第2話:制度の隙間に、オカンの愛を
お待たせ。
ヨシコおかんの「監査」の時間やで。
トト君の涙を、最強の家族が笑顔に変えます!
トトのボロボロの自宅に足を踏み入れたヨシコは、数秒の間、言葉を失った。
カビ臭い空気、薄暗い部屋の隅で、かつての英雄だったはずの男が虚空を見つめて横たわっている。
その傍らで、幼い弟妹たちが腹を空かせて身を寄せ合っていた。
「……」
ヨシコは、トトの家計簿と、不支給の判子が押された書類をじっと見つめ、長く、深い沈黙を置いた。
その沈黙は、ギルドで見せた怒声よりも遥かに冷たく、重い。
「……なるほどな。こら、あかんわ」
ぽつりと漏れた一言には、これまでの制度への失望と、それを放置した大人たちへの静かな、しかし確固たる怒りが宿っていた。
ヨシコはすぐに四男・シロウ特製の端末で、五男・ゴロウを呼び寄せた。
カリスマ保育士である彼は、異世界の荒れ果てた家屋に足を踏み入れても顔色一つ変えず、ただ優しく微笑んだ。
「……お兄ちゃん、この人だれ?」
怯える五歳のカンと八歳のリナ。
ゴロウはその場に膝をつき、子供たちと同じ目線になると、魔法のようにポケットから手作りの折り紙を取り出した。
「こんにちは。僕はゴロウ。トト君の『お助け係』だよ。リナちゃんにカン君、ちょっと一緒に遊ぼうか」
その物腰の柔らかさに、子供たちの警戒心は一瞬で溶けた。
ゴロウは遊びの中でさりげなく子供たちの栄養状態を把握し、トトにだけ聞こえる声で囁いた。
「トト君、もう大丈夫。君が背負っていた『重たい荷物』、少し僕らに預けてくれないかな」
「……あ……」
トトの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
ずっと誰にも言えず、甘えることも許されなかった十二歳の心が、ゴロウの抱擁に解けていく。
それを合図に、ヨシコは立ち上がった。
「ゴロウ、後のケアは任せたで。……ウチは、この理不尽な『規定』とやらをゴミ箱に捨てさせに行ってくるわ」
翌朝。
多種族合同ギルド支部の役員室には、ヨシコの怒声が響き渡っていた。
「規定にない?前例がない?あんたら、ナケナシ王国の勇者であるウチに、事務のイロハをもう一度叩き込まれたいんか!」
役員たちは鼻で笑い、冷淡に答える。
「ヨシコ殿、いくらあなたが伝説の勇者でも、今のギルドは巨大な組織です。一人の子供のためにルールを曲げることはできません。そんなことをすれば、組織の規律が崩れます」
「ルールいうんはな、人を守るためにあるんや。人を追い詰めるためのもんやない!」
ヨシコはスマホを操作し、長男・イチロウのビデオ通話を役員たちの前に突きつけた。
『失礼。国際弁護士のイチロウです』
画面越しのイチロウは、鉄壁の理性で冷徹に告げた。
『貴殿らが盾にする「規定」第十四条三項……その解釈は、ナケナシ王国と魔国が締結した「共同労働基本法」に明白に抵触しています。功労者への不作為な支援放棄は、公的損害賠償の対象です』
さらに、イチロウの眼鏡が冷たく光る。
『それだけではありません。今回、合理的な理由なく救済を拒絶し続けた「対応責任者」である貴殿ら個人に対しても、善管注意義務違反による個人的な損害賠償請求の準備を終えています。組織の影に隠れられると思わないことです。……今すぐ手続きを始めましょうか、それとも――国際法廷から、あなた個人への訴状を受け取りますか?』
法の番人・イチロウの逃げ場のない詰めと、背後に控えるヨシコの物理的な圧。
役員たちは顔を青くし、ガタガタと震え出した。
「ひ、引き受けます!補償金の特例適用、および未払い金の即時支払い、直ちに進めさせていただきます!」
「……最初からそう言えばええねん」
ヨシコは懐から黒糖飴を取り出し、役員たちの机に叩きつけた。
「これなめな。甘いもんで少しは脳みそ柔らかくして、マニュアルの裏側にある『人間』を見る練習しなさい」
数日後。
ギルドからの補償金が振り込まれ、父の治療も始まった。
トトは久しぶりに、かつて通っていた学校の門の前に立っていた。
だが、トトは門をくぐろうとせず、困惑したように立ち止まっていた。
「……あの、おばさん。僕、何していいか分からないんだ。今までは、ずっと仕事のこととか、今日食べるもののことばかり考えてたから……急に『自由にしていい』って言われても、どうすればいいのか……」
労働に明け暮れ、心をすり減らしてきた少年にとって、「子供に戻ること」は、最も困難なクエストだった。
ヨシコはトトの前にしゃがみ込み、そのひび割れた小さな手を包み込んだ。
「トト。あんたはこれまで、大人の三倍は働いた。……今はな、何もせんでもええんよ。ただ、学校の椅子に座って、友達のしょうもない話聞いて、あくびしてなさい。……それが、あんたの今の『一番大事な仕事』や」
トトの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「礼はいらんよ。あんたの仕事はね、ここで泥だらけになって遊んで、学ぶことなの。……ほら、行きなさい!」
背中を押され、トトは光の射す校舎へと駆け出していく。
その足取りは、一歩ごとに軽くなっていくようだった。
それを見送り、ヨシコは満足げに鼻を鳴らした。
だが、安堵する間もなくヨシコのスマホが鳴る。
次の監査先は、どうやら「傲慢な高ランク冒険者によるハラスメント」が横行する現場のようだ。
「次はカスタマーハラスメントか。イチロウ、準備しときや。……ウチの飴ちゃん、次はちょっと苦いかもしれへんで」
(第3話に続く)
子供は遊んで学ぶのが仕事。
トト君、学校楽しんでな!
さて、次はなにやら窓口で怒鳴り散らしてる「金ランク」の勘違い野郎がおるみたいやね。




