リップ
20歳になれば大人になれるのだと思っていた。
ランドセルを背負っていた頃の私は、近所に住むお姉さんのアキちゃんがとても大好きだった。髪はくるくるしてて、ピンクの唇はキラキラ輝いて、いつも笑っておはよー!って言ってくれた。近くに行けば甘いいい匂いに包まれたアキちゃん。
私もアキちゃんみたいに可愛くしたいって我儘言うたびにアキちゃんは大人だからね、と嗜められた。大人だからなんだというのだとあの時は理解できなかったが中学生になり校則の壁にぶち当たり理解させられた。
校則の範囲内でバレないように塗った色付きリップ。全然色なんてついてないのにドキドキしながら門を潜った。
調子に乗って濃い色のリップにして行けばバレて没収された。やはり自由を得るには大人である必要があるのだとがっかりした。その時から早く大人になりたいと強く願うようになっていた。
大人になれば好きなことがなんだってできる。
…早く大人になりたいな。
高校は校則が緩かったけれど、アキちゃんのように可愛くするにはお金がかかると知った。安いピンクのリップは絵の具みたいで全然可愛くなかった。
雑誌に載っていた芸能人が使ってるというリップをバイトして買ってみたけれど、私の口をキラキラにはしてくれなかった。
大人びたケースに心躍らせながら口に乗せてみたが、野暮ったい幼い顔にピンクの唇のアンバランスな可笑しさが目立っていた。
…リップだけじゃダメだったんだ。
大人の壁は分厚く高い。
鏡の向こうの自分に問いかける。
『ねぇ、貴方はいつ大人になるの?』
鏡は答えず、徐々にぼやけていった。なのにピンクだけが、はっきりと存在していた。
早く大人になりたい。
願って願って迎えた20歳。やっと迎えた大人。
たばこもお酒も合法になる大人。
だけど、何の実感もわかずに私は大人になっていた。どんなに急いでも辿り着けなかったゴールにあっけなくたどり着いた虚しさと焦燥感に心が落ち着かない。
ベッドの上でうだうだと転がっていると、あの時買った高いピンクのリップが目に入った。懐かしさに手を伸ばしそのまま雑に塗りつけた。
高いだけあって塗り心地は良かった。あの時は似合わなかったが、今ならマシになっているかもしれないと淡い期待で鏡を覗き込むと、不機嫌そうな鏡の中の女がこちらを見ていた。
少しだけ自分に馴染んだピンクは、今はもう流行遅れな色だった。
キラキラになれなかった。
折角ピンクが似合うようになったのに世間には合わないらしい。なんてかわいそうなんだろうと自分で笑ってしまった。
大人になったのに。
アキちゃんはずっと手の届かないままだ。
結婚して遠くに行ってしまったアキちゃん。
少し前に行われた結婚式には出れなかったけどウェディングドレスの写真はアキちゃんのお母さんが見せてくれた。
アキちゃんは優しそうな旦那さんの横で幸せそうに笑っていて、とびきり美人で世界で一番キラキラ輝いていた花嫁さんだった。
赤いリップがとてもよく、似合っていた。




