プレリュード①
「空を飛ぶって、どういうことですか?」
「普通のことだよ」
私は彼女の質問に、そう答えた。
魔女にとって箒に跨って飛ぶ、ということは、ベイビが泣く、求愛するためにドレスに着る、年増が可愛い子ぶる、という風なことと全く同じことなのだ。
……いや、ちょっと違うことかもしれない。
でもとにかくつまり、
魔女は飛べて当たり前。
魔女は空を飛ぶものである。
箒に跨り飛ぶことが出来れば、すなわちそれは魔女なのである。
魔女と認識されるためには、空を飛べさえすればいい。
空を飛ぶことさえ出来れば、少女は自らを魔女と言うことが出来るのだ。
飛ぶ。
フライ。
それ以外の様々な魔法を使えるようになるためには様々なプロセス、つまり研究が必要だが、飛ぶことに関して言えば、そのための研究というものはない。
だから、空を飛ぶことは他の魔法とは少し違う意味を持つ。
持っているのだと、私は思うのだ。
十一歳のバースデイを迎えた少女は箒に跨り、自分の未来を確かめる。
浮くか、浮かないか。
それによって、人生の選択肢は大きく二つに分化する。
魔女か、そうでないか。
少女の人生にとってそれは大きな事実なのかもしれない。
しかし、少女の人格を変化させるほどのウェイトがあるかと言えば、そうではない。
私的な経験に基づく感想になるが。
少し世界が狭くなったと感じた。
それだけ。
それだけだ。
それは年齢を重ねると迫ってくるセンチメンタリズムと何も変わりはしない。感傷的になるだけだ。涙脆くなるだけだ。とても些細な変化。しかし、それが楽しいものであるのは事実だ。空を飛べることは無条件に、価値である。
魔女になった少女は、将来魔女として生きることを選択した少女は魔法を専門に扱う教育機関に通うのが一般的だ。しかしもちろん例外はある。大学に通い研究するものもいれば、師匠について旅をするものもいる。また産業革命以降、急速に発展し始めた魔法工学の民間研究所に働きに出て勉強する少女もいる。魔女として生きる道は、様々。
キャブズも、その一つ。
宮殿に仕えるのも、その一つ。
魔女が箒に跨り空を飛ぶときに、パンツが地上の民から目撃されないようにするために『ブルーマ』という素敵なもの(コレは世界の評価であり、私の意見ではない)を発明した偉大なる魔女、アメリア・ジェンクス・ブルーマも齢十一のときは宮殿に仕えた魔女の一人だった。
さて。
この物語は日本人の私が、呪いをかけられ、王都ファーファルタウに閉じ込められてから一年後のこと、第二期イエロー・ベル・キャブズが結成されるまでの軌跡を記したものである。
私はこの物語が気に入っている。
ブースタを爆発させて月まで一気に駆け上がるロケッタが私たちだとしたら。
この物語は私たちが生み出したコントレイル。
私はきっとこの物語を忘れない。
忘れることなんて出来なやしない。
こう、何度も書くとミリカが何か言いそうだが。
アメリアとミリカ、ムウミンとジェリィ、そして私。
人種も思想も国籍も関係なく。
出会ってしまった。
共通点は、呪われた魔女。
四人(正しくは五人?)は出会ってしまった。
その奇跡に、私は酔った。
四人は立派な魔女にはなれなかったけれど、とても愉快な魔女になれた。
この物語は、その始まり。
鶴島とよばれる天守から見える黄葉が、何度その色彩を変えようとも、忘れられない物語。
さて。
この物語は四人のものだから、私の本意としては、誰にも教えることなく隠しておきたかったのだけれど。
十年来の付き合いのキネマ監督に懇願されてしまったので、まあ、仕方がない。
私は筆を取った。
しかしコレから書くことは随分と古い時代の話。ゆえに記憶が曖昧な部分もあるし、私が登場しない場面においては当然のことながら誰かから聞いた話になるわけで、全て本当かと問われれば、微妙、と応えるしかない。また、こういうものを書くのは不慣れゆえ、随分と主観的な、ファーファルタウの魔女からお申し出の上がるような、勘違いを産む正確でない描写をしてしまうかもしれない。まあ、こういったことはあらゆる著作に大なり小なり存在する性質であると思うので、魅力的な登場人物である魔女諸君には、ぜひヒステリィは呑み込んでもらいたいものだ。
もちろん、正確に記述するようには心掛けるつもりだが。
そう開き直らないと、筆は一向に進まないだろうだからさて。
最初に言っておくことがある。
『ブルーマ』という言葉には、咲くと言う意味と。
大失敗という意味がある。
それは両方とも、アメリアの人生を表現する。
素敵な黄色。