1-3 旅の始まり ―出立―
次に私の耳に入って来たのは泣き声だった。振り返ると、レナが泣いていた。
思っていたのと違うものが見えたせいか頭痛がする。でも頭痛が来るのは予想していたことだ。とにかく私よりレナの方。
「どうしたの?」
日の位置を見るに、すぐに召喚してくれたようだ。だからこそなんで泣いているんだろうか。
「も、もし、うまく行かなかったら、って。でも、うまく行って」
どうやらレナは私の心配をしてくれてたみたいだ。そういえばカードになってすぐは召喚できないんだった。それで不安にさせたのかもしれない。
とはいえ行きずりみたいな相手にそこまで気をもむのは異常にさえ思える。
「私たちまだ出会って丸一日ってとこよ? そんなふうにならなくても」
「でも、わたしのせいで。って」
しゃっくり交じりに喋るレナを私は抱きしめた。
「ほら、落ち着いて? ちゃんとあったかいでしょ?」
レナはそのまま私の胸の中で泣き続けた。誰もいない草原で、見ているのは一番星だけだった。
レナが落ち着いたころには完全に日が落ちていたので、今日は草原にキャンプを張ることにした。
まずは大鷲を放って獲物を取ってきてもらう。
大きな樹の近くにまばらに生えた草を刈り取り、森から拾ってきた焚き木を置いて、手をかざして火をつける。レナの方を見ると少し驚いた風だ。そんな顔されるとちょっと得意になってしまう。
「旅をするなら火くらい無詠唱で起こせないとね」
起こした火を消して、レナの後ろに回って両肩に手を置く。
「さあ、イメージして。手の先とその焚き木が繋がっているって。そのつながりを導火線にして燃えるイメージを焚き木に伝えて」
レナは両手を焚き木の方に向け、しばらくじぃっとしていた。すると、焚き木の方から次第にぱち、ぱちという音が聞こえてくる。しかし、炎はまだ上がらない。
「っ――、っはぁ、はぁ」
どうやら息を止めていたらしく、突然肩を上下させて深く呼吸をし出した。ぱちぱち鳴っていた焚き木はもううんとも言わなくなった。
息が荒いままレナはこっちを見る。すがるような目にわたしは小さくため息をついて、焚き木に火をつけた。
「ま、だんだんとね」
言ってから気付いたけど、レナはまだ見習いなんだった。……それなのに、杖もなしにもう一息までいったのか……。
ひとまず気にしないことにして、レナの隣に座り込む。地面をポンポンと叩くとレナも座ってくれた。
時期もあってか、日が落ちるとこの辺りは寒くなってくるようだ。そんな体を焚き火が優しく温めてくれた。
火に当たりながら大鷲を待つ間、レナの話でも聞いて時間をつぶそう。
「そういえばあなたの詠唱って変わった響きね。独自言語?」
魔法の詠唱に決まった形はなく、勝手に言葉を作って詠唱する人もたまにいる。だから別に変なことではないのだけど、レナはうつむいて口を開かなくなった。あら、地雷?
仕方ないので次の話題を考えていると、レナが口を開いた。
「エレ……シャーリーさんのは?」
「エレノラね。忘れられるのも切ないけれど、あまり本名で呼ばないで。あと、『~さん』とか、そういうのもいらないから」
警告がてら少しにらんでおくと、縮こまってしまった。そんなに怖がらなくてもいいのに。
「私のは…まあ普通よ。一昔前に流行った魔女の言葉。あれだと、詠唱の中身が分かりにくいでしょ?」
レナは小さく何度もうなづいている。魔女の言葉は人によって使い勝手が微妙に違うから、翻訳魔術の効きが悪いのだ。
「だから、どういう魔法を起こそうとしているかが分かりにくくなるってわけ。しかも、あの方が気分も乗りやすいしね。あなたのもそういう意図があるんじゃないの?」
あ、地雷っぽかったのにまた聞いてしまった。しかし、こんどは答えてくれた。
「私は、あっちの方、話しやすい、ですから……」
「確かに。しどろもどろって感じだものね、あなたの喋り方」
レナはまたうつむいてしまった。まあ何か訳ありなのだろう。
次の話題を考えていたら鷲が帰ってきた。ちゃんと2人分のウサギを掴んで。頼んでおいてアレだけど、よく見つけてきたものだ。
感謝のしるしに羽を撫でてやってからカードに戻した。
「さあ、料理開始よ。切るの手伝ってね」
腰にさしていたナイフを渡すと、まじまじと眺め、むんっと構えた。
これは、ウサギの方を渡した方がよかったかもしれない。
たぶん初めての解体だったんだろう、レナが悪戦苦闘して切ったお肉を焚き火の前に置く。香草が匂い立つのを待つ間。
