愚者の人形
陽気に当てられ眠気を誘う昼下がり。穏やかな空気の流れる中庭に、突如として不穏な気配が立ち込める。
「今日がお前の最後だ、エヴェリーナ!ラウラへの殺人未遂容疑及びリンゼンダール侯爵家への侮辱罪でお前を告発する」
限られた生徒のみ使用を許された四阿で読書を嗜んでいたエヴィは、ゆるりと視線を上げて二人の男女の姿を認めた。一人は同じ日に同じ容姿で生まれた双子の片割れ、そしてもう一人は双子に共通する幼馴染の青年だ。同じ四阿にて其々の時間を過ごしていた者達は、気まずそうに、或いは嫌悪を剥き出しにして闖入者を見ていたが、当の本人達は気づく様子もない。
「エヴィ……」
「慣れていますのでご心配なく」
くすりと笑いながら返せば、嘗て同じ行為をして返り討ちにあった青年は曖昧に頷くと大人しく引き下がった。恋は盲目というが、哀れな道化ほど滑稽なものはない。あの日の自分もそう見られていたのかと思うと、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。それは自分だけでなく、現在卓を囲んでいる全員が感じていることだろうが。
「仮に私がラウラを害したとして、どのように証言するおつもりかしらディクラス様。それに侯爵家への侮辱罪とはまた面白いことをおっしゃる。まさかとは思いますがラウラの戯言のみを証拠とするおつもりではないでしょうね?」
「反省の色も見せないどころか、此の期に及んでラウラを侮辱するとはないとはつくづく見下げ果てた女だな、貴様は」
「事実ですもの。そうでしょう、ラウラ?」
男の影に隠れていた少女は矛先を向けられてびくりと体を揺らしたが、次の瞬間には憎悪を隠すことなく睨みつけてきた。当然ながら背中で庇っている男からは見えないが、此方側からはその表情がよく見える。男達に振りまく愛くるしい笑顔とは違う醜悪な顔こそが少女の本性だ。
「女って怖いな」
思わず零れた背後の呟きに一瞬吹き出しそうになるが、寸でのところで何とか堪えた。エヴィが気を取られている間も、男によるエヴィの幼少時からの悪行が次々と明るみにされていく。
「……挙句の果てに昨日、貴様は階段から彼女を突き落とし、彼女の生命のみならず、リンゼンダールに連なる命までをも危機にさらしたのだ!何という度し難い行いか、これで分かっただろう!?」
度し難いのは何方だろう。侯爵家云々の理由が漸く分かったが、それ以上に己の言動全てが現在進行形で侯爵家への背信行為だと理解しているのだろうか。いや、していないからこそこんな愚かな振る舞いが出来るのだろう。現時点においてラウラの側にいることが既にこの男の程度を証明していた。
「それで私がラウラを突き落としたという証拠は?」
「落ちる寸前で、ラウラが咄嗟にこれを掴んだ。これこそがお前だという証拠に他ならない!」
男の手にあるのは、エヴィが子供の頃から大切にしている押花の栞だった。つい先日失くした、エヴィ以外の人間には価値のないそれが男の手にあることで、盗んだ犯人を悟る。昔から何かと理由をつけてはエヴィの物を奪うのが得意だったが、遂にはそれすらもなく己の手を汚したかと憐憫が押し寄せる。
「……ところで、ラウラが階段から落ちたのはいつの事かしら?」
「貴様は白々しい芝居をまだ続ける気か」
「あら。だって、学院内だけでなく司法にまでこんなくだらない醜聞を撒き散らされるのは非常に迷惑ですもの。ただでさえお忙しいお父様や侯爵様のお手を煩わせるのも心苦しいですし」
自業自得とはいえ娘のしでかした数々の火消し役として方々に謝罪巡業している父は、そろそろ限界突破してもおかしくない。
「くだらない、だと。ならばお前の罪をここで暴いてやろうじゃないか。そうだろう、ラウラ?」
「こんな大勢の面前で、なんてお姉様が可哀相」
「ラウラ……こんな女に情けをかけてやるなんてお前はなんて優しいんだ」
「だって家族ですもの」
二人で勝手に盛り上がっているのも結構だが、もう少し場の空気を読んでくれないだろうか。彼らに時間を割くのも勿体無いので、手を叩いて強引に注意をこちらに向けさせる。
「それで?ラウラ」
その言葉を待っていたと言わんばかりに少女の口が一瞬弧を描き、俯くことで顔を隠してしまう。
「お姉様も知っての通り、昨日の放課後よ」
少女は悲しみを作りながらも既に己の勝利を確信していた。何故ならその時間、姉が一人でいたことを知っていたからだ。姉の行動を裏付ける目撃者がいない以上、間接的な証拠品のある此方の方が有利になる。
