第一章②
「ああっ、もう、嫌っ!」
炎の魔女のヘンリエッタは声を空に向かって張り上げた。「どーして私がこんなことしなくちゃいけないのぉ!」
ヘンリエッタが叫んだのはベルズアッバズ宮殿の南庭園だった。魔女が住まう、南の塔に隣接する、様々な植物が咲き乱れている場所だった。その緑の中の一角に、火事の跡みたいに焦げて黒くなっている箇所がある。その黒はクリケットが出来るくらいの広範囲に渡っていた。そこで一人、ヘンリエッタは朝からせっせと箒を両手で持ち、掃除に励んでいたのだ。でも嫌になった。自慢のストロベリィ色の髪は汗で濡れていた。ツインテールにリボンで縛った髪の毛はいつの間にか解けてしまっていた。ヘンリエッタは箒をぽいっと傍らに捨てて焦げてしまった芝生の上に寝転んだ。「……もぉ、やーめたぁ」
ヘンリエッタは、これ以上、ないってほどのファーファルタウの晴天を見て、大きく息を吸って、吐いて、眠るように目を瞑って呟く。
「ああ、何してるんだろ、私ってば……」
こんな風に緑が焦げて黒くなってしまったのは、ヘンリエッタの炎のせいだった。
昨日のことだった。
昨日はこの南庭園で、宮殿に仕える炎の魔女が集められ講義が開かれた。女王陛下直属の近衛隊、通称キャンディーズの一人である、レベッカ・アームストロングによる特別な講義だった。彼女はファーファルタウで最高の炎の魔女だ。ヘンリエッタは彼女に憧れ、宮殿の魔女になった。間近で見るレベッカは素敵だった。真紅、と言うに相応しい髪の色。そして瑠璃色の大きな瞳。なんていうか、普通の魔女とはオーラが全く違っていた。キャンディーズの制服を纏っているせいもあるだろう。キャンディーズの夏の制服は、メンバそれぞれの属性の色のノースリーブのワンピースだった。スカートは短く、大きく波打っている。制服、と呼ぶよりはドレスに近い。それだけで深緑色のブレザを纏った魔女たちとは違っていて、彼女たちは特別なのだと分からせる。それに宮殿に仕える魔女は、女王陛下に永遠を誓った時点でファミリィ・ネームを失うが、キャンディーズのメンバはファミリィ・ネームを名乗ることを許されている。それは絶対に彼女たちが裏切ることがない、という女王陛下による厚い信頼によるものなのだ。とにかく、レベッカには他を寄せ付けない圧倒的な雰囲気があった。
そんな圧倒的な彼女と話をしたのは、もちろんヘンリエッタはこの時が初めて。
彼女は集まった炎の魔女を横一列に並べて、名簿を見ながら一人一人の名前を呼び、顔を確認していた。
「ヘンリエッタ」十三歳で、最年少のヘンリエッタは最後に名前を呼ばれた。
「はい!」ヘンリエッタは元気よく返事をした。
「元気ね、」彼女はじっとヘンリエッタの顔を見ながら感情の読めない顔で言う。「宮殿にはもう、慣れたかしら?」
「は、はい!」ヘンリエッタは先ほどよりも大きな声を出した。「え、えっと、慣れました!」
「元気ね、」彼女は僅かに目の形を変えて、もしかしたら微笑んでくれたのかもしれない、ヘンリエッタの頭を優しく撫でてくれた。「元気があれば、どうやらなんでも出来るみたいだからね、ニッキィが前に言っていたわ」
