OPSE:シガレット・アンド・アイスクリーム
王都ファーファルタウは九月の終わりの土曜日の午後三時。
ベルズアッバズ宮殿を北北東の門から出て、三十二番通りを真っ直ぐに進むと、右手に巨大な看板が見えてくる。
それはアイスクリームの形。
冷たい場所から取り出して皿の上で溶け出した丸くくり抜かれたバニラのアイスクリームの看板が見える。
それは我らが女王陛下が運営する、アイスクリームハウスの看板だ。昔はアイスキャンディハウス、という名前だったが、時代の流行ともにアイスキャンディからアイスクリームに変化したのだ。
そのアイスクリームハウスのテラス、パラソルの下のテーブルに、宮殿に仕える魔女である、ピチカートとシャーロットの二人がいた。
二人はもちろん、アイスクリームを食べていた。
風の魔女のピチカートは黙ってスプーンでアイスクリームを掬って口の中に運んでいた。
一方、彼女と打って変わって水の魔女のシャーロットは笑顔でずっとしゃべり続けていた。
彼女の弟子のヘンリエッタのこととか、宮殿に仕えるメイドに可愛い女の子がいるとか、今年宮殿の登用試験を受けた魔女の中に可愛い女の子がいるとか、そういうピチカートにとっては何ら有益ではない情報をしゃべっていた。
ピチカートは、それがシャーロットの優しさなのだと理解している。シャーロットはピチカートと同時期に宮殿に仕えるようになった同僚、そして親友だ。シャーロットが自分のことを心配してくれていること、その優しさは十分に理解している。
けれど、優しさだけでどうにもならないことってあると思う。
ずっと続いているヒステリックの熱は。
きっと冷めることはない。
冷たいアイスクリームを口に入れても冷めない熱。
燃えているものは、風に吹かれてさらに燃え上がる。
炎は消えないだろう。
愛する彼女を取り返さない限り。
絶対に。
ええ。
それは絶対に揺るがないことなんだわ。
ピチカートはスカートのポケットからシガレロを取り出し、一本口にくわえてマッチで火を点けた。
煙を吐き、そしてシャーロットに言う。「少し黙っててくれない?」
シャーロットは僅かに眼を見開き、驚いた顔を微かに見せて、椅子に深く腰掛けて笑顔を消す。「ヒステリックに当てられる予定は無かったんだけれど、まあ、うん、いいわ、黙ってる」
シャーロットは眼の色をヒステリックにしていた。水の魔女はヒステリックになりやすい。魔女は基本的にヒステリックになりやすいが、水の魔女はさらにヒステリックになりやすい。そして基本的に暴力を振るうことに快楽を感じる、という性格を持っている。彼女は自分の群青色のおさげをいじりながら、大きく息を吐いた。彼女もヒステリックになっている。
魔女はそれぞれ保有する属性によって、髪に色素を持つ。水の魔女の色素は群青色。風の魔女の色素は無色透明。風の色素は元々の髪の色を無色透明に煌めかせる。ピチカートは生まれながらに東洋人のような黒髪で、捻れが一切ない、ストレートだった。そのストレートは風の色素によって煌めき、ピチカートを魅力的に仕上げている。
ピチカートの髪は長い。
それが晩夏の緩やかな風に吹かれて揺れている。
「ねぇ、シャーロット」
ピチカートは灰皿にシガレロを押しつけて、ベルズアッバズ城下三十二番通りの景色を見る。
その景色は忙しない。
明日の魔女たちのパレードに向けて街の人々は準備に追われている。パレードは一年に一度のお祭りで、簡単に言うと宮殿に仕える魔女たちの仮装行列だ。魔女以外にも、宮殿の管理にある、ドラゴンやグリフォンやユニコーンも行進する。我らが女王陛下も城下の人間に姿を見せる。
だから明日はスペシャル。
王都ファーファルタウは、特別な日を迎える準備で忙しない。
特別で、とても楽しい日になる。
でもピチカートは明日を素直に楽しめる自信はなかった。
無理をして、笑っている自分の未来が見える。
それはもちろん。
愛する彼女が傍にいないからに他ならない。
愛する彼女が傍にいてくれたら、心からきっと、ピチカートはパレードを楽しめちゃう。
