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前編

 じっとこちらを見つめてくる黄金色の瞳には、鏡のように自分の顔が映っている。不機嫌そうなしかめ面をした赤毛の男。いつも鏡で見るニードルステニア・スタフォード自身の顔だ。

 怒っていようといなかろうと、ニードルステニアはいつもそんな顔をしている。それで何度、余計な敵を作ってきたことか。

 現在、ニードルステニアがそんな顔を向けているのは見も知らぬ子供だった。取引相手が住む屋敷に赴いて、その相手が所有する薔薇の庭園を進んでいると、子供が薔薇を眺めている所に遭遇したのだ。


「どこの子供だ」


 ニードルステニアが話し掛けると、子供は音もなく顔を彼に向けてきた。美しく可憐な顔立ちの、十代半ばくらいの子供。性別は、よく分からない。

 ウェーブの掛かった長いチョコレートブラウンの髪を赤いリボンで一つに纏め、黒いワイシャツに黒いショートパンツ、黒いタイツと黒い革靴は、どれも一目で一級品と分かるものを選んでいるようだった。

 ニードルステニアは子供に用はない。さっさと取引相手の元に向かうべきだが、足はまるで動かず、子供の黄金色の瞳から目を逸らせなかった。


「新しく雇われた使用人か、それとも、最近引き取られたこの家の隠し子か」


 子供は瞬きをした。薔薇色の唇が言葉を発することはない。ニードルステニアはあまり気が長くないが、不思議と、子供が何を言うか待つ気であった。何もなければ、いつまでも待っていたかもしれない。


「──コッペリア!」


 聞き覚えのある声と共に、慌ただしい足音が聞こえてきた。ちらりと視線を向ければ、こちらに向かってくる、この後会う予定の取引相手と目が合い、破顔された。

 漆黒の天然パーマにそばかすの浮いた人好きのする顔、そしてボロボロの白衣。それがニードルステニアの取引相手である、サンティ・エイベルという男の特徴だった。


「スタフォード氏、来ていたんですね。いやあ、助かった。貴方が来てくれるのを心待ちにしていたんですよ」


 馴れ馴れしくニードルステニアの肩を叩きながら、朗らかにそう告げてくるサンティ。ニードルステニアはそっと彼の手を払いのけ、そのまま子供を指差した。


「この子供は何だ。こないだまではいなかっただろう」

「ああ、コッペリアですよ」


 さも当たり前のように言ってくるが、ニードルステニアには覚えのない名前だ。更に訊ねようとしたが、その前に、サンティはコッペリアと子供を呼んでその手を握り、さっさと歩きだしてしまった。


「おい」

「さあさ、中にお入りください。美味しいアップルティーを買ったんです。一緒に飲みましょう」

「コッペリアとは何だ」

「……コッペリアはコッペリア。そういう芝居があるのは、ご存知ないですか?」

「……」


 そのように言われても、やはり覚えはない。

 サンティは足を止めなかった。手を繋いでいるコッペリアも止まらない。ニードルステニアだけが足を止めていた。


「詳しいお話は中で」


 振り返ることなく告げられた声に、ようやく、ニードルステニアは訝しげに足を動かす。特に走らずとも、二人の足並みはゆっくりとしたもので、すぐに追い付いた。

 屋敷の中に入る。少し色褪せた印象はあるものの、清掃の行き届いた室内に、他の人間の気配は感じられない。サンティは使用人を雇っていない。取引をするようになってから一度もなかった。ここに来る時はいつもサンティとしか接してこなかったのに、今は、コッペリアがいる。

 コッペリアは、何なのか。

 応接室に通され、向かい合わせに置かれたソファーに各々座る。ニードルステニアは一人で、サンティとコッペリアは二人で。


「寒いから寄りかかって」


 サンティがそう言えば、コッペリアは恥ずかしがる様子もなく彼に寄りかかった。そんなコッペリアの髪を撫でるサンティの姿は、どこか、恋人を愛おしんでいるようだ。


「……おい」


 声を発して、ニードルステニアは内心で静かに驚いていた。顔が不機嫌そうなら声も不機嫌そうと世渡りに不便な性質をしているが、いつも以上にその声は不機嫌そうだった。自分でも分かるのだから、サンティにも伝わっているだろう。