ヘンリエッタは返事をすることが出来なかった。レベッカが自分の頭を撫でてくれていることが素敵過ぎて、きっと脳ミソが回転を止めてしまったのだと思う。何か言わなくちゃ、と思っても言葉が出て来なくて、ただ顔を真っ赤にして、レベッカのことを見つめることしか出来なかった。
「さあ、講義を始めるわよ」レベッカはヘンリエッタの頭から手を離し、皆の方に顔を向けて言った。
それは講義、というよりはレベッカのショウだった。レベッカは次々に、様々な炎の魔法をファーファルタウの雲の多い空に編み、宮殿に仕える魔女たちに披露した。途中から、キャンディーズの風の魔女であるニッキィ・サリヴァンも姿を見せた。ニッキィは無数の小さなバルーンを空に放った。そのバルーンをレベッカはバーレイという火炎弾を放つ魔法を編み、次々に落としていった。ヘンリエッタは彼女の魔法の素晴らしさに「凄いっ」と声を上げ、思わず手を叩いてしまった。そんなヘンリエッタに周囲から静かに視線が集まった。レベッカの視線と、それからニッキィの視線もヘンリエッタに注がれた。ヘンリエッタはしまった、と思って慌てて手を後ろに隠したが、集まってしまった視線はどうしようもなかった。居心地の悪い沈黙が漂った。そして、ニッキィが悪戯な顔をして提案したのだ。「あなた、今ベッキィがやったことと同じことをしてみせて」
「え!?」大きな声が出てしまって、ヘンリエッタは慌てて両手で口を塞いだ。
「なぁに、」ニッキィは腕を組み、ヘンリエッタに歩み寄りながら言う。「あ、なんだか、反抗的な目をしているなぁ」
ヘンリエッタは首を大きく横に振った。「こ、この吊り目は、産まれつきっ、です」
「ちょっと、ニッキィ、」レベッカはニッキィの肩を触り、振り向かせる。「いじめないで、可哀そうよ、まだ宮殿に来たばっかりなんだから」
「いじめるなんて、ベッキィ、そーんな、人聞きの悪いこと言わないでくれる?」ニッキィは高い声を出して言う。
「彼女怯えているじゃない、」レベッカはニッキィを睨み言った。「ニッキィの悪いところよ、そうやって小さな魔女をいじめるんだから」
「だからいじめるつもりなんてないってば、せっかくの機会じゃない、ベッキィ、将来有望な彼女の炎の魔法を見てあげればいいじゃない、一人で淡々とファイア・ショウを見せているだけじゃ、講義とは言えないんじゃないかしら?」
「……そうかもしれないけど」レベッカは自分の髪の毛に指をいれて、そしてじっとヘンリエッタを見つめた。
熱を帯びた彼女の視線に見つめられて、ヘンリエッタはドキドキした。
「……あなた、やってみる?」
「……え、えっとぉ」ヘンリエッタは慄いた。数センチ、体が勝手に後ろに後ずさった。
レベッカにニッキィ、それに他の年上の炎の魔女たちの前で魔法を披露するなんて……。
そんな難解なこと。
……でも。
自分の炎をレベッカに見てもらいたい気持ちもある。
レベッカに見てもらって、褒められたい。
よく出来ました、って頭を撫でて貰いたい。
それにこんなところで逃げてしまったら。
宮殿に来た意味がない。
レベッカみたいな魔女になりたくて、ヘンリエッタは宮殿に来たんだ。
レベッカにみたいに、女王陛下に認められる魔女になってやるんだ!
