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2011年・2012年

自由に流れる水のように

 はらひれほろほろと、流れていく文字を意識的に追いながら、いくつもの行間ぎょうかんを無意識の領域に散らすように読書をする。太陽光が窓ガラスを通過し、わたしの薄い網膜の辺りに乱入し、反射する。穏やかな光の波は虹彩を媒介にして、漢字、ひらがな、カタカナ、ときにはアルファベットや数字を認知し、脳へ情報を流す。記号を飲み込んだわたしの肉体は、ときどき痙攣に似た微細な振動を生んで、再び抑制された沈黙に至る。手の先を器用に操り、一枚の紙片を掴み、ページをる。細い細い血管で酸素を運びながら、静かな呼吸を行う。生理機能には異常はない。少し興奮を覚え、鼓動が速くなっただけだ。精神活動は深宇宙しんうちゅうの広さに似ている。茫漠ぼうばくたる星海せいかいに垂れる光子を水晶体で吸収しながら、同時に真っ赤な金魚が無色の軟水を泳いでいくように、粒子独特の微細な隙間を縫っていく。光の届く先は、どこだろう?と考えてはみるものの、その思索は漆を塗ったような闇の中に収斂しゅうれんしてしまう。存在はなくなる。痕跡すら残らない。空即是色くうそくぜしき色即是空しきそくぜくう。彩りは失われる。

 200ページ程度の文庫本の詩集を彼に薦められてから、もう数年が経過している。彼がわたしの隣にいたときに読まず、彼が立ち去ったあとに読むとはなんという皮肉だろう。詩集は彼のプレゼントだ。いつか読もう読もうと思いながら、幾年かを過ごしてしまった。埃をかぶった詩集など、それだけで詩的ではないか!言葉の埋葬。かさむ文学。ああ、わたしはいま、それを読みながら彼のことを考えている。頭の隅っこに彼のからりとした笑みを浮かべながら、ページをめくる。だから、詩の内容なんてひとつも入ってこない。まるで透明な湖水に、全ての着衣を捨てて、どぼんと浸かり、そのまま沈んでいくような感覚。性感帯を外科手術ですべて切除して、そのまま性格が嫌いな男とセックスするような感覚で、詩集を読む。だから短い詩をいくつも眺めることは苦痛だ。ペダンチックな語彙ごいがわたしの思考を切断し、シナプスを焼き切る。中枢神経を傷つけ、前意識の思惟しいをひとつずつ破砕する。わたしにとって詩集を読むとはそういうことだ。

 窒息しそうになりながらページを全てめくり、そのまま仰向けになって天井を仰ぐ。ピカピカ光る洒落たシャンデリアなどなく、あるのはクリーム色の壁紙だけ。あとは煙草の紫煙しえんに犯された汚い飛行機のミニチュアがぶらんとぶら下がっているだけだ。はあ、と一息つくと、わたしは詩集の装丁を見る。粘土で作られた犬が写っている。「――ふう」彼に騙された気分だ。詩集そのものの存在は美しいものだとは感じたが、その中身……詩篇の意義やメタファーの解釈は理解できなかった。ただの文字の羅列だ。ただの名詞と動詞の接続だ。列をなした画一的かくいつてきな符丁だ。結局は無機質のマークにすぎなかった。彼がわたしに薦めた意味がよくわからない。そもそもわたしは詩などあまり好きではない。幼い時分に一度だけ、まど・みちおだったか、谷川俊太郎だったか、の詩集を父に無理やり読まされたことがあった。わたしは当時から父が嫌いだったので、たぶんそのときからおしなべて「詩」というものは嫌いになってしまった。いまでも父は幻影的に夢に現れては、「祈り、いっぱいいっぱい詩を読みなさい、そして、祈りは立派な詩人になりなさい」と言って、消えていく。この夢を見た朝は、目覚めが悪く、統計的に良いことが起こらない。彼と別れた日も確かこの不合理な夢を見た日だった。

 父親は生真面目な人間だったが、家族のことにはほとんど干渉してこなかったので、わたしはそれほど好きではなかった。むしろ嫌いだったといってもいい。父は去年死んだのだが、だからといって好きにはなれない。葬式には出席したが、悼む気持ちなど持ち合わせていなかった。ただの儀式だったし、それこそわたしが自立し一人暮らしを始めたときから、父と永遠に離れるつもりだったのだから、とくに感慨もなかった。涙も流さなかった。どうでもよかった。自己中心的で、娘のわたしに何もかも押しつけて社会を生きていた男。なぜ生きているのかわからない男であった。だからといって憎悪や敵意といった感情を持っていたかと訊かれると、違うと答えるだろう。わたしは父のことはもうどうでもよかった。よく、テレビかラジオかの司会者が「愛情の対義語は無関心」というけれど、わたしのそれはその通りだった。どうでもいい。父のことはどうでもよかった。本当にどうでもいいと思っていた。今になって、ただ、一つだけ言うならば、わたしの夢にはもう出てきてほしくない、とだけ願うだけだ。亡霊はもう成仏するがいい。魂を浄化して居場所を天国か地獄かに移せばいい。生者に構うな。さっさと消えてください。