「逆に問うが、貴様は昨日の放課後どこにいた?」
言えるものなら言ってみろと男の態度が示していた。どうやらこの二人はその時間のエヴィにアリバイがないことを確信しているらしい。エヴィがあの場で眠っているという事実をもう少し掘り下げればいいものを、それで良しとするところが甘過ぎる。
「気分が悪かったので保健室で寝ておりましたわ。保健医が席を外していたらきっと、一人でしたでしょうね」
「つまり自分のやったことを認めるんだな」
「そんな!お姉様が……本当に?」
「漸く馬脚を現したな。さあ、今すぐラウラに謝罪しろ」
「嘘よ。お姉様がそんなことするはずないわ!ねえ、そうでしょうお姉様?」
下手な三文芝居を見せつけられて反吐が出そうだ。ご丁寧にも少女は瞳を潤ませて、一見すれば家族思いの健気な少女にしか見えない。
「おい、エヴィ……」
「大丈夫だよ、クリス。彼らの理論は穴だらけだとエヴィも分かってる」
「一度でも保健室に行けばすぐに仕掛けに気付くはずですが」
「ラウリーネは兎も角リンゼンダールはそこまで馬鹿じゃないと思ったが、こんなものか」
「僕たちの言えた義理じゃありませんけどね」
男達の虚しい嗤いが四阿内で木霊する。
「ええ、そうねラウラ。眠りの魔法は最低でも二時間は効くのだから、私がラウラを突き落とすのはまず無理な話だわ」
「……え?」
「眠りの魔法、だと?」
「そうですわ。ああ、言うのを忘れていましたが、私も懐妊しましたの。私自身昨日知ったばかりですが、気持ちが悪かったのもそのせいですわ。けれどこればかりは薬に頼るわけにもいかず、先生に眠りの魔法を掛けてもらって休んでおりましたわ」
魔法も処置の一種には違いないので記録も当然残っている。勿論、保健医が虚偽の報告をする可能性もあるが、エヴィの体調は家族にも報告されているのだから、何方を疑うのかは明白だ。
「まあ!婚約者でもない相手の子を宿すなんてとんだ恥知らずですわ」
「そ、そうだな。こんな女との婚約など破棄だ、破棄」
不利だと悟るや否やすぐさま二人は攻撃方法を変えてきた。だが、
「その言葉はそっくりそのままお返しします。仮にも姉の婚約者を寝盗り、それをさも自慢げに話す貴方方の品性を疑いますわ」
押し黙る男女を軽蔑の眼差しで一瞥し、エヴィは扇子に隠れて欠伸を噛み殺した。茶番もそろそろ打ち止めかと踵を返す背中にその声は突き刺さった。
「……何処の馬の骨か知らんが、貴様のような女を相手にするくらいだ。その相手もさぞかし卑しい男なのだろう」
「ええ、そうね。そして、そんな男との間に生まれた子もまた下賤に決まっておりますもの。二度と私達に近づいてほしくありませんわ。穢らわしい」
半ば自棄になって放たれたそれに深い意味はないのだろう。あの程度の嫌味など聞き飽きているのだから、いつものように流せば良い。そう理性では判っていながら、エヴィの身体は真逆の行動を取っていた。それが少女の罠だと理解していて、振り上げた手が下ろされる……。
「駄目だよエヴィ。彼等に貴女の手を汚す価値はない」
背後から伸びた大きな掌が視界を覆い、上げた手首をきつく掴まれる。荒れ狂っていた激情は瞬く間に萎み、全身の緊張を解いた。
「……ありがとうございます」
気にするなという様に腰へ回った手が軽く叩く。それだけで安堵を感じた。
「っ、なんでリズがここに居るんだよ!」
「妻と我が子を迎えに来ただけだが、とんでもない暴言を耳にしては放ってはおけないだろう?」
その相手がお前だったのは驚いたけどね、と戯けた仕草で肩を竦めるのはリンゼンダール家現当主、リディルスだ。思わぬ登場人物に呆気に取られていた男だが、エヴィに寄り添うその姿にまさかと思い至る。
「俺達を図ったのか?!」
「何をだ、ディック?私はお前に隠し立てした覚えはないが」
「その女のことだ!」
「……やめなさい。お前は誰に向かって指を指しているのか分かっているのか?」
温度を感じさせない冷たい眼差しに、男はぐっと唇を噛み締める。代わって一歩前に出た少女が口を開いた。
「恐れながら申し上げますわ、お義父様。その女は妹である私を虐める不心得者であり、誰とも知れぬ相手へと淫らに体を許す不埒者でございます。ですからどうか騙されぬよう」
心底心配していますという少女の姿に、唖然を通り越して眩暈がする。この流れでどう取ればそんな解釈が出来るのか……。
(ああ、そうか)
この少女はただエヴィを貶めたいだけなのだ。その為だけに彼女の近くにいる人物へと近づき、悪意を流し込んでいく。隣で立ち尽くしている甥もその被害者の一人かと思うと多少の憐憫を覚えるが、その呪縛から逃れようとしなかったのは己の責任だ。
