゃ。もういいわ。なんでも。
ジジイが杖を取って魔方陣を叩くと、現れた青い光に反応するようにレナは肩をピクリと震わせた。
「始めるぞ。小娘。これからお前の魔力を開く。ひとたび魔力を開けば、集中させぬ限り魔力が体から漏れ続ける。そしてお前の魔力がすっからかんになろうとしても、一度儀式を始めれば止めることはできん。つまりもしお前がまだ魔女となるほどの実力がなければ、お前は死ぬ。それでも良いな」
レナはこくりとうなづいた。
「よろしい。それでは自分の内なる魔力を集中させよ」
レナは両手をおなかの辺りに当てる。きっと目をつぶっていることだろう。息も止めてるかも。
「私はレナの手助けをすればいいのよね?」
ジジイは頷き、苦悩の表情を浮かべて小声でつぶやいた。
「よろしく頼む」
……真剣な顔で頼み事とは、意外な一面もあるものね。ともあれ、頼まれたからには絶対レナを死なせるわけにはいかない。ジジイは両手を上げ、呪文を唱え始める。
「自然よ。我らがしもべにして大いなる母たる魔素よ。これより、我らの列に新たなる者を加えん」
地下室に風が吹き渡る。その風はレナから噴き出しているようで、その強さですべての松明の灯を消した。しかし同時にレナの体が水晶のような深い白に輝き出し、地下室が暗闇に包まれることはなかった。
この光と風はレナの魔力だ。ただ、このタイミングでこれは強すぎる。儀式の間は出て行く魔力を止めるわけにはいかないが、この調子で出ていくがままというのもまずい。魔力酔いの時と同じように、私は魔力をレナの体に纏わせる。
「その者、内に秘めたる魔を放ち、その証立てんとするなり」
レナからでる風はますます強くなっていく。私もさらに魔力を纏わせるが、むしろ私が魔力を出せば出すほど風が強くなっていく。私の魔力の光である緑色を混ぜながら。
「ま、ずい。ジジイ、早くして」
よく考えたら私の魔力にはレナの魔力が混じっている。おそらくそれで私の魔力が巻き込まれて、出ていく量が増してしまったんだろう。やり方を変えないと。
いったん自分の魔力を体内に集中させるが、また純粋な白に戻った風は、しかし緩まることを知らず、むしろそれでタガが外れたように強くなっていく。レナの呼吸もどんどん荒くなっていく。ヤバい、まずった。
「願わくば、新たなる主を言祝ぎ、その証に抗するなからんことを」
風が『隠者』の魔力を受け入れ、一瞬で濃紺に染まる。レナはもはや息も絶え絶えで、今にも倒れそうになっている。このままだと儀式が終わる前に魔力がなくなってしまう。
……魔力がないなら、継ぎ足せば良い。私は風に逆らってレナに近づき、抱きしめる。
「レナ。もうちょっとだから、耐えて」
私は私の魔力をすべてレナに注ぎ込む。どうか私の魔力から先に出て行きますように!