 なんだか気だるい気分で立ち上がり、さきほど読了した詩集をテーブルに置いて、わたしは玄関の向こうに身を傾ける。特に用事などはないけれど、とにかくなまった身体を動かしたいのだ。散歩したい。それだけだ。裸足のまま、柔らかい素材で精製された靴に足を入れ、真っ黒に彩色されている扉に手をかける。外界は室内より日光が眩しく、反射的に目につぶる。「――――ぁ、――んだりらん」発話の遅れた子どものように、よくわからない言葉が口から出た。これもフロイトのいう無意識の行いだろうか。もしくは慣れていない詩を読んだから、体がおかしくなったのであろうか。生理的に受け付けなかったのだろうか。言葉は声帯を抜け出し、空中を舞い、どこかに飛んで行った。もちろん目には見えないし、耳だって正確に知覚することはできない。なんだか、頭がとろける。直接、光線を浴び、血液が熱くなる。玉のような汗が額から湧出ゆうしゅつする。倒れそうだ。二本の足がかろうじて体を支える。の光がわたしをレイプしているようだ。ぎしぎしと、精神まで挿入される昼光ちゅうこうのペニス。まるで恋人だ、と私は思った。独りよがりの快感は他人を傷つけることを知らない偽善の愛情。恋人のパラドックス。胸の痛み。ふらふらしながらわたしは、階段を下りて、マンションの敷地内から出て、公園に向かう。

 自然豊かな公園には遊具がありふれていて、遠くから見たらミニチュアのように見える。幾人かの児童たちが遊んでいる。「あ、祈りさんだ!」子供の一人がわたしを見て、そう言った。そして、近づいてくる。わたしはボランティアで近くの児童養護施設によく行くから、子供たちに覚えられているのだ。る、る、る、る。るん、るん、るん、と、音楽を奏でる子供たちの目は純粋で、決して摩耗していない手の平の指紋をわたしにべたべたと付着させる。「遊ぼうよ、遊ぼうよ」花のような気持ちのいい笑顔を見せ、彼らは私の服の端っこを引っ張る。柔和という言葉がぴったりと合う彼らはひどく優しいので、直感的に怖い。嘘も吐けない子供たちは無垢なのだ。透明な結晶の心を持つ人間。つまりは無菌なのだ。悪意に抵抗がないので、すぐにやられてしまう脆弱性を持っている。だからすぐに捨てられる。心を烈風に飛ばされるのだ。皮膚の下に心臓や肝臓がある普通の人間なのに、何も違わないのに、子供はどうしてここまで怖いのだろうか。……。空を見上げると、少し灰色の飛行機雲が虚空を裂いて、天高く浮かんでいた。

 30分後、わたしは彼らと別れ、そのまま並木が乱立している歩道を進む。名も知らない花は幾何学模様に散っており、アンニュイな気分にさせる。この散った花弁のようにさきほど遊んでいた子供たちもいつかは死んでしまう、という思考がふと頭をよぎる。もともと死神の襲撃はいつだって突然で、全ての人は腐敗するのだ。それを理解できない人々が多すぎる。いや、多分、意図的に無視しているんだと思う。……別に子供の一人や二人いなくなったところで悲しむのはその子の親戚家族だけだ。人間と言うものは赤の他人に厳しいものなのだ。平気で他人を見殺しにできる能力をもっているのだ。ふふ、ふふふ、とわたしは残酷に笑ってしまう。暗い気持ちというものは、逆から見れば、あまりにも動物的で美しいものだ。暗渠あんきょに流れるような汚れた排水の精神はわたしを安心させる。ピュアな魂よりさかしくヘドロまみれの魂のほうがわたしには合っている。先ほどの子供たちではないが、あまりにも綺麗なものを持つと、あとで泥が付いたり不潔になったりするだけで落ち込んでしまうから、期待しない方がいいのだ。すべての生物は他の生物を食し、汚物として排泄する。結局は醜い有機体として生存しているにすぎないのだ。ああ、でも、生物すべてが腐って蛆虫の餌になるのだったら、何のために青い惑星に産まれ落ちたのだろう?何のために清冽せいれつな水を飲むのだろう。叶いもしない夢を見ることに理由はあるのだろうか。……神は徹底的に自分の創造物の欠陥を見逃している。希望もない世界の中では神だって不完全だ。神だって死ぬのだ。神も喰われるのだ。

