第一章⑧
トゥウェルブ・タワー・ブリッジとは宮殿を中心に時計の数字と同じ方角に掛けられた十二本の橋のこと。王都は水の張られた深い堀によって囲まれている。王都と外を繋ぐのはその十二本の橋で、それぞれの橋には検問所が設置されている。
宮殿から南、六時の方角のシックス・タワー・ブリッジの検問所を任されているのは、宮殿に仕えて二年目のユウキとセンジュの二人だった。
シックス・タワー・ブリッジの検問所は、この時期は忙しい。一週間後には魔女たちのパレードが開催される。砂漠の向こう側からはパレードに向けて続々とワゴンが到着していた。各国のご来賓や、観光客、それからパレードに参加する音楽隊など、ワゴンは様々な人たちを乗せて検問所にやってくる。
センジュとユウキは左腕に『HIGH A』の赤い腕章をつけていた。ハイ・アラート、つまり厳戒態勢の意味である。パレードが一週間後に迫ったこの日から、王都には厳戒態勢が敷かれていた。検問を通過するには、王都が特別に発行した通行認可証を所持していなくてはならないし、魔女たちによる厳しいチェックを受けなければならなかった。
センジュとユウキは共に同い年だが、センジュの方は圧倒的に年上に見えて、ユウキの方は圧倒的に年下に見えた。
よく動き車内の細かいチェックまで行うのはセンジュの役割だった。センジュは仏頂面で、様々な文句を言われようが、様々な所を開けて取り出して触って、必要な場合は裸にしてギュッと強く握ってやったりした。
一方のユウキは意味もなく笑いっぱなしで検問所に訪れる人たちと世間話に花を咲かせながら、つまらない冗談を言い合っていた。例えばユウキは箒を抱き締めながら、音楽隊の、主に男性の二の腕とかを触り「筋肉、すごーい」と高い声で言う。それで音楽隊の男たちは、少し気分がよくなる。センジュに文句を言わなくなる。音楽隊の一人はユウキに名前を聞いたりする。その頃にはセンジュのチェックは終わる。政府への提出書類のチェック項目はもれなく埋まる。完璧だ。二人はそんな具合で完璧に仕事をこなしていた。完璧に仕事をこなすことは、二人の未来にとって非常に大事なことだった。二人は未来に約束していることがあるのだ。
「オーケ、行って」
センジュは運転席に座る、トランペット奏者に認可を出した。トランペット奏者はユウキにまだ何かを伝えたがっていたが、センジュの鋭い目付きと「何をしている、早く渡れ!」という鋭い言葉に、仕方がないという感じでアクセルを踏む。「ばいばい、ユウキちゃん」
「うん、ばいばーい、またねぇ」
橋の上に走り出すワゴンにユウキは手を振って見送る。
ワゴンが完全に王都に入ったことを確認。
そしてセンジュはユウキの愛らしい顔を一瞥、息を小さく吐いてから、次に待っているワゴンに前に進むようにサインを送る。
その繰り返し。
それを完璧に繰り返していた二人が予期せぬ事態に見舞われたのは。
検問所を封鎖しなければいけない、夜の七時の手前だった。
そのワゴンはゆっくりと進んできた。
ワゴンの行列は続いていたが、今日はこのワゴンまでとセンジュは決めた。夜の七時を迎えると、十二本の橋は全て王都側に持ち上がり、垂直になり、まるで塔のようになる。それが名前の由来でもある。王都は夜の七時から、中にはいることも、外に出ることも、基本的には許さないのだ。時間切れのワゴンに乗った人たちにはシティ・リンクという旅行会社が王都の外に立てた豪奢なホテルに泊まってもらう。金がなければ車内泊だ。まだ季節は晩夏。夜はそれほど冷えない。
最後のワゴンが二人の前で停まった。紫色の大きなワゴンだった。そのワゴンの扉にはシティ・リンクのロゴがない。自家用車だろうか。珍しい。センジュは少し警戒する。
運転席の窓ガラスが開く。ダッシュボードの上に設置されたレコードプレイヤが回転していて音楽が外に漏れ出す。激しい音楽だった。センジュは顔をしかめる。激しい音楽は好きじゃない。運転席には女性のように髪の長い男性が座っていた。顔立ちも女性っぽい。ユウキは車内を見回して今までのワゴンに乗った音楽隊たちとは雰囲気が違うと感じた。まず、身なりがきちんとしていない。汚らしい。ジプシーか、とも思った。
