第7話 シャーロット姫の憂鬱
「…………」
部屋の中では重い沈黙が流れ続けていた。
ナギサはソファに座りながら黙りシャーロットは書類のようなものを読んでいる。
かれこれ一時間以上も黙り込んでいる。いつものナギサは話し好きでミサキともずっとおしゃべりをしているため、こんな風に長時間沈黙しているだけでもしんどかった。なんとか少しでも仲良くなれないかと話をかけてみる。
「えっと、そろそろルーグリスではユリオスの花が咲く頃ですね」
「……そうね」
あっさりとひと言で返されてしまう。
ここで諦めるわけにはいかない。少しでも仲良くするために頑張らないと。再度目の前にある紅茶のカップを手に取って、もう一度話しかけてみる。
「あっ、この紅茶、おいしいですね。ルーグリス公国では紅茶にはミルクとお砂糖をたっぷり入れるそうですね。アクアトリアにもおいしいお茶があるんですけど、よろしければ……」
「無理に話さなくていいわよ。私も話さないと言ったでしょう?」
「……はい」
これはなかなか手強い。
ナギサが無理にお願いして側にいるのだから、話したくないのも仕方ない。今は側にいられるだけで、よしとすることにしよう。それにしても、最初に出会った時はやさしくて優雅なお姫様だと思っていたのに、今や別人のように厳しい顔をしている。
どちらが本当の彼女だろうと思いながら、紅茶を飲んでいると……。
「姫様、そろそろお出かけ時間です」
ヴェスパーに呼ばれて、シャーロットが立ちあがった。
「ええ。わかったわ」
ナギサも立ちあがって、彼女に声をかけた。
「あの、どちらに行かれるのですか?」
「公務よ。今から市長に会いに行くの」
そう言うなり、シャーロットは部屋の外に出た。
「ま、待ってください!」
ナギサも慌てて彼女の後を追いかけた。
ホテルから出て、シャーロットと共にリムジンに乗った。車は市街の中心に向かっていく。そこにはアクアトリア庁舎があった。
庁舎は南国風の三階建ての建物であった。白い壁が陽光を受けて輝き、建物の前には大勢の職員たちと新聞記者、そして恰幅のよい市長が笑顔で出迎えてくれた。
「やあやあ、よくいらっしゃいましたね。アクアトリアはいかがですかな?」
「市長、お招きありがとうございます。とても素敵な場所ですわ」
シャーロットは微笑んでから市長と握手をかわす。新聞記者が大量に写真を撮っていたが、シャーロットは笑顔で撮られていた。
それから一時間ほどシャーロットは庁舎の見学をした。シャーロットは笑顔で話を聞いていた。その姿はやはり最初にナギサが出会った時と同じくお姫様らしい優雅で美しい微笑みにあふれていた。
一時間ほど市長との会談と庁舎の見学を終えてから、シャーロットは出てくる。
「ありがとうございました、市長様。アクアトリアは本当に素晴らしいですわね」
「ええ、これからも我々アクアトリアとルーグリスは友人でいたいものです」
「もちろんです。両国はよき友として結ばれていますもの」
シャーロットが微笑んで伝えると、市長は笑顔のまま続けた。
「ルーグリス侯爵家の現状を思うと胸が痛みますが……」
「………っ!」
市長が含みのある口調でそう告げると、シャーロットの表情がかすかに揺れた。
(……えっ?)
あまりにも一瞬の表情の変化に、他の人々は見逃していたようだが、ナギサには彼女の動揺が見て取れた。市長が伝えた言葉に何かあるのだろうか。けれども、その意味を読み取る前に、すぐにまたいつものお姫様らしい笑顔に戻ってから答えた。
「ありがとうございます。これからも両国の発展を願いますわ」
シャーロットは見送りに来た人々に笑顔で手を振りながら車に乗り込んだ。
しかし車に乗って周りから見えなくなった途端に、あからさまに不機嫌な顔になった。
「なんて失礼な男なの。ルーグリスのことをずけずけと言うなんて」
ナギサが側で見ているのも構わずに、シャーロットは不機嫌さを隠そうともしなかった。
「しかも、なぜ市長なの? 外務大臣と会う約束でしょう?」
「申し訳ありません。急に予定が悪くなったそうで」
ヴェスパーが返答をすると、シャーロットは苛立ったようにつぶやく。
「それじゃあ、意味がないわ。もしかしてアクアトリアは盟約の話を……」
言葉が気にかかり、ナギサは思わず心の中でつぶやく。
(盟約? いったいどういう意味だろう?)
