第15話:その「完璧」、誰が決めたん?
育児は「二十四時間年中無休のワンオペ現場監督」。
そんな過酷な場所を一人で守ってるお母さんを、おかんが救わんでどうする!
孤児院「慈愛の灯火」の裏手、陽の当たらない冷たい地面。そこに座り込み、今にも消え入りそうな声で嗚咽を漏らしていた若い母親、ルシア。
彼女の震える肩と、社会の無理解に押し潰された孤独な目を見た瞬間、ヨシコの「オカン魂」に火がついた。
「……こら、自分一人で背負い込みすぎや。ちょっとその子、貸しなさい」
ヨシコがルシアの腕から、泣き叫ぶ赤ん坊をそっと預かる。
ルシアは弾かれたように顔を上げ、怯えた瞳でしどろもどろに言葉を紡いだ。
「あ……すみません。すぐに、すぐに泣き止ませますから。完璧にやらなきゃいけないのに。私が至らないから、この子がこんなに泣いて……。もっと頑張らなきゃ、もっとちゃんとしなきゃ……。ごめんなさい、ごめんなさい……」
ルシアの口から漏れるのは、謝罪と自分を責める呪詛のような言葉ばかりだった。
彼女の傍らに落ちていた鞄からは、最新の育児論を説いた分厚い教本が覗き、その余白には「授乳時間、オムツの回数、睡眠サイクル」と、一分の狂いも許さないような細かな記録がびっしりと書き込まれている。
それは育児の記録というより、自分を追い詰めるための「監視報告書」そのものだった。
「完璧?誰がそんなこと、あんたに押し付けたんや」
ヨシコの静かな、しかし確かな問いに、ルシアの心の堤防がわずかに揺らいだ。
「……近所の方も、義理の両親も。母親なら、これくらいできて当たり前だって。家事も育児も一人で完璧にこなしてこそ『立派な母親』だと教わりました。夫も『俺は外で命がけで魔物と戦っているんだ。家庭という戦場を守るのは君の役目だろう』って。……でも、夜も眠れず、相談できる人もいなくて。この子が泣くたびに、自分が『無能だ』って宣告されているみたいで、もう、どうしていいか……」
ルシアの細い指が、赤ん坊の産着をぎゅっと握りしめる。
これは、魔物の襲撃よりも残酷な「孤独」という名の、目に見えない牢獄だった。
「アホ抜かしな。立派な母親?そんなもん、この世に一人もおらへんわ!」
ヨシコの突然の怒声に、ルシアが驚いて顔を上げる。
ヨシコは、泣き叫ぶ赤ん坊の背中を、慣れた手つきでトントンと優しく叩き始めた。
「いい、ルシアさん。あんた、今自分のことを『無能』や言うたな。総務の視点から言わせてもらうけど、あんたが今やっとるんは『二十四時間年中無休体制のワンオペ現場監督』や。睡眠不足で、マニュアル通りにいかへん生き物相手に、一人で全ての責任を背負わされて。……そんなブラックな職場、魔王軍の歴戦の将軍でも一週間で根を上げて脱走するわ」
不思議なことにヨシコの腕の中で赤ん坊の声が少しずつ小さくなり、やがて安らかな寝息に変わっていく。
「ええか、よう聞きなさい。お母さんいうんは、聖者でも神様でもない。ただの、一人の人間や。腹も減るし、眠たくもなる。嫌になって逃げ出したくもなる。それを『完璧にやれ』言う周りが、どうかしてるんや。あんたは、今日までこの子をこうして生かしてきた。それだけで、もう百点満点、いや一万点やわ」
ヨシコの温かい、それでいて迷いのない言葉がルシアの凍りついた心にじわりと浸透し溶かしていく。
「……私、もう、頑張らなくてもいいんでしょうか。この子が泣いても、私がダメなわけじゃ、ないんでしょうか……」
「当たり前や。赤ちゃんは泣くのが仕事。あんたの仕事は、この子と一緒に生きてること。それ以上、何を頑張る必要があるんや」
ルシアの瞳から、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出した。
ヨシコはその細い肩を抱き寄せ、ルシアが泣き止むまで、ただ静かに寄り添い続けた。
「……ルシアさん。あんたの心を縛っとるその『完璧』いう名の鎖、ウチが全部、総務的にバラバラに解体したるわ」
ヨシコはスマホを取り出し、連絡先を開いた。
そこには、地球で保険会社のリスク管理を担い、数多の「家庭内リスク」をデータ化してきた最強の妹、ハナコの名があった。
「……さて。旦那さんにご近所さん、それに義実家。……『母親一人の責任』いう、その甘えた前時代的な考え。ウチの妹に、損失計算とデータでボコボコに論破してもらうから覚悟しときなさい」
ヨシコの目が、家族という名の組織を健全化させ「母親」という孤独なポストを救うための新たな決意で鋭く光った。
(第16話へ続く)
「完璧な母親」なんて、この世に一人もおらへん。
あんたを追い詰める周りの無理解、ハナコのデータで粉砕したるわ。
次回、ブラック家庭環境を大掃除や!