はしゃいじゃう。
「私、明日ははしゃぎたいわ」
「え?」シャーロットはおさげをいじるのを止めて、まっすぐにピチカートの横顔を見た。「えっと、誰だってはしゃいでもいい日よ、明日は、そうね、さっきも話したでしょ、ピッドシュレイア出身のジョゼっていう娘があなたのファンで、ピチカートがよければ明日は彼女と一緒に、」
「待って、シャーロット、」ピチカートはシャーロットの言葉を遮って言う。「シャーロット、ねぇ、あなたは私の親友よね?」
「ええ、そのつもりだけど、」シャーロットはすでに溶けてしまったピチカートのアイスクリームを見ている。「何?」
「私の親友なら、分かってくれると思う、分かって欲しい、いえ、すでに分かっていると思うけど、私は気が狂うほど、彼女に夢中になった、あなたがヘンリエッタを愛しているように、私は彼女に夢中になった、ジョゼっていう娘がいくら可愛くて素敵な色を持っていてもね、私はジョゼを気が狂うほど愛せる自信はないわ、絶対にないと思う、だけど私ははしゃぎたいの」
「んふふっ、」シャーロットは吹き出すように笑って、魔女の目をこちらに向けた。「それってなぁに、アメリアを取り戻そうって、お誘いかしら?」
「ええ、つまらない誘いじゃないと思うけど」
ピチカートは再び煙草を加えて火を点けた。
アメリア。
ピチカートの愛する魔女。
彼女の素敵な黄色を。
私は世界一、愛しているの。
「いいわ、」シャーロットは頷く。「それがあなただと思うもの、あなたらしい、最近のあなたはあなたじゃなかったみたいだから、それで気が済むなら」
「それで気が済むってまるで、成功を信じていないっていう言い方ね」
「そんなことないわ、」シャーロットは笑顔で首を横に振った。「そんなことありません、ないです、私たち二人なら、可能なことだと思う」
「そうね」
「ただ」
「ただ?」
「どうやってアメリアを口説くわけ?」
「……口説く、ねぇ」
ピチカートは煙を吐き、視線を上げパラソルの内側を見ながら考える。
彼女はもうピチカートではない、忌々しき魔女のことを愛している。
本当に、忌々しい、紫色の魔女のことを愛してしまった。
大嫌いだわ。
凄く、嫌い。
ピチカートが凄く嫌いな魔女を、アメリアは愛しているのだ。
そんなアメリアを取り戻すための、口説き文句は。
すぐには思いつかない。
「今は何も思いつかないわ、」ピチカートは小さく首を横に振る。「まあ、それは、口説き文句を考えるのはアメリアを取り戻して部屋に二人きりになってからでも、ええ、遅くはないわよね?」
その時だ。
ベルが凛と響いて聞こえた。
ピチカートはその小さな音に反応する。
風の魔女は耳がいい。
だから反応出来た。
その微かなベルの音に。
三十二番通りを挟んで、アイスクリームハウスの向かい、花屋の前に箒に跨がった魔女が降り立った。
魔女は後ろに老婆を乗せていた。
魔女は老婆を降ろし、代金を受け取った。
老婆は花屋の中へ。
魔女はすぐに飛び立とうとしたが止めて、店先の色とりどりの花々の観察を始めた。
箒から降り、手のひらを合わせて彼女は言う。「うわぁ、綺麗だなぁ」
魔女は黄色いワンピースを身に纏っていた。その上からミリタリィ・ジャケットを羽織り、八センチのピンヒールを履いている。
そして肝心な魔女の髪の色は。
黄色。
くすんだ黄色。
エネルギアを感じさせない、黄色だった。
そんな黄色では魔法は編めない。
彼女は呪われているから。
空を飛ぶくらいしか出来ない。
彼女はキャブズだ。
黄色いベルに、黄色いワンピースに、黒いミリタリィ・ジャケットに、八センチのピンヒールは紛れも無く。
イエロー・ベル・キャブズ。
罪を犯し、その罰として呪われ、飛ぶことしか出来なくなった魔女が就く、そんな魔女にふさわしい最低な職業。
それがキャブズ。
「え、でも、」
どうして?
どうしてあなた……。
「アメリア!」
ピチカートは立ち上がり、声を張り上げ彼女の名前を呼んだ。「どうしてあなたが空を!?」