「いざ、新たなる主を受け入れたまえ。その名、『――』を言祝ぎたまえよ!」
レナの体が青緑に輝く。これまでで一番強い風が吹き、そしてやんだ。レナの体の輝きが収まって、視界が真っ暗になる。終わった。そう思ったら私とレナは倒れこんで、そこで私の意識はなくなった。
*****
次に目が覚めた時、振り返ると心配そうなレナの目が最初に見えた。いつの間にか私は座っていて、ちょっと青白い顔のレナが後ろで座り込んでいた。早鐘を打つ心臓が頭を叩いているみたいに痛む。
「エレノラ、顔、大丈夫?」
「え、ああ、うん。大丈夫。ちょっと気分が悪いだけ」
「魔力が抜けた影響か、あるいは召喚されるとそういうことになるのか?」
ジジイは風でぐちゃぐちゃになった棚を片付けているようだ。微妙に片付いている所を見ると、どうやら時間が飛んでいる。
「召喚でこうなるのは私だけだと思います。……そっか、私、カードに戻ったんだ」
召喚獣は死にそうになると体がカードに戻ってしまうのだ。つまり、召喚獣じゃなかったら死んでたかもしれないってわけか。我ながら無茶をしたものだ。悪態をつく代わりにレナの頭を撫でる。
「良かった、レナ。おめでとう。魔女になったんだね」
「ありがとうございます」
レナはちょっと照れくさそうに笑った。
「そうだ。魔女になったってことは二つ名なつけてもらったんだよね。なんて名前? 私、必死だったから聞き逃しちゃって」
と、レナは笑顔を引きつらせる。……そして魔力に刻まれた名前を読む前に全速力で私から離れていった。どうやら聞いちゃいけない奴だったみたいだ。
ニヤニヤしながらジジイが答える。
「うむ。ワシながら良い名を付けた。その名も『ひよっ子』じゃ」
「ひよっ、こ」
その響きを反芻させている内に、思わず吹き出してしまった。
「アハハ、ヒヨッコ。ひよっこって。フフ、嘘でしょ?」
「儀式が終わったとたんに倒れるようなモンにはピッタリの名じゃろ?」
いけない。ツボに入ってしまった。笑いが止まらない。
「でも、フフ、すごいじゃない。最初が、ハハ、『人』なんて。ひ、ひよっこ、でも」
レナはムッとしながらも不思議そうな顔だ。私はちょっと真面目な話できる状態じゃないからジジイに任せよう。
「二つ名にはその者の能力に合わせて付けるのじゃ。程度が低いものは生命の象徴たる『動物』、次に優れた者は自由の象徴たる『鳥』、魔力の象徴たる『幻獣』に続き、最後に知恵の象徴たる『人』となる。つまり、お前はひよっ子にもかかわらず、ワシやそこのメイド長と同列の名を持っておるということなのじゃ」
「で、でも、ひよっこ。アーッハッハッ」
や、やばい。息が、つらい。もう座ってもいられない。と、レナが近づいてきて、私の両頬をつねってきた。
「エレノラ、笑い、すぎです」
「ご、ごふぇんなふぁい」
痛くはないけれど、レナのむくれ顔が可愛いとか思ってたら落ち着いてきた。
それにしてもつねってくるなんて、少しは遠慮が消えてきてくれたのかな。.
「あー、そろそろよいかの」
いつのまにやらジジイは片づけを終えて、さっきの魔法陣の上に立っていた。私は寝ころんだまま魔法陣の方を向く。
「ねえ、そういえばその魔法陣は何だったんですか? 魔女の儀式にはそんなもの必要なかったと思うんですけど」
ジジイは私の差した魔方陣とちょっと離れた所のを見比べた。
「お主、魔方陣の違いも分からんのか」
……どうもさっき立ってたのはあっちの魔方陣だったらしい。いや、そんな落ち着いて見る時間なかったし!
ジジイはため息をつきながらも説明してくれた。
「あっちの魔方陣は魔力の動きを抑えるためのものじゃ。あまり抑えすぎると儀式に支障が出るので効果は弱めておったが、調整不足じゃったな」
……弟子一人殺しかけたのに調整不足で終わらせるその心持ちはさすがにどうかと思う。
「役立たずの魔方陣ってわけ。それでこれは?」
目の前にある方の魔方陣を指すと、今度はなんだか言い淀んでいる。
「約束」
代わりにレナがそう答えて、魔法陣の方にトタトタと歩いていった。
「ねえ、その約束って何なの? そろそろ教えてくれてもいいんじゃない」
「なんじゃ。聞いておらんかったのか。……それならメイド長は外で待っておれ」
何それ。なんか仲間はずれみたいで気に入らない。がばっと立ち上がって抗議する。
「なんでよ。いいじゃない。その魔法陣の魔術も気になるし」
「あー、ちょっとデリケートなものでな」
このジジイ、デリケートという言葉を知っていたか。
と、魔法陣の上に立ったレナが首を振った。
「いい。エレノラにも、知って、欲しいです」
そういわれたのでどしっと胡坐をかいてジジイの方を見る。
「よーし、それじゃあ私も見学させてもらいます」
「ふん。……まあ良いじゃろ。それではそこで見ておれ」
ジジイは立てかけて直していた杖を取って、魔法陣をコンとつつく。すると、レナの体から光の粒が出始めた。
この深い青はさっきも見た。これは、魔力。魔力がレナから漏れ出ているんだ……。