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第16章 事ども


 第1話 門付(かどづけ)

 四国の山間部、とりわけ千足村のような陸の孤島では、外部との接触はほとんどなかった。

 ふだん顔を合わせるのは、馴染みの村人か郵便屋さんくらいだった。このため、外部の出入りがあると、いやがうえにも目立った。

 そのうちの一人が、三番叟(さんばそう)まわしだった。


 村に、天秤棒で前後に箱を担いだ人間が現れる。

 何軒かの家の玄関に立つ。足元に置いた箱から、何やら取り出す。人形だった。手足が長く、だらんとしている。服の中に手を入れると、まるで生きている人間のように舞い始める。

 ひと段落したのか、人形を箱に折りたたむようにして戻し、別のものを取り出す。

 何体かが入っていた。いわゆる人形遣(つか)いは何か唱えていた。

 隆たちは奥の部屋から見ていた。村には人形に頭を撫でてもらったという子供もいたが、とても怖くて近づけなかった。


 三番叟まわしは、徳島藩に江戸時代から伝わる祝福芸とされる。家々を巡り、商売繁盛、家内安全、五穀豊穣などを祈願した。

 やがて香川県や愛媛県にも定着したものの、昔ながらの共同体の崩壊に伴い、見かけることは少なくなった。

 三番叟が千足村にきていたのは、隆が小学校の低学年のころだろうか。正月や松の内に門付したとされるが、正確な時期は覚えていない。


 第2話 薬売り

 縁起物とは言え、三番叟まわしは子供たちには、それほどありがたいものではなかった。それに比べて、薬売りは胸をワクワクさせた。

 薬売りは、大きな風呂敷包みを背負って現れた。

 契約した家庭に薬箱を常備し、定期的に巡って補充や入れ替えをする。薬箱を開けると独特の匂いがした。風邪薬、熱さましをはじめ、ヨーチン(ヨードチンキ)・赤チンの消毒液、血の道の薬などいろいろな種類が入っていた。

 中でも喜ばれていたのは、正露丸だった。腹痛に効いた。虫歯が痛い時など、詰めると、たちどころに著効を発揮した。


 子供たちのお目当ては、薬ではなかった。薬売りは必ずお土産を持参した。色鮮やかな紙風船が定番だった。

 膨らませて、手でついた。紙風船は二、三日もすれば飽きられる運命だった。それでも子供たちを一時、夢中にさせてくれた。


 薬売りは富山藩のお墨付きを得て、燎原の火のごとく、全国に広まった。中でも「越中富山の反魂丹(はんごんたん)」は胃腸薬として、一世を風靡(ふうび)した。

 地味ながらも、三番叟は国の文化財に指定され、伝承されている。一方の薬売りは時代とともに様態を変え、人々の健康を支える一翼になっている。日本を代表するビジネスモデルである。おまけ商法でもあり、幼心をくすぐる方法を心得ていた。


 第3話 生物多様性

 それは、薬箱には入っていなかった。田舎では常備薬の一つと言えそうだが、不思議なことである。

 お陰で俗説、迷信が流布(るふ)してしまった。

「蜂に刺されたら、小便をかけろ」

 というものである。

 村の神童として名高かった隆でさえ、信じていた。


 千足村の真ん中に神社があり、こんもりした森が(おお)っている。森は子供たちの遊び場でもあった。

 大きな古木には(ほら)があった。よくムササビが棲みついた。太い枯れ枝で古木を叩くと「何事か!」と、ムササビが顔を出す。事態が呑み込めたか、ムササビは空中に飛び立つ。森の住人にとっては、迷惑極まりない子供たちだった。

 騒ぎに、フクロウがキョロキョロと睥睨(へいげい)し、タヌキやイタチも住処から愛くるしい顔をのぞかせた。


 森で、隆と洋一、修司が太い樫の木を見上げていた。

 樫の木は大きく枝分かれし、それぞれに小枝が出ている。中に、蜂が群がる小枝があった。巣があるのだ。


 権蔵爺さんの孫たちが森に通り掛かった。手に、駄菓子屋の袋を持っていた。隆たちに気づき、三人が寄ってきた。

「ボク、取ってくる」

 真ん中の男の子がそう言うなり、枯れ枝を(くわ)えてスルスルと樫の木に登っていった。

都会っ子にしては身軽だった。


 権蔵爺さんの孫は、横に張り出した太い枝にまたがった。口から枯れ枝を離すと見るや、ハチの巣を二、三度叩いたのだった。

 一斉に巣を離れた蜂たちがすかさず、孫を襲ってきた。いくら手で払っても無駄だった。権蔵爺さんの孫はワンワン泣き出した。ワルガキの面影はなかった。


 第4話 民間療法

 孫はやっと地上に降り立った。

 頭、顔、手に集中攻撃を受けていた。

「洋ちゃん。小便つけてやろうか」

 隆は反射的にズボンのジッパーに手をやった。

「いや、隆。渋柿、取ってきて」

 洋一が言うので、隆と修司は渋柿を探しに行った。足の悪い修司が、一生懸命についてきた。なんとか見つけて持って行くと、洋一は石でつぶし始めた。

「これ、つけてやって」


 隆と修司は言われたとおり、刺されたあとに塗ってやった。

 権蔵爺さんの孫は泣き止んだ。痛みが少し引いてきたようだった。

 蜂に刺されるのは初めての体験だったのだろう。顔は青ざめ、ショックが尾を引いていた。


「洋ちゃん。あんなこと、どこで覚えたん?」

 隆からすれば、見事な対応だった。

「勲おっちゃんに聞いたことがあったんや。絶対に役立つ時があるやろって」

 息子の修司でさえ教えられていなかった治療法だった。隆と修司には、洋一が一段と頼もしく思えた。

「けど、隆たちが遅いので、ワシも小便かけようかと思うたで」

 洋一でも焦っていたのだ。


「小便かけとったら、ワシら、権蔵爺さんに怒られるところやったなあ」

 洋一がふざけながら、左手をズボンの前に、腰を振った。

「洋ちゃん! まさか、直接…」

 そんなことをしていたら、権蔵爺さんは一生許してくれなかっただろう。

「隆は、どうやってかけるつもりやったのや」

 隆は半ズボンのポケットを引き出した。

「これをちぎって使えばええやない」


 衛生観念などほぼゼロ。子供たちにハンカチを持ち歩く習慣はなかった。

「おお! さすが」

 三人は笑いながら、森を後にした。


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