 すみませんねとサンティは言って、コッペリアを手でやんわりと押し退け、懐からガラスの小瓶を取り出し、蓋を開けて中身を呷った。中には赤い粒がいくつも入っているようだった。

 ひとしきり飲み込むと、髪同様に黒かったサンティの瞳が深紅に染まり出す。そして──どこからともなく茶器が飛んできて、静かにテーブルの上に着地していった。

 花弁が描かれた桃色のティーカップに、揃いの柄のティーポット、それから、大きな林檎の絵が描かれた紅茶の缶や金色のティースプーン。ティーカップとティースプーンは二人分置かれていた。

 サンティはじっと深紅の瞳でテーブルを見つめる。すると、手も触れていないのに勝手に紅茶の缶の蓋が開き、茶葉が中から舞い上がって、ティーポットの中へ入り込む。そして、ティーポット本体も浮かび上がり、サンティとニードルステニアのティーカップにそれぞれ注ぎ口を傾け始めた。元々お湯でも入っていたのか、甘い林檎のにおいと共に、色付いた液体がティーカップに注がれていく。

 ニードルステニアには見慣れた光景であり、特段驚く様子はない。──サンティ・エイベルは魔法使い、それだけの話だ。

 蒸らし時間などあってないようなものだが、サンティは先に茶に口を付けた。その顔は、美味しくて堪らないと雄弁に語っている。

 召し上がってくださいと言われ、ニードルステニアも口を付けた。


「……っ」


 カップから口を離すことが惜しくなるほど、極上の味をその舌に感じた。結局すぐに飲み干してしまったが、テーブルに置いた瞬間にティーポットが茶を注いでくる。手を伸ばそうか迷ってやめた。茶よりも気になることがある。


「コッ」

「コッペリアは、動く人形の話ですよ」


 言いながら、サンティは隣に座るコッペリアの手に自分の手を絡めた。ニードルステニアは何となく、絡められた手から目を逸らせない。


「コッペリウスという人形師が、美しい人形を作り上げ、その子にコッペリアと名付けるのです。その美しさは、恋人のいる男すら虜にするほどだそうですよ」

「……何で、その子供にそんな名前を」

「僕のお人形だからです」


 絡めた手に力が入ったのが、ニードルステニアの目に入る。ほんのり苛立ちを感じながら、続きを待った。


「以前、ウィラン家の写本を元に、ある研究をしているという話をしましたよね」

「聞いた」

「それ、実はアンダーソン家が長年研究していた内容を纏めた本の写本なんですよ。何代か前のアンダーソン家当主が研究をやめて、ウィラン家にその研究内容を記した本を寄贈してくれたおかげで、我がエイベル家に写本が渡り、僕が読めるようになりました」

「それとコッペリアに何の関係が」

「大いにあります。コッペリアはその研究の成果、悲願の完成品なんです」


 ──ホムンクルス。


 一拍おいて呟かれたその単語を、ニードルステニアは何度も脳内で咀嚼した。ホムンクルス、ホムンクルス。それは確か、人工的に造られた人間のことではなかったか。そう思い当たり、コッペリアを見る。

 美しいコッペリア。生きた者の温かみなどそこにはない。冷ややかな美しさは、触れれば火傷してしまいそうだが、サンティは堂々とその手を絡め取っていた。


「アンダーソン家は甦りの研究をしていました。この世界には死者を甦らせる方法はないにも関わらず、アンダーソン家はそれに抗おうとし、何代目かの当主によって道を閉ざした。その研究成果を見ると、どうやら死体を短時間であれば動かせる段階まではいけたようですが、生前の人格を取り戻すことができなかったようで、我々エイベル家としては、動かせるならそれでいいやと、アンダーソン家の研究成果を取り入れさせてもらいました」