「ディック。私は以前お前に二度はない、そう忠告をしたな。そしてこれがお前の答えか」
「違う!それはこの女が、」
「黙れ。お前がエヴィを気に食わないとしても無闇に貶める理由はない。あまつさえ、家の権力を振りかざすことなどあってはいけないことだ。それを理解出来なかったお前に侯爵家を名乗る資格はない。契約上、学院に在籍中は今まで通りの支援はするが、今
日限りで養子縁組を解消し、以後は両親の姓を名乗って生きていきなさい」
男の父親は侯爵家の嫡男として生まれたが、平民と駆け落ちした為に家を勘当されている。男が両親を亡くした当時、侯爵家に跡継ぎが居なかったことから引き取られたが、新しい命が宿っている今は引き止める理由もない。よしんば我が子が駄目だとしても侯爵家一門の血を継ぐ子供は他にもいるのだ。
「お義父様!?」
「そんな!?ラウラの子もいるのに」
「だからどうした?お前は子供じゃないんだから、責任は自分で取りなさい。尤も、そちらのお嬢さんの腹の子が本当にお前の子供かは知らないが。……エヴィは確かに私の前では貞淑の仮面を脱ぎ捨てるが、そのお嬢さんは誰の前でも容易に足を開くようだからね」
途端に青ざめる少女を、まさかと見下ろす男。
この二人がどう転がっていくのか、さっさとその場を離れた夫婦が知る由もない。居合わせた者達によると、その後慌てて迎えに来た父親によって少女は退場させられ、男の方もまた行方をくらませたそうだ。用意周到な夫のことだから双方の動向を把握しているはずだが、エヴィに興味がないのを知っているからか、何事もなければ教えてくれることはないだろう。
「さようなら。もう一人の私」
古びた青いリボンを閉じ込めた宝石箱が開くことは二度と無かった。
~以下ネタバレ~
エヴェリーナ
伯爵家に生まれた双子の片割れ。
感情の起伏が小さく、大人しいと思われがち。実際は興味のないものに対して何処までも淡泊なだけ。
学院内では成績優秀で才媛と名高い。ラウリーネとよく似た容姿をしているが、性格が全く違うせいか間違われたことは殆どない。
成人したその日に出会った時から恋をしていたリディルスを押し倒して見事モノにした人。
婚約者に会いに行くと称して侯爵邸へと出かけては、必ず付いてくるラウリーネとディクラスを放置して足繁くリディルスの元へ通っていた。
ラウリーネ
伯爵家に生まれた双子の片割れ。
甘やかされて育った環境のせいか、全てが自分本位でないと我慢ならない性格になってしまった。
そのせいか、自分へと全く興味を見せないエヴェリーナに対して憎悪を抱くようになる。
人を利用するのが上手く、エヴェリーナの物や人を奪うことに快感を覚える。
本人は気にしていないが奪った後は顧みないので、目が覚めた御仁らにはそれなりに恨まれている模様。
最後は僻地の戒律に厳しい修道院に入れられ、二度と二人が会うことはなかった。
ディクラス
侯爵家の嫡男。
父親は前侯爵の長男で跡取り息子だったが、平民との駆け落ちを機に勘当され、両親が死ぬまで自分が侯爵家の人間だとは知らずに生きてきた。11歳の時に引き取られ、実の叔父の養子となる。間もなくエヴェリーナと婚約するが、ディクラスの興味は妹のラウリーネに向けられ、長じて取り巻きの一員と化する。他の取り巻き達は元々エヴェリーナの友人であったが、彼だけは最初からラウリーネのものだった。
最後の最後に、真実へと辿り着くが時既に遅く、ひっそりと学院を後にする。辺境の小さな村に落ち着き余生を送った。
リディルス
侯爵。
エヴェリーナの成人の日に押し倒され押し倒し、翌日にはディクラスとエヴェリーナの婚約を破棄して自分の婚約者にしてしまった。
因みに12年ほど年齢が離れている。気楽な次男坊時代は近衛騎士団に所属していた。
半年後にはめでたく結婚したが、エヴェリーナの学生生活を尊重して普段は離れて暮らしている。
休暇になるとラウリーネは王都の伯爵邸に、エヴェリーナは伯爵領の邸に帰ると見せかけてちゃっかり侯爵邸で過ごしていた。
元々好意(家族愛)を抱いていたため、妹から妻へとシフトしても変わらず妻を愛している。
四阿の青年達
エヴィラーナと同じく、学院の特別クラスに在籍する優秀な者達。
ラウリーネの取り巻きとして色々なことをやらかした過去がある。
エヴィラーナに絡んではやり返されるうちに本来の己を取り返し、現在は反省しながら日々を過ごしている。