「どうも、よろしくね」運転手は作り笑顔を見せて言った。
「どうも、宮殿に仕えるセンジュと言います、認可証を」
「これです」
差し出された認可証をセンジュは確認する。その間にユウキは後部座席に座る筋肉質で鼻にピアスをした男とすでに仲良くなっていた。認可証によればこのワゴンに乗っているのはザ・フォレスタルズというロックンロールバンド、ということだった。ロックンロール、というジャンルが王都で流行っていることは知っていたが、センジュはロックンロールの細かいことを知らなかった。細かいことは知らないが、これが正式な認可証であることは間違いない。手元のリストにもきちんと載っている。
だがしかし。
バンドのメンバは四人のはずだ。
認可証にはハッキリとそう書かれている。
それなのに。
ワゴンの中には五人いる。
「人数が違うようですが?」センジュが語気強く尋ねた。
「え?」運転手はとぼけてみせる。
「この認可証によれば、」センジュは認可証を指で弾いて言う。「正式な認可を得ているのは四人、五人じゃないでしょう」
「ああ、新しいメンバなんですよ、」運転席の男性はさらりと言った。不自然さはない。しかし不自然だと思った。「最近、一人増えて、より強力なロックンロールを、」
「その新しいメンバというのはどなたです?」センジュは彼の言葉を遮って言う。
「私です、」後部座席に座っていた頭巾を被った少女が言った。「新メンバのアンジィです」
「東洋人?」センジュはアンジィの顔立ちを見ながら聞く。
「シナ人です」流暢な英語だった。
「レコードを止めなさい」センジュは命令口調で言った。
「え?」運転手は眉を潜める。「どうして?」
「早く止めて!」
車内は静かになった。
センジュはアンジィを睨み見て言う。「あなたにはここで降りてもらいましょう」
「え、どうして?」アンジィの隣に座る瞳の大きい女性が、彼女のことを抱き締めて声を上げる。「なんでなの?」
「アンジィには認可が降りてませんから」
「そんな、フォレスタルズは女王陛下に招待されてわざわざ来たのよ、フォレスタルズは五人で一つ、一人でも欠けたらそれはフォレスタルズじゃない、だから、アンジィも当然、王都に入る権利がある、そうでしょう?」
「アンジィには認可が降りていないのですよ、」センジュは語気強く言った。「この認可証でファーファルタウに行けるのはジョン、バリー、ミンス、ノウラの四人だけです!」
「……それじゃあ、新曲が披露出来ない、」助手席の男が言った。「新曲にはアンジィのキュートなコーラスとタンバリンが不可欠なのに、とっておきの新曲なのに、残念だ、非常に残念だ、女王陛下も楽しみにされていたことだろう」
「ええ、そうね、」瞳の大きい女性が頷く。「アンジィがいなくっちゃ、ライブをする意味がないもの、五人のライブを楽しみにしていたのに、ねぇ、……って、おいっ」
「いたっ、」ユウキと話し込んでいた筋肉質で鼻ピアスの男は頭を叩かれた。「へ? ああ、そうだな、五人でライブ出来なきゃ意味ないな、意味ない、意味ないから、帰る?」
「そうだな、」運転席の男性が頷く。大きく頷く。「せっかくの女王陛下のご招待だったが、融通が利かないんだったら、帰ろうか?」
『そうしよう、』ワゴンの中でアンジィ以外の四人が頷く。『そうしよう』
「えっ?」そんな返答をセンジュは予想していなかった。少し、調子が狂う。でも、少しだけだ。「いや、待って下さい、女王陛下の招待ですよ、帰るなんて」
「アンジィは王都の中に入れないんだろう?」
「いや、きちんとした手続きをしてもらって、認可が降りれば王都に入ることは出来ます、時間は掛かりますが」
「時間ってどれくらい?」
「最低でも三日は、」
「三日も待っていられないぜ!」運転手はクラクションを鳴らし、そして両手を使ってオーバに苛立ちを表現した。「もう王都はすぐそこだ、それなのに三日も中に入れないってないぜ! 俺たちはロックンローラだぜ! そこのところ分かってんの?」
センジュは「ロックンローラなんて、知らねぇよ!」って叫びたかったけれど、ぐっと堪えた。「に、認可の降りているあなたたちは王都の中に入ってもらっても結構です、しかしですね、認可の降りていないアンジィは、」
