2 幼馴染は王子様
ビンタ事件から数週間が経った。相変わらずクレアは悪女と呼ばれ、社交の場に出ても誰も近寄らない。この日、王城で開催された上流貴族向けの舞踏会に出ることになったクレアは、来てそうそう帰りたくてたまらなかった。上流貴族向けの舞踏会に出るのも、王城へ来るのも最近ようやく成人したからこそのことで初めてで、余計にクレアは居た堪れなくなっていた。
「あの御令嬢が婚約破棄されてビンタしたっていう?」
「腹いせに相手のご令嬢に執拗に嫌がらせまでしているんでしょう」
「すごいな、そんことをするようには見えないが、だからこそ悪女なんだろうな、怖い怖い」
相変わらず勝手なことを言われている。嫌がらせなどしていないのに、まだしていることになっていてクレアは悔しさのあまりドレスをぎゅっと握りしめた。どんなに嫌がらせなどしていないと言ったところで誰も聞く耳を持ってはくれない。ただ噂話に格好のものが見つかったので楽しんでいるだけで、本当のことなど誰も気にしていないし、そんなことはどうでもいいのだ。
(おばあさまに絶対に行けと言われた夜会だから仕方なく来たけれど、やっぱり来るべきじゃなかった。もう、壁の花になってやり過ごすしかないわ)
祖母がクレアの家では絶対的権力を持っており、祖母の命令は絶対だ。クレアはそっと壁際に立ち、床をぼうっと見つめていた。
「クレア?」
ふと、聞き馴染みのある声がする。目の前に影ができて見上げると、そこには礼服に身を包んだ、柔らかい銀髪の髪にスカイブルーの瞳の見目麗しい青年がいた。
「……ギアルお兄様!?」
クレアが驚いてギアルを見つめると、ギアルは嬉しそうに微笑む。
「クレア!やっと会えた!ずっと会いたかったんだ。よかった」
そう言いながら本当に嬉しそうに微笑むギアルを見て、クレアの冷え切っていた心が一気に溶けていく。まるで日の光に当たってほんわりと暖かさが身体中に巡っていくようだ。
「ギアルお兄様……!」
ホッとしたからだろうか、クレアの涙腺が緩む。
(だめよ、こんな所で泣くなんて、お兄様に迷惑がかかってしまう)
泣きそうになるのをぐっと堪えてギアルに微笑み返すと、ギアルは心配そうな顔でクレアに手を伸ばした。
「クレア、大丈夫か?」
(ダメ、今優しくされたら本当に泣いてしまう)
「大丈夫です、お兄様。それより、私なんかと話しているとお兄様に迷惑がかかってしまいます」
ギアルとクレアを見て、近くにいる貴族たちがざわつき始めた。悪女と呼ばれるクレアに話しかけているなんて、とギアルまで奇特な目で見られているのだろう。このままでは、ギアルに迷惑がかかってしまう。
「ああ、あれか。クレアが気にする必要はないよ」
「でも……」
クレアが戸惑っていると、一人の貴族がギアルに話しかけてきた。
「これはこれはギアル殿下。第二王子ともあろうお方が、そのような悪女に声をかけるなどおやめになったほうがよろしいかと」
(ああ、やっぱり私なんかと話をしてると……って、え?殿下?第二王子??)
聞きなれないフレーズに思考が止まる。ギアルを見ると、フッと目を細めて微笑んでから貴族へ視線を移す。
「悪女?彼女が?」
「ええ、その御令嬢は婚約破棄された腹いせに平手打ちをして、あろうことか一緒にいた令嬢に嫌がらせまで行っているとか。とんでもない悪女ですよ」
貴族の言葉にクレアはまた胸が痛む。だが、そんなクレアを守るようにクレアの前にそっとギアルは立って、貴族が見えないように視界を遮った。
(もしかして、ギアルお兄様は私を庇ってくださってるの?)
ギアルの背中をクレアはぼうっと見つめる。久しぶりに会えたギアルの背中はすらりとしているが骨格がしっかりとしていて男らしい。昔とは違う男らしいその姿に、クレアは胸がときめいた。
「彼女は俺の幼馴染だ。俺は彼女のことを昔からよく知っている。彼女は悪女なんかではないよ」
「で、ですが!」
「そもそも、婚約破棄されて思わずビンタをするのは仕方ないんじゃないのか?しかも婚約破棄の理由が、婚約者の浮気で浮気相手と一緒になりたいから、だろう。そんなこと言われたら思わず手が出てしまっても仕方ないだろう。もちろん、すべきことではないかもしれないが。それに、本当にその浮気相手の御令嬢に彼女が嫌がらせを?証拠でもあるのか?」
「そ、れは……」
「どこからか聞いただけの話だろう。実際に見てもいないことをさも本当のことのように言いふらして非難するなんて、この国はいつからそんな品のない貴族が横行するようになったんだ?」
ギアルはわざと大きな声で言いながら周囲の貴族たちを見渡す。ギアルの言葉に、貴族たちは一斉に黙り込んだ。
「お待ちください!」
突然、大きな声がして一人の令息がギアルの前に現れた。声のする方へギアルは冷ややかな視線を送る。その視線の先には、クレアへ婚約破棄を言い渡した令息オリヴァーと、そのすぐ後ろでなぜかおどおどしている令嬢アリーネの姿があった。