 道沿いには川がある。都会では珍しい透き通った流れだ。文字通り水色に彩色したような綺麗な輝きだ。水底には点々と小さな黒いかげが移動している。魚だ。ちびちびとうごめいて、プランクトンだろうか、餌を食べている様子がうかがえる。わたしは小石を二、三個拾って魚に向かって投げると、ぽちゃん、と澄んだ音を立て、水は波紋を拡げ、魚の姿は見えなくなった。しぶきが撥ねる。わたしは川を眺めながら、てくてくと歩いていく。川の水は大きな石によって分断され、細長い筋を生み、そのあと分割された水流は再び合流する。炭酸飲料の缶が川から覗いている。赤と白のコントラストが水面を通し屈折して見え、水下みずしたの景色はゆらゆらと浮動している。流水の表面が、淡いスカイブルーの水鏡みずかがみにぎらぎらした一条の光を散乱させている。そうだ。わたしの有耶無耶の気持ちも流してほしい。この気持ちを洗い流してほしい。もしそうできるのならば、多分、ひんやりと冷たくて気持ちいいんだろう。爪の先から末梢神経まで、たぎる血潮のかわりに、すべて水が流れるのだ。手や足を動かす際にはぴちゃぴちゃと水音を立てるんだ。そして、そのまま体温は急激に下がり、脳も正常に動かなくなる。生命は停止する。眠るように死んでいくんだ。それで、いいんだ。それだけが、わたしの望みなんだ。……。

 歩道は川とは離れ、車道と並行するようになった。偶然目をやった道路の真ん中に比較的大きな犬の死骸がある。飼い犬だろうか、首輪をつけている。自動車に撥ねられて死亡したらしく、頭から轢断れきだんされている。肉片がアスファルトに飛び散り、赤いシミとして車道にこびりついている。その死体こそ、世間の象徴だろう。人々はその不快な物体を処理をせずに放置している。視認しても、決して見なかったこととして、日常を決められた時間割に沿って暮らしている。人々もどうでもいいのだ。死体があろうとなかろうと、自分自身を動かすことに精いっぱいなのだ。マリオネットのように、傀儡かいらいのまま生きているだけだ。わたしと何もかわりなどしない。ほんとうにどうでもいいのだろう。ビー玉のような瞳をくりくりと動かして、流れるように生きる。いや、正確に言えば、流されて生きている。感情を持たないことこそ、この機械社会で生活するコツなのだ。わたしはむごたらしい映像から視線をそらし、遠くを見ると稜線りょうせんの向こうに歪んだ電波塔が立っているのが見える。さっきの犬の死体と重ねてみるとフランスかアメリカかの前衛映画にしか見えない。笑える。

 太陽はもう沈み始め、東の空には星影ほしかげが浮いている。月は淡く発光し、鮭色さけいろの残照と混ざり、とても美しい色合いに化ける。落日に染まる綿雲は空気の流れに一致して流れていく。チュンチュンと鳴く小鳥たちは峨々(がが)たる山なみに呑まれて消えていく。世界を否定するように寂しく佇む電柱は、地面と直角に伸びており、この幻想的な光景を遮る。ふう。わたしは、ずいぶん遠くまで来てしまった、と実感する。そして、わたしの足は自宅のマンションに向く。そろそろ帰ろう。帰って、少し早い眠りにつこう。私はいままで歩いてきた道を辿って歩を進める。今日は良い夢見れそうだ。遠くから学校のチャイムが聞こえた。わたしは誰に声をかけることなしに、帰途に就く。前方に男の人が見える。背広とネクタイが彼をサラリーマンであると認識させる。彼の家には彼を待っている女の人がいるのだろうか。おいしい料理を作って、子供たちと一緒に待っているのだろうか。そう思うと、私はだらしなく破顔はがんしてしまう。たまには幸せな思考だっていいだろう?と自分自身に問いかけてみた。家路についている人は彼だけではない。よく回りを見てみると、彼以外にも何人か、てくてくと歩いている。夕暮れのなか、人々は帰る。そのうちの一人にわたしはなる。なんだか、安心する。心がすっきりする。心の中の黒いものが溶けて流れていくようだ。さっきの川に流れたのかもしれないなあ、とわたしはひとりごちる。わたしは歩く。きっと家に帰る頃には読んだ詩の中身なんて覚えていないだろう。でも、それでいいんだ。もう、それでいいんだ。わたしは心身共に流れていく。流れに身を任してわたしは、正真正銘の自由になる。自由に流れていくのだ。自由に、流れていくのだ……。自由に。流れていくのだ……。流れていく……。流れて……。自由に……。流れて……。流れていく。流れていくのだ。流れて……流れて……。

(了)


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