「アンジィを一人にしろって言うのか!」今まで静かだった助手席の男が急に声を張り上げた。「僕らの可愛いアンジィを三日も一人にするなんて、彼女はまだ子供なんだ、そんな酷いこと出来るわけないじゃないか、そんな不幸なこと、考えただけで、涙が出てくる」
センジュは狼狽える。彼が本当に泣いていたからだ。眼が赤い。
「ご、ごめんなさぁい、」アンジィが儚げに声を車内に響かせる。「わ、私が、私がいるからいけないんですね」
「そんなことないよ、アンジィ」運転手が言う。
「ああ、そうだ、アンジィのせいじゃない」助手席の男が熱い眼差しをアンジィに注ぎながら言う。
「アンジィは何も悪くない」瞳の大きな女性がアンジィをぎゅっと抱き締める。
「そ、そうだ!」鼻ピアスの男がセンジュの方を指差し言う。「悪いのは全部、あ、あの魔女だぁ!」
そして四人は再び声を合わせて言う。『帰ろう』
「そんな、ちょっと、待ちなさい!」
この段階でセンジュは慌て始めた。ユウキもミンスを喜ばせることを中断してワゴンの前を迂回してセンジュの横に並んだ。ユウキの顔は青ざめている。
「まだ、何か?」
運転席の男はレコードプレイヤのスイッチを入れた。再び騒がしい音楽が鳴り始める。この騒がしい音楽がきっと、ロックンロール。こんな煩いだけの音楽が流行るなんて、信じられない時代だ、とセンジュは思った。「レコードを止めて、エンジンを切りなさい」
「これから帰るのにエンジンもレコードも止めろって?」
「融通を利かしてあげるって言ってるのよ!」
叫んだのはユウキだった。その顔に一日中光り続けていた笑顔はなかった。検問の不手際で招待客を帰らせたという風に女王陛下が理解したら、きっと二人はただでは済まない。恐ろしいことになる、かもしれない。未来にその可能性がある。
センジュとユウキは将来を約束したのだ。宮殿に仕えて、お金を貯めて、二人の家を買って一緒に暮らそうって約束したのだ。素敵な未来を約束したのだ。その約束が、夢が叶わなくなってしまうかもしれない。
運転席の男は後部座席に顔を向けた。センジュとユウキからは表情が見えない。
後部座席の女性とアンジィが小さく頷いて、運転席の男性が振り返ってこちらを見て言った。「融通を利かせてくれるって、通っていいってこと? ありがとう、じゃあ、通らせてもらうよ」
『駄目よ!』センジュとユウキの声はユニゾンする。
「とにかく、エンジンを止めなさい、止めて、早く!」ユウキが声を張り上げる。
「……しょうがないな」エンジンは止まった。
「認可を貰ってくるわ、」ユウキは早口で言う。「時間は掛かる、でも明日中には、あなたたちが全員、王都に入れるようにするから、どうかそれまで待っていて、ホテルの部屋もこちらで用意しましょう、それだったらいいでしょう?」
運転席の男は後ろを振り返る。アンジィが小さく頷いた。彼はこちらを見て、笑顔を作って言う。「オーケ、それでいい、絶対に明日には王都に入れてくれよ、絶対にね」
「ええ、約束するわ」
「ちょ、ちょっと、ユウキ!」
「なに!」
「そんな勝手なこと、駄目よ!」
「どうして? ちゃんと上に認可を貰いに行くんだから、勝手なことじゃないわ、こういう場合の対処の仕方は何も聞いてないし、とにかく、私は一番正解に近い判断をしていると思うけど」
「そうだけど、でも、」センジュは言葉に詰まる。
ユウキは箒に跨っていた。「とにかく、ちょっと行ってくる、すぐ戻ってくるから」
「ちょっと待って、ユウキ、お願いだから少しだけ待ってよ、」センジュはユウキの箒を掴んだ。「私の勘を確かめたいの、確かめてからでも遅くないでしょ!」
「勘?」ユウキは箒から降りた。
センジュは運転席の男に言った。「私はアンジィが本当にフォレスタルズのメンバなのか、疑っています、その証拠を見せてください、何か、あるでしょう? 写真とか、レコードとか、その、本当にアンジィがあなたたちのメンバだったら、いろいろとあるでしょう?」
「……いや、」男は下を向いて首を振った。「まだジャケット写真も撮っていないし、レコーディングもしていないんだ、そういうこともファーファルタウのスタジオや横断歩道を借りてやろうと思っていたからね」
「何もないのね?」