「ねぇ、どうしてあんなに必死だったの?」
暇つぶしに尋ねると、レナは首を傾げた。
「召喚のことよ。魔力酔いまで起こして、必死じゃないなんてウソよ」
「条件、だったから」
条件? 私はレナの言葉の続きを待った。
「魔女になる、ための試練。現代の魔女、なら、現代の魔法も、使える必要があります」
「現代の魔法、ねぇ」
そこまで召喚は新しくもない技術だけど。むしろ魔術魔法より古いという説だってある。
「あなたの師匠って、おじいさんかおばあさんでしょ?」
レナは頷いた。
「男性」
「そう。それじゃあきっとひねくれ者で人嫌いなおじいさんなんでしょうね」
レナはこっちを見て、「どうしてわかったの」と聞きたげな顔をしている。
「だって、わたしの知り合いの魔女もそうだったから。まあ、こっちは『おばあさん』だけど」
そういって2人向き合って笑った。
「みんなそうなの。年取った魔女ってだいたい偏屈で、へそ曲がりでプライドが高くって。新しい魔術とかが出てくると『伝統が~』とか言ってるくせに、ちゃっかりその魔術を使ったりして」
「『魔女とは自由なものだ』って」
「そうそう。そのくせ自分は私たちに強要したりするのよね」
なんだかこういうのも懐かしいな。ひとしきり師匠に対する愚痴を言って笑いあったところでお肉に火が通った。少し大きい方をレナに渡して、自分の分にかぶりつく。あ、でもあの口でかぶりつけるかな。
自分の分を食べ終わってレナの方を見ると、やはり少し食べにくかったようで、ハフハフしながらお肉と格闘している。
「さ、明日にはその師匠のところに行って、『こんなむちゃくちゃな条件出しやがって』って、文句の一つでも言ってやりましょう」
レナが食べきるのを待つ間に、明日の朝の為に残った肉も焼いておこう。
「それで『家出してやるー』って言ったりして。魔女になったとたんに飛び出してやればいい」
「あ、ふぉれは」
レナは口にお肉を入れたまま話し出した。
「ちょっと、行儀悪いわよ」
レナは口をもぐもぐさせた後、ごっくんした。
「それは、困り、ます」
「どうして? 『せいせいするー』って言ってやればいいじゃない」
「約束、ある、から」
「約束?」
レナはこくりと頷くけど、その後を続けようとはしない。言いたくないってことなのかと思うと、なんだかムッとしてしまった。愚痴を言い合った仲なのに。
「あら、そう。そうよね。たった2日しか一緒に居なかった私にはわからない大事なことがいっぱいあるわよね」
「うん。ごめんなさい」
う、素直に謝られると何も言えない。
「とても大事な、私の」
レナはそこまで言って、それ以上は何も言わなかった。ま、なんにせよ明日にはわかるか。それに、約束を守るのは大事なことだ。
「さあ、食べ終わったなら今日はもう寝ましょう。明日は道案内よろしくね」
そういうとレナは小さくこくりとうなづいた。
野宿の時には、ベッド代わりに熊と剣歯虎を召喚する。豊かな毛並みを持った2体は召喚されたその場で寝転がって、誘うようにこちらを向く。
「さ、今日はどっちがいい?」
レナは剣歯虎の方に近づいて、遠慮がちに傍で丸くなった。剣歯虎の方からもうちょっと近づいて、密着するように動く。
「ローブ、脱がないの?」
というと、レナは起き上がり、ローブを木の枝にかけてまた丸くなった。よっぽど疲れてたのかしら。私は熊の毛繕いをしてあげて、その大きな体に身を預けて目を閉じた。
*****
朝陽がまぶたに突き刺さって目が覚めた。寝ぼけ眼をこすって周りを見渡す。一面の野原。異常なし。
熊の背中をポンポンと叩くと、熊は小さく声を上げ、カードに戻った。
「今は私もこの子たちと同じ、召喚獣なのよね…」
感慨深くカードを眺める。カードの柄はどんなのなのだろう。召喚されたときもあんなだったし、きっとレナも覚えていないだろうな。
剣歯虎の方を見ると、レナは剣歯虎の長いひげをぎゅっと握りしめてぐっすりと寝ていた。私が起きたのに気付いた剣歯虎はレナの頬を舐めて起こそうとする。
「んん。あと5分」
「寝ぼけてるのかしら」
レナの頬をつつくとようやくレナも目を開いた。
「おはよ。どう? 牙はいたくなかった?」
剣歯虎が不満を言うように低く唸る。冗談だって。
「ええ、いえ。大丈夫、でした。もふもふでした」
レナは慌てるように上体を起こし、髪を整えた。
「その子の毛並みも整えてあげてね。ありがとう、って」
昨日調理しておいた肉を温める。火をつけるのとは違って調節が少し難しい。