 ──死体を素材にして造られたホムンクルス。


「肉人形、ホムンクルス。この子は動き出してから三ヶ月を過ぎましたが、崩壊の前兆は未だありません」

「前兆?」

「ひび割れていくんですよ、指先から。ゆっくりゆっくり全身がひび割れて、最後には灰になるんです。今までの子はそうでした」

「……」

「親近感、湧きますか?」


 ニードルステニアは答えず、カップに口を付けた。その行動を、彼はすぐに後悔することになる。


「──どんなに酷くしても、壊れないんですよ。どんなことをしても、受け入れてくれます」

「……」

「あ、夜の話です」

「……っ」


 思い切り噎せてしまい、カーペットに茶を溢してしまった。


「最初はそんなつもりで造ってなかったのですが、一人の時間をけっこう長く過ごしてきたせいか、他人が傍にいることがだんだん心地好くなってきましてね。つい、魔が差して」

「……」


 口元を手で拭いながら、ニードルステニアはコッペリアに目を向ける。美しき、肉人形ホムンクルス

 清らかな見目をしているが、その身は既に、サンティによって暴かれ尽くされていた。

 ニードルステニアの苛立ちが増していく。その理由を本人が理解しないままに。


「スタフォード氏のおかげです」


 深々と頭を下げてくるサンティは、その状態にあっても、コッペリアから手を離さなかった。


「貴方が我がエイベル家に協力してくださったから、僕の代でコッペリアを完成させることができました。この恩は、僕を含めエイベル家の者によって、後々まで返させていただきます」

「……俺は、求めるものを、もらえれば……」


 それでいい。

 そう言葉を、続けられなかった。


「もちろんです。今後とも、お付き合いよろしくお願いいたします」


 頭を上げたサンティは、そこでやっとコッペリアから手を離し、立ち上がってニードルステニアに近付く。

 おもむろに、白衣の下のワイシャツに手を伸ばし、ボタンを外して首元を露出させるサンティ。そのまま、ニードルステニアの座るソファーに乗り上げ、白衣とワイシャツをはだけさせる。

 突然の奇行ではなく、これはいつものこと。サンティとニードルステニアが共にいる時は必ずこうなる。

 もはや慣れたものだが、今日のニードルステニアは少し落ち着かない心地だった。

 ──これじゃない。

 そんな想いがあったが、身体は目の前のサンティを求め始めている。

 日に焼けていない白い肌からは、うっすらと薔薇の香りがする。その香りが鼻に届くにつれて、その肌に──首に、顔を埋めたい衝動に駆られた。


「どうかされましたか?」


 動かないニードルステニアを、サンティは不思議そうに見つめている。ニードルステニア自身も不思議だった。彼が今、ここにいるのは、この為なのに。

 ──これじゃない。

 ──これでいいだろう。

 そんな想いでぐちゃぐちゃだった。


「スタフォード氏」

「……」

「──駄目ですよ」


 俊敏にニードルステニアの首に巻き付いて、サンティは彼の耳元で囁いた。


「コッペリアを好きにしていいのは僕だけです」

「……」

「それに、コッペリアじゃ、貴方を満足させられませんよ」


 ほら、と距離を詰めてこられ、胸と胸がくっつく。


「早く、召し上がれ。この時間は僕にとっても好ましいものなのです」


 ほらほら、と請われ、ニードルステニアの喉が鳴る。

 ──これでいい。

 ──もう、これでいい。

 ニードルステニアは顔をサンティの首筋に近付け、湿った舌を這わせる。濡れて滑りが良くなるにつれ、サンティの息が上がる。

 そして──口を大きく開けて、噛みついた。


「んっ」


 声を上げるサンティ。ニードルステニアはそれに気を良くして、更に深く噛みついた。

 ニードルステニアの喉は音を鳴らし、しきりに上下に動く。何かを飲んでいるような、いや飲んでいるのだ──サンティの血を。


 ──ニードルステニア・スタフォード。

 ──深紅の髪と瞳を持つ、吸血鬼なり。

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