「ああ、何もない」彼はハッキリと言う。
「なんで何もないの!」ユウキが叫ぶ。彼女の声は掠れてしまっていた。
「そう言われてもないものは出せないよ、」男はセンジュを睨み返していたが、何かを思いついたような素振りを見せて微笑んだ。「そうだ、じゃあ、ココで、俺たちの演奏を披露しよう」
「え、ここで?」
「ああ、アンジィが本当のメンバかどうか、確かめたいんだろう? だったらライブを見せるのが一番の証拠になると思うんだけど、それって間違ってる?」
「じゃ、じゃあ、見せてもらおうじゃないの!」
「素敵!」後部座席のアンジィが答えた。「私の初めてのステージはストリートなのねっ!」
そして。
ザ・フォレスタルズはストリートライブの準備を始めた。鼻ピアスのドラムのミンスは近くからペンキの缶を数種類拾ってきてドラムセットを短時間で作った。運転席に座っていたギターのジョンはすぐにチューニングを済ませた。助手席に座っていたベースのバリーも同様。瞳の大きなノウラは、小さな鉄琴の前に胡坐を搔いて座った。その横にアンジィが銀色のスーツケースの上にタンバリンを手にして座った。
それぞれ音を出し始める。
その音に釣られて、街の人々、ホテルの宿泊客、検問待ちのワゴンからも音楽隊や観光客の連中がなんだ、なんだと降りてきた。
「少し、」周囲の人だかりを見てユウキがセンジュに言う。「騒がしい、ちょっと問題かも」
「ちょっと問題?」
センジュの声は震えてしまっていた。額を触ると熱っぽい。あまりに物事が予想通りにならないから、正直泣きそうだった。ライブを証拠にすることを了解したのは自分なのにすぐに後悔している。そんなものが証拠になるわけない。そんなもので判断できるわけがないじゃないか。ユウキが提案したように明日中に認可を貰った方が、一度はそれで彼らは納得したじゃないか、すんなりと解決したのではないかと思ってる。「大問題よ」
「それじゃあ、」ノウラが響き渡る声で言った。「二人の魔女様に捧げます、聞いて下さい、『流浪の行進曲』! わん、つー、わん、つー、すりー、ふぉ」
演奏が始まった。
センジュはアンジィを凝視していた。タンバリンのリズムは、多分、正確だった。
そして。
疑ったことを後悔するくらいにザ・ファレスタルズの、ロックンロールって音楽は素敵だった。
センジュは彼らの音楽に陶酔していた。
隣のユウキも同じ表情だった。
だから。
陶酔してしまっていたから。
だから。
急に飛んできたタンバリンを避けることが出来なかった。
センジュの顔にタンバリンが激突する。
タンバリンの弾ける音。
痛い。
痛みで視界が涙で溢れた。
何?
すぐには状況が呑み込めなかった。
鼻が痛い。
音楽は鳴り止まないで聞こえている。
鼻を押さえる。
指先に赤いもの。
血だ。
視線を上げる。
アンジィが銀色のスーツケースを持ってこちらに駆け寄ってくる。
なんのつもり!?
センジュは叫ぼうとした。
しかし。
ふっとアンジィが視界から消えた。
刹那。
センジュの足はアンジィの足によって払われた。
空中で箒から落下したときみたいにセンジュは回転して地面に叩きつけられた。
アンジィはスーツケースでユウキの側頭部を叩き、彼女の箒を奪った。
彼女は箒に跨る。
ふわりと浮いて。
彼女の頭を隠していた頭巾がはらりと落ちる。
ピンク色の髪の色。
ピンクは。
破裂する魔女!
「バースト!」
アンジィの声が響いて。
視界がピンク色に破裂した。
聴力、視力が一時的に消失。
戻らない。
どうなってる!?
何も見えない!
声を荒げるが聞こえない。
徐々に視界が回復。
アンジィの姿を目で追う。
どこにもない。
すでに王都の中か?
音楽が聞こえてくる。
ザ・フォレスタルズの音楽か?
違う。
四人は演奏を止めて、ユウキに向かって涙ながらに訴えている。「私たちはあの東洋の魔女に脅されて仕方なく!」
響いている音。
これは。
王都の夜の七時の音だ。
そして響く鐘の音に合わせて。
ゆっくりと。
シックス・タワー・ブリッジが王都の方へ持ち上がる。
他の方角にある、十一本の橋も同じようにして持ち上がって。
そして。
この時刻の景色が産まれた。
ファーファルタウは夜の七時。