「わ、私、」ヘンリエッタは拳を握り締め、庭園に声を響かせた。「やりますっ!」
そして。
その結果が、ヘンリエッタが寝転んでいる、焦げた芝生。
空回りもいい加減にしろ、って感じだった。
ヘンリエッタは本気の炎を編んだ。
魔法の源である、エネルギアの量には自信があった。
でも。
全身全霊のエネルギアで燃やした炎はヘンリエッタがコントロール出来ないくらいの大きさにまで膨らんでしまった。
空を飛ぶバルーンだけじゃなくて、宮殿の大事な緑まで燃やしてしまったのだ。
皆は慌てて非難した。
ヘンリエッタは呆然としてしまって動けなかった。
燃える炎の中で、何も考えられなくなった。
現実感、みたいなものが消えて。
うん。
この世界から消えるような感覚に襲われた。
そんな感覚から目を覚ますことが出来たのは、水のおかげ。
水のせい。
水のせいで、現実に戻った。
このまま消えてしまいたかった、なんて少しだけ思ったりもした。
水はヘンリエッタの全身全霊の炎を簡単に消して、ヘンリエッタも濡らした。
嵐の中を歩いたみたいになった。
水に濡れて、ヘンリエッタは不愉快になった。
水に炎が消されて、泣きたくなった。
この水は、シスタであるシャーロットのものだとすぐに分かった。
彼女の水はとっても乱暴で、冷たい。
「くしゅんっ!」ヘンリエッタは焦げた芝生の上でくしゃみをした。
「あなた、なんて莫迦なことをしたの!?」
シャーロットのガラスも割るようなヒステリックな声が頭上で響いた。次の瞬間には箒に乗ったシャーロットはヘンリエッタの前に降り立ち、そのまま一切の躊躇いを見せずにヘンリエッタの頬を強く、鋭く叩いた。「本当に莫迦な娘! どうするの!? ねぇ、ヘンリエッタ、どうするつもりなの!? 女王陛下の唯一の大事な庭園をこんな風にして、あなた、本当に莫迦な娘! 莫迦! ねぇ、ヘンリエッタ、泣いて済む問題じゃないのよ、どうするかを考えない、ヘンリエッタ、泣いてないで、何か言ったらどうなの、ねぇ、ああ、もぉ、本当に、泣き虫な娘なんだからっ、泣きたいのはあなたのシスタである、私だわよ!」
ヘンリエッタは両手で顔を覆い、声を上げて泣いていた。
ヘンリエッタは泣き虫じゃない。宮殿に来る前は、泣き虫じゃなかった。でも、悲しくて、悔しくて、シャーロットが強く頬を叩いたから痛くって、どうしたって涙がこぼれてしまった。必死で止めようとしたんだけれど、無理だった。
そんな風に泣きじゃくるヘンリエッタのことを見てレベッカはきっと。
泣き虫な娘。
そう思っただろうな。
庭園を燃やしてしまったことに対しての罰はなかったけれど、女王陛下は別に庭園のことなんて関心なかったみたい、シャーロットから焦げてしまった庭園を完全に元に戻すように言い渡されていた。「どれだけ時間が掛かってもいいから、あなたが燃やしてしまった場所は、完全に元通りになさい、いいわね?」
完全に、元通りってそんなの無理。
だって私は炎の魔女なんだぜ。
緑の魔女に任せれば、すぐに元通り。
それなのに。
どうして、私がこんなこと……。
なんて可哀そうな、私。
シスタにいじめられて可哀そうな、私。
ああ、大嫌い!
シャーロットのことも。
そんな風に自分のことを可哀そうだなんて思ってしまう私自身も。
「ああ、もう、嫌っ!」
ヘンリエッタは叫んで、目を開ける。
「きゃ!」
小さな悲鳴が上がった。
隣室で仲がいい、黄色の魔女のアメリアの顔が空を背景にして見えた。
「ああ、吃驚したぁ、」アメリアは胸を撫で下ろしながら言って小さく笑った。天使みたいに笑った。その笑顔を見て、ヘンリエッタのヒステリックは少し冷める。ヘンリエッタはアメリアの丸っこい優しい顔が好き。「なぁに、夢でも見てたのぉ?」
「別に、よいしょ、」ヘンリエッタは箒を持ち、立ち上がる。「アメリアこそ、どうしたの? 大失敗をして、シスタに無理難題を言われ、すっごく可哀そうな私のことを冷やかしに来たの?」
「違うよ、冷やかすなんて、」アメリアはニコニコしながら体を寄せて来る。「そんなことしないよぉ、あ、コーラ飲む?」
「……ありがとう、」ヘンリエッタはアメリアからコーラの入ったボトルを受け取り飲んだ。冷たくておいしかった。ヘンリエッタはコーラが好き。「……けぷっ」
「んふふっ」
「何なの? 変なアメリア」
「あの、実はね、」アメリアは手を前で繋ぎ、俯き小さく言った。「……ヘティに相談があるんだ」
「私に相談?」
「うん、私」
アメリアはヘンリエッタの耳元に口を寄せた。