「記憶を呼び起こし、熱を取り戻せ《soglor ali vasciato》」
お肉から湯気が出てくる。焦げ臭くもない。普段こういうことはやらないからちょっと心配だったけど、うまく行って良かった。と、レナが剣歯虎とともにやってきた。剣歯虎をカードに戻し、レナにはお肉を渡す。
「さあ、食べたら出発しましょ」
「あ、あの」
「なに? 朝からお肉食べられないなんて贅沢言わないでね」
そう言うとお肉にかぶりついて首を振った。ちゃんと飲み込んでから次の言葉を出す。よしよし、しっかり学んでるな。
「えと、実は、道が…」
「わからない?」
レナは小さくうなづく。思わず深いため息をついてしまったら、レナはうなづいた頭をさらに深く沈め、うなだれてしまった。
「ああ、えと、責めてるわけじゃないの。ただ、あなたの師匠もその辺ちゃんとフォローしときなさいよって思って。あなたの師匠って、何かと足らないタイプだね」
慰めても、うなだれたままちょっとずつお肉を食べている。
「まあ、道はきっと何とかなる。その杖貸してみて?」
レナは傍に置いていた杖をこちらに渡した。私はその杖を手のひらの上に置く。少し重い。
「これはもともとその師匠の下にあったものなのよね?」
レナはこくりとうなづく。
「あなたがそこを出たのは?」
「えと、2日前」
「つまり初日に出会ってたのか。運も結構良いんだ」
ということはここからそんなに離れてない場所のはず。私は頭の中でイメージする。2日前、森の近く。素人が歩きそうな道のりで。
「来た道示せ《sodic soxpaniv》」
手のひらの上の杖に魔力を込めると、ゆっくりと杖はまわり出した。体に当たって邪魔をしないように気を付けながら手を動かすと、ある方向をさすようになった。グリフォンを召喚して、その背中に飛び乗る。
「さ、行きましょうか」
準備をしているうちにお肉を食べ終わったレナに手をのばすと、慌てるようにローブを取り、私の手を掴んだ。そのままレナを引き上げて、グリフォンの背中に乗せる。
「さあ、しっかり掴んでてね」
レナが腰に手をまわしてぎゅっとしてきたのを確認して、私はグリフォンの首を少し撫でた後軽くたたいた。それを合図にグリフォンは羽ばたき出し、杖の示す方向に飛びたった。
「魔法って、すごい」
あんだけ雷を起こしておいてよく言う。と思ったけど、感動を邪魔してもしょうがない。
「あなたもその魔法をどんどん使えるようになるのよ。これからね。それに」
首に手を添えたままレナの方を向く。
「私はあなたの召喚獣なんだから、これはもうあなたの力なのよ」
「私の…?」
どうやらあまり実感がわいていないようだ。まあ、実感がないのはお互い様だけれど。
*****
しばらく飛んでいると、眼下にそれらしき屋根が見えてきた。
「ねえ、あれ?」
風圧に耐えながらレナは小さくうなづく。
「よし、じゃあ降りましょう。舌噛まないように注意してね」
レナがギュッと口をつぐんだのを見て、グリフォンの首をそっと撫でた。グリフォンはゆっくりと降下を始め、家の窓の前に着陸した。
その家はそれほど大きくはないレンガ造りの家で、煙突と取って付けた様な二階部分が上に見える。たぶん本当にとってつけたんだろう。
家の外には、木の柵が小さな畑をまとめて取り囲んでいる。
とりあえず家の周りをぐるりと回ってみよう。
窓の数を見ると1階は3部屋、2階は1部屋ってところのよう。あとは物置小屋があるくらいか。入口に戻ってくるとレナはグリフォンにもたれかかって手持無沙汰な様子だ。
「ねえ、このお家って地下とかあるの?」
「はい。入ったことは、ないです、けど…」
地下、ね。魔女の家の地下なんてきっとろくなものがないだろう。しかも魔術師のようだからなおさらだ。
「あの、何を…?」
「ああ、なんというか、癖かな。初めてくるところはよく観察しないとね」
レナは少し戸惑っている様子だ。
「えと、お師匠様は、悪い人じゃ、ないですよ?」
尻すぼみにそういっているのを見て少し笑ってしまった。頭を撫でてあげる。
「分かってるわよ。悪い人ならこーんなかわいい子無事じゃ済まないものね」
そのままきゅっとレナを抱きしめる。また顔がリンゴみたいに真っ赤になってる。
「え、えと。あの。い、行きませんか、そろそろ」
レナが腕の中でもぞもぞし出したので、放してあげる。
「そうね。召喚獣としてちゃんとご挨拶しておかないと」
レナは木製のドアの前に行ってノックをした。さて、偏屈じいさんとのご対面だ。