第17話:あんたの「夢」を、子供に背負わすな
「私の理想の息子でいなさい」。
子供の才能を自分の野望のために使い潰す「毒親」に、ヨシコさんが立ち向かう。
王都の夕暮れ時は、家路を急ぐ人々の活気と、並木道を吹き抜ける冬枯れの風が混じり合う独特の寂寥感に満ちていた。
孤児院の食料問題や、孤独なワンオペ育児に苦しむ母親を救い、王都に少しずつ「オカンの平和」が戻りつつあった頃。
ヨシコは、有名塾が軒を連ねる文教地区の並木道を歩いていた。
そこは、将来の宮廷魔導士や高官を目指すエリート候補生たちが集う場所だ。
楽しげに笑い合う子供たちもいる中で、公園の片隅にあるベンチだけは、周囲の喧騒を拒絶するような、どす黒い執着の冷気に包まれていた。
ヨシコの「総務としての嗅覚」が、ひどく淀んだ空気の正体を捉える。
そこには、身なりの良い少年・カイルが、土気色の顔で難解な「上級魔導回路理論」の魔導書と格闘していた。
その背後に立つ母親、エレナの視線は、もはや教育熱心という言葉で片付けられるものではなかった。
それは、獲物を監視する鷹のような鋭さと、一分の狂いも許さないという冷徹な執念に満ちている。
「……何をしているの、カイル。その一問を間違えるだけで、あなたの人生は終わりなのよ。私の『理想の息子』でいられないのなら、あなたに居場所なんてないわ」
氷のように冷たい声が、少年の背中に突き刺さる。
カイルの指先は過緊張のあまり真っ白に震え、握りしめたペンの先が薄い羊皮紙を今にも突き破りそうになっていた。
本来、子供が持つはずの自由で瑞々しい魔力の輝きが、母親の「期待」という名の黒い霧によって窒息しかけている。
一滴の汗がカイルの額を伝い、教科書の上に落ちた。
それだけで、彼は「叱られる」という恐怖に肩を跳ねさせた。
その時。
温かく分厚い手が、そっとカイルの震える手の上から添えられた。
「……ちょっと、深呼吸しよか。二人とも」
ヨシコだった。
彼女はカイルを叱るわけでも母親を睨みつけるわけでもなく、ただ困ったような、それでいて全てを見透かすような慈愛の笑みを浮かべて、二人の間に腰を下ろした。
「な、何ですか、あなたは。部外者は口を出さないでください。この子の将来がかかっているんです」
エレナが氷のような声を荒らげ、ヨシコを排除しようとする。
だが、ヨシコは動じない。
むしろその拒絶を包み込むように穏やかな口調を崩さなかった。
「ごめんね、お母さん。でもな、この子の指、白うなるまで震えとるよ。あんたの視線……ほら、期待いう名の重石で、この子の心がつぶれかけてる。……あんた、自分自身の果たせへんかった夢を、この小さな背中に全部乗っけてるんとちゃうか?」
予想外の角度からの指摘にエレナの言葉が詰まった。
通りすがりの他人に罵倒されると思っていたのに、自分の心の最も脆い部分を指摘されたからだ。
「……この子の才能を伸ばしたいんやなくて、あんたの『正しさ』を証明するためにこの子を利用しとるだけやないんか?自分が宮廷で認められへんかった無念や、親戚にいい顔したい見栄。それをこの子に肩代わりさせてるんやとしたら、それは教育やなくて『収奪』やで」
「……何を……勝手なことを!私はこの子のために私自身の人生を捧げているんです!私がしっかり導いてあげないと、この子の人生が台無しになってしまう……!」
エレナの声は息子を叱咤しているようでいて、彼女自身も何かに追い詰められ悲鳴を上げているようだった。
「わかるよ。親やもん責任感じるわな。でもなお母さん。あんたがそんなに真っ青な顔してたら、この子、『僕がお母さんを苦しめてる』思てまうよ。今、この子が必死に見てるのは、教科書の文字やなくて、あんたの悲しそうな顔や」
ヨシコは俯いて震えているカイルの頭を優しく撫でた。
子供の髪は冷や汗で少し湿っていた。
カイルの目からポロリと一滴の涙がこぼれ、机の上に広がった。
「カイル君はお母さんが大好きなんやな。嫌われたくなくて、居場所を失うのが怖くて、こんなに難しい本を一生懸命読んどる。……なあ、お母さん。あんたがこの子に与えるべきは、完璧な正解やなくて、間違えても『おかえり』言うて笑って帰ってこれる場所やろ。あんた、最後にこの子と手を繋いで、なんでもない話して笑ったんはいつや?」
ヨシコの言葉が、理想の檻に閉じこもっていたエレナの心に、鋭い楔を打ち込む。
エレナの瞳から、堰を切ったように大粒の涙がこぼれ落ちた。
自分でも気づかないうちに、理想という名の鎖で自分と息子を縛り上げ、自分自身のコンプレックスを子供の未来に投影していた。
その歪んだ愛情の形に、ヨシコの温もりが光を当てたのだ。
「……私、どうすればいいか……わからなくて……。この子が人より優れていないと私の人生まで否定されるみたいで……怖かったんです……」
「大丈夫や。あんたは一人で『理想』を追いかけすぎたんや。あんたの夢はあんたのもん。この子の人生は、この子のものや。……明日はな、ウチの弟を連れてくる。五男のゴロウいうてな、カリスマ保育士やっとるんや。子供と一緒に遊ぶ天才やから、きっとカイル君の本当の笑顔の引き出し方、教えてくれるはずやで」
ヨシコは、カイルとエレナを包み込むように、両方の肩に手を置いた。
「今日はもう、本を閉じなさい。カイル君、よう頑張ったな。もうええんやで。……お母さん、今夜は美味しいご飯作ってあげなさい。点数やなくて、あんたらの幸せは、温かい食卓と、ぐっすり眠れる枕元にあるんやから」
沈みゆく夕陽が王都を茜色に染める中、ヨシコに見守られながら母子は少しだけ緩んだ足取りで家路についた。
カイルがそっとエレナの手を握ると、エレナは一瞬驚いた後今度は優しく握り返した。
その小さな背中は先ほどまでの張り詰めた気配が消え、どこか安堵したように見えた。
ヨシコはその背中を静かに見送りながらスマホを取り出し、五男・ゴロウへと再び念を送った。
「……ゴロウ、頼んだで。大人のエゴで『子供の時間』を奪われて、笑い方も忘れてもうた子がおる。……その子の心に、本当の『自由』という名の魔法をかけてやってな」
スマホの画面に映るゴロウは、太陽のような笑顔を浮かべて力強く頷いた。
ヨシコの目は家族という名の檻を事務的に解体し、一人の少年の未来を解き放つための、新たな戦いへの決意で鋭く光った。
(第18話へ続く)
自分が挫折した夢を、子供に肩代わりさせるな。
五男・ゴロウの「遊びの魔法」で、カイル君の本当の笑顔を取り戻したる。
次回、親子の本当の対話が始まるで。
更新を待っときや!