ナギサの心を察したようにシャーロットは振り向いた。
「何でもないわ。あなたには関係がないことよ」
「し、失礼しました!」
ナギサがあやまると、シャーロットは息を吐いて外に目を向けた。
「早くなんとかしないと……」
そう小声でつぶやいた意味を、ナギサは聞き返すことができなかった。
◇ ◇ ◇
それからもシャーロットは公務を続けた。
アクアトリアの子どもたちとふれあうイベントの参加や、アクアトリア港の見学など様々な場所に出かけて様々な人たちと挨拶をかわした。まさにびっしりとスケジュールが組まれていて、少しも休む暇もなかった。
朝から六カ所もあちこち見学しているために、すっかりナギサは疲れてしまった。六カ所目から車に乗ったところで、ナギサは思わずつぶやく。
「公務って大変なんですね……」
「これくらい大したことないわ」
シャーロットは平然とした顔で答えた。
「本日の最後はルーグリス街となります」
ヴェスパーに次の予定を言われると、シャーロットの表情がまた変わった。
「……そう。わかったわ」
急にまた表情がかげったシャーロットの顔に、ナギサは首をかしげた。
その後、シャーロットはアクアトリアの市街地にある『ルーグリス街』に向かった。
ルーグリス街はルーグリス公国の人々が大勢住んでいる街だった。街中もルーグリス公国らしい煉瓦造りの建物が並んでいる。最近ではルーグリス公国から訪れる人々も増えて、かなり活気に満ちていた。
シャーロットがリムジンから降りれば、街の人々が盛大に歓迎をした。
「みなさん、お会いできてよかったわ」
「ああ、シャーロット姫様だ!」
やはり街の人々はシャーロットを温かく出迎えた。
街の人々からシャーロットは花束を与えられると、彼女は「ありがとう」と微笑んだ。その微笑みは先ほどの市長に向けた作り笑顔とは違い、親しみを向けたものである気がした。
(あんな風に笑えるんだ……)
また違うシャーロットの笑顔に目を奪われていると、杖をついた老女が声をかける。
「シャーロット姫様。ルーグリスは今どうなっていますでしょうか? 国王様はお元気でいらっしゃいますでしょうか?」
「安心して。お父様なら元気でいらっしゃるわ」
老女はシャーロットに対して身を乗り出してきた。
「お願いです。早くわしらが安全に帰れるようにしてください」
「ええ。わかってるわ。もう少し我慢してちょうだい」
シャーロットは老女が差し出した手を握った。
ナギサにはふたりの会話の意味が全くわからなかったが、何か不穏な会話をしているだろうことはわかった。
その時、通りの端から小石が飛んできた。
「わっ!」
慌ててそちらに顔を向ければ、子どもが石を投げてきた。
「帰れ! おまえなんかもうルーグリスの姫じゃない!」
思いがけない言葉を投げかけられ、ヴェスパーが護衛の男たちに呼びかけた。
「その不届き者を捕まえろ」
護衛の男たちが子どもたちを捕まえようと駆け出す。
「やめなさい!」
シャーロットが慌てて護衛に向かって呼びかけた。
「しかし、姫様……」
ヴェスパーは続けようとしたが、シャーロットは首を振った。
「いいの。そう言われても仕方ないもの」
シャーロットに初めて憂いを帯びた表情が浮かんだ。彼女の表情の意味がわからなかったけれども、すぐさま彼女は周りが自分を見ていることに気づいて顔を上げた。
「今日はお招きいただきありがとう。これからもルーグリス侯爵家は、ルーグリスをみなさんが安心して暮らせるように力を尽くすわ」
そう言ってから、シャーロットは笑顔で手を振って歩き出す。
(……シャーロットさん)
ナギサも見ていることに気づくと、シャーロットは声をかけてきた。
「さあ、帰りましょう。明日も忙しくなるわよ……だから、ちゃんと休んでおきなさい」
どこか遠くを見つめるようなシャーロットの声色に、ナギサはうなずくだけだった。