1-1 旅の始まり ―出会―
或る旅の途中。
月明かりも届かないほどのうっそうとした森の中。ぐずぐずになった道をえっちら進んで一角獣の方に向かう。
先ほど倒したこの一角獣は太い脚を持ち、人2人が乗れそうなほど大きかった。
松明を立てて座り込んで、詠唱しながら傷つけてしまった胴や脚を優しく撫でる。
「|傷ついたものを哀れみ、癒しを与えよ《qosciat fagloretamo, qoglor》」
撫でていた部分の傷が淡く光りながら塞がっていく。そうして元通りになった胴を、もう一度撫でる。
「ごめんね、痛かったでしょう?」
一角獣はこちらに顔を向け、小さく鳴く。それを見て少し頬が緩む。どうやら召喚契約の同意は取れたようだ。
「それじゃあ、始めるわよ」
私は2度大きく深呼吸をして、一角獣の顔に向けて両手を広げ、そして呪文を唱える。
「汝、我が求めに応じよ。汝が魔、我と交わりて一つとなるべし。我は汝、汝は我なり」
一角獣は光の粒となりながら、その姿を少しずつ薄めていく。光の粒は渦を巻きながら私の手のひらの前に集まっていき、長方形に集まる。いよいよ一角獣の姿が消えようとするその時、手のひらの前の長方形の光は一層強まり、そしてふっと消えた。
光の消えた手のひらの所には、一角獣の絵が描かれたカードがあった。それは宙に浮いているようだったけど、最後の光の粒がカードに着くと同時に、宙に舞うように落ち始める。
「おっとっと」
落とさないようにカードを掴み、上を向いて脱力する。
「ふぅー」
流石に一角獣相手だと結構疲れる。でもこれで召喚獣は7体、魔力量の多い幻獣だけでも3体だ。これ程集めた召喚士は記録にもあまり現れないはずだ。
――それでも、『最強』には――
「っ、誰!?」
不意に後ろから聞こえた音に威嚇する。同時に立ち上がりながら胸の谷間にカードをしまった。
後ろの音は驚いたように少し止まったかと思うと、さっきより早くガサガサガサっと鳴った。そうして松明の明かりの下に出てきたのはローブ姿の子どものようだった。
ふいに風が吹いた。少し強い風で、月の光が木の間から漏れ出て全身を照らす。地面をこすりそうなローブを羽織り、松明と、身の丈ほどもありそうな杖を持っている。
風がフードをさらって現れたのは、それはかわいらしい女の子だった。
……魔女でもないのにこんな夜の森に美少女なんて、不審以外のなにものでもない。警戒は解かないが、ひとまず話を聞こう。
「あなた……こんな夜更けに。何者?」
レナはリンゴもかじれなさそうな小さな口を開けて、おどおどと声を出した。
「あ、の。あなた、を。わたしに。召喚させて、ください!」
その声は初めは小さく、でもだんだんと大きくなっていった。っていうか。
「は?」
意味が、分からなかった。とても必死そうな顔がよけいに混乱を生む。きっと私は間抜けな顔をしているだろう。
風はやんで、松明だけが私たちを照らしていた。
*****
茂みから現れた少女は、キャンプの準備もないということなので、とりあえず一緒に来てもらうことにした。まあ危険性はなさそうだし、旅は道連れっていうしね。それに、かわいい子は嫌いじゃない。放っておくわけにもいくまい。
キャンプまで戻って夕食の準備をしながら、向かいの美少女にいろいろ聞いてみることにした。
「私は召喚士の魔女、『円卓の管理者』。普段はエレノラって名乗ってるけど、まあ好きに呼んで。あなたは?」
「レナ」
焚火の向こうでレナと名乗った少女は小さく答えた。
焚火の上ではスープが少しずつ煮え始めている。スープをかき回しながら私は尋問を続ける。
「あなた、魔女見習いよね?」
魔法使いっぽい格好だけど、魔力を開いている魔女特有の魔力漏れがない。アカデミアにいた頃はこういう子をよく見たものだ。
レナは小さくうなずいて返答する。よしよし。
「で、わたしを召喚したい、と」
今度は首を傾げた。
「え、何? したくないの? 召喚」
レナは慌てるように首をぶんぶんと振った。なんだか小動物みたいでカワイイ。いや、そんなことをいっている場合じゃない。
どうもこの子が何を考えているかが分からない。
「あなた、そもそも召喚がどういうものか分かってる?」
口をもごもごと動かした後、レナはたどたどしくと喋った。
「対象の魔力に、自分の魔力と、混濁させてカード化し、任意の、しゅん、瞬間で、元の姿に戻すこと、です。よね?」
「ええ、まあ、そうね」
なんだか言葉遣いがかたっ苦しいけど。
「それで召喚獣が、召喚士の魔力を……賃借し、召喚士の命令に従う、ですよね」
「そう……そうね」
分かりにくいし微妙に言葉の使い方が違う気もするけど、とりあえず召喚については誤解はなさそうだ。
スープから良い香りが来ているので軽く味見をしてみる。よしよし。もうひと煮立ちさせて完成かな。
出来上がったスープをレナに取り分けてあげて、質問を続ける。言葉遣いがおかしい所をみるにどうも相手は喋るのが苦手なようだ。ゆっくり聞いてあげよう。
「それで、何で私なの?」
レナは差し出した器を両手で受け取って、少しうつむいた。
「さっき召喚獣にするところ、みました。私。召喚士へなら、ないと、なんです」
レナはスープに口を付けず、じぃっと火を見つめていた。どうやら訳ありらしい。
真剣なその瞳を見ていると、どこか懐かしい気持ちにさせられる。
魔女に対して「召喚獣になってくれ」なんてあり得ない要求だけど、私だってあり得ないことをやろうとしているのだ。
その意気込みには答えねばなるまい。
「……分かったわ」
レナは顔をあげて、嬉しそうな顔をこちらに向ける。あぁ、可愛いなぁ。
でもさすがにそれだけではそこまで甘くしてあげられない。私はその顔に指を突きつける。
「ただし、あなたが私を認めさせたらね」
人であろうとなかろうと、誰かを召喚獣にするということは、相手に自分を認めさせる必要がある。よくある方法は、戦って勝つことだ。さっき私が一角獣にやったように。
谷間に手を入れてニヤリとしてみせると、レナは険しい顔を見せてすぐにそばに置いていた杖に手を差し伸べた。意外と好戦的なのか、それだけ必死ってことなのか。どちらにせよ、やる気があるのは嫌いじゃない。
胸元から取り出したのがただの匙だと分かると、顔から力が抜けて小さな口がちょこんと広がった。分かりやすい。
「まぁ、今日はもう遅いし、スープも冷めちゃうし。明日、場所を変えてやりましょう」
汲んでいた水で匙を洗って渡す。
「簡単なものだけど、こう見えて料理の腕には自信があるの。おいしく食べてね」
ウィンクをすると照れたのか顔を赤らめ、目線を下げてスープを飲んだ。うん。やっぱり可愛い。
そういえば、仕事相手でもない誰かと一緒のご飯なんていつぶりだろう。
*****
朝。私たちは朝ご飯を食べた後、キャンプの後始末をする。
「そういえば、キャンプの用意もしてなかったなんて、実は行く当てとかあったの?」
レナは小さく首を振った。
「召喚師を、得たら、師匠の下に帰る。だから」
「それまではただ相手探しってわけね。なんというか、ひどい師匠ね」
言ってる課題もめちゃくちゃだし。悪態をついてもレナはきょとんとしている。ま、他の師匠を知らなければ善し悪しなんて分からないか。
片付けを終え、身だしなみを整えたところでレナの方を見る。うん、コンディションは悪くなさそうだ。
「それじゃあとりあえず広いところに出ましょう」
胸元からカードを一枚出して魔力を込め、宙に掲げる。するとカードは輝いてその姿を大鷲に変えた。
「これが……召喚」
レナはくりんとした瞳を丸くして、驚いた様子だ。私は呼び出した大鷲を腕に留め、その毛並みを撫でる。
「いい子ね……。さ、私たちに道を教えて」
鷲を留めていた腕を振り上げ、大鷲を飛ばすと、鷲は木々に隠れてすぐに見えなくなる。と、左手の方から鷲の鳴き声が聞こえてくる。
「さあ、こっちよ」
私はレナの手を引いて鷲の鳴き声が聞こえて来た方へ歩き出す。少し歩きづらい道だけど、まあ歩けないことはない。
鷲の鳴き声を手がかりに獣道みたいなところを歩く。
そういえば、どうなったらレナを認めればいいんだろう。弟子も取ったことないから見習いの力量なんて測ったことないし。はっきり言って見習いに負ける訳もない。
まあ適当にいなして私のことは諦めてもらって、この子の師匠に一言言わせてもらうのが妥当な所だろう。
……あるいは、私の方がこの子を召喚獣にするのもいいかもしれない。なんて、さすがにそれはないな。ただの人を召喚獣にしたってしょうがない。
「で、どうしよっか」
枝を避けながらレナの方を見ると、あまりこういう道に慣れていないのか、息が上がっているようだ。ただ、ローブが傷ついていない所を見ると、ちゃんと避けられてはいるみたい。
質問に答える余裕はなさそうだけど、気にせず話を続けよう。
「流石に見習い相手に全力出すっていうのもね。どんなハンデがいい?」
ふいにレナを掴んでいた手が重くなる。振り返るとレナが立ち止まっていた。
「どうしたの? 疲れた?」
レナは首を振る。
「じゃあ」
「いらない」
「え?」
レナはまっすぐにこっちを見ている。
「ハンデ、いらない」
「でも」
「全力じゃないと、認めてもらえない、から。です」
全力の魔女と戦おうなんて、はっきり言って無茶だ。才能とか鍛錬とかそういう話じゃない。
魔女見習いというのは魔法を知ってる一般人とそう変わらない。たぶんあの大事そうに抱えている杖を使って、簡単な魔法なり魔術なりは使えるかもしれない。でもそれだけ。
例えばこちらがかまいたちを起こして腕を吹き飛ばせばそれで終わる。自分一人でくっつけることも出来ず、ちゃんとした治療を受けられなければただ死を待つだけになる。
それは戦闘ではない、ただの一方的な暴力だ。
諦めてもらおうと開いた口は、レナの表情を見て固まってしまった。
冗談っていう雰囲気も、慢心している様子も感じられなかった。ただ、信念というか、必要というか、とにかく何を言っても曲がってはくれなさそうな雰囲気だった。
私は小さくため息をついた。
「そこまで言うなら、仕方ない。その代わり、がっかりさせないでね」
レナは小さくこくりとうなづいた。それを合図に私たちはまた歩き出した。
だんだんと草木が低くなって、鷲の鳴き声も近づいてきた。
「それにしてもどうしてそこまで必死なの?」
唇に指をあてて少し考えてみる。
「もしかして……私に惚れちゃった?」
振り返ると、レナは顔を真っ赤に染めていた。
「え……ホントに?」
レナはその細い首をぶんぶんと振る。なんだ、ちょっと残念。でも規則正しく振られるその首を見てると思わず笑ってしまった。
「冗談よ。さあ、もう森を抜けるわよ」
実際目の前はかなり日の光が入ってくるようになっていた。さらに少し歩くともはや自分よりも高い木は数えるほどしかなく、まさに草原といった風になった。
空から大鷲が下りてくる。大鷲に向かって手を伸ばし、大鷲をカードに戻す。
「ありがとう。お疲れ様」
お礼を言った後カードを胸元にしまう。そしてレナの方に振り返ると、杖に体重を預けながら肩で息をしていた。
「疲れたでしょう、レナ? 少し休んでからにしましょう」
「いえ……はい」
レナはそのままその場にぺたりと座り込んでしまった。水筒を渡すとこくりこくりと飲んでいる。やっぱり小動物系って感じ。
ハンデはいらないとは言うけど、まあ元気になるのを待つくらいは